2024年5月2日木曜日

阿波国 - 「ムラの戸籍簿」データベース

阿波国 - 「ムラの戸籍簿」データベース

阿波国

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本データベースは、未だ試験的な運用段階にあり、これから改良・整備しながら、掲載国数を徐々に増やしていく予定です。
また、郷村表はもともと各国担当者によってWordで作成されており、これを、「ムラの戸籍簿」研究会事務局で集約して公開用に変換しております。
変換作業上、特殊な文字や史料表記について、やむをえず作成者の作成した文字データが反映されていない部分のありますことをご承知おきいただけましたら幸いです。
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作成者:福家清司

目次

  • 1 郷村名郡別世紀別初出表
  • 2 概要
    • 2.1 概要
    • 2.2 典拠史料
    • 2.3 凡例
  • 3 郷村表
    • 3.1 板野郡
    • 3.2 阿波郡
    • 3.3 美馬郡
    • 3.4 三好郡
    • 3.5 麻殖郡
    • 3.6 名方西(名西)郡
    • 3.7 名方東(名東)郡
    • 3.8 勝浦郡
    • 3.9 那賀郡
  • 4

郷村名郡別世紀別初出表

郷村

世紀
郷(里)
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 未詳 合計
合計 7 6 17 3 32 65 6 5 16 1 28
板野郡 1 3 5 9 3 2 3 8
阿波郡 4 4 1 1
美馬郡 1 1 2
三好郡 1 2 2 1 6 1 1 2
麻稙郡 2 2 4 2 2 4
名西郡 4 7 11 6 1 7
名東郡 1 5 6 5 5
勝浦郡 2 2 4
那賀郡 3 3 7 1 5 19 1 1

概要

概要

・地理
四国島の東南部に位置し、北は阿讃山脈の稜線を境界として香川県、西と南は四国山地で愛媛県・高知県と接する。東は北部で紀伊水道、南部で太平洋に面する海岸線となる。県の地勢としては阿讃山脈・四国山地に伴う山間地が県域の8割近くを占めるとされ、平地は県北部を東西に貫流する吉野川が形成した下流平野以外は県南部域を東西に横断する勝浦川・那賀川・海部川沿いにわずかに認められるに過ぎない。
・国・郡の変遷
 吉野川流域に成立した「粟国」と県域南部に成立した「長国」を合わせて「阿波国」が成立したと考えられており、律令制下では当初、板野・阿波・美馬・麻植・名方・勝浦・那賀の7郡であった。貞観2(860)年に美馬郡から三好郡が分出、寛平8(896)年に名方郡が東西に分割されて名東郡・名西郡が成立。さらに平安末期頃に那賀郡から海部郡が分出し、10郡になった。その後中世になると、郡の分割が進み、最終的に13郡となったが、寛文4(1664)年、幕府の命によって旧の10郡に復し、明治期に至った。明治4(1871)年、徳島藩を廃止し徳島県が成立するも、その後は県名(名東県・高知県)と管轄地域の変遷があった。最終的に現在の県名と県域が確立したのは明治13(1880)年であった。
・古代
 南海道の一国。古代の国府は名方郡、後名東郡(現在の徳島市国府町)に置かれた。官道は淡路国福良駅から海路、撫養に至り、阿讃山脈に沿って西行、石隈駅・郡頭頭駅を経由して、大坂峠を越えて讃岐国に至った。阿波国府へは郡頭駅から南に枝道が延びていたと考えられている。
・中世
 中世の府中は前代と同じ地に置かれたと推定されるが、武家政権の地方拠点としての守護所については、鎌倉初期の佐々木氏については府中に隣接する名西郡鳥坂に置かれたとされているが確実な史料、遺跡は伝わらない。佐々木氏は承久の乱に際して院方に加わったことから、小笠原氏が新しい守護となった。小笠原氏の守護所についても明確な史料等は伝わらず、現状では明確ではない。
 建武3(1336)年に阿波国に入部以来、室町幕府の守護となった細川氏は、当初、阿波国秋月荘、後に板野郡井隈荘勝瑞を守護所とした。なお室町幕府管領家細川氏はもともと阿波・讃岐守護であった頼之を祖とする系統であったことから、阿波守護家は細川氏庶流家の中では管領家に次ぐ家格として幕府内で重きをなした。
 古代から中世にかけて展開した荘園公領は史料上約100カ所が確認される。その分布は阿波国北部の吉野川流域に密であり、阿波国南部の沿岸部に疎である。大きな特徴としては剣山を核とする四国山地に深く刻まれた長大な渓谷を領域とする山を単位とする広大な所領が成立展開する点である。これらの山所領は古代から中世にかけての林産資源の生産・流通と深く関わった所領として注目されている。
 また、中世阿波では材木等の林産資源のほか、吉野川流域での藍作とその移出、海岸部での塩生産とその移出が特筆される。
 天文21(1552)年、三好実休が守護持隆を攻め滅ぼした天文の乱後は、三好氏が実質的に阿波国を支配したが、天正5年頃から阿波へ侵攻していた土佐長宗我部元親が天正10(1582)年に勝瑞城を陥落させ、三好氏の家督を継承していた十川存保を讃岐に追った。その後、一時は長宗我部元親による阿波統治が行われたが、織田信長・豊臣秀吉による四国征伐によって、阿波は蜂須賀氏が拝領することになった。
・近世
 阿波を拝領した蜂須賀氏は当初、当初名東郡一宮城に拠ったが、秀吉の命によって吉野川河口部南岸に新城・城下町を構築し、徳島と命名した。その後徳島藩は阿波一国に加えて淡路国も加増され、25万7千石となった。

