2018年12月3日に日本でレビュー済み
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おそらく現在の研究成果から言えばキュモンの蒐集した資料には補わなければならないものがあるに違いない。しかし19世紀末に宗教史の碩学が打ち立てた学説にはそれを補って余りある地道な調査と深い思索が感じられる。またミトラが秘教であり、信仰する者が他言を許されなかった事情から遺された情報が極めて乏しく、一般読者向けのミトラ教についての著書が殆んど見当たらない。そうした意味からも小川氏の新訳を歓迎したい。一般に古代ペルシャの宗教と言われているミトラ教の根源は、イランやインドで広く行われていた民間信仰がバビロニア、セム系の高度な占星術によって体系化され、この時にミトラは太陽神シャマシュとなり、彼はペルシャと同様バビロニアの正義の神となったようだ。ミトラの特徴的な側面である、悪を滅ぼし勝利を与える神という位置付けから、その後のシンクレティズムによって王の保護者、兵士の守護神としてマケドニアの東征以来、逆にアレクサンドロスによって受け入れられ、更にローマへと大進出を遂げたとされる。ローマ帝国は範図の拡張に伴って属州から直接兵士を調達することになるが、その多くはコマゲネ(アルメニア)やシリアなどの東方から供出された民族で、彼らの反乱を避けるために故郷で軍務に服することができなかったことが、更に布教を広範囲に拡げる結果になった。つまりミトラ教の布教者は軍隊だった。
ミトラ教は位階を追った入信儀礼を一通り終えた人のみによって構成される秘密結社であり、特に下級兵士には特権意識を持たせ、戦意向上のためにも好都合だったようだ。しかし排他的な宗教ではなかったために多くの信者を獲得できたし、コモドゥス皇帝自身の入信以降はミトラ教の正当化に拍車がかかった。ミトラが天上界と地上界の仲介者という占星術のセオリーで洗練され、7つの惑星がそれぞれの週の一日を支配し、ひとつの金属と結び付き、それぞれが信者の入信段階に充当される。ローマに住んでいる私は、多くのミトラ遺跡を見学してきたが、特に古代ローマの港湾都市だったオスティアの幾つかの神殿に施された床モザイクはこの理論を明確に図象化していて興味深い。ミトラが牛を屠るプリュギア帽を被るペルシャ人で描かれる理由を、キュモンは神官達によって後付された姿としている。岩から誕生し、太陽神の祝福を受け、最初の創造物だった荒れ狂う牡牛の肩口にミトラが短剣を突き刺すと、牡牛の体内からあらゆる動植物が現れ地上を満たした。つまり牛の死によって総ての新しい生命が再生することから生贄には常に牡牛が持ち込まれた。キリスト教公認後も唯一の庇護者だった皇帝ユリアヌスの客死によって、ミトラ教の最後の砦が陥落する。しかし冥界、聖餐、肉身の復活や最後の審判などは厳然としてキリスト教の中に受け継がれていることは非常に示唆的だ。
ミトラ教は位階を追った入信儀礼を一通り終えた人のみによって構成される秘密結社であり、特に下級兵士には特権意識を持たせ、戦意向上のためにも好都合だったようだ。しかし排他的な宗教ではなかったために多くの信者を獲得できたし、コモドゥス皇帝自身の入信以降はミトラ教の正当化に拍車がかかった。ミトラが天上界と地上界の仲介者という占星術のセオリーで洗練され、7つの惑星がそれぞれの週の一日を支配し、ひとつの金属と結び付き、それぞれが信者の入信段階に充当される。ローマに住んでいる私は、多くのミトラ遺跡を見学してきたが、特に古代ローマの港湾都市だったオスティアの幾つかの神殿に施された床モザイクはこの理論を明確に図象化していて興味深い。ミトラが牛を屠るプリュギア帽を被るペルシャ人で描かれる理由を、キュモンは神官達によって後付された姿としている。岩から誕生し、太陽神の祝福を受け、最初の創造物だった荒れ狂う牡牛の肩口にミトラが短剣を突き刺すと、牡牛の体内からあらゆる動植物が現れ地上を満たした。つまり牛の死によって総ての新しい生命が再生することから生贄には常に牡牛が持ち込まれた。キリスト教公認後も唯一の庇護者だった皇帝ユリアヌスの客死によって、ミトラ教の最後の砦が陥落する。しかし冥界、聖餐、肉身の復活や最後の審判などは厳然としてキリスト教の中に受け継がれていることは非常に示唆的だ。
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