2026年6月15日月曜日

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。
以前からずっと気になっていた本が手元に届きました。
出口なおは、近代日本の宗教家の中でもその真正のカリスマ性において私が最も畏敬している人物。
キリスト教神秘主義との関係でも極めて親和性の高い特異な女性教祖です。

「なおに神がかりした神は、最初から力強く偉大だが、周囲の人たちだけでなくなお自身にとっても、その神の神格や素性、またこの世界での役割などがまったくわかっていなかったということは、今日の私たちの神観念とはいちじるしく異なっており、興味深い事実であろう」(p.285)

#今日買った・届いた本を紹介する
#読書好きな人と繋がりたい
#読書垢

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。
以前からずっと気になっていた本が手元に届きました。
出口なおは、近代日本の宗教家の中でもその真正のカリスマ性において私が最も畏敬している人物。
キリスト教神秘主義との関係でも極めて親和性の高い特異な女性教祖です。

「なおに神がかりした神は、最初から力強く偉大だが、周囲の人たちだけでなくなお自身にとっても、その神の神格や素性、またこの世界での役割などがまったくわかっていなかったということは、今日の私たちの神観念とはいちじるしく異なっており、興味深い事実であろう」(p.285)

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ヒミコの暗号 〈歴史ミステリー小説〉 伊勢谷 武 (著)

 


ヒミコの暗号 〈歴史ミステリー小説〉 


https://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7-%25E3%2580%2588%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E3%80%89-%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E8%B0%B7-%E6%AD%A6-ebook/dp/B0FFJ4D3X7/ref=sr_1_1?crid=35VCIVQD7YDBX&dib=eyJ2IjoiMSJ9.JrTyqNhjZ4ZdF3eQfEsjH6mk00yedvZ651FbD_IRdj_GjHj071QN20LucGBJIEps.e8Lq4jPKaBwjTVd_4ZfhsDh4ckZOZ7som2FB-bKdCps&dib_tag=se&keywords=%E3%83%92%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%9A%97%E5%8F%B7&qid=1781574771&s=digital-text&sprefix=%E3%83%92%E3%83%9F%E3%82%B3%E3%81%AE%252Cdigital-text%252C326&sr=1-1


ヒミコの暗号

以下私的メモ。

祈りとククリ、宗教と暴力が対立する。

同主題の『アマテラス・サーガ』と登場神社はあまり被らない。

こちらは世界歴史を睨んだマクロの視野が特色。

邪馬台国阿波説。ものすごい情報量だが、壬申の乱、仏教伝来と遡行する第一部はわかりやすい。チャットベリタスの設定は絶妙。

山本、藤井などは現実の阿波の郷土史家の名前から採用したのだろう。

しかし一般的阿波説は卑弥呼=アマテラス説をとる。

逆にヤマトトトモモソ姫説は畿内説論者にも受け入れられやすいだろう。

鉄の歴史などは九州説論者にもわかりやすいだろう。

宗教と戦争は淡路島の古代製鉄遺跡が二種あるように古代から意図的に分けられていた。

女性の祈りと男性の覚悟。

特にラストからは著者の覚悟を感じ取れる。

邪馬台国への行程はANYA説をとるべきだろうとは思った。

前作『アマテラスの暗号』の日ユ同祖論的趣向は本書と重ねて検証すべきだ。

紙媒体だと上下1000ページ超え。全体を把握するには紙媒体がいい。


以下当時神社関連読書用私的メモ:

上巻

壬申の乱(ベリタス)55(頁数)

大山寺157

法谷寺208

タタリ谷223

若杉山(ネット)339

日峰神社449

埋蔵文化センター581

善入寺島601


下巻

宅宮(えのみや)神社84

生夷(いくい)神社90

鴨神社95

樫原神社235

水主神社293

宅宮(えのみや)神社(宮司)407



追記:

参考文献

笹田孝至『皇都ヤマトは阿波だった』

藤井榮『古代史入門』

特に後者はkindle版があるのでおすすめ。

阿摩和利を英雄にしたのは誰か?|グスクラボ|武部拓磨

阿摩和利を英雄にしたのは誰か?|グスクラボ|武部拓磨

阿摩和利を英雄にしたのは誰か?

見出し画像

阿摩和利(アマワリ)は、15世紀の琉球において勝連グスクを治めた按司として知られる歴史上の人物です。

首里王府に対して反旗を翻したと伝えられており、近世以降の文献では、もっぱら「逆賊」として語られてきました。

しかし近年では、その評価を見直す動きがみられます。阿摩和利は地元の民衆に支持された優れた指導者であり、王府にとっては逆賊であっても、地域社会の視点から見れば、むしろ英雄として評価できるのではないか――。
そのような見解が広く浸透するようになりました。

こうした評価の根拠としてしばしば挙げられるのが、1531〜1623年にかけて王府によって編纂された『おもろさうし』(全22巻)です。
『おもろさうし』には、阿摩和利が首里の国王にも比肩しうるほど立派な人物として詠われたオモロ(歌謡)が採録されています。

