2024年5月21日火曜日

聖書と日本フォーラム 手束正昭  高砂教会 主任牧師 兵庫県在住

聖書と日本フォーラム



「聖書と日本フォーラム」への期待

―古代日本におけるカリスマ的キリスト教の発掘―

祈祝福。1989年11月、私はその3年前の1986年11月に初めて世に問うた「キリスト教の第3の波―カリスマ運動とは何か」に引き続く第2巻目、「続・キリスト教の第3の波―カリスマ運動とは何か」を再び世に問うた。
その中の第1章「歴史的考察」の第1節「養子論的キリスト論とネストリウス派」に、「日本に来たネストリウス派」の1項目を設け、古代日本にやってきた秦氏について触れている。
その中で、秦氏を景教徒とみなす手島郁郎氏の見解と「失われた10部族」の一部をなすユダヤ教徒とみなす中田重治氏の見解とを対比して紹介しつつ、両者を結びつけるマービン・トケイヤー氏の見解に賛意を示している。

トケイヤー氏によると、ネストリウス派とは極めてユダヤ教的色彩の濃いキリスト教である。
そしてそれは、キリスト教が急速にヘレニズム化していくことに対抗し、何とかヘブライズム的伝統を守り、カリスマ的信仰を維持しようとした必至の努力があえなく政治的画策によって潰され、歴史の彼方に消えていったのがネストリウスとネストリウス派の悲劇なのである。
その意味で、ヘブライズム的キリスト教の再興を目指したネストリウス派が、それ以前に中国にやって来ていた原始キリスト教(ユダヤ教的特色の強いヘブライズム的キリスト教)と同じものとして「景教」という名称でひと括りにされて呼ばれていたのではないかというのが、私の結論である。

かくて「聖書と日本フォーラム」での学びは、「カリスマ運動とは何か」を一貫して追及している私にとって、ヘレニズム化することによってカリスマ性を喪失していった〝西まわりのキリスト教〟に対して、ヘレニズム化を拒否してカリスマ性を維持しようした〝東まわりのキリスト教〟の足跡を発掘するものであると共に、日本人の血脈に流れ込んでいるカリスマ的キリスト教の復興を目指す試みへと発展していくことになるのである。
今後の更なる研究成果を期待してやまない。
https://www.shima.mctv.ne.jp/~newlife/ikanisite.htm#%E7%AC%AC7%E5%9B%9E

聖書と日本フォーラム

1部 こうして始まった  


「聖書と日本フォーラム」によせて 
              初代会長  小 石   豊

 「荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ。私たちの神のために、大路を平らにせよ。」イザヤ40章3節
 
「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」ルカ19章40節
 
1932年というと、ちょうど私が生まれた年。ホーリネス教団聖会において、中田重治監督が「聖書より見たる日本」というメッセージをされ、これをきっかけに教団は分裂し、第2次世界大戦勃発の時期とも重なって信徒も牧師たちも非常な痛手を被った。
以来ホーリネス系を中心とする教会では、どんな内容にせよ、「日本ユダヤ問題」はご法度となった。

 私の両親はプレマス・ブレズレン派に属していたが、私は戦後新しく始まった「日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団浜松教会」に加わり、中央聖書神学校を卒業。中央福音教会副牧師、豊川教会、吉祥寺福音教会、熊本聖書教会牧師を歴任し、1978年以降、現在の豊橋キリスト教会牧師を勤めさせて頂いている。

 私が本格的に「10部族回復預言研究」に取り組み始めたのは26年前、注解書にはこの問題の注解がないので、ひたすら聖書のみを読み直し、隠された真理に触れた感動で、毎日が夢見るような思いになった。

それでガリ版刷りで論文をまとめ、有志の方々に配布した。
するとほどなくホーリネス教団の千代崎秀雄牧師がわざわざお出でくださり、中田重治全集第2巻から、「聖書より見たる日本」というメッセージを見せてくださった。
それでホーリネス教団分裂の事情がここにあったことを始めて知ったのである。

1.『失われたイスラエル10部族の回復』

1982年。いのちのことば社から『失われたイスラエル10部族の回復』を出版した。
この本は、彼らが帰ってくると言う聖書預言を解釈したものであり、出版に当たって千代崎師が、「測りがたい神の奥義」と題して、12頁に及ぶ序文を贈ってくださった。

ところがほどなく森山諭牧師より、「ホーリネスの痛みを知らないものが、今更イスラエル問題を提唱するとは何事か。
あなたが書いたようなことは、とうの昔に知り尽くしている。
あのように狭いパレスチナに、誰が戻って行って何処に住もうというのか。」といったような手厳しい手紙が送られてきた。
そのほかにも批判的な手紙が数通あり、いかにホーリネス系の方々が傷んで来られたかを改めて知った。
そして、これがネックになって、日本のキリスト教会が聖書預言のイスラエルの回復そのものを避けておられるように思われた。

2.『日本人とユダヤ人の連合を世界が怖れる理由』

このような問題は、教会側では受け入れられにくいことを聖霊によって示され、むしろ一般社会を対象に発表することを決心して論文をまとめた。
しかし一体どこの出版社が受けてくれるのか、皆目見当がつかなかった。

 丁度その頃、教区の子供キャンプが浜名福音荘であり、私は教区長として責任を負う立場だった。
その最中にアメリカから参加していた高校生が免許証や現金の入った財布をなくす事件が起こった。
まさか盗むような子がいるわけがないと信じながら、とりあえずキャンプが終わって帰宅した。

 その夜、「もし財布が発見されたなら、私の論文を受けてくれる出版社が起きることを信じます。」と祈った。
すると夜中に夢を見た。キャンプ場のお風呂場に行く途中の右側の草むらに茶色の財布が夜露に濡れて落ちている幻だった。

翌日、早速キャンプ場に行ってあちこち探したがなかった。
その時、昨夜見た夢を思い出して、お風呂場に行く細い道を探しているとまさに正夢。
夜露に濡れた茶色の財布を発見。大喜びで家内に「あったぞー。」と叫んだことを思い出す。
自分の人生でこのような正夢を見ることなど一度もなかった。

 そしてその日の午後、光文社カッパブックスの編集長から「採用したい」と電話があったのである。
こうして1987年『日本人とユダヤ人の連合を世界が怖れる理由』が発刊され、始めて世に問うたにしては良く売れて、17刷り10万部に達した。

3.季刊誌『声石』の発刊

日本人とユダヤ人問題に対する一般社会の反応は大きく、多くの読者から励ましの手紙や電話、自作の原稿を見てほしいと幾つもの原稿が送られて来たり、毎日手紙が届いた。
それで、読者との連絡の場を用意したいと願い、1990年5月、季刊誌発刊に踏み切った。
名前は本文最初に掲げたみことばから、『声石(せいせき)』とし、自由献金で続けることにした。
以来『声石』は私と読者を結ぶ大きな絆となり、17年間、現在第69号にまで続いている。本当にありがたいことである。

4.『ヨハネの黙示録が分かりますか』

私は自分の聖書研究が単なる推論ではなく、未来まで見つめた預言研究であることを認識していただきたいと願い、黙示録の構造分析を中心とする『ヨハネの黙示録が分かりますか』を、いのちのことば社から1992年に出版した。
これは今までにない分析というので、多くの牧師先生をはじめ信徒の方が読んでくださり、神学校のテキストに用いられる先生もおられて、大変励まされた。

5.『日本・ユダヤ連合超大国』

続いて1994年には光文社カッパビジネスから第2弾『日本・ユダヤ連合超大国』が出版された。
内容的には前回を補充する2つの国家の存在理由と未来の展開を述べたが、そろそろ全国的に「ユダヤ・日本問題」を取り上げる思想が増えてきて、以前ほどは出なかったが、それでも3万部を越えることができた。

それまで教団の代議員として教団行政に携わっていたが、自分の使命がこの問題にあることを悟り、1995年を最後に教団の治面から引退させてもらった。

そして第1回「声石交友聖会」を浜名福音荘で開催した。
40人あまりの参加者があり、聖会も生き生きとしていて、希望の持てる集いとなったが、後で大阪の畠田秀生牧師夫妻がお出でくださり、「この働きを個人ではなく新しい組織的な活動として日本全国に呼びかけて進めたい。
自分も今までの教会の牧師を止め、これに命がけで当たりたい。」と、素晴らしい情熱でお語りくださった。

もちろん私も、1人では限界があることを十分分かっていたので、これこそ主の導きであることを確信し、2組の夫婦の祈りで「聖書と日本フォーラム」の組織化が進められることとなったのである。

