2024年6月4日火曜日

秦氏は熊襲? : まじゅらーしんがぷら2

秦氏は熊襲? : まじゅらーしんがぷら2

秦氏は熊襲?

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東方の三賢者



秦氏の土御門兼嗣さんの話がおもしろかったです。
肩書きは「第135世深草秦氏、祭司兼統理、高千穂天磐境大社宮司」とのこと。
秦氏は大きく3つに分かれていて、深草秦氏、松尾秦氏、もう一つは内緒なのだとか。



伏見稲荷大社は秦伊侶具(いろぐ)の創建と伝えられ、地名は深草、伏見稲荷大社が藤森神社の管轄、深草藤の森と呼ばれる。もともと、中書島の辺りにいた。
京都を作ったのは秦河勝と言われている。

秦氏は日本から出てインド経由で中東に行き、街づくりをして帰ってきた帰国組の一族と、口伝で残っている。
歴史は辿っていくと神話になるので、考古学的には違うと言われても、文化は守っていかないといけない。

今の天皇家とは大王家が違い、秦氏は九州の阿蘇・霧島にいた熊襲。
闇討ちを受けて、京都・奈良に連れてこられた。
それが、ヤマトタケの熊襲討伐の話となっている。
神武東征の時も負けてるので、2回負けたことになる。

今でも宮家の方からFAXで伝言が来る。
土御門家は安倍土御門家が有名だが、5家あり、それぞれ断絶している。
今は、名前を頂戴して役割が終わったら返すという形になっていて、2015年に宮家の方からお願いされた。
土御門家は役職名。
安倍晴明の家は孫の代から土御門家を名乗っている。
土御門天皇という存在もいて、天皇家の代理という感じ。

深草秦氏一族は12家あり、総勢4000人。統理の候補生が10人くらい絞られる。
家が秦氏だとは知らされないが、小さい頃から訓練を受ける。

武士と侍は違う。
侍はさぶらうモノ。出入りの気配がなく、戦うことではなく守護が中心。
謀反を見つけて、そっと警告する。
武力ではなく、理屈で封じる。
富山の薬売りなどの商人も侍の一部だった。
薬とお酒と相撲取りは、関所を通って、全国どこにでも行けた。
お酒が地方に動くということは、貴族の接待のためで、ほぼ謀反の会合なので、お酒を扱う商人には情報も早かった。

本当の侍は古神道を極めている。
現代だと戦前が古神道、明治だと江戸時代が古神道、江戸時代は新しい方を古神道。
土御門家では、数千年前を古神道と言う。
神道は本来、御道、道、または古道。仏教も仏道と言い始めたので、神道とした。
古い文献では道、または教え。

古神道と陰陽道と體術(武術)を習得した存在が侍。
一番大切のなのは體術。
戦うのではなく、守る姿勢。国体など、国を守る。自分たちを守るための道具として扱う。
鎮護や護国が使命であり、本命。
天皇の近衛兵的なことをしていた。
4000〜4500人いる一族のうち、500人が侍。
それを束ねるのが統理であり、祭司。
元々は神社が中心で、それを一族で守っていた。

武力のものが、武士崩れ、侍崩れで大名となっていった。
忍者は武家。頭領は武士。
侍は神に仕え、武士は人に仕える。
侍は国単位で物事を考えていて、争うのを嫌う。他人のものは取りたくない。
武士は強奪して攻略していく存在。
お互い良いものを与え合えば良い。
商人が侍の配下にいるのはそういう考えがあるから。
地域の役に立つのが大事なのであって、地域を自分の色に染めてはいけない。
影でいいことをして、こっそり微笑んでいるのが秦氏。

秦氏から分かれた分家に淀屋があって、大阪の街を作った。
その時の土木工事は自腹でやった。
それに危機感を感じた江戸幕府から潰されてしまう。
迎賓館は贅沢だが、生活は質素だった。
鳥取の方に、一部屋敷跡が残っている。
子孫の方も、やはり、本人が困っていても気前が良い。与える者。
堺の商人とも関係がある。堺町衆が五つある。
表に一切出てこないが、震災の後、多額の寄付をしている。
多くの会(二百社くらい)の顧問をしているが、顧問料を受け取っていない。
そのお金を貯めておいて、震災時に出す。
陰徳を積む一族。陰徳が家業。

體術は地味だが、よく考えられている。
指を一点で止め、ぐるぐるさせるとか。
一族は長寿だが、健康法を守っている人は特に長寿。
物覚えが全然違う。80歳で二時間睡眠でも元気。
神経と血管と骨を高めるのが體術。

天地人の3つの音の波長を合わせて、言霊や祝詞を唱える。
高周波、低周波、普通の音を合わせて、ホーミーのような音になる。
肺ができてないと上手くできないので、武術で横隔膜や肺活量を鍛える。
中丹田と下丹田の居合をかける。(ヨガの火の呼吸?)

店という字は「テントの中で占う」と書く。
最初は占い(情報)で商売をした。
物々交換は市場、お店は占い。
国が滅んだ後の殷の人たちがやってたので、殷を商と書く。
地域の役に立とう、地域の為になろうと占いを始め、商人と呼ばれた。
本来、商人は悪徳な存在ではなく、商の人たちの生き様をつなげていること。
アコギはだめ。

元々、陰陽寮という部署あり、天文の測定、暦を作ることが仕事だった。
木星は12年で一周し、十二周期の暦ができる。
そこに太陽や月の公転が入ってくる。
妖怪などは後の創作。
安倍晴明が有名なのは、孫が宣伝したから。
暦を扱えるということは、天変地異が分かる。
で、妖怪退治の依頼などが来るようになった。

