イエスキリストと神武天皇 茂木誠先生
https://youtu.be/81VMJB9JwX0ミトラ教
クリスマス
イースター
大地の女神
神武天皇
インド・ヨーロッパ語族とは何か? 中東という世界、そこに住む人を思い浮かべるとき、たとえば──イラン人、トルコ人、アラブ人、それぞれの典型的な容貌をイメージすることはできますか。 おそらく、難しいでしょう。我々は、「中東の人」というと、つい一緒くたにして髭モジャの、浅黒い肌をした人を思い浮かべてしまいます。 けれども、実際に行って、見てみるとわかるのですが、イラン人は白人です。 「イラン」というのは、「高貴な民」という意味の言葉で、英語でいうとロイヤルです。「イラン」と語源を同じくする言葉で、「アーリャ」というのもあります。イラン人と同じ起源を持ち、インドに渡っていった人びとがアーリャ人です。 イランの言葉はご存じでしょうか。イラン語ではなく、ペルシア語といいます。一方、アーリャ人たちの言葉は何かというと、これもアーリャ語とはいいません。サンスクリット語です。大乗仏教の経典などはみな、サンスクリット語で書かれました。 ペルシア語とサンスクリット語を比べてみると、単語や発音、文法構造がそっくりです。イラン人とインドの北のほうにいるアーリャ人は、兄弟であるといっていいでしょう。 さらに視野を広げてみると、ヨーロッパの言語、ドイツ語やフランス語やスペイン語の中にも、その非常に基本的な言葉──動物の名前や体の部位を表す言葉の中に、ペルシア語やサンスクリット語にそっくりな言葉がたくさんある。そのことに、十八世紀イギリスの学者が気づきました。 つまり、ヨーロッパの民族も元は同じなのだろう、ということです。 ヨーロッパとイラン・インドの中間地点というと、南ロシア、今のウクライナからカフカース地方、あるいはトルコの辺りです。 おそらく、この辺りにいた民族が、西はヨーロッパ、東はイラン・インドに広がったのだろう。 これが、「インド・ヨーロッパ語族」という仮説です。 さて、言葉が同じということは、宗教も共通していたはずです。 インド・ヨーロッパ語族に含まれる民族の宗教を見てみると、ヨーロッパにはギリシアに自然崇拝の多神教があります。オリンポスの神々といって、太陽や星、山や川、大地や海を神として祀る信仰です。 逆に、東のほうを見ると、インドにはバラモン教という宗教があります。 いずれにしても、その起源となる宗教があるはずです。 そこで歴史をさかのぼってみると、インド・ヨーロッパ語族の先祖が祀っていた多神教の太陽神に行きつきます。これがミトラ神です。 この章では、ミトラ信仰がいかに世界に広がっていったか、を見ていきましょう。 ゾロアスター教に取り込まれたミトラ信仰 ミトラ神は太陽の神、光の神ですから、頭から光が出ているのが特徴です。 次にあるのはイランの壁画です。三世紀にササン朝ペルシアを興したアルダシール一世という王様がいて、その後ろにいるのがミトラ神です。放射状に光が出ているのがわかります。 これはアルダシール一世の戴冠式の絵で、その様子を太陽神ミトラが見守っているのです。 紀元前六世紀頃、イランでは原始多神教の改革運動が起こりました。この宗教改革者をゾロアスターといいます。 ゾロアスターは、もともとたくさんいた神々を整理して、二人の神を引っ張り上げます。一方がアフラ・マズダー、もう一方がアーリマン。それぞれ光と闇を表していて、この二人の神が戦っている、ということにしたのです。 曰く、歴史は一万二千年で終わる。歴史というのは世界を作った光の神アフラ・マズダーと闇の神アーリマンの戦いである。両者は三千年周期で戦う。すなわち、歴史が始まって三千年、六千年、九千年、そして一万二千年。そして、現在は九千年目と一万二千年目の間である。しかも、九千年目の決戦で光の神は負けたというんですね。今は闇が勝っている、と。世界にさまざまな悪がはびこっているのはそのせいであるというわけです。 けれども、もうちょっと我慢すれば一万二千年目、歴史の終わりで最後の決戦があり、そこで光が勝つ。最後の戦いのあとには神が全人類を裁く最後の審判があり、悪は滅ぼされるのである──これがゾロアスター教の歴史観です。 このような、「もうすぐ歴史が終わる、恐ろしいことが起こる」という考え方を、終末論といいます。あとでまた出てきますので、ちょっと憶えておいてください。 ゾロアスター教が広がる過程で困ったのが、この地でもともと信仰されていたミトラ神との関係です。ミトラは太陽神、光の神でした。アフラ・マズダーも光の神で、両者が競合してしまう。 そこでゾロアスターは「ミトラはアフラ・マズダーの化身である」と説明します。あるいは生まれ変わり、あるいは分身だと。こうして整合性をつけたことによって、イランではゾロアスター教の中にミトラ信仰が入っていくことになります。 仏教の変種、弥勒信仰 さて、同じインド・ヨーロッパ語族のインドにも当然、このミトラ信仰は伝わります。インドでは、ミトラ神が仏教に入りこんでいくことになりました。 ここでおさらいです。仏教の思想というのはどういう思想か。 人間は生まれ変わり、死に変わる。時間に終わりも始まりもなく、永久に円環構造でグルグル回っていく。だから意味がないというので墓も作らない。