楚辞
九歌 「九歌」は11篇の祭祀歌の総称です。これは
屈原の作であるかどうかも不明です。さらにその詞句の寓意の内容も明確にし難く、 はたして寓意があるかどうかも疑わしいとされています。この歌は寓意や風刺の意はないという説がもっとも有力であるとされています。
東皇太一 天帝を祭ることから、神に対する崇敬の情を表現しています。 今日のよき日、時刻もよい。ここにつつしんで上天の神を慰め奉ろう。
使え祀る巫が長剣の玉の柄頭を握れば、チリリンと帯玉が鳴る。
美しい玉の席に、白玉の重石を置いてある。玉のように美しい香りのよい花を合わせ取り持って献げ、
草の香気高い肉を進めて蘭をその下に敷き、肉桂の酒、山椒の漿を供える。
そこで枹を振り上げて鼓を打ち、拍子を緩やかにしてのどかに歌い、
竽を吹き瑟を弾いて高らかに唱うと、
しなやかに舞う巫女は美しく装い、芳しい香りは立ち込めて広間に満ちる。
五音入り混じって合奏すれば、神は悦ばしげにして安んじ楽しみ給う。
雲中君 祭るものが慕い悲しむ心情を述べて、雲中君に対する崇拝の意を表しています。 蘭の湯を浴び、香水に髪を洗い、色彩麗しい衣は花のようである。
このように清潔に美しく装って神につかえ祀れば、神霊はゆらゆらと降り留まり、神光は輝かしく照らして極まり尽きることがない。
雲の神は、ああ、祭殿に安らごうとして、日月と光をひとしくして輝き合う。
竜に車をひかせ、天帝の服を着けて、神はしばらく天駆けさまよい給う。
神は煌やいて、すでにここに降り給うたけれども、たちまちに遠く雲中に挙がっていかれた。
天空を行く雲の神は、中国の冀州を覧るだけでなく、中国の外の土地をも見回る余力がある。九州の外にある四海に充ち広がって、どうして窮まり果てることがあろう。
人々はあの雲の神を思い慕って溜息をつき、心は疲れ果てて痛みうずくのである。
湘君 次の「湘夫人」と対称的な構成になっており、湘君が湘夫人を待って歌っているものです。 かの君はまだ行かずにためらっている。ああ、川の中洲に留まっているのは誰だろう。
美しくみやびやかに、よそおいも整い、ゆらりと私は桂の舟に乗る。
湘水の神なれば、私は沅水と湘水に波も立てさせず、大川の水を安らかに流れさせ、
かの君、湘夫人を望み見るけれども、まだ来られない。参差の笛を吹いていて、私は誰を思うのであろう。ただかの君のことばかりである。
空飛ぶ竜に舟を挽かせて私は北に行き、廻って洞庭湖へと道を取る。
薜茘の香草で作った簾、草の垂れ幕。香ばしい蓀の草を束ねた橈、蘭草で作った旗。
私は涔陽のはるかな浦辺を眺めつつ、大川に充ち満ちて盛んにわが神霊の気を揚げる。
霊気を揚げてまだ終わらぬのに、私の侍女は思い悩んで私の為に同情して溜息をついた。
私はかの君の来ないのを悲しんで、せきあえぬ涙がはらはらと流れ、君を思い痛んで、胸はもだえるのである。
桂の櫂に木蘭の、舟を漕いで氷を砕き、雪を分けて左右に積みながら進むけれども、
薜茘を水中に采り、蓮の花を木の梢に摘み取るのにも似て、かの君に会うことは、かなわぬ願いであろう。
二人の心が会わねば、媒も無駄な骨折りであり、恩愛の情が深くなければ、仲は絶えやすいものである。
石の多い早瀬はさらさらと鳴り、私の舟をひく飛竜はひらひらと身をひるがえして軽快に進むけれども、
二人の交わりにまごころがなくて、怨みは長く、かの君は約束の日をまことに守らずして、暇がないと私に告げる。
そこで私は朝には大川の岸を思う存分に駆け回り、夕暮には北の渚に舟足を止めて休息すると、
鳥はその祭殿の屋上にやどり、水はその広間の下をめぐって流れている。
私の玦のさげ玉を大川の中に投げ入れ、私の佩び物を澧浦の中に落とし込んで、
芳しい草の茂る中洲の杜若を摘み取り、下にいる乙女の君に贈ろうと思う。
