神道五部書
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神道五書 伊勢二所
皇大神宮に鎮座する天照大神 御殿の席順
伊勢二所皇大神宮御真竿伝豊受皇大神宮 鎮蔵王本紀 伊勢二所大神宮宝物基本記和紙明式
つまり、大きな太陽は高貴であり、火に輝く空、太陽は高貴とも言われます。この息子の輝きが六合を通して輝いています。[天地が開かれた後、神々が地上を歩き、その体の光は消え、天地は暗くなった。その時、一切の衆生を救うために、空に太陽、月、星の像が現れました。太陽神、月神とも呼ばれる。】
そこで、二柱の神であるイー・マヌオとイー・ミアン・ランは喜び、こう言いました。 「私はそれをできるだけ早く天に送ります。」そして彼らは彼に天上の事柄を与えました。太陽神は小さな太陽の宮殿に滞在しました。神聖な太陽が昇るとき、空は明るく輝き、太陽は明るく輝き、皇帝と太神Yuqi、Fengshou Huangtaishen。】世界を永遠に支配するための秘密契約を結んだユウ。 以降,高天原に 神留坐て 、皇帝の親戚、ルキ神、ルメイメイ神、八百万の神など。を ,天之高市に 神ジジギブひ 。『大威元千五百秋瑞水国』は 、私の子孫が引き継ぐことができる土地また 。靖国と 平く 、私たちの皇帝の皇孫は食事の仕方を知っていますと すべてに依存するひ 。八坂瓊の三種の神器、曲玉、八咫鏡、草薙剣を手に取りましょう。て 、天皇の孫に授与される、それは常に皇室の印章になります。この貴重な鏡を見るときは、やはり私を見るべきです。「スアンき 。
イーユン、ジェンジン、ジンジン。しかし、大神アマテラスは天岩洞に入り、岩夫に隠棲した。エル・ナイ・リウヘはいつも暗いして 、昼と夜の区別がない、日常の事柄を区別するためにろうそくを燃やす、神を崇拝して混乱するて 。八百万の神々が深く考えたとき、天の主である高貴な皇帝神は、「石を祖母神に凝縮させ、天祥山から銅を取り出して太陽の像の鏡を鋳造せよ」と命じました。美しく、今では伊勢大神宮の御所にも納められています。 天津燕燕湖瓊瓊忠君。【アマテラス、大日の貴公子、鄭雅、我勝、日の勝者、忍遂爾の皇子。母親は斉の太子皇帝である太聖と、高黄の生みの親である女神万蛮風秋神によって任命されました。夫、天照大神、大太陽、高貴な主、智佑奇皇大神は、天帝の主神である女神としても知られています。天孫尊の偉大な祖先です。したがって、高皇の相続の神は皇帝の親戚の神です。親戚と言うのは先祖と宗派です。したがって、杜の二祖の名前は黄宇孫明と呼ばれます。徳と天地の結合が皇帝であり、知恵と神の結合が運命である。大きな問題は、適応する方法です。シェン・ゼシェン。】碧天関き ,披雲路け 、悪魔祓いひ ,天之八重雲,レンウェイのさようならに 千別て 、紫の太陽が高く昇り、千穂が山に触れる峰を建てるに 十慈に天が降りる。 神日本磐余彥天皇。
太瑞嘉陰元年冬十月に日本に送られた。 纏向珠城宮御宇。
陰暦二十五年の春、私は飯野高宮から伊須御所に移りました。日本の王女は彼女に菜食主義者になるよう命じた。そして神道に従い、下神盤家に大宮柱大府を建立した。て 。
ディンシー、冬の十の月に、私は宇治町の五十鈴川沿いの新しい寺院に引っ越しました。り 座り それでおしまい。
【香宮】神の第二席。
左側の天の手は男性の運命です。【袁は音開心座位、凌玉興弓位。神代の車輪王によって生み出された。]
右は万蛮風秋人が運命の人です。【精霊の形をした剣。龍神が神々に代わって創造したもの。】
ジシェンといえば、斉の太子皇帝タイシェンだけであり、ガオ皇帝は霊神の娘を産んだ。天照天皇の側室、五所雅也皇太子です。皇帝の孫も母親に命じた。したがって、二大神、天照大神と泰神志佑祁は、天津炎火瓊瓊中尊の偉大な祖先と呼ばれます。したがって、先祖と祖先の血統を尊重し、礼儀と教育が第一です。
2.芳香の生贄の宮殿【アロアネの生贄の宮殿】は 【アマテラス・グレートサン・エノキ・アロフン】です。リン・ユー型の鏡が座っています。】 李御存は神を生む左目を洗った。
その名はアマテラス・アラフン、別名セオリズビバ神。
天鏡の朱燕が鋳造した貴重な鏡の三面のうち、二面はイー・ジャンヌオとイー・ジャンランが保持していると記録されている。て 神賀吉詞白賜て ,日神所化の 本物の経典鏡には片側に座があります。それは皇室精神だからです。
3. アマテラス、斉皇太神宮殿に座って立ち寄る [アマテラス、斉黄太神宮殿に座って立ち寄る]。【東海郡三田原町。】
易岱の水徳は未顕なり、天地は未成なり、八坂瓊瓊の曲流と言われています。を 彭九功く 即ち、水は天地となる。り 。天地起成て 、人々の変態す 。それは天の主神と呼ばれます。したがって、一つの水の徳を受けて、常に変化していくのです。生命維持の芸術。そのため皇室食の神とも呼ばれています。 古いことわざにあるように、海の中に何かが葦の歯のように浮かんでいます。その中に一人の神人が生まれ変わり、天主神と名付けられた。[Guochang Lizun とも呼ばれ、大園尊とも呼ばれます。】
それで、それは中国の魏源と呼ばれ、また、天昭志宇奇皇大神とも呼ばれました。彼は偉大な太陽、偉大なる神、天照と世界を永遠に支配するという秘密協定を結んだ。 御間城入彥五十瓊殖天皇。
仁緒三十九年、天照大帝が沂保に移った。の ジッツォパレス。長年の蓄積。
この時、斉の皇帝が天から降りてきて座ります。て 、明と斉徳を組み合わせると、天暁宮の儀式のようなものになります。して , 2人が同じ場所に座っています。 泊瀨朝倉宮御宇天皇。
陰暦十二年二十一年、冬の十月一日、日本の王女は孟暁に起きるように命じました。く 「皇帝と女神よ、私は空のような小さな宮殿に座っています。に ,天下にしても 、どこにも座っていませんは 、皇室料理も アンブウェンけ 。丹波國興佐之小見比沼之魚井原坐道主貴の 齋奉御饌都神止由氣皇太神を , 田舎に座りたいです。」と ジュエゲを教えるし 。
今時,大若子命差使て ,朝廷に 与える言葉を命令するて 、宮殿を建てるて 。
来年の呉呉、秋の 7 月 7 日は、大左によって命じられます。て 丹波国遊佐郡舞井原町出身して 、斉の皇帝太聖を迎えて阻止する。山田さんと出会ったとき、私はもともとベジタリアンでした。そこには玉陵形の鏡が鎮座している。
