ユダヤ教徒最大の聖地、"嘆きの壁"。
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シャローム!(こんにちは)
エルサレム旧市街は、
ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の三大宗教の聖地。
イスラム教徒はムハンマドが昇天した岩のドームをイスラム第3の聖地に。
キリスト教徒は前回紹介した、
ヴィア・ドロローサの最終地点、イエスが磔刑に処せられた聖墳墓教会を聖地に。
そして今回紹介するのはユダヤ教の聖地、
ユダヤ民族の象徴である嘆きの壁。
今日もどうぞ宜しく。
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イスラエル軍による厳重なセキュリティチェックを受け、
その敷地内に入ることが許される。
早速お祈りをしているユダヤ教との正統派の男性を見かけた。
嘆きの壁。
その昔、
ここにユダヤ教徒の神殿があったがローマの将校により破壊され、
神殿を囲む西側の外壁だけが残った。
それが嘆きの壁。
なのでこの壁は、Western Wall(西の壁)とも呼ばれている。
夜になると石の間にたまった夜露が壁に生えるヒソプの草を伝って落ちてくる、
それが涙を流すユダヤ人の姿を映しているようであったことから、
嘆きの壁と呼ばれるようになった。
この独特の黒服・黒帽子を着ているのは
「超正統派」といわれるユダヤ教の中でも最も厳格なグループのこと。
イスラエルでは女性を含め全国民に兵役が義務付けられているが、
彼らは例外的に兵役を免除されている。
また働くこともなければも納税もせず、
聖書の学びのみで暮らしている。
ではどうやって食ってるのかというと、
国からの生活保護を受けお金をもらっているとのこと。
壁の高さは現在21m。
下から7段目までは第二神殿(紀元前516年から紀元後70年)の時代、
8段目から11段目がウマイヤ朝(661年~749年)及びファティマ朝(969年~1071年)、
12段目以上の小さい石の部分はオスマン帝国時代のもの。
では歴史をかなりザックリと。
神殿は70年にローマ帝国の将校によってに破壊され、
その後ユダヤ人はエルサレムから追放される。
彼らはその後、年に一度しかお祈りのためにエルサレムに入れなくかった。
16世紀のオスマン帝国時代、第16代の皇帝が、
ユダヤ人に壁で祈りを捧げることをついに許可した。
それまでユダヤ人はシナゴーグ(ユダヤ教会)やオリーブ山など限られた場所でだけ祈っていた。
1852年、ユダヤ人は壁の祈りのスペースの独占権を得て、更に壁の所有権も主張しはじめる。
20世紀に入ると※シオニズム運動が盛んになり、
※ユダヤ人の独立国家を建設しようという運動
嘆きの壁を独占しようとするユダヤ人に、それまで住んでいたパレスチナ人達の怒りが
爆発し、パレスチナ全土での武力衝突に発展していく。
第三次中東戦争の後1967年にイスラエルが東エルサレムも制圧、
1900年にも及ぶユダヤ人の悲願が叶った。
イスラエルによって嘆きの壁周辺のパレスチナ人民家とモスクは取り壊され、
現在は周りにユダヤ人地区が広がっている。
色々と複雑な問題が山積みのようですね。
観光客や巡礼者も皆思い思いに祈っています。
ユダヤ人たちにとっての心の拠り所、
嘆きの壁の記事でした。
エルサレム観光のハイライトの一つなので必ず行ってみてね。
今日も読んで頂きありがとうございました。
ではっ。
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