君と会う時はまたと得られないのだから、しばらくここにあてもなくさまよい、ゆっくりと君と遊ぼう。
湘夫人 湘夫人が湘君を慕う気持ちを歌ったもので、湘君に贈り物をして、しばしの会合を、心安らかに楽しもうと唱って終わります。 天帝の御子湘君は、北の渚に降りたもう。はるかに眺めていると、私を悲しませるのである。
そよそよと吹き続ける秋の風の中に立っていると、洞庭の広い湖面に波が立って岸の木の葉がしきりに散っている。
白薠に踏み乗り、目の届く限り眺めて、かの君との楽しい逢瀬のために支度をする。
しかし鳥はなぜあの水草にあつまり、魚の網がどうして木の上にかけてあるのか。
沅水のほとりには茝があり、澧水の付近には蘭草がある。慕わしい公子を思い求めていながら口にはまだ言うこともしない。
心もうつろに遠くを眺め、さらさらと流れる水を観ていると、
森の大鹿はなぜか庭に出て来て草を食み、水中深く住む蛟の竜が水辺で何をしているだろう。
私はそこで、朝にはわが馬を大川の岸に走らせ、夕方には西の水際に渡った。
あこがれの佳い人が、私を召されると聞き、もろともに車に乗っていこうと思う。
会合の室を水中に築き、蓮の葉で屋根を葺き蓋い、
蓀の香り高い壁、紫貝の壇。かんばしい山椒を播いて、広間を立派に整えた。
桂の棟木、木欄の垂木。辛夷の木の梁桁、葯の香る部屋。
薜茘を編んで垂れ幕とし、草を裂いて幔としてもう張ってある。
白玉を重石とし、石蘭を播き散らして香りをよくし、
芷を蓮の葉の屋根に挿し、そのまわりに杜衡を葺く。
さまざまの草を集めて庭に満たし、芳しい花を積んで門の上を蔽う。
やがて九疑山の神々が盛んにむらがり並んで迎えると、湘君の神霊は衆神を随えて雲のように降ってこられる。
私の袷肌着を江中に投げ、私のひとえを澧浦の水に落とし込み、
川の中洲の杜若を取って、遠く離れているあの人に贈ろう。
君と会うのによい時は、しばしば得られないから、しばらくここに目的もなく歩き回り、ゆっくりと遊ぼうと思う。
大司命 大司命と少司命とは、2つの星で、いずれも寿命と運命とを司る神であると信じられていました。「大司命」は男神大司命が女神少司命を求める歌であり、 そのなかで司命神としての神格を叙べている。 天の門を広く開いて、私は乱れる黒雲に乗り、
つむじ風を先駆させ、暴雨を塵土にそそがせて進んでいく。
かの君は飛び回りながら下っていかれるので、私は空桑山を越えて、あなたを追っていこう。
この入り乱れて群がる九州の万物の、長生きや若死にの責任が何故私の身に在るのであろうか。
私は高く飛び、のどかに翔り、清しい風に乗り、陰陽二気の変化にのって動くのである。
私はあなたと速やかに、天帝を案内して九坑の山に行こう。
私の神衣は長くたなびき、白玉の佩びものは美しくきらめく。
あるときは陰、あるときは陽と、世の万象が変化するのは、私の所為だとは衆人は知らないのだ。
私は麻の白玉のような華を折って、遠く離れているあなたに贈ろうと思う。
老年がだんだんときて、もはやそれも極まろうとしているのに、あなたに近づくどころかいよいよ遠ざかってしまう。
そこで竜車に乗って車輪の音をとどろかせ、高く馳せて天に昇り、
桂の枝を結んで、わが心中を伝えようとしばらく立ち尽くしていたが、ああ思えば思うだけ自分を悲しませるのである。
この悲しさを何としよう。せめてどうか今の破局に至らないままでいたいものである。
もとより人の運命には当然なさだめがある。別れも会うも誰が意のままにできようぞ。
少司命 少司命がひとり歌っているうたですが、終止大司命の神格を顕彰しています。 秋蘭と麋蕉とが、堂の下につらなり生えて、
緑の葉に白い枝が美しく、香気は立ちこめて私にふりそそぐ。
