天武十三年(684年)十月十四日
十四日、夜十時ごろに大地震があった。国中の男も女も叫び合い逃げ惑った。
山は崩れ、川は溢れた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋、倉庫、社寺の破壊されたものは数知れず、人畜の被害は多大であった。伊予(いよ)の道後(どうご)温泉も埋もれて湯が出なくなった。土佐の国では田畑五十余万頃(約千町歩)が埋まって海となった。
古老は「このような地震はかつて無かったことだ」と云った。この夕、鼓(つづみ)の鳴るような音が東方で聞こえた。「伊豆の島(伊豆大島)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、一つの島が出来た。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ」と云う人があった。
天武十三年十一月三日(684年)
土佐の国司(こくし)が言うことには「高波が押し寄せ、海水が湧き返り、調税を運ぶ船がたくさん流失しました」と報告した。
https://www.rekishijin.com/25376『日本書記』は「白鳳大地震」をどう伝えたのか?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #073
和式漢文で書かれている『日本書紀』にはさまざまな記事が手短に記録されているが、突然襲った南海(なんかい)大地震についての記述は、実に報道的で、よくわかる内容となっている。いったいそれは、どんな記事なのか?
天武天皇の時代に発生した「白鳳大地震」の顛末
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天武天皇時代の飛鳥京を再現した飛鳥京跡ジオラマ(飛鳥資料館展示)。当時、白鳳大地震に見舞われていたのだろうか?(柏木宏之撮影)
日本列島は、地球の地殻(ちかく)を構成する大きな4つのプレート上に乗っています。
このプレートは、じわじわと巨大な力で動いていて、押し合いへし合いしていることはご存じだと思います。そのひずみが活断層を動かすことにより、内陸型の地震が起きます。また、プレート同士の接触地点では100年から150年ぐらいの周期で、海溝型の巨大地震を引き起こします。
『日本書紀』には頻繁に起きる地震の記録が結構多く記録されています。古語では「地震」と書いて「ないふる」といったようです。
古代史最大の戦乱である、壬申(じんしん)の乱に勝利して即位する天武(てんむ)天皇の時代は、ずいぶん自然災害が多かったようです。そんな中で「白鳳大地震(はくほうおおじしん)」と呼ばれる、南海巨大地震の記録を中心に見てみましょう。
天武十三年(684年)十月十四日
十四日、夜十時ごろに大地震があった。国中の男も女も叫び合い逃げ惑った。
山は崩れ、川は溢れた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋、倉庫、社寺の破壊されたものは数知れず、人畜の被害は多大であった。伊予(いよ)の道後(どうご)温泉も埋もれて湯が出なくなった。土佐の国では田畑五十余万頃(約千町歩)が埋まって海となった。
古老は「このような地震はかつて無かったことだ」と云った。この夕、鼓(つづみ)の鳴るような音が東方で聞こえた。「伊豆の島(伊豆大島)の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、一つの島が出来た。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ」と云う人があった。
天武十三年十一月三日(684年)
土佐の国司(こくし)が言うことには「高波が押し寄せ、海水が湧き返り、調税を運ぶ船がたくさん流失しました」と報告した。
実はこの以前から、九州では地すべりを伴う大地震がありましたし、ほかにも大地は大きく震えていたのです。そして684年10月の夜、突然、大地震が襲いました。これが「白鳳大地震」という巨大地震でした。現代のニュース番組での被災地リポートでも「ワシは70年ここに住んどるが、こんなのは初めてだ!」という近隣住人のインタビューを使いがちですが、それはすでに『日本書紀』が採用したリポート方法なのですね(笑)。
大津波被害を土佐から国司がほうほうの体で報告に来たり、島ができたり酸性の降灰があったりと、火山の噴火を思わせる記述もみられます。
このことから、大地震+大津波+火山噴火などなどの大災害だったことがわかります。もしこれが2023年の今だったら、緊急地震速報が鳴り響き、大津波警報が出され、臨時火山情報が同時に放送されるわけですね。
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白鳳大地震を経験した天武・持統両天皇の合葬陵(野口の王墓・柏木宏之撮影)
プレートがひしめき合う境界線上に乗る日本列島に住む以上、現代の私たちもこうした災害に備えておく必要があります。
それにしても、乙巳(いっし)の変・大化の改新・白村江(はくそんこう)の戦い・近江(おうみ)遷都・壬申の乱という紆余曲折を経て、ようやく飛鳥京で平和に暮らせるのかと思ったのも束の間、白鳳大地震や火山噴火にみまわれたのですね。飛鳥文化を築いた時代も、激動の時だったことがわかります。
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飛鳥京に遺構として残る井戸跡(柏木宏之撮影)
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