参考文献

典拠史料

徳島県では戦後の昭和30年代末から40年代初めにかけて県史編纂事業が進められたが、史料の採集および史料集の刊行が行われなかったため、現在に至るまで、まとまった史料集は存在しない。

凡例

○藤原宮木簡=奈良文化財研究所『藤原宮木簡』。
○木簡概報=奈良文化財研究所『平城宮跡発掘調査出土木簡概報』。
○木簡研究=木簡学会『木簡研究』。
○宮町木簡=紫香楽宮跡調査委員会編『宮町遺跡出土木簡概報Ⅰ』信楽町教育委員会、1999年。
○観音寺Ⅰ=徳島県教育委員会ほか『観音寺遺跡(Ⅰ)(観音寺遺跡木簡編)』(徳島県埋蔵文化財センター調査報告書第40集)、2002年。
○観音寺Ⅳ=徳島県教育委員会ほか『観音寺遺跡(Ⅳ)《第3分冊 木簡編》』(徳島県埋蔵文化財センター調査報告書第71集)、2007年。
○寧楽遺文=竹内理三編『寧楽遺文』上巻・中巻・下巻、東京堂出版、1962年。
○平安遺文=竹内理三編『平安遺文』古文書編第1巻~第11巻、東京堂出版、1947年~1967年。
○鎌倉遺文=竹内理三編『鎌倉遺文』古文書編第1巻~第42巻、東京堂出版、1971年~1995年。
○南北朝遺文=松岡久人編『南北朝遺文(中国四国編)』第1巻~第6巻、東京堂出版、1987年~1995年。
○阿波徴古=小杉榲邨編『阿波国徴古雑抄』日本歴史地理学会、1913年。(復刻版、臨川書店、1974年)。
○阿波国荘園史料集=徳島大学教育学部社会科教育研究室(沖野舜二)編『阿波国荘園史料集』、1972年。
○阿波の中世文書=徳島県文化財基礎調査報告第5集『阿波の中世文書』徳島県教育委員会、1982年。
○九条家文書=宮内庁書陵部編『図書寮叢刊 九条家文書』6巻、明治書院、1976年。
○西山地蔵院文書=早島大佑編『西山地蔵院文書』思文閣出版、2015年。
○日本霊異記=遠藤嘉基・春日和男校注日本古典文学大系70『日本霊異記』岩波書店、1977年。
○沖野論文=沖野舜二『阿波国庄園考』小宮山書店、1962年。
○網野論文=網野善彦「大中臣氏系図について」(『茨城県史研究』48、1982年)。
○福家論文=福家清司「阿波国板西郡柿原荘・松島西条荘とその地頭」(四国中世史研究会『四国中世史研究』4、1997年)。
○田中論文=田中善隆「阿波の大般若経」(『徳島県博物館紀要』第12集、徳島県博物館、1981年)。

