なぜ湖底に?日本で初発見の「水中遺跡」 長年論争が続く謎に迫ったボーリング調査、見えてきたのは縄文時代の諏訪湖の姿
■「曽根遺跡」の解明へ堆積物を調査
諏訪市の諏訪湖底にあり、日本で最初に発見された水中遺跡の「曽根遺跡」について、縄文時代中期から後期にかけての約千年間にわたって地上に露出していた区域があったとみられることが、新潟大理学部の葉田野希(のぞみ)准教授(前長野県環境保全研究所技師)らの研究グループによる湖底の堆積物の調査で分かった。諏訪湖の水位の変動が要因とみられる。 【写真】諏訪湖の湖底から採取した堆積物。諏訪湖の水位は、後期旧石器時代などを含め比較的短期間で上下を繰り返していたとみられるという
同遺跡が水中にある理由を巡っては、地上にあった遺跡が地滑りで湖に流入したとの説もあるが、今回の調査では、地滑りによる地層の乱れは確認できず、考古学関係者らからは、地上にあった同遺跡が湖の水位上昇により水没した―との説の実証につながる発見との見方が出ている。
研究グループは昨年10月、同遺跡を巡る地質学的な調査としては初となるボーリング調査を実施。湖に流入する千本木川河口(諏訪市湖岸通り)の南西約300メートル、水深約2メートルの地点で約2・6メートル分の地層を採取した。遺物が多く出た場所からはやや離れた場所という。堆積物は放射性炭素年代測定や蛍光エックス線分析を用いて調べた。
■水位が上下、縄文期の1000年は地上に露出?
着目したのは、水中の植物プランクトンの量と比例する二酸化ケイ素の濃度。縄文時代中期以降の層で上下を繰り返していたことなどから、一帯は水没と地上への露出を繰り返していたと推測。堆積物の放射性炭素年代測定の結果、地上に露出していたのは約4200年前の縄文中期から約3200年前の縄文後期にかけての約千年間だったことも判明した。葉田野准教授によると、水位が上下した背景には降水量の増減や、流入河川の水量の変動が考えられるという。
同遺跡は後期旧石器時代から縄文時代草創期にかけてのものとされてきた。今回採取した地層はより新しい年代に堆積したものだが、葉田野准教授によると、諏訪湖の水位は、後期旧石器時代などを含め、比較的短期間で上下を繰り返していたとみられる。
■「地滑りの痕跡見られず」
葉田野准教授は「(遺跡)全体状況を把握するには、別の場所の堆積物も調べるなどさらなる調査が必要」とした上で、「採取した堆積物の状況を見る限り、地滑りをうかがわせる痕跡はみられなかった」とする。「今後は遺跡のより中心に近い地点で堆積物を採取し、地質の解明を進めたい」と話している。
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