2024年5月31日金曜日

倭の魂ここにあり(倭大國魂神社) - awa-otoko’s blog

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倭の魂ここにあり(倭大國魂神社)

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倭大国魂神社の鎮座する阿波は倭の国であり、奈良は大倭坐大国魂神社の鎮座する大倭の国である。

奈良地方は、国生みの八番目に生み出された「大倭豊秋津嶋」と名付けられております。

豊秋津嶋とは「豊葦原の水穂国(天孫の治める国)」、「秋津嶋倭」の用例からみても帝都の「やまと」を指します。すなわち、「大倭豊秋津嶋」とは、「大倭の倭」。つまり大倭地方に拓かれた新しい帝都の意味であります。

さて、前置きはここまでとして、さっそく「倭大国魂神社」について書いていきましょう。
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倭大国魂神社」が鎮座する阿波国美馬郡は、貞観ニ年(八六〇)までは、現在の三好郡と、木屋平村を除いた美馬郡を合わせた七郷からなり、徳島県の中西部に位置し、山地が九〇㌫を超える山処(やまと)の地。
美馬郡では、土(はに)の神を祀る式内社「波爾移麻比弥(はにやまひめ)神社」、神々の母神である伊邪那美命を祀る式内社「伊刺奈美(いざなみ)神社」高天原に通じる橋を神格化した式内社「天椅立(あまのはしだて)神社」など、記紀神話草創の地方を示す神々が祀られております。
このように太古の神々が鎮まる美馬の地に、「倭大国魂神社」が定められているのです。
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倭大国魂神社」の鎮座する美馬郡美馬町重清の境内には「大国魂古墳」数基と、下段に「八幡古墳群」が現存しています。しかし近代の開墾により、多く破壊されている模様。
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また、神社の東側(重清城台地)からはサヌカイト製の石鏃や、阿波の青石による石斧、石鎗の出土も確認されており、この地が古くから拓かれていたことがわかります。

倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれ、「みま(き)」との関わりを示しているのです。
天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を冠したもの。
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(伊香色許謎命: 崇神天皇の母を祀る式内社 伊加加志神社の摂社 王子神社祭神崇神天皇とする日本唯一社)
また「初国知らしし…」とは、神武天皇以来、皇居は吉野川下流域に設けていたのが、天孫として初めて中、上流域の美馬郡に皇居を構え、その域(くに)を治(し)らした意味。
そして「五十瓊殖(いにえ)」とは「多くの瓊(勾玉)を造り所有する」という意味を踏まえた和風諡号なのです。
このように「崇神天皇」関係の解説も含めて、
「阿波に倭大国魂神が祀られてる」

ということが「阿波に帝都」があったということを証明できるのです。

阿波国風土記ノゴトクハ、ソラヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波国ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、ソノ山クダケテ、大和国ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。

「ソノ山クダケテ、大和国ニフリツキタルヲ… 」

これを阿波は倭、大和(奈良)は大倭として区別しているのですね。

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間違いなく倭の魂は阿波国に残されています。

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