木内鶴彦さん(彗星探索家)・3度の臨死体験者
近頃、また、とんでもない本に出会いまして、僕が以前から探求していた、古代の日本神話の謎が🇯🇵意外や意外、アッサリと解けてしまいました。。
正直言って、予想外過ぎて、頭がついていきませんでした。。
散々、古事記やら日本書紀やら、神社やら⛩天皇家やら、色々調べていたのが、まさか、こんな所で……
臨死体験から、スルリと答えが見つかるなんて……
まあ、ショックで一日寝込みましたが、とりあえず報告いたしましょう
まず、木内鶴彦さんについて。
この方は、彗星探索家として、かなり有名な方で、さらに臨死体験者としても、知る人ぞ知る、名の知れた方です。
実は、以前、この方の著書は発見していまして、ただ、これを買おうかどうしようか迷って、結局、買わずにいたんですね
つまり、その時は信用出来るのかな?と疑ってしまったわけです。
しかし、断食療法で有名な森美智代先生が、この木内鶴彦氏を紹介されていたので、あ、信用出来る人なんだ、と本を読む事にしました。
思えば、それがこんなとてつもない衝撃を生むとは、その時は予想だにしませんでした…
この本をご紹介します、
『生き方は星空が教えてくれる』です。
これは20年近く前の著作ですが、電子書籍で買えて、木内鶴彦さんの本を初めて読むのは、これが良いと思います。
自分の生い立ちから、どの様な経験をして、臨死体験に至ったのか、また、そこでどのような経験をしたのか、と言うことが書かれています。
まず、アウトラインを知るのはこれがとても上手く書けていて、面白いです。
次は、これを。
これは、保江邦夫さんとの対談本です。
保江邦夫さんに関しては、好き嫌いがあるかもしれませんが、有名な物理学者で大学教授でもありますね。
本もたくさん出してますし、オカルトチックな本には一通り顔を出すと言う変わり種というか、とても顔の広い方です。
ただし、人によって、好き嫌いのある先生です
この本で、少し宇宙のことや、日本の古代の事についても触れています。これは2014年くらいの本かな?
比較的新しいので、木内鶴彦さんの臨時体験談も、詳しくなっています。
そして、最後がこれ。
これが、今までの木内鶴彦さんの経験の集大成と言っても良いんじゃないかな?というまとめ的な本です。
そしていよいよここに、日本古代神話の秘密や、ピラミッドの謎、イエス・キリストの真実、月と大洪水神話の真実、重力と恐竜🦕と巨人の秘密、三種の神器の意味、金星人とUFOなど、様々な話題が網羅して書かれているのです❗️
特に、ボクが知りたかったのは、日本古代神話の🇯🇵真実、ただ一つ❗️
それだけに、とてつも無い衝撃を受けました…
しばらく寝込みましたよ……
しかも、第73世・武内宿禰 竹内睦泰(むつひろ)さんと言ってることが、大方矛盾していないのだから、驚きです。
↑古事記には多くの謎があると語る竹内睦泰さん。
↑継体天皇は、何故か北陸に住んでいて、天皇即位後に中々大阪に入ることが出来なかった、という歴史を語る竹内睦泰さん。
というか、その内容がショック過ぎて…
では、その内容は、と言いますと…
ズバリ、出雲神族・スサノオ(素戔嗚尊)が、日本最初の🇯🇵大王であった、と言うことです。オオナムチの方ではなく、スサノオです。
そして、その五男の饒速日命(ニギハヤヒ)もです。
そして、その年代は、3,500年前。つまりBC1,500年です。
さらにその前、BC3000年ごろに、肌の青い、映画アバターに出てくる様な部族、オロチ族が、バイカル湖の東から海流に乗って出雲に住み着き、生活していたそうです。(エジプト文明発祥の頃ですね)
このオロチ族、大変知的水準は高いが、女性の生殖能力が著しく低かったため、次々と他部族の女性を攫ってきていたそうです。
これが、八岐大蛇伝説の真相です
それがBC1500年頃には、スサノオの出雲神族のまとまりが小さいながらも出来始め、スサノオとその周囲と人々と、オロチ族との混血も進んでいた様です。
ちなみに、今現在でも、日本人にはその名残が残っていて、蒙古斑がそうなのです❗️
赤ちゃんのお尻が青い、あれです。
戦後、GHQが日本に来たときに、蒙古斑を知らなくて、幼児を虐待してるのか?と思ったと言う、アレです
アレこそが、肌の青いアバターの様な高知的水準部族の、オロチ族との混血の証なのです。
BC1500年頃といえば、古代中国では、殷の時代ですね。