郷村表

板野郡

郷(里)

川島、井隈、津屋、高野、小島、田上、山下、松島

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
高野郷 板野郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東大寺司牒〕【高野】阿波国壱佰戸〈板野郡高野郷五十戸/美馬郡御津郷五十戸〉 正倉院文書
寧楽遺文中P.462
井隈郷 板野郡 未詳 〔木簡〕【井隈】阿波国板野郡井隈郷・・・・戸主海部馬長戸同部・・・ 木簡概報1-P.10
田上郷 板野郡 未詳 〔木簡〕【田上】阿波国板野郡田上郷・戸主宗何部麻呂庸米 木簡研究20-p.33
少嶋郷 板野郡 未詳 〔木簡〕【小島】□□国板野郡少嶋郷白米五斗 木簡研究28-
p.13
津屋里 板野評 未詳 〔木簡〕【津屋】板野評津屋里猪脯 藤原宮木簡1-P.77
新屋郷 板野郡 未詳 〔木簡〕阿波国板野郡新屋郷・「少豆五斗」 木簡概報22-P.39
吉成郷☆ 萱島庄 建仁元.4.10 1201 〔預所下文案〕下/萱島御庄吉成北島住人等/藤原能村/右人、補任西庄下□(司)職先(畢脱ヵ)、今又可令補□□(吉成)北島両郷之由 紀伊続風土記葛原文書
鎌倉遺文3-P.8
北島郷 萱島荘 建仁元.4.10 1201 〔預所下文案〕下/萱島御庄吉成北島住人等/藤原能村/右人、補任西庄下□(司)職先(畢脱ヵ)、今又可令補□□(吉成)北島両郷之由 紀伊続風土記葛原文書
鎌倉遺文3-P.8
余部郷 板東郡 応永19.3.26 1412 〔北野社一切経〈大般若波羅蜜多経巻363〉奥書〕阿州坂東郡撫養島余部郷西福寺住侶良禅書写畢 大報恩寺蔵
大日史7-16
P.31

年月日 西暦 原     文 出  典
北敷地村 富吉荘 文和3.1.13 1354 〔尊融尊穎連署寄進状案〕阿波国富吉庄為尊融追善料所、寄付臨川寺処也、此庄内東村幷北敷地・南敷地、於此三カ村者、寄進三会院者 天龍寺文書
南北朝遺文3-P.187
南敷地村 富吉荘 文和3.1.13 1354 〔尊融尊穎連署寄進状案〕阿波国富吉庄為尊融追善料所、寄付臨川寺処也、此庄内東村幷北敷地・南敷地、於此三カ村者、寄進三会院者 天龍寺文書
南北朝遺文3-P.187
東村 富吉荘 文和3.1.13 1354 〔尊融尊穎連署寄進状案〕阿波国富吉庄為尊融追善料所、寄付臨川寺処也、此庄内東村幷北敷地・南敷地、於此三カ村者、寄進三会院者 天龍寺文書
南北朝遺文3-P.187
洲崎村 板東郡 応永19.4.10 1412 〔北野社一切経〈大般若波羅蜜多経巻369〉奥書〕阿州坂東之郡撫養島余部郷洲崎村西福寺住侶金剛仏子良禅 大報恩寺蔵
大日史7-16P.31
野中村 堀江荘(板東郡) 応永24.12.25 1417 〔香川県寒川郡富田中村八幡神社出土鰐口銘〕大日本国阿波国板東郡堀江庄野中村観無量寿院常住也 阿波国荘園史料集P.108
坂西西村 (坂西郡) 天正12.11.14 1584 〔某知行坪付〕一ゝ廿五代〈北カウト同所西〉下畠〈出廿五〉新開分〈坂西西村 介二郎衛(所ヵ)〉 孫左衛門ヤシキ同シ三 宗円文書
大日史11-12 P.187
西分村☆ 天正12.11.14 1584 〔田所兵部丞知行坪付〕一ゝ壹反〈池南ヤシキソ(マヽ)東ウラノ同所〉中畠〈出十五〉首藤菊進〈西分村 名主作〉 蠧簡集
大日史11-12 P.185
上庄村 (坂西郡) 天正12.1.14 1584 〔某知行坪付〕一ゝ壹反〈十三郎ヤシキノ同所二ツ懸テ〉上畠〈出廿〉同し(新開分)〈同(坂西西村) 上庄村 十三郎所〉 宗円文書
大日史11-12 P.187

