2025年1月22日水曜日

仮庵(かりほ)の庵(いほ)黒木 中 『和歌の中に見る聖書の世界』

 聖書と日本フォーラム 黒木 中 『和歌の中に見る聖書の世界』 https://youtu.be/UZwTz8sEQas?si=rxaVGTR1iV5P-jiB @YouTubeより


黒木 中 『和歌の中に見る聖書の世界』


後調正則チャンネル


https://vt.tiktok.com/ZS6py6r7h/


https://youtu.be/UZwTz8sEQas?si=4aq9QNCRiCSpgDCx


 
 
関本洋司
⁦‪@yojisekimoto‬⁩
⁦‪@his_story_in‬⁩ ⁦‪@YouTube‬⁩ ライブで話題になっていた、映画『あわストーリーを始める』を撮った後調さんのyoutubeチャンネルに興味深い動画が上がっていました。
万葉集と旧約聖書がつながるという内容です。

聖書と日本フォーラム 黒木 中 『和歌の中に見る聖書の世界』 youtu.be/UZwTz8sEQas
2024/11/23 pic.x.com/7SkvaxIozc
 
2025/01/23 1:17
 
 

https://x.com/yojisekimoto/status/1882100266180468987?s=61


https://x.com/slowslow2772/status/1882138653268541523?s=61










徳之島 サンシキ


万葉集の詩性 令和時代の心を読む (角川新書) Kindle版 


皇極天皇の御代   

 額田女王(ヌカタノヒメオホキミ)の歌 


7 秋の野のみ草刈り葺き、宿れりし宇治の都の假廬し思ほゆ 

(以前、野の薄を刈つて、屋根をこさへて宿つた事のある、宇治の行宮の假小屋の容子が思ひ出される。 )


 中皇命(ナカツスメラミコト)(倭姫皇后)、紀伊の温泉に行かれた時の御歌

11 我が夫子は假廬つくらす。草なくば、小松が下の草を刈らさね 

(あなたは今假小屋を作つていらつしやるが、屋根に茸く草がなければ、わたしのゐるこの小松の下の草をお刈り下さい。)



天智天皇(1番) 『後撰集』秋中・302

秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ

わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ

https://ogurasansou.jp.net/columns/hyakunin/2017/10/18/17/

現代語訳

(秋の田圃のほとりにある仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れていくばかりだ。)


④仮庵(かりいお:かりほ)が、聖書に記述の仮庵の祭 そのものを指すという視点。

①から⑤の視点から黒木 中の解釈


今年も、無事に刈り入れが済んで、

古来より伝わる、仮庵の祭の時期が来た。

こうして祭の最中、 仮庵を設(しつら)え、

荒く編んだ苫の枝や葉の隙間から

美しい月や煌めく星々を眺めながら

ここで過ごしていると、

ご先祖様を、長く続いた苦しみから

救い出して下さっただけでなく、

この国に、

そして私に、

今宵のような平安を日々与えて下さる

賢き方の御恵みが、

衣の裾に露が染みてくるように、

私の心に染みてくる。




林直道説
http://nam-students.blogspot.jp/2012/02/httpwww8_6191.html 


琉球に土着した外来宗教文化の面影 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究


イザイホーは1978年を最後に、祭儀を執り行う女性がいなくなり、実施されていません。このイザイホー祭こそ、ユダヤの三大祭りの1つであり、旧約聖書のレビ記23章にも記されている仮庵祭の流れを汲む宗教儀式だったのです。琉球の最も貴重な古来の宗教文化がひとつ、また消え去っていくことに、歴史の無情と寂しさを感じないではいられません。


沖縄県島尻郡知念村(現,南城市)字久高(くだか)に伝わる祭事。12年に1度午(うま)年の旧11月15日から5日間にわたって行われ,久高島で生まれたナンチュと呼ばれる30歳から41歳までの女性が〈みこ〉としての資格を得て,ノロ頂点とする祭祀集団に加入して神女になる儀式


2025/1/13 -このイザイホー祭こそ、ユダヤの三大祭りの1つであり、旧約聖書のレビ記23章にも記されている仮庵祭の流れを汲む宗教儀式だったのです。琉球の最も ...

2011/8/31 -沖縄では、旧暦の8月15日は、月見会の十五夜となっている。これも仮庵の祭りの名残と言える。昔イスラエル民族は、出エジプトの後、40年にわたって荒野を ...


