2024年5月3日金曜日

【珍説奇説】日本礼賛と反ユダヤ主義に基づくトンデモ妄想の羅列:田中英道『聖徳太子は暗殺された』 - 聖徳太子研究の最前線 石井公成。

【珍説奇説】日本礼賛と反ユダヤ主義に基づくトンデモ妄想の羅列:田中英道『聖徳太子は暗殺された』 - 聖徳太子研究の最前線

【珍説奇説】日本礼賛と反ユダヤ主義に基づくトンデモ妄想の羅列:田中英道『聖徳太子は暗殺された』

 東北大学教授として西洋美術を研究しておりながら、次第に日本礼賛の立場を打ち出すようになり、一時期は「新しい歴史教科書をつくる会」の会長もつとめ、会が分裂するとその仲間から離れて「日本国史学会」なる会を組織し、代表理事となった田中英道氏のどうしようもない新著が刊行されました。

田中英道『聖徳太子は暗殺された』(育鵬社、2023年)

です。

 田中氏は、史実無視の日本礼賛者であって、その立場から大山誠一氏の「聖徳太子はいなかった説」を批判する粗雑な本を出しています。そのため、このブログでも「太子礼賛派による虚構説批判の問題点」というコーナーで、批判を連載したことがありましたが、次第に妄想がひどくなってきており、今回の新著は「珍説奇説」コーナーの方で紹介せざるをえなくなりました。

 この「珍説奇説」コーナーの名誉ある第1回では、法隆寺の五重塔は送電塔がモデルだとか、秦氏の神社の鳥居は月着陸船だなどと説いた某教授の妄想論文を紹介しました(こちら)。田中氏の今回の新著は、それよりはややましかもしれませんが、「蘇莫遮」というのは西域の言葉の音写であるのに、法隆寺の聖霊会で演じられた「蘇莫遮」は、怨霊として荒れ狂う聖徳太子を表しており、「蘇莫遮」というのは「蘇我氏の莫(な)き者」という意味だと珍解釈を述べた梅原猛(こちら)よりアブナイかもしれません。

 まず、本書の「はじめに」では、

「蘇我」とは「我、蘇り」のことでキリストの再生を意味し、厩戸皇子は馬小屋で生まれたというキリストの符合ですから、蘇我氏がキリスト中心にしようとしていたことを示しているのです。(6頁)

と述べています。そもそも、「蘇り」でなく「蘇れり」としないと「よみがえり」と訓まれてしまうでしょう。西洋美術史が専門だった田中氏の古文・漢文の基礎力の弱さがうかがえます。

 それに、キリストの誕生に関する伝承は様ざまであり、家畜小屋で生まれたというのもその一つであるうえ、それを馬小屋と解釈するようになったのは近代日本でのことであって、聖書をそう訳したのはむしろ聖徳太子の厩戸誕生伝承の影響であった可能性があるとする最近の説については、このブログで紹介しました(こちら))。

 また、久米邦武が厩戸誕生伝承をキリスト教と結びつけたのは、西欧を視察してその産業とキリスト教の盛んさに衝撃を受け、日本は野蛮国ではなく、キリスト教が早くに入っていた文明国だと主張しようとしたためであるとする論文も紹介しました(こちら)。つまり、厩戸誕生説話とキリスト教とは関係ないのです。

 田中氏によると、蘇我氏は中国に渡って来ていたキリスト教ネストリウス派だそうですが、景教と称されるネストリウス派の文書のうち、敦煌に残されていた写本には、マリアが聖霊によって妊娠したとは書いてあるものの、馬小屋は出てきません。これについて近いうちに書きましょう。

 田中氏は、蘇我馬子について、「「馬子」とは馬を引いているユダヤ人のことです」(6頁)と説くのですが、「有明子」といった表記もあるのはなぜなんでしょう。それに、「馬子」という名が馬に関係しているのは当然ですが、馬を引くとなぜユダヤ人ということになるのか。中国人や韓国人は馬は引かないんでしょうか。

 「馬子」という名を「馬を引く人」と解釈するのは、「馬子(まご)」という言葉からの想像でしょうが、これは近世になって使われるようになった言葉です。「~子」というのは、中国にあっては孔子・老子・孟子・朱子など先生格の人に対する尊称なのであって、古代日本でも「小野妹子」などは立派な男性ということで「子」がつけられていました。田中氏の主張には、このような時代錯誤の思いつき語源説が目立ちます。