人々にはもとよりよい配偶の人があるものを、あなたはなぜ愁い苦しんでおられるのですか。
秋蘭は青々として、緑の葉に紫の茎が誠に美しいが、
広間に満ちた美しい人々、その中で、忽ちひとり私とだけ目配せして意を通じた大司命の神は、
堂に入るにも物を言わず、出て行くにも言葉をかけ給わず、旋風に乗り、雲の旗を立てて去っていかれる。
世に悲しいのは、生き別れより悲しいものはなく、楽しいのは、新たに心から知り合うことより楽しいものはない。
私は荷の葉の衣に、草の帯をしめ、たちまち来てはたちまち去り、
夕暮に天帝の城外に宿ると、あなたは雲の果てに誰を待っておられるのであろう。
あなたと九河で遊べば、風がおこって水波をおこし、
咸池にあなたと髪を洗い、日の照る山の端で、髪を乾かそうと、
慕わしい立派なあなたを待ち望んでいても、まだ来られないので、私はただ風に向かって心もうつろに大事で歌うのである。
孔雀の羽の車蓋と翠の毛の旗、天高く登って彗星を手にとり、世の罪悪不浄を掃き除き、
長剣を握って、片手に幼弱の者を抱き護り給う。大司命の神こそ、ただひとり人を裁き治めるに宜しい神であると。
東君 東君は太陽の神であり、「東君」は太陽の神を祭る歌であり、太陽神の自述の歌辞とされます。 赤々と朝日は東方に出ようとして、扶桑のもとにあるわが宮殿の欄干を照らす。
私の馬をおさえて静かに駆けると、夜は白々とはや明けてきた。
竜に車を挽かせ、雷雲に乗り、雲の旗を立てて、ゆらゆらとたなびいている。
長歎息して、いよいよ天に上ろうとするが、心は去り難くて顧み懐う。
ああ歌声や色美しい巫女の私をなぐさめることよ。観る者は皆心安らかに帰るを忘れる。
張り詰めた瑟と打ち交わす鼓の音、玉で飾った台にかけた鐘を撃つ。
鳴りひびくチの笛と吹き鳴らす竽の調。神巫女の徳すぐれてみめうるわしいのを思うのである。
巫女たちは飛びめぐり、翠のように挙がり、詩を展べ、集まり舞う。
音律に応じて調子を合わせているうちに、もろもろの神々のみたまが日を蔽うようにして天下る。
私は青雲の上衣に、白霓のはかまをつけ、長い矢を取り上げて、天狼星を射る。
そして自分の弓を持って立ちかえり降って、北斗の星の柄杓を取り、肉桂の薫るこんずを酌む。
やがてわが手綱を持って高く馳せかけって、はるかに暗黒の中を私は東へと行くのである。
河伯 黄河の神を祭る歌です。河伯と情交のある女性の独白的な歌です。河伯と人間との神婚説話があって、それがこの歌の背景にあります。 あなたと九河に遊べば、暴風が起こって波が一面に立ち騒ぐ。
私は水の車に乗って、蓮の葉を車蓋とし、二頭の竜を車につけ、みずちを驂とし、
崑崙山に登って四方を見渡せば、心は飛び上がって、はてしなく拡がっていく。
やがて日は暮れようとするのに、心は悦び帰ることを忘れ、ただ遥かに続く大川の浦辺を恋しく思う。
そこには魚の鱗で葺いた屋根や竜の鱗の広間があり、紫貝で飾った城闕や珠玉の宮殿がある。
神霊はなぜ水中におられるのだろう。白い亀に乗り、あやの紋ある魚を追って、
あなたと黄河の中洲に遊べば、流れる水はむらがり下がってこようとしている。
あなたと手を携えて東に行き、このよい人を南の浦辺に送れば、
彼は滔滔として迎えに来て、魚は相連なって私を送るのである。
山鬼 山中の女神を祭る歌です。鬼は正しい神ではなく、怪物の類であるといいます。 ここに山に住む人がある。私は薜茘の衣を着て女蘿の帯をしめている。
もとより流し目に情を込めてその上笑顔もよい。あなたは私のふり好くたおやかなのを慕っていなさる。
私は赤い豹に乗り、まだらの毛の狸を連れ、辛夷の木で作った車に桂の旗を結び、
石蘭の衣をつけて、かんあおいを帯とし、香気の高い花を折って、思うお方に贈ろうと思っている。