レビ記23: 33 主はモーセにこう告げられた。 34 「イスラエルの子らに告げよ。  この第七の月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが035始まる。 35 最初の日には、聖なる会合を開く。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。 36 七日間、あなたがたは食物のささげ物を主に献げなければならない。八日目も、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは食物のささげ物を主に献げる。これはきよめの集会であり、いかなる労働もしてはならない。  37 以上が主の例祭である。あなたがたは聖なる会合を召集して、全焼のささげ物、穀物のささげ物、交わりのいけにえ、注ぎのささげ物を、食物のささげ物として、それぞれ定められた日に主に献げなければならない。 38 このほかに主の安息日、また、あなたがたが主に献げる献上物、あらゆる誓願のささげ物、あらゆる進んで献げるものがある。  39 特に、あなたがたがその土地の収穫をし終える第七の月の十五日には、七日間にわたる主の祭りを祝わなければならない。最初の日は全き休みの日であり、八日目も全き休みの日である。 40 最初の日に、あなたがたは自分たちのために、036美しい木の実、なつめ椰子の葉と茂った木の大枝、また川辺の柳を取り、七日間、あなたがたの神、主の前で喜び楽しむ。


 41 年に七日間、主の祭りとしてこれを祝う。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟であり、第七の月に祝わなければならない。 

42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな仮庵に住まなければならない。 

43 これは、あなたがたの後の世代が、わたしがエジプトの地からイスラエルの子らを導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」  

44 こうしてモーセはイスラエルの子らに主の例祭のことを告げた。


ネヘミヤ記

8:

17 捕囚から帰って来た全会衆は仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエルの子らはこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。


 18 神のみおしえの書は、最初の日から最後の日まで毎日朗読された。祭りは七日間祝われ、八日目には定めにしたがって、きよめの集会が行われた。



三つの詩性(ポエジー) 中西 進

 中西 進(なかにし すすむ) 一九二九年、東京生まれ。文学博士。高志の国文学館館長、国際日本文化研究センター名誉教授、大阪女子大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。二〇〇五年に瑞宝重光章、二〇一三年に文化勲章を受章。著書は『万葉集の比較文学的研究』(第15回読売文学賞〈研究・翻訳賞〉、南雲堂桜楓社)、『万葉史の研究』(上著と共に第60回日本学士院賞、桜楓社)、『万葉と海彼』(第3回和辻哲郎文化賞、角川書店)、『古代史で楽しむ万葉集』(角川ソフィア文庫)、『源氏物語と白楽天』(第24回大佛次郎賞、岩波書店)、『万葉の秀歌』(ちくま学芸文庫)、『万葉集 全訳注原文付』全四巻別巻一(講談社文庫)など多数。 一、たとえば『旧約聖書』のような 『万葉集』を読んでいると『旧約聖書』を思い出す。また『旧約聖書』を読んでいると『万葉集』を思い出す、といってもいい。  たとえば『万葉集』の恋歌は、「心でっかち」で、心、心と言いたててきりもない。嫉妬に狂った女は他の女を愛する夫を罵倒しながら嘆き苦しんだ揚句、 わが情焼くもわれなり愛しきやし君に恋ふるもわが心から (巻十三─三二七一) と、すべての責任を心になすりつける。 「心でっかち」と妙なことばを使ったのは、以前友人があまりにも理屈一方でうるさかったから、「お前は頭でっかちで困る」と言ったら「お前こそ心でっかちだ」と言われたのを思い出したからだが、同じように万葉人も、心、心と言いつづける。  ただこれは広く日本人の通例であって、日本人は心が大好きだから、国語辞典は「こころ」に大幅にスペースをとっている。その上でさらにおもしろいことに、ほとんどすべて「こころ」が訳では「はら(腹・肚)」におきかえられている。  万葉人も「こころ」は腹のどこかの内臓だったのだろう。どうも現代的感覚で心臓つまり胸のあたりの器官かと思えるのとは、異なるらしい。  そんな「さまよえる」わたしが『旧約聖書』に出会うと、俄然、それこそ心がわき立つのである。  たとえば「雅歌」。いま『旧約聖書』全十五冊(岩波書店)のものでいえばその第十三冊(一九九八年、勝村弘也訳)では、 ぼくの妹、花嫁よ、君はぼくの心をときめかす。 君のひと眼も、 君の首飾りのひと玉も、ぼくの心をときめかす。 (4) とあるが、この「心」は心臓(レーブ)から派生したと思われる単語だという。  別に「私の魂の愛する人よ」(1)という魂(ネフェシュ)は元来のどだという。これは女の立場の句だが、魂を呼吸とするギリシャ語もあるから、のどは、これとも関わりをもつだろう。  心は魂をふくめて、深く生命の息づかいと関係をもつらしい。心は多分に生体的な要素をもち、そのゆえに恋や愛という行為の中で歌われるのか。 『万葉集』で心が愛の歌に多く登場することとも、それは一致してくる。  しかし、問題はさらに先にある。他に一つ、「雅歌」が見せる「心」が、 私は眠っているのに、心は覚めている。 (5) というのは、少し異質ではないか。この心は眠ることもあるらしいからだ。  状況をいえば私(娘)は家族とともに眠っていて、そこに男が訪れてくる。女は男をわが身へと導くのだが、なぜか、その後男は去ってしまう。  女は後を追いかけるが夜警がそれを妨げる──。という具合だから、この「心」とは体は寝ていても、全身で聞き耳をたてている部分をいうらしい。  少しこれまでの「心」と違う。当然、呼吸器官としての内臓自体ではない。  どうやら「心」は、現代人の認識とは少し違うものとして使われているらしい。そしてそのことを明確にするのが、同じ『旧約』の中の「コーヘレト書」である。  以下、右とひとしいテキストの「コーヘレト書」(月本昭男訳)によるが、この書の中に「心」は頻出し、かつ明瞭な定義をともなっている。すなわち訳者によると「『心』(レーブ)は古代イスラエル人にとっては感情のみならず、認識の座でもあった」といわせるほど知恵をふくむ器官である。われわれは知と情として、二つを区別するのに。  少し例をあげよう。 ・私は知恵をもって……調べようと、心を傾けた。 ・私はわが心に語って、言ったものだ、「……知恵を増し加えた」と。そして、わが心は大いに知恵と知識を見きわめた。 ・また私は知恵を知り、暗愚と愚昧を知ろうと、心を傾けたが…… (1) ・私は心の中で言った、/「さあ、快楽をもってお前を試そう。……」。 ・わが心を知恵の中に歩ませつつも…… ・あらゆる快楽から、わが心を背けることをしなかった。 ・わが心はわが労苦〔の実〕をすべて楽しんだ。 ・私は心の中で言った、/「愚者の運命と同じことが私にも臨む。……」。 ・私は心に呟いたことだ、これもまた空である、と。 ・〔……知恵を尽く〕した労苦のすべてについて、心に絶望した。 ・心で辛い思いをする人に、いったい何が残るというのか。……これもまた空である。 (2)  以上第一、二章だけを見ても心は知恵とみごとに一致したり、併挙されたりしている。そのさまは、もはや知・情・意といった古典的な区分を越えて、心こそがこれらの総体の働きと認められていた事実を示すものであろう。  とくにコーヘレト書の結論は知恵への重大な信託であり、全篇にわたる空なる空を述べる趣旨の中で、コーヘレトは知恵を示しつづけるが、その知恵は心そのものである。  もっともこの末尾はのちの補遺で、過激なコーヘレトの「空」を繕おうとしたものだとされる面もあるが、目下、わたしに必要なものは歴史のはるか彼方の作業の過程よりも、現形に到った全「コーヘレト書」──伝道の書の趣旨である。  その限りにおいて、感情のみならず知恵と知識を獲得する『旧約』の心の設定は、大きな認識としなければならない。  するとはたして、『万葉集』の人びとを、今日的にばかり見て「心でっかち」などと呼んでよいものか。  万葉の恋歌にあふれる「こころ」は、この伝道書や雅歌の「レーブ」と、もしかして近似のものかもしれない。いやむしろその公算が大きい。  翻って思うと、万葉時代には具体的にすでにキリスト教(景教)の流入が知られる。そして天平時代の宰相・橘諸兄はどっぷりとペルシャ文化の中に浸っている。いわゆる中・近東は、万葉にとってけして遠い異国ではない。  わたしは、いまあげている「雅歌」がありあまるほど美しい比喩に蔽われて、表面上はきわめて美しいにもかかわらず、むせかえるばかりの愛欲に溢れていて、息づまる思いがする。  右にあげた第三章(5)の歌「私は眠っているのに、心は覚めている」にしても大らかな性の賛美があけすけに語られている。これを読むと、わたしは万葉の性愛の歌同様に感動する。  とくにこれらは『万葉集』巻十四の東歌とまったくひとしい。東歌の作者たちも、同じような知恵を秘めた心と魂をもって、ためらいもなく愛欲を歌ったのであろう。それはすでに一つの普遍といってよいもののはずだ。  

