2026年2月5日木曜日

【大至急】スサノオの想いを祈って下さい!

戦国最終決戦!徳川軍15万を追いつめた本当の理由!?【大坂夏の陣・天王寺の戦い】世界の戦術戦略戦争を歴史解説~徳川家康VS真田幸村たちの豊臣軍

22:00
参考:
《内府様[徳川家康]も、一時勝利の望みを絶ち、 まさに切腹せんとしてゐた折も折、敵方の油断を利用して勢を挽回し、 形勢を有利に導くことが出来た。秀頼の本隊の長で、軍旗の奉持者である大野修理は、勝利の時あるを信じ、城中に留まってゐた主君に、陣頭に立って戦捷の名誉を収めるか、或は名誉の討死をすべきことを説いた。この部将が主君の出撃を掩護しようとして行った退却が、敗走の観を呈し、全軍の間に恐怖の念を生じた。 運命は一変して、内府様は爾後戦の優者となった。而も共に優勢であつた兩軍間の勝敗の決するまで、一時間足らずで十分であった。》
レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』上
岩波文庫395頁

阿波のカタリベ【阿波に残る神代文字の謎~隠された日本最古の文字~】4K

「バレる」の語源ってなんなの?江戸時代にはエロティックな川柳「破禮句(ばれく)」も存在 | ライフスタイル - Japaaan

「バレる」の語源ってなんなの?江戸時代にはエロティックな川柳「破禮句(ばれく)」も存在 | ライフスタイル - Japaaan

日本語では、清浄なものは濁音をつけないという風潮があります。

たとえば、ものの様子を「さま」と言いますが、情けない様子を言うときは、濁音化して「何たるざまだ」というように「ざま」になります。濁音を付けることで、対象の価値を下げるという考えです。

それに照らし合わせて、「ばれる」も「晴れる」の濁音減価ではないかという説があります。確かに晴れるは「晴れ晴れ」「気が晴れる」など、雲のない空に例えて隠し事のないさっぱりした様子にも使われますね。

https://mag.japaaan.com/archives/175500

「バレる」の語源ってなんなの?江戸時代にはエロティックな川柳「破禮句(ばれく)」も存在

「バレる」の語源ってなんなの?江戸時代にはエロティックな川柳「破禮句(ばれく)」も存在

突然ですが、サスペンスドラマなどを見ていて「バレる」というセリフが登場し、その語源がふと気になりました。

一般的には秘密や隠し事が暴かれるときに使いますが、ヤクザ映画でも殺すことを「ばらすぞ」と言ったりしますよね。

ということで調べてみたら、はっきりとしたことはわからず迷宮にはまりました。

日本語の濁音減価説

辞書では…
秘密や隠し事などが露見する。発覚する。
相談などが、まとまらずに破れる。
③卑猥 (ひわい) な話をする。下品なことを言う。
などと説明されています。

『上方語源辞典』では、下記のように考察しています。

〈現代語で「秘密をあば(暴)く」と言うが、この「あばく」に対し、「あばける」(露わになる)という形が昔はあったのではないか。その「あばける」の変異形として「あばれる」があり、それを略したのが「ばれる」となった〉
とありますが、これだと②③の意味が通りませんね。

日本語では、清浄なものは濁音をつけないという風潮があります。

たとえば、ものの様子を「さま」と言いますが、情けない様子を言うときは、濁音化して「何たるざまだ」というように「ざま」になります。濁音を付けることで、対象の価値を下げるという考えです。

それに照らし合わせて、「ばれる」も「晴れる」の濁音減価ではないかという説があります。確かに晴れるは「晴れ晴れ」「気が晴れる」など、雲のない空に例えて隠し事のないさっぱりした様子にも使われますね。

とはいえ、決定的な説は未だないようです。

2ページ目 エロちっくな川柳「バレ句」

自慢できるコトバの語源

エロちっくな川柳「バレ句」


では③の意味である「卑猥な言葉」とは? 

