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神社廻り-久米南町
此の処岡山の北部を廻って感じたことだが、立派な神社が多い気がするのは厳密な意味で無くても郷社クラスが多いせいか!今回染井吉野は完全に終わっているが八重桜以外にも残っている桜も多い、しかしあまりにも染井吉野が多すぎるのは何か訳があるのか?残っている桜、そして躑躅、更には若葉、若芽とやはり素晴らしい。
今日は久米南町を目指し、帰りに女房の好きな『中島ブロイラー』で鳥のもも肉を買って帰る予定で出かける。
R53号を北へ進み、久米南町に入って直ぐ右手前方に橋が、右折して橋を渡り直ぐに左折して川沿いに進むと『神目駅』を過ぎた先、右折して踏切を渡り道なりに進む、三叉路を左、次の三叉路を右、直進すると右手に駐車場の表示-この表示を見落とし西側へ廻り込み神社の正面へ、神社前に車停め参詣、左手に車道がある。
山王松尾神社
由緒:宝亀年間(七七〇~)と伝えられるが確証はない。室町時代、応永二十一年(一四一五)、美作国守護職、赤松氏から社領七十三石賜った寄進状並びに座純例講番書が伝わっていて、創建はそれ以前と思われる。今の建物は貞亨元年(一六八四)、近くの粒木山にあった山王神社を、この地に鎮座していた松尾神社と合祀し、再建され以後修理を繰り返し、今日に至っている。
両殿とも単層、入母屋造妻入、桧皮葺(現在は鉄板張り)、千木、勝男木を置く、一間の唐破風造の向拝をつける。やや小型の建物ではあるが、木割や木鼻の彫刻は近世の建築様式の特徴を持ち、優美、繊細である。二棟の本殿が建ち並ぶ神社建築は郡内では見当たらない。同時期に建てられた随身門、石鳥居など貴重な建物もある。
御祭神:山王神社-山末之大主神、大己貴神 松尾神社-大山咋命、木花佐久夜姫
神目駅前を通り375号経由で53号へ出る。R53号を進みJA倉庫の先を左折、道なりに進んで行くと前方左手に鳥居
出雲大社神目教会
由緒、御祭神共に不明
このような神社をどうするかいつも迷うが遠くまで出掛けたのでつい?
R53号を北へ、52号が分岐する『全間』信号の右手に鳥居、前の空き地に車を停め参詣
龍川神社
由緒、御祭神共に不明
R53号を北へ進み、右手の7&11でコーヒータイム、右折して52号へ右手4本目の細い道を進むと左手に鳥居(52号左手路肩が広い処に車停め歩いて参詣-ちらっと見て直ぐ先に車を停めたので狭く見えたが広い道、神社の右側の参道で神社横まで十分可能)
熊野神社
由緒、御祭神共に不明
52号を東へ進み、前方塩之内集会所手前を右折してこの場所に車を停め、前方三叉路を左、坂道を登った先(訳が分からないが個人の住宅で長尾興業の看板-いた人に聞くとここがそうだと言われるが-何か狐につままれた感じ)
長尾神社
由緒、御祭神共に不明
52号を東へ進んで行くと『片山潜記念館』近くに波多神社の鳥居、この道ではとても車では行ける木がしないので更に52号を進み、左手に『本山寺』表示、右折し、直ぐ左折、三叉路を右折して道なりに進むと前方三叉路に『波多神社』の表示に従い右手へ進んで行くと前方に鳥居、鳥居脇の道を登って行くと突き当りに鳥居、ここに車を停めて参拝、更に登って行くと神社横の空き地に-山の中の神社は不安、嘘でもいいから行けると言ってくれた方が気分的に楽、鳥居の前で蕨を取っていた人に聞いたが無駄であった。
波多神社
由緒:本神社は斎明天皇御宇5年の勧請にして、初め畑三社権現と称す。慶長年間民屋屡々火災があり、家本兵衛という者が字小野から今の地東山に社殿を移したので、殆んど灰燼を免れたと伝われている。慶長年中森氏本国入国の後本社を崇敬し社領地を寄進する。宝永2年9月本社を建立したものが今の社殿である。宝永3年正月本社内陣を造営。本殿の屋根葺替及修繕は宝永2年、享保21年、寛延2年、文政10年、天保4年、嘉永2年、明治12年、明治38年、昭和4年、昭和58年等であり、棟札が何れも現存する。慶應3年畑三座神社と改称する。明治6年波多神社と改号し村社に列される。大正8年神饌幣帛料供進神社に指定せられる。大正13年6月7日郷社に列する。
御祭神:速玉之男命
52号を東へ進み、右手に『スクールバス回転場所』表示、路肩にくるを停め、南側の山際を進んで行くと前方民家の裏側に、車でも可能だが停める場所が無い)
定宗神社
由緒:境内に表示があるが消えかかって読みづらい
御祭神:素盞嗚命
52号を東へ進進んで行くと『大戸上定宗コミュニティーハウス』ここが広いので車を停め、歩いて西側の川の先を右折し進んで行くと神社、この道は車で十分通行可能で、裏側に十分駐車可能
住吉神社
由緒:創立年は不詳。ある書に和気宿奈が備前美作の国造であった頃、藤原の八幡宮を祀り、大戸に住吉宮を祀ったと伝えている。口碑によれば、元徳の頃大戸轟の城主入江弾正が当神社の氏神として尊敬し、社領地若干を寄附している。今の本殿は萬治二年の建立である。明治六年住吉神社と改称し村社に列られる大正十年十二月神饌弊帛料供進神社に指定された。
