奈良・興福寺で光明皇后は景教徒ではないと考察
朝は鹿と挨拶しながら十輪院へ。お目当ては8時からの作務。森鷗外やブルーノ・タウトが愛でた庭を掃除できるなんて!
竹箒で池の周りの枯れ葉を掃きました。普段は見るだけだけど、庭を手入れして美しく維持するのって、ほんとに手間ですね。修行と考えて何百年続けてきた数多の人々に頭が下がる思いがしました。
8時半からは朝のお勤め。鎌倉時代の国宝・重要文化財のあるお堂で行われます。この日の来訪者は私を含めて4人、お坊さんは5人で、僧侶比の高さに驚き。予め紙に名前とお願い事項をチェックして渡すと、それを勤行の中で祈祷してもらえます。終わってからは短い法話。毎日これをやってらっしゃるってすごい。
しかし何と言っても十輪院の見どころは石仏龕(がん)。龕とは仏像を納める厨子のことなのですが、その龕の内側にご本尊と2体の仏様が浮き彫りされて一体化しているのです。これは、どんなに待っていても他の仏像のように東京に運ばれてきて見る日は来ないだろうなと思い、来て拝観するしかないと思っていました。
間近に見ると、全体的に彩色が薄っすら残っていて、御顔は円満。おおらかな感じです。脇の2体の仏像が揃って施無畏印をしているのですが、どちらも奈良の大仏のように真っすぐでなく、かなり傾いた施無畏印なので、こちらに向かって手を振っているよう。和みます。帰りにお経もいただいて、もっとお布施入れればよかったと申し訳なくなるほど。どこに行ってもやはり人とのふれあいが一番心に残ります。
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・『続日本紀』に出てくる「唐人皇甫、波斯人李密翳」は景教徒で、光明皇后に影響を与えた(聖書を読み聞かせたのだろう)
・光明皇后が行ったとされる慈善活動(ハンセン病患者収容施設を建て、患者の膿を吸ったという伝説)はキリスト教徒だったからと考える外ない
・「光明」は「景教」(光輝く宗教)からきている
(※全て「~だろう」と推測の語尾を用い、断定形を使うのは誰かの文章の引用のみ)
久保・ジョセフ両氏の本を読んで、「そうかもしれない」と受け入れている人が多くいます。大抵が、「景教」や「光明皇后」「秦氏」などの言葉を聞いたことがあったり、多少知っていたりする人たちで、いわゆる知識層です。知的好奇心を刺激されて、彼らの説を読み進めるうちに、自分の考えにまでなっている人もいます。
しかし、今世の中ではフェイクニュースが溢れて、情報を無批判に信じることの危険性が叫ばれています。自分でちゃんと裏取りすることなく受け入れ、そうだと思うことは、人が社会的な動物である限り、自分だけでなく他者にも影響を及ぼします。自分の言動が様々な形で世に出て、人に感化を与えるからです。
私がちゃんと調べて反論すると、「ロマンなんだからいいじゃないか」「断定してない。だろうと言っているだけだ」と逃げられることがあります。「頭がかたい」とバカにされることも。だけれど、こういった知的に面白い説が、史実と混同されて拡散されていくことはロマンではないと思います。キリスト教信仰とない交ぜにして語られているのを見ると危機感さえ覚えます。
ちなみに、久保有政氏の情報サイト「レムナント」には、以前、「雅楽の『越天楽』はペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏が断言したと(やはり引用文で)書かれていました。だから雅楽を演奏した皇甫は景教徒なのだと、証拠のように挙げられていたのです。
ところが日本雅楽会から、会長の名は押田良久であり、景教との関係について言ったとされる言葉も勘違いではないかと指摘され、後にこの文は削除されました。ネットでは削除されましたが、本では残っているから問題ですけど。。
事実無根のとんでもない間違いも、放っておけばほしいままに利用されますが、適切に対処すれば取り除けます。
ちゃんと調べておかしいと声を上げれば、これ以外にも訂正・削除される内容があるのではないかと思われます。
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