2025年1月14日火曜日

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(訂正と追記)

ぐーたら気延日記(重箱の隅): 善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(訂正と追記)

善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(訂正と追記)

善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(1)
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(3)END
についての訂正と追記です。

まず「善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(1)
そして、この善入寺島(粟島)には古来独特の風習があり、葬儀の際には墓を作らずに極楽壙(ごくらくこう)と呼ばれる穴に被葬者を投げ入れるというものです。
この風習については、阿波國最初の歴史書である「阿府志」
 極楽壙
 在宮島八幡祠 北方六七歩、篠竹環生
 この村古朴葬不要 浮屠(ふと)無 塚墓死者皆
 投葬
 于此
との記載があります。

と書きましたが「阿府志」ではなく「阿波誌」の誤りです。
訂正いたします。

続いて追記ですが、まず外に阿波咩(あわめ)命が祀られている神社として、市場町の粟島神社を挙げる事ができます。(猫麻呂さんのご指摘)


ご祭神は「天津羽命(あまつはねのみこと)」すなわち「阿波咩命」のことです。

また「阿波波神」とか「阿波神」と呼ばれる事もあります。

もう一つ、「阿波咩命」が「事代主命」の本后である関係からかどうかは定かではないですが、鹿児島県肝属郡肝付町の「西宮神社」に「事代主命」と共に祀られております。

摂津国西宮大神の示現とありますので「あの」西宮神社からの勧請なんでしょうが、ならば、この「阿波咩命」はどこから?
なんて考えませんか?
そうです、単純に「事代主命」は阿波から赴いたと考えれば何の矛盾も起こらないのです(笑)「事代主命」は阿波から摂津へ、伊豆諸島へ、安房へ、「阿波咩命」を連れて赴いているのです。
何度も書いてる事ですが、「事代主」は役職名です。そして「阿波咩」も、もしかしたら事代主命の本后のポジションの事を示すのではないでしょうか。
で、ちょっと笑ってしまったのが善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(3)ENDで東京都神津島の「阿波命神社」を調べていたときです。
ここについての資料としては「伊豆三嶋大明神由緒」とか「事代主神事蹟考」とかあるんですが「事代主神事蹟考」の付録に三宅神(「事代主命」のこと)が当初、三宅島阿古に上陸し后八柱を娶り二十七柱の御子神を設けた、いわゆる「三宅島の事代主」の系図がありまして。
これを見ると
「はぶの大后」からはじまり「長濱の御前」がいわゆる「阿波神」(阿波咩命)である事が記載され(赤傍線部分).....
八柱の后の呼び名とその御子の名前が記され.....
最後の八柱目の后の
 最後八柱目、言ってみれば最後の最後の御子の名が....
徳島県民ならきっと笑えるところでしょう。
と言うか、関東の方にこの意味は分らないんじゃないかと思いますが。
こんな名は阿波出身以外では決して付けられないでしょう。
これがどういう事かを考えてほしいなぁって思います。

と、いう訳で「訂正と追記」お開きとさせていただきます。
うすうす感づいていると思われますが、「伊豆三嶋大社御祭神」の出自が阿波である事と「阿波咩命」については別に書こうかなと思っておりますが、すぐ書いてしまってはブログ名に偽り有りとなってしまいますので(笑)そのうち、としておいて下さいませ(笑)
(いやこれだけ書くのも2年越しなのよ〜)

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