私は深い竹やぶの中に住み、終に空も見えない。それに路がけわしくて、ひとり遅れてきたのである。
高く独り山の上に立てば、雲は流れて眼の下にある。
どんよりとあたりも見えず、昼なお暗く、東風は吹きめぐって神霊は雨を降らしている。
善いお方を引き留めて、楽しんで帰るのを忘れさせたい。歳がすでに晩くなっては、誰が私に華を吹かせよう。
年に三たび花咲く霊草を、山間に取ろうとすれば、石は重なり、葛ははびこって進みがたい。
私は貴公子のあなたに会えぬことを怨んで、帰ることをさえ忘れてしまった。あなたは私を思っていても、来る暇がないのであろう。
山中の人、私の採る杜若は芳しく、岩清水を飲んで、操変わらぬ松柏の蔭に汚れなく住んでいるのに、
あなたは私を思って惑いが起こったのであろう。
雷はとどろき雨は暗く、猿は群れ鳴き狖は夜鳴く。
風はさっさと吹き、木はさびしく鳴っている。あなたを思うと、ただむなしく愁いにしずむばかりである。
国殤 「国殤」は国家の為に犠牲となった戦士の祭祀楽歌です。戦士が戦場で勇戦奮闘する有様を歌頌して、その功績を讃えて、 その霊をなぐさめています。 呉の戈を取り、犀の鎧を着て、戦車の轂は敵の車と噛み合い、剣は相打つ。
旗は天日を蔽い、敵は雲のように群がり、矢は互いに飛び交って落ち、兵士は先を争って進む。
敵はわが陣を乗り越えて、わが隊を踏み通る。わが車の左の添え馬は倒れ、右の馬は刀に傷ついた。
車の両輪を土に埋め、四頭の馬をつなぎ合わせて、玉の飾りに枹を振り上げ、太鼓を打ち鳴らす。
天の時節もこの悲壮な戦いを怨み、神霊も怒り、戦士を殺し尽くして、原野に棄てる。
戦士は出陣して入ることなく、ひとたび征ってまた返らず、平原ははてもなく、路は遥かに遠い。
長剣を帯び秦の強弓をたばさみ、首と身体がはなれても、心は懲り改まることはない。
誠に既に勇ましい上にまた猛く、最後まで剛強で、犯すことはできなかった。
身はもはや死んでしまっても、精神は活きている。あなたの魂魄は鬼神の英雄となっておられる。
礼魂 「礼魂」は、霊魂に礼を献げる意味、あるいは無事に一生を終わった人の霊魂を祭るものともいいます。 儀礼を手落ちなく行い、太鼓を打ち連れて、香草を手渡しては、代わる代わる舞う。
みめよき巫女は歌をうたって、のどかに遊ぶ。
春の蘭と秋の菊と、香りよき花を供えて、祭りは長く絶えることなく、とこしえまでも変わらないであろう。
天問 天問は屈原が放逐された僻地で、廟か祠堂にかかれた天地山川、神霊の不思議な姿や、古代の聖人の故事の壁画を見て、それに題したといわれますが、 疑わしい点もあり、定説はありません。
また、楚の事情や、屈原の感慨が一言も陳べられていないため、戦国時代の人の作であろうとする説もあります。 第一段 曰う、遠い昔の原初のことは、誰がこれを語り伝えたのだろう。
天地がまだ形体がないときに、何によって考えられたのだろう。
夜も昼もわからぬぼんやりと暗かった時に、誰がこれを見極めることができたのだろう。
生気がみなぎり動いてはいるが、まだ形や質の定かでない一つの現象があった。どうしてそれを認識できたのだろう。
明を明とし闇を闇とする。これこそ何のしわざであろう。
陰陽二気が交わりあって万物が生成変化する。どれが本で、どれが変化であろうか。
円い天の体制は九重というが、誰がこれを設計したのだろう。
これは一体誰の仕業か、誰がはじめてこれを作ったのか。
天を開店する軸やその綱は、どこにつながれ、天の真柱はどこに立てられているのだろうか。
天を支える八柱は、どこに当っているのだろうか。東南の天柱はなぜ足りないのだろうか。
九天の境界は、どこまであって、どこに付いているのか。