 田中氏は、尖った山高帽のような帽子を被り、長い髪をたらして髭を伸ばした人物埴輪が日本で出土しているのは、ユダヤ人が渡ってきていた証拠とします。そして、有名な「唐本御影」で中央の人物の横の二人の少年が髪を美豆良にしていることについても、「ユダヤ人の風俗です」(173頁)と断言しています。

 しかし、長い髪をたらすのと、それを結ってぐるっと輪の形にするのでは、まったく違いますし、ユダヤ人が美豆良を結っているのは見たことがありません。それにユダヤ人の伝統的な帽子は、小型の皿形のものを頭に載せるのであって、つばのある山高帽タイプではないし。とんがり帽となると、私などは、つばはないものの、国際貿易で知られたイラン系のサカ族の帽子などを思い浮かべてしまいます。

 田中氏はこの本以前に「ユダヤ人埴輪」なるものに関する本を出しており、「ユダヤ人埴輪」に見られる帽子と髭と髪型は、ユダヤ教徒の中でも伝統通りに生活しようとする「超正統派」と呼ばれる人々の姿だと強調します。

 しかし、ある歴史学者はその本を「とにかく自国を賞賛しまくる妄想通史」と評し、男性が山高帽のような帽子をかぶり、もみあげと髭を伸ばす「超正統派」は近世に形成されたとする説もあることなどを指摘し、この本のでたらめさ加減を詳細に説いています(こちら)。

 それに、ユダヤ教の「超正統派」の人々が、どうしてネストリウス派のキリスト教に転向するんでしょう。むろん、キリスト教徒になったユダヤ人は、過去もいましたし現在もいますが、唐代の長安に来ていた景教の人々がユダヤ人であったことを示す文献は知りません。

 また、田中氏は、馬子は「聖徳太子をキリストに仕立てようとした」(8頁)のであって、早く天皇にするために崇峻天皇を暗殺したと説くのですが、だったら、なぜ太子でなく推古を天皇にしたのか。

 しかも、田中氏によれば、聖徳太子は素晴らしい伝統を誇る日本人の代表であって、「馬子による日本のキリスト教化に反発した」(9頁)たために暗殺されたそうですが、『日本書紀』や『法王帝説』によれば、馬子の娘を妃とし、馬子とともに政治をとって歴史書も編纂したと記されているのはどうしてなんでしょう? それに、聖徳太子は父方・母方とも蘇我氏の系統ですので、太子にもユダヤの血が入っていることになりませんか?

 田中氏は、「憲法十七条」や三経義疏を上記の立場から強引に説明するのですが、概説の紹介に基づく強引な解釈にすぎないため、西洋美術の研究者であった田中氏は漢文が読めず、仏教や儒教をよく知らず、関連する研究書や論文も読んでないことは明らかです。馬鹿らしくてとりあげる気にもなれません。

 この本のテーマである太子暗殺論については、蘇我氏はキリスト教を広めるための手段として仏教を用いたたが、太子は仏教だけを広めようとしたため、邪魔とされて殺されたのであり、こうした邪悪な蘇我氏を除いたのが乙巳の変だとしています。戦前の蘇我氏逆臣説を「蘇我氏=ユダヤ人悪者説」に変えただけですね。

 それに、ユダヤ人である蘇我氏の陰謀に反対したのが純正日本人である聖徳太子であり、乙巳の変で危険なユダヤ人である蘇我氏を除いたのであって、天智天皇と天武天皇が日本の正しいあり方を定めたとされていますが、天武天皇の皇后であってその後に即位した持統天皇は、天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂(入鹿の従兄弟)の娘の間に生まれています。

 つまり、田中説によると、持統天皇にはユダヤの血が入っていることになるのです。しかも、以後は、その持統天皇と天武天皇の間に生まれた人たちの系統が次々に天皇となってますよ。

 田中氏は、日本の純粋さを守る愛国主義者のつもりかもしれませんが、戦前ならこの本は、「皇室をユダヤ人の家系としており、不敬きわまりない」として発禁になった可能性があります。自分で書いていて、そうしたことに気づかないのか。

 田中氏は、古代に技術面で活躍した者たちを片っ端からユダヤ人とします。たとえば、武内宿禰の子とされる葛城襲津彦は応神天皇から弓月君とその民を連れてくるよう命じられ、これが秦氏の祖先とされる者たちですが、「弓月(ゆづき)=ゆず=ユダ」なのでユダヤ人だそうです。