阿波郡

郷(里)

高井、秋月、香美、拝師

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
□美郷 阿波郡 未詳 〔木簡〕【香美】阿波国阿波郡□美郷建部乱庸米六斗 木簡概報19-P.34
拝師郷 阿波郡 未詳 〔木簡〕【拝師】阿波国□□郡拝師郷 木簡概報19-P.25
秋月郷☆ 阿波郡 未詳 〔木簡〕【秋月】阿波国阿波郡秋月郷庸米物部小龍一俵 木簡研究14
p.134
宮河内郷☆ 阿波郡 未詳(鎌倉末期) 〔宮河内郷地頭柿原義氏越訴状断簡〕□波国柿原庄内宮河内郷地頭柿原太郎 原田家文書
福家論文-p.27

年月日 西暦 原     文 出  典
広棚村 西拝師荘 文安3.3.17 1446 〔筒井清八蔵鐘銘〕阿州西拝師庄/広棚村善福寺 阿波国荘園史料集P.160

美馬郡

郷(里)

蓁原、三児、大島、大村

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
秦□(原ヵ)里☆ 美馬郡 未詳 〔木簡〕秦□(原ヵ)里・・□マ□□ 観音寺1-P.73
祖山郷 美馬郡ヵ 正平5.7.22 1350 〔出雲守時有奉催促状〕阿波国祖山郷内菅生名者為本領之由被聞食了 菅生家文書
阿波の中世文書p.97

年月日 西暦 原     文 出  典

三好郡

郷(里)

三縄、三津、三野

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
三野郷 美馬郡 未詳 〔木簡〕【三野】阿波国美馬郡三野郷・戸主佐伯直国麻呂米五斗 木簡概報29-P.36
御津郷 美馬郡 天平勝宝4.10.25 752 〔造東大寺司牒〕【三津】阿波国壱佰戸〈板野郡高野郷五十戸/美馬郡御津郷五十戸〉 正倉院文書
寧楽遺文中P.46
三津郷 三好郡 寛治4.10.9 1090 〔某(三好)郡司解〕【三津】「三好」郡司解 申立券進賀茂別雷社/合/在管三津郷/四至 賀茂別雷神社文書
平安遺文4-P.1263
三好郷 一宮 元亨3.3.23 1323 〔祇園社家条々記録〕長講堂領阿波国一宮大粟三好両郷、為 勅願料所可被相伝云々 阿波徴古p.170
中西郷☆ 田井荘 正平20.1.5 1365 〔氏行奉書〕田井庄中西郷之内得善名 徳善家文書
大西郷 田井荘 応永9.7.23 1402 〔川崎三所神社蔵大般若経巻464奥書〕於□□□□□(阿州田井庄)大西郷山城太井村金光寺住持 田中論文P.20
山城郷☆ 田井荘 応永9.7.18 1402 〔川崎三所神社大般若経巻461奥書〕於阿州田井庄山城郷大井村住僧 田中論文P.20

年月日 西暦 原     文 出  典
奥村 金丸中荘 正平11.9.6 1356 〔出雲守時有奉書〕阿波国金丸中庄内奥村分幷領家職下司職事、為兵糧料所、可令知行之旨 菅生家文書
阿波徴古p.159
太井村 田井荘 応永9.7.23 1402 〔川崎三所神社蔵大般若経巻464奥書〕於□□□□□(阿州田井庄)大西郷山城太井村金光寺住持 田中論文P.20

麻殖郡

郷(里)

