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分かれ道 ―ユダヤ性とシオニズム批判― 単行本 – 2019/10/26
ジュディス・バトラー (著), 大橋洋一 (翻訳), 岸まどか (翻訳)
山下 仁
星5つ中5つ
共生は理想ではなく現実である
2025年8月17日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
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とても難しいが、興味深い記述もあったので、それらを知ることができたことだけでも買った価値はあったと思った。興味深い記述とは191ページあたりにあるもので、だれと共生するかは決められないが、共生しているという現実の確認。
Inoo Tanaka / 田中猪夫
星5つ中4つ
真のユダヤ性による一国家解決!
2025年11月11日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
現在のユダヤ社会では、ユダヤ性を主張すること=シオニズムを支持することだと考える人が少なくない。また、シナゴークに出席する者は誰であれ、必ずシオニストだと見なされる傾向がある。さらに、イスラエル国家の政策を受け入れられないために、ユダヤ性との関係を断つべきだと考える人も存在する。もしシオニズムがユダヤ性そのものだとすれば、イスラエルに対するユダヤ的批判は成立せず、イスラエル国家の権利を疑問視することもできなくなる。2023年10月7日にはじまったガザ戦争で明らかになったイスラエルのシオニズムは、現在の右派の思想的背景を形作ったジャポンスキーの『鉄の壁』に連なるものだ。
本書の著者である哲学者ジュディス・バトラーは、「真のユダヤ性(Jewishness)」と「イスラエル国家によるシオニズム的実践」を明確に区別する。バトラーによれば、ユダヤの伝統そのものは、むしろ反シオニズム的・普遍的倫理を含んでいる。したがって、イスラエル国家の政策を批判することは「反ユダヤ主義」ではなく、ユダヤ倫理に忠実である可能性があるという、逆説的な立場をとる。
バトラーがいうユダヤ性とは、ディアスポラで培われた、境界を越えて他者と関わる倫理的態度である。ユダヤ人は非ユダヤ人の世界で共生を目指さざるを得ず、ユダヤ性は故郷への帰還ではなく、離散の記憶から生まれた倫理的原理に基づく。
この視点に立ち、パレスチナの哲学者エドワード・ザイードは、フロイトの『モーセと一神教』を再考する。フロイトがモーセをユダヤ民族の創始者と位置づけるのに対し、ザイードはモーセがアラブ人でもあり、同時にユダヤ人でもあったことに注目し、ユダヤ教の起源を多様な文脈で理解する必要性を示した。
つまり、バトラーはザイードを通じ、ユダヤ性の基盤となるユダヤ教の起源にそのものに、すでにアラブ性とユダヤ性が共存しているということであり、パレスチナ・イスラエル問題の根底にあるアイデンティティーの二項対立は存在しないとするのである。ユダヤ性の核が、ユダヤ性と非ユダヤ性の自己と他者の分離不可能性であるならば、一国家解決という解決策はある得るという立場なのだ。
このことをユダヤ教の経典であるトーラー(モーセ五書)の視点で捉え直すと、次のように表現できる。
「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節)。
さらに、ラビによるユダヤ的解釈をまとめたタルムード(バビロニアン・タルムード『シャバット』31a)では、次のように言われる。
「あなたの嫌うことを、あなたの隣人にしてはならない。これがトーラーのすべてであり、あとはその解説である。行って学びなさい。」
ただし、ユダヤ的に「隣人」とは基本的に「同胞(イスラエルの民)」を指していた。しかしイエスはこの概念を根底から広げ、次のように説く。
「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章44節)
これによって、キリスト教の倫理は民族・宗教・敵味方の境界を超える普遍的な愛の倫理となった。
イエスと同様に、バトラーはディアスポラの体験を通して、隣人の解釈に非ユダヤ性を含めるべきだと考える。
「私たちは生まれながらに他者に曝(さら)されており、その脆弱性こそが倫理の出発点である。」
まとめると、トーラーの「してはならない」は他者を傷つけないための消極的倫理である。イエスはこれを「しなさい」と積極化し、バトラーは共生の責任として現代的に再解釈したのである。
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mountainside
星5つ中5つ
アメリカ的で暴力的なユダヤ人国家イスラエルを糾弾!
2019年10月31日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
アメリカの支援を受け、国連で可決されてシオニズム運動を達成したユダヤ人国家イスラエルは、第二のアメリカ的「帝国」であり、暴力国家であった。アラブとイスラエルの中東戦争は、暴力の連鎖であった。加えて帝国アメリカへの攻撃は、2001年9月11日のイスラーム過激派武装組織アルカイダによる世界同時多発テロに始まり、イスラーム国(IS)のテロに極まる。帝国アメリカは10年かけてアルカイダとイスラーム国の首領を殺害した。これはテロに対する暴力による報復である。暴力の連鎖はこれからも止むことはないだろう。
こうした「暴力」に対して著者のバトラーは「非暴力」で対抗する。その根底にあるのはユダヤ思想である。レヴィナスはナチスによるポグロム(ユダヤ人虐殺)により親族を失った。『全体性と無限』(合田正人訳、熊野純彦訳)序文では黙示録的な救済への道を無限の他者論によって探究する。無限の他者を歓待し、尊重する思想をレヴィナスは現象学とユダヤ思想から提起した。ベンヤミンはナチスによって自殺に追い込まれるが、パリの失われ行く街並み(パサージュ)のなかに、輝きを放つアウラ(オーラ)を見出だした。このレヴィナス論とベンヤミン論が本書の白眉である。出来れば『救済の星』を書いたユダヤ思想家フランツ・ローゼンツヴァイクも取り上げて欲しかった。
こうしたユダヤ思想に救済への道があることをどうしてユダヤ人は気づかないのであろうか?
これらユダヤ思想家の著作には優れた翻訳があり、我々日本人も日本語で理解することが出来る。是非読んでユダヤ思想を理解し、救済への道を模索してみたい。
本書はそのための格好の道案内である。難解ではあるが、じっくり時間をかけて読み解いていきたい。
名著の優れた翻訳を喜びたい。
お勧めの一曲だ。
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狭間
星5つ中3つ
目次
2023年7月12日に日本でレビュー済み
フォーマット: 単行本
はじめに
諸原則の導出
倫理、政治、そして翻訳の使命
二国民主義の悲惨な形態を超えて
不可能で必要な責務
ブーバーからアーレントへ
レヴィナス
誰が顔をもつか?
殺すことができない
顔は何を命ずるのか?
顔はどこに見出すべきか?
ヴァルター・ベンヤミンと暴力批判
異なるユダヤ教
暴力、運命、そして法
閃いているもの:ベンヤミンのメシア的政治
ユダヤ教はシオニズム
ハンナ・アーレントと国民国家の終焉?
複数的なるものの苦境:アーレントにおける共生と主権
アイヒマンに抗して
複数的な私たち
複数的な共生
現在のためのプリーモ・レーヴィ
エグザイルなくして、私たちはどうしたらよいだろう
原注
略号一覧
謝辞
訳者解説(岸まどか)
訳者あとがき(大橋洋一)
索引