現代ではこの用法であまり使うことはないと思いますが、調べてみると江戸時代に大流行した川柳で、特に卑猥な川柳のことを「バレ句(破禮句)」と呼ぶということを知りました!

破禮句にも破れるという漢字が使われていますね。

川柳とはすなわち季語のない俳句のことですが、季語の代わりに笑いを主題としています。破禮句を集めた『誹風末摘花』(1776年)や『柳の葉末』から、ちょっとご紹介しましょう。

「入込はぬきみはまぐりごったなり」
(入込は混浴のこと。女性器に抜いたりさしたりしている人でごった返している)

「せんずりをかけと内儀は湯屋で鳴り」
(自慰行為してなさいと湯屋で既婚女性が男性をあしらうさま?)

「ざくろ口蛇の頭が並ぶよう」
(ざくろ口の外から中をのぞくと、男性のものがまるで蛇の頭が並んでいるように見える)

「いまゐくとまろびいでたりやぐのそと」(いまいく、と夜具の外にころげでる)

「あなうまし小壺へ鈴のあたる時」(女性器に亀頭があたるさま?)

江戸時代といえば混浴だった湯屋での出来事を詠んだ川柳が多いようです。

意味が隠されておらず直接的な表現という点でも、その様子が「バレる」川柳ばかりで、読むほうが恥ずかしくなっちゃいますね。

といことで、「バレる」はなかなか奥深い言葉なのでした。

参考:考える人ブリタニカ国際大百科事典

「ばれる」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | 連載 | 考える人 | 新潮社

「ばれる」 | 分け入っても分け入っても日本語 | 飯間浩明 | 連載 | 考える人 | 新潮社

「ワ」「バ」が交替することは、音声学的にはありえます。例えば、沖縄の八重山方言では、「若者」を「バガムヌ」、「笑う」を「バラウン」のように、共通語のワ行音をバ行音で発音します。これは、古い日本語の発音を保つものと言われます。
 小松英雄さんは、「のける」を「どける」と言う例などを「ナ行の濁音」の例とし、「ばれる」を「割れる」から作られた「ワ行の濁音」の例とします(『日本語の世界7』)。「割れる」が濁音減価現象で「ばれる」になったと説明できそうに思われます。
 ところが、「割れる」説には決定的に不利な事実があります。「割れる」と「ばれる」は歴史的にアクセントが違います。また、「ばれる」に対して「ばらす」と言いますが、「割れる」に対して「割らす」とは言いません。これらの点の説明が困難です。
 そうすると、「晴れる」説のほうが有利になってきます。「晴れる」のアクセントは「ばれる」と同じです。しかも「晴らす」の形もあります。音声的・文法的には不都合がありません。意味的に隔たるという問題が残りますが、現在のところ、「ばれる」の語源は「晴れる」と考えるのが最も妥当のようです。
https://kangaeruhito.jp/article/3598