こうして第3回からは「聖書と日本フォーラム聖会」(または大会)として、今日まで続くこととなった。
これは日本各地の古代史にかかわる観光地を中心に会場が設定されて来ている。

6.『古代ユダヤの大預言』

1997年、こんどは日本文芸社から『古代ユダヤの大預言』を発刊。今までの思想をさらに展開した内容である。
その出版記念会を豊橋ホリデイインで65人出席で開いたが、それにはヘブライ大学のベン・アミ・シロニー教授がお出でくださり、「天皇制存続の謎」と題して講演してくださった。

その後、「聖書と日本フォーラム」は次第に組織が固まり、大会のほかにラビ・トケイヤー講演会や春の総会も特別講師をお招きして研鑽が積まれるようになってきた。

2002年2月、アッセンブリー教団を指導して来られた弓山喜代馬先生が101歳で、4月には私の出身教会の菊地隆之助先生が91歳で共に天に帰られた。
そのショックの最中に、8月今度は私が心筋梗塞で死の直前まで行ってしまい、神の御手の中に生かされているに過ぎない自分の命を改めて自覚することとなった。
すでに20年近く糖尿病を患っているのでいわば合併症である。
多くの方々の熱い祈りのお陰で今はすっかり元気になり、活躍できることを感謝している。

またその年、家内崎子が教団正教師の資格を採ってくれたので私はずい分力づけられている。

7.『古代出雲イスラエル王国の謎』

2004年の大会は出雲で開かれ、そこで古事記以前の古代史のロマンを見せられた。
特に出雲大社の高層神殿の柱の跡地を見たとき、ヨシュア記にあるヨルダン東側の3部族がヨルダン川沿いに建立した高層神殿の技術をそのまま継承していることを直感。
これは今まで誰も気づかなかったことで、まさにイスラエル10部族が出雲に渡来した、確かな証拠であることを確信した。

それを題材の中心に、学研から『古代出雲イスラエル王国の謎』を、2005年に出版することができた。

8.『神国日本・そのルーツと展望』

さらに2006年には学研から第2弾『神国日本・そのルーツと展望』の出版を予定している。

日本とイスラエル・ユダヤ人とは、過去に何かがあっただけではない。
むしろこれからの未来に大きな国際的かかわりを持つようになることは確かである。
今回の本はその主題に立って論じている。
「携挙」とか「出土」とか黙示録の「14万4千人」とか、聞きなれないことばが中心になっているが、日本には「隠されたイスラエル12支族」がおり、その人たちによって驚嘆すべき大維新がやってくることをご理解いただきたいと心から願っている。

さて、この度大会が沖縄で開催となった。
沖縄ほど10部族の原型を保持している地域は他にはない。
貴重な島を神が残して置いてくださったことを感謝しながら、沖縄の皆様と語り合いたいと願っている。

以上、「聖書と日本フォーラム」は、新しい事務所の開設という神様の不思議なご配慮を頂いて、今日まで来ることができた。
問題はいつでも起こってくる。
しかし、私たちは主を見上げて進みたいのである。皆様のお祈りとご協力を願い期待している。

「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして追求しているのです。
そしてそれを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。
兄弟たち、私は自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただこの一事に励んでいます。
すなわち後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。・・・それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。」(ピリピ3章12~16節)

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新しい旅路の経緯
副会長  畠田 秀生

 それは1995年3月19日のことである。私が大阪から奥浜名湖にひとり車を走らせて浜名福音荘に着いたそのとき、その後の私の歩む道を決定的に変えてしまう人々と遭遇してしまった。その人々は、「聖書と日本フォーラム」をその次の年に正式に発足させたのである。それまでの、私の旅路を少し書かせてもらうことにする。

 私は、1963年23才で無銭旅行の世界1周を試みて、友人2人で神戸港を貨物船に乗り、着いた最初の国がニュージーランドであった。
日本を世界に紹介する名目を掲げて、パスポートに「日本親善使節」と銘記された肩書きをもらった。
金のない貧乏な家庭に生まれた1人の学生が、時の外務大臣大平正芳氏の自筆のサインをもらうまでの筋書きは省くことにするが、皮製のパスポートは、私の将来をバラ色に染め、世界をかけめぐる保証でもあった。

 ニュージーランド最大の都市、オークランドの港に着いて2ヶ月目、私は自分の罪を認めイエスを主と心の中に受け入れた。
そして、それからの私は、ただひたすらに聖書の虜になってしまった。
アメリカに行くビザも手に入れて、フロリダに着く豪華客船の船底の客室の切符を手に入れていた。
しかし、神は私に明確に人生の目的と意味を示されたのが、日本に帰ることであった。

 賛美歌1つ日本語で歌ったこともない者が、日本に帰国して神戸の本田弘慈牧師の下でクルセードのお供をし、塩屋の関西聖書神学校に数ヶ月聴講生として出席させてもらい、私は大阪出身のため大阪中ノ島中央公会堂の1室で、開拓伝道を開始した。

 そして、10年の借り部屋での教会活動の年月の後、土地を入手し自前の教会堂を建設、着実にその働きは成長した。
西洋式の礼拝形式に没頭するその最中に、1人の若い未信者女性が「この教会は日本ではない。」と言ったその一言が、私の胸を打った。
30年の牧師として1つの教会成長をのみ考えていた私は、何か間違っているのではないか?

日本人による日本人として、日本人のためのキリスト教に強く関心をもつようになった、のである。

 私の始めさせてもらった教会の成長をのみ考えるのではなく、日本全体のキリスト教の低迷さに心が向くようにもなった。
なぜ私の国でのキリストの名は、人気がないのか、などに心をはせているとき、日本にある風習、習慣、伝統、そして神道、仏教の中に見え隠れする聖書の国イスラエルとの類似に目がとまった。
日本人はどこから来て、どこに行くのか。
またそのルーツはイスラエルにあるのではないか、古代日本にイスラエル12部族が来ていたのではないかを試行錯誤しているとき、現時点での日本の宣教情勢、霊的空気ともいうべき霊性の冷凍が凍解していく感があった。
私にとって胸踊る日々が続いた。夜中に起きて妻と語りあう日々が続いた。
そして同じ思いを抱いて「日本の立ち直り・霊的覚醒」を夢見る人々を探し始めた。
大阪の西区で隔月に1度、日本とイスラエルの関連を学ぶ集会を始めたのもその頃であった。
時は1994年であった。

 そのときに、小石豊牧師の著書に出会い、そして浜名湖山荘に出かけたのである。
片手に「日本人よ」という執筆途中の原稿をもって。
 1995年、その大会は、「声石交友聖会」と名づけられていた。
その時同室になったのが、「聖書と日本フォーラム」の活動の理論と聖書歴史と日本本来の文化研究の第一人者であった淵江淳一牧師であった。
しばらくして私が長年温め、書きとめた「日本人よ」とタイトルをつけた本(後に文芸社刊行、「古代ユダヤから21世紀の日本へ」)のコピーをもって東京府中のお宅を訪問したおり、

「君はいくつになったのですか?」と問われたのを今でもはっきりと覚えている。
「53才です。」

 私は妻の同意も得たので、教会を去ることにした。
そして、豊橋の小石先生ご夫妻を訪ねた。
「日本の全国的な働きとして、私たちの活動をまとめましょう、私が事務局を引き受けます。」

 そして、会を発足するに当たり、前述した世界的に伝道者として活躍しておられた私の日本での恩師でもあり、ニュージーランドから帰国して何も分からない私を一から教えてくださった本田先生を訪ねた。
彼は、私の教会に毎年、母の日やクリスマスの特別集会に来てくださっていた。来会される度に、

「君はいつ1人立ち上がるのか。」と問われるようになっていた。
「教会を離れることなどできません。」と何度言ったことか。

しかし、私の内に強くもたげてくる日本への思いはもう断ち切れなくなり、私は彼の忠言のまま、独立した。

「発起人の1人になってくれませんか。」
「すまん。私は君に協力できない。」

その日はイースターの前日、明石の教会の献堂式の御用に来ておられた先生は、ホテルのロビーで私に申し訳なさそうに首を横に振った。
私の書いた本「古代ユダヤから21世紀の日本へ」の下書きを朝の4時までかかり、一気に読んでくださって、朝一番に電話で励まし、喜んでくださったのにもかかわらず、である。

失意のうちに、私はイースターの朝を迎えた。
朝の8時電話が鳴った。「本田だが、今日の朝イエス様が私に現れて言われた。畠田の申し出を受けなさい。」
 私は、この働きが主の御心であることを固く信じている。
日本を愛して特別の「あがないの賜物」を備えてくださっているのだと。
 この働きは、神様が始められた。人はどうしてそれを止めることができるのだろうか。