呉島、忌部、川島、射立

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
川島郷☆ 麻殖郡 天平4.10.- 732 〔黄絁銘〕【川島】阿波国麻殖郡川島郷少楮里戸主忌部為麻呂戸調黄絁壹匹 正倉院蔵
寧楽遺文下P.786
呉島郷 麻殖郡 天平勝宝7.10.- 755 〔木簡〕【呉島】□国麻殖郡呉島郷□□□□□・天平勝宝七歳十月 木簡概報19-P.25
少楮里 麻殖郡 未詳 〔木簡〕【川島】阿波国□□郡川島郷・少楮里忌部足嶋庸米六斗 木簡研究5-p.16
忌部郷 麻殖郡 未詳 〔木簡〕【忌部】忌部郷長上 葭 観音寺4-P.32

年月日 西暦 原     文 出  典
三木村☆ 麻殖山(麻植郡) 元亨1.11.19 1321 〔代官下知状〕麻殖山内三木村番頭百姓等訴申條々下知事 三木家文書阿波の中世文書p.35
牛島の中村☆ 麻殖荘 貞治3.3.- 1364 〔善智旦那職譲状〕牛島の中村のけうれんのいちそく、同妻女の一そくともに 仙光寺文書
阿波徴古P.173
麻植之東分之村 麻殖荘 文亀2.12.13 1502 〔麻植十川僧都憲春旦那職譲状〕右彼檀那等在所之事者、麻植之東分之村一円、浦ハ名西之村一円、新庄西村一円、彼三ヶ村ニ出来候ハんする人躰、能々可被存別候 仙光寺文書
阿波徴古P.176
(浦)新荘西村 浦新荘 文亀2.12.13 1502 〔麻植十川僧都憲春旦那職譲状〕右彼檀那等在所之事者、麻植之東分之村一円、浦ハ名西之村一円、新庄西村一円、彼三ヶ村ニ出来候ハんする人躰、能々可被存別候 仙光寺文書
阿波徴古P.176

名方西(名西)郡

郷(里)

埴土、高足、土師、桜間

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
波尓五十戸 名方郡 未詳 〔木簡〕【埴土】波尓五十戸税三百□/高志五十戸税三百十四束・佐井五十戸税三・・・ 観音寺1-P.100
高志五十戸 名方郡 未詳 〔木簡〕【高足】波尓五十戸税三百□/高志五十戸税三百十四束・佐井五十戸税三・・・ 観音寺1-P.100
土師郷 名方郡 未詳 〔木簡〕【土師】阿波国名方郡土師郷土師部廣友米五斗 木簡概報15-P.29
土師里 名方郡 未詳 〔木簡〕【桜間】土師里米一石目杢 観音寺4-P.67
桜間郷☆ 名方郡 未詳 〔木簡〕【桜間】桜間郷日下部国万呂小豆五斗 木簡研究18-p.15
桜間里 名方郡 未詳 〔木簡〕【桜間】桜間里小□ 斗 観音寺4-P.66
石井郷☆ 名方郡 未詳 〔木簡〕□(国ヵ)名方郡石井郷川根里山部 木簡概報4-P.4
川根里 名方郡 未詳 〔木簡〕□(国ヵ)名方郡石井郷川根里山部 木簡概報4-P.4
佐濃郷 名方郡 未詳 〔木簡〕阿波国名方郡佐濃郷・○刀祢 木簡研究20-p.33
三条郷 名西荘 嘉元3.2.13 1305 〔某院宣案〕阿波国名西庄内三条郷事、任左衛門督局譲状、大蔵卿局可令領掌者、院宣如此 沖野論文P.8
大粟郷 一宮 元亨3.3.23 1323 〔祇園社家条々記録〕長講堂領阿波国一宮大粟三好両郷、為 勅願料所可被相伝云々 阿波徴古p.170
中島郷☆ 名西荘 暦応4.6.25 1341 〔淡路国分寺釈迦大像修理銘〕道賢房、阿州名西庄中島郷延福寺住 淡路常磐草巻6
阿波国荘園史料集p.45
高橋郷 正平8.9.15 1353 〔後村上天皇綸旨〕【高足】阿波国高橋郷地頭職、為勲功賞可令知行 藤波家文書
阿波徴古p.137

