蓮田兵衛
蓮田 兵衛(はすだ ひょうえ)は、室町時代中期の土豪。寛正の土一揆の首魁。室町期に発生した徳政一揆の指導者として、最も早くに名が知られる人物である[1][2]。
略歴
出自は不明で、『新撰長禄寛正記』は「牢人の地下人」としている[1][3]。寛正3年(1462年)9月ごろより京都、続いて奈良で徳政一揆が断続的に蜂起しており、蓮田兵衛は9月11日に蜂起した京都の一揆の大将だった。この一揆は一度沈静化したものの、10月21日に再び蜂起し、諸口を封鎖して東寺を制圧。さらに糺の森に進出して相国寺東門を攻撃し、幕府(花の御所)にまで侵入するかの勢いを見せた。幕府は侍所所司代・多賀高忠、次いで赤松政則ら在京大名に鎮圧を命じた。兵衛は土豪百姓を糾合し一度は赤松勢の攻撃を退けたものの、再度の攻勢によってついに敗走した。一揆衆は離散し、11月2日に兵衛も淀で捕らえられて殺された。2日後に兵衛ら8名の首級が京都に到着し、四塚で獄門に懸けられた[1][2][4][5]。
関連作品
- 小説
脚注
- ^ a b c d 今谷 1994.
- ^ a b c 黒川 1983.
- 『新撰長禄寛正記』, p. 238.
- 佐藤 1988, § 長禄・寛正の土一揆.
- 『新撰長禄寛正記』, pp. 238–239.
参考文献
- 今谷明「蓮田兵衛」『朝日日本歴史人物辞典』朝日新聞出版、1994年。ISBN 978-4-02-340052-8。normal
- 黒川直則「寛正の土一揆」『国史大辞典』 3巻、吉川弘文館、1983年。ISBN 978-4-642-00503-6。
- 佐藤和彦「土一揆」『国史大辞典』 9巻、吉川弘文館、1988年。ISBN 978-4-642-00509-8。
- 「新撰長禄寛正記」『群書類従』 第20輯、八木書店、2013年。ISBN 978-4-8406-3131-0。
0 件のコメント:
コメントを投稿