千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社: 神になった老人、翁の謎。
神になった老人、翁の謎。
新年に必ず、日本中の能舞台で演じられる能「翁」。能では、翁とはただの老人ではなく、霊的な力を授けられた"神の使い"である、と考えられている。そしてその舞は、国家安静、五穀豊穣を祝う寿ぎの神事とされています。なぜ、老人は翁となり、神となったのか。能の中でとりわけ神事として重んじられる「翁」の概要から見ながら、民俗学・人類学の視点から、老人→翁→神への変遷をたどっていきたいと思います。
■翁とは?
「能にして、能にあらず」とされる、神能ジャンルの特殊な演目。別名、「式三番」と呼び、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ神事・儀礼芸能である。現在、能では「翁」「神歌」(素謡の場合)と呼んでおり、式三番と呼ぶことはほとんどない。
本来の「神能」とは「翁」一番をさし、他の「高砂」「養老」「難波」などの曲は、翁に付随して演じたので「脇能」ものと呼ばれる。五穀豊穣を祈る農村行事より発生し、翁は集落の長の象徴、千歳は若者の象徴、三番叟は農民の象徴とする説がある。
■翁の構成
古来「翁」は、父尉(ちちのじょう)・翁(おきな)・三番叟(さんばそう)の各曲が連続して上演されたために式三番と呼ばれてきたが、現在父尉は省略し、翁を能楽師が、三番叟を狂言師が担当する。演劇的なストーリー展開はなく、老体の神があらわれて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祝祷する神事的な内容である。五番立ての能では、脇能に先だって演ぜられ、全体の祝言として位置づけられている。
参照:式三番構成の時代変遷
鎌倉初期 冠者・父尉→翁→三番叟
同 中期 稚児→翁→三番叟→冠者・父尉
南北朝 露払→翁→三番叟→冠者・父尉
現代 露払(千歳)→翁→三番叟
■翁の配役
翁に登場する役者・囃子方は、翁役の大夫(シテ方)、千歳役(上掛りではシテ方、下掛りでは狂言方)、三番叟役(狂言方)、面箱持役、笛方、小鼓方3名、大鼓方の計8ないし9名のほかに、地謡、後見などである。
小鼓は三丁で連調し(シテになる小鼓方を頭取、残りの2名を脇鼓という)、大鼓は三番叟にのみ加わる。太鼓方も舞台には出るが、翁に続いて上演される。脇能から参加し、翁そのものには加わらず、端座して控える。
■翁は最も神聖な曲
能楽において翁は極めて神聖かつ重い曲として扱われており、翁、千歳、三番叟、囃子はそれぞれ習いとされている。流儀によってそれぞれに異なるが、素人・玄人ともに、女性による上演には一定の制限が加えられている(女性には許しを出さない、年齢制限を設ける等)。
■別火
翁は神事。ゆえに現代でも上演に際しては厳重な決まりごとがある。シテは翁興行前の一定期間(1-3週間) 厳しい精進潔斎をしなければならない。獣肉を断つ、女人を遠ざける、冷水を浴び身を清める(水垢離)…。中でも最も特徴的なのが「別火(べっか)」という禁忌の習慣。神事に際し、火は最も神聖で、穢されてはならないもの。シテ役者が用いる火は、世俗の者の用いる火と厳しく隔てられる。楽屋でもシテが当日用いる火を隔離して、その部屋や火鉢などに「別火」と墨書した紙を貼っておく。他の者はその火に近づいてはならないし、楽屋に女性が出入りすることも禁じられる。
■翁飾り
翁演能にあたって最も重要な祭式は、「翁飾り」である。 当日、鏡の間に粗薦を敷いた祭壇が設けられる。白式尉・黒式尉の二面と鈴ノ段で用いる鈴が入った面箱が中央に祀られ、灯明・神酒・洗米・塩が供えられる。翁面は御神体として祭壇に祀られるのだ。出演前、シテを筆頭に出演者一同、鏡の間から楽屋に居流れる。お調べの前後に、シテが祭壇を礼拝。後見が火打石を打つ。シテから順に役者は、祭壇の神酒をいただき、洗米を含み、塩で身を清める。
この儀式が済むと一同おもむろに整列し、露払いを先導に威儀を正して粛々と舞台に入るのだ。
■舞台次第
現行の能約200番の中で、翁の一番のみ、シテが素顔のまま舞台に入り、観客が見ている舞台の上で、面を押し頂いてかける。舞台までは面箱持という役が、面箱に入った御神体(翁の面)を恭しく戴いて運ぶこととなっている。
■上演の次第
現在、もっとも一般的な上演の形式・順は以下のとおり。
・序段
座着き:笛の前奏によって役者が舞台に登場する。
総序の呪歌:一座の大夫が、式三番全体に対する祝言の呪歌を謡う。
・翁の段
千歳之舞:翁の露払役として若者が舞う。
翁の呪歌:翁が祝言の呪歌を謡う。
翁之舞:翁が祝言の舞を舞う。
・三番叟の段
揉之段:露払役の舞を三番叟自身が舞う。
三番叟の呪歌:三番叟が千歳との問答形式で祝言の呪歌を謡う。
鈴之舞:三番叟が祝言の舞を舞う。
■小書(特殊演出)
1.式能 ―五番立
(初日之式、二日之式、三日之式、(四日之式)、法会之式)