これが仏教でしたね。 ところが、この仏教の教えの中に、ちょっと異質な流れがあります。時間には始まりと終わりがあるというのです。これが弥勒信仰です。 弥勒信仰の背景には、末法思想があります。 これは、ブッダの死後、その教えが衰えてやがて失われるという考え方です。 まず、ブッダが亡くなった仏滅から千年間はブッダの教えが保たれます。この時代を正法といいます。 次の千年間では、ブッダの教えは形骸化します。一応残ってはいるけれども、中身はからっぽだ。これを像法といいます。 さらに、仏滅から二千年以降は、ついにブッダの教えが途絶えてしまい、悪がはびこることになる。これを末法というわけです。 この末法思想は、大乗仏教の一派である浄土教の思想で、終末論の一種です。この浄土教が、唐の時代の中国に広がっていました。そこに、シルクロードを通って入ってきたのがペルシアの終末論です。ミトラ教・ゾロアスター教の流れをくむマニ教が入ってきて、その救世主思想が浄土教の末法思想と合体した。 結果、仏教の中では異質な、世界最後の日に救世主がやってくるという教えになった。この救世主が弥勒菩薩、マイトレーヤです。 ゾロアスター教では救世主が光の神アフラ・マズダーでした。アフラ・マズダーは、ミトラ神の化身でしたね。 救世主マイトレーヤはミトラと音が似ています。ミトラがマイトレーヤになったという可能性もあるわけです。 大乗仏教の唯識派の学者で実在の人物にもマイトレーヤという人がいましたが、弥勒信仰のマイトレーヤというのはガウタマの次にブッダになることが約束されている「未来仏」です。ブッダというのは、「悟りを得た者」という意味でした。ブッダを目指して修行している人をボディーサットヴァ、菩薩といいます。マイトレーヤは今のところ修行中の菩薩だけれども、将来ブッダになるということです。 マイトレーヤが修行しているのは地上ではなく、天界です。天界は何層にもなっていて、その中の兜率天という所で一生懸命修行をしている。もう少しでブッダになろうというときにマイトレーヤはふと地上を見ます。そこには煩悩にまみれた人びとが苦しんでいて、「私一人が救われていいのか」と疑問を持ったマイトレーヤは地上に下りてみんなを救おうと考える。それがいつかというと、ブッダが亡くなってから五十六億七〇〇〇万年後だという。 さすがに、そんなに先まで救いを待つわけにはいきません。そこで、一生懸命に拝んで「早く地上に来てください」とお願いする。これが弥勒信仰なわけです。 その結果、弥勒は本当に地上に下りてしまったこともあります。これを弥勒の下生といいます。しかも、地上に下りて女になった。それが則天武后だという。彼女は自分のことをマイトレーヤの生まれ変わりだと称して、唐王朝を乗っ取ったわけです。 則天武后以降、中国では自称マイトレーヤが度々出現します。あるいは、王朝末期になると「間もなく弥勒が下生するから立ち上がれ」と蜂起を呼びかける動きもしょっちゅう起こります。弥勒下生説と浄土教が合体した白蓮教の信徒たちです。 モンゴル人の元王朝の末期には、紅巾の乱という農民反乱が起きました。この中心となったのが白蓮教でした。 実際にこの反乱で元王朝は倒れ、次の明王朝が興ります。なぜ明という国号になったかというと、前の元王朝をモンゴル支配の「闇の時代」と見て、次は「光の時代」が来る、という発想です。ゾロアスター教、マニ教からの影響がうかがえます。 十八世紀に起きた白蓮教徒の乱は、やはり異民族、満州族の清朝を打倒しようとしたものでした。二十世紀になると、清朝は日清戦争に負けて日本・イギリス・フランス・ロシア・ドイツに領土を切り刻まれます。このとき、またしても「外国人の支配は闇だ」と言って暴れたのが義和団です。これも中心メンバーは白蓮教徒でした。 弥勒信仰は、日本でも飛鳥時代に盛んになりました。国宝第一号の広隆寺弥勒菩薩像をはじめ、飛鳥時代の有名な仏像はほとんどが弥勒、マイトレーヤです。 ところが、日本では弥勒信仰が革命運動につながることはありませんでした。 中国には易姓革命という革命思想の伝統があります。これは孟子が唱えた思想で、天の命令を受けた有徳者が暴君を打倒して新しい王朝を建てるのは正当である、というのです。 このように、もともとあった革命思想に救世主思想が合体すると、白蓮教による革命運動になるわけです。 日本には、易姓革命の思想がありません。天皇家は「万世一系」とされ、王朝交代を認めないからです。 ヘリオスから弥勒まで──世界に広がるミトラ神 今、世界は闇に覆われている。みんな、苦しい思いをしている。けれども、もうすぐ終わりがやってくる。そのとき、弥勒という仏が天から降りてきて、悪を滅ぼして人びとを救うのだ──。 この弥勒信仰は、どう見ても仏教ではありません。ゾロアスター教の思想、あるいはユダヤ教のような、西方の宗教の思想に近い。 その点を踏まえて、次の写真を見てください。写真は、パキスタンで見つかった弥勒仏のお姿です。頭のバックに丸い円盤がついています。これを光背といいます。 ミトラをサンスクリット語でいうとマイトレーヤ。マイトレーヤを漢字で書くと弥勒。弥勒菩薩というのは、実はミトラ神なのでは、という話はすでにいたしました。 この弥勒仏の姿はおそらく、イランの壁画で見たミトラ神の姿から来ている、と考えられるわけです。 