2025年2月22日土曜日

天智天皇・大津京年譜|近江神宮

天智天皇・大津京年譜|近江神宮

延暦13
甲戌
794
11/8
桓武天皇、詔して旧都大津宮の名称を重んじ古津の名を大津に復す。(『日本紀略』)
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天智天皇・大津京年譜|近江神宮

大友皇子を太政大臣に、蘇我赤兄を左大臣に、中臣金を右大臣にする。
冠位・法度の事(一説に近江令)を施行。
高麗使を遣して調を進上。百済の鎮将劉仁願、使を送り上表。学職頭鬼室集斯ら、百済の遺臣に位を授与。唐使李守真ら、表を進上。
黄書本実(きふみのほんじつ)、水はかり(水準器という)を献ず。
漏刻(水時計)を新設し、鐘鼓を打って時を知らせる。
大津宮西小殿に田舞を奏す。
栗隈王を筑紫率に任命。
天皇不豫(一説に8月)
天皇は後事をすべて大海人皇子に託す。大海人皇子はこれを固辞、出家。
大海人皇子、吉野での修行を望み、許される。吉野に入る。
5人の重臣が大友皇子に繍仏像の前で宣誓。
大津宮にて火災。大蔵省第三倉より出火。
天智天皇崩御。
大友皇子、朝政を執る。(即位とも)(『扶桑略記』)
近江朝廷が天智天皇山陵造営のため人夫を徴発。山陵造営と称して兵を徴集させていると朴井雄君が大海人皇子に報告。
大海人皇子、吉野で挙兵して東国へ向う。翌日、高市皇子、続いて大津皇子、近江より脱出して合流。
大海人皇子の軍、美濃より近江・大和へ侵攻。近江朝廷の軍、瀬田で敗北。
大友皇子、山前で自死される。
中臣金は斬罪、巨勢比等・蘇我赤兄らを流罪に処される。
大海人皇子、伊勢、伊賀を経て、飛鳥の岡本宮に入る。
冬、飛鳥浄御原宮が完成、岡本宮から移る。

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