物部氏、賀茂氏、犬神
中山市朗です。…
私は、犬神は古代中国から日本にもたらされた蠱という呪術を改良したもので、多分、朝廷から追い出された物部の巫(かんなぎ)たちが民間で発展させたものではないか、と先日のブログで書きました。
これについては、明確な史料があるわけでもなく、推測でしかありません。しかし、古代において、神を降ろしたり、呪いをかけたり、鬼を退散させたりできる巫は、その血統にある者で無ければなれませんでした。と、なればそれは物部でしかありえないのでした。しかし、物部は587年に起こった乱により、蘇我によって朝廷を追われ、東北地方や、四国、中国地方の山奥へと逃れ、鬼となったのです。モノノケは、モノノベなのであります。
神道は、のち、賀茂氏、秦氏に受け継がれます……。
追われた物部は、朝廷のための神祇の必要がなくなると、その呪術や祈祷を民間信仰として伝承し発展させていったのです。その一つが四国で発展した犬神であろうと、思われるのです。
これはもう個人的な、あるいは家系を護るために利用され、血統主義だった物部の呪詛も、弟子に伝えたり、あるいは犬神に祟られた人やその家系が、また、呪詛返しをしたりしているうちに、混沌とし、西日本を中心に日本中に広がったと思われます。あれは消えない。しかるべき処置を施さないと増える一方です。
犬神は、祟って一家を滅ぼしても、一人だけ残し、その恐ろしさの証言をさせます。すると、その力を利用しようとする者が出てきます。そうやって広まることを望んでいます。恐ろしいです。
犬神と陰陽道との関連を指摘する人もいます。これも前回のブログに書きましたように、陰陽師が操る「式神」は、犬神の「式方」は元は同じものであり、他にも共通点はあります。
では、陰陽師は物部なのか?
陰陽師の元はやはり、聖徳太子の時代にはじまります。なんでも聖徳太子やなあ、ですけど、そ~なんだから仕方が無い(丹波哲郎調で)。だから私も、いろいろ知りたくて調べているんですよ。
その時代、百済から来た観勒という僧侶が陰陽道の元となる暦本や陰陽五行の思想などの本を朝廷に伝え、それを選ばれた34人の弟子たちに教えたと『書紀』にあります。陽胡玉陳という人は渡来人と思われますが、暦道の祖、大友高聡は天文道の祖、山背日立は遁甲を学び、これが忍術となります。大友細人が聖徳太子に志能備(しのび)として使わされたのが忍者の最初と言う説もありますが、『書紀』にはその名は見当たりません。しかし、忍法、忍術は陰陽道と同じ道教というルーツから発生したということです。
こういった人たちが陰陽道の基礎となる道教の奥義を学び、実践ができるようになると、この力を朝廷のために発揮させるために、養老2年(718)に陰陽寮が出来ます。
陰陽道は、この時代においては最新の科学であり、テクノロジーなのでした。それはまず、朝廷のために役立てなくてはならない。それで陰陽寮が設営されたわけです。
陰陽寮は今で言う政府機関のひとつです。占いと暦作り、時を管理するのがその仕事でした。ところが、平安時代になって、天皇が鬼を極端に恐れだします。だから陰陽師は実際に鬼を見て、退治する能力を必要とされました。で、賀茂氏が台頭するわけです。
賀茂忠行、保憲、光栄。
賀茂氏は、ヤタガラスを祖とする氏族で、霊力は物部と同様あるわけですが、専門家の意見では、物部ではないということになっています。
実は、賀茂氏こそは海部(あまべ)なのです。このブログに何度も登場する海人、物部の祖です。
天皇は、天子であるから、天津神の系統でありながら、神の宣託を口寄せする神威ある巫女が必要である。その神威ある巫女は、そもそも海部の血統から出たのであります。海部と賀茂の同根を示唆するものは、太古における海部の本拠地、丹波久美浜周辺にあります。そして、海部は太陽信仰の海人。ヤタカラスは太陽信仰の象徴……。
仲哀天皇の后である神功皇后は、お腹に皇子(後の応神天皇)を孕ましながら三韓征伐の指揮をとったという女傑ですが、自ら斎宮に入って神託したといいます。彼女は巫女ということです。
皇后は、息長帯比売(おきながたらしひめのみこと)と言います。息長、つまり水中を潜る海女と言う意味です。
海部の巫女の血統なわけです。このように日本の神祇、呪詛には巫の血統がなくてはならないのです。
賀茂氏には、物部に代わる神の血統があるわけです。というより、海部を祖としているならば、賀茂氏と物部氏、これは同族ということになる。
そして稀代の陰陽師、といえば安倍晴明。晴明の代になって、いきなり賀茂家に代わって陰陽寮の中で安倍家が勢力を伸ばし、やがては土御門家を名乗ります。
