飛鳥時代の宮の正方位化は天皇の出現を意味する
天皇号は,天武6年(677)を示す丁丑年の記載がある木簡と一緒に見つかった木簡により,天武天皇の時代には始まっていたことが確認されているが,いつ,どうやってその言葉が生まれたかは議論が少ない。同時期の中国・唐の高宗は674年から,皇帝から天皇へ称号を改めている。したがって,天皇号も中国から渡来してきた言葉であることは確実である。しかし,中国にはばかって「太極殿」の太の字から一角欠いて「大極殿」としていることにも分かるように,中国と日本の関係は,中国の「皇帝」が「天皇」に称号を変えたからといって,そのまま真似て「天皇」と名乗る力関係には無い。文字の一画を欠くのは避諱(ひき)に用いられる方法である。このことから,「天皇」は中国で生まれた名称であるが,「天皇」を王名に使用したのは日本の方が先だったことが分かる。日本では中国と同名の「皇帝」ではまずいので,「天皇」を選んだのである。中国の天皇号は道教に関係した変更だろう。天武朝が始まったのは,白村江での敗戦からまだ10年の時代である。戦って負けた対戦国の王の名称を新たに名乗る時代ではない。実際には,天皇号が始まってすでに一世代過ぎていたのである。現在,大極殿と天皇号の導入は共に天武天皇の時代とする説が主流であるが,天皇号を中国にまねて使ったのでであれば,大極殿は太極殿のままのはずである。これが逆に,いずれかが,若しくは両方が,天武朝ではない根拠となるのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