天地創造後、万物は整えられたにもかかわらず、混沌の前では輝きませんでした。したがって、存在するか死ぬかにかかわらず、すべてのものの変化は降りてくるのは失礼なことです。当時、国家は神に化けた神を定め、天津を利用して政務を掌握することが多かった。て ,三面の 真經津の 宝物鏡キャストショーへり 。したがって、それは天京図と呼ばれます。その時、神の道が明確に現れ、天文学と地理が残るはずです。三宝鏡のうち、第一王鏡もこれに当たります。丸座り。ヤンに代わって金貨を祀りました。
【香宮】三席。
左側が孫尊大帝です。黄金の鏡に座る王の精霊の姿。大きな西と小さな東の二つの面があり、西を頂点として内部に帝国船が座っています。神代からの超自然的な物体である。【2面を1つの住居として利用。】道教の師はザイの神を崇拝する。大きな事はタブー、側室が役人を務める、これが理由です。
右側の2番目の席はTian'erの魔術です。歯のような、ワットの上に座っている霊的な形。翡翠の玉が 1 つと、その上に高貴な木の枝が 2 本あります。天燕湖が開くと、天武の命令により、ワット・シェンムを崇拝するための祝賀メッセージが伝えられます。
大きな翡翠の運命。精霊の形は円宴を隠すために使われる縁起の良い婆坂瓊の玉である。これは、天の祖先呉生尊によって変形された貴重な翡翠です。真の聖者の木の枝には、500 個の裕通玉がぶら下がっています。貴重な翡翠には宝物が含まれており、天と地と人の祝福の場です。神通力を持ち、物に触れる効果がある、湾曲した翡翠の丸筥を一体に祀る。の 金、翡翠、オーブなどで 天の家が開かれると、大翡翠は貴重な翡翠を保管するように命じられます。元寇は混沌とした形をしているので、万物の種子が隠されています。翡翠紐とも呼ばれます。これが、私の妻が真の美徳の木の役人を務めており、500個の木材と皇室の翡翠を持っている理由です。
4. タガグパレス [Tagagu Palace]。
斉の皇帝太神黄勲だけです。
李蓜宗が紫の太陽を建て、小さな家のオレンジの木を浄化していたとき、その日は皇帝の誕生日であり、彼は太陽の中で最も高貴であるため、左目を洗いました。世界の名はアマテラスと呼ばれる、タイシェンの荒廃した魂、これは神への荒廃した犠牲である。もう一度右目を洗いなさい、それは天の宮殿の高貴な精神である月の皇帝が生まれるからです。天より降臨し、勇輝大神と名づけられた荒魂、ここが多賀宮であり、伊吹家主神とも呼ばれる。霊の姿は鏡に座っているようなものです。これは天の鏡の主が義民主の右手で造られた貴重な三枚の鏡です。に 林平志て 月神所化の これは晋京にも当てはまります。
かつて、天照大神が第二の御所の御所に座ってこの書を記したのですが、その記録は原本のように鮮明でした。
アポロンの命令は荒木田の剣、
ノノクの命令は赤冠薬
、オタノの命令はエンシェント
ファイブ、オシュウオシュユンの代用。 御所が小倉神道秘書官に移されると、文治元年4月21日、美義光が『神記』『飛鳥記』十二巻を著し、正殿と偽殿が御殿に移された。そして寮内で執筆が完了しました。 あなたは神主ガオ・ルンに会って判決を書き 、最初の三者は神主の継承を延長し、 その時点でその 書に記すべきです。】碧真秘蔵、 咸宝三年呉緒二月八日、 右手は兪牧正英文の筆で、宜延寨所蔵にもある。
そして、高田美梅・ツイカ先生の改訂版をもとに、ツイカ先生の指導要点を一つ一つ確認しながら書き記したものが、ビユンヌアン・ソンダ編の完全記録となります。
の 五十鈴川のほとり、御所の御即位のときに 、狭野の猿田彦の大神、【トゥゴン族ユチの遠祖神。】ザイネイの王子、神師、【大若子の弟、天村雲明の孫。易若子明など。】タブーなどを書いて、【天は同明の孫を見て、ユ・ダ・モウ・ニ・ナイ、ダ・アリ・ミンなど。】シュン・ウーバイく :「天地創造のすべては賢者によって語られる。元伊勢アマテラス、五十鈴」の 河上に 天皇の玉座は紙もインクも露出させずに作られました。したがって、元朝の始まりは際限がなく、その理由を説明するのは困難です。し 。すべての情報をお願いしますへ , 「私は世界の大地の王なので、大地の神と呼ばれています。」チャンスに応えるのは私だひ 、変身して現れるのでチーシェンと呼ばれます。私も根の国であり底辺の国ですより 厚いび まばらなび 入ってくるものに 、そしてそれらはお互いに守っているので、幽霊や神と呼ばれます。私は再び生き物ですに 長寿と祝福を与えられたため、大天神と名付けられました。魂を元に戻すことができるので、私は星玉神と呼ばれています。すべては自然の名前であり、すべてにはその影響があります。辞任させていただきます。それから彼は身を隠しました。」
2.天津燕霍瓊瓊杵 、先天照大神にして天宇の主神、天帝を以って言葉を測る。て 、天津炎火瓊瓊中尊に授けられ、【天照大神皇太子、マサイヤ、我勝、翠利天人、翠爾順子。母親は神の子、天主ガオ・ファンの娘です。】八坂瓊球・八咫鏡・草薙剣の三種の神器には、大小三十二人の神の使者も同行している。なぜなら、彼は皇帝とその孫にこう言うように命じたからです。瑞穂国 , ここは私の子孫が王になれる土地です。イェル皇帝とその孫が燕を統治することになる。それでおしまい!宝作の繁栄は天と地に匹敵するはずです。その時、皇帝と孫は天盤の席を立ち、空
の八重の雲を散らし、天孫たちに別れを告げた。天国の八大通りに いらっしゃいませ。お互いを大切にしなさいて ,皇孫之所幸道路啟行て 、私は竹子の頂上に送られました、そこでは太陽が高く、千穂が触れていました。王室の親戚としてシェンルージ , 【天宇の主神の息子、高黄チャンリンシェンも神である。】神魯美 運命、【高帝は霊神の弟を生み、神帝は霊神を生んだ。】皇帝の孫の命令を :「日向鷹千穂 蒼塔頂の頂」に 、帝国の空の影、帝国の太陽の影と ,大宮柱太敷立て ,瑞之御殿。」と 。ボートハウスであなたの運命が待っています[木の精霊があなたの運命を長い間遅らせました。米の精、フォン・ユジア・ネン・ジーミンも。】天津斉湖燕を によるて 、燕寿鎮白く :「皇帝孫の命令」を ,天津高御座に 座るて 。豊魏原と瑞水の国を 、靖国と 平く 所知食て 。天津リシを 、ワン・チエンチウの 長秋と 所知食事,以天津御量事て 。天津西の 剣鏡を 握って与えるひ 「ヤン・ショウシュアン。世界を統治せよ、三万八千五百三十三歳。
