2024年4月30日火曜日

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 救世山峯薬師 法谷寺

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 救世山峯薬師 法谷寺

初めまして

疑問に思ったことを書かせていただきます。

この縁起はどこからか引っ張ってきたものと思われます。

>当域南北に枕し、東に向いて開く正に浄瑠璃境の域

眉山は東西に枕し北に向いて開いていますので、この場所ではないかと思います。

峯薬師という割には麓にあるお寺なので、それも不思議なところです。

また、聖徳太子が活躍したかどうかも疑わしいですし、薬師信仰が盛んになったのは後の時代ですから、聖徳太子創建というのは怪しいように思われます。

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  1. 初めまして。
    「匿名」なんですね。
    で、こういう不躾な書き方をされるんですね。
    了解しました。
    さて、きちんと読んでいただけたなら「救世山峯薬師」別当「法谷寺」と書いてあるのがお目に止まるかと思います。
    「救世山峯薬師」の「別当寺」が「法谷寺」です。
    「救世山峯薬師」はここではなく、確たる場所は判明しておりませんが、もっと山頂に近い場所だと推測されます。
    また
    >聖徳太子が活躍したかどうかも疑わしい
    とのことですが、上の方のコメントにも書きましたが
    「伊予国風土記逸文」に
    上宮聖德(うへのみやのしやうとこ)の皇(おほぎみ)を以ちて、一度と為す。及(また)、侍(みとも)は高麗(こま)の惠慈(ゑじ)の僧(ほふし)・葛城臣(小楢)等なり。時に、湯の岡の側に碑文(いしぶみ)を立てき。其の碑文を立てし處を伊社邇波(いさには)の岡と謂ふ。
    とあり、道後温泉に赴いたとの説もあります。
    聖徳太子の活躍?、また存在自体を疑う方はいらっしゃいますので、それはご自由です。
    そして、薬師信仰は飛鳥時代から確認されております。
    聖徳太子が用明天皇の病気平癒を祈願して薬師像を奉納していることは、仏教学者 石田茂作氏の著書にも記載されています。
    創建を疑うのは勝手ですが、これは疑問に思ったことではなく、疑っていることを述べただけ、と思いますが。

http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html

救世山峯薬師 法谷寺

あんまり書きたくない気持ちもあります。
だって、だ〜れも信用しないと思うのです。
「救世山峯薬師」別当「法谷寺」。
場所はここ、蔵本の球場裏です。加茂名中学校も近くマーチングバンドの練習する音も風に乗って聞こえてきます。西部公園の登り口からは車で1、2分。

より大きな地図で 法谷寺 を表示
「救世山法谷寺」の碑があります。この道を入ってしまうと帰る時Uターンしにくいので
ここらに車を置いてあとは徒歩がいいんでないかい(志村けん風に)。

途中には「山神社」「八幡神社」があり書きたいこともございますが、今回はスルー。

数分歩きますと「救世山峯薬師 別当法谷寺」の碑が。

ここには「醫王水」なるものもございましたが、ここも華麗にスルー。

本題を急ぎます。

きれいに整備された石段をたらたらと登ります。

「峯薬師」本堂でございます。

あろうことか、あるまいことか「十六菊」の紋が。

さて、ご存じない方々に、ここをどうして取り上げたのかを説明させていただきますと。

下の由緒をご覧下さいませ。

「救世山峯薬師縁起」

古え小治田宮天皇の御宇、聖徳太子当山の

対岸気延庄、上宮にて詔りし、「当域南北に

枕し、東に向いて開く正に浄瑠璃境の域也。

前尾の峰を救世山と称し、邦国の守護を

祈願せん」と、秦河勝に命じ、以乃山馬峰に

醫王善逝薬師如来を作らしめ、救世山峯

薬師を開山す。後々仏教を志す者必ずこの

霊地を巡礼す。弘法大師峯薬師に修法、真

言密教を興す。嵯峨天皇の信を得、当山を

真言密教三密修験の根本道場とし、救世山

大乗院遍照寺を建立併せて、東の峰に金剛

光寺を建立、峯薬師を中心に遍照金剛の

霊地となす。

(以下略)

ね、小治田宮天皇は推古天皇ですので、「由緒によれば」下手したら607年建立の

法隆寺より古い建立であるかもしれないところなんです。

また、「秦河勝」に命じ「以乃山馬峰に醫王善逝薬師如来を作らしめ」って。

「以乃山」は言うまでもなく「眉山」の古名です。

「道は阿波より始まる」でも「記紀の説話は阿波に実在した」でも

奈良「法隆寺」の本社は、ここ「救世山峯薬師」であるとしております。

また、ここ「救世山峯薬師」の「峯薬師像」及び「救世観音像」は江戸時代末期に

行方不明になり、明治期に奈良法隆寺で岡倉天心により発見されたとも書かれて

おります。


さあ、どうしましょう。

こんなお話、誰が信用してくれるのでしょうか?

「法隆寺」の本社が、「救世山峯薬師」であるなどとは、どんな史書を見ても載ってる

はずもございません。

ただ、由緒にはご覧のように「堂々と」書かれております。

な〜んにもない所にこんな由緒があるはずもございません。

と、いう訳で(どういう?←聞き飽きたかな)頭の中がぐるぐるして来たので、さあ帰ろう

かと思ったところ、脇に何やらお堂があるではございませんか。

近くに寄ってよくよく拝んでみますれば。

ああああああああ、またしても、またしても「歓喜天」!!!

もう、煮るなと焼くなと、どうにでもして下さいませ(涙)。

最近は陰陽和合とはほど遠いんですが(笑)。

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