第3回 巻一・二番の舒明天皇の香具山での望国歌について(坂本信幸)
大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山(あめのかぐやま)
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ
うまし国そ 秋津島 大和の国は
舒明(じょめい)天皇(巻1・二)
〔現代語訳〕
大和の国には群がる山々があるが、
中でも特に美しくとり装う天の香具山に、
登り立って国見をすると、
広い国土には、炊煙が盛んに立ち上っている。
海原にはかもめがしきりに飛び立っている。
素晴らしい国だ。(あきづ島)大和の国は。
※画像は藤原宮跡から眺めた香具山
春の初め高い所に登って国土自然を見渡す国見(望国)は、元来民間の予祝行事として行われた春山入りの儀礼的部分として、歌垣と共に一つの行事を形作っていた。一年の初めにあたって、自分たちの住む国土自然を見て、それを讃える歌を謡うことは、予祝儀礼として豊穣繁栄や健康長寿をもたらす呪術としての意義があった。
その民間の行事を、中国の天子の支配儀礼に倣い、為政者が高所に登って四方を観望し、国情を判断する政治的儀礼として取り込んでいったのが天皇の国見である。
古代の国見歌には、国讃め(くにぼめ)の型として、
おしてるや 難波(なには)の埼よ 出で立ちて 我(わ)が国見れば
淡島(あはしま) 淤能碁呂島(おのごろじま) 檳櫛(あぢまさ)の島も見ゆ
佐気都島(さけつしま)見ゆ(古事記五三)
などのように、「見れば…見ゆ」、あるいは「見れば…」と述べて景の叙述に入る形式と、
大和は 国の真秀(まほ)ろば
たたなづく 青垣(あをかき) 山ごもれる 大和しうるはし(古事記三〇)
などのように、「は」で直接に場を提示してその場の景を叙述する表現形式があった。
舒明の国見歌は、「国見をすれば」とあり、記五三と同じ「見れば」型の表現形式ではあるが、その構成は記三〇の倭建命歌と同様である。倭建命(やまとたけるのみこと)の偲国歌(くにしのびうた)(記・三〇)が、
「大和は」──土地の提示。
「国の真秀ろば」「畳なづく 青垣」──具体的な国讃め詞章の列挙。
「山ごもれる 大和しうるはし」──再度土地を挙げて、前段の叙述を理由とした結論としての土地讃美。
という三段構成を持つと同様、
「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば」──土地の提示。
「国原は 煙立ち立つ」「海原は かまめ立ち立つ」──具体的な国讃め詞章の列挙。
「うまし国そ 秋津島 大和の国は」──再度土地を挙げて、前段の結論としての土地讃美。
という構成を基本的に持つ。舒明歌においては、天皇の国土支配の儀礼歌として、第一段の土地の提示部から第二段の国讃め詞章列挙への展開が、「天の香具山に登り立って(天皇が)国見をする」という行為によりなされている点に相違を見るものの国見歌謡の延長線上にあるものと言える。
具体的な国讃め詞章の列挙としての「国原は 煙立ち立つ」の煙は、仁徳天皇の故事により、炊煙であると考えられ、国土が豊かであることを祝う表現である。「海原は かまめ立ち立つ」のかもめの頻りに飛び立つ情景は、その海原の下に魚群(なぶら)がいることを表しており、たくさんの魚を潜ませた豊かな海原であることを祝う表現と考えられる。
(坂本信幸)
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