p209
田中 ルネサンス美術は、メディチ家(ユダヤ人資本家)が教会に大金を出し、文化が生まれる。反対にユダヤ自身からは文化は生まれない。作家を助ける形。ユダヤ人の大芸術家はいない。※世阿弥と矛盾?
田中 否定や破壊が流行する近代以降に、ユダヤ人芸術家や言論人が。共産主義を編み出したマルクスも伝統や文化に否定的。
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20240202『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道 第五章
『日本とユダヤの古代史&世界史』田中英道2023.7.10発行
◇一、紀元前13世紀
出エジプト│縄文時代・日高見国・スサノオ
◇二、紀元前722以降
アッシリア捕囚と失われた10支族│日本建国
◇三、紀元前3~2世紀
秦の始皇帝・徐福と三千人│秦氏各地に渡来
◇四、3~4世紀
弓月国から秦氏二万人│応神天皇が受け入れ
◇五、431年以降 ※蘇我氏ゆえ5~6世紀か。
エフェソス公会議・ネストリウス派│蘇我氏
p192
【5】蘇我氏とは何者だったのか(400年~)
【第5波】キリスト教ネストリウス派と蘇我氏
田中 313年ミラノ勅令(コンスタンティヌス帝)
395年ローマ帝国東西分裂
431年エフェソス公会議(エーゲ海沿い都市)
皇帝テオドシウス二世が招集
ネストリウス派異端。国を追われ、東へ
シルクロードまたは草原の道(ステップロード)~弓月国~支那~満州~朝鮮半島~日本
蘇我氏は「我(われ)蘇(よみがえ)り」と名を付けている。ネストリウス派を名乗っているようなもの。
p193
すでに政権に入り込んでいた葛城氏をはじめとする渡来系豪族の権力を奪った。天皇に接近。蘇我氏四代(稲目、馬子、蝦夷、入鹿)
茂木 ネストリウス派はキリスト教一派、ユダヤ教徒ではない。ユダヤ教徒は二世紀にユダヤ戦争ですでに離散。
田中 離散ユダヤ人の一部がキリスト教に改宗と考えられる。弓月君がネストリウス派とこの分野で権威の佐伯好郎(1871-1965)は述べた。しかし応神天皇の治世は四世紀後半なので、弓月君の一派は431年のエフェソス公会議以前に来日。だから彼らはネストリウス派以前の〈原始キリスト教〉。第二次ユダヤ戦争(135年)に敗れ、ハドリアヌス帝によってエルサレムを追われたユダヤの民。その後、弓月国を経て来日。BC3世紀の秦の始皇帝の子孫の秦氏もまた弓月国に逃れ、来日。 ※500年の時を経て、か。まあ移民はいつの世も存在するということかな。
p197
田中 蘇我氏は〈我、蘇り〉。聖徳太子は、イエスキリストを意味する「厩戸皇子」という名前をつけられ「キリスト」として祭り上げられようとしていた。蘇我氏は、仏教にキリスト教を上乗せしようとした。
p200
茂木 縄文時代の東日本に起源を持つ高天原(日高見国)系の皇族と中臣(藤原)氏。それに対して、ユダヤ起源と思われる渡来人①スサノオ系~②秦氏~③蘇我氏がいた。蘇我氏はネストリウス派だった。
田中 古墳時代から秦氏の力が強くなったが、彼らは皇族を脅かさず、完全に日本人に同化して、穏やかな八幡信仰や稲荷信仰を広めた。蘇我氏の馬子は、587穴穂部皇子を殺し、592崇峻天皇を殺し、662聖徳太子をおそらく殺し(急死。前日に妃も死んでいる)、入鹿は、643山城大兄王を一族で自死させた。
p201
蘇我氏がユダヤ的だとする理由
田中 日本人にはない暴力性と排他性。『旧約聖書』を読むとわかるが、ユダヤ人は非常に積極的に戦争支援する。そして遊牧民の必然だが、日本と比べると異質なほど暗殺が多い。
茂木 ユーラシア大陸メンタリティー。アラブ人や中国人の歴史を読むと、日本人とは異質な暴力性、残虐性。
田中 蘇我馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)を使って崇峻天皇を殺し、証拠隠滅で東漢駒は殺される。中国人も暴力的だが、ある意味使われている。ユダヤ的な暴力性は知性的です。国家転覆の思考は、中国人は基本的に持っていない。ユダヤ人は例えばマルクスを使って社会主義をつくり革命を起こす。それがユダヤの暴力性の特徴。ユダヤの戦争史を見ると常に負けているが、暴力的なものに臆さず戦う強い精神と組織力がある。そして、秦氏や土師氏のような商人の能力。石工たるフリーメーソンのような積極的な技術力やアイデア。こんな能力は、中国や朝鮮半島にはあまり見られない。蘇我氏は飛鳥寺をつくった。法隆寺も彼らが金を出しているはず。秦氏だけではなく蘇我氏も建築を率先してやる。そうしたことができるのは、まずユダヤ人以外には考えられない。ただ、蘇我氏は自らの一神教を押しつけることまでは必ずしもしていない。日本人には向かないことを計算してやっている。その判断力も中国や朝鮮半島には見られない。
茂木 秦河勝は聖徳太子を中心に蘇我馬子と活躍。彼は?
