古本夜話514 マックス・ミュラー『言語学』と『比較宗教学』
明治三十一年から四十二年にかけての十二年を要し、博文館の「帝国百科全書」第二百編が刊行された。『博文館五十年史』の明治三十一年のところで、「数多き本館出版物の中に、当時最も権威あるものは、此年より創刊したる『帝国百科全書』二百冊であった」と述べられ、第一編の高山林次郎『世界文明史』から始まる十編のラインアップが示されている。これらの二百冊の明細は同書巻末の「博文館出版年表」の「叢書の部」に掲載されているけれど、この「帝国百科全書」に関するまとまった研究は管見の限り、まだ出現していないように思われる。
この「全書」157・158として、明治三十九年にマクスミユーラー原著、金澤庄三郎、後藤朝太郎共訳『言語学』上下、同161として、四十年にマクスミユーレル著、南条文雄訳『比較宗教学』が刊行されている。これらの著者はいうまでもなく、表記はやや異なっているが、マックス・ミュラーで、その言語学と宗教学の主著が続けて翻訳出版されたことになる。なおこれまでミューラーと呼んできたけれど、本稿からミュラーとする。そのひとつの理由として、近年『人生の夕べに』(津城寛文訳、春秋社)、『比較宗教学の誕生』(山田仁史他訳、国書刊行会)の翻訳を見るに至り、両書でミュラーが採用されているので、二重表記を避けたいからだ。
(第158編『言語学』下)
ミュラーは『言語学』において、言語学の研究は十九世紀初頭に始まり、とりわけ比較言語学は十八世紀末にインドのカルカッタで亜細亜協会という学会が設立されたことによって序幕が開いたと述べている。この学会はサンスクリットの研究を目的とするもので、ウィリアム・ジョーンズを始めとする有名な学者たちを輩出した。彼らはサンスクリット語とギリシャ語の類似を見出し、これらはアーリアン系統に属する共通の祖語を持つ言語だと発表した。これをインドやヨーロッパの大部分が用いているので、総称してアーリアン民族と呼んだ。ここでインド=ヨーロッパ諸言語コンセプトが提出されたことになる。
そしてアーリアン民族の共通の故郷は中央アジアの高原地方であり、最初のアーリアン族がある時を経て、ふたつの方向に移住植民し始め、ひとつは東南のインド方面、もうひとつは西北のベルシャで、それはさらにギリシャやスラブに向かい、ギリシャからはイタリアやフランス、スラブからはドイツへ向かったとされる。これらは『言語学』において、「アーリアン大語族の系統表」として示されている。またアーリアとはサンスクリット語の「貴族」「高貴」の意味を持つ。これがミュラーによって提出された比較言語学によるアーリアン民族の出自と系統なのだ。
ミュラーは『比較宗教学』においても、比較宗教学とは「宗教の発達せる形式に関し、彼我宗教の間に歴史的干繋を研究せん」ものとしている。その実践がまさに『東方聖書』の翻訳と編集だったと見なしていいだろうし、彼は次のようにいっている。
顧ふに宗教研究者にとりて、経典こそ実に最も必要なるものべからんも、此経典と雖も亦一の新宗教を創設する人の真正なる教義の反映形態を帯び、而して此形態たる、そが通過しけん中間の物体によりて汚され破壊せられたりしことを注意せざるべからず。而も猶実際に神聖な経典を有する宗教極めて少く、世界歴史中の真正なる書籍によれば、宗教の数や甚だ僅少なりとす。
続けてミュラーは世界の歴史にあって、その主役たる二大種族のアリヤン人とセミチック人だけが「神聖なる経典」を有するとし、アリヤンのうちのインド族がバラモン教と仏教、セミチック人のヘブリユー族がユダヤ教とキリスト教を生んだと見なす。そしてアリヤン族とセミチック族という「二大種族宗教学の系図」を示すに至る。ただキリスト教は変遷してアリヤン族の宗教となっている。アリヤン族がアーリアン族であることは説明を必要としないが、セミチック族はセム族をさす。セム族とはユダヤやヘブライやアラブの人びとを意味する。イギリスのオリエンタリストであるW・R・スミスはまさに全体としての『セム族の宗教』(永橋卓介訳、岩波文庫)を著わしている。
こうしてミュラーによって提出されたアーリアン人とセム人の構図は、ヒトラーの『わが闘争』(平野一郎他訳、角川文庫)の「民族と人種」やナチズムに継承され、アーリア人種によるユダヤ人の迫害へと向かい、強制収容所におけるユダヤ人ジェノサイドをも招来してしまうのである。レオン・ポリアコフは大部の『反ユダヤ主義の歴史』(菅野賢治他訳、筑摩書房)とともに、『アーリア神話』(アーリア主義研究会訳、法政大学出版局)を書いている。そして『アーリア神話』の「日本語版への序文」において、アーリア神話はヨーロッパの十八世紀の啓蒙と理性の時代の中で、それは同時に人種主義と民族主義が台頭する時代でもあり、自分たちの祖先を栄光に包むために架空の系譜を作り上げ、また時には武器を手にしてこの種の優位性を争うという普遍的に存在する願望であると指摘している。
それは日本も例外ではなかったはずだ。ミュラーの『東方聖書』を範として編まれた『世界聖典全集』の日本での刊行は、第一次大戦後の世界や日本の社会状況、人種と民族問題の中にあって、様々な波紋をもたらしたと考えられる。その前兆として、ミュラーの『言語学』と『比較宗教学』は翻訳出版されたように思える。
『世界聖典全集』
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