画像
『おもろさうし 十五 十六 十七 十八 十九 廿 仲吉本』
伊波普猷文庫
(琉球大学附属図書館所蔵)

この点に着目した『おもろさうし』研究の先駆者・伊波普猷は、
「阿麻和利は沖縄最古の古英雄なり」(「阿麻和利考」1905年)
と評しました。近年みられる阿摩和利の再評価は、こうした伊波の解釈が研究者の間だけでなく、一般社会にも広く共有されるようになった結果といえるでしょう。

しかし、ここで一つの疑問が生じます。

王府はなぜ、反旗を翻し首里城にまで攻め上った阿摩和利を、自ら編纂した歌謡集の中で称賛したのでしょうか?
王府が国家事業として編纂した『おもろさうし』において、討伐したはずの逆賊が賛美されていることは、極めて不可解です。

このことに関して伊波普猷は、
「当時にあっては、これは恐らく危険思想の本と思はれてゐたでらう」
と述べています。(「校訂おもろさうし」1925年)
つまり伊波は、『おもろさうし』には、王府の公式な歴史観とは必ずしも一致しない、反体制的な要素が含まれていた可能性を示唆したのです。

しかし、本当にそうなのでしょうか?
王府の主導で編纂された『おもろさうし』に、王府の歴史認識と矛盾する内容が果たして含まれ得るでしょうか?

むしろ私は、『おもろさうし』が編纂された時代においては、阿摩和利は王府にとって称賛の対象であったと考える方が自然ではないかと考えています。

そして、その論理は極めてシンプルです。

それを説明するためには、まず琉球国の王統について確認しておく必要があります。

琉球には歴史上、次の五つの王統があったとされています。

・舜天王統(1187〜 1259年)
・英祖王統(1260〜1349年)
・察度王統(1350〜1405年)
・第一尚氏王統(1406〜1469年)
・第二尚氏王統(1469〜1879年)

これらの王統が交代する過程で、武力による政権交代が繰り返されたことは言うまでもありません。

ここで注目したいのが、阿摩和利が反乱を起こした当時の王統です。

史料によれば、阿摩和利が首里に攻め上ったのは1458年、第一尚氏第6代・尚泰久王の治世でした。
そして、阿摩和利を讃えるオモロを採録した『おもろさうし』が編纂されたのは、第二尚氏の時代です。

もうお分かりいただけるでしょうか。

阿摩和利が敵として攻めた第一尚氏は、第二尚氏にとってもまた、自らが滅ぼした前王朝でした。
阿摩和利と第二尚氏にとって、第一尚氏は共通の敵だったのです。

こう考えると、『おもろさうし』における阿摩和利賛美も理解しやすくなります。

第二尚氏にとって阿摩和利は、王権に反逆した逆賊ではなく、自らに先立って第一尚氏に挑戦した人物として評価することができました。

阿摩和利を称賛することは、第一尚氏打倒の正当性を補強するとともに、自らの王統の正統性を支えることにもなったのです。

阿摩和利を英雄にしたのは誰か?

もしその問いに一つの答えを与えるとするならば、それは『おもろさうし』を編纂した第二尚氏だったと言えるのではないでしょうか。

もっとも、後の時代になると、阿摩和利は「逆賊」として語られるようになります。
その背景には、近世以降に琉球へ浸透した儒教的価値観があった可能性があります。

なぜ阿摩和利は英雄から逆賊になったのか。

その話は、また別の機会に譲りたいと思います。

2026年6月13日土曜日

人間が服を身にまとう様になったのは何時代からです?{着るものの誕生} - 衣服... - Yahoo!知恵袋

人間が服を身にまとう様になったのは何時代からです?{着るものの誕生} - 衣服... - Yahoo!知恵袋

人間が服を身にまとう様になったのは何時代からです?{着るものの誕生} - 衣服... - Yahoo!知恵袋

衣服の開発は約7万年前にさかのぼることができます。 ヒトが服を開発したのは、寒い地方へ進出した時、裸の状態での体温調整能力では健康的生活を営むためのものとしては不足しており(人類の薄い体毛と体の熱生産力だけでは体温を保てずに凍死しかねない)、かつ服を作れるだけの道具制作能力を有していたからです。 火を起こして暖をとれば良いと思われるかもしれませんが、着ているだけで寒さをしのげる服とは違って、燃やす物がなくなっては消えてしまい、獲物や外敵に自らの居場所を察知されかねないため、常に火を焚いているわけにもいかないので、火の使用には制限がかかります。 また、人類がチンパンジーとの共通祖先から分かれて草原に進出した際に体毛が薄くなったことと、その後寒冷地に適応するような進化する間もないほど急速に分布を広げたこととも深い関係にあります。 ↓の回答で、ヒトはなぜ体毛が薄くなり、さらに服を着るようになったのかについて回答していますので、ここから服を着るようになった理由を抜粋します。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1182383776 現生人類より早くアジアに進出して寒冷な気候に適応した北京原人などは服を着ておらず、体毛は再び濃くなったものと推測されています。 現生人類(ホモ・サピエンス)が出現したのは約20万年前のアフリカであり、それほど寒くならない気候だったので体毛を濃くして寒さから防御しなければならない必要性は高くありませんでした。私たちの直系の祖先は7万年ほど前まではずっと温暖な気候であまり障害物が多くないアフリカの草原で暮らしていたので、寒さから体温を保持したり外傷からの防御のために体毛を濃くする必要も服を開発する必要もあまりなかったわけです。約700万年前にアフリカの草原に進出して毛皮を脱ぎ捨て、それまでずっと裸で暮らしてきた現生人類直系の祖先が、再び裸でなくなる時がやってきます。 約7万年前になると、現生人類(ホモ・サピエンス)の一派(出アフリカ系と呼ばれます)がアフリカを出て欧州や中近東、インドなどに進出して行きます。この進出速度はかつての北京原人などよりははるかに急激なものであり、北京原人のように再び体毛を濃く進化するだけの時間的余裕はなかったようです。インドはともかく、欧州や中近東は寒くなるので保温の必要が出てきて、服を開発したと考えるのが有力です。

