2024年5月26日日曜日

黄泉の国の内緒話③『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は分解して考えること』 | 古代日本のヒモヅケ文明

黄泉の国の内緒話③『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は分解して考えること』 | 古代日本のヒモヅケ文明

黄泉の国の内緒話③『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原は分解して考えること』

↑のつづき。

さて、黄泉比良坂でイザナミと別れたイザナギは、黄泉の国での穢れを落とす『禊(みそぎ)』をおこなった。

その禊をした場所が

『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原』。

↑でも書いた通り、定説では阿波岐原の場所は宮崎県の「日向」。

「日向」の名の由来は、日本書紀にその記述が見える。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

景行天皇17年の条

「直向於日出方、故號其国曰日向也」

なおく日(ヒ)の出ずる方に向(ム)けり、ゆえに、

その国を名付けて日向(ヒムカ)という

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第12代景行天皇が実在していたとしたら、恐らくは古墳時代の4世紀前半頃。

つまり、「日向」という地名は、

神武東征よりもずっと後についた名である。

神代の時代は、九州に「日向」という地名が存在しなかったということになる。

イザナギは神武天皇よりもずっと昔の神様。

イザナギがいた頃の「日向(ヒムカ)」は、恐らく九州ではない。

そして、

「日向(ヒムカ)」は太陽が昇る方向である『東』の語源である。

「ヒムカ」

 ↓

「ヒムカシ」

 ↓

「ヒンカシ」

 ↓

「ヒガシ(東)」

と、転訛していった。

みたいなことも踏まえて、

『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原』を分解して考えてみた方が良いようだ。


●『竺紫の日向』

イザナギイザナミの国生み神話では、「筑紫島」を九州として生んでいる。

ところが、古事記では「筑紫」の表記はあっても、「筑紫の日向」の表記は存在しない。

「日向」とつく場合には「竺紫の日向」と表記する。

明らかに「筑紫」と「竺紫」を区別しているのである。

一方、日本書紀には「竺紫」の表記は無く、全て「筑紫」となっている。

📕古事記=「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」

📗日本書紀=「筑紫日向小戸橘之檍原」

古事記は国内向け、日本書紀は海外向けの歴史書。

海外には知られたくないことが、日本書紀では隠している可能性がある。

それは、

「竺紫」の本当の場所を知られたくなかったのではなかろうか。

では、「竺(じく、つく)」とは何なのか。

よく見るのは「天竺」。

古代史の中国や日本からみたインドの古名である。

「竺」には「尽きた」の意味がある。

前述したとおり、「日向」は「東」のこと。

つまり、

「竺紫(つくし)の日向(ひむか)」とは

「東に尽きた土地」「東の果て」を意味するのである。

そして、古事記では神武天皇が畿内に入るまでは、初期のヤマト勢力圏の東の果ては四国だった。


●『橘の小門』

では、

東の果ての『橘(たちばな)』とは。。

徳島県阿南市の紀伊水道に面した場所に

「阿波の松島」とも呼ばれる

湾(たちばなわん)』がある。

また、阿南市には現在でも「橘町」の地名が存在する。

そして、『小門(おど)』。

日向の国、宮崎県宮崎市鶴島には

『小戸(おど)神社』が鎮座しており、イザナギの御祓の伝承地とされている。

しかし、その創建は第12代景行天皇の勅によるもの。

「小門」は地名ではなかった。

「門(と)」とは狭い地域を表す言葉。

橘湾に面する阿南市見能林町。

現在は陸地になっているが、

この地域は雨が降るとすぐに冠水する低い土地である。

近くには『打樋(うてび)川』が流れている。

この付近は、昔は狭い海峡となっていたのだそうな。

そして、阿南市見能林町には『みそぎ岩』があり、付近の八幡神社の裏に岩盤があり、小ささ祠が鎮座している。

その祠には『小門(おど)神社』と書いてある。

さらに、阿南市にある『袙(あこめ)海岸』。

「袙(あこめ)」とは装束の中着のことである。

地名の由来は、かつてこの海岸付近に天女が舞い降りて、羽衣を松の木にかけて水浴びをしたという

「阿波の松島」の名にふさわしい伝承があるためだ。

しかし、一方では、イザナギが禊の時に脱いだ衣服を連想させる。

また、「袙」は「直衣(のうし)」という言葉に繋がるという。

「直衣(のうし)」とは平安時代の天皇や公家の平常服のこと。

禊祓いの時に「衣」から生まれたのは、

『和豆良比能宇斯能神(わずらひのうしのかみ)』であった。

さらにさらに、阿南市見能林町の「青木(あおき)」の地名の由来は、「阿波岐原(アワギハラ)」だとも言われている。


以上のことから、イザナギが黄泉の国から逃げ帰り、禊祓いを行った

『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原』の全ての条件が揃うのが、この阿南市見能林町付近だったのである。。

さてさて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原が、現在の徳島県阿南市だった根拠はまだまだある。

黄泉の国のケガレを落とすために、

阿波岐原で禊(みそぎ)をおこなったイザナギ。

そこで衣を脱ぐと、十二柱の神が生まれた。

その中で、左手首に身に付けた手纏(飾り)から化生したのが、『奥津三神』。

●奥疎神(おきざかるのかみ)

●奥津那芸佐毘古(おきつなぎさびこのかみ)

●奥津甲斐羅神(おきつかいべらのかみ)

なんと、

阿南市沖の『伊島』に鎮座する

『當所神社』には、全国で唯一『奥津三神』が祀られているのである。

伊島は四国最東端の島であり、『カベヘラ』と呼ばれる洞窟がある。

カベヘラの名は、

奥津甲斐羅神(おきつかいべらのかみ)が由来だとする説もある。

ここまで古事記とリンクしてしまう地名や神社。

やはり、阿波徳島は、古事記の舞台の候補地として最有力なのではなかろうか。

さらにさらに、この阿南市。

『天照大御神』を、幼名で祀る神社が鎮座している。

天照大御神は、禊払いの際に左目を洗って生まれた。

阿南市見能林町野に鎮座する

延喜式内社『賀志波比売神社』。

祭神の賀志波比売命は、天照大御神の幼名だとされており、境内には

『天照大御神生誕之地碑』が建っている。

アマテラス

ツクヨミ

スサノオ

かの有名な三貴子は、現在の徳島県阿南市で生まれた(または現れた)のである。

禊。

水でケガレを洗うこと。

「洗われる」とは、『現れる』ことである。

つづく。

ではまた❗

参考資料↓

●おまけ

千葉県柏市の「柏(かしわ)」の由来を

「河岸場(かしば)」だとする説もあり、

「カシワ姫」の神名は、古代の「食器」を意味するとともに、海洋民族にも繋がると解釈出来るのかもしれませんね☀️


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