漢方史料館(93)正倉院の唐代八世紀前薬物群
←戻る正倉院に現存する唐代八世紀前の薬物群 解説 真柳 誠
前々回の本欄で紹介した正倉院の『種々薬帳』には、天平勝宝八年(七五六)に東大寺へ献上された計六〇種の薬名が記録されていた。その多くが今なお正倉院に現存する。
一九四八~五一年の調査をまとめた『正倉院薬物』(植物文献刊行会、一九五五)の各論文によると、『種々薬帳』品六〇種のすべてが当時の舶来品だった。また六〇種のうち二九種が正倉院の現存薬に合致し、一〇種は別称品ないし片鱗が残存、二一種は遺存しないことが解明された。四〇種ちかい「帳内品」は、千二百年以上も昔の生薬だったのである。もちろん大多数が唐経由なのはいうまでもない。今回はその四種のカラー写真と解説を『正倉院薬物』から紹介しよう。
写真1はかつて「帳外品」の竹節人参(北一二二号)に記録されていた。しかし調査当時の形態学的研究、また最近のサポニン分析からも「帳内品」の人参Panax ginsengと判明。当初は人参に記録されていたが、虫害等で根部の大部分を失い、残存の根茎部分が竹節人参に似るため、のち誤認されたらしい。むろん野生品で、二〇年前後のものと推定されている。
写真2は厚手の桂心(北八八・八九号)で、中央を木綿の緒でゆわえてある。外皮部をほとんど削り取った幹皮であるが、厚さ九mmに達するものもあり、長さ二〇~五二cm、幅は四~五cm。すでに芳香も味もないが、油室が密に分布する佳良品である。現市場品のCinnamomum cassiaによる広南・東興桂皮、ないしC. obtusifoliumによるベトナム桂皮に該当する。唐代前後までの主流品はこのような桂心で、桂枝湯などにも配剤する例が唐代医書には多数ある。現中国で桂枝に小枝全体を使うのが、宋以降の誤用であることの歴史証拠ともいえよう。
写真3の大黄(北九五号)は今の錦紋大黄と同じく卵形で、紐を通し乾燥するための穴がある。表面の網状と半割面の紋理も錦紋大黄に一致し、経年変化で古渡大黄のように褐色が濃いが、アントラキノンの分解損耗は認められない。この原植物はRheum palmatumないしその変種と鑑定されている。
『薬帳』の五色竜歯は正倉院に大小二塊がある。写真4は大塊で、重さ四六五五g 。写真手前の歯冠咬合面は長さ一六七mm、幅八九mm、高さ二四〇mmで、多数の平行な稜がある。かなり進化した旧象の上顎右第三大臼歯で、Palaeoloxdon namadicusのものと考えられ、インドからの渡来らしい。
以上のほか正倉院には『種々薬帳』品に同定できない「帳外品」が、見解の相違もあるが二〇種前後ある。かくも古い薬物の優良品が一括し、しかも地上で由緒正しく保存されてきたのは古今東西に例をみない。日本の国宝であるとともに、世界の伝統医学にとってもかけがえのない遺産といえよう。
しかし中国などでは一部の生薬学者を除き、正倉院薬物がほとんど知られていない。近年は日本の漢方関係者でも知る人が限られてきたように思う。『種々薬帳』とともにあえて紹介した次第である。
(北里研究所東医研・医史学研究部)
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