3. 神武天皇 神日本磐余彥天皇の第四皇子。母親のジェイド・イ・ジも海の子の女の子です。
太瑞嘉陰元年冬十月に日本に送られた。
新游正月、正遠に都が置かれ、皇居が運営された。て 。孫忠治皇帝瑞の 御用邸を 公式の立場を作成します。 神武天皇の時代から文明末期まで、九代の天皇は六百三十年以上生きていた。皇帝は同僚たちと座っています。この時点では、天皇と神々は遠く離れていません。同じ宮殿に住み、同じベッドを共有するのが普通です。したがって、神聖なものと官物との間に区別はありません。
4.崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖皇帝は徐々に神の力を恐れるようになり、宮殿の同僚たちは不安を抱きました。
改易後、在布氏は石寧坡氏と天母宜西氏の二氏を率いて天祥山から白銅と黒金を採取し、剣や鏡を鋳造して御璽を保護した。建作の日、これは神印のある鏡と剣です。【内職者の家と言われている。】范熙は大尊神であり、その息子が主神に代わって主神となる、ルイ・ヤサカ瓊の大神である大太陽を祀る曲雨です。 天皇の治世6年に、天照大神と和田国二神が天皇の正殿に祀られました。しかし、彼の力が怖くて一緒に住むことに不安を感じています。
そこで秋九月、五里海町に天照大神を祀る特別な柵が建てられました。そして草薙の剣で、鳳姫を宮殿に鍬で入れ、菜食主義者として奉仕するように命じました。
5. 随仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇二十五年三月春、伊勢国飯野高宮から伊須御所に移された。
その時、日本の王女が命じたのは、く :「南山末見給ひ 、ジ・ゴンディを 林星貴き 。」
今歲,猿田彥大神參,乃言壽覺白く : 「ナンダ峰には美しい宮殿があり、佐久久史魯玉池の五十鈴川沿いにあります。ここは八大陸の岑国の精神的な場所でもあります。それはウェンの誕生とともに現れました。280万年以上。前にも 、無視されましたる ここで、スピリチュアルなことり 、偉大な日輪のように輝いています。ほんの小さなことに 不在す 。定主出現御座耶念き 「日本の皇女は、『真実は明らかだ』と言いました。
しかし、天地の大祖先は、太古の昔から【天照大御神・太聖帝、天佑の主神です。】」】とシェン・ルージ、【ガオ・ファンチャン・リンズン。】神ルーの美しき運命、誓う。ひて :「瑞穂国豊田原内」に 、伊勢笠羽夜の国は ,有美宮處りと 。見定給ひて 。" 天からして 、降伏するふ 、天のニタイダオ、天のニモウ、50個の大小の金の鐘、そして太陽の小さな宮殿の形と模様。空は平らだから君の手であげられるよひて 、贈ってとても嬉しいです。ここに , 移転し、太陽のための小さな宮殿を建てました。
宮殿の大きな柱である[慈柱]は、天佑の測り柱でもあり、新しい柱でもあります。それが天皇の命令であり、国の安定である。守護神の座である龍神と地神がそれぞれ1体ずついます。】泰夫は夏金盤弦を設置し、【太田は地輪の純金台座を備えた金盤弦とともにこれを聖別するよう命じた。】天の高原で風と戦うジュンキて 。
朝廷二十六年定鎮、嘉子秋九月、天照大神内五十鈴川に移された。に 、席を保ってください。
6. 鳳寿黄台神社
7. 禁忌の関係は 日本の姫君の運命と大田の運命 衡山にはウド銭と絹が蓄積されている。て ,朝廷寶位を ,手長御世と ,堅磐、常磐に 速いひ ,茂御世に 幸へ 仕えると 。天津皇帝の言葉を利用してその言葉を守るて 、すべての邪悪なことを 言葉を避けてください。大名人、大名人、大名人、ものじ、荒木田の酒女、剣豪など。に 、実際に戒めが与えられたのは、き 。これが物事がタブーとされる理由です。 凡神代靈物之儀,猿田彥神謹啟白く : 「天地創造の後、万物は備えられたが、混沌の前には明らかにされなかった。したがって、万物の変容は、存在するか滅ぶかにかかっています。そして、降りてきます。」して 、自尊心がありません。当時、国家はしばしば神に化けた神を立てて天津を利用して政務を掌握し、土輪から採取した純金や白銅のコレクションを編纂した。地、水、火、風の偉大な神は、適応し組み合わせて与えます。ひて 。三才に対応する三枚の真経鏡を 、キャストテーブルは次のようになります。へり 。したがって、神の名前が投げられ、天津尊と呼ばれました。当時、神の道は明確に知られ、明らかにされており、天文学と地理が存在していました。また、剣、[大きなナイフ、小さなナイフ]。】龍神が造られた清らかな土と金で作られています。弓と矢は車輪の王によって作られました。したがって、この陰陽の楽器は「天祥子功」と呼ばれ、地球の羽と矢とも呼ばれます。翡翠は太陽、空、月からの光のエッセンスです。ワットは自然の徳である天の四徳と地の五徳を表します。万物は神である、ならば誰が私心のない悪を追い払えるだろうか?」
高貴な神はスアンを避けた。く : 「大地の祖先クシェンらは傑傑にこう言いました。天照大神は火と風を司り、合光は塵を司ります。知友斉大神は水と空気を司っており、万物は養われます。したがって、二つの宮殿の間には、天と神と地が主であり、皇帝と臣下もまた世界の先祖です。しかし、世界の大神殿はまたその国の社会でもあります。したがって、先祖と先祖を尊重し、礼儀と教育が必要です。皇帝は神に犠牲を捧げるために土地を耕します 女王は犠牲の衣服を提供するために蚕を育てます 陰を陽に変える方法は 4 つあります 犠牲を捧げる時が来ました 美徳と神はつながっています天と地、徳は天と地に通じ、君主は明瞭で民は繁栄する、そのため、蓮の前には廃銭と調和の銭があり、赤い絹と赤い耳、青海の 鰭廣者、鰭狹者,奧藻菜、邊藻菜。山野物者,甘菜、辛菜。御神酒者,甕腹滿並て ,皇孫命御世を ,手長御事と 、堅い岩に 常磐に 速いひ 奉。茂御代に 幸へ ボンショウヤン。」と 詔へり 。別の勅令ふ : 「神々は物事の奉仕とその責任者に責任があり、断食日はすべてに 、汚いものや邪悪なものに触れないでください。見えず、聞こえず、哀悼の意も言葉もありません。仏法にはタブーがあり、死体を食べてはいけないとされています。神様との出会いの日までに 新しい食べ物は食べず、身も心も静かにして、丁寧に合掌して参拝してください。また、神衣と神務も同様です。8.