田中 赤穂へ逃げた。坂越の大避神社の祭神。
p203
蘇我氏なきあとの秦氏 土師氏と菅原道真
p205
茂木 古墳時代に大陸(※1)から日本列島へ大規模移民。
※1 金沢大学のグラフ(p204)から、東アジアからの移民の混血割合が、弥生時代0%から古墳時代60%に増加。
p206
田中 秦氏や蘇我氏は娘を天皇に嫁がせたりして国を変えようとしたが大きな変化にはならなかった。蘇我氏を滅ぼした中臣(藤原)氏が興隆。秦氏は徐々に表舞台から消えた。(略)菅原道真(時平によって太宰府左遷)は土師氏。祖先は天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿禰。スサノオ以来の古い系統の秦氏。※ユダヤ系。
田中 土師氏と秦氏は同族。
※ここから日本美術の話。
p208
田中 天狗と秦氏系、ユダヤ系渡来人との関係は見逃せない。義経。美貌の母の常磐御前は秦氏系では。芸能者にも秦氏系は多い。ノマド的。能の世阿弥。歌舞伎役者も秦氏系。信長は秦氏的。革新的で商才がある。
茂木 ヨーロッパでも、ユダヤ人がいなかったら、音楽・美術・学問が成り立たなかった。
p209
田中 ルネサンス美術は、メディチ家(ユダヤ人資本家)が教会に大金を出し、文化が生まれる。反対にユダヤ自身からは文化は生まれない。作家を助ける形。ユダヤ人の大芸術家はいない。※世阿弥と矛盾?
田中 否定や破壊が流行する近代以降に、ユダヤ人芸術家や言論人が。共産主義を編み出したマルクスも伝統や文化に否定的。
p210
田中 秦氏は言葉もよくできる。稗田阿礼や太安麻呂も秦氏系。
茂木 日本神話にギリシャ神話や旧約聖書が混ざっているのは、その影響。
p210
日本に帰化した秦氏は神社をつくった
p212
田中 ところが、あとから来た秦氏系渡来人は、山ごもりしたり、個人宗教になる。聖徳太子が目指した、街の中で一般人たちが緩やかな共同体をつくる(※共同宗教)のではなく、山伏や天狗、鬼などに発展。
茂木 ユダヤ教祭司と山伏の格好は瓜二つ。
p214
高天原系(神明)と秦氏系神社(明神[7~8世紀以降])
※鳥居
田中 全国約10万社の神社のうち、八幡神社は4万社、稲荷神社は3万社。
p215
稲荷神社とキリスト教「INRI」
p217
茂木 意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」。伏見稲荷の祝詞「それ神は、唯一にして御形なし、虚にして霊あり」。旧約聖書「ヤハウェ神」と同じ。
田中 祇園祭の八坂神社はスサノオが祭神。「ノアの方舟」を模した祭。また広隆寺近くの木嶋神社(このしま。通称は蚕の社)の三柱鳥居は三位一体を表しているともいわれる。
茂木 三位一体はアタナシウス派の教義。秦氏はネストリウス派とアタナシウス派に分裂か。
p220
多胡羊太夫(群馬県高崎市)と和同開珎
p221
田中 多胡氏のルーツは秦氏系。秩父あたりに銅を発見。大納言藤原不比等に貨幣提案。
茂木 708年、和同開珎。天武天皇の富本銭が初。
田中 ある意味、ユダヤ的価値(※貨幣。交換商品)を認めないこと。※一考。
田中 ユダヤ人のハラリ『サピエンス全史』は、ユダヤから見たもの。日本から見た『サピエンス全史』を書いてみたい。
p223
日本人は金より土地を信じてきた
※疑問
p225
茂木 ユダヤ人は貨幣を推奨し、利息を取ってきた。「外国人から利息を取ってもよいが、同胞から取ってはならない。(申命記23-21)」
※あとはメモを取らない。もう十分。
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