御祭神:中筒之男命
52号を進むと前方に亀甲へ352号の表示、左折して進み、先にある三叉路を亀甲方面左手に取り道なりに進むと再度352号に出会う(多分新旧の352号)、少し進み右折して進んで行くと前歩左手に鳥居(何故か神社前は桜林)
西山神社
由緒、御祭神共に不明
352号を進んで行くと右手道路脇に
立磐様
由緒:ある夜、見なれない子が岩に縄を掛けて、一所懸命に背負おうとしているところへ人の好い若者が通りかかり、憐れんで「どりゃ、わしが背負ってやろう。」と、子どもと替った。だが、いくら頑張っても岩はびくともしない。それでも若者は夢中になって岩と取り組んでいた。いつの間にか朝になってそこを通りがかった里人が「また狐にたぶらかされたな。」と一喝した。「ほい、しまった!」と正気付いた若者は次の瞬間、踊り上がって歓声をあげた。「おかげで足の痛いのが治ったわい!」それ以来、村人から立岩狐と呼ばれ、足の痛い者は岩に縄を掛けて背負う真似をすると足の痛いのが治ると伝えられている。
こういうバカげたのもなかなか面白い。
352号を進んで行き、前方左手の橋を左折し進んで行くと左にカーブする手前神社の表示、右折して進むと突き当りを左折して道なりに進んで行くと人家に出会うのでそこをV字に右折して進むと前方に広場、その先に竪穴住居と神社。(西へ下って行くと前方に鳥居、踏切を渡って進み突き当りを右折して進むと352号へ出会う-左折して進むとR53号のわらび信号)
諏訪神社
由緒:本神社の創建年代は不詳。和気氏の祖先が当国の国造となった際、当地の日南山を選んで八幡宮を祀って崇敬した。その後、城主原田三河守貞佐の祖先が、甲斐国磯山城に居住の時に信仰した。信濃の諏訪明神の分霊を奉祀して諏訪八幡宮と称して崇敬した。後年、森、松平藩主を始めとして地方民の尊崇した神社である。明治6年に村社に列した。明治42年に原田神社外4神社を合祀して諏訪神社と改称した。
御祭神:伊邪那岐命、天照大神、譽田別命、表津少童命、中津少童命、底津少童命、猿田彦命、天羽槌雄命、天宇受賣命、宇迦之御魂命、奥津彦神、天兒屋根命、天太玉命、速玉之男命、泉津事解之男神
この神社周辺には前方後円墳、円墳が存在し、竪穴住居も再現されているが住居は弥生時代でなく、古墳時代の物らしい?との記載あり
諏訪神社から坂道を西へ下り線路を越えて右折して進むと352号に、更に北へ進むと前方T字路、線路を越えて道なりに進む、駐在所の先T字路を右折し小さい橋を渡り左折して進む、またしても工事による通行止め、警備員がいるが何処まで通行可能かは分からない、とにかく行けるとこまで行くことにし、進んで行くと前方右手に鳥居、右手奥に木立が見えてく路肩に車停め歩いて前方の木立を目指す
摩賀多神社
由緒、御祭神共に不明
更に北東方向へ進み、前方三叉路を左方向へ、池の手前で十字路に出会うので直進してへ進み池の側を進み直進して進むと前方突き当りに鳥居
十二社神社
由緒、御祭神共に不明
結局工事現場は通らなかったのか?工事車両は見たが関係なかった。
池の南の道を道なりに西方向へ進みR53号へ、途中亀甲駅へわざわざ駅舎を見に行く、亀の頭の下に車が止まっており邪魔だが避けない
R53号を南下、前方陸橋手前を左折して進み、陸橋直ぐ先をVに曲がり、上の道出て右折し東方向へ進んで行く。この道は非常に厄介、細いし急な道通りたくない。前方三叉路を左折して坂道を進み、そのまま直進していくと細い山道突き当りの広い道を左折して進むと、左手に神社の案内と右側に階段、左側の麓へ降りる参道らしき道は通行不能な状態に(今日の失敗-2つ目の三叉路を左手に進むと広い道に、直ぐ先右手に鳥居-後でルートを検討して分かる)
小原神社
由緒、御祭神共に不明
この近辺まだ廻る予定だが、まず鶏を買って置かないと思いR53号へ、ここから今日2つ目の失敗-元の道へ引き返すのは非常に嫌だったので神社前の広い道を進んでR53号へ出るが南へ行き過ぎ、53号を北へ進み『中島ブロイラー』へ、いつもは女房が買いに行って私は車で待っているだけなので気にならなかったが、客が非常に多い、しかも目的のもも肉は売り切れ、これで一気に疲れ帰宅することに!
更にこれから3つ目の失敗、R53号を普通に帰れば問題なかったが市内で混んでいる気がしたので、野々口で218号へ、三叉路で左手を右手に間違えて進み
(反対方向なら間違えるはずはない処)引き返せばいい処をどんどん進んで行くと段々と山の中に、山中でも結構な道がついている、最後は366号に突き当り、試験場裏から53号へ、何のための替え道だったのか?
どうも今日は早めに引き返す勇気が足りず、何とかなるのノリでいってしまった-反省
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