江戸時代の式能において、数日間にわたって五番立の演能が行われる場合、初番の翁は毎日同じもので飽きがくるために、各種の小書がつくられた。各々その小書名にある日の演能に用いる(法会之式は法会用)。いずれも詞章に多少の違いがあるだけで、内容が大きく異るわけではない。現在、小書のつかない常の型は四日目の式を演じる。江戸時代、勧進能や将軍宣下能などの大規模な番組では、演能が十数日間続くことがあった。この場合、四日目以降は四日の式を繰り返し演ずることとなっている。すなわち、演者にとって、もっとも演じる機会の多い「四日の式」が、やがて標準となっていった、とする説がある。
2.立合もの
(弓矢立合、船立合、十二月往来)
翁の数が三人(弓矢立合・船立合)に増え、祝言の謡を謡いながら相舞(翔)をする。この小書にかぎって異流の太夫どうしで演じる特殊な演目である(地謡は混成)。すでに室町時代の多武峰猿楽に四座立合の翁が奉納され、その由緒は古い。なお、弓矢立合は江戸時代に幕府の謡初式でかならず演じられた由緒ある曲である。
3.翁付き
翁上演後、連続して「高砂」や「養老」「鶴亀」「老松」などの神能が同じ演者によって演じられることがある。これを「翁付き」と呼ぶ。「翁付き」となるのは目出度い内容の演目であり、またこの形式を採る演能は最も高い格式を持つ。各流儀の年初の舞台拓きや、寺社での奉納能などで見られる。翁開演後は、見所への入場扉に紙の封がかけられ、観客は途中入退場ができなくなる。また、囃子方は脇能が終わるまで、3時間前後、舞台に上がり続けとなる為、体力的には相当過酷な演目といえよう。
■翁は、なぜめでたいのか
なぜ、翁すなわち老人が舞う能が、祝福芸となるのであろうか? 現在「老い」はマイナス要素で考えられることが多いが、古来伝統的には、「年老いる」ことはプラス評価でもあった。ちなみに今の中国語で「老」とは良い評価に用いる文字でもある。平均寿命が短かった昔は、長生きすることはそれだけで驚くべきこと、賞賛に値することで、長寿を保った老人には不思議な霊力が籠もっている、と考えられたのだ。
たとえば、『続日本後紀』仁明天皇承和12年(845)には、当時百三十歳の舞の名人・尾張浜主が帝の御前で舞楽〈和風長寿楽〉を舞い、賞賛を集めたという記録がある。その時、浜主は「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる御代に出でて舞ひてむ」と詠ったという。「老人の歌舞が天下を祝福する」という古来の文化意識が垣間見えるエピソードといえよう。伝統芸の中で、翁はこのように、祝祷の担い手、ひいてはシンボルとなっていったのである。
■折口信夫の『翁の発生』
田楽や猿楽について、折口信夫(1887〜1953)は『翁の発生』で次のように書いている。
まず「日本人の国家以前から常世神(トコヨガミ)といふ神の信仰は、常世人として海の彼方の他界から来る」とある。これが折口信夫の「マレビト」であろう。このマレビトは「初めは、初春に来るものと信じられてゐた」が、四季折々の節目に訪れるようになり、やがて山中にすみつき山人となり、山人から山の神となる。
「常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したから」ということだが、この山の神が里に下りてくるのが、翁の原型である、と『翁の発生』ではいう。山から現れ、通っていたこの山の神は、やがて里の神社にすみつき神となった。
ここには日本人の狩猟時代から農耕時代へと移った時間の幅があるのだろう。こうして神事は「翁舞」となる。「翁面」は御神体として扱われ、「翁舞」は鎮魂や五穀豊穣の祭りの儀式として行われた。この神事芸能が呪師猿楽の呪術性を得て、翁猿楽となっていく。
■能『翁』の詞章
翁 とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
地 ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
翁 所千代までおハしませ
地 我等も千秋さむらハふ
翁 鶴と亀との齢(よわい)にて
地 幸(さいわい)心に任(まか)せたり
翁 とうどうたらりたらりら
地 ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
千歳 鳴るハ瀧の水。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地 絶えずとうたり。ありうどうどうどう
千歳 絶えずとうたり。常にたうたり(千歳の舞)
千歳 君の千年を經ん事も。
天津をとめの羽衣よ。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地 絶えずとうたり。ありうどうどうどう
翁 総角(あげまき)やとんどや
地 ひろばかりやとんどや
翁 座して居たれども
地 まゐらふれんげりやとんどや
翁 千早振(ちはやふる)。神のひこさの昔より。久しかれとぞ祝ひ
■とうとうたらり…は何語か?