 どうして古代の中国語・韓国語・日本語の音韻やその変化などについて調べないんでしょう。東洋史の研究では、「弓月」の語は(秦氏などが日本に渡ってきてからかなり後となる)唐代になって記録に見えるようになったものであり、中央アジアを支配した西突厥の一族であって、「弓月(きゅうげつ・がつ:中国の中古音では キュングァット)」という表記は、Kangar とか Kangali などの漢字音写ではないかとする説もありますよ。

 私は以前、授業の中で、玄奘三蔵がインドで学んだナーランダ寺を歌った歌が日本に伝えられていると述べ、「♪咲いた、咲いた、チューリップの花が。並んだ、並んだ(なーらんだ、なーらんだ)、赤白黄色……」という歌は、実はナーランダ寺がイスラムによって破壊されて僧侶が殺された悲劇を伝える暗号になっている、などと冗談を言ったりしたのですが、田中氏のユダヤ人説はこのレベルです。

 「弓月(ゆづき)」という訓みついては、神聖な樹木であって儀礼がおこなわれる「斎槻(ゆつき)」と関連するとか、遠い祖とされる融通王の名と関連するといった説もあります。これらをきちんと考慮して検討すべきでしょう。

 それに、この渡来人もユダヤ人、この豪族もユダヤ系と論じていくと、古代の日本は文化の程度が低く、新たな技術をもたらして日本を発展させたのは、朝鮮諸国からの渡来人や朝鮮経由で渡ってきた中国人や西域人などではなく、すべてユダヤ人ということになります。

 また、現代の日本人は、皇室も含めてそうしたユダヤ人たちの血を引いているということになりますので、読んでいると、田中氏のひきいる「日本国史学会」は、皇居前に巨大な「ユダヤ人感謝の碑」を建てる運動を始めるべきではないかさえと思われてきます。邪悪な者たちの活動を強調する陰謀史観というのは、実はそうした者たちの活躍ぶりを示すという性格も持っているのですね。

 田中氏は若い時は優秀な西洋美術史の研究者だったのでしょうが、西洋の学問を学んでいた秀才がこのように日本礼賛や邪悪な外国民族批判のトンデモ妄想をくりひろげるようになる先例としては、木村鷹太郎がいます。

 鋭い舌鋒のため「キムタカ」と呼ばれて恐れられた木村鷹太郎は、東大出身で西洋の哲学・文学のすぐれた研究者・紹介者でありながら、後になると、実は日本こそが世界の文明の起源であって古代には日本が世界諸地域を支配していたと説くようになっていますので、近いうちに紹介しましょう。

 それにしても、出版元の育鵬社って、日本礼賛の立場の歴史教科書を出しているところでしょ。広く認められて教科書の採択を増やしたいはずの会社が、会社の信用を落とすトホホ本ばかり出すというのは、どういうつもりなのか。

 もっとも、社会科学系の堅実な学術書を出版している左翼系の明石書店も、万世一系史観を否定しているという点を評価しているのか、会社の信用度を落とす古田史学の会のトンデモ本を出し続けており、その点は育鵬社に似てますね。

 つけ加えておきますが、私は日本文化が大好きであって、日本の文学・芸能の意義・特色に関する論文を多数書いており、日本批判ばかりやるタイプの人間ではありません。また、拙著の『東アジア仏教史』(岩波新書)では、東アジア諸国における仏教の相互交流・相互影響という面を強調しているように、諸国・諸地域から渡来した人々の活躍という点も重視しています。ただ、あまりにも文献無視、時代背景無視のトンデモ論義を放置しておくことはできません。

【追記】
倉山田石川麻呂「の娘」という部分が抜けてましたので、補足しました。また自分の立場を末尾で少し説明しておきました。

【追記:2023年2月28日】
高い技術を持ったユダヤ人が日本に渡来していたとする田中説は、あちこちで発見されている外国人風な人物埴輪に基づくようです。こうした人物埴輪は、独特な魅力があるものの、異様なまでに写実的で精巧な秦の始皇帝の兵馬俑などに比べれば、子供の粘土細工のようにしか見えません。人物埴輪と同時期である高句麗の墓室の壁画などと比べても、かなり古代呪術的で素朴なつくりに見えるのですが。

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