 そして10の年月が流れた。63 才になった私は、大阪で天幕伝道者(テントメーカー)としての、私の生活の糧を得る学習塾を閉めた。
そして、この働きの事務所兼研修センターを伊勢志摩の国立公園登茂山に開き、赴任することになった。
 2004年夏からこの2年間で、7回の研修会を開き現在に至っている。
そして、2006年11月、沖縄で全島挙げての13回大会が開かれる。日本人はどこから来て、どこへ行くのか?これは、天からの呼びかけである。

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大会は2006年11月沖縄大会で13回目になります。
各大会の模様を回顧し、さらに新しい時代のあり方を模索しましょう。

第1回大会 1995年3月19日~21日
「声石交友聖会」浜名湖福音荘 参加者40人。

講演① 淵江淳一師の講演でスタート。
「日本の秘儀」の著者。
「日本文化を敵対視して、社会改革、天皇制妥当を叫んでみても福音は広がるものではない。神道とユダヤ教のかかわりを注目しないと、説明できない多くの神秘が日本文化には潜んでいる。」

 早天礼拝は、日本ホーリネス教団伊東教会、渡辺興吉牧師「27年間にわたる牧会で、救われる人が少ないことに失望し、改めて日本人とは何なのかを考えさせられた。」

講演② 会長小石豊牧師
「神の摂理にある日本史」。
日本の歴史は神の摂理のもとに目的と方向性があり、10部族の渡来で弥生文化が始まった可能性がある。

講演③ 副会長畠田秀生牧師
「太陽の道と阪神大震災」

講演④ 横山隆牧師(仙台栄光教会)。
「ユダヤ人伝道ではなく、メシアニックジュウからみことばを学ぶ姿勢が求められている。」

講演⑤ 辻井圭三氏
日本基督教団金町教会員。
「激動の昭和史」から、戦前戦後の体験を交えながら、不思議な神の守りによって、今日の日本の繁栄がある。

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第2回大会 1996年3月19日~21日
      「聖書と日本フォーラム」と改名。
京都コミュニティー嵯峨野 参加者93名

開会礼拝 辻井氏。
戦後ユダヤ人と日本人の不思議な関わり。

講演① 久保有政牧師
「古代日本にイスラエル人がやってきた」をテキストに、10部族渡来説、養蚕をもたらした秦氏など豊富な事例を挙げる。

講演② 横山隆牧師
「世界大に拡散したヤコブの子供たち」黙示録の7つの封印から未来の展望。
 小石師は「12完成の時」で、枯れた骨回復預言から民族の回
復を語り、畠田師は、日本の習慣をトーラーと比較しながら、その一致を挙げる。
  20日午後、研修観光で、いさらいの井戸、蚕の社、三本柱の鳥居や景教の面影を偲ばせる洗礼場の池を巡る。
会場の大内健氏作成のシンボルマークが印象的。その後大内兄は昇天。
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第3回大会 1997年3月20日~22日
      伊勢鳥羽「池の浦荘」参加者80名

講演① 小泉智行牧師
「諏訪大社の神事御頭祭」守矢山(モリヤ)の動物犠牲、アブラハムがイサクを捧げた伝承を引き継いで入ることを知らされて、一同ビックリ。
この発表は、画期的でその後の「聖書と日本フォーラム」の働きに大きな影響を与えた。

講演② 村岡大輔牧師「日本神事と聖書」カミということばは、万物はカミの依代(よりしろ)・言霊・ヘブライ語のエロヒム・両者の類似性を話す。
哲学的造詣の深い講演。

講演③ 久保有政牧師「日本神道と聖書」神道の背景に顕れた旧約聖書の真理や、いろは歌など。
あかし 大内勲兄が、ユダヤ人救済の杉原千畝氏の働きとイスラエルのビデオを見せてくださった。

大川原栄一兄が、かつてのホーリネス分裂とその後の体験を語られ、その信仰に感動された蕪木晃兄が、老先輩と抱き合って涙の祈り。
観光見学に伊勢神宮、大阪地区の畠田師、笠木重勝兄、北村俊光兄の采配は見事でした。

                       


1997年7月21日
ユダヤ人教師
ラビ 「M・トケイヤー」講演会 東京銀座ヤマハホールにて 
参加者350人

講演① 「日本の教育とユダヤの教育」
講演② 「日本とユダヤ謎の古代史」
世界の中で日本人とユダヤ人だけが同じ先祖をもつ兄弟です、と明言。
その理由を次々と列挙。最後に皇室関係者がイスラエルの血が皇室に流れていると証言。
ユダヤ人で日本初代ラビが、日本人が10部族であることを公言。一同驚き感慨深く拝聴。
 
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第4回大会 1998年7月19日~21日      
大阪コスモスクエアー国際交流センター参加者約90名

本田弘慈牧師が来会し講演
「神の恩寵による日本人の先祖とユダヤ民族の関係」
イザヤ書45章6節を引用しながら、中田重治の本を読んで興味をもたれたこと、三種の神器、拝殿と本殿、民謡のヘブル語、伊勢の紋章とダビデの紋章、帯を締めることなどの類似性の問題を語られたあと、恵みによる救いが基調であると締めくくられた。

講演① M・トケイヤー
「ユダヤと日本・謎の古代史」など数10冊の著者。
神は全く正反対の民族を選ばれたこと、それぞれの民族の成り立ち、教育ママの類似、ユダヤ教と日本教の相違点と類似点を一つ一つ挙げられた。

講演② 村岡大輔師
「イスラエルの多神教が日本へやってきた」
イスラエルの歴史を回顧しながら、主の道を離れ、悪を行った人々の子孫が日本に来て、古神道になった形跡があると結論。

講演③ 横山隆師
「日本民族のインナートーラー再発見」

講演④ 久保有政師
「日本人が信ずべき神」

講演⑤ 小石豊師
「古代ユダヤの大預言」

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第5回大会 1999年5月19日~21日
      諏訪湖プリンスホテル輝山荘 参加者69名

守屋山登頂「主の山に備えあり」
早天礼拝 横山師
「あなたは自分のために標柱を立て、道標を置き、あなたの歩んだ道の大路に心を留めよ。」(エレミヤ31:21)から、御柱祭の意義を語られた。

講演① 久保有政師
「十部族はシルクロードを通って日本へやってきた」京都の秦一族がユダヤ系景教徒で、三柱鳥居のある池は洗礼場であり、太秦は中国では景教の呼び名だったこと。

講演② 村岡大輔師
「淡路島におけるユダヤ遺跡」

講演③ 小泉師
「古事記日本書紀以前日本に来ていた古代人の足跡」
諏訪神社の御頭祭・・・モリヤ奉献を伝えた人々で、諏訪神社の主祭神ミシャクチ神を祀る守屋山、神長官の家が守矢家。
御頭祭神事の犠牲を創世記のアブラハム伝承そのもので、動物犠牲が行われてきたことを発表。

講演④ 畠田秀生師「枯れた骨に預言せよ」
   
「そうだ。私はモリヤの山に登らねばならない。」と参加者のほとんどが1600メートルの山頂を目指して上る。
70代の古後氏は何度も立ち止りながらも登頂。
全員ハレルヤの歓声。また、イエスを信じますと告白された方もおられ思いで深い大会となる。

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第6回大会  2000年2月11日
       東京・ルーテル市谷センター  参加者約100名

特別講師・全国キリスト教伝道会会長ケニー・ジョセフ師。
講演は小石会長「古代ユダヤの大預言」。
畠田副会長「古代ユダヤから21世紀の日本へ」
ジョセフ師は、「日本の隠されたキリスト教史」をテキスト『日本の地蔵対ジーザス』を用いながら講演。

 この大会に対するリバイバル新聞の論評は、今日のキリスト教会が「聖書と日本フォーラム」をどのように見ているか、そして批判を率直に表していますので、ここに記載します。

「小石師は、『失われたイスラエル10部族の回復』の著者として日ユ同祖論を展開、その主張に対してはキリスト教界内にも賛否両論ある。
同師は当日のセミナーにおいてその主張を、聖書預言を研究する中から生まれたと強調した。

まず聖書の預言から日本が失われた10部族であるというのは、あくまでも仮説。
その仮説を実証しようと研究を重ねることには何の問題もないが、研究結果が一般的信仰に移行していくためには、他者の批判的検証を受ける必要があるだろう。
その検証がないまま賛成派だけの研究を積み重ねたとしたら、結果的に聖書からそれてしまう危険性がある。
もっとも本誌としては、小石師がゼカリヤ書十章六節を引用して『十部族を発見するのはユダ族(ユダヤ人)である』と言っておられたことを使わせていただき、それはユダヤ人に任せて、深入りしないほうが良いと思っている。

