2025年1月16日木曜日

大化前代からの渡来系氏族・伊伎氏、亀卜に従事し神事を司る重職に就任、とんでもない出世を果たした是雄の生涯(JBpress) - Yahoo!ニュース

大化前代からの渡来系氏族・伊伎氏、亀卜に従事し神事を司る重職に就任、とんでもない出世を果たした是雄の生涯(JBpress) - Yahoo!ニュース

大化前代からの渡来系氏族・伊伎氏、亀卜に従事し神事を司る重職に就任、とんでもない出世を果たした是雄の生涯

(歴史学者・倉本 一宏) 日本の正史である六国史に載せられた個人の伝記「薨卒伝(こうそつでん)」。この連載では藤原氏などの有名貴族からあまり知られていない人物まで、興味深い人物に関する薨卒伝を取り上げ、平安京に生きた面白い人々の実像を紹介します。今回は『日本三代実録』より、伊伎是雄です。 【画像】亀卜(壱岐市立一支国博物館) ■ 代々亀卜に従事した家に生まれる  次はさらに辺地の出身者を述べることにしよう。『日本三代実録』巻二十一の貞観十四年(八七二)四月二十四日癸亥条は、伊伎是雄(いきのこれお)の卒伝を載せている。 宮主従五位下行丹波権掾伊伎宿禰是雄が卒去した。是雄は、壱伎島の人である。本姓は卜部(うらべ)。改めて伊伎となった。始祖は忍見足尼命(おしみのすくねのみこと/押見宿禰)である。神代より始め、亀卜(きぼく)に仕奉してきた。その後、子孫が祖業を伝習し、卜部に備えた。是雄は、卜数の道に、最もその枢要を究め、吉凶を占う人の中で、独歩と称すべきであった。  嘉祥(かしょう)三年、東宮(惟仁[これひと]親王)の宮主となり、皇太子が即位した後は、転じて宮主となった。貞観(じょうがん)五年、外従五位下を授けられた。貞観十一年、従五位下に叙され、丹波権掾に拝任された。宮主は元のとおりであった。卒去した時、行年は五十四歳。  伊伎氏の伊は壱、伎は岐・吉とも書く。『日本書紀』に見える伊岐乙等、伊岐麻呂、伊吉博徳(はかとこ)、壱伎韓国(からくに)などから考えるに、特に外交の実務に従事した大化前代からの新しい渡来系氏族とされる。後に中臣・卜部氏と同祖を称したようである(『国史大辞典』による。北村文治氏執筆)。なお、博徳は遣唐使として渡唐した際の紀行文を残し、後に大津皇子の謀反に坐したり、大宝律令の撰定に携わったりした。韓国は壬申(じんしん)の乱における近江朝廷軍の将軍として河内戦線で戦っている。  壱岐国は、肥前国東松浦半島の北方、玄界灘上の島で、すでに、『魏志倭人伝』に、「一大(支)国」と見える。原の辻遺跡がその故地とされている。律令制では対馬とともに国に準じる取扱いを受け、国府は最初は壱岐郡国分にあったが、後に石田郡に移転した。寛仁(かんにん)三年(一〇一九)の「刀伊の入寇」や、鎌倉時代の元の襲来を受けた。  是雄は弘仁(こうにん)十年(八一九)に壱岐島石田郡に生まれた。父は「松尾社家系図」では壱伎氏成(うじなり)としているが、確証はない。母は不明。元は卜部姓であったというから、伊豆・壱岐から各五人、対馬から十人、卜術にすぐれた者が選ばれたという卜部の一族だったのであろう。  代々亀卜に従事した家に生まれ、その術に長じて独歩と称された。亀卜というのは海亀の甲羅を焼いて現われたひび割れの形状によって吉凶の判断をする占いのことである。現在でも壱岐市立一支国博物館や長崎県立対馬歴史民俗資料館にはその文献や実物が残されていて、中国や台湾の博物館でも何度か見たことがある。なお、火を付ける際に「ポクッ」という音がするので、「卜(ぼく)」というのだとの由である。  是雄がいつごろ、どのような経緯で都に上ってきたのかはわからないが、三十二歳になった嘉祥三年(八五〇)に、生まれたばかりで立太子した東宮惟仁親王(後の清和[せいわ]天皇) の宮主(東宮の御燈・御贖・忌火庭火祭・鎮魂祭・大殿祭・八十島祭他の神事にあずかる職)となり、天安(てんあん)二年(八五八)に清和天皇が即位すると、是雄も宮主に転じた。こちらは御燈の御卜・御祓、神今食に奉仕する小斎人の卜定をはじめ、御体御卜・御贖・忌火庭火祭・鎮魂祭・大殿祭・八十島祭・新嘗祭の忌火炊殿祭、大嘗祭の御禊、大嘗宮の点地などに奉仕し、また同祭抜穂使の稲実卜部を勤めるなど、総じて御所方の神事を司った重職である(『国史大辞典』による。渡辺直彦氏執筆)。  その後も貞観五年(八六三)正月に外従五位下、九月に伊伎宿禰の姓を賜り、貞観十一年(八六九)に従五位下に上った。その出自から考えれば、家業を継いだものとはいえ、とんでもない出世である。やはりそれほどの能力と信任があったのであろう。五十四歳で卒去したのは、貞観十四年四月二十四日のことであった。  なお、「松尾社家系図」では、和気好道(わけのよしみち)の女を妻とし、承和(じょうわ)五年(八三八)に男子月雄(つきお)が生まれたことになっているが、史実としては疑問が残る。

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