その隅やかどが多くあるそうだが、誰がその数を知っているのだろうか。
天はどこが地と重なり合っているのか。十二辰の星の道は、どこで区分されているのか。
明はどこに付き、列星はどこに陳なっているのだろうか。
太陽は湯谷から出て、蒙シに宿るが、
朝から夜まで、行くこと幾里であろうか。
月には何の徳があるのか。死んではまた生まれる。
何の宜い事があって、うさぎは月の中にいるのだろう。
女岐は夫と一緒になることもなかったのに、どうして9人の子を持ったのだろう。
伯強はどこにいるのであろう。春の恵み深い和気はどこにあるのだろうか。
どこが閉じて暗くなり、どこが開いて明るくなるのだろうか。
東方の角宿の星が出て夜明けにならぬうちは、太陽はどこにかくれているのだろうか。
第二段 洪水を治める能力もないのに、衆人はなぜ
鯀を挙げて任命したのか。
皆は何の心配することがあろうかといったが、
堯は何故に試みもしないで鯀を遣ったのであろうか。
鳶や亀が引きずったり、口にくわえたりするのに、鯀はなぜされるままになっていたのだろう。
鯀は欲をほしいままにして仕事を成し遂げようとしたが、堯はなぜ刑したのであろうか。
長く羽山に留まって、一体どうしてその死体が3年も変わらなかったのだろうか。
禹は鯀から生まれたが、一体どうして態を変えて化生したのであろうか。
鯀の事業を継いで、ついに亡父の仕事を完成した。
どうして父の初志を継ぎ、事業を継ぎながらも、その謀は同じでなかったのだろう。
洪水の湧き出る泉は極めて深い。禹は何を以ってこれをうずめたのだろうか。
大地は四角で、地勢は高低九等に区別されているが、何を以ってこの土地を盛り上げたのだろうか。
河や海の応竜は、どこを極め尽くし、どこを通ったのであろう。
鯀は治水にどんな計画をしたが、禹はどんな成功をおさめたのか。
康回が憤怒したとき、地はなぜに東南に傾いたのか。
九州の国々はどこに布置されているのか。川や谷はなぜに水が深いのか。
東に流れて海に集まるがあふれない。誰がそのわけを知っているのか。
地の東西と南北とは、その長さはどちらが多いのか。
南北の方が次第に長くなっているというが、その余りはいくばくであろうか。
第三段 崑崙山の上の県圃にある、その神の御座所はどこにあるのか。
増城山は九層というが、その高さは幾里であるのか。
崑崙山の四方の門は、一体誰がそこから出入りするのか。
その西北の門は開いているとのことであるが、何の気がそこを通るのか。
日はどこに到達しないのか。その闇の中を燭竜はなぜ照らすのだろうか。
羲和がまだ東天に揚がらないときに、若木の華は、どうして光るのだろうか。
どこに冬暖かな土地があり、どこに夏寒いところがあるのか。
どこに石の林があるのか。何という獣が物言うことができるのであろうか。
どこに角ある竜の子がいて、熊を負うて遊んだのか。
雄蛇の神は九つの頭があるが、飛ぶことが素早くて、どこにいるのだろうか。
不死の国はどこにあるのか。身丈の高い人間は、どこを守っているのだろうか。
靡ヘイは九つの枝にわかれているとのことである。枲華はどこにあるのだろうか。
一匹の蛇で、象を呑むものがあるというが、その大きさはいかほどであろうか。
黒水や玄趾や、また三危はどこにあるのだろうか。
長生きをして死なないとしても、寿命はいくつで止るのであろうか。
リョウ魚はどこに住んでいるのだろうか。キ堆の奇獣はどこにいるのだろうか。
羿はなぜ太陽を射たのだろうか。その時、鳥は何故に羽を落としたのだろうか。
第四段 禹が努力して君に功績を捧げ、地方に降って天下の四方を見廻っていたときに、
どうしてあの塗山氏の娘を得て、これと台桑の地で関係したのであろう。
禹が配偶者のないことを心配して結婚をしたのは、わが身の後継ぎを得たいと思ってのことであろう。
