2024年5月15日水曜日

Heaven's Cafe:奈良・興福寺で光明皇后は景教徒ではないと考察

Heaven's Cafe:奈良・興福寺で光明皇后は景教徒ではないと考察

奈良・興福寺で光明皇后は景教徒ではないと考察

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朝は鹿と挨拶しながら十輪院へ。お目当ては8時からの作務。森鷗外やブルーノ・タウトが愛でた庭を掃除できるなんて!
竹箒で池の周りの枯れ葉を掃きました。普段は見るだけだけど、庭を手入れして美しく維持するのって、ほんとに手間ですね。修行と考えて何百年続けてきた数多の人々に頭が下がる思いがしました。

8時半からは朝のお勤め。鎌倉時代の国宝・重要文化財のあるお堂で行われます。この日の来訪者は私を含めて4人、お坊さんは5人で、僧侶比の高さに驚き。予め紙に名前とお願い事項をチェックして渡すと、それを勤行の中で祈祷してもらえます。終わってからは短い法話。毎日これをやってらっしゃるってすごい。

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しかし何と言っても十輪院の見どころは石仏龕(がん)。龕とは仏像を納める厨子のことなのですが、その龕の内側にご本尊と2体の仏様が浮き彫りされて一体化しているのです。これは、どんなに待っていても他の仏像のように東京に運ばれてきて見る日は来ないだろうなと思い、来て拝観するしかないと思っていました。

間近に見ると、全体的に彩色が薄っすら残っていて、御顔は円満。おおらかな感じです。脇の2体の仏像が揃って施無畏印をしているのですが、どちらも奈良の大仏のように真っすぐでなく、かなり傾いた施無畏印なので、こちらに向かって手を振っているよう。和みます。帰りにお経もいただいて、もっとお布施入れればよかったと申し訳なくなるほど。どこに行ってもやはり人とのふれあいが一番心に残ります。

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十輪院のあとは、元興寺と興福寺へ。どちらも世界文化遺産で鉄板ですね。詳しく書いたらキリがないので(それは後で書く旅行記に譲って)ポイントだけ。元興寺では中世から江戸時代の供養石造物1500基が圧巻。法輪館内の五重小塔(国宝)も諸仏像も。飛鳥寺(=日本最初の本格的伽藍である法興寺)から持ってきたという瓦も現役で使われていて、言葉を失います。
興福寺はもちろん阿修羅像。だけどそれ以外にも国宝・重要文化財の仏像・建築物があり見逃せません。創建はざっと1300年前。五重塔もいいけれど、私は三重塔が気に入りました。興福寺で最古の建物で、女性的で優美。

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さて・・・、興福寺の五重塔は天平2(730)年、興福寺の創建者である藤原不比等の娘 光明皇后の発願で建立されたものなのですが、この光明皇后のことを、秦氏など様々な人物をキリスト教徒だったと唱える人たち(久保有政、ケン・ジョセフら)は景教徒だったと言っています。
興福寺の五重塔は当時日本で最も高い塔(釈迦の骨を納める舎利塔)で、中に安置された仏像をみても、篤い仏教信仰を示すものなのですが、それを恣意的な解釈でキリスト教の方に持っていくんですよね。
曰く、
・『続日本紀』に出てくる「唐人皇甫、波斯人李密翳」は景教徒で、光明皇后に影響を与えた(聖書を読み聞かせたのだろう)
光明皇后が行ったとされる慈善活動(ハンセン病患者収容施設を建て、患者の膿を吸ったという伝説)はキリスト教徒だったからと考える外ない
・「光明」は「景教」(光輝く宗教)からきている
(※全て「~だろう」と推測の語尾を用い、断定形を使うのは誰かの文章の引用のみ)
まず、「唐人皇甫、波斯人李密翳」が景教徒であった証拠はどこにもなく、『続日本紀』には2人が世俗的な役割(雅楽家、行政官)を果たしたことだけが書かれています。したがって世俗的役割を果たしたのだろうと考えるのが自然で、景教徒だったとするのは明らかに飛躍です。
次に、光明皇后が篤い仏教信仰を持っていたことは、伽藍建設など多くの業績で証明立てることができます。キリスト教徒でなければ慈善活動ができないというのは、キリスト教徒である彼ら(久保・ジョセフ両氏)の考えによるもので、仏教界からクレームが出てもおかしくない一方的な主張です。
更に、光明皇后の「光明」は仏教用語で、仏から出る光のことを言います。また、中国の唐において、マニ教寺院が「光明寺」だったのにも関わらず、「景教」の「光輝く」という意味から来ているというのも根拠を欠きます。

久保・ジョセフ両氏の本を読んで、「そうかもしれない」と受け入れている人が多くいます。大抵が、「景教」や「光明皇后」「秦氏」などの言葉を聞いたことがあったり、多少知っていたりする人たちで、いわゆる知識層です。知的好奇心を刺激されて、彼らの説を読み進めるうちに、自分の考えにまでなっている人もいます。

しかし、今世の中ではフェイクニュースが溢れて、情報を無批判に信じることの危険性が叫ばれています。自分でちゃんと裏取りすることなく受け入れ、そうだと思うことは、人が社会的な動物である限り、自分だけでなく他者にも影響を及ぼします。自分の言動が様々な形で世に出て、人に感化を与えるからです。

私がちゃんと調べて反論すると、「ロマンなんだからいいじゃないか」「断定してない。だろうと言っているだけだ」と逃げられることがあります。「頭がかたい」とバカにされることも。だけれど、こういった知的に面白い説が、史実と混同されて拡散されていくことはロマンではないと思います。キリスト教信仰とない交ぜにして語られているのを見ると危機感さえ覚えます。

ちなみに、久保有政氏の情報サイト「レムナント」には、以前、「雅楽の『越天楽』はペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏が断言したと(やはり引用文で)書かれていました。だから雅楽を演奏した皇甫は景教徒なのだと、証拠のように挙げられていたのです。

ところが日本雅楽会から、会長の名は押田良久であり、景教との関係について言ったとされる言葉も勘違いではないかと指摘され、後にこの文は削除されました。ネットでは削除されましたが、本では残っているから問題ですけど。。

事実無根のとんでもない間違いも、放っておけばほしいままに利用されますが、適切に対処すれば取り除けます。

ちゃんと調べておかしいと声を上げれば、これ以外にも訂正・削除される内容があるのではないかと思われます。

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