2024年4月28日日曜日

柘殖郷(つみえごう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

柘殖郷(つみえごう)とは? 意味や使い方 - コトバンク

柘殖郷 つみえごう

三重県:伊賀国阿拝郡柘殖郷 「和名抄」高山寺本は「柘殖」、東急本は「殖」と記し、ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「都美恵」と読む。天平二〇年(七四八)一一月一九日の小治田藤麻呂解(東南院文書)に「柘殖郷」とある。「日本書紀」天武天皇元年六月に「積殖の山口」とあり、倭姫命が神霊を奉じた時「柘殖宮」(皇太神宮儀式帳)・「都美恵宮」(倭姫命世記)に奉斎したという。八世紀半ば頃には大安だいあん寺・元興がんごう寺・東大寺(現奈良市)の寺領がみられる。天平一九年二月一一日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(奈良市正暦寺蔵)によれば、大安寺は「柘殖原」二〇町および「柘殖庄」一所を領有、天平勝宝元年(七四九)一一月二一日柘殖郷長解(東南院文書)によれば、元興寺が当郷戸主敢臣安万呂の七段を買得、寺領としている。 コトバンクでは本文の一部を掲載しています。ジャパンナレッジをご利用いただくとすべての情報をご覧になれます。→ジャパンナレッジのご案内

和名抄」高山寺本は「柘殖」、東急本は「殖」と記し、ともに訓を欠く。「日本地理志料」は「都美恵」と読む。天平二〇年(七四八)一一月一九日の小治田藤麻呂解(東南院文書)に「柘殖郷」とある。「日本書紀」天武天皇元年六月に「積殖の山口」とあり、倭姫命が神霊を奉じた時「柘殖宮」(皇太神宮儀式帳)・「都美恵宮」(倭姫命世記)に奉斎したという。八世紀半ば頃には大安だいあん寺・元興がんごう寺・東大寺(現奈良市)寺領がみられる。天平一九年二月一一日の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(奈良市正暦寺蔵)によれば、大安寺は「柘殖原」二〇町および「柘殖庄」一所を領有、天平勝宝元年(七四九)一一月二一日柘殖郷長解(東南院文書)によれば、元興寺が当郷戸主敢臣安万呂の七段を買得、寺領としている。

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