「ばれる」

 明治時代の後期が舞台のドラマで、腰が痛い様子を見せる母親に対し、息子が言います。「もういとうないんやろ、おかあちゃん。ばれてるで」。
 この「ばれる」は明治時代にありえたのか、という質問を受けました。もちろん、ありました。「ばれる」は江戸時代に現れ、今も使われていることばです。「バレバレだ」とか「親バレ」(親にばれること)とか、新しい複合語も生まれています。そのため、昔のことばではないように感じられるのかもしれません。
 この「ばれる」の語源については、前田勇『上方語源辞典』に説明があります。簡単な短文の説明ですが、私なりに解説を加えると、以下のようになります。
 現代語で「秘密をあば(暴)く」と言います。この「あばく」に対し、「あばける」(露わになる)という形が昔はあったと、前田はまず推測します。その「あばける」の変異形として「あばれる」があり、それを略したのが「ばれる」だ、というのです。
 この説は、「露わになる」という意味の「あばける」「あばれる」ということばが、実際には確認できないという点で不満が残ります。「乱暴に振る舞う」という意味の「あばれる」は別語です。実例はなくても、理論的にありうることばが語源、というケースは、もちろんあります。ただ、そう結論する前に、文献上で確認できることばが別に存在しないか、確かめてみることが必要です。
 話を先に進める前に、ここで「ばれる」の意味を整理しておきます。「ばれる」には複数の意味があり、そのすべてが同一の語源から来たわけではありません。
『日本国語大辞典』(日国にっこく)第2版で「ばれる」を引いてみましょう。そこには明らかに異質な意味が混じっています。
 5番目に〈雨などが降る〉という意味があります。これは、「晴れ」の反対の雨天を、江戸時代にふざけて「水晴すいばれ」(水が降る晴れ)と言い、その略の「ばれ」を動詞化して「ばれる」と言ったのです。「露わになる」という意味とは関係がありません。
 また、『日国』の1番目・2番目には〈破れてまとまらなくなる〉〈しくじる。失敗する〉という意味が並んでいます。さらに後ろのほうを見ると、〈芝居などが終演となる〉〈人形浄瑠璃社会で、死ぬことをいう隠語〉などもあります。
 これらは、大ざっぱに「ものごとがだめになる、終わる」という意味とまとめることができます。現在でも、演劇のことばで「今日はこれでばれます」(演技を終えて帰ります)と言います。同じ語源から来ているのでしょう。これら一連の「ばれる」も、やはり「露わになる」の意味とは関係がありません。
 この「ものごとがだめになる、終わる」という場合の「ばれる」は、「ばらばらにする」という意味の他動詞「ばらす」の自動詞形と考えられます。ものごとをばらばらにすれば、だめになったり、終わったりします。人をばらばらにすれば死にます。「ばらして埋めてやるぞ」という「ばらす」ですね。その自動詞形が「ばれる」です。
 さて、私たちにおなじみの意味の「ばれる」は、『日国』の3番目に載っています。〈秘密・悪事・陰謀などが発覚する〉。この意味の「ばれる」は、これまで見た「ばれる」とは語源が違います。何なら、別の項目として分けてもいいところです。
 この「露わになる」の意味の「ばれる」は、「濁音減価」という現象によって説明されることがあります。「濁音減価」とは聞き慣れない用語ですが、身近にあります。
 たとえば、「たま(玉)」に対し、小麦粉を水に溶いてかき混ぜたときにできる丸いかたまりを「だま」と言いますね。「だま」は嫌なものであるため、「たま」を「だま」と濁音化して価値を下げる(減価する)のです。
 あるいは、ものの様子を「さま」と言いますが、情けない様子を言うときは、濁音化して「ざま」と言います。「何たるざまだ」のように。これも濁音減価の例です。
 小野正弘さんは、「ばれる」も「晴れる」の濁音減価の例と捉えます。〈裏でやっていた悪事が明るみにでること〉だから、いい意味ではなく、濁音化するというのです(『オノマトペがあるから日本語は楽しい』)。
 たしかに、「たま→だま」「さま→ざま」「はれる→ばれる」と考えると、統一的に説明ができます。ただ、ここで問題になるのは、露わになる意味の「ばれる」と、晴天になる意味の「晴れる」は、意味的に隔たるということです。空が晴れれば太陽が「露わ」になるので、秘密が露わになることと結びつくとも言えます。でも、空が晴れる感じと、秘密がばれる感じの間には、「たま」と「だま」以上の距離が感じられます。
 ほかの可能性も考慮してみましょう。刑事ドラマで「メン(面)が割れた」と言います。この「割れる」は「明らかになる」という意味で、江戸時代から例があります。「われる→ばれる」と変化したとは考えられないでしょうか。
「ワ」「バ」が交替することは、音声学的にはありえます。例えば、沖縄の八重山方言では、「若者」を「バガムヌ」、「笑う」を「バラウン」のように、共通語のワ行音をバ行音で発音します。これは、古い日本語の発音を保つものと言われます。
 小松英雄さんは、「のける」を「どける」と言う例などを「ナ行の濁音」の例とし、「ばれる」を「割れる」から作られた「ワ行の濁音」の例とします(『日本語の世界7』)。「割れる」が濁音減価現象で「ばれる」になったと説明できそうに思われます。
 ところが、「割れる」説には決定的に不利な事実があります。「割れる」と「ばれる」は歴史的にアクセントが違います。また、「ばれる」に対して「ばらす」と言いますが、「割れる」に対して「割らす」とは言いません。これらの点の説明が困難です。
 そうすると、「晴れる」説のほうが有利になってきます。「晴れる」のアクセントは「ばれる」と同じです。しかも「晴らす」の形もあります。音声的・文法的には不都合がありません。意味的に隔たるという問題が残りますが、現在のところ、「ばれる」の語源は「晴れる」と考えるのが最も妥当のようです。

飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

古事記~猿女の君 原文対訳 - 古典の改め


https://classicstudies.jimdofree.com/古事記/上巻-第五部/猿女の君/
原文書き下し
(武田祐吉)現代語訳
(武田祐吉)故爾詔
天宇受賣命。 かれここに
天の宇受賣の命に
詔りたまはく、 

ここに
アメノウズメの命に
仰せられるには、此立御前所
仕奉。「この御前に立ちて
仕へまつれる「この御前に立つて
お仕え申し上げた猿田毘古大神者。猿田さるた毘古の大神は、サルタ彦の大神を、

專所顯申之汝。
送奉。もはら顯し申せる汝
いまし送りまつれ。

顯し申し上げたあなたが
お送り申せ。亦其神御名者。またその神の御名は、またその神のお名前は

汝負仕奉。汝いまし負ひて仕へまつれ」
とのりたまひき。

あなたが受けてお仕え申せ」
と仰せられました。   是以
猿女君等。ここを以ちて
猿女さるめの君等、この故に
猿女さるめの君等は負其
猿田毘古之
男神名而。その猿田毘古の
男神の名を
負ひて、そのサルタ彦の
男神の名を
繼いで女呼
猿女君之事
是也。女をみなを
猿女の君と
呼ぶ事これなり。女を
猿女の君
というのです。   故其
猿田毘古神。かれ
その猿田毘古の神、そのサルタ彦の神は坐阿邪訶
〈此三字
以音地名〉時。阿耶訶
あざかに
坐しし時に、アザカに
おいでになつた時に、爲漁而。漁すなどりして、漁すなどりをして於比良夫貝。
〈自比至夫以音〉比良夫ひらぶ貝にヒラブ貝に其手見咋合而。その手を咋ひ合はさえて手を咋くい合わされて沈溺海鹽。海水うしほに溺れたまひき。海水に溺れました。   故其沈居
底之時名。かれその底に
沈み居たまふ時の名を、その海底に
沈んでおられる時の名を謂底度久御魂。
〈度久
二字以音〉底そこどく御魂みたまといひ、底につく御魂みたまと申し、其海水之
都夫多都時名。その海水の
つぶたつ時の名を、海水に
つぶつぶと泡が立つ時の名を謂
都夫多都
御魂。
〈自都下四字以音〉つぶ立つ
御魂みたまといひ、粒立つぶたつ
御魂と申し、其阿和佐久時名。その沫あわ咲く時の名を、水面に出て泡が開く時の名を謂阿和佐久御魂。
〈自阿至久以音〉あわ咲く御魂みたまといふ。泡咲あわさく御魂と申します。

猿田毘古神 – 國學院大學 古典文化学事業

猿田毘古神 – 國學院大學 古典文化学事業

 また、猿田毘古神が阿耶訶(あざか)にいた時、漁をしていて、比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれてしまい、海に沈み溺れた。その際、底に沈んでいた時の名を底度久御魂といい、海水が粒立った時の名を都夫多都御魂といい、泡の弾けた時の名を阿和佐久御魂という。
https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/sarutabikonokami/

