古本夜話653 ゴルドン、高楠順次郎訳『弘法大師と景教』
新仏教運動に寄り添うかたちで明治四十三年に、スウエンデンボルグの『天界と地獄』とブラヴァツキーの『霊智学解説』が翻訳刊行された。前年に、これも同様に大きな影響を与えたと思われる一冊が出版されている。それは日英図書館首唱者イー・エー・ゴルドン原著、高楠順次郎訳『弘法大師と景教』で、丙午出版社からの刊行である。
この著者のゴルドンに関しては各種事典などでも立項されていないと思われるので、安藤礼二の『光の曼陀羅』(講談社)における、簡にして要を得た紹介を引いてみる。
高野山に「景教碑」のレプリカを建てたのは、エリザエス・アンナ・ゴルドン(Elizabeth Anna Gordon 1851-1925)という女性である。現在日比谷図書館に収蔵されている十万冊に近い英語の洋書「日英文庫」の創設に尽力した人物として知られる彼女はまた、オックスフォード大学でマックス・ミュラーについて比較宗教学を学び確信し、その調査・研究のために日本に長期間滞在していた学究でもあった。ゴルドン夫人が来日したのは、(中略)明治四十年(1907)のことである。第一次大戦後イギリスに一時帰国するが、その後ふたたび日本を訪れ、研究生活のさなか、六年間そこから一歩も外へ出なかったという京都ホテルの一室で死亡した。その墳墓は高野山「景教碑」の傍らにある。
このゴルドン夫人の研究の一端が『弘法大師と景教』で、本文タイトルは「弘法大師と景教との関係」(一名、物云ふ石、教ふる石)」とあり、これも安藤によれば、明治四十二年八月の『新仏教』にカッコ内のタイトルで掲載後、四十四年に景教研究家の佐伯好郎による「景教碑」の碑文翻刻を付した小冊子『弘法大師と景教』として出版された。ただこれは様々な異版もあるようで、私が読んだ国会図書のデジタル版は四十二年刊行で、佐伯の翻刻は付されていない。
高楠はその序に当たる、次のような一文を冒頭に置いている。
本書はゴルドン夫人の艸せられしを、可成原理を捐せざる様に注意したるも、訳文拙劣にして全豹を示すこと能はざるを憾む、原意の徹底せざる所はその責訳者に在り。夫人はその老躯を似て今夏再び厳島に遊び、更に隠岐に渡り、大師の降誕地を訪ひ、遂に高野山の霊廟に詣せり、夫人の大師追慕の念深きを知るべし。
ゴルドン夫人が「老躯を似て」とあるのは高楠より十一歳年上で、明治四十二年には五十八歳だったからだが、当時の日本女性の平均寿命が四十五歳に満たなかったことを考慮すべきだろう。高楠にとって、ゴルドン夫人は本連載514のマックス・ミュラーの同門であるにしても、かなり年の離れた姉弟子で、やはり同104でもふれた『東方聖書』の編纂や翻訳に携わっていたと推測される。
ゴルドン夫人の『弘法大師と景教』における主張を要約してみる。古伝の研究が進み、仏教やキリスト教の聖典の正しい対照がなされれば、在りえないはずの歴史上の連鎖や精神的連鎖も発見されるであろうし、それは両教徒の相互の利益となるはずだ。私は厳島で初めて弘法大師を知り、その近くの奥の院の幔幕などのダブルアックスの印章を見て、そこにキリスト教との思想の関連を信じるにいたった。聖火は大師が帰朝した時から点火されたもので、それはキリスト教のクリスマス聖火を彷彿とさせる。ダブルアックスは太古の地中海の島で天上の鳥、すなわち天神の表章であると同時に、ゼウスが生まれたとされる岩窟やミノートールの迷宮を発掘した時に発見されたものだった。また大師が伝えたとされる奇異な盆火からはエジプトの『死者の書』との相関を連想した。
大師は長安で密教を攻究し、真言集=大日の秘教を得て帰朝したが、そこには聖火や標火の根底に横たわる秘密の伝授があり、それこそはキリスト教から学んだもので、八〇四年当時の長安には二十年ほど前に建てられた大石碑があった。それは「景教流行中国碑」という。景教はネストル派に属するキリスト教で、太宗皇帝時代の六三五年にペルシアのアロペンとその伝道師たちによって開教された。太宗は経典の翻訳、布教を勧め、地方にも広がった。
この時代に景教は大いなる「流行」を見た。大師が長安に着いた時には市内に四大景寺と一大景教碑があり、寺院の「光翼」(神の顕現を表す)の奇標を見て、説明を求め、好奇心を満足させたにちがいない。そうして大使は景教の教義の精細も探究し、新知識を吸収し、それを真言宗の大日教義へと繰りこんだ。
帰朝してからの嵯峨天皇の灌頂、即洗礼にしても、それは同様であり、また「マタイ伝」のキリストの言と行為にも共通している。これが大師と真言宗の秘密である。それを大師は『秘蔵宝錀』(Key to the Secret Godown)にこめたのである。
かくして空海と景教の出会いによる秘儀の伝授を通じての真言宗の成立という物語が示され、「景教碑」はそのことを伝える「物云ふ石、教ふる石」としてエピファニーする。それは四十年後に土中に埋もれ、そのまま約八百年の間、「無言の石」として存在していたのだ。それがゴルドン夫人をして、高野山にレプリカを建てさせた理由となる。なお人物表記などは高楠訳に従っている。
また一方で、安藤礼二は折口信夫が『弘法大師と景教』を読み、それを「死者の書 続篇」へと取りこみ、フィクションとして再構成したことも指摘している。
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