2024年5月15日水曜日

森山訂正記事 【書評】 『童謡・唱歌・賛美歌にやどる光 魂を揺さぶるキリスト教人物史』 小川百合花 - キリスト新聞社ホームページ

【書評】 『童謡・唱歌・賛美歌にやどる光 魂を揺さぶるキリスト教人物史』 小川百合花 - キリスト新聞社ホームページ


 この記述の引用元は久保有政氏の著書とみられるが、久保氏はこの件について「(注)以前、[雅楽の「越天楽(えてんらく)」は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言する](森山諭著『神道と仏教とをただす』よりの引用)という文を載せておりましたが、日本雅楽会に確認したところ、会長の名は押田良久氏であり、また景教との関係について言ったとされる言葉も勘違いではないか、とのことでした。明確な確認がとれなかったため、この文は削除いたしました。お詫びして訂正いたします」と、間違いを認め謝罪・訂正している(参照:https://remnant-p.com/100kodai.htm)。



【書評】 『童謡・唱歌・賛美歌にやどる光 魂を揺さぶるキリスト教人物史』 小川百合花

 キリスト教史に現れるさまざまな人物像を通して、信仰の恵みを語る1冊。著者は教会音楽博士で、20年かけて本書を執筆した。

 興味深いのは、著者とザビエル家の末裔であるルイス・フォンテス(泉類治)神父との交流だ。本書のカバー・表紙イラストも泉神父が手がけ、口絵には神父が制作したステンドグラスが掲載されている。

 「フォンテス神父様(1931~)はスペインのムルシア市の、敬虔なカトリック信者の家で誕生します。神父様が多感な9歳のとき、最愛の母親が天に召されます。15歳のとき、日本の殉教者が両腕を後ろで縛られながら山に向かって行く挿絵を見て、火あぶりの刑を受けるキリシタンや子どもまでが毅然とした態度でいるのに心が揺さぶられ、何か自分に問いかけられているとその挿絵が心の片隅に残り続けたそうです。その後、16歳のときには、「エル・ハポン(大日本帝国)』という本に出会います。その書は、山口県で神父様として献身していたモイゼス・ドメンサイン神父様の著作でした。その中に、力強いザビエルの手紙のコピーが掲載され、この手紙に魅せられ、神父様はその瞬間に日本に行く決心をされます。そのときは、まだ、神父様ご自身がザビエルの兄ミゲルの15代末裔とは知らず、そのことを知ったのは63歳の時でした」(154~155頁)

 一方で、実証性が疑問視される記述も見受けられる。

 「日本雅楽会会長の押田久一氏は、『(雅楽で最も有名な)「越天楽」はペルシャから伝わった景教の音楽(賛美歌)です』と述べています。景教とは古代基督教の一派、東方基督教のことです」(16頁)

 この記述の引用元は久保有政氏の著書とみられるが、久保氏はこの件について「(注)以前、[雅楽の「越天楽(えてんらく)」は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言する](森山諭著『神道と仏教とをただす』よりの引用)という文を載せておりましたが、日本雅楽会に確認したところ、会長の名は押田良久氏であり、また景教との関係について言ったとされる言葉も勘違いではないか、とのことでした。明確な確認がとれなかったため、この文は削除いたしました。お詫びして訂正いたします」と、間違いを認め謝罪・訂正している(参照:https://remnant-p.com/100kodai.htm)。

 著者は「越天楽」が景教の賛美歌であると考えた上で、そこから一歩進めて「黒田節」は「越天楽」のメロディーがもとになっているので、「『黒田節』は古代基督教の賛美歌が伝わり、そして編曲されていったものと思われます」(17頁)と推察している。第一部の冒頭では「日本の民謡の『黒田節』の源流は景教(古代基督教の一派、東方基督教)の賛美歌です」(12頁)と断定的に述べているが、参考文献の訂正記事を確認いただきたい。

 他にも疑問視せざるを得ない記述が多々散見される。

 「キリスト教禁止令は、西郷隆盛が勝海舟に相談の上、1873年に廃止しました」(30頁)、「ザビエルは日本でそれ〔筆者注:1549年の来日〕よりも千年も前の紀元500年頃の『黒い十字架』を発見しています」(99頁)、「禁教令によって飯盛山の麓にある八幡山は、大勢のキリシタンたちの殉教者の鮮血によって塗れることになりました」(109頁)、「江戸時代の和算家(数学者)関孝和(1642~1708)も、宣教師から数学を学んだ一人です」(128頁)、「1637年10月、天草四郎の主張した『自由と平等』を求めて島原の人々が、続いて天草の人々が立ち上がります」(129頁)、「キリシタンたちは原城の中から矢文(矢につけて飛ばした手紙)でメッセージを一日中出していました。今でいうトラクト(キリスト教の短い話を書いた小冊子)を、矢文という方法で配っていました」(130頁)、「琴の名曲である八橋検校作曲の『六段』は、グレゴリオ聖歌のクレド(信仰宣言)を基に作曲されていることが分かったのです。八橋検校も西洋音楽の影響を受けた一人です」(140頁)、「東京大学名誉教授、姉崎正治博士が各地で調査研究した結果、江戸時代のキリシタンは約100万人が殉教、約100万人が海外へ、約100万人が隠れキリシタンであると述べています。当時の日本の総人口は1400万人余、総人口の約21パーセントがキリシタンであったことが解明」(141頁)などである。参考文献の著者による主張(事実誤認も含む)や想像、未だ定説には至っていない仮説を史実として受け止めている面があるのではないだろうか。

 もちろん個人の見解をブログなどで開陳するのは問題ない。しかし本書は、著名な教会の説教でもたびたび紹介、推薦されているという。一般の人がキリスト教に関心を持てるよう、意外なところでキリスト教との関わりがあることを知らせる目的で書かれていることはよく理解できる。リテラシーと識別の目をもって手にしてほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

ユダヤ教徒最大の聖地、“嘆きの壁”。 | 一期一会で世界を周る

ユダヤ教徒最大の聖地、"嘆きの壁"。 | 一期一会で世界を周る https://ameblo.jp/kentasudo/entry-12088357606.html ユダヤ教徒最大の聖地、"嘆きの壁"。 けん...