猿田毘古神

読み
さるたびこのかみ
ローマ字表記
Sarutabikonokami
別名
猿田毘古大神
猿田毘古之男神
底度久御魂
都夫多都御魂
阿和佐久御魂
登場箇所
上・天孫降臨
上・猿女の君
他の文献の登場箇所
紀 衢神(九段一書一)/猨田彦大神(九段一書一)/猨田彦神(九段一書一)
拾 猨田彦大神(天孫の降臨)
伊賀風 猿田彦神(逸文▲)
旧 衢神(皇孫本紀)/猨田彦大神(皇孫本紀)/猨田彦神(皇孫本紀)
梗概
 天孫降臨の先導をした神。天つ神たちによる葦原中国の平定が済み、天孫の邇々芸命が天降りしようとした際、天の八衢に、上は高天原を、下は葦原中国を照らす神がいた。そこで、天照大御神と高木神の命で天宇受売命が遣わされ、天降りの道に立ちはだかるのは誰かと問うたところ、その神は、国つ神の猿田毘古神と名乗り、天孫の降臨を聞きつけ、御前に仕える為に参上したのだと打ち明けた。
 その後、天宇受売命は、猿田毘古神の正体を明らかにした故を以て、その神の送り出しを命じられ、さらに、その名前を貰い受けて奉仕することを命じられた。天宇受売命の子孫の猿女君(さるめのきみ)らが、猿田毘古之男神の名前を負って、その女を猿女君と呼ぶのは、ここに由来するのだという。
 また、猿田毘古神が阿耶訶(あざか)にいた時、漁をしていて、比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれてしまい、海に沈み溺れた。その際、底に沈んでいた時の名を底度久御魂といい、海水が粒立った時の名を都夫多都御魂といい、泡の弾けた時の名を阿和佐久御魂という。
諸説
 神名表記の「猿」の字は「猨」と書くこともあるが、異体字で、読みや意味は同じである。「毘古」は「彦」で男子の意であるが、「猿田」の意味は諸説あって定かでない。読みもサルタ・サルダの両説ある。猿女君という氏族名との結びつきが考えられるが、「猿田」をサルダと読んで、サルド(=戯人)の転と解し、サルメ(=戯女)と並んで、戯(さ)れた振る舞いをする人、すなわち舞踏などをする俳優の意と取る説がある。サをサヲトメ、サナヘなどのサと同義ととり神稲の田の意と取る説や、『日本書紀』(九段一書一)でこの神が向かった地名「狭長田(さながた/さなだ)」に関係する名前と取る説もある。ただし、サルダという読み方については、上代には濁音に後続する語は連濁しないのが一般的だとする見解から、濁音のビを表す「毘」の前の「田」を濁音と取るのは不可とする指摘もある。また、「猿」を文字通りの動物と捉え、猿が土地の精霊や豊作の神と捉えられてきたことから、そのような猿が出没する神聖な田に出で立つ地主神とみる説や、「鹿猪田(ししだ)」(万12・3000)「雌雉田(きぎした)」(安閑紀元年七月)などを参考に、猿によって守られている良い田の神格化である田の神とする説もある。この他、地名の「猿投(さなげ)」や「猿島(さしま)」に倣って「猿田」をサタと読み、出雲の佐太大神と同一視する説もあるが、氏族名の「猿女」をサメとは読まないことや、出雲との関係が見出しがたいことなどの整合性の問題が指摘されている。なお、邇々芸命が天宇受売命に語った言葉の中には「大神」という称号を持った「猿田毘古大神」という呼び方も見られるが、天孫を先導した事績を讃えた呼称とする説がある。
 『日本書紀』には、この神の容姿が詳しく記され、鼻が長く、背が高く、口・尻が輝いており、眼は大きな鏡のように輝き赤いほおずき(赤酸醬)に似る、とされる。この面貌は、天狗とも関連付けて考えられ、また、高鼻の伎楽面が原型になっているとする説もある。口・尻や眼の描写は猿の特徴に酷似するとも指摘され、この神の原像が神事にまつわる猿にあるとする説もある。山岳地帯に住む部族に対する印象を誇張的に反映した表現と捉える説もある。