次に、天皇制と神道という、いわゆる日本の国体と、渡来したユダヤ人が作り上げたということだが、それが『天皇制賛美』とならいように注意すべきだ。
戦中、韓国を初めとするアジア各国で天皇礼拝を強要し、それに反対するキリスト者を迫害した背後に、悪魔の力があったのは明確である。
その力が、天皇の人間宣言によって雲散霧散したとは思えない。
同フォーラムが、日本人を理解しようと努め、神官などに聖書を語っておられることは敬意を表したい。
しかし、日本人の宗教行為を貴ぶことによって偶像礼拝を肯定してしまう危険性はないか。
偶像礼拝に陥った北イスラエルに対して、アモスが神の裁きを宣言したように、厳しい神のことばの宣言も必要である。『あなた方は悪霊を拝んでいる』と、出会った最初から言うのは知恵のない行為だが、悔い改めと十字架の福音を宣言することを忘れてはならない。」

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第7回大会  2000年10月9日~11日
       諏訪湖・ROKO華乃井ホテル  参加者約75名

テーマ「アブラハムの信仰」
諏訪大社禰宜、原弘昌氏「諏訪大社の歴史と酉の祭り・御頭祭について」の解説。

講演① 村岡大輔師「日本思想の原点としてのヘブライズム」
「古代日本・古代ユダヤ」
形に見えないところがヘブライのそれと酷似していること。
ヘブライのダバールと言霊について、思想を音声として押し出していくことの重要性。

講演② 大久保みどり師
「日本のイエス様」

大阪主イエス・キリスト教会牧師
「日本人がもしイスラエルの末裔だとしたら、デメリットとしては、偶像を造る恥ずかしい遺伝子をもっていること。
メリットとしては、アブラハムの契約がこの民の行くところ必ず付いてくること。
また異邦人だとしたら、神さまはその人の実を収穫されるお方だから、主イエスを信じる者はユダヤ人、異邦人に関係なく必ず罪赦されて救われるのです。

日本文化の素晴らしさ、その心の琴線に触れる福音のあり方を求めましょう。」と言って、熨斗袋、茶道、俳句、華道、着物、陶器などを例に挙げ、日本人らしく福音を語ることの大切さ。

講演③ 久保師・ケン・ジョセフ師
「日本のルーツとキリスト教」

講演④ 小泉師
「原初の大和地方の支配者は古代ユダヤ民族か」

講演⑤ 小島英伯師「古代文化に見る聖書の教え」
日本古来のでんでん太鼓とそっくりなイスラエルの玩具を手に入れた話に一同びっくり。
証し会でニュージーランドのエリック・バンディー師が、日本文化を尊ぶ伝道に感銘を受けたと語られた。

観光は上社・前宮十間廊・下社・守矢資料館見学グループと守屋山山頂での祈り会グループの2手に分かれて行われました。
また、岡谷市民新聞が、「日本文化の原点を聖書から学ぶ」と題して、ニュースを掲載。

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第8回大会  2001年10月7日~9日
       奈良飛鳥古墳の里「飛鳥」 参加者120名

 開会礼拝 小石会長 古代キリスト教や景教の渡来で仏教や神道に影響を与え、ザビエルによる伝道への反発で鎖国と迫害、檀家制度となり、今日の宣教に多大な悪影響を与えた。

講演① 久保有政師「日本古代唯一信仰」
まほろばは、ヘブライ語の「マフラ・優れた良い」で、奈良時代以前の神道は一神教だったこと。
仏教の悔過はキリスト教の悔い改め思想が影響している。
越天楽は景教の賛美歌。

講演② 小泉師「国のまほろば・ありし日のヤマトを訪ねて」
「ヤマトタケルの国しぬび」の歌から日本書紀や古事記の飛鳥の地理的・時代的意義、トカラ人(ペルシャ)の渡来、藤原氏の名前などから古代人のルーツを探る。

講演③ 手束師「ネストリウス派は果たして異端か」
神学的立場から見てもこれは正統的神学であることを論迫。
エペソ会議でネストリウスは、キリストの神性と人性は明確に区別されるべきで、両者の一致は意思によること。
「初めに聖霊があった」とすれば、すんなりと創世記とつながる。

講演④ 大久保師「諸国の民の栄光」
天に携えていくその民族の栄光は何か、と日本人の特性とリバイバルを語る。
美しい和服を召し、蚕の繭が生み出す繊細は布の美に、神さまは日本人が日本人であることをもっと完成させようとされていること、日本の君は誰なのか、姿を隠しているではないかと心の奥に迫る聖霊のみ声をかけてくださいました。

 今回の大会は、司会を畠田師に絞り、素晴らしい流れになりました。
また、小石崎子師が、奏楽の豊樹子姉と組んで、イスラエルの賛美を中心にソングリードを、第1回大会から続けられていることは、本当に幸いと思います。

 見学は、猿石、欽明天皇御陵、高松塚古墳、亀石、橘寺、石舞台、酒船石、亀形石像物、飛鳥資料館などバス4台で巡回。資料館の芝生で昼食、記念撮影。

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第9回大会  2002年9月15日~17日
       京都嵯峨野で開催 参加者170名


ある方が「血が騒ぐという表現が相応しい」と言われたが、まさに聖霊が一人一人に、十字架と復活の福音宣教の情熱を注いでおられることを実感。
高砂教会婦人会が和服姿で琴の演奏を披露。
日本美そのものを堪能させて頂きました。

大型バス4台に分乗して、広隆寺、蚕の社、下鴨神社を巡回。
特に下鴨神社では、ユダヤの神殿の痕跡?や、エフライムの象徴である一角獣ユニコーンの像を見学し、一同不思議な思いにかられました。
特別講師 京都バプテスト連盟洛西教会牧師、杉野栄師
「都に見る渡来文化と信仰の証し」
古都京都のあちこちに残された渡来人の足跡を紹介。
特に十字架が映し出される「魔鏡」に、当時のキリシタンの信仰の根強さに感銘。

講演① 久保有政師
「日本人の先祖は聖書の神を信じていた」

講演② 杉野栄師「都に見る渡来文化と信仰の証し」

講演③ 大久保みどり師「ことばと文化」

講演④ 畠田秀生師「日本の将来」




なお、閉会礼拝に畠田師の38年の友情を結ぶ、ニュージーランドのライフウエイ・カレッジ創立者トレヴァー・ヤクスレー師のお話がありました。





参加者から、「初めて参加して、多くの方々が日本を愛し、日本の救いのために思いを尽くして祈り、行動しておられるのを見て感動した。
低迷を続けている日本宣教の壁を打ち破ろうとする熱意を強く感じる集会で、京都という特有の地であったが、日本仏教とその源泉、古代インドの歴史的、文化的背景、日本仏教の本質論、神学を文献的に批判する必要もあったのではないか」とアンケートがありました。

残念ながら小石会長は心臓手術で欠席。

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第10回大会  2003年9月14日~16日 
       川口リリア催し広場 参加者70名

第10回東京記念大会は川口文化センターにて
毎回のことですが、今回も遠く北海道、沖縄からも出席者有り。

聖句「日の上る方では、主の栄光が恐れられている。主は激しい流れのように、来られ、その中で主の息が吹きまくっている。」イザヤ59章19節。

講演① 鈴木武仁師 日本基督教団東京信愛教会牧師
「キリスト教東漸史に見る日本宣教」
10部族渡来説を、「中国大陸のアーリア人系騎馬民族スキタイ族と同盟を結び、紀元前2世紀から5世紀に朝鮮半島の扶余族を建設し、やがて北九州に上陸し、倭を征服。ダン族と秦始皇帝との関係でその末裔融通王の渡来、」など景教、仏教伝来から現代に至る歴史を網羅。

賀川豊彦の『十字架の瞑想』から「我々が救われた瞬間から、他人を救うために仕えるべきである。」と、愛の共同体としての教会の回復を語る。

講演②笹井大庸氏 マルコーシュ出版編集長
「贖いの賜物としての天皇制」
使徒17章27節「もし探り求めることでもあるなら、神を見出すこともあるのです。」から、人々と時代と国境を神が定めたのなら、神が造られた国の文化の中に、『贖いの賜物』があり、それは本質的に良いものである。
ところがキリスト教会では、日本文化をすべて偶像崇拝で悪いものと捉えてきた。
武士道も天皇制もその国の文化であり、福音に敵対するものではない。」