安倍晴明という人は、よっぽど、鬼を見る能力があったと思われます。そうでないと、賀茂家から安倍家への交代はありえない。
安倍晴明は東北は常陸の出身。常陸の国は広いですけど、茨城県の筑波山のあたりなんです。東北と言うより関東に近いですけど。しかし東北安倍の出身には違いない。東北安倍は陸奥の国から出た一族です。東北は呪術的に強い土地ですが、ここは朝廷を追われた呪術的な氏族が集結した場所です。物部神道の奥義も東北へ移されました。ですから、安倍氏は、そういう呪術的な血統の濃い氏族であったと想像されます。
つまりは、安倍氏の陰陽師としての血統は、物部が入っているということ。また、蛇神、つまりはアラハバキという原始神道も、紀元前後あたりに中央を追われて、ずっと以前に東北の地に来ている。
だから、原倭人の宗教、呪術と、物部がもたらせた正当派の神祇と道教的な神道という新しい呪術などが、おそらくこの東北に集まり、結束し、より強力なものになったと思われます。
日本では、北東の方角を鬼門として恐れる風習が、特に京都にありますが、こういう風習は鬼門発祥の中国には無いのです。中国の鬼門は、風水によって変るのです。つまりこれは朝廷が鬼として追いやったかつての呪術師たちの血脈と、その強烈な怨霊を恐れたからなのです。それが北東の方向、つまり東北地方なのです。
その血統から安倍晴明が出てきた。
朝廷はこのことを知っていたと思いますよ。
でも彼は、怨霊封じができたのです。同時に蠱を使って式神も操った。だから有名になった。恐れられもした。
天皇を裏で操れる人物。これぞ、陰陽師。
人間でありえない能力を持つ者は、人間の子であるはずがない。よって、晴清は狐の子とされたのです。蠱と関係あるのかも知れませんね。
そう言う特殊な能力は、日本では血統に伝承されると考えられたのですよ。
一方神道はというと、物部が滅んで、蘇我が一旦天皇家へ入り込み勢力を増しましたが、大化の改新で物部を滅ぼした蘇我が、藤原氏によって滅ぼされます。この歴史的事件に、西浦和也さんの先祖が関わるわけですですが……。
藤原氏はこの後、天皇家に入り込んで歴史の裏を形成します。このとき、物部神道の復興はなされましたが、排除された物部の復帰はなされず、賀茂氏と秦氏に神道をまかせます。これはつまり、藤原の血統では、神は降りてこない。巫にはなれない、と言うことを意味しているわけです。
秦氏というのは、ほんま謎ですね。ただし、京都の下賀茂神社と木嶋神社(蚕の社)の関係を見ると、賀茂氏は秦であり、秦氏は賀茂である……。そして木嶋神社の祭神は、海部の祖神。今は隠されていますけど。
このように、日本の神や鬼やあやしは、それを降ろし、祓う、巫の血統との対決であり、同時に管理されるものであったわけです。そして陰陽道などは、一般の人が知ってはならない、また知らないわけです。
ですが、犬神のような民間呪術は、はじめたのは物部のプロの巫でありながら、血統者で無い者に、いわば素人に開放してしまったというところが、怖い、と思うわけです。コントロール不能です、これは。そして、ほんとうの怖さもわからない。気がついたときにはもう……。
日本の民間には、犬神のみならず、他にもいろいろな呪術の跡が見られ、封印されています。
私がガリガリガリクソンくんと追っていた、コトリバコ、もその一つでしょう。
あれも、近づかない方がいい。
村が一つ、まるまる廃村になるにあたって、呪いが発動した、という話も聞きます。
それらのフタを、知らずのうちに、いつ、われわれが開けてしまうかわかりません。
ですが、そういうモノは、やはり神道や陰陽道、あるいは密教の奥義やその歴史、成り立ちを知っておくと、思わぬものが存在し、それを解決するヒントもあったりします。
また、知っていると、フタを開けることはまずしない。知らないから開けてしまう。
いや~、怖い。
そうなったら、ホントウの解決には、プロの祈祷師とか宮司さんの力を借りねば成りませんけど。その見極めがまた、ねえ……。
怪談は、オカルトでは無い。と私は常々言っておりますが、呪い、祟りを扱うと、これはオカルトになる。
オカルトは宗教学です。だから、まずは日本の歴史は、基本としておさえておく必要があります。
次回からまた「天皇」シリーズを掲載しますが、まあ、読んでおいて損は無い。
正当な歴史を知ってこそ、裏の歴史が理解できる。世の中は表裏一体、裏の無いものはこの世に無い。
そして、天皇そのものが、神秘なベールに隠された、今尚あるオカルトである、と断言しておきましょう。
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