このように、イランではゾロアスター教に、インドでは仏教に、それぞれミトラ信仰が取り入れられました。 では、ヨーロッパではどうでしょうか。 ギリシア、ローマの多神教にも、やはりミトラ信仰が入り込んでいます。 まず、ギリシアには太陽神がいます。アポロン神が有名ですが、もう一人、太陽そのものを擬人化したのがヘリオス神です。これとミトラは合体します。そして、ギリシアとローマ、特にローマでは盛んにミトラ像が作られることになりました。 ローマ時代に作られたミトラ神の姿を見てみましょう。ここでは、ミトラ──ラテン語でいうとミトラスは、生贄の牛を殺す姿の若い男の姿で表されています。 現在では内戦でめちゃめちゃになってしまいましたが、シリアのエメサという所にこのミトラ神を祀る神殿がありました。ヘリオガバルス神殿といいます。 ヘリオというのは太陽。ギリシアの太陽神はヘリオスでしたね。左上にいるのがミトラです。次の写真、ミトラの右にいるのはローマの一番偉い神様、ユピテル。英語でジュピター、土星の神様です。この神々が仲良く並んでいます。 東方では、イランのゾロアスター教、インドの仏教に影響を与え、西のヨーロッパではギリシア・ローマの多神教に影響を与える。こうして、インド・ヨーロッパ語族とともに、世界にミトラ信仰は広がっていったのです。 キリストの手と弥勒仏の手はなぜ同じ形なのか? ところで、日本にある弥勒仏で一番有名なものというと、先ほど紹介した広隆寺の半跏思惟像ということになるでしょう。 この弥勒仏のお姿をよく見てください。手の形、親指と薬指をつけて、人差し指と小指が立っているのに注目です。 今度は有名なキリスト像を見てみましょう。イスタンブールにあるハギア・ソフィア聖堂の、モザイク壁画に描かれたキリストです。 手を見てください。何と、広隆寺の弥勒仏と同じです。 これはどういうことなのか。 おそらく、イエスのモデルと弥勒のモデルが同じなのでしょう。 ギリシア正教会では、このキリストの手のポーズについて、こんな説明をしています。まず親指と薬指、これはⅩを表す。そうすると人差し指がまっすぐ立つから、これがIである。それから小指と中指はちょっと曲がるので、これはCである。これはギリシア文字でイエス・キリストを表すのだ──。 いかがでしょうか。ちょっとこじつけの解釈をしているように思えます。 このキリストの手の形が、半跏思惟像と同じである、ということはどう解釈すればいいのでしょうか。 半跏思惟像は、イエス・キリストだということでしょうか。さすがにそこまで言うと、それもまたこじつけになるでしょう。 ただ、おそらく根っこはつながっています。我々は、仏教とキリスト教は全く関係がないと普段は思っていますが、ミトラ信仰という共通の根っこがあることはこれまで述べてきた通りです。 ミトラ信仰はいかにしてキリスト教に取り込まれたのか? ミトラ信仰はローマにも伝わったのだという話をしました。ここで、ミトラ信仰がローマにどうやって入ってきたかを見てみましょう。 ローマは、ササン朝ペルシアと何度も戦争をしています。どうやら、この過程で、敵であるペルシアにある意味で感化されてしまった。敵方にはすごい神様がいるらしい、というわけで、まずはペルシアを攻めていたローマ兵がミトラ信仰にハマってしまった。 ローマ人は、ミトラのことをラテン語でこう呼ぶようになります。 「ソル・インヴィクトゥス(Sol Invictus)」。インヴィクトゥスとは負けないという意味。つまり、「無敵の太陽神」です。 こうして、ローマとペルシアが戦っているちょうど真ん中に、無敵太陽神の神殿ができました。これが今のシリアにあるエメサという町です。 ここにはもともと、隕石が祀られていました。黒い円錐形の隕石です。これが太陽神の依代、ご神体として祀られていたようです。ちなみに、イスラム教の聖地メッカのカーバ神殿にも、黒い隕石が祀られています。 エメサの神殿は、ちょうどローマとササン朝ペルシアの間にありました。そのため、エメサはこの後、両国の緩衝地帯になります。 この状況を利用したのが、無敵太陽神を祀っていた神官たちです。何と、ローマとペルシアの間でうまくバランスを保って、独立国家をつくってしまったのです。これが後にパルミラといわれる国です。 エメサの宗教国家は中継貿易で栄え、さらに王様──チベットのダライ・ラマのような「祭祀王」です──はローマ皇帝と姻戚関係をつくります。そして、祭祀王一族は、ローマ帝国に対しても隠然たる力を持つようになるのです。 特に、ユリア・ドムナという祭祀王の娘は、まさに神がかったカリスマで、歴代のローマ皇帝をあごで使った女傑です。