当時、スサノオは、古事記に書かれているような乱暴者などでは無く、上下関係もなく、自給自足を基本として、分業して支え合い、助け合っていた循環型のムラを日本で最初に作り出していたのです。
しかも、指導者はいても、身分の違いがなく、争い事はほとんどなかったと言います。
だから、縄文時代の発掘では、武器が出ないとのことです。
この辺り、『謎の出雲帝国』の話と見事に符合します。
そして、スサノオは、スサ又は須賀さんと呼ばれていたとか。
古事記にも、スサノオが初めて出雲に来たときに、『清々しい』と言ったので、その地をスガと呼んだとありますが、そのエピソードは、こんな所から来ていたのです。
竹内睦泰さんも、やたらと、"スガスガしい"のエピソードを言うので、何でかな??と違和感を感じていましたけど、そう言うことだったのか……
最初から、ゆーてくれよ〜
しかも、スサノオの出雲族は、最初に東北に着いて、そこから出雲に来たとか。
だから、島根県の人は、東北と同じくズーズー弁なのです。
自分の両親も、島根県の隠岐島出身なので、それは分かります。映画『砂の器』でも、その描写はあるとか。(丹波哲郎が刑事役してました〜、神社で⛩瓜を食べるシーンを思い出します。懐かしい❗️)
そのようにして、スサノオは、農耕と冶金(タタラ製鉄)を人々に教え、指導者として人望を集めていました。
その事は、733年に穂日命の子孫が編纂した『出雲風土記』にも書かれているのです。
『スサノオは、仁慈の名君だった』と
ちなみに、昭和51年頃は、11/22に皇居で初代神武天皇から継承される布留大王の鎮魂祭が、厳かに行われていたそうです。
布留(フル)大王とは、饒速日(ニギハヤヒ)のことです。
物部氏の氏神といえば、奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)ですが、その前の交差点が、布留と言います。
石上神宮↓
↓ちなみに筒とは星のこと⭐️。竹内睦泰さんによる。
神牛像がある神社は、⛩とても多いのです。
スサノオ=牛頭天王
また、スサノオとニギハヤヒは、後の天皇が本当の実態を隠すために、様々な名で呼ばれます。
その一つが布都(フツ)と布留(フル)です。
布都(フツ)とは、スサノオの父親のこと、スサノオは、布都斯(フツシ)と呼ばれ、その五男のニギハヤヒは布留(フル)です。そして、ニギハヤヒの息子の宇麻志麻遅命(ウマシマジのみこと=物部氏の祖先)の四柱の神が石上神宮の御祭神です
石上神宮の御神体、布都御霊剣(フツミタマノツルギ)は、まさに出雲神族の長の証です
このように、話し出したら、もうキリがないくらい、すごい内容が書かれていたのですが、最後にもう一つだけ、インパクトのある話を。。
かなりショッキングな内容ですが……
天皇家は、やはり、26代継体天皇の時に、断絶しています
少し天皇家の歴史を勉強した者なら、この本を読めば、一目瞭然でわかります。
断絶という言葉こそ使っていませんが、(いや、木内鶴彦氏も気を遣って、使えなかったのでしょう)はっきりと分かります。
では、その理由は?というと。。
ズバリ、隕石の落下です。
大阪府交野市(かたのし)の星田(せいでん)と言うところの星田妙見宮付近に相当大きな隕石が落下したようです。
その年代は、535年。
交野市には、磐船神社⛩があって、僕も正月にお参りに行きましたが、その近くです。
↓このような巨石が、なぜこんなに集中しているのか不思議でしたが、まさかの隕石とは。。。
星田とか、やたら星のつく名前があったり、北斗七星が書かれていたり、そう言う匂わせる雰囲気はありましたね、そう言えば……
つまり、日本を最初に平和に収めていたのが、出雲神族のスサノオ一族。
そして、次に出雲王国を継いだオオナムヂと事代主を殺害して、その王国を乗っ取ったのが日向族。
そして初代・神武天皇から、25代・武烈天皇までが、日向族(天孫族)で、その後26代・継体天皇から現在の平成上皇・令和時代までは別の一族です。
これは、かなりショッキングな内容です。。
だからこそ、天武天皇の勅命により作られ、その後、5代の天皇を経て、藤原不比等により712年に完成した古事記(ふることふみ)には、真実が書けなかった。
改竄するより仕方なかったのです。。
ーー続けましょう。
では、26代継体天皇からの一族、それは誰なのか?