能でもっとも神聖な曲とされる翁。特にその詞章は難解で、今日にいたるも完全に読解されておらず、学者により様々な暗号解析が試みられている"謎の言語"である。
「申楽の舞とは、いづれと取立てて申すべきならば、この道の根本なるが故に、翁の舞と申すべきか。又謡の根本を申さば、翁の神楽歌と申すべきか」(申楽談儀)。
翁が世阿弥の時代、すでに申楽の神聖曲として扱われていたことがわかる。
また、同書には、
「都良香(とろうきょう)の立合い、昔よりの立合い也。翁の言葉の様にて伝わり来たるものなれば、たやすく書き改むるべきにあらず」
と、翁の詞章の難解を示唆する指摘があり、当時すでにその意味が解読できなかったのではないか。
「とうとうたらり」の語解については、昔からさまざまな説が唱えられてきた。古くは僧宣竹が翰林胡蘆集で、陀羅尼から取られた歌詞ではないかと推測し、さまざまな神聖説が出た。江戸期になると荻生徂徠や賀茂真淵等がそれらを排斥し、笛や鼓の擬声であるとする説を唱え、一般化。後に謡の合いの手であるとする説も出た。以下に、いくつかの説の主張を拾う。
・笛の譜説
高野辰之博士が日本歌謡史に挙げた、舞楽の最初に演じられる「振舞」の笛の譜であるとする説。
「ト(引)ト(引)、タアハアラロ、トヲリイラア。トラアリイラリ、チイラリイリイラ、タアリアリヤリ(引)。トラアロリチラアハ、チイヤリイヤラタアハハハルラルラアルラ、トヲヒタロヒ、トヲヒ(引)」
・サンスクリット語説
昭和初期に河口慧海師が唱えた、サンスクリット語(梵語)による祝言の陀羅尼歌「サンバ・ソウ」(瑞祥、あるいは作成の意)の歌詞であるとする説。宣竹説の直訳版。
「トプトウ(収穫は)タラリ(輝き)タラリ・ラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)、ツエ・リン・ヤッ(寿命は長く健やかに)タラリ(輝き)タラリラ(輝いて)、タラリ(輝きは)ア(ああ)ガレララ(いずれも同じに)リトウ(寿ぎあれや)」
・縄文語(原ポリネシア語)説
翁の解読不能の詞章が縄文語、すなわちその起源となったと推定される原ポリネシア語から変化したマオリ語(すでに失われた語彙でハワイ語に残るものについてはハワイ語とし、その旨を注記)であるとする説。
「オキ・ナ」、OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「(人生の)終わりに・近い(者。翁 )」(なお、「翁」に対する「媼(おうな)」は、「オウ・ナ」
OU-NA((Hawaii)ou=hump up:na=satisfied,indicate position near,belonging
to)、「(老いて)背が曲がっ・た(者。媼)」と解する) 。
「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「(清めるために)水を撒け・(水を)打って・濡らせ・(水を)打って・濡らせ・あたりを」
「タウ・コロ」、TAU-KORO(tau=come to rest,settle down,be suitable;koro=old man)、「着座の・ご老人(主君)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)。 「テネ・チウ・タプラ(ン)ギ・ホウ」、TENE-TIU-TAPURANGI-HOU(tene=be importunate;tiu=soar,wander,swing,swift;tapurangi=a raised platform in the front of a house or courtyard or village common used as a reclining place for a chief;hou=bind,enter,
persist)、「いつまでも・侍(はべ)っておりましょう・主君の御座・のそばに」(「テネ」が「テン」から「セン」と、「チウ」が「シュウ」と、「タプラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「タプラ」から「サブラ」となった)。
本稿は、東急セミナーBE2009年4月期講座「能の神男女狂鬼」第二回をもとに再構成しました。以下、2010年新春に予定されている、各流・各能楽堂の「翁」公演情報をお知らせしましょう。
■2009年1月~ 能「翁」全国公演情報
【観世能楽堂】東京渋谷
・観世会定期能
平成22年1月3日(日曜日)
開場:10時 開演:11時 終演:17時20分頃
能「翁」
翁:観世清和 三番叟:石田 幸雄 千歳:武田文志
