2014年2月1日に日本でレビュー済み
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本書は聖書考古学の限界を提示しているという点で啓蒙的かもしれない。考古学の成果は必ずしも聖書の記述の理解に役に立たないのである。読者は本書を通して聖書の記述と考古学的成果の関連性を見いだすことの難しさを実感するのではないか。私は本書から聖書考古学の未来が必ずしも明るいわけではないことを感じた。
例えば、著者は『列王記下』のヨシヤによる聖所破壊政策を史実とみなしているようだが、「実際のところ、ヨシヤによる…破壊は考古学的に実証されていない」、と指摘する(32頁)。そもそも、「…聖書に登場する王たちが残したと確証される碑文は現在までみつかっていない」のである(57頁)。『創世記』と考古学的発見の関連性に至っては、誰もが予測する通り、一層希薄である。「族長のうち誰一人、膨大な数にのぼる…文献史料に言及される人物はいなかったのである」(71頁)。アブラハム、イサク物語の舞台となったベエル・シェバの考古学調査についても、「肝心の族長時代と考えられている時代のものは何も発見されず…」(84頁)。アブラハムが祭壇を築いたシケムについては、「ここでは城塞のよう[な]…壁に囲まれた建物が見つかり、「ミグダル(塔)神殿」と呼ばれている。この神殿は…中期青銅器時代が族長時代と並行することもあり、アブラハム物語に言及される「シケムの聖所」とはこの聖所だった、と考える研究者もいる」らしい(88頁)。ヤコブが訪れたベテルについては、「この時代の層からは聖所と思われる建物が見つかっている」が(87頁)、語れることはそこまでである。著者は(もちろん自覚的にであろうが)そういった考古学的発見から『創世記』について何かを語れる可能性を提示しない。もちろんこれは誠実な態度である。
ところが奇妙なことに著者は、誰の目にも明らかであるはずの、聖書の記述と考古学的成果の間の大きなギャップをつまびらかにしようとしない。聖書の記述と考古学的考察を行った後の著者のまとめ方は次のような調子である。「これのみを根拠にこれら二つの物語の史実性を頭ごなしに否定することはできないだろう」(84頁)。「アブラハムの物語にはこうした歴史的記憶の断片が反映されているのかもしれない」(88頁)。「しかし発掘の成果の一部は、父祖たちの物語すべてがまったくの創作というわけではなく、そこに何かしら、古代の記憶が反映されている可能性をも暗示している」(91頁)。考古学的研究成果との関連性を失ってもなお残る聖書物語の「史実性」「歴史的記憶の断片」「古代の記憶」とは一体何なのだろうか。聖書にわずかでも史実性を見出したい"聖書教徒"の読者にとっては、上記のような留保は耳に心地よいかもしれないが、批判的な読者にとっては歯切れの悪い表現に聞こえる。
著者は「まえがき」で、聖書について「考古学はそれを裏づけているのか?」と問うているが(ii頁)、本書はその問いに対し、何も裏づけていない、という回答を暗に提出しているように感じた。著者は、聖書考古学の存在意義を「聖書の歴史記述の深い理解に達するため…」としているが(62頁)、その意味において聖書考古学は限界に達しているのかもしれない。著者に意図に反するかもしれないが、私は以上のことを本書から学ぶことができた。
最後に気になった箇所を二点。一つは著者のユダヤ(民族)史に対する認識である。著者は、第二次ユダヤ戦争によってユダヤ人が「ローマ帝国内の各地へ離散し、世界各地でユダヤ教とその文化を守り、育んでいった。…ユダヤ人は一九世紀になって再びパレスチナの地に戻り、一九四八年にイスラエル国を建国した」と概説するが(209頁)、これは現在では受け入れられない歴史認識である。第二次ユダヤ戦争によってユダヤ人がパレスチナ地方から「離散」した証拠はないからだ。著者は「離散と帰還」というモチーフがイスラエル建国神話を構成していることを一言すべきだっただろう。もう一つは南京虐殺問題に関するコメント。「第二次世界大戦中に日本軍が南京で大虐殺を行ったと唱える人々がいる。また逆に、そうした虐殺はなかった、と唱える人もいる。これらは一般の人々だけではなく、専門の歴史家が互いに相容れない意見を論じているのだから、当然その背景には依拠すべき何らかの史料があると考えてよいだろう。これらの資料の信憑性に対する態度とその解釈の仕方が両者の意見を分けているわけだ」(58頁)、との見解には問題があろう。南京虐殺をめぐる議論が「資料の…解釈の仕方」によるのでないことは常識である。歴史を主題とする本にこのようなナイーヴな見解を載せることに、著者はもちろん編集者も注意すべきではなかったか。
