御頭祭
諏訪大社には本殿が無く、背後の守屋山が御神体です。この"もりや"という名称に惹かれ、イスラエルの十支族帰還運動組織、アミシャブのトップであるアビハイル氏なども訪れて祈りを捧げています。ということは、この守屋山は、旧約の創世記で主がアブラハムに息子イサクを犠牲として捧げるよう命じた"モリヤの地"の象徴なのでしょうか?
この諏訪大社では、御柱祭に代表されるような、数々の奇祭が行われます。中でも、毎年4月15日に上社の前宮で行われる御頭祭は異彩を放っています。
現在の御頭祭では、約1.5メートルの御贄柱(おにえばしら)という木の柱と、剥製の鹿の頭が3頭供えられる以外は、一般的な神事と何ら変わりはありませんが、明治時代までは、かなり変わった神事が行われていました。
鹿の頭を75頭供え、その中には必ず、耳の裂けた鹿があったといいます。他の供え物としては、白鷺、白兎、雉子、山鳥、鯉、鰤、鮒などの肉、米、海老、魚など、数多くの獣類があります。
まずは、神官たちが供え物を下ろして食べ、酒を酌み交わします。その後、御贄柱を飾り立て、神の代わりともされる、紅の着物を着せられた御神(おんこう、おこう)という8歳ぐらいの子供がこの柱に縛り付けられます。神官がこの御神を小刀で刺そうとした瞬間、諏訪の国司の使者の乗った馬が登場してそれを止めさせ、御神は解放され、祭りは終わるのです。
日本の神道では、獣のような血に関わるものは"穢れ"とされていますから、このようなお祭りは奇怪です。ならば、"もりや"にあやかって、旧約を見てみましょう。ユダヤ教では、犠牲の仔羊の血を神殿に捧げたりしますよね?
前述のように、"もりや"という名称はアブラハムとイサクに関わっている可能性があります。旧約では、主はアブラハムの信仰心を試すため、息子のイサクを生贄として奉げるよう命じましたが、アブラハムが命じられる通りに行動したので、主の御使いが止めさせました。どうですか?この場面にそっくりではありませんか!
また、この時、木の茂みに1匹の雄羊が角を捉えられており、それを生贄として奉げました。これは、75頭供えられる鹿の中には必ず耳の割けたものがあった、ということで象徴されているのではないでしょうか?
しかし、これだけでは"75頭"の意味が説明できません。一説には、北イスラエル王国のサマリアにあるゲリジム山で子羊の生贄を行う際、75頭を屠っていたと伝えられています。申命記に依れば、ゲリジム山はシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ヨセフ、ベニヤミンが民を祝福するために立った山で、サマリア人がこのゲリジム山に神殿を建てていたことが歴史家ヨセフスによって記録されており、エルサレムの神殿よりはるかに古いものです。サマリア人は今でも生贄をゲリジム山で屠ったりしており、ユダヤ教徒の祭儀よりも、より聖書に忠実と言えます。
他には、新約の使徒言行録に、ヨセフがヤコブと75人の親族一同を呼び寄せた場面がありますが、旧約の出エジプト記では、ヤコブから生まれた者の総数は70人、とあるので、数字に矛盾があります。
そこで、鹿に着目すると、鹿は神の使いとされ、ヨーロッパでは鹿の角はイエスが掛けられた十字架と見なされています。故に、王侯貴族は狩りで鹿を追い詰めることにより、イエスの受難を追体験すると考え、鹿狩りが盛んに行われました。
"75人の親族"と書かれているのは使徒言行録ですから、象徴的に"75"を"イエスの使徒"と見なしているとしたら、血が滴る鹿の頭は、十字架上で血を流していたイエス、という暗示なのかも知れません。
そうすると、御頭祭での鹿はユダヤ教由来ではなく、キリスト教由来なのでしょうか?諏訪湖では、冬に御神(おみ)渡りという現象が見られます。これは、諏訪大社上社の建御名方命(タケミナカタノミコト)が下社の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)に会いに行った足跡とも、土着神ミシャグチが通った跡とも言われています。新約では、イエスが湖の上を歩いたという記述があります。似ていますね!
さて、ここにはこの地方の歴史をまとめた守矢史料館が守矢家の敷地内にあります。守矢家の祖先は、建御名方命が諏訪に来た以前からの土着の神、ミシャグチ神と言われ、代々続いてきた神官の家系です。現在の当主で、78代目になります。
敷地内にはミシャグチ神を祀る社がありますが、ミシャグチ=御イサク地と解釈するならば、やはりイサクとの関わりが伺われます。しかし、ミシャグチ神は蛇神とされており、イサクもアブラハムも蛇神ではなく、ユダヤ教やキリスト教では、蛇は悪の存在です。蛇が神様扱いなのは東洋ですが、人類初の文明とされるシュメールでは、蛇は神様だったり悪だったりします。神道では一般的に蛇は神様扱いですが、何か、シュメールと関わりがあるのでしょうか?
館内には、かつて供えられていた生贄の剥製など(ウサギの串刺しの剥製、鹿の頭の剥製、鹿の脳みその和えた模型など)が展示されています。このようなウサギを串刺しにしたり、鹿の脳みそを和えたりする風習は、ユダヤ教やキリスト教にはありません。この地は縄文時代の遺跡が数多く出土していることから、明らかに、狩猟による肉食が盛んだった縄文人の風習だと考えられます。
このように、御頭祭は縄文人の神祭りが基本だと思われますが、そこにシュメールやユダヤ教、キリスト教が重ねられたかのような、極めて複雑怪奇な神事です。
なお、守矢家の軒先には十字架の御紋があります。これは、何を意味するのでしょうか?
また、前宮と本宮の間に、北斗神社があります。御祭神は天御中主命(北極星)とあります。この神は、古事記での原初の神です。北極星は天に於ける不動の星ですが、古代支那では"太一"と言い、天照大神を祀る伊勢神宮の称号でもあります。ならば、天御中主命は天照大神のことなのでしょうか?諏訪大社は、実に不思議な神社です。
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