講演③ 久保有政師
「日本人の先祖の信じた神と聖書」
「聖徳太子は仏教の神さまのように奉られているが、太子は古代からあった一神教(宗源道)を学んだこと。
神道の造化三神は三位一体で、アメノミナカヌシが父、タカミムスヒが子、カムムスヒが聖霊。伊勢神宮の八咫鏡のヘブル文字はアシェル・エヘイエで、有りて有るもの。
十字架は、T字型があり、ハタザオ、ハタモノ(羽田竿、秦物)と呼ばれている。
皇室の系図はエフライムの系図と瓜二つ。
キルギス人はマナス叙事詩によると、自分たちはマナセの子孫で、兄弟は日本に行ったと言っている。」など多く事例を列挙。

講演④ 小石会長「聖書預言に見る日本」を10項目に分けて語る
   1.異邦人が祝福される。
   2.国体・天皇制と神道
   3.ヨセフの祝福
   4.東の島々で栄光輝く
   5.1人の者を東から興す
   6.墓を開き墓から引き上げ
   7.ヨセフの家の救出作戦
   8.出エジプトに勝る事件
   9.おののきながら泣きながら
  10.2つの民族の新契約

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第11回大会 2004年10月10日~12日
       出雲大社前「いなばや旅館」にて 宿泊者49名 

出雲大社の神官沖津氏の案内を受け、本殿の近くまで入る。神主の説明を聞く。
古代の高層建築の一部で掘り出された古代の柱が、3本で束になって1本の柱になっている不思議を見る。
出雲大社より北へ 日御崎海岸で夕日を浴びて九州の阿久根教会牧師の輿水師の導きで賛美と奨励の時。

講演① 久保有政牧師
「出雲に見る日本の神々と古代イスラエル」

講演② 畠田秀生師
「日本の旧約と日本の教会の展望」
初日の10日の夕刻には、三神たける氏を囲んで、出雲に関しての座談会。

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第12回大会 2005年10月9日~11日
      伊勢神宮前 青少年研修センターにて 約70名参加

イスラエル大使エリ・コーヘン氏を招いて
 この12回大会は、イスラエル12部族にちなんだ数字の意味をとり、日本を選んでイスラエル大使になられた空手5段の実力をもっておられるエリ・コーヘン氏の2日にわたる講演。
コーヘン氏は、祭司アロンの子孫、約3500年の家系で女性はコーヘン家を継ぐことはない。

 9日の日曜日午後、コーヘン大使が五十鈴川駅に着かれすぐに、副会長畠田と通訳の石井田直二氏、そして数名の会員と共に伊勢神宮を訪問。
内宮の内に招き入れられ、お参りをする時、私たちは日本の先祖に尊敬の一礼をし、二拝二拍手一拝は丁寧にお断りした。
神官たちの丁寧な所作に感謝しつつ、大使も私たちクリスチャンも同じように礼を尽くす。
アブラハム、イサク、ヤコブの神を礼拝する者としての信仰態度であった。雅楽殿にてお茶をご馳走になる。

三重県警と伊勢市警のSPの約10名の警護の中、おかげ横丁の群衆の中大会会場「青少年研修センター」に到着。
10日の午後宇治山田駅から帰られるまでその警護は、大会講演中も水も漏らさぬ気の配りように感心。詳細は機関誌NO.40号に掲載。

講演① エリ・コーヘン大使「ユダヤ魂と武士道」

講演② エリ・コーヘン大使
「日本とイスラエルの過去と現在と未来」

講演③ 久保有政牧師「ユダヤ人と日本人」
日本人が日本の国をどうとらえるか、日本人とは何かを考えさせられる講演。
愛国心が神信仰に基づくものである感動のメッセージ。
 
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第十三回大会 2006年11月22日~24日
沖縄大会
久高島にて
会場:ウエルサンピア沖縄(沖縄厚生年金休暇センター)
宿泊:22日ホテルサンライズ知念
    23日ウエルサンピア沖縄

講演 手束正昭牧師「日本民族とキリスト教」
    久保有政牧師「沖縄と日本のルーツ」
    知念金徳牧師「沖縄の風習と聖書」
    ジム・ピーコック師「文化と宣教」
    与儀喜美江氏の研究発表「沖縄の年中行事と聖書の祭り」
    さんび:山内盛信琉球賛美チームのサンシン演奏(沖縄方言さんび)
    具志堅ファミリー賛美 琉球ゴスペル


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総会に関して    

総会が年1度年度終了後1ヶ月以内に開催されています。
これは会則の条項に組み込まれています。(会則はこの小冊子の末に掲載)

2001年 豊橋キリスト教会にて
2002年 王子にて
2003年 富士にて
2004年 赤穂にて
2005年 伊勢志摩郵政省保養施設「メルパール」にて
2006年 豊橋キリスト教会にて
2007年 登茂山研修センターの予定     

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伊勢志摩 登茂山研修センター

研修会の歩み
     
第1回研修会 2005年9月9日

       教師 小石豊牧師「神社と旧約聖書」①② 

第2回研修会 2005年11月23日

       教師 畠田秀生牧師「枯れた骨への預言」
              同     「武士道とキリスト教」
              同      「日本の旧約」

第3回研修会 2005年1月10日・11日

       教師 久保有政牧師「伊勢神宮とキリスト教」①②
              同     「日本の中のエフライムの痕跡」   

第4回研修会 2005年3月22日

       教師 一瀬智司先生「日本の歴史の流れ」

第6回研修会 2006年8月10日~11日 

       日本の将来展望シンポジューム
       司会 畠田秀生牧師
       メンバー 小石豊牧師・手束正昭牧師・
              久保有政牧師・石川洋一牧師・
              笹井大庸ハーザー編集長

       主題①日本の自虐史観②日ユ同祖論は宣教に
          ③景教徒は光となるか④日本のリバイバルを
          いかに⑤日本宣教は今後どうなるか

第7回研修会 2006年3月8日~15五日 イスラエル現地旅行

       団長 大内勲氏 研修責任者 畠田秀生牧師
       メンバー13名にてウズベキスタン航空にて

       テルアビ空港到着→カイザリヤ・ガリラヤ湖を経て
       ナザレ・カペナウム・クムラン遺跡・塩の海・
       ベエルシバ・マサダ・エルサレムと巡る。

       失われた10部族を探し帰還の働きをしているアミシ
       ャーブの代表ラビ・アビハイル師と2時間の会談。
       元極東ユダヤ人協会会長の子息カウフマン氏を訪
       問。

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その他の働き

● 機関紙発行 No.1を1996年1月発刊
  現在No.46 2006年9月発行中

● カセットテープ、CDに全大会講演、研修会講義を収録
  販売リスト有り

● 自給自足をめざして
  伊勢志摩登茂山研修センター近くにて無農薬農業開始、ヤ
  ーコン栽培中。

● 巡回伝道 小石会長、畠田副会長、常任講師久保牧師がこ
  の10年間に北海道、福島県、東京、静岡県、大阪、沖縄県
  の教会または諸団体等に招聘され、講演を行ってきました。

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3部 会員の声(体験と心の想い)


この会の発足にあたり、多大な貢献をしてくださった淵江淳一博士の奥様の回顧から              
▲淵江千代子  東京都在住

夫淳一が召されてはや六年になりますが、その4年前、夏に畠田秀生先生が原稿をもって我が家を訪れた時、先生の使命感と熱意に感動して、自分の代わりにお若い先生にこの大任をお任せしたのであります。
淳一の祖父は延岡出身で西南の役で西郷側について戦死、母は宮崎の生目神社の神官の娘、この両親の血が本人の中でくすぶっていたようでした。

新渡戸稲造氏が説かれたキリスト的武士道精神を父から、日本歴史に見る神道の精神を母から、両者をいかに正しく理解して、福音伝道に役立てようと努力格闘をしていました。
そのため、あらゆる古典書、神学書、宗教学書等を通読、また日本全国を旅して歴史と日本人の宗教心を確かめたのでした。

彼に影響を与えた恩師を紹介しますと、戦後10年間、結核療養中に、賀川豊彦氏の生き方に共鳴、信仰も実践生活もキリストに従うことを決心した。
小池辰雄師を招いて、福音伝道に力を注いだ。
先生を通して伝道の「無」と「キリストの全き服従」の接点を学んだのであります。
洗礼を授けられた神学校の校長、金井為一郎牧師からは、特にキリストの神聖を、またサンダーシング、スタンレー・ジョーンズ博士との出会いを通して実践神学を学んだのであります。
晩年特にお世話になった関根文之助博士からは神学と日本風土について豊かなご指導をいただいた。

