倭の魂ここにあり(倭大國魂神社)
倭大国魂神社の鎮座する阿波は倭の国であり、奈良は大倭坐大国魂神社の鎮座する大倭の国である。
奈良地方は、国生みの八番目に生み出された「大倭豊秋津嶋」と名付けられております。
豊秋津嶋とは「豊葦原の水穂国(天孫の治める国)」、「秋津嶋倭」の用例からみても帝都の「やまと」を指します。すなわち、「大倭豊秋津嶋」とは、「大倭の倭」。つまり大倭地方に拓かれた新しい帝都の意味であります。
さて、前置きはここまでとして、さっそく「倭大国魂神社」について書いていきましょう。
旧美馬郡では、土(はに)の神を祀る式内社「波爾移麻比弥(はにやまひめ)神社」、神々の母神である伊邪那美命を祀る式内社「伊刺奈美(いざなみ)神社」、高天原に通じる橋を神格化した式内社「天椅立(あまのはしだて)神社」など、記紀神話草創の地方を示す神々が祀られております。
このように太古の神々が鎮まる美馬の地に、「倭大国魂神社」が定められているのです。
また、神社の東側(重清城台地)からはサヌカイト製の石鏃や、阿波の青石による石斧、石鎗の出土も確認されており、この地が古くから拓かれていたことがわかります。
「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれ、「みま(き)」との関わりを示しているのです。
そして「五十瓊殖(いにえ)」とは「多くの瓊(勾玉)を造り所有する」という意味を踏まえた和風諡号なのです。
このように「崇神天皇」関係の解説も含めて、
「阿波に倭大国魂神が祀られてる」
ということが「阿波に帝都」があったということを証明できるのです。
「ソノ山クダケテ、大和国ニフリツキタルヲ… 」
これを阿波は倭、大和(奈良)は大倭として区別しているのですね。
間違いなく倭の魂は阿波国に残されています。
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