彼女はローマ皇帝セヴェルスと結婚し、子供を産み、その子をローマ皇帝にします。これがカラカラ浴場で有名なカラカラ帝です。 カラカラ帝以降も、ユリア・ドムナの息子や孫たちが次々と皇帝になって、祭祀王の一族(セヴェルス朝)がローマを仕切ってしまった。これが三世紀のことです。 中でも一番悪名高いのは、ユリア・ドムナの孫と称したエルガバルスという男です。おじに当たるカラカラ帝が部下の反乱で殺された後、わずか十四歳で皇帝になりました。 エルガバルスはもともと太陽神殿の神官だったので、「ご神体」の黒い石とともにローマに入城します。 このときに、もともとローマに祀られていた神々の像をどけて、神殿に黒石を乗せ、ローマ市民に命じました。「これからはこの黒石を神として祀れ」と。こうしてローマは、シリアの新興宗教に乗っ取られてしまったわけです。 次にあるのは、エルガバルスが発行したコインです。ここに描かれているのが、馬車で黒石をローマに運ぶシーンですね。 どんな宗教だろうと、よい政治をすれば問題はありません。ところがエルガバルスは、とんでもない暴君になってしまいます。 ローマの暴君というと、一番有名なのはネロでしょう。キリスト教徒の迫害で悪名高い人です。 エルガバルスは間違いなくネロを超える、そしておそらくローマ史上最悪の異常な皇帝です。けれども、ネロほどは知られていない。なぜか。あまりにも異常過ぎて、教科書には載せられない人だからです。 何をやったかというと、まずはご神体である黒石に生贄を捧げる。少年たちをたくさん拐かしてきて、黒石の前で殺します。 また、彼は性倒錯者で、街の売春宿に入り浸ります。といっても買うのではない。売るんです。にわかには信じがたいですが、皇帝みずから女装して客を取ったという。そんな記録がいっぱい残っているわけです。 さすがにこの皇帝には周囲も反発して、結局、十四歳で即位したエルガバルスは十八歳で軍の反乱により殺されてしまいます。 このとき、ローマに運び込まれた黒石もついでに捨ててしまえという意見もありましたが、たたりが怖いというのでまた馬車で丁重に送り返した、という逸話も残っています。 エルガバルスのあとに登場したゼノビア女王は、いよいよシリアに独立国をつくります。これがパルミラ王国。太陽神殿の宗教国家が、名実ともに王国となり、ローマに反旗を翻したのです。 ローマとの激しい戦いの末、パルミラ王国は敗れました。ローマのアウレリアヌス帝は、首都パルミラを破壊します。 ところが、パルミラが敗れても、太陽神はやはり無敵だったのです。 戦に勝ったアウレリアヌス帝が持ち帰った戦利品の中にはさまざまな祭具が含まれていた。もちろん、太陽神信仰に使うものです。 何と、ローマのアウレリアヌス帝自身が太陽神信仰にハマってしまって、またしてもこれを強制するということになってしまったのです。まさに無敵太陽神です。 このあたりから、いよいよローマは多神教ではなくなっていきます。ギリシア以来の、たくさんの神様がいるという信仰が衰えていく。 キリスト教がローマに入ってくるのはこの後です。 多神教を認めないキリスト教は、何度も何度も迫害を受けてきました。そのローマ帝国で、最終的にはキリスト教は公認されるに至ります。 それまでの迫害をやめ、キリスト教を公認した「名君」として世界史の教科書に必ず太字で載っているのが、コンスタンティヌス帝です。そして、キリスト教を認めたのがミラノ勅令というものです。 ところが、実はこのミラノ勅令をよく見てみると、コンスタンティヌス帝はキリスト教を認めるとは言っていない。すべての宗教を認める、と言ったのです。 では、そう命じた彼自身は何教徒だったか。 これが実はミトラ教徒です。 このことは彼の発行した貨幣を見るとわかります。次の写真を見てください。表にはコンスタンティヌス帝自身、裏には光背のある太陽が描かれてSol Invictusと書いてある。無敵太陽神ですね。 キリスト教の迫害を続けていたローマの皇帝であるコンスタンティヌスがなぜミラノ勅令を出すに至ったのか。これについては伝説が残っています。 コンスタンティヌスが即位する前に、ライバルと皇帝の座をめぐって戦う話です。 《昼というのに早くも太陽が傾き始め、その日輪の真上に光の十字架と、「これにて征服せよ」という文字が戦勝記念碑のように浮かんだという。彼はそれを見て驚きに打たれた。従軍した兵士も一人残らずこの奇跡を目撃した。……突然、夜が訪れ、眠りの中で神であるキリストが同じ印を持って現れ、「あなたが空に見たこの印と同じものを作り、敵との合戦のたびにつかいなさい」と命じた》 (エウセビオス『コンスタンティヌス大帝伝』) このお告げの通りにしたら、コンスタンティヌスは連戦連勝し、ローマ皇帝になれたというのです。 あのローマ皇帝がついに改心した、それも神の力によるものなのだ、ということで、キリスト教会が後々まで大々的に宣伝した話です。 この話を題材に、ルネサンスの画家ラファエロは「十字架の出現」という絵を描いています(次参照)。 太陽に十字架が現れる、というのは、信仰のない者にとっては馬鹿げた神話のように感じられるでしょう。ところが、太陽に十字架が現れるという自然現象が実際にあるのです。 ハロー(halo)と呼ばれる現象です(次参照)。寒い日に水蒸気が凍ってプリズムの形になり、太陽や月の光を歪める現象です。 「日輪の真上に光の十字架」を見てしまった人たちは、この現象を目撃したのではないか。 ミトラが背負っている光も、その起源はハロー現象なのではないか、と考えられるわけです。 さて、次図は、その後、教会が盛んに使ったキリストのシンボルです。これは先ほどのギリシア正教会における手のポーズと一緒で、ギリシア文字で「クリストス(キリスト)」の頭の二文字、XとPを表しています。 ところが、これもよく見ると、ミトラの光背(こちら)とそっくりですね。 