能「高砂」
シテ:関根知孝 ツレ:清水 義也 ワキ:宝生欣哉
狂言「昆布柿」 野村万作
仕舞 「経 正」観世三郎太 「草子洗小町」観世喜之
「網之段」片山幽雪(片山九郎右衛門改め) 「鞍馬天狗」梅若吉之丞
独吟「弓之段」 藤波重和
能「東 北」
シテ:角 寛次朗 ワキ:森常好
仕舞 「難 波」梅若万三郎 「田 村」観世銕之丞 「西行桜」関根祥六 「国 栖」 山階 彌右衛門
能「岩 船」
シテ:坂井音雅 ワキ:則久英志
入場料 正面区画自由席:13,650円 一般自由席:9,450円
入場券お取り扱い 観世能楽堂 03-3469-5241
【宝生能楽堂】東京水道橋
・宝生会月並能
1月10 日 13:00 開演
能 翁 シテ 高橋亘 千歳 佐野弘宜
能 胡蝶 シテ 三川泉
能 鞍馬天狗 シテ 當山孝道
料金:
A席(正面) \8,000
B席(脇正面) \6,000
C席(中正面) \5,000
学生(脇正後方)席 \3,000
問い合わせ 宝生会 Tel.03-3811-4843
・銕仙会定期公演
1月11日(祝)1時30分
能 翁 翁 観世銕之丞 千歳 安藤貴康 三番三 山本則重
能 淡路 シテ 長山桂三
狂言 宝の槌 太郎冠者 山本 則俊
能 猩々乱 シテ 鵜澤光
定期公演入場料:
正面 6000円
脇正面 4000円
中正面 3500円
問い合わせ:銕仙会 03-3401-2285
【矢来能楽堂】東京神楽坂
・観世九皐会百周年記念特別公演
平成22年2月28日(日)午後1時開演
S席(正面の一部) ¥9,000
A席(正面の一部・座敷正面)¥8,000
B席(脇・中正面) ¥6,000
学生席(B席) ¥3,000
正面S席、脇正面B席のお取扱はございません。
能 翁 長沼範夫
狂言 鍋八撥 野村万作
能 玄象 鈴木啓吾
問い合わせ:観世九皐会事務局 TEL 03-3268-7311 FAX 03-5261-2980
【十四世喜多六平太記念能楽堂】東京目黒
・喜多流職分会 1月自主公演能
平成22年1月10日(日)正午始
整理券配布10時30分 見所入場11時
能 翁
翁 高林呻二
三番叟 野村萬斎
千歳 高野和憲
狂言 筑紫奥 シテ/奏者 野村万作
能 羽衣霞留 シテ/天女 内田安信
能 シテ 塩津哲生
一般席/6,000円、学生席/2,500円
指定席料2,500円(上に別途)
【名古屋能楽堂】
・名古屋能楽堂定例公演 ~能・狂言でたどる天下統一の道(前編)~
日時:平成22年1月3日(日)14:00開演
演目:能「翁」(おきな)シテ 梅田邦久(観世流)
「三番叟」(さんばそう)野村小三郎(和泉流)
能「養老」(ようろう)水波之伝 シテ 清沢一政(観世流)
狂言「筒竹筒」(つつささえ) シテ 松田髙義(和泉流)
料金: 指定席5,000円
自由席 一般 4,000円 学生 3,000円
※自由席のみ当日500円増
※友の会会員は前売のみ1割引
問合せ:名古屋能楽堂 ℡052-231-0088
【京都観世会館】
・京都観世会一月例会
1月10日(日) 10:30開演
(能) 翁 大江又三郎
(能) 絵馬 井上 裕久
(狂言) 昆布売 茂山七五三
(能) 鉢木 観世 清和
(能) 岩船 武田 大志
前売 6,000円
当日 6,500円
学生 3,000円
問い合わせ 京都観世会館 TEL.075-771-6114
2009年12月15日 18:57
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日々お世話様です。いつもHP拝見しております。昨年、念願叶って自費出版の運びとなりました。10月中旬より各書店にて販売してます。若き日の神楽師の物語でタイトルは「お神楽初恋巡演記」です。いち早く岩手県立美術館&図書館&博物館のライブラリー・書庫で配架になりました。また情報誌悠悠そしてFM岩手「岩手の本棚」でも紹介されました。昨年は新聞掲載はデーリー東北&盛岡タイムス&毎日新聞が取り上げくれました。今年は岩手日報&日本農業新聞&朝日新聞&観光経済新聞で掲載されました。詳しくはブログ神楽童子「お神楽初恋巡演記」(http://blog.goo.ne.jp/juriyo_1955)参照願います。神楽を愛する多くの皆様に読んで欲しいと思ってます。
投稿者 神楽童子 : 2010年03月17日 21:33
神楽童子さま
コメントありがとうございます。
なかなか興味深い作品ですね。
言の葉庵読者のみなさまにもオススメします。
投稿者 庵主 : 2010年03月18日 12:08
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