年月日 西暦 原     文 出  典
埴村 名方郡 未詳 〔日本霊異記〕【埴土】粟国名方郡埴村 古典文学大系70
名西之村 名西郡 文亀2.12.13 1502 〔麻植十川僧都憲春旦那職譲状〕右彼檀那等在所之事者、麻植之東分之村一円、浦ハ名西之村一円、新庄西村一円、彼三ヶ村ニ出来候ハんする人躰、能々可被存別候 仙光寺文書
阿波徴古P.176
第十村☆ 名西郡 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
名西井戸村☆ 名西郡 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
国実村☆ 名西郡 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
高河原村☆ 名西郡 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
賀茂野村☆ 名西郡 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181

名方東(名東)郡

郷(里)

名方、新井、賀茂、井上、八萬、殖栗

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
佐井五十戸 名方郡 未詳 〔木簡〕波尓五十戸税三百□/高志五十戸税三百十四束・佐井五十戸税三・・・ 観音寺1-P.100
賀茂郷 名方郡 未詳 〔木簡〕【賀茂】阿波国名方郡賀茂郷庸 木簡研究3-p.27
鴨里 名方郡 未詳 〔木簡〕鴨里錦部鹿津奉上大刀 観音寺1-P.93
助任郷 名東郡 貞治2.6.29 1363 〔小早川重景譲状〕譲与 所領事/合∥阿波国助任郷 小早川家文書
南北朝遺文4-P.64
井上郷 名方郡 未詳 〔木簡〕【井上】井上郷弓金舩長 観音寺4-P.44
殖栗郷 名方郡 未詳 〔木簡〕【殖栗】阿波国司解 申勘籍資人事秦人マ大宅年弐拾陸部下名方郡殖栗郷戸主秦人マ人麻呂戸口者 観音寺4-P.57
□□(八万ヵ)郷 名方郡 未詳 〔木簡〕□□(八万ヵ)郷□□ 観音寺4-P.31

年月日 西暦 原     文 出  典
岩延村 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
黒田村 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
池ノフチ村 天正12.11.14 1584 〔土居重兵衛知行坪付〕坪付 土居重兵衛給/一、五十六ヶ所〈岩延村、高河原村、中富祖母か嶋/第十村、黒田村、名西井戸村/賀茂野村、國實村、池ノフチ村〉以上八町四反四十五代 蠧簡集
大日史11-12 P.181
ヒカイ村☆ 天正12.11.14 1584 〔田所兵部丞知行坪付〕一ゝ壹反〈灰マタノ同し〉中〈出十五〉田中分〈ヒカイ村 彦三郎作〉 蠧簡集
大日史11-12 P.185
蔵本村 天正12.11.14 1584 〔某知行坪付〕一ゝ壹反卅〈永クロ〉上タ〈出廿〉小倉分〈蔵本村 宗益名〉 宗円文書
大日史11-12 P.187

勝浦郡

郷(里)

篠原、託羅、新居、余戸

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
託良郷 勝浦郡 未詳 〔木簡〕【託羅】□浦郡託良郷・□庸米五斗 宮町木簡概報1-p.15
方上郷☆ 勝浦荘 元徳3.-.- 1331 〔和泉国塩穴寺所蔵巨鐘銘〕阿州勝浦庄古(方ヵ)上郷神光寺鐘 阿波国荘園史料集P.145
新居郷 多奈保 未詳(南北朝期か) 〔大中臣氏略系図〕【新居】近藤武者実広 此子孫ハ∥阿波国多奈保新居郷∥地頭也 桐村家所蔵網野論文P.30
江田郷☆ 勝浦荘 応永6.8.16 1399 〔尚長書状〕地蔵院領勝浦庄内江田郷長夫役事 地蔵院文書
西山地蔵院文書P.3

年月日 西暦 原     文 出  典

那賀郡

郷(里)