こんなところにも、ミトラ教とキリスト教のつながりが見て取れるわけです。 太陽神としてのイエス 前述のように、ミラノ勅令ですべての宗教を認めたコンスタンティヌス帝は、ミトラ教徒でした。 コンスタンティヌス帝に限らず、実はキリスト教を受け入れたローマの有力者たちの中には、ミトラ教が広く浸透していた。それが何を意味するか。彼らはミトラ教の枠組の中でキリスト教を理解した、ということです。 すなわち、キリストは太陽神であり、我々を救ってくれる神である、と考えたのです。 ミトラ信仰の枠組の中でキリスト教が理解されていったプロセスは、たとえばこんなところにもうかがえます。 今年は西暦二〇一七年です。ということは、二〇一七年前にキリストが生まれたと我々は思っています。でも、それは本当でしょうか。 イエス・キリストの生涯が描かれている書物は? といえば、『新約聖書』ですね。 その冒頭には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという四人の作者によって、それぞれイエスの生涯が語られています。 その中で、一番史実に近いとされているのが、ルカによるイエスの伝記。「ルカによる福音書」と呼ばれるものです。 では、「ルカによる福音書」には、キリストの生誕はどのように描かれているでしょうか。 《皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。……最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。(イエスの父)ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのべツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである》(『ルカによる福音書』2章1節~7節) 皇帝アウグストゥスというのは、ローマの初代皇帝でした。その皇帝が、ローマの全住民に住民登録をせよと命じたわけですね。 一方、イエスの父であるヨセフは「ダビデの家」の人だったとあります。これは、昔のユダヤの王様の一族だったという意味です。 そこで、今住んでいるガリラヤの町ナザレではなく、一族の故郷であるユダヤのベツレヘムという町まで行って住民登録をしようとした。そしてベツレヘムに滞在中、みごもっていた婚約者のマリアが産気づいて、初めての子を産んだ。これがイエスです。 「ルカによる福音書」に書かれているイエス生誕のエピソードはこれだけです。 読んでみて、ちょっと変だな? と思わないでしょうか。 まず、キリストの生誕の有名なエピソード、馬小屋で生まれたという話が出てきませんね。「飼い葉桶」というのは馬の餌を入れる容器ですから、馬小屋が近かったのかなということはわかりますが。 このことから、実際にはイエスが生まれたのは洞窟だったという説もあります。 ちなみに、他の三つの福音書にも、馬小屋の話は出てこない。それどころか、イエスがどこでどうやって生まれたかについて何も書かれていません。 もうひとつ気づくのは、クリスマスはどうなったんだろう、ということ。 イエスがいつ生まれたか、もここには書かれていないのです。他の三つの福音書にもです。 では、なぜ我々はイエスの生まれた日を十二月二十五日だと思っているのか。 あるいは、思い込まされているのか。 実は、ここにもミトラ教が影響しているのです。 太陽神ミトラの誕生日は、十二月二十二日です。冬至ですね。 冬至は一年のうちで昼間が一番短い日です。すなわち、太陽が一度死んで生まれ変わる日である。だから十二月二十二日は太陽の誕生日だ、というわけです。 ミトラ教が盛んだった当時のローマでは、国を挙げてミトラ神の誕生日を祝っていました。 キリスト教徒はここに目をつけました。ミトラ神の誕生日に合わせて、「実はこの日はイエス様の誕生日なんだ」と言い出した。 つまり、パクったのです。 ちなみに、教会が正式にこの日をイエスの誕生日としたのはずっと後の話です。イエスが亡くなってから何と三百五十五年後、ローマ教皇ユリウス一世の時代のことでした。 その後、ユリウス暦がグレゴリオ暦に変わるときに、二十二日が二十五日に変わって現在に至るわけです。 さらにドイツや北欧へキリスト教が広まる過程で、ゲルマン人の多神教が融合します。サンタクロースの原型は北欧神話の年の神、もみの木は冬至の祭りに使われた常緑樹です。キリスト教とは何の関係もありません。イエスが住んでいた中東に、トナカイはいませんね。 パクったのはそれだけではありません。 イエスが生まれたとき、噂を聞いた三人の博士が見にきた、という話をご存じの方がいるかもしれません。これも聖書に書かれている、「東方三博士の礼拝」というエピソードです。 実は、これもミトラ教の神話に同じ話がすでにあった。太陽神ミトラが生まれたときに博士が訪ねてくるというエピソードです。 さらに、ミトラ神が人となるという話もありますし、ミトラ神は救世主であり、復活するということにもなっています。 これらがすべてキリスト教に取り入れられていることはもはや明らかでしょう。 キリスト教は、ミトラ信仰から多くの要素をパクっている。というより、ミトラ的な要素をとったら聖書には何も残らないといったほうがいいかもしれない。 キリスト教の神話というのは、ほとんどがミトラ教の神話の焼き直しなのです。 ここまで徹底してミトラ神を利用しておきながら、権力を握ったあとのキリスト教はミトラ的な要素を全部隠してしまいます。 ミトラ神殿を破壊し、肖像画を塗りつぶし、といった工作を行って、自分たちはまったくオリジナルな宗教だということにしたのです。 それでも、ミトラ信仰の痕跡を消し去ることはできません。 たとえばローマ時代からある古いキリスト教会の地下を掘っていくと、牡牛を殺すミトラの像が見つかったりします。教会が建っている場所は、だいたいがミトラ神殿の跡だったからです。