例えば、著者は『列王記下』のヨシヤによる聖所破壊政策を史実とみなしているようだが、「実際のところ、ヨシヤによる…破壊は考古学的に実証されていない」、と指摘する(32頁)。そもそも、「…聖書に登場する王たちが残したと確証される碑文は現在までみつかっていない」のである(57頁)。『創世記』と考古学的発見の関連性に至っては、誰もが予測する通り、一層希薄である。「族長のうち誰一人、膨大な数にのぼる…文献史料に言及される人物はいなかったのである」(71頁)。アブラハム、イサク物語の舞台となったベエル・シェバの考古学調査についても、「肝心の族長時代と考えられている時代のものは何も発見されず…」(84頁)。アブラハムが祭壇を築いたシケムについては、「ここでは城塞のよう[な]…壁に囲まれた建物が見つかり、「ミグダル(塔)神殿」と呼ばれている。この神殿は…中期青銅器時代が族長時代と並行することもあり、アブラハム物語に言及される「シケムの聖所」とはこの聖所だった、と考える研究者もいる」らしい(88頁)。ヤコブが訪れたベテルについては、「この時代の層からは聖所と思われる建物が見つかっている」が(87頁)、語れることはそこまでである。著者は(もちろん自覚的にであろうが)そういった考古学的発見から『創世記』について何かを語れる可能性を提示しない。もちろんこれは誠実な態度である。
ところが奇妙なことに著者は、誰の目にも明らかであるはずの、聖書の記述と考古学的成果の間の大きなギャップをつまびらかにしようとしない。聖書の記述と考古学的考察を行った後の著者のまとめ方は次のような調子である。「これのみを根拠にこれら二つの物語の史実性を頭ごなしに否定することはできないだろう」(84頁)。「アブラハムの物語にはこうした歴史的記憶の断片が反映されているのかもしれない」(88頁)。「しかし発掘の成果の一部は、父祖たちの物語すべてがまったくの創作というわけではなく、そこに何かしら、古代の記憶が反映されている可能性をも暗示している」(91頁)。考古学的研究成果との関連性を失ってもなお残る聖書物語の「史実性」「歴史的記憶の断片」「古代の記憶」とは一体何なのだろうか。聖書にわずかでも史実性を見出したい"聖書教徒"の読者にとっては、上記のような留保は耳に心地よいかもしれないが、批判的な読者にとっては歯切れの悪い表現に聞こえる。
著者は「まえがき」で、聖書について「考古学はそれを裏づけているのか?」と問うているが(ii頁)、本書はその問いに対し、何も裏づけていない、という回答を暗に提出しているように感じた。著者は、聖書考古学の存在意義を「聖書の歴史記述の深い理解に達するため…」としているが(62頁)、その意味において聖書考古学は限界に達しているのかもしれない。著者に意図に反するかもしれないが、私は以上のことを本書から学ぶことができた。
最後に気になった箇所を二点。一つは著者のユダヤ(民族)史に対する認識である。著者は、第二次ユダヤ戦争によってユダヤ人が「ローマ帝国内の各地へ離散し、世界各地でユダヤ教とその文化を守り、育んでいった。…ユダヤ人は一九世紀になって再びパレスチナの地に戻り、一九四八年にイスラエル国を建国した」と概説するが(209頁)、これは現在では受け入れられない歴史認識である。第二次ユダヤ戦争によってユダヤ人がパレスチナ地方から「離散」した証拠はないからだ。著者は「離散と帰還」というモチーフがイスラエル建国神話を構成していることを一言すべきだっただろう。もう一つは南京虐殺問題に関するコメント。「第二次世界大戦中に日本軍が南京で大虐殺を行ったと唱える人々がいる。また逆に、そうした虐殺はなかった、と唱える人もいる。これらは一般の人々だけではなく、専門の歴史家が互いに相容れない意見を論じているのだから、当然その背景には依拠すべき何らかの史料があると考えてよいだろう。これらの資料の信憑性に対する態度とその解釈の仕方が両者の意見を分けているわけだ」(58頁)、との見解には問題があろう。南京虐殺をめぐる議論が「資料の…解釈の仕方」によるのでないことは常識である。歴史を主題とする本にこのようなナイーヴな見解を載せることに、著者はもちろん編集者も注意すべきではなかったか。
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