彼はこのように多くの方々の恩恵を受けて11冊の本を世に出すことができました。
「日本の秘儀」は彼の集大成であり遺言でもありますので、読んでいただければ幸いと存じます。
彼は、常に日本人の宗教的気質にふれ、キリストの福音が単純に、純粋に、そして真実に説かれることによって、受容され土着すると信じた。
ある日教会の成人部で1人の婦人が、「先生、クリスチャンになりたいのですが、家にある神棚はどうすればよいでしょうか?」
「神棚はそのままでよい。洗礼を受けなさい」と返答。
彼女は喜んで受洗し、今では教会のよき奉仕者である。

(順番は投稿順です。敬称略)

▲ 新井七男 会社員 聖書日本キリスト教会員三重県在住

私は1993年にあるペンテコステ教会で救われました。
しかし、いつしか教会生活に疑問を感じ始めだしたのです。
私の通っていた教会は、日本の文化伝統を受けつかないで、それらと対決するのが立派なクリスチャンであり、それらと触れ合うことさえ忌み嫌っていました。
しかし文化と対決姿勢でいるとだんだんと疲れてきて飢え渇いてくるのです。
そしていろいろな教会や集会に行き始めたのです。
そこで言われている事も文化伝統を忌み嫌っていました。
私はこのことで悩んでいました。

そしてフォーラムの事務所(その当時は大阪市西区)で副会長の畠田先生ご夫妻にお目にかかりました。
その年が1996年でした。2年後の春に自分の信仰や教会生活に行き詰まっていること、日本の教会の宣教について疑問を感じていることを畠田先生に話しました。
そのときに先生は真剣に聞いてくださりました。
私は、教会を去る決断をしました。そして先生と一緒にフォーラムの働きに携わるようになりました。
またフォーラムの小石先生や多くの人と出会い、私自身が変わり始め日本を愛する心が与えられました。
そして2004年に畠田先生ご夫妻と共に、伊勢志摩の地に引越ました。
先生と一緒に熱き思いを持って、日本宣教の最先端の働きに携わっております。

私は、今は日本人ですが、両親は韓国人です。なぜかこの働きにたずさわると心が燃えるのです。
元韓国人が日本に対して熱き思いをもって働いています。
熱き思いをもってどうか立ち上がって、伊勢志摩の地に来てください。
研修センターの近くに住んでください。私たちと一緒に交わり、心燃え上がらせ主のために共に働きませんか。
真剣なまなざしをもって日本を愛してやまない老若男女が来られることを心から待っております。

▲ 久保有政 池袋キリスト教会牧師・レムナント編集長 
埼玉県在住
 
はじめ小石先生からのご依頼により、京都大会から講師として参加させていただきました。
当初は、自分の研究発表のようなものに過ぎませんでしたが、それでも多くの方々から励ましや、新たな情報等たくさんいただき、私自身大いに刺激され、以来「聖書と日本フォーラム」と共に歩む人生となりました。

大会ごとに、日本の伝統と、聖書また古代イスラエルや古代東方キリスト教徒との関連が浮かび上がり、神に愛されたこの日本という国の不思議さを思わされています。
また日本の使命を感じないではいられません。

京都、奈良、諏訪、伊勢、出雲、赤穂、東京、沖縄、いずれの大会でも、様々な教派から集まった兄姉や牧師先生らが、目を輝かせて日本の伝統と聖書のつながりを熱く語られる姿と祈りは、必ずや、日本のリバイバルにつながっていくことと信じています。
まだフォーラムの働きに参加されていない他の多くの方々も、一緒にこの学びと運動に参加されることを、心より祈ってやみません。

▲ 手束正昭  高砂教会 主任牧師 兵庫県在住

「聖書と日本フォーラム」への期待

―古代日本におけるカリスマ的キリスト教の発掘―

祈祝福。1989年11月、私はその3年前の1986年11月に初めて世に問うた「キリスト教の第3の波―カリスマ運動とは何か」に引き続く第2巻目、「続・キリスト教の第3の波―カリスマ運動とは何か」を再び世に問うた。
その中の第1章「歴史的考察」の第1節「養子論的キリスト論とネストリウス派」に、「日本に来たネストリウス派」の1項目を設け、古代日本にやってきた秦氏について触れている。
その中で、秦氏を景教徒とみなす手島郁郎氏の見解と「失われた10部族」の一部をなすユダヤ教徒とみなす中田重治氏の見解とを対比して紹介しつつ、両者を結びつけるマービン・トケイヤー氏の見解に賛意を示している。

トケイヤー氏によると、ネストリウス派とは極めてユダヤ教的色彩の濃いキリスト教である。
そしてそれは、キリスト教が急速にヘレニズム化していくことに対抗し、何とかヘブライズム的伝統を守り、カリスマ的信仰を維持しようとした必至の努力があえなく政治的画策によって潰され、歴史の彼方に消えていったのがネストリウスとネストリウス派の悲劇なのである。
その意味で、ヘブライズム的キリスト教の再興を目指したネストリウス派が、それ以前に中国にやって来ていた原始キリスト教(ユダヤ教的特色の強いヘブライズム的キリスト教)と同じものとして「景教」という名称でひと括りにされて呼ばれていたのではないかというのが、私の結論である。

かくて「聖書と日本フォーラム」での学びは、「カリスマ運動とは何か」を一貫して追及している私にとって、ヘレニズム化することによってカリスマ性を喪失していった〝西まわりのキリスト教〟に対して、ヘレニズム化を拒否してカリスマ性を維持しようした〝東まわりのキリスト教〟の足跡を発掘するものであると共に、日本人の血脈に流れ込んでいるカリスマ的キリスト教の復興を目指す試みへと発展していくことになるのである。
今後の更なる研究成果を期待してやまない。

▲ 佐藤博  郵便局勤務 宮城県在住 

「クリスチャンの日本人か、日本人のキリスト者か」
そっと耳を澄ませば聞こえてくる夜のしじまに降り積もる雪の音、春の雪解けの小川を流れるせせらぎ、初夏の田んぼにこだまする蛙の合唱、秋の夜の虫の声、寒い冬のピーンと凍った空気・・・等々、日本人ならば誰しも愛でる天然の声。
しかし外国人には雑音と聞こえるものも有るそうです。
キリストの十字架を信じて救われてのち、日本人に固有の、このような感性は捨て去るべきものでしょうか?・・・断じて否です。
しかし今や、日本に存在するキリスト教会という所の多くは、「日本人を止めよ、何故なら私達の国籍は天にあり」とだけ言ってはいないでしょうか?私達が日本人として生まれたのには意味はあるのでしょうか、それともないのでしょうか?

『2羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の1羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。』(マタイ10:29)
『神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。』(使徒17:26ー27)

聖書は意味があると宣言しています。
救われた後も日本人としての何物も損なうことなく、いやむしろキリストを着た新しい日本人として完成されることこそ神の御心ではないでしょうか。(Ⅱコリント5:17)
「聖書と日本フォーラム」の働きと出会いますますその思いが強くなりました。今も胸につかえるものを覚えながら教会に集っている人々、また失望して離れて行かれた人、日本を殊更悪者にしようとすることに嫌気が差し、二の足を踏んでいる人・・・そのような同胞の為にも、この働きが祝福され用いられるように祈っていきたいと思います。

▲ 与儀 功 会社員 ワールドキリスト教会員 沖縄在住 

「あなたがたは知らないで礼拝しています」。
私は20才で洗礼を受けました、沖縄の文化風習を否定して、親戚関係と断絶し15年。
父が亡くなり嫌が応にも地域に入り、そこの風習にどっぷりと関わらないと行けなくなりました。
年間祭祀が多く、行事に関わって行くに連れ「何故、こうするの?」質問しても「さあ、知らん!こうしなさいとしか教えられてないから」答えは見つからないことばかり。

その頃、家内と一緒に調べていたのが、「イスラエル」でした。
家内は聖書をイスラエルを意識して読みはじめました、私は、以前から興味のあった日本とイスラエルの類似性について探していました。
その中で畠田先生から「文化的背景を学び、伝道に用いなさい。」という言葉で、目からウロコが取れたようでした。
「これだ!日本人には日本人の言葉(背景にあるその国の全てを含んだ)で!」神社、古神道、神輿、餅、いろは歌、秦氏、聖徳太子、古代日本を学び、また、沖縄の伝統文化を考える。
まさに最初に書いたみことば!アーメンです。

大学で学んだ沖縄文化論(芸能)、社会学、民俗学が生かされてきました。(記憶のとても細い紐を引き出しながらですが…) これからも畠田先生、小石先生、久保先生、手束先生という第一人者の先生方の日本を変える働きを微力ながら家内と共に手伝わせて頂きます。