神鏡座は 神聖な鏡座です。
片面は月と空から現れる明るい鏡です。【円形に三天光、五飛龍、五守護神を配した、天鏡鋳造の白銅製の貴重な鏡である。月と空の三方以内です。】生贄の崇拝は斉宮で止まる、そうだ。
テジョン・ミンユエく :「崇神天皇御宇,止由氣皇太神天降坐て 、アマテラスの太聖帝とイーサンシー。その時、これが私が天から持ってきた大切な鏡でした。それもまた神々の天帝である主なる神より賜った白銅鏡である。国の常設像「天鏡ズン」と月宮に鋳造された鏡によって変化した神格である。三才は三面の中にあり、一面は真実である。二つの面を持つ者、天京ズン子ティアンワンズンは、それを彼に伝えます。今回はモー・ダンズンさん。今回、イ・ミノとイ・ミアン・ランズンがそれを伝えました。て 。神賀吉詞白賜て :『日神、月神所化の これは晋京にも当てはまります。それは天地創造の鏡でもあります。それは三人の才能が見せる貴重な鏡でもある。私たちはそれを純粋に受け入れ、神の霊をもってそれを求め、それは神の正しい過ちであると考えるので、それには形も場所もないとみなすべきです。「今日、私たちが犠牲を崇拝するとき、一方には皇霊に犠牲を捧げるための荒れ果てた宮殿があり、もう一方には皇霊が座している多くの祝賀宮殿があります。すでに3回提供されています。「慈静峰」き 。
一方では、八百万の神などが石を使って古い神々を凝縮し、貴重な鏡を鋳造しました。伊勢大神宮が崇敬されるのはこのためです。【日本のイメージは八咫鏡です。古いことわざにあるように、Ba'a は頭が 8 つあります。八頭花の葉が八枚の形を八葉形とも言います。したがって、バアという名前が付けられました。中央に丸い鏡型の席があり、円の外側に太陽と空の席が8席あります。】
片面とは、日の前の宮殿の席を指します。老神シーニンは鏡を投げます。最初のキャストは神の意志に従わなかったので、Ji Yi国の神でした。
すでに述べたように、これは神の貴重な鏡です。
9. 日本の女性たちは、神から託された戒律に従って、日月の神鏡を鋳造し、朝雄山神社に隠しました。ここもまたにして 、あらゆる神財が投じられ、霊石が神体として用いられる。天も地も、大なり小なりすべての神々と精霊たちの 天皇が造った御神体、八十三面鏡。52本の剣、大きなナイフ、小さなナイフ。槍、大きさ百二十。弓、矢、矢はそれぞれ44種類あります。おそらく大神大帝のコインを2枚用意したのでしょう。天照大神は各24種類、知友奇大神は各42種類あります。
興宇神拓宣く :「天照大神が天帝と大神との玉座に座ると、太陽が最も力を持つことになる。そのため、太陽の帝王と呼ばれる。虚空を本体として、天照大神、大神と呼ばれる。また、斉の皇帝と太神が止まれば、月の皇帝は皇帝とも呼ばれるので、金剛神と呼ばれ、天の主神とも呼ばれ、水の徳を用いて万物を確立するので、食の都の神とも呼ばれるが、神々の恵みの田にも生物の寿命がある 天地のオーラを受けて神々の光を植える 誰が傷をつけるのか 神の心、誰が気にするのかそれについては?もう一度礼拝してください。」その時、日本の皇女は、地球の真ん中にある太聖帝の正宮の北西の隅で儀式を行うように命じました。 匈楽帝が即位して22年目、日本の皇女は宮殿に座るよう命じられました。
冬の11月、新味祭りの夜は深まるて 、雑多な人々が撤退した後、神省、物質省などが宣言した。く :「吾今夜承皇太神及止由氣皇太神敕,所宣託。汝,正明聞給へ !人間はこの世の神ですから、神様を悲しませないでください、神様は祈りを第一とし、誠実を基本としています。その真意はともかく、彼は大いなる真理を達成することになる。したがって、神と人は混沌の始まりを守り、仏陀の教えの息吹を遮断します。神を礼拝し、家の中も外も清い日に断食し、悲しまないこと、病気のことを尋ねる、葬式で食事をする、罪を犯した者に死刑を宣告しない、罪を犯した者を罰することを決めない、罪を犯さないこと音楽を作りなさい、邪悪な行いを予見しないでください、誠実さを失わず、抜け目ない美徳に導きます、物事を左から右に動かさないでください、武器は役に立たないです、鞆の音を聞かないでください、あなたの口で悪や悪を話さないでください口を閉ざし、汚れたものを目で見ないようにし、誠実さと慎重さを持って守り、ここにいるのと同じように礼儀正しくしてください。「その時、大神アポ・リャンボは彼にそれを記録するよう命じた。
の シロタミツルギて つまり家主ですと のためにて 奉仕,三節祭ゐ 。春秋時代には神服の祭典が行われ、時貨絹郵便局の使者沈太宇が、ゐ 。八重の榊を天に祀るのは、神代の古くからの風習であり、大地の忠神です。
この時、虞宇は二十二歳で、家の王子である武侠や神の丞相である武基などが神の教えを受け継いで伝えた。それぞれの断食実践は明らかにされておらず、深い謎に隠されています。大神主おさささん、元大神主ひこわしりさん、大神主おぐらさん、おものじさけめおつとガールさんなどをよろしくお願いします。
日本の暮らし。【存在する※。】
白髪の王子。【存在する※。】
黄台廟前の大神延和志臨明が、ダティアンの指示に従って謹んで布告する、磐余玉穗宮御宇『定海、易』は、古代の二人の男性神師フェイニャオの伝記でもあります。[神の道に変えられたと主張する人々は、自分たちが本来の人間ではないことを示すことはできません。】
10. 奥州宜本武大弁 分 桂
三年十二月二十六日、神官は二柱の神、一等神、従者、占大臣、諸大臣に従いました 。】 右も左も自筆で記入・照合し、1名以外は閲覧禁止とさせていただきます。
大永の初年の辛司三月に、老人は 環通朝へ行った。】 右筆は木左尾秀夫が初校正し、高田三平が最終校正を行ったテン・テンの筆跡です。
咸宝19年3月19日、宜厳先生が書いた本には次の
ように
書かれています。別のバージョンには
次のように書かれています。【神记。】
古代の言い伝えによれば、60歳になっても満足できなければ、ピジアンにも及ばないという。【ゆんゆん。】今後も禁忌は守ったほうがいいですよ【それなりに。】しかも、彼は見てしまった。
曾祖父私は彼を72歳の時に見た。祖父ピ・ジアン、61歳。六十歳になったら会いましょう。Mi Yi Xingzhong [裁き。】 文治元年4月21日、 正宮と偽宮が宮殿に移されたとき、外宮で李美によって李光忠の書が完成したとも
