吉野と出雲は同じ国にある!
万葉集の429番、430番で古代の吉野が奈良でないのがすぐにわかります。
溺れ死にし出雲娘子を吉野の火葬りし時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌二首
「山のまゆ 出雲のこらは霧なれや 吉野の山の峰にたなびく」
「八雲さす 出雲の子らが黒髪は 吉野の川の沖になづさふ」
そう、ここでは出雲出身の娘子が溺死して、その子を吉野で火葬している悲しみの情景を歌っているのです。
出雲国の娘をわざわざ奈良の吉野まで送って火葬にすることなどありえないのはすぐにわかるでしょう。阿波では吉野川の上流に吉野宮があり、下流に出雲(古代は以津毛と書く)があったのです。
実は柿本朝臣人麻呂もれっきとした阿波出身なのです。都が阿波から奈良に遷都したときも阿波に残ったようなのですね。
柿本人麻呂も海人族出身。それで海の歌が多いのですね。奈良出身にしては書けないわけです。そこに真相があったのですね。
私は奈良の都から突然、時の歌聖とも言われた天下の柿本人麻呂が消息を絶ったと思っていたのですが、どうやら逆なのです。
柿本人麻呂が消息を絶ったのではなくて、都が阿波から奈良に移って、元の都である阿波が隠されたから、阿波に留まった人麻呂が都ごと隠されたのが真相なのです。思い込みとはあらためて恐ろしいものですね。
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