実際の占いは断易と奇門遁甲が中心だった。
今は、紫微斗数や中国風水を導入している。
ほぼ、易と奇門遁甲で全部できてしまう。
紫微斗数は運勢、奇門遁甲は課題が見えやすい。
最後、細かいところは断易で見る。断易が一番古い。
断易が使いこなせないので、奇門遁甲や紫微斗数ができた。
紫微は北極星のこと。
計算式が残っているが、どうやって作成されたのか解らない。
奇門遁甲は数千年使っていて、紫微斗数も1400年、易は万単位という噂もあるくらい古いが、今でも使える。
侍は刀を構えた状態で相手の隙を、相手の話が本当かどうかを、指先で奇門遁甲を計算していた。
占いでは、行法という神道の印も使っている。
凶は大きなことを成し遂げる社長に多い。星が強すぎる。

能力を自分の利己的な目的だけに使おうとすると、運気を落としてしまう。
3回やって3回失敗した。
世の中全部を引っ張り上げるのが、自分の役割。

断易は伏羲と女媧が作ったと言われるが、彼らは東の桃源郷から来たと言われ、日本から来たと思われる。
(伏羲やホオリはフルリ人のことかと)
日本や中国の古い民族はアシリア人(→アジア人)だと言われる。
(リアは大国、アは小国?)
ゼウ氏は日本から世界を4・5回繰り返していて、民族名も変わっていると言っている。

願望は大事なもの。自分だけじゃなく、周囲も幸せになる方法を考える。
秦一族では、四方良しという考え方があり、自分、家族、周囲、宇宙自然の4つの願いを考えると、叶いやすいと言われる。
例えば、豪邸が欲しいと考えると、情報発信の場所として、公開できれば、地域にもよく、子孫が世界を良くできれば宇宙にもいい。そのように筋を通せば夢は叶いやすい。
偶然が重なって後押ししてくれる。
途中の努力はまやかしで、必要だと思った瞬間に叶う。試練はある。
何もしない時間(間)が大事。
必死は死ぬと書くから良くない。
ふと力が抜けた瞬間、全てのピースが揃った瞬間に、裏返しで夢が叶う。
努力してる自分自身を早く捨てる方が良い。
日本人は人の目を気にして遠慮がちだが、遠慮しない方が世の中のためになることは多々ある。
邪魔してるのは自分の自我。無意識の自分。
自分の後頭部を指でトントンと叩いて「バレてるぞ、いい加減にしてくれる?」というと外れる。
全力で邪魔する存在がいる。神様もそっち側にいて、外れたらご褒美が来るという感じ。
古神道の引き寄せ。もう一人の自分の中にいる神様との共同作業であり、反発も神様。
言葉の概念が邪魔をする。伝わる場合と伝わらない場合がある。
口伝は知恵比べ。意味が二重になっている。

秦氏が阿蘇出身とは!だから安倍か。
安倍というと、大彦と武渟川別の親子。安日彦と長髄彦の兄弟(もう一人いたという説があったけど、誰だっけ?)。
どうも話を聞いてると亀系っぽい。
甕神信仰?→鏡

宮下文書では、スクナヒコナはオオナムチの妹と結婚し、その孫が阿蘇大明神の建磐龍命(神八井耳命の末裔)とか。

三貴士は天照大神、月峰命、ヒルコ尊。
木花咲耶姫が生んだのは、ホテリ(海幸彦)、ホオリ(山幸彦)、ホスセリ(農幸彦)。
ホテリの釣り針を無くしたホオリは、天照大神の弟、ヒルコ尊の孫、ワタハダネキオ(竜宮に住む龍王)に相談。結局、ホオリはホテリを追放し、ワタハダネキオの長女、豊玉姫と結婚。
豊玉姫が身籠もると、月峰命の息子、大山祇の弟の倉山住が産殿を作った。生まれたのが阿祖男命(ウガヤフキアエズ)。
豊玉姫はホオリに出産を見られたことを怒り、賀茂山の岩穴で死んでしまう。
ホオリは天児屋根の第一女、カキツ姫とも結婚。(富士王朝の首都の名前)
ホオリの子は4柱。
一人目は豊玉姫の子の阿祖男命。
二人目の子供は、大国主の弟、農佐彦の子孫の娘のサナキ姫の子、アマツアケアメノホアカリ。(尾張国造)
三人目は、出雲祖仲男の娘、マビヒメの子のワカタケヒコノミコト。
四人目は、アタツヒコノミコト。
筑紫野に海外勢力が攻めてきて、富士から筑紫に都が移す事に。
富士は天都、筑紫は神都。ホオリとアタツヒコノミコトは高天原に残った。
軍の総元帥にホテリ。元帥にホスセリ。海軍大将はアソタケノミコト。
スクナヒコナと大国主の妹が結婚し、その息子は下照姫と結婚。その子供がアソタケノミコト。
スクナヒコナの弟とされる事代主の一族は、ニニギの時代に海外勢力と戦って全滅している。
アソタケノミコトと妻のワタナヒメは最前線で戦い、戦死し、アソタケノミコトは阿蘇山に葬られ。建磐龍命として阿曾山の国造神社に祀られた。
本営は霧島に移され、日向高千穂峰と呼ばれるようになった。

で、賀茂始祖伝には「賀茂角身命一族は日向高千穂に住んでいた」とあります。



熊本にあったのはニギハヤヒ王朝(穢国→多羅王朝、後に新羅の昔氏)。
狗奴国(沖縄?)のナガスネ彦(南解次々雄)も東北に逃れ、荒吐族、後の阿部一族の祖になった(新羅の朴氏)
ナガスネ彦はアッサム高地からマレー海峡に散在するシナ・チベット語族のナーガ族。
それを率いてきたのが、ニギハヤヒ。

by cookiecount2 | 2023-08-15 19:26 | 歴史考察 | Comments(0)

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