言われています。その時、ミー・イードゥはガオ・ルンに会い、この作品を書きました。 【判定生まれ年は68歳。】 文治元年の記録によれば、内宮・外宮の皇室所蔵の『神書』(上・下)に記載されている。『宝事事記』と『大天明訓伝』は各1巻で、これが代々の主なシリーズとなっている。 当時、Tiao Mucangの遺体が入った偽のキャビネットを持っていたZixiという男がいました。広清卿はそれを崇拝しています。白蛇の形をした守護聖座と呼ばれています。ヒレが現れた時、神宮一也に異変が起きる。 また、皇室の印章と銘が刻まれた銅製の定規もあり、別のキャビネットに保管されています。この一連の代々の祭祀が篆刻に相当する
に ガーナも同様です。
鳥や神が飛ぶなど、偽のキャビネットの中で。すべてを合わせて 12 冊にまとめました。
永仁三年義為三月十二日、下会神の四子孫である美儀鄭の三書を著し、言葉
は次のとおりです。古文書は現代文書である場合もあれば、仏教の言語を使用している場合もあれば、道教の経典を取り入れている場合もあります。本ですが、一人で書いたものではないようです。【愚行】前世から伝わる経典や乱暴な言葉、俗なことばが混ざっていることが多く、後世の人々がその言葉を俗悪と感じ、さらにペンで装飾したり、道教や仏教の言葉を借用したりするという。これも 2 つの実践を組み合わせた結果です。しかし、偶然にも、古代と現代の間に矛盾はありません。今では神々しいものは存在しますが、文体は変わってきています。書かなくても心を傷つけなければ大丈夫です。
寛文13年6月、吉陳全美正、五大神、
燕嘉、イシェの日、側室、竜王、神、皇帝、月、皇帝、月、神殿、空、月、夜叉、将軍、祝福の場、天、地、輪 地、
水、火、風、ダイヤ、龍王、オーブ、広大、慈悲、八龍神、十二の神と師
. これは仏典の言葉です。[愚かな報道。】仏典に手を出さなくても、仏陀の言葉を読むことはできます。私が見る限り、これが事実です。 Xiyiオーディオ -
ビジュアル 天気と光を塵とともに包み込む デビュー経典 そのうちの 1 つ。中世には布都氏が加減算された。もしあなたが会議中に再び仏陀の言葉を使うなら、後世はそれをはっきりと観察しなければなりません。この本に書かれたのは正保二年夏の半ばであったが、誤字脱字があったため、数枚修正して書き留めた。最後の葉を渡す者も同様です。クアン・ミーイー、下層五層の神・ヤンリャン卿と出会う 【審判】
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天照大日とともに、八坂瓊の曲玉、八咫鏡、草薙剣の三種の神器とともに皇孫に「私を見るようにこの尊い鏡を見てください。同床も可能です」と献上した。 「あなたを鏡として使ってください。鮑作の栄光は天と地のように無限であるべきです!」玄燕。 皇帝の孫、天津延燕、霍瓊瓊中尊、[天照大神、マサイヤ王子、我勝、首里天人、隋爾順子。母は神の息子、天の主であり、精霊の女神ガオファンを産み、女神銭銭吉も運命づけられていました。蘇善武は太陽神に敬意を表したいと思ったが、彼が昇天したとき、志明宇は彼に挨拶するよう命じ、八坂瓊の曲弓を贈った。蘇山武はそれを尊重し、太陽神を崇拝した。今も誓いを交わし、翡翠を感じた時、私は天上の最高祖先として生まれ変わりました。そのため、天照大神は私を至高の存在として育て、私をとても愛し、いつも私を膝に抱え、太陽の脇の下と呼んでくださいました。今日の通称は「Zhizi」稚子 、その転送言語です。夫の天昭黄泰シェンと紫友旗黄泰シェは、玉泰神の二柱であり、天津延火瓊瓊尊の祖先神です。したがって、彼は皇帝の孫と呼ばれます。高黄の霊神の名にちなんで、彼は皇帝の愛する神、羅啓明と名付けられました。】 Ban Shen Tian'er の家庭生活、【Zhongchen の始祖もいます。】天津春慈からの大きな祝福の言葉を受けて、手のひらを上げた。タイユ・ミン、【禁忌過激派の祖。Zhi MingyuもMing'erです。】タイコインを所持。天村雲明[伊勢の大神の祖、神帝が生んだ第六霊神の孫。阿波国安佐久郡には座治部神社と天村尹神社の2つの神社があります。】太勇の紐をとって役人に就任する。
天と神と地のみ 後にも先にもに お互いをフォローし合うて 、ピティアン関ぎ ,披雲路け 、駈仙跸ひ ,天之八重雲を 、イー・トウの千の別れに 千別て 。紫の太陽の頂が高く 千穂が触れているに , ジュヤンに天が降りる。宮殿を経営して大成功を収め、六合を訪ねます。羊飼いの神は神秘的なスキルを世界に説明することができ、元源を制御するために時々大きな徳を発揮します。上部は銭霊に答えることで国の徳を表し、下部は神を崇め義の心を養う精神を表しています。災いを治すために、よき仲間になってください返事 。道教協会は自然によって創造されたものであるため、世界中のすべての人々には精神と魂が与えられています。したがって、天地は無限であり、金と石は不滅である。人々の自然な美徳を認識することは、過去も現在も一貫しています。 御間城入彥五十瓊殖天皇の治世39年、アマテラスはダンボーに移りました。の ジッツォパレス。
この年、斉を止めた太聖帝が密約を結び、天上に住むようになった。当時、帝国の偉大な大臣たちは飲食をし、帝国の倉庫を建設するよう命じた。】ハウスボートライフ、【植物と木の名前。この場所は都匯県にあり、名前は清掖景廷祠です。】宇賀魂神、【今日の名前は小俣神社です。】ウスナ女神、【五穀の精霊。名前は薄野社。】スマリュー売り神、【スマリュー売りクラブの名前です。】ウガは大地の祖神であり、【蘇山武寸子もまた。山田ドゥフイはその場で神々を守ります。】雷神なら、【今生の名は、北湯門大明神。】顔過は何奇堅に会い、彼を殺すよう命じ、【杜向国の数も神社で会った。】日が昇る、【伊勢の大神は祖神でもある。】ジェンフン・ミン【ユチュアン・ダネイの祖先。】お互いに従い、暴力はやめましょう。その時、天照大神大神と紫楊斉大神大神は、互いの徳を理解するために結ばれました。天国の儀式のように、1つの場所に2つの席があります。