イエスは紀元元年に生まれたのか? 前章では、イエスの誕生日が十二月二十五日に決まった経緯を説明しました。イエスの誕生日はあとから冬至の祭りに合わせて決められたのです。 では、生まれた年はどうでしょう。つまり、紀元元年は、本当にイエスが生まれた年なのでしょうか。 聖書の記述を見てみると、イエスが生まれた年についても何も書かれていません。 では、年号を推定する手がかりは何かないだろうか。ただひとつ書かれているのが、イエスが生まれたのは皇帝が住民登録を実施した年である、ということです。 ローマの暦についてはすでに説明しました。共和政の時代は執政官○○の年、という言い方をした。ローマの末期には、独裁者ディオクレティアヌスの即位年を元号とする暦が使われるようになります。これを殉教者暦といいます。 キリスト教会ではしばらく、この暦を使っていました。しかし、キリスト教の迫害者を記念した
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もぎせかチャンネル 1年前
【補足】古代中国の占星術では「甲子(かっし)革令」「辛酉(しんゆう) 革命」と
いい、 ① 甲子・辛酉の年には天変地異や政変が起こる。 ②60年周期×21サイクルの
1260年ごとに大変革が起こる、と考えました。 日本書紀の原型である天皇記・国記が
成立したのが推古天皇の時代。推古9年(西暦601年)がたまたま辛酉の年にあたり、
そこから1260年さかのぼった紀元前660年を神武天皇の即位年と設定しました。
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神社チャンネルさんによって固定されています
もぎせかチャンネル 1年前
【補足】古代中国の占星術では「甲子(かっし)革令」「辛酉(しんゆう) 革命」と
いい、 ① 甲子・辛酉の年には天変地異や政変が起こる。 ②60年周期×21サイクルの
1260年ごとに大変革が起こる、と考えました。 日本書紀の原型である天皇記・国記が
成立したのが推古天皇の時代。推古9年(西暦601年)がたまたま辛酉の年にあたり、
そこから1260年さかのぼった紀元前660年を神武天皇の即位年と設定しました。
0:00あなたの心に灯をともす東洋1及び浸透
0:02研究家の高いからです
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0:29キリストの真実については教科書で
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0:57非常に興味深い必見の内容となっていると
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13:55いますありがとうございましたまた
13:56よろしくお願いします御門先生でした県の
イエスは紀元元年に生まれたのか? 前章では、イエスの誕生日が十二月二十五日に決まった経緯を説明しました。イエスの誕生日はあとから冬至の祭りに合わせて決められたのです。 では、生まれた年はどうでしょう。つまり、紀元元年は、本当にイエスが生まれた年なのでしょうか。 聖書の記述を見てみると、イエスが生まれた年についても何も書かれていません。 では、年号を推定する手がかりは何かないだろうか。ただひとつ書かれているのが、イエスが生まれたのは皇帝が住民登録を実施した年である、ということです。 ローマの暦についてはすでに説明しました。共和政の時代は執政官○○の年、という言い方をした。ローマの末期には、独裁者ディオクレティアヌスの即位年を元号とする暦が使われるようになります。これを殉教者暦といいます。 キリスト教会ではしばらく、この暦を使っていました。しかし、キリスト教の迫害者を記念した暦を使うのはやはりおかしい。もっといい暦はないか。それならイエスの生まれた年を確定して、そこを元年にしようという動きが出てきます。 ここで頑張ったのが、ディオニュシウスというお坊さんです。 彼はこう考えました。 ①イエスが十字架で処刑された後、蘇ったという有名な話がある。この復活の日付はわかっていて、ユダヤ教の過越の祭りの日である。ということは、ローマ太陽暦=殉教者暦では三月二十五日だとわかる。 ②ユダヤ太陰暦と殉教者暦が一致するのは五三二年周期である。 ③イエスが復活した年の太陽と星の位置関係は、殉教者暦二七九年のそれと一致する。 ④よって、イエスの復活は殉教者暦の紀元前二五三年である。