禹が衆人と嗜欲を同じように味わい、男女の交情をたのしんだのであろうか。
啓は
益に代わって君となった時、にわかに災難にかかったが
どうして啓は災難に遭って、拘禁されても自由になることができたのであろう。
皆誰でもすべての行いを謹みかしこむことに帰すれば、その身を害することはないわけであるのに
なぜ后益は王位が革まり亡んで、禹は子孫が繁昌したのであろうか。
啓は夢に天帝に客となり、九辯と九歌とを得たという。
どうして勤勉な子である啓が、母を屠って生まれて、その死体は裂けてこの世を終えたのであろうか。
天帝は
夷羿を世に降らせて、夏の民の禍を革めさせたが、
羿はどうしてあの河伯を射て、あの洛水の女神を妻としたのだろう。
羿は靚で飾った弓を引き絞り、弓懸をするどくし、大猪を射たのであった。
なぜ蒸の祭りにその美味な脂肉を奉ったのに、天帝は幸を賜らなかったのであろうか。
寒浞が羿の妻
純狐を娶ったのは、愛欲に目のくらんだ妻とはかって殺したことによる。
なぜに羿のような革の鎧をも射抜く強い弓取りを、2人でかわるがわるに謀って滅ぼしたのであろうか。
道もけわしく行き詰まりながら、鯀が西方に行くときに、巖はどうして越えたのであろう。
鯀は臣で黄熊となったというが、巫女は何のために彼を活かしたのであろうか。
たとえば、人々はみな黒黍を播いたのに、彼は蒲や荻を植えただけの違いなのに、
何の理由で他の悪人をあわせて、四凶として流され、鯀の悪名がいつまでも世に満ちているのだろうか。
第五段 白い虹やたなびく白雲が、なぜこの堂に起こっているのか。
どうして常娥はあの不死の良薬を手に入れながら、その身を完全に月の中に隠すことができなかったのか。
天の法則は、陰陽が縦横に交わり合っていて、陽が離れると物は皆死ぬというが、
大きな鳥が何故鳴いて、一体何故その身体を失ったのだろうか。
ヘイ号は雨を起すというが、どうして起すのであろうか。
両頭の鹿を一つにした形体を具えている風伯は、どうしてこれに応じて風を吹かせるのであろうか。
大亀が山を背負い、手を打って舞うというのに、どうしてその蓬莱山を安定させているのだろうか。
この舟を捨てて陸を行き、どうしてこの山を遷し動かすことができたのだろうか。
第六段 一体
寒澆は、家の戸口で、何をその兄嫁に求めたのであろうか。
何故に
少康は犬に獲物を追わせて、寒澆の首を打ち落としたのであろうか。
兄嫁の
女岐は寒澆のために裳を縫って、同じ館に泊まったのであるが、
どうして少康が寒澆とまちがえてその首を落とす結果となり、女岐は自ら危害に逢ったのであろうか。
湯王は、夏の衆人を味方として
桀王を討ったが、何をもって彼らを厚くもてなしたか。
寒澆は
斟尋氏の舟を覆してこれを滅ぼしたが、どんな方法でその国を取ったのであろうか。
桀王は蒙山国を討って、どんな物を得たのであろうか。
妹嬉は、どうしてわがままであり、湯王はなぜこれを極したのであろうか。
舜は心楽しまずに家にいたが、一体なぜ妻がいなかったのか。
堯は舜の父、姚に告げなかったが、堯の2人の娘は、どうして結婚できたのだろうか。
そのきざしは初めにあったというが、何事をもってそれを推し量ったのか。
紂王は玉を飾った高い台を十層も築いたが、誰がこれを知り極めたのであろうか。
女禍を乗せ立てて帝としたが、誰がこれを尚んだのか。
女禍のその体つきは、誰がその不思議な姿を定め工夫したのであろうか。
舜は弟に逆らわなかったが、しまいには
象は舜を害した。
どうして象は犬や豚のような貪欲な心をほしいままにしても、舜の身は危うく失敗することがなかったのだろうか。
呉の
太伯は
古公のところから逃れて、南岳衡山のふもとに止り住んでいたが