そして、九生まれの巣太陽神の息子である風雨は、一生懸命働くことができ、[屋形船の米の精霊神でもあります。】穀物を生産し、ワイン造りに優れ、王家に仕える。料理の神、道教の総主教ビンズマ、[蘇戦武は孫を尊敬している]。蘇玉子深とも呼ばれる。この世界では宮廷料理人はタブーとされており、それが理由だ。】来るべき4936ストーブ神を導く、チャオ・ダー・ユー・チー、シー・ダー・ユー・チーを 調理の準備て 、王室に仕えるる 。丹波道主貴,【大日日天皇の息子も皇子です。世の中にはタブーとされていることがたくさんありますが、それが理由です。】王道ステッキ世代へして 、あらゆる品物や物を用意して神様に奉仕します。神々は神々に犠牲をささげ、穀物の準備ができたとき、人々は穀物を赦しました。彼の仕事はもう尽きたて ,天照太神伊勢國に シンシンに渡す。斉大神を止めて再び天元へ立ち上がるて 、太陽の小さな宮殿。あの頃、私の天津水影の 保京は吉祖宮に滞在した。[天と地が開かれたとき、すべてのものは備えられていたが、混沌の元素では輝いていなかった。したがって、すべてのものの変化は存在し、滅びます。そして、落ち込むのは無礼から来ます。当時、常州は彼が化けた神を定め、天津の水影で彼を罰した。天を以て物を測り、鎮静金宝鏡は三面に鋳造されており、自然の霊的生き物であり、天と地が呼応し、特別な神の道である。そして天文学、地理。自ら存在する者たち。したがって、鏡は神の名前であり、天の鏡神と呼ばれるのもこの理由による。]すぐに、玉井園に天津神麗の木が建てられました。シークレットゴールデンヒヨて , 道教の導師である少年グイ・バは毎日起きますが、フォン・ユーは彼の努力を祝福し、王室の料理を準備します。その時、高貴な神は「皇帝の孫の命の精神で、崇達は斉の太聖皇帝を止めることが賢明です」と命じました。の 銭社。「ユン。】それでも神社の神様に。霊的な姿は鏡の中に座っているようなものです。【皇帝の孫の命令も金鏡です。】 纏向珠城宮御宇陰暦十二年二十六年冬十月、天照大神が端寶地祖宮からやって来た。して 、 へ移動度相宇治五十鈴河上て ジェンジュヤン。 泊瀨朝倉宮御宇陰暦十二年二十一年、陰暦十二月一日、日本の王女は孟暁に目を覚ますように命じました。く 「皇帝と女神よ、私は空のような小さな宮殿に座っています。に ,天下でも 一所に 座るけば 、皇室料理も アンブウェンけ 。丹波王国と佐野臣雛の魚の元の座、道士子八少女 の 断食。帝国食の神は、水と気の元神が鎮座する気の最高神である。千変万化、一水の徳を受けて、命を繋ぐ術。そのため皇室食の神様とも呼ばれています。古いことわざにあるように、水路は食べ物の神と呼ばれています。天照大神と知由岐大神が二重の玉座に座り、他の神々や他の神を伴って皇帝に仕えるのも宿命です。】知遊奇皇大神を , 田舎に座りたいです。」と ジュエゲを教えるき 。その時、ダルオ・ツィミンは、を ,【一名,大番主命。御間神社是也。】差使て ,朝廷に 夢の状態を 与える言葉を命令するき 。つまり、項羽帝には夢があるので、今日も皇帝は「君が王子の息子なら、そこへ行ってください」という夢を見ます。て ,布理奉。」宣き 。
今年、記念物省の80歳の氏族が帆に手を上げ、燕暁は二神の子孫を知った。て 。隨神教:「度相山田原の 地形が広大で美しいので、土地です。大天は金と石を注文しましたて 、下津基地に 横になるて 、宮殿を建てるて 。「
来年の秋の旧暦7月7日、私は大補佐の指揮を任されることになりました。る ,共從神。中臣祖大御食津命、【坐度相郡,號御食社。】小和志理命、事代命、佐部支命、御倉命、屋和古命、野古命、乙乃古命、河上命、建御倉命、興魂命,各前後左右に 副大臣は役人を務める。Dazuo Zuo Ming、Xiaohe Shili Ming、Dai Zhengtai。シンフンミンミン、タオズノーブル、ダイシャンディアンの神を崇拝します。鈈仙跸ひ 、錦で覆われ、太陽が綱で引かれ、空が太陽で覆われ、太陽が屏風で覆われ、幸運を追求します。
その時、雷神の八重の雲ならを 四方に 薄いて 、豫園の場合て 、丹波王国の吉佐宮から日本の歌に移った。の 宮殿には王室の人々が座っています。今度は伊賀国の隋の宮殿に呉爾作が座っていた。この時、宮廷料理の竹原敬三、桂滕黒勝360鎮、年有亭袁、梁左藏、玉里奈良三鎮、国竿らが貢物を納めた。ここは今でも、太神、趙大斉、西大斉という二人の皇帝の源となっています。に 定給き 。次回は山の中腹にある宮殿に泊まりました。[これは宜治県新家村の名前です。』の時代に、私はアン・ヌマ・ム・ヒラオに移り、宮殿で繁栄しました。て 、そこに3か月間座っていました。No.エルチュて 名前は李功です。毎夜、天上人たちがやって来て、神聖な音楽を奏でてくれます。今生では、鳳明という名前はその運命によるものです。明の時代から神聖な宴を開くために男女が集まる村、屯倉に来てください。 戊午秋九月望,從離宮遷幸山田原之新殿,奉振御舩代御樋代之內,【樋代則天之小宮之日座儀也。故謂天御蔭日御蔭と 人里離れて座って幸運を祈ります。船使は天才木造住宅の精霊と言われている。したがって、ルイシェの名前の家もボートに関連付けられています。古いことわざにあるように、天は陰、日は陰、太陽は陰に隠れます。】太陽の下にある小さな宮殿の儀式のように、天上の衣装を着て礼拝してください。天照大神からの御託、太神最初の写真の神である多賀具宮によると、『今野さんは右目を洗って命を得る。彼の名前はイブキ、家神長。つまり、タイシェンはクローンの中に座っているのです。したがって、泰神黄勲と呼ばれます。】鳳邦は斉宮からのみ来ます。[幽興、霊鏡に座る。かつて天鏡神が三面鏡を鋳造した。片面は天の主の貴重な鏡です。両側では、イー・ザンヌオ・ズンとイー・ザン・ラン・ズンが左右の手のひらを握っており、これは太陽神と月神が変化させた貴重な鏡です。一方では、荒れ果てた崇拝の神とその霊がそこに座っています。】
また、アマテラスタイシェンユトゥシュアン、正面には香典の二神。Zhiyu Qi Palace、Xiang Palace God、孫明皇帝に 同行するる 。そのため、名前は斉宮と翔宮からとまり、東と西の席が付けています。【東皇帝孫明、一。西天二家の根本は生活です。精霊の形をしたワット、天津の仙母が副座を務めています。Taiyu Ming、精神的な形状と縁起の良い湾曲した翡翠の座。ただし、東のユウリンチャンと西のシャンホールには同じ席が与えられます。】君は事態を制圧できたので、天の手の力を借りて男神・万旗豊秋津姫と天照大神大聖帝となった。の 首相官邸に座る。【本来の名前は水戸開震。】