▲照屋 佐代子  主婦  沖縄在住

私が嫁いだ土地は、伝統風習が根強く残っていて、生活は旧暦にて行われています。
新月と満月の日(詩篇81:3)のお供え物は欠かさず、旧正月には、朝早くから家族・親戚が集まり一年の健康を仏壇の前で願い、十六日(ジュウルクニチ)には、ご先祖様の正月を墓の前で皆集まり、食事をしながら祝います。
旧三月三日は浜に行き海に入り身を清めます。
七月のお盆、八 月の十五夜は盛大でやぐらを立て角笛を吹き鳴らします。
楽しい祭りですが私には、どうしても偶像という感覚で、そことの関わりを断つ事のみばかり考えていました。

しかし、その祈りの姿勢、熱心さは凄いと感じていました。
それまで、姉の喫茶店で週に一度数人で交わっていましたが、これが「フォーラム」の学び会になりました。
集まるたびに新しい発見の連続でした。そのなかで姉と共に出雲大会に参加しました。
そこで改めて沖縄の文化、伝統そのものを学び直すことにより、この風習の根強く残っている地域と私の関わりが変わりました。
私の身近な人達や、この学びから関わっている婦人達からも多くの人たちの心が自由になり喜びが増したと、自然に信仰に入る人達が起こされはじめてきています。

▲ 与儀喜美江  主婦 ワールドキリスト教会員 沖縄在住

2003年8月、1冊の本の出会いを通して導かれ、すぐに主人と会員になりました。沖縄では仲栄真さんが会員でした。
「2、3名でも行きますよ。」と畠田先生が、沖縄での学びの道を開いてくださいました。
この学びは、私たちにとってすべてが新しく大きなチャレンジでしたが、はじめから喜びがあふれ、参加する人たちにすぐに伝わりました。
今まで宣教の最大の敵と思っていた風習、文化によって聖書を解き明かす手がかりを得たからです。

それから私の経営している喫茶店「JOY」で数名が集まり週1回、沖縄の風習を聖書で調べ始めました。
そして、小石先生、久保先生の集会などを進めてどんどん学びを深めています。
地元の神主や民族学の先生や文化センターの方、ユタの証なども伺いました。そのうちに本になるほどの資料が集まってきました。
今、沖縄の風習に聖書が関わっている部分で、大きく宣教の道が開かれ始めたことを感謝しています。

11月に沖縄で大会が開かれることは、神さまの恵みの計画だと確信しています。
ある牧師が、「これは新しい聖霊の風だね。」とこの働きのことを証していました。ハレルヤ!

▲ 小谷展宏 兵庫県在住

私は2002年第9回京都大会に初めて参加しました。
地元で「播磨学」という歴史好きの集まりで、日本史に携わっていたので、その大会で講師の東方キリスト教、秦氏、神道の話を聞き、また太秦、蚕ノ社、下賀茂神社での現地説明など、何を聞いても見ても興味津々でした。
今までの多くの日本人のように、西洋神学的キリスト教がノーマルだと思っていたのが、実はこの「聖書と日本フォーラム」の神学の方が、初代教会的であると痛感し、これが本来のものであると思いました。
今までイエス・キリストは心のどこかに西洋の神さまというどこか自分から遠い存在でしたが、実はそうではなく、日本人の誰も心にある神さまのイメージ、それが聖書の神さまであったということが分かりました。
同じキリスト教でも西洋のそれと東方のものでは、こうも異なるのであろうか、まるで別々の神さまのようです。

鑑みるに離散した古代イスラエル人の末裔が渡来して住んでいる国と、そうでない国との文化の違いではないでしょうか。
秦氏など中近東アジア出身の渡来人が、日本に与えた影響は、その伝統、文化、歴史、風習、地名、言葉、宗教など数えれば枚挙にいとまがありません。
それらは日本独自のものと思われていますが、彼ら渡来人の創ったものです。

アメノミナカヌシ、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミは、父、御子、御霊の三位一体の神の和名です。
イザナギの古事記の記述は、その結婚式がユダヤ式そのものです。また結婚宣言もヘブル語です。
天照大神は、古事記では時の権力者により改ざん(悪用する目的でもとの文字や語句を改め直すこと)され、女神とされていますが、元々男神です。
元伊勢神社、籠神社の海部宮司の家系図は、昭和51年国宝に指定され、平成4年一般公開されました。
その系図によると天照大神の正式名は、始祖「天照国照彦大明命」です。
「彦」(日子)は男性名。女神なら「国照姫(日女)」です。

イエス・キリストは和名でして、『天孫降臨』はやはり改ざんされていて、天子(神の子)降臨、つまりキリスト降誕(クリスマス)のことです。
伊勢神宮はユダヤ人秦氏が建てた第3神殿と私は考えています。
地下洞窟にはアークも安置されていると学研「アークの謎」で書かれていますが、祖国は、周辺の列強により滅ぼされ、国を失ったので、この安全な国、日本に第2神殿と同じ設計でアークのために建てたと考えてもおかしくないのでは。

このように、日本にはなじみやすい神学があるにもかかわらず、なぜかわざわざ外国人のつくった神学のキリスト教を正統なものと疑いもなく受け入れているのは、あたかも大根おろしにソースをかけて食べているようなものです。
西洋化のキリスト教が悪いと言うのではなく、日本人には合わないのですと言っているのです。
西洋人用につくられた神学なので、当然なのです。
日本人クリスチャン人口が百万人という数が、雄弁に物語っています。
正月三日だけで、国民の3分の2、8千万人以上が神社に参拝しているのを、福音伝播のための養育係(ガラテヤ3:24)として用いるべきなのです。

「聖書と日本フォーラム」は、私が日本人であることを目覚めさせてくれました。
会長、副会長を初め、諸先生方は何とか日本人のため、日本宣教のため、今のままでは一向に福音が伝えられることは難しいと、真剣に考えて働いておられます。
私たちも共に、主のために、働いてその喜びを分かち合おうではありませんか。

▲ ブラッド・ハウディシェル アメリカ人 
 英語教師  大阪在住

Brad Houdyshel's Testimony

I grew up in a family which was fascinated with the Far East, especially China and Japan. In fact, at my family home in California we even have a Japanese garden. We had many other interests as well, including the ancient civilizations in many parts of the world. Since Mexico was close to home, we took several trips there during our summer vacations to visit the ancient ruins. I even considered becoming an archaeologist as my life's work. But I was also a serious Christian and I decided that I should live a life that would be involved somehow in advancing the Christian faith.

I first came to Japan on a short-term missionary program, teaching English in some churches. Although I considered full-time missionary work, I did not sense a call into full time Christian ministry. The lesson I learned was this: not everyone is called to be a full-time minister, but we are all called to be full time Christians. All of us should be active members of the body of Christ, whether we are laymen or full-time ministers. Since I still have a heart for Japan, I returned to this country and am now an English teacher in a junior and senior high school, and I am an active member of Osaka International Church.

After living in Japan for ten years, I began hearing stories about Christians having come to Japan in ancient times. Since I have always had an interest in ancient history, I was fascinated by these stories, but at the same time I wondered why I had not heard of them before. As I began investigating the stories, I was introduced to the Bible and Japan Forum, where I learned more about various evidences for Christians, as well as Israelites, having come to ancient Japan. I am a very detailed oriented person, and I wondered about the exact nature of the evidences supporting the reports of Christians in ancient Japan, since these reports are not found in the major history books. So, I am on a quest to clarify the exact nature of the evidences concerning Christians in ancient Japan. Meanwhile, I have also been learning some interesting things about the spread of Christianity eastward in ancient times and about Christian influences on Buddhism.

Of course, the main point in the historical studies conducted by various members of the Bible and Japan Forum is to show that Christianity and Judaism may have a longer history in Japan than is normally acknowledged; therefore, Christianity is not as foreign to Japanese culture as it is usually thought to be. As I have spoken with some of the pastors and other members of the Forum, I see that there is much concern for respecting Japanese culture while also proclaiming the gospel to the people of Japan. History ... culture ... evangelism. These are three things which are important to me and also important to the Bible and Japan Forum. Although I am not fluent in the Japanese language, I have joined the Forum in order to be involved in these three areas.

▲ 佐藤緑    牧師  愛知県在住
 
日本人だけが良く解る新約聖書陰流 略して新陰流
 
「捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ・・・・」で始まるこの柳生石舟斎の句は、広く日本人に親しまれている。
がこれは新約聖書の「得ようとするものはこれを失い、失おうとするものはこれを得る」が出自ではないか?

