ミトラス教研究 単行本 – 1993/2/1
小川 英雄 (著)
中山
聖徳太子
──ミトラスの密儀と花郎が酷似している謎
では、摩多羅神とは本当に秦氏の神なのだろうか。摩多羅神は、なぜ面をかぶっているのだろうか。 そのヒントは、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像にある。
弥勒、ミロクとは、サンスクリット語でマイトレーヤ(maitreya)の音を漢字化したものであるとされる。そのマイトレーヤの語源はミトラ(mithra)なのである。だが実際には、ミトラはペルシアに入ってミフラク(mifrake)となった。ミフラクが弥勒となったのだというのが正しい。
そしてミトラが、マタラ、摩多羅になったのであろう。
ミトラは太陽神であり、救世主でもある。原初においては農耕の神であったが、契約、約束の神であり、闇を打ち砕く軍神ともなった。
ミトラはまた、ペルシアの方言でミシアと言った。メシアの語源である。ミトラ神は古代のイランを起源とするというが、あまりに古い神で、紀元前14世紀のユーフラテス上流の碑文に契約の神としてのミトラの名があるという。ミトラはローマに入って、隆盛した。イランのミトラと区別してミスラ、ミトラスともいう。
ミトラ、ミトラスはローマ時代、当時の暦において、冬至に当たる12月25日に生誕祭が執り行われたという。太陽神であるミトラスは、太陽が最も弱まる冬至を起点とし、ここから太陽の日照時間が増すことから、太陽の復活を祝ったのである。
現代において、キリストの降誕祭も12月25日にクリスマスとして行われるが、『聖書』にはキリストの生誕日は記されていない。これはミトラ信仰と習合したのである。
ミトラは、牛をトーテムとした原始宗教から始まったが、多神教の神々の中に入り込み、世界へ伝播していったと考えられている。また、紀元前1世紀には、ヘレニズム諸国からローマ軍を通してローマ帝国に入ったのだ。「不敗の太陽」というミトラの神格が、軍人たちに好まれたのである。
最初にミトラスの礼拝を行ったローマの皇帝はネロであるという。これが西暦66年のことであり、この頃、原始キリスト教がローマに入っている。ネロ皇帝はそのキリスト教を迫害した暴君として知られよう。 ローマのミトラスは、7つの階位のある教団を組織した。牛を屠る英雄神ミトラスとして、儀式は秘密化したという。
「一世紀の後半の史料ですでに、ミトラス教の中心的図像『牛を屠る神』太陽神ミトラスの思想が存在したことがわかる。ミトラス教はこの神の行為を中心に結ばれた、男子のみの信仰集団であった。彼らは教会堂(神殿)をもち、その薄暗い内陣で神聖な仮面劇を演じた。その主要テーマは聖なる婚礼と牛屠りであった」(小川英雄『ミトラス教研究』リトン)
さらにいえば、屠られた牛の体からは豊穣の種子があふれ出るとされ、神殿内で晩餐が催された。ワインを飲み肉が食され、神のもたらした豊穣を祝ったのである。
このようなミトラスは、ローマでは1世紀頃には全盛を極めた。この間、救世主ミトラスはキリスト教に多大な影響を与えたようだ。 ミトラは12人の弟子とともにあった。これはミトラが太陽神であるため、占星術の絵、レリーフでは12宮の中心に描かれたことによるものだ。またミトラは死者を蘇らせ、病気を治癒し、盲目の人の目を治し、弟子たちと最後の晩餐を行った。ミトラは死して洞窟の穴に埋められるが、復活を果たすのだ。 ミトラ神のローマ入りが、キリスト教より早いことを考えれば、むしろ新興宗教であったキリスト教が、布教のために大流行していたミトラの伝説や教義、密儀を取り込んでいったであろうことは、容易に考えられる。 だがやがてキリスト教は、あまりにも酷似しているミトラス教を嫌悪するようになる。そして、4世紀にローマが一神教のキリスト教を国教とした頃、ミトラ神は異端として、その礼拝所や書物は徹底的に破壊され、燃やされ、ローマを追われたのである。
しかし、ここでもう、読者諸氏は理解したと思う。
階位制を伴った男子のみの信仰集団、冬至の祭祀、神聖な仮面劇(花郎は、仮面でなく粧飾であったが)、救世主としての象徴、軍人たちによる崇拝……、ローマ帝国で行われたミトラスの密儀は、花郎と酷似していると。そしてそれが、牛祭に影響を与えたのではないかと。
ただ、花郎では、牛を屠るという主要テーマは演じられなかった。ここに疑問を呈しながらも、考古学者の小川英雄氏(1935~)は、その著『ミトラス教研究』の中で、弥勒とローマ帝国のミトラスは質的に一致する、とし、なおも、ミトラの密儀における仮面劇に注目している。それは、ミトラの7つの階級を示す仮面劇が、奈良正倉院に残る伎楽面に対応しているというのだ。
1つ、獅子面。獅子舞の原型である。ミトラの「獅子」の位に当たる。
2つ、治道面。伎楽では先導役。ミトラでは「太陽の使者」となる。
3つ、迦楼羅面。鳥がオケラを捕食する仕草が舞われる。ミトラでは「大鴉」となる。
4つ、金剛面。守護者を意味するが、ミトラでは「兵士」となる。
5つ、酔胡王面。胡は西域、とりわけペルシアを意味するが、ミトラでもそのまま「ペルシア人」の位に相当する。
6つ、呉公面、太孤父面、婆羅門面のグループ。呉公面はゾロアスター教の聖者マゴス、太孤父面、婆羅門面は仏教の聖者を表すが、ミトラは最高位の「父」を意味する。「父」はミトラ神の代弁者で、仮面劇の主人公である。
7つ、呉女面、呉王と聖婚劇が舞われるが、ミトラの「花嫁」の位に相当する。
これは、752年の東大寺大仏の開眼供養会に使用されたものだが、それに限らず、楽舞に必要な伎楽面のセットなのである。こういった伎楽面は広隆寺にも伝承されていて、伎楽は秦氏と大いに関係してくるのである。 『日本書紀』は、推古20年(612)、百済の人、味摩之が帰化して、桜井に住まわせ、少年を集めて伎楽の舞を習わせた、と書く。味摩之は、一人ではなく、18人の演技集団であったという説もある。 味摩之は、本当に百済の人だったのだろうか?
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