また、蘇善武は孫太祖を尊敬しています、一。クシェン・ダ・ティエンミン、1人。偉大なニアン神であるウガ・フンもその一人です。山田原の守り神もお祭りです。[地球の祖先の霊が鏡の中に座っています。刻まれた石にはダティアンの生命霊が鎮座しています。瑠璃壺には宇賀の魂が鎮座している。】また、小倉神様、【お米の精フェンウガは頑張れる、ウガノタはお米とママの神様、食べ物の神様です。この像はベッドに座っており、守護聖人として白い龍がいます。すべての王子が一緒に座れば、8つの柱が与えられます。】また、ワインの神様。【永きに渡り巣を産んだ神の子、風雨は命を売ることが出来るという。丹波国竹野郡にある奈具神社です。彼女は西越宮を代表して天から降りてきて座し、妹娥と聖女とも呼ばれました。お米の精は光によって変化します。穀物の神は食物の神の化身を守ります。酒造りが得意で、精霊の形をした石の上に座っている。壺の名前は河多神器で、神ジュンドゥオリ・ヤクシャによって変化させられたものです。縁起の良いボトルの中には、ワインの蜜が溢れ出ています。あらゆる病気を治し、寿命を延ばすために人々を直接集めます。大大地祖宇賀魂神は、神酒を捧げる玄倉壷星神としても使われています。今日の名前はGencang Wengです。】宮殿の大小の神々、四神とその他の神々り 定り 座居由。中臣祖大御食津臣命稱詞竟。神善,奉祝詞言さく : "出会いの 山田の 原の 、下津番家に ,大宮柱廣敷立て ,高天原に 千木高知て 、ファン・ユマの 命の タイトル 定峰る 座るアマテラスす 知佑樹の 皇太神の 広前に 。恐れみ 恐れみ 適用するはく 。「
アマテラス、カミロ、カミロ、カミロ」に 言寄任て :「天之小宮之寶殿を 、 ここに 移造り 。今日を取るて 豊儀町り 皇室の座り方す 形を 平く 安く 、凌志志と 適用する。」と 延寿鎮十白く 。宮殿の全員がそこにいて、一晩中宴会をしていました。彼女は猿の少女の祖先であるティアンティアンの子孫の女性であり、歌って踊る少女です。屯倉から小さな男の子が村にやって来ました。彼はフルート奏者、ハープ奏者、フルート奏者、笛吹き奏者などで、みんなで歌ったり踊り始めました。絹と竹の音が響き渡り、世界を満たします。神々と地球は調和のみを受け入れ、現実的なニーズに従うだけです。世界は豊かで楽しく、海は平和です。
神々の音楽が起こるたびに、過去には蘇山明の神々は太陽神として崇拝されており、その行為は非常に形がなく、あらゆる種類の侮辱でした。その時、天照大神は激怒して天石窟に入り、扉を閉めて隠遁生活を送りました。エルナイ・リウヘは常に暗く、昼と夜の区別がありません。神々は悲しみに暮れ、手足は絶望の状態にあります。庶民のあらゆる事柄は、ろうそくを燃やすことで区別できます。天宇の主神は『志宇奇皇大神』でもあります。】高黄王子が霊神を生み、その勅令が発令されるて 、天場団河院で80万の神々に出会う。【ユンハンも。】彼は深く先見の明を考えた末、天石石窟の前で火を上げ、俳優としての仕事を終えた。猿の少女の祖先であるティアン・ティアン・ヌーは、香りのよいマンゴスチンを摘み、その節の間に空気の調和のとれた流れを可能にする空気穴を彫りました。】イー・ティアンシャンシャンの弓は弦を同時に打ち鳴らす【この世ではハーモニーハープと呼ばれている。】木々が調和し、安らぎと幸福の音を整えます。風を動かし、八つの音色を現します。すなわち、猿の女神が手を伸ばして音を出し、歌ったり踊ったりして、静かで素晴らしい響きを示し、神聖な音楽の旋律を奏でます。この時、神々の怒りは和らぎ、悪霊は晴れ、空には塵もなくなりました。それ以来、風と雨が降ったり止んだり、太陽や月が過ぎたりしました。一つの陰と一つの陽は万物の始まりであり、一つの音は全ての音楽の基礎である。神道の神秘、天地の本質。絹と竹の本質、そして八音の音楽はすでに貴重なものと考えられています。したがって、イーイー氏の力の下で、元奴氏は順屯倉の男女を率いて神代の遺物を取り戻し、今、彼らは3つの犠牲を捧げており、これは将来の世代にとって永遠の模範となるでしょう。 天皇、倭姬命詔宣く : 「男性の弓矢の対象: ブロードソード、ナイフ、弓矢、槍、鹿皮の角、豚の皮、鋤、鍬。女性の手に対象: 麻のバケツ、綿の柱、天具、野性の衣服。 、蓮の花の前での素晴らしい衣装、そして王室の曲。それらはすべて天と地から生える地毛と一致しており、祖先の寺院での犠牲の準備ができています。しかし、忠誠と孝行は仁と優しさであり、 「神は、神器を神器として収集し、武器を神器として収集している。集中の地・神戸にもさらに注目。二州黄台神社の 朝の気の優れた制御と夕方の気の制御を ,日別に ザイは礼拝し、お供え物をします。
また神の指示に従い、土師氏を公務とし、秤や瓢箪などの土器を作った。て 進歩のために。彼はまた、皇帝の孫である丹波道師、高貴なミャオ族の子孫である 8 人の小さな乙女たちに宮殿への王室の鍵を与えた。て 、宝物殿を開きます。Bingzhu道教のマスターであるYi Suzhanmingは、蘇公神としても知られ、大慈貴神としても知られ、大国魂神としても知られ、大国主神としても知られています。古いことわざにあるように、大国の魂の名前は余和霊であり、彼は莫大な富の皇帝でもあります。つまり食の精霊神。】彼は台所の神である火の神・燕香雷レイ、水戸の神・燕ザンシャンヌ、薪の神・燕シャンレイを率いており、王家の御飯には食べ物と供物が詰め込まれていた。【今日の皇室料理は父子を避けるため、これが理由です。彼らは肉を調理する女性であり、食べ物を調理する女性です。】宜都郷の川のほとりに漁師がいて、名前は天仁海仁でした【今は沙生氏と呼ばれています。】正月の魚を食事として摂り、気を蓄えましょう。 天照皇太神重託宣く 「役人として生贄を捧げるときは、まず生贄を捧げて、斉の皇帝太神宮に立ち寄らなければなりません。そうすれば、自分の宮殿で熱心に生贄を捧げることができます。」 したがって、すべての生贄は最初に斉の宮殿に立ち寄らなければなりません。また、気の大神も一箇所に鎮座しています。これが占いの順番です。天皇の詔には「宗神・大大臣の御生誕の霊神苗の功績を基に官吏を務め、両大神の主務を兼務するのが適当である」とあった。皇帝と神々」『玉井 水』天孫の到着以来、天村雲明は虎琥珀のボウルで統治するように命じられました[金剛神と夜叉の神が一体となり、直径は 1 フィート 8 インチです。】天国が泊まりに来る。【七星と十二神を守るため、星のように輝く席が並べられている。】太聖帝と孫治帝が天に降臨して座るよう命じたときに ,天村雲命御前立て , 神は彼を役人として遣わしました。当時、皇帝の孫の命令と天村尹の命令を 趙趙く :「食國之水は 未熟,荒水に 存在するけり 。故,御祖天御中主神之御許に オファー。これが理由ですて 来る。」と 詔勅。ジー・ティアンチュン・ユンミン・ゴンデンて ,天孫之御祖之天照太神、天御中主神之御前に ,皇御孫之申上宣事を ,子細申上時に 、皇祖天照大神太神帝、天祐中公太神帝、鄭暁生尊、神魯斉、神魯美存、神勅評議会く :「その他に 仕えるむ 者,行奉下て 存在するとも 、水の管理は次のとおりです。をは 遺産て ,天下復飢餓く 存在するけり 。何神をか 提出するむと 思いに ,勇をして ゴンデン来いよ。」と 詔て 。空忍石の 長井の 水を 選ぶ。バシェンて 教えるく : 「この水にはて ,皇太神の 王室の珍味に バシェンシアンて 。「雷水」は 、天人紫水と シュユンて 食の国の 水に入るに 灌漑て 朝夕御饌に 献身れ 。すぐに日向高千穂宮の 役人は鼎奎尭周が務めた。以来、ダンバ・マーアイ・イシイに 町が動きました。水戸の神が即位ぎ 。