誰が必ずそのことを予期して、この呉の国に、2人の立派な男子を君として得たのであろうか。
第七段 鵠鳥や玉を美しく飾って供えた夏の王の祀りを、天帝は受けて、祭る者に幸を賜うた。
どうして代々謀を受け継いだ桀王は、ついにそれをもって滅亡したのであろうか。
天帝は降って四方を見て、
伊摯に会って湯王を助けさせた。
どうして鳴条に桀王を追放して罰を与えた時、万民は大いに悦んだのであろうか。
簡狄が台の上にいたとき、
帝嚳はどうしてこれを好い女と思ったのであろうか。
玄鳥が贈り物を持参すると、簡狄はどうして喜んで受け取り承諾したのであろうか。
王亥は季の徳を取り守ったが、その父季は善い人であった。
何故に王亥は有易に身を寄せ落ちぶれて、あの牛や羊を牧していたのであろうか。
王亥は干を合わせて舞った。女はどうして彼を懐ったのだろう。
女はなだらかな脇腹、つやのある皮膚でなまめかしかった。どうして王亥はこれと関係をもったのだろうか。
有易氏の牧童となっていた王亥は、どのようにして女に遭ったのか。
寝床を襲って撃ちかかれば、真っ先に出て逃れた。その生命はどこから助かったのだろうか。
王恒もまた父季王の徳を取り守って、ここにかの兄王亥の車を牽く牛を手に入れたのであるが、
どうして有易に行って地位俸禄を得ようとつとめて、還ってくることができなかったのだろう。
情欲に惑った弟も、共に淫乱の行いをして、その兄の身を危うく害したが、
どうして態度を改め変えて、人の目を欺いて、後嗣の子を得て、長く栄える運に遭ったのだろうか。
湯王が東方の国々を巡って、有シンの国に至った時に、
どうしてあの小臣伊尹を乞うて、良い妃を得たのであろうか。
水浜のうつろになった桑の木から、あの小児を得たというが、伊尹出生の不思議である。
一体どうして国王は伊尹を怪しみ嫌がって、有シンの娘の付き人として湯王のもとに遣ったのであろうか。
湯王は桀王のために重泉に拘置されたが、放免されて出た。それは一体何の罪過があったのであろうか。
湯王は暴虐に堪えかねて桀王を討ったが、一体誰が帝に対して戦を挑ませたのであろうか。
第八段 諸侯は周武王のもとに集まり朝して盟った。どうしてわれらの約束の期日が実践されたのか。
強い蒼鷹がむらがり飛んだが、誰がそれらを集まらせたのだろうか。
武王は進み出て紂の身を撃ったが、周公旦はこれをめでたいと思わなかった。
どうして周公が盟津で自ら天命をはかり考えて出発して、やがて帰るとすでに、周の命令は天下に行われて、万民が讃嘆したのであろうか。
天は殷に天下を授けたのに、その帝位はどうして他に移り変わったのだろうか。
王業が成るに及んで、そこで亡んだのは、その罪は何であろうか。
諸侯は争って兵器を提供したが、なぜ武王はこれを軍に使用したのであろうか。
周の軍兵は並び駆けて、敵の両翼を撃ったが、どうして武王はこの軍勢を率いたのであろうか。
周
昭王は巡遊をなしとげて、南方の楚まで来られたが、
その利は一体何であったのか、あの白雉を迎えたのは。
周
穆王は善い馬を飼っていたが、一体どうして周遊したのだろう。
天下を環り歩いて、一体何を捜し求めたのであろうか。
怪しい男が妻と連れ立って、ふれ売りをして、どうして市で叫んでいたのか。
周
幽王は誰を誅罰しようとし、またどうしてかの身を亡ぼす因となった妖婦
褒姒を得たのであろうか。
天命は転変して常なく、何を罰し、何を援けるのであろうか。
斉
桓公は諸侯を集め合わせてその覇者となったのであるが、最後には反乱のために、その身は殺されたのであった。
かの紂王の身を誰が乱し惑わしたのであろうか。
何故に補佐の大臣を憎み嫌って、讒言をして君にへつらう者を用いたのであろうか。
比干はどうして紂王に逆らって、王はこれを抑えつけ沈めたのだろうか。