 この神の性格については、天孫降臨の際、天之八衢に立ちはだかり、『日本書紀』で「衢神(ちまたのかみ)」とも呼ばれているとおり、境界を守護する境界神・防塞神という面がうかがわれる。その赤酸醬のような眼は、相手を威圧する力を持つ邪眼の類と捉えられ、侵入者をにらみつけ阻止する境界神としての職能を表しているとも考えられている。一方、境界神としての性格よりも、先導する神という性格を重視する見解もある。天孫降臨に際して行く手に猿田毘古神が現れ出迎える話は、名告りという行為や「参向」といった表現から、猿田毘古神が天孫に服属したことを示す意味を持った神話であると考察されている。また、そのことは、この神を奉斎する集団が王権に服属し、その本拠地の東伊勢(後の伊勢神宮の鎮座地)を貢上したことを意味しているとする説もある。動物の猿を太陽神の使いとする信仰に基づき、猿が太陽を喜び迎えるという考えが、天孫を出迎えた神話の元になっていると捉える説もある。
 記紀は、猿女君の祖神の天宇受売命が邇々芸命の命によって猿田毘古神を送り届け、またその名前を貰い受けてこの神に奉仕したことを、猿女君という氏族名の由来と伝えている。猿女君は、鎮魂祭で歌舞を演じ、大嘗祭で前行(先払い)を奉仕する、猿女を出した氏族である。一方、猿田毘古神の後裔とされる氏族には宇治土公がいる。そのため、記紀の猿田毘古神の神話の解釈には、猿女君が猿田毘古神を祭ることになった由来を語った祭祀伝承とする見方と、猿田毘古神を祭った集団ないしは宇治土公が朝廷への服属を語った服属伝承とする見方がある。ただし、宇治土公の祖を猿田毘古神とする文献上の初見は鎌倉時代に降り、記紀には宇治土公の名が見られないことが問題になる。
 また、この神は伊勢に縁が深い。『古事記』でこの神が溺れた「阿耶訶」も伊勢の地名である。また、天宇受売命が猿田毘古神を送り届けた場所がどこかは、『古事記』では明示されていないが、『日本書紀』では、猿田毘古神が「伊勢の狭長田の五十鈴の川上」に向かうことを表明し、天宇受売命がそれに従っている。『古語拾遺』には、伊勢神宮が垂仁天皇の治世に初めて五十鈴の川上に鎮座したことを述べた中で、神代に「衢神」(猿田毘古神)が先にこの地に降っていたことをその由緒だと語っているが、これは、猿田毘古神を伊勢神宮鎮座の土地の予言者・開拓者とする認識を示すものと考えられている。阿耶訶を含め、伊勢の地に関わりを持つことは明らかで、元来は伊勢の土着の神、あるいは伊勢の漁民の信仰した神とも考えられている。
 伊勢神宮内宮に仕える宇治土公は、猿田毘古神の後裔とされる氏族である。平安時代初期編纂の『皇太神宮儀式帳』に見える伊勢神宮の起源譚に、宇治土公らの祖の太田命が、天照大御神を祭る宮にふさわしい場所として倭姫命に五十鈴川の川上の地を案内し、そこを宮地に定めたとあり、鎌倉時代編纂の『倭姫命世記』では、この太田命を猿田毘古神の後裔としている。ここから、記紀神話に猿田毘古神が登場する理由を宇治土公と王権とのつながりに求め、猿田毘古神の神話の実質を、太田命が土地を献上した伝承が神話に反映されて成立した伊勢神宮起源譚と捉える説もある。
 また、猿田毘古神が阿耶訶で溺れたという話も、伊勢の漁民である磯部を掌った宇治土公の服属儀礼を語った神話と捉える説がある。阿耶訶は伊勢国壱志郡の地名で(現・三重県松阪市小阿坂、大阿坂)、この地に「阿射加神社三座」が鎮座することが『延喜式』神名帳に記されている。
