<独自>舒明天皇の飛鳥岡本宮に大規模な溝 塀跡に平行、厳重に囲み本格的な宮殿整備か
飛鳥時代の宮殿が築かれた奈良県明日香村の飛鳥宮跡で、7世紀前半の舒明(じょめい)天皇の「飛鳥(あすか)岡本宮(おかもとのみや)」の内部を区切るとみられる大型の溝が、県立橿原考古学研究所の発掘で見つかっていたことが分かった。溝のすぐ北側では長さ45メートル以上の長大な塀跡が確認されており、塀と溝で厳重に施設などを囲んだ可能性もある。舒明天皇が本格的な宮殿を整備したことを示す重要な資料になりそうだ。
溝は南西から北東へ長さ20メートルほどにわたって直線状に延び、幅約1メートル、深さ50センチ分が確認された。約5メートル北では塀跡が平行して築かれ、同時期に存在したという。
溝の中や塀の柱穴からは、赤く変色した土や炭が詰まった状態で見つかり、火災で焼けたとみられる。飛鳥岡本宮は630年に築かれたが、636年に火災で焼失したとする日本書紀の記述と合致した。現場はすでに埋め戻されている。(小畑三秋)
木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)の話「溝は、後世に削られた分を考えると当初は深さ80センチほどあったと考えられ、本格的な溝といえる。宮殿内に塀と溝を組み合わせた区画施設が存在したことが明らかになり、飛鳥岡本宮はかなり立派な宮だったと考えられる」
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