(二七九年−五三二年=前二五三年) ⑤イエスは三十歳で亡くなったといわれているから、生まれたのはその三十年前である。 ⑥ということは、殉教者暦の紀元前二八四年がイエスの生誕の年である。 ……と、このように決まったのが紀元元年です。 そして、このようにキリストの生まれた年が決められたのは六世紀のことですから、それまでの六百年間は、イエスの生年は、はっきりしなかったということになります。 ところが、こうしてようやく決まった紀元にも、疑問が出てきました。 というのも、聖書の中にはイエス生誕時の王は暴君で有名なヘロデだったという記述がある。ヘロデの在位は前三七~前四年です。ということは、イエスの生年はこの範囲内でなければおかしい。 さらに、アウグストゥスによる人口調査があったのは前二八年、前八年、後十四年の三回あった。ということは、イエスの生誕は、紀元元年に一番近い前八年なのではないか。 こうして、ディオニュシウスが算出したイエスの生誕年、すなわち西暦紀元は間違っているらしいということがわかりました。 イエスは、紀元元年に生まれたのではない。 とはいえ、もうみんなが使っている暦ですから今さら変更するとなると面倒です。仕方がないからこのまま使おう、ということになって現在に至ります。 要するに、イエスの生誕というのは、日付はめちゃくちゃ、年号もずれている、ということになります。 元号はこうして生まれた 西暦の紀元は、このようなかなりいい加減な経緯で生まれたものです。 一方、東の文明では、どのように紀元が定められたのでしょうか。 まず、中国の暦に目を向けてみましょう。 中国の暦の基本は、干支による紀年法です。 十二支と十干からなるもので、このうち、特に十二支は我々日本人にも馴染みのある「えと」のことです。このことからもわかるように、干支による紀年法は東アジア諸国で広く採用されました。 あらためて干支について説明すると、十個の漢字=十干と、十二個の漢字=十二支の組み合わせです。たとえば、一年目は甲と子の組み合わせ。二年目は乙と丑の組み合わせ。三年目は……と順に組み合わせていく。 そうすると、当然ながら十二支のほうが二つ余ります。そうなったら、今度は十干のほうは頭に戻って、甲と戌を組み合わせます。その後は乙と亥、丙と子、とまた順に組み合わせていく。 このようにして十干と十二支をペアにしていくと、十と十二の最小公倍数は六十ですので、六十年たつと最初の甲子に戻ります。これを還暦という。というのが、干支による紀年法です。 さて、我々は十二支については馴染みがあって、十二個の漢字は動物の名前だということもわかります。 では、十干とは何か。 これは、いろいろな道具の名前です。トンカチやのこぎりといった道具の名前が十個ならんでいます。 ここに、「曜日の由来」の話でも出てきた五大惑星が合体します。甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の十干を、二つずつ木徳、火徳、土徳、金徳、水徳と分ける。この五つの分類は方角にも対応しています。北が水、南が火、東が木、西が金。そして真ん中が土です。 自分の生まれた年が五行のどこにあたるかによって運命が決まるという占星術が、陰陽五行説と呼ばれるものです。 これを元にして、中国歴代王朝の建国者がどのパワーを持っていたか、といった話も出てきます。これは木徳の王朝、こちらは火徳の王朝、といった特性があるというわけです。 しかも、木は火に負ける、火は土に負ける……といった力関係のサイクルも出来上がっているので、「木徳の年に生まれた人は火徳の人に負ける」などといわれるわけです。これが十干です。 十干と十二支を組み合わせた干支のルーツはどのくらい古いのかというと、中国最初の王朝、殷までさかのぼります。この時代に亀の甲羅や動物の骨に刻まれた象形文字を甲骨文字といいますが、その中に、干支の漢字の原型が見つかっているからです。 干支による紀年法のほかに、中国の暦には元号という重要な要素があります。 元号は王様、君主の即位年から起算して、○○王の十四年、××王の三二年、というように数えていきます。 ただし、極端にいい知らせ、あるいは悪い知らせがあった場合には、年号を元年に戻してしまうということがよくありました。 たとえば干ばつで飢饉が起きたり、あるは疫病が流行ったような場合です。縁起が悪いからというので、元年に戻ってやり直すのです。 漢の武帝という人がいまして、この縁起の悪いときのやり直し=改元を異常なまでにやりました。何と、在位期間中に五回です。 こういう君主が出ると、あとで歴史を調べるときに面倒なことになりそうです。たとえば歴史書に「この戦争が起きたのは武帝の五年目だ」と書いてある。しかし、五回も元年に戻っているわけですから、どの元年から数えて五年目だかわかりません。 そこで、最初の元号を初元として、武帝の初元元年、武帝の初元二年、初元三年と表す。第二サイクルを武帝の二元元年、二年、三年と表す。さらに三元も同じように表記していく、ということになりました。 さらにその後、初元、二元ではなく、各サイクルに名前をつけようという意見が出てきます。たとえば、これまで初元と呼んでいたのは、一番最初だからというので「太初」としよう。以下、二元、三元とそれぞれ固有名詞をつけていくことになりました。