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https://youtu.be/sZ09aYKRJvI?si=L3nEDwFkaqPMvM2h
当芸志美々命の変 この(神武)天皇が崩御なさって後に、その三人の御子たちの腹ちがいの兄に当たる当芸志美々命が、父天皇の皇后であった伊湏気余理比売と結婚した時に、その三人の弟を殺そうと企てを巡らしているので、母君の伊湏気余理比売は悩み苦しんで、歌で三人の御子たちにそのことを知らせた。歌っておっしゃる、 (二〇)狭井河から 雲が立ち渡ってきて こちらの畝傍山の 木の葉がざわめいている 風が吹くぞ また歌っておっしゃる、 (二一)畝傍山は 昼は雲が揺れ動いている これは夕がたには 風が吹く前兆として 木の葉がざわざわいっている 母后のこの歌を御子たちは聞き、その意味する危機を知って驚き、当芸志美々を殺そうとした時に、神沼河耳命が、その兄の神八井耳命に、「ねえお兄さま、武器を取り、踏み入って、当芸志美々をお殺しなさいよ」と申された。それをうけて、兄の命は武器を手に取ると踏み込んで殺そうとしたが、その時、手足がぶるぶる震えてしまって、殺すことができない。すると弟の神沼河耳命が、その兄の持っていた武器を受け取り、踏み入って、当芸志美々命をお殺しになった。それゆえまた、その御名をたたえて、建沼河耳命という。 このことで、神八井耳命は、弟の建沼河耳命に皇位を譲って、「私は敵を殺すことができませんのに、あなたは完璧に敵を殺すことができたのです。それゆえ、自分は兄ではあっても天皇となるべきではありません。したがって、あなたが天皇となり、天下を統治なさいませ。私はあなたを助け、守護人となってお仕えいたします」と申した。 そして長兄の日子八井命は、茨田連・手島連の祖先である。神八井耳命は、意富臣・小子部連・坂合部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫の三家の連・雀部臣・雀部造・小長谷造・都祁直・伊余の国造・科野の国造・道奥の石城の国造・常陸の仲の国造・長狭の国造・伊勢の船木直・尾張の丹波臣・島田臣らの祖先である。神沼河耳命は、天下を統治なさった。 すべて数えてこの神倭伊波礼毗古天皇の御寿命は百三十七歳。御陵は畝傍山の北側の白檮尾のほとりにある。
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