雷開はどうして君に順いへつらい、王はこれに金玉領土を賞与したのだろうか。
何ゆえに聖人は皆同じく徳はすぐれていても、ついにはその方法を異にするのだろうか。
梅伯は紂王を諌めて殺されて、身は塩漬にされ、
箕子は狂人のまねをして逃れ去ったのである。
第九段 后稷が帝嚳の長子であるのに、帝はどうして彼を苦しめたのであろうか。
生まれたときに氷の上に投げ棄てられて、どうして鳥が彼を温め育てたのだろうか。
どうして弓をひきしぼり矢をたばさんで、周武王はすぐれた才能をもって衆をひきいたのであろうか。
すでに紂王を驚かすことが激しかったのに、どうして子孫は長く王位に居るという幸運に逢ったのであろうか。
西伯は殷の衰えた世に号令を発し、鞭を取って民を牧する地方の長官となったが、
なぜあの岐山の社を治め祭らせて、天命をもって殷の国土を領有したのであろうか。
古公亶父は財宝を遷して岐に行ったが、なぜに人民は彼に依り従うことができたのであろうか。
殷王朝には、その君を惑わす婦人がいたが、彼女は誰をそしって陥れたのだろうか。
紂王はこの人肉の醢を賜うて、西伯はそれを天帝に告げたが、
何故に紂王は自身で上帝の罰に赴くようなことをして、殷の運命は、そのために救えなかったのであろうか。
呂尚が屠殺場の店にいたとき、文王はどうしてこれを見分けて用いたのであろうか。
牛刀を打ち鳴らして大声を張り上げていたのに、君王はどうしてそれを喜び迎えて師としたのであろうか。
武王が殷の紂王を殺したのは、何を心配したのであろうか。
父文王の葬儀も済まないのに、位牌を車に載せて会戦したのは、何を急いだのであろうか。
申生は縊死したが、それは一体何の故であろうか。
どうして天地を感動させたその人が、一体誰をはばかり恐れたのであろうか。
天が王者の身に命を止まらせるのに、一体なぜこれを戒め苦しませるのであろうか。
こうして天下に王たるの礼を受けると、やがてまた異姓の者に、これに代わって立つようにさせる。
初め湯王は伊尹を臣として挙げたが、後には王政輔佐の大臣として尊んだ。
どうして伊尹はついに湯王に仕え、殷の宗廟に貴び祭られたのだろうか。
闔閭は
寿夢の孫であるが、若くして位を継げず、離散逃亡の苦難に遭った。
それがどうして壮年になってからは、武勇優れて、その威厳を世に流伝し得たのであろうか。
第十段 彭祖が雉の羹を勧めると、堯はなぜそれを食したのだろうか。
彭祖は寿命を受けることが久しかったが、一体どうして長久であったのだろうか。
四海の中央に民を共に治めているが、諸侯はどうして怒り戦うのであろうか。
蜂や蟻のはかない生命のものも、その協力はどうして固いのであろうか。
薇を取っていた女が物に驚いたが、鹿を手に入れてなぜ幸福になったのだろうか。
北のかた渦巻く水のあたりまで行き、そこに止まってなぜに吉事を喜んだのであろうか。
兄に人を噛む犬があるのを、弟はなぜ欲しがったのだろうか。
それと車百輌とを取り替えようとして、しまいには自分の禄まで無くしてしまった。
夕暮に雷がなり電が光る。帰るのに何を心配したのであろうか。
その人の威厳は、人民もかしこみ仕えないのに、上帝に何を求めたのであろうか。
山野に伏し隠れて穴に住んでいた。その頃は一体どうであったろうか。
楚の勲功ある人々が軍を起したのが、一体どうして久しかったのか。
過ちを悟り改めて、また何を言ったのだろうか。
呉王闔閭は楚と争い戦って、久しくわが楚に勝った。
どうして里門や社から廻り抜けて、丘陵で、
ここに会って子文を生んだのであろうか。
子文はト敖に告げて、世にあることは長くないであろうといった。
何故に君上を弑して自ら国を得て、却って忠名がますます彰かなのであろうか。