独家报导!北朝造像碑之冠——李道赞五百人等造像记
玉虫厨子須弥座正面図の供養形式に比較的近いものは、現在. カンサス市美術館にある山西将来の西魏の碑像正面図(535-. 540) であろう(註一一)。ここでは、館内の尊像膝下 ...
上原和
https://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/033/033-05.pdf
り花技に飾られた豪華な供養台上の博山香炉は、時としてそ
の形態そのままに博山形の合子に置換えられることにもなる
筈である(註一〇)。 玉虫厨子須弥座正面図の下段に見る蓋付
き合子を載せた供養台と獅子形の霊獣二躯との組合せは、こ
うした系統の財物供養形式を示す好の例といえよう。
このように、礼拝の対象である尊像の膝下に、ピラミッド
構図の供養形式を定着させるという方式は、祭壇形式の構成
としては、きわめて正統的であり、玉虫厨子須弥座正面図に
おいても、散華、焚香、財物の三供養形式が、 須弥座上の龕
内尊像を対象として構成されたものであることは、ほとんど
疑いえないところであるが、いま様式史的に見て、こうした
玉虫厨子須弥座正面図の供養形式に比較的近いものは、現在
カンサス市美術館にある山西将来の西魏の碑像正面図 (535-
540)であろう(註一一)。ここでは、龕内の尊像膝下に、博山
香炉を真中に挟んで両脇に柄香炉をもつた比丘二人の拝跪す
る焚香供養、供養台上の花樹を挟んで両脇に霊獣の侍する財
物供養の二つの供養形式が反覆重層しているのが見られるの
であるが、この西魏碑像の正面図においても明らかのように
一体、典型的な供養図にあつては、焚香であれ財物であれ尊
像膝下の個々の供養形式というものは、龕内の尊像を、構図
的、心理的中心として、尊像を囲繞する所従の菩薩、 天王、
比丘の諸像、飛天、霊鳥、霊獣、或いは供養者の列像などと
ともに、全体の図式的秩序のうちに、それぞれの構図的位置
を与えられるのが普通である。玉虫厨子須弥座正面図の場合
(註一一) 小杉一雄「鬼瓦考」(夢殿論叢第十八「綜合古瓦研究」
.所収昭和一三、六、二五)二五三百
https://dl.ndl.go.jp/pid/1525436/1/136
https://dl.ndl.go.jp/pid/1525437/1/75
小杉一雄
西魏の碑像正面図
https://dl.ndl.go.jp/pid/2504958/1/30
玉虫厨子の研究 : 飛鳥・白鳳美術様式史論
書誌情報
:
著者
上原和 著
出版者
日本学術振興会
出版年月日
1964
西魏 「張興碩等五百人碑像」 部分
14頁
一四
また序品のなかで菩薩群に続いて、釈提桓因(帝釈天) 以下諸天の記載があり、「四大天王あり。其の眷属万の天
「子供なり。」と述べている。しかし四天王の名号には別にふれてはいない。
正面扉二葉の天王は、片手に剣や鉾をもち鎧をきている武人の像容を示しているが、各天王を明確に区別する図像
学的表徴を持っていないの
で、この二天王も特定の天
王を現わすものではなく、
四天王乃至は諸天の集約的
表現とみるべきである。
この天王図に関しては、
天王である仁王であるか
との論議もあり、また春山
武松氏は「宮殿部の正面扉
には普通なら金剛力士があ
るべきところだが、ここで
は宝冠をいただき、鎧をつ
け、鉾や剣をもつているの
天王像とみられ」 (註一九)
と述べておられるが、 何故
挿図 3 西魏 「張興碩等五百人碑像」 部分
Buddhist Sculpture from China Western Wei Dynasty (535-554 A.D.) use similar symbolic use of Ghat as seen in Sanchi Stupa.
COLLECTION WILLIAM ROCKHILL NELSON GALLERY OF ART, KANSAS CITY, MS
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