山代、大野、島根、坂野、幡羅、和泉、和射、海部

郷(里) 年月日 西暦 原     文 出  典
幡羅郷☆ 那賀郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕【波羅】阿波国那賀郡幡羅郷海部里戸主阿曇部大嶋戸同部若万賂調御取鰒「六斤 /天平七年」 木簡研究12-p.13
海部里 那賀郡 天平7.10.- 735 〔木簡〕【波羅】阿波国那賀郡幡羅郷海部里戸主阿曇部大嶋戸同部若万賂調御取鰒「六斤 /天平七年」 木簡研究12-p.13
波羅里☆ 長郡 未詳 〔木簡〕阿波国長郡波羅里黒米五斗 木簡概報21-P.33
大野郷 長郡 天平勝宝2.4.4 750 〔優婆塞貢進文〕【大野】酒見君奈良万呂〈年廿四 安波国長郡大野郷戸主漢人根万呂戸口〉 正倉院文書
寧楽遺文中P.524
出水郷 那賀郡 未詳 〔木簡〕【和泉】阿波国那賀郡出水郷戸主秦人石〈〉部益庸米五斗 木簡概報19-P.25
竹原郷 那賀郡 未詳 〔木簡〕阿□(波)□□□竹原郷□□ 木簡概報15-P.8
林郷 那賀郡 未詳 〔木簡〕□波国那賀郡林郷白米五斗 木簡概報1-P.10
坂野里☆ 長郡 未詳 〔木簡〕【坂野】阿波国長郡坂野里黒米五斗 平城京木簡2-P.155
和佐里 長評 未詳 〔木簡〕【和射】長評和佐里・郡□(直ヵ)方俵 木簡研究10-p.17
浅河郷☆ 那賀郡 嘉禎3.5.4 1237 〔官宣旨〕当院領阿波国管那賀郡海部幷浅河牟岐参箇郷事 九条家文書6-P.4
牟岐郷☆ 那賀郡 嘉禎3.5.4 1237 〔官宣旨〕当院領阿波国管那賀郡海部幷浅河牟岐参箇郷事 九条家文書6-P.4
海部郷 那賀郡 嘉禎3.5.4 1237 〔官宣旨〕【海部】当院領阿波国管那賀郡海部幷浅河牟岐参箇郷事 九条家文書6-P.4
大由郷 那賀庄 元応2.8.- 1320 〔下鴨社造替用木注文〕右御材木は、於阿波国那賀庄内大由郷杣、除荒、筏目任願文充之旨、可被進河尻之状如件 下鴨社家文書
鎌倉遺文36-P.16
本郷 竹原荘 観応2.1.7 1351 〔細川賴春奉書〕阿波国竹原庄内本郷地頭職、任先例可有知行之状 安宅文書
南北朝遺文3-P.3
平島郷 那賀山 貞治6.5.13 1367 〔判官周惕・修造坊菅昌能連署寄進状写〕那賀山庄領家方平島・大田両郷自仙洞御寄進事 古今消息集
南北朝遺文4-P.203
大田郷 那賀山 貞治6.5.13 1367 〔判官周惕・修造坊菅昌能連署寄進状写〕那賀山庄領家方平島・大田両郷自仙洞御寄進事 古今消息集
南北朝遺文4-P.203
賀茂郷☆ 那賀山 永徳2.11.24 1382 〔足利義満御内書〕那賀山庄内賀茂和食郷並関等、任御寄進可為同寺領候 鹿王院文書
南北朝遺文5-P.312
和食郷☆ 那賀山 永徳2.11.24 1382 〔足利義満御内書〕那賀山庄内賀茂和食郷並関等、任御寄進可為同寺領候 鹿王院文書
南北朝遺文5-P.312
延野郷☆ 那賀山 永徳3.7.27 1383 〔大宮八幡大般若経巻355奥書〕奉施入阿州那賀山延野郷和食大明神 阿波徴古P.250
仁宇郷☆ 那賀山 文明8.6.15 1476 〔仁宇郷公事銭注文〕仁宇郷御公事銭事 蛭子神社文書
阿波徴古P.196
丹生里☆ 那賀郡ヵ 未詳 〔木簡〕丹生里籾一石 観音寺1-P.70

年月日 西暦 原     文 出  典
岐々之村☆ 日輪之荘 康正2.2.- 1456 〔宥染願文案〕阿州日輪之庄岐々之村/新福寺 二階堂家文書
阿波徴古P.133

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メイス - Wikipedia

メイス - Wikipedia 日本において、槌を武器として使用した記録は、『 日本書紀 』 景行紀 12年条に、碩田国直入県(現 大分県 直入郡)の禰疑野に住む土蜘蛛を倒すために、 椿 の木で槌を造り、強兵に授け、次々と打ち破らせたと記述され、一面血だまりになったことから、当時...