 ==========服の起源について引用============= 服の起源は7万年前 シラミの遺伝子で特定(2003年8/19 共同通信発) 【ワシントン18日共同】人類が服を着るようになったのは、約7万年前とみられることが、衣類に付着するシラミの遺伝子を通じた研究で明らかになった。ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所の研究グループが19日付の「カレント・バイオロジー」最新号で発表した。 研究者らは、3種類のシラミのうち、人間の衣類に付く衣(ころも)ジラミに着目。シラミの細胞にあるミトコンドリアからDNAを採取し、他のシラミなどと比べて分析。衣ジラミが生まれた時期を人類がアフリカから欧州に移動し始めた約7万年前と特定した。 人に特有の衣ジラミは体の接触によってうつり、人体を離れると24時間生存できないとされる。 石器などと違い、衣類は長い年月を経て保存されないため、人類がいつ服を着始めたのかは研究者らの謎となっていた。 ==========服の起源について引用終わり


========== 北京原人は数百万年かけて寒冷地適応して体毛を濃くしたと推測されていますが、現生人類はわずか数万年という短さです。こんな短期間では寒冷地適応進化には不十分で、代わりに現生人類は言語を使って社会的に知識や技術を蓄積する術を身に着けていたので、短期間で寒冷地居住に適した衣服を作り出し、急激に分布を広げることが可能だったのです(北京原人では知識や技術の蓄積が非常に限定的だったと考えられます)。

人類はいつから服を着た? モロッコの洞窟での発見が手掛かりに(2/2) - CNN.co.jp

人類はいつから服を着た? モロッコの洞窟での発見が手掛かりに(2/2) - CNN.co.jp

人類はいつから服を着た? モロッコの洞窟での発見が手掛かりに

洞窟への入り口/Contrebandiers Project

衣服の使用がいつ始まったのかについて解明するのは簡単ではない。現生人類(ホモ・サピエンス)が到来するはるか前、寒冷な気候の下で暮らしていたネアンデルタール人などの古人類は、極端な気象から身を守るために衣服を身に着けていた可能性が高い。だが確かな証拠は少ない。

シラミの遺伝子研究では、アタマジラミの祖先からコロモジラミが少なくとも8万3000年前、早ければ17万年前に分岐したことが指摘されている。これはアフリカからの大移動以前に人類が衣服を着ていたことを示唆しているという。

ハレット博士は、イタリアで最近発見された、ゾウの骨から作られた40万年前の骨角器98点の一つが、皮なめしのために用いられた可能性があると指摘。この道具類を用いたのはネアンデルタール人である可能性が高い。穴があいた針が登場するのは考古学の記録上もっと後で、約4万年前となる。

モロッコ北東部フェスで動物の皮を炎天下で乾燥させる様子。今日でも皮を扱う労働者の中には骨の道具を使う人がいる/Emily Yuko Hallett
モロッコ北東部フェスで動物の皮を炎天下で乾燥させる様子。今日でも皮を扱う労働者の中には骨の道具を使う人がいる/Emily Yuko Hallett

モロッコでハレット博士が発見した骨格器はへらのような形をしていて、結合組織を剥がすのに使われていたとみられる。革を扱う現代の労働者でも似たような骨の道具を使う人がいるという。ハレット博士は「こうした道具を使うのは、これなら皮を突き破ることがないからだ。無傷の皮を残すことができる」と語る。

今回の骨角器類は、モロッコの大西洋岸に位置するコントラバンディエル洞窟で発見された。ハレット博士は、12万年前の当地の気候は現在と同じく温暖であることから、初期の衣服が身体の保護のほか、装飾のために使用された可能性があると指摘する。

「過去も現在も、極端な気温や気候条件は存在しないことから、衣服が完全に実用性だけなのか、または象徴的なものであったのか、もしくは両方の要素が少しずつあったのかを考えさせられる」と話した。

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。

安丸良夫『出口なお:女性教祖と救済思想』入手。 以前からずっと気になっていた本が手元に届きました。 出口なおは、近代日本の宗教家の中でもその真正のカリスマ性において私が最も畏敬している人物。 キリスト教神秘主義との関係でも極めて親和性...