これが今、私たちが使っている元号の始まりです。 皇帝は時間を支配する こうして元号が始まったわけですが、前述のような事情があるので、一人の皇帝の在位期間中に元号は何回も代わっていました。これは中国の元号をまねた日本も同じで、疫病や干ばつなどがあるとすぐ改元していた。 さて、中華帝国の皇帝は、周りの国々、朝鮮とかベトナムとかモンゴルの国々に対して「うちの元号を使え」と強制します。どういうことかというと、皇帝は全世界の時間を支配する。だから他の民族の王たちも中華の元号を使わなくてはいけない、という思想です。 明朝というと、日本でいうと室町時代ですが、洪武帝というものすごい独裁者がいました。彼は面倒くさいからというので、「俺は生きているうちは一切、改元はしない」と宣言した。ここから一皇帝一元号、「一世一元」の慣習が始まります。そして、皇帝が亡くなったあとで、元号をとって、○○帝と呼ぶ。ですから、今、我々がこの洪武帝と呼ぶのも、元号が洪武だったからです。 日本でも、江戸時代までは天皇の在位中もどんどん改元していました。もう改元はやめようとなって一天皇一元号にしたのは明治維新のときです。以降、明治時代─明治天皇、大正時代─大正天皇、昭和時代─昭和天皇と対応するようになったわけです。 ちなみに、私が毎年、講義で中国史をやるときに学生に聞く質問があります。私が担当しているのは、全員が東大を受けるような、できる学生のクラスです。
ところが、「今の日本の天皇の名前、知ってるよね」と聞くと、答えられる学生はだいたい五十人中一人くらいでしょうか。 ご存じの方も、天皇陛下の名前をそのまま呼ぶということはしませんね。 あるいは、会社の上司は名前で呼ばず、「部長」とか「社長」とか呼ぶ。私だって学生からは「先生」と呼ばれます。 これは東アジア全体に共通する考え方で、人の名前、ことに高貴な人の名前はタブーであると考えるんですね。そのため、本名のことを「諱」と呼びます。「忌む」名前ということです。 さて、あらためて平成の世の天皇のお名前はというと、明仁陛下です。たまに、おっちょこちょいな人が「平成天皇」と言っていたりしますが、元号を付けて呼ぶのは天皇が亡くなったあとの呼び方です。生きていらっしゃるうちは「今上天皇」と言います。 ものを知らない学生なら仕方ありませんが、以前に慶應大学のある教授がTwitterで「平成天皇」と書いていてのけぞったことがありました。 日本の最初の元号はご存じですか? 「大化」ですね。これは有名です。西暦六四五年、いわゆる「大化の改新」の大化ですね。 今、日本の最初の元号、と簡単に言いましたが、実はこれはすごいことだとわかるでしょうか。なぜなら、中華帝国に喧嘩を売ったということだから。皇帝は全世界の時間を支配するもので、周辺の国々も中華の元号を使わねばならない。これが中華思想です。 独自の年号を使うということは、もう中国の元号は使わないぞ、中華皇帝による時間の支配には従わないぞ、うちは独立国家だという意思表示にほかなりません。 神武天皇即位は「革命」だった こうして、日本の最初の年号は大化となりました。 次に日本独自の暦である神武紀元の話をしましょう。 その前に、漢の時代の儒学の話をしなければいけません。 後漢の儒学者で、鄭玄という人がいました。この人は儒学の教典を研究し、干支について、こういう説を出しています。 いわく、「辛酉の年には天命が革まり、王朝が交代する。甲子の年には天意が革まり、革令が下る」、と。 「天命が革まり」、というのは、天の命令が変わるということ。つまり、「今の王朝は駄目だから、もう倒していい。新しい王朝を立てろ」という指令が天から下る。「革命」の本当の意味はこれです。中国で革命というのは、王朝交代のことなんですね。これが辛酉の年だから、気を付けろと鄭玄は言ったわけです。 それから、次に気を付けるのは甲子の年です。天意が革まり、革令が下る。これは革命まではいきません。革命が現政権に対するレッドカードだとすると、革令はイエローカードくらいです。それでもやはり世の中が大きく変わるという。 ちなみに、武帝が太初暦を作った紀元前一〇四年は丁丑の年、革命の年や革令の年ではありませんでした。漢王朝を滅ぼした大反乱、黄巾の乱が起きた一八四年は甲子の年。 さらに、どうでもいいですが、甲子園球場ができた一九二四年も甲子の年です。だから甲子園というんですね。 さて、ここからが本題ですが、日本にとって大事な年が革命の年、辛酉の年にあたっています。神武紀元です。初代の神武天皇が即位した年です。 その根拠は『日本書紀』の以下の記録です。
《辛酉の年の春正月、庚辰の朔。天皇、橿原宮に於いて即帝位す。是歳を天皇元年と為す》
ほぼ意味不明だと思いますが、最初の「辛酉の年」というのが年号です。辛酉の年だとはっきり書いてある。その「春正月」というのは、太陰暦は春分から始まるので、三月のこと。「朔」というのは、月が全く見えない新月の日です。太陰暦の一ケ月は、新月が一日、満月が十五日、月末にまた新月に戻るわけです。 この日に神武天皇が「橿原宮」、奈良でご即位あそばされたと書いてあります。これが初代天皇となっているわけです。
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