 じつは万葉時代には、もう一つの外来の愛欲物語があった。中国、唐のころに作られた『遊仙窟』という物語で、これを日本に持ち帰ったのは八世紀の遣唐使だといわれているが、その中の文言の断片が、大伴家持などに使われている。  最新の外国文学を和歌の中に使ってみたという、いつの時代にも文学青年が使う手法である。だからこれは、丸ごと性を歌った東歌などとは、まったく異質である。  東歌には別の性の歌もある。 この川に朝菜洗ふ児汝も吾も同輩児をそ持てるいで児賜りに (巻十四─三四四〇) 吾妹子が額に生ふる双六の牡牛の鞍の上の瘡 (巻十六─三八三八)  前者は東国農民の歌、朝菜は根菜であろう。後者は朝廷出仕の大舎人の即興歌。場合は違うが逞しく性を話題にする歌である。  これらと、一部貴族たちの教養に属する漢籍の引用とは、登場の場合も本質も違う。  しかも大っぴらな愛の賛美は二人の天皇に愛された美女をまで物語として語り伝えるほど、公認されていて、誰も異議をさし挟まなかった。天智天武、二人の王が美女額田王をともに妻とした、などという、まるでローマ時代はだしの王権物語が、『万葉集』の冒頭を飾っているのだ。  だから額田王をクレオパトラに擬して空想することも、けして無謀ではないだろう。


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