今の天皇家の祖先にあたる人々は、今から1,500年くらい前に日本にやってきたそうです。そう、最近です……
535年ごろ、朝鮮半島で王家が分裂して、日本にやってきていました。恐らく百済でしょう。兄弟喧嘩だそうです。
その一派が、島根県の隠岐島に島流しにされ、その後、密かに今の金沢にある白山の麓に隠れ住んで都を作り始めていました。
↓11:40ごろ〜
ちょうどその頃、535年に星田妙見宮に、隕石が落下したのです。
その衝撃は凄まじく、白山まで伝わりました。
(※白山といえば、白山菊理姫・ハクサンククリヒメを思い浮かべます。その両親は、伊弉諾・イザナギと伊奘冉・イザナミです)
↓石上神宮の近くの白山神社⛩
その頃の朝廷にあたる大和の人々(倭の人々)が治めていた場所は、落下の衝撃で消滅してしまいました。
隕石落下の衝撃は、直径200kmにまで及び、2,500℃もの高温だったと推測されるそうです。(この辺り、さすが理系の彗星観測家です☄️)
そこにあったものは、一瞬で蒸発して消え失せました。
そこで、何が起きたのか確かめにきた人々(朝鮮半島の王族・たぶん百済)が閃きました。
隕石を岩船にして、『先日の岩船に乗って、我々は降りてきた』と宣言し、この地を預かることにしたのです。
とはいえ、もっと古くから住んでいる本家と呼ぶべき一族が出雲にあるので挨拶に行くものの、遠慮、配慮もあって『お借りしよう』となりました。
毎年、京都の葵祭の頃、下鴨神社から上賀茂神社に向かって、身を清め、正装した歴代の天皇が歩いて行く儀式が伝わっています。
これが、『借り受けの儀式』です。
ちなみに上賀茂神社のあたりは⛩、出雲王朝の時代、政(まつりごと)の場でした。
スサノオと稲田姫(八岐大蛇からスサノオが救った姫です)が最初に住み、沼のへりに囲いを作って村を作りました。
上賀茂神社の御祭神は、加茂別雷大神(カモワケイカヅチのオオカミ)ですが、原田常治さんの調査によると、ニギハヤヒのことだそうです。(竹内睦泰さんによると、神道の神様は数あれど、『大神』とつくのは、天照大御神と加茂別雷大神の2柱だけだとか…だから、ここに大きな秘密があって、名前が隠されてると…)
↓竹内睦泰さんが語る賀茂別雷大神の正体とは
スサノオの祖先にあたる一族は、12,000年前ごろから、2,000年かけて北アフリカからシルクロードを歩いて、日本にやってきています。(BC10,000年からBC8,000年まで移動)
50kmごとに集落を作って、慎重に移動して、砂漠を渡りました。そして、船で北海道から陸奥湾に入り、青森の三内丸山を経て東北に入り、出雲地方にやってきたそうです。
↓WEBより借りた三内丸山遺跡の写真です。
当時の人間の身長が、今の1.5〜2倍程度だとしたら、しっくりくる大きさではないでしょうか?
この話は、木内鶴彦氏が、臨死体験によって、過去の情景を、実際に見て記したことですが、平成上皇は、かつて、天皇家の祖先は朝鮮半島にあると言ったとか。
正直、とてつも無い話です。
結論としまして、僕の考えでは、今現在の日本人のルーツは、オロチ族の蒙古斑もあれば、素戔嗚尊の出雲一族もあり、原天皇家の日向族、土蜘蛛と呼ばれたような様々な原日本人もあり、はたまた古代百済の王族のルーツや、蘇我氏や武内宿禰と言った大臣一族、物部氏や大伴氏、中臣氏や忌部氏といった有力氏族、その他諸々の秦氏などの渡来系氏族や東南アジアやインドあたりから移り住んだ人達がさまざまに混ざり合っているのだろうと思われます。
これ以外にも、いろんなエピソードがこれでもか、と載っているので、是非一読することをお勧めしたいです。
あ、ちなみに、大洪水伝説は、15,000年前の話です。
最後の氷河期が終わった頃ですね🦣
身長は、3〜4mもあったとか。
重力の関係です。地球の自重が少なかった訳です。水が少なくて、海が小さいから。
その原因は、やはり彗星の☄️接近で、月と海と重力の絡みも書いてて、とても面白いので、読んでみてくださいね
おわり。
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