 阿耶訶での海溺れの神話については、「底度久御魂」の項も参照されたい。
参考文献
次田潤『古事記新講』(明治書院、1956年7月、初版1924年11月)
西郷信綱『古事記注釈 第四巻(ちくま学芸文庫)』(筑摩書房、2005年10月、初出1976年4月)
倉野憲司『古事記全註釈 第四巻 上巻篇(下)』(三省堂、1977年2月)
『古事記(新潮日本古典集成)』(西宮一民校注、新潮社、1979年6月)
松村武雄『日本神話の研究 第三巻』(培風館、1955年11月)第15章
守屋俊彦「島の速贄」(『記紀神話論考』雄山閣、1973年5月、初出1960年5月)
松前健「自然神話論」(『松前健著作集』第11巻、おうふう、1998年8月、初出1960年8月)
金子武雄「天孫の降臨」(『古事記神話の構成』南雲堂桜楓社、1963年10月)
井手至「記・紀神話における猿田彦神」(『遊文録 説話民俗篇』和泉書院、2004年5月、初出1968年3月)
柴田実「猿田彦考」(『日本書紀研究 第八冊』塙書房、1975年1月)
岡田米夫「猿田彦大神とその海神的性格」(『神道教学論攷(神道宗教 第75~79号)』神道宗教学会、1975年3月)
『式内社調査報告書 第七巻 東海道2』(式内社研究会編、皇学館大学出版部、1977年3月)
田中日佐夫「日本神話と猿女氏」(『講座日本の神話8 日本神話と氏族』有精堂、1977年4月)
西川順土「古事記の大神」(『古事記年報』20号、1978年1月)
三谷栄一「古事記の成立と稗田阿礼」(『古事記成立の研究―後宮と神祇官の文学―』有精堂、1980年7月)
阿部寛子「猨田毗古祭祀とその神話―伊勢のアザカの伝承から―」(『古代文学』24号、1985年3月)
勝俣隆「猿田毘古神の解釈について 」(『古事記年報』28号、1986年1月)
倉塚曄子「伊勢神宮の由来」(『古代の女―神話と権力の淵から―』平凡社、1986年6月)
猿田正祝「猨田毘古神話の構造―服属の二重性をめぐって―」(『國學院大學大学院文学研究科論集』14号、1987年3月)
猿田正祝「『古事記』における猿田毘古神の位相」(『古事記の神々 上 古事記研究大系5-Ⅰ』高科書店、1998年6月)
『猿田彦神社誌』(猿田彦神社社務所編、猿田彦神社御造営奉賛会、1998年10月)
西宮一民「古典に基づく「猿田彦神」論」(『猿田彦神社誌』猿田彦神社社務所編、猿田彦神社御造営奉賛会、1998年10月)
茂木貞純「猿田彦大神の信仰と民俗」(『猿田彦神社誌』猿田彦神社社務所編、猿田彦神社御造営奉賛会、1998年10月)
吉田敦彦「ヌボコによる海の攪拌の意味と、サルタビコが海で溺れたわけ」(『東アジアの古代文化』98号、1999年2月)
田中智樹「猨田毘古神と天宇受売命の物語」(『中京大学 上代文学論究』13号、2005年3月)
藤澤友祥「猿女の君―『古事記』文脈での位置づけ―」(『古事記年報』52、2009年1月)
『古典基礎語辞典』(大野晋編、角川学芸出版、2011年10月)
多田元「サルタヒコ 天狗となった神はなぜ溺れ死んだのか」(『古事記 日本書紀に出てくる謎の神々』新人物往来社、2012年7月、初出2011年11月)
張麗山「境界神としてのサルタヒコ」(『東アジア文化交渉研究』5号、2012年2月)
吉田修作「古代王権と芸能伝承―「わざをき」「あそび」「舞」―」(『古代王権と恋愛』おうふう、2018年4月)
吉田修作「天石屋戸と天孫降臨―アメノウズメとサルタビコ―」(『文学・語学』224号、2019年5月)

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