新陰流について書いた3人の小説家、吉川英二、戸部新十郎、海道龍一朗によると伊勢水軍の武士であった愛州移香斎が九州宮崎を拠点として中国沿岸を荒し時には明の水軍と戦い重症を負う。
宮崎の鵜戸(現日南市)に籠もり療養中に編みだした陰流、その源は揺れ動く船上の刀法、を傷が癒えた後、友人の群馬県大胡(足利市西)の城主上泉家を訪れている内二男の上泉伊勢守秀綱に伝授、秀綱は更に加えて新陰流を創始、その刀法を広めようと弟子2人と諸国行脚に出る。
「他家は仕官せず」と武田信玄に誓い1字を拝領。
信綱と改名、剣豪将軍として知られた足利義輝へ通う途中柳生の庄にて石舟斎と槍の宝蔵院へ皆伝を与える。

さてその刀法は?信綱と立ち会った人たちに聞くと、「何やら分からぬ内に木刀を巻きとられ・・・勝ったのやら負けたのやらさっぱり分からぬ奇妙な刀法でござる」と一様に答えている。
なんとも日本人好みの刀法ではないか?4百年近く天下を治めた徳川家、その祖家康は武術好きで知られ刀と弓を正式の武道と制定、それは現代に至っている。
柳生家(石舟斎はその後、「無刀どり」を完成)を兵法として重用。
単なる武術家が1万石を超える大名となった。異例である。
「得ようとするものはこれを失い・・・・」は、伊勢といい、群馬の足利といい、また宮崎(天孫降臨)の地といい、すべてユダヤの紐で結ばれているのも面白い。 

▲ 輿水正人  日本基督教団阿久根めぐみ伝道所 牧師
鹿児島県在住 第9回大会「京都嵯峨野」からの参加者 
 
神様 皆さん ありがとうございました。いろんなことを気付かせてくださいました。
(順不同)
① 丼(どんぶりで)で飯(めし)喰っても良かったんですね!
② 幼稚園で 御輿を出すことにしました。神が教会を出る。
③ 七夕も 餅つきも 言い訳なしで出来るようになりました。
④ 輿の文字が好きになりました。
⑤ 仏壇も 神棚も 捨てないでよかった。
⑥ 戦前は天皇制、戦後は民主制。教会は何時でも天主制。  感謝。
⑦ モーセの十戒の石板は(5―5)だった。(4―6)ではなかったのだ。
⑧ 五戒の「汝の父母を敬え」は御縁を下さった神様礼拝(=先祖供養)
⑨ 二戒の偶像破壊命令は 隣人の偶像ではなく自分の偶像のこと。
⑩ 日本の歴史文化を好きになり 誇りに感ずるようになる。
⑪ 他宗教 他宗派から学ぶ事が多くなる。
⑫ 永平寺(曹洞宗)に「禅宗のキリスト派」として 行く。
⑬ 私は「キリスト教の禅宗派」キリストを着ているのだ。
⑭ 私が先か? 家族が先か? 家族が先だ。
⑮ 欧米教会への恩返しの道は 日本の教会になること。
⑯ 世界の教会に貢献する道も 日本の教会になること。
⑰ 1549ザビエル以前に聖書の神来日!(古神道 御輿 景教 秦氏 等等)。

▲真田千穂  加古川市会議員 兵庫県在住

「聖書と日本フォーラム」に入会して

皆様のご活躍、御働きに心より感謝いたします。
入会して2年強になります。諸先生方や会員の方々よりの最先端の御教え、情報をいただき、元気、勇気、やる気が起こります。
そのすばらしい成果は! 日本の神社や仏閣、文化や伝統、とユダヤ教の神殿や歴史と、キリスト教の教会や文明は、その根本はただひとつ、旧約聖書に負っていることを、ひしひしと思い知らされる今日この頃なのでございます。

本年1月大阪で「日本民族総福音化協議会」の集会で、小石先生が「まもなく日本人が競って、旧約聖書を読むようになります。」と話され、私も早速その時より読み始めて半年間で一応読了しました。
今回当「聖書と日本フォーラム」の主旨、主張に沿って読んだ時、その書には、時代こそ3千年以上もの隔たりがあっても、今尚息づいている日本民族の古くからの歴史、文化、伝統、宗教、政治、社会等のあり様がそのままに記されているではないかと、全く驚嘆致しました。

この事実をいかに現代社会、国際世界へ告げ知らせていくべきか祈り、考えをめぐらしております。
その一つとして、2年前に「日本秦氏顕彰会」を数名の人たちと結成しました。
聖書の豊かな満たしを恵みによって皆様と共に、世界平和の虹の架け橋である秦氏を通して、この困難な時代を乗り越えて、神様の終わることのない光栄がこの世界にあふれますように、微力を尽くしてまいりたい所存でございます。
皆様のご指導、ご鞭撻を何卒引き続きよろしくお願い致します。
神に感謝! 平成18年7月17日記

▲ 久米宏文 自営菓子業 大阪市在住

主の聖名を賛美申し上げます。
私が聖書と日本フォーラムに導かれたのは第9回京都大会でした。
それ以後、総会・大会・セミナー等に導かれ、学ばさせていただいています。そこで3つのすごい体験をしました。

まず第1にすごい事は学びの内容です。神道が聖書の神と関係があるとは思ってもみなかったことです。
教会ではおおむね神道を偶像礼拝と誤解し、避けていました。
しかし、本当は神道と聖書は深く結びあっていて、日本文化も神の祝福にあることが分ってとても感動しました。
第2のすごい事は会員の方々の熱心さと研鑽の姿です。知識の深さと視野の広さには感心するばかりです。
知識のことばが充満していますが、神の愛を忘れていない姿勢に感動しています。

最後の3つ目ですが、会員一人びとりの捧げる気持ちの大きさです。
ご承知の通り、聖書と日本フォーラムは会費と献金で成り立っている組織です。
今までマイナス財政にならなかったことは愛であり、祝福であり、感謝です。
現在、私は会計の奉仕をさせていただいていますが、会員の方々の捧げる気持ちの大きさに敬服するばかりです。
聖書と日本フォーラムの発展と祝福を心からお祈りいたします。 2006年8月1日

▲ 斉藤伊織  横浜在住

母がものみの塔を脱会する唯一のきっかけ 
 
私は、あるとき会社の本棚で、小石豊先生の「日本人とユダヤ人の連合を世界が怖れる理由」を手に入れました。
私は、若いときにものみの塔を脱会してから、聖書を読んでいませんでしたが、もう1度聖書を学ぼうという気が起きました。
それだけでなく、母のものみ塔脱会のきっかけとなりました。

これまで母に、どんな手を尽くして脱会を促しても効果がなかったのですが、母は、イスラエルの回復を聖書から引き出した箇所に注目し、ものみの塔の間違いに気づきました。
小石先生の本を読んでいるうちに、日本の教会の中でイスラエルの回復預言について取り扱っている場所はないかと探していたところ、銀座の教分館に畠田先生の本「古代ユダヤから21世紀の日本へ」を見つけました。
本の後ろに「聖書と日本フォーラム」の事務所の住所を見つけ、すぐに大阪に飛んでいきました。

2年前の6月30日のことです。すぐに会員となり8月に研修センターを手伝いに行きました。
日本中どこにもこのような有意義な会はないと思います。
母の霊的な成長にも必要不可欠でした。他教会の人も興味を示してくださっています。
私自身も「聖書と日本フォーラム」の大会でいろいろな人と親しくなれました。 2006年8月

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あとがき      会長 小石豊

 畠田秀生副会長より、「聖書と日本フォーラムはいかにして始まり、続いて来たのか」をまとめたいとファックスを頂き、早速「聖書と日本フォーラムに寄せて」をお送りしました。
 この会の進展は、私にとっても神様のあわれみと御計画によることを深く教えられて来ました。
私も現在74才で、あと10年どれだけ集中力を持ち続け得るのかは、はなはだ疑問です。
すると、今回のこの原稿も私にとって大変大事なことになります。

 畠田師が「新しい旅路の経緯」をまとめておられますが、本当に真剣勝負だったことがわかります。
すばらしい協力者を得て私も救われた思いがしています。
 
 又、第2部「大会の歩み」の第6回の項に、リバイバル新聞の論評をそのまま掲載させて頂きました。
 この論評は「フォーラム」の働きにとって、非常に警戒的―批判的です。
背後には現在のキリスト教会の歩みが絶望的であって、それ以外の歩みを拒否するという従来の流れ方がそのまま出ています。
例えそうであっても、これらの見解に耳を貸し、素直にそのような見方もあることに心しなければならないと存じます。

 それにしてもこの10数年間、多くの参加者、講師の温かい御協力によって続けることが出来て、感謝の他ございません。
 主が更なる有志を備えて下さいますようにと心からお祈り申上げます。           
                                       
                                          2006年8月

                               「聖書と日本フォーラム」編集部
                                            事務局長
                                       文責 畠田 秀生
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