その後、麻衣さんからの 当初は知遊気功に移転しましたの ユジンは生きて息をしています。エルスオ・ファンタイ・シェンの 朝の気の優れた制御と夕方の気の制御と バシェンは移住した。毎日2時にお供え物が捧げられます。井戸の水を管理する者は決して乾かさず、常に井戸から出てはいけません。おかしなことは社会のせいです。使用することはもちろん、他の人が使用することもできます。また、偉大なものの主な子孫は、井戸を掃除して井戸に仕えているジの父親であるとも言われています。宜玉井と玉彩堂の間の道の長さは120フィート、橋の長さは15フィートです。【丸橋黒木です。】今月は、誰も通れないようにあらゆる修理と清掃が行われます。して , 注意して提供してください。天照大神左王南王門前の 御河中島に 、石を積み上げますて 黒い木を使って風裕橋を渡るて 、知友奇泰生の 大御饌,伴神御氣供進奉。三節祭,別禁封其橋,人渡不往還,則齋敬供奉る また。 アマテラス皇帝太神玉乾。食料は 28 個、水は 4 セント、悪いものは塩が 4 つあります。さまざまな種類の魚や川の魚が供えられます。
先頭に立ったのはQihuang Taishenだけ。食料は 28 個、水は 4 セント、悪いものは塩が 4 つあります。さまざまな種類の魚や川の魚が供えられます。
首相官邸前。御用米は三十八品、水は六銭、塩は悪いものが六品あります。王志や正月魚などをお供えします。 神主部物忌等祝白:「天皇朝廷,常石、堅石に 幸運を守るひ 。百官に 役人、大臣など、そして世界四隅の人々など。く 愍給。」と 州。崇拝。天照大神八度、知宥大神八度、寺神八度を伴うして 天津皇帝はその言葉を守るために、長寿への願いを言葉で表現した。神もまた夕べを味わうのです。天津の水田から湧き出る宇賀魂米精の 米の種の 初代隋英を祀るチーダンスイを ガモ・ガビに 長御氣、遠御氣と ,大神の 大前に 衡山セットアップなどて , 褒める言葉は実はお祝いの言葉です。天の神は、「雌の魚か海ネズミの口を使って、人の侵入を阻止する」と命じたのがその理由です。 天帝、ワジナイ拓宣王く : 「誰もがそれを考えます。天と地が暗いとき、太陽、月、星が虚空に現れます。神々は地を歩き、空に昇ります。測定の柱は中国に昇り、上に来ます」 「六合を見ると、天照大神がそれを世話します。天元、天通の栄光です。皇帝と孫は中国の魏源に独占的に統治し、太陽の後継者を受け取ります。すべての聖人は賢者によって賞賛され、誰もがそうです」祖廟と土地の精神は独特の関係を持ち、公昭の守護は百王によって守られているため、天地人の運命に従い、皇帝と祖先の徳を崇めます。祖先を敬い、神を敬う 四方諸国に命じて天の貴賤を見よ 偉大なる功績は明日来るであろう 天に背けば道なし、地に背けば道ありしかし、外国に出て故郷に住むと、その国に根ざしたルーツを失うことになるので、天地を愛し、風雲を生かす者こそが道に従う基本であり、風雲を活かす者である。 「神を守る鍵。千の言葉を消して説明し、一つの心で選択を知る。それが運命に合わせ、神の魂を味わうことだ。」真実は明らかだ。したがって、神に犠牲を捧げるときは、静けさが最優先されます。私はいつもそれを手に入れることを考えています。物事や禁忌などは神様が司っており、礼拝や断食の日は、悪いことをしてはいけない、仏の教えを実践してはいけない、ご飯を食べてはいけない、また、食べてはいけないこともあります。神が味見する日まで新米を食べ、常に静かに注意深く、合掌して敬意を表し、断食役人を崇拝しなければなりません。 天と地は分かれておらず、陰と陽の区別もないことをガイが聞く前は、それは混沌と呼ばれていた。万物の霊は虚空の神と名付けられ、大袁神、国家の立神、共生の神としても知られています。シーイーは外を見ると、濃い大気の中で、空っぽだが霊的で、一体ではあるが肉体がなかった。したがって、大いなる慈悲の心をもって、自由な神の力はさまざまな形をとり、便宜と利益のためにさまざまな精神的作用に従います。それが表す名前は大太陽と呼ばれ、大空とも呼ばれます。それは万物の本質であり、万物を救う。この世の子供たちは母親の胎内にいるようなものです。また、斉の太神と越天尊は、天と地の間に、気の形と質が分離していないことを混沌と呼び、それらが示す姿を金剛神と呼んでいます。生化学的性質は万物の本体です。金は水に不滅で、火に燃えず、抜け目ない性質を持つため、神、大神とも呼ばれます。この大慈悲の誓いはすべての人に与えられます。雨宝は龍王の真珠のようなもので、その功徳は水の徳に似ているため、気を司る神とも呼ばれています。金と翡翠は万物の中で最も万能で、不滅で燃えず、割れず、黒くならないことから、その名がつきました。内側も外側もないので、それが自然です。人間は黄金神の性質を受け、混沌の始まりを耐えなければならないと言われています。したがって、態度を尊重する場合には、清らかさが第一であり、清らかさは格式から来ると言われています。悪に従うことは不純なものとみなされ、悪は不純なものであり、幽霊や神にとっては悪です。 ザイ宮殿の柱と天台には皇帝の碑文が刻まれています。
天照大神宮殿の王の姿は、玉座に座る太陽神に似ています。
Zhiqi Tai Shen Gong は、天の位置に座っている月のように、形を制御します。
明・元の八大陸のうち神と大地だけが獣の姿をしている。したがって、皇帝は長い間座って太陽と月を記録し、宇宙の薄暗い街路を照らしました。この国は天と地を結び、その歴史は永遠に続きます。無邪気さの明確な道、幽霊と神の柔軟性。人々はとても幸運です。蛇は東西左右に4匹います。 ハートの柱。[一つの名前はTianyu Zhu、別名Ji Zhu、Tianyu Liangzhuとしても知られています。】
天の四徳と地の五行に対応するといわれ、直径四寸、長さ五尺。五色の竹ひごを絡め、桜を八重に包みました。これはイーミヌオとイーランランの鎮府であり、陰陽の変容の基礎であり、神の変容の心のプラットフォームです。皆、天の心と一致して徳を高め、皇帝に還って国を助けなさい。したがって、皇帝は数えました、世界は堅固です、岩は永遠です、岩は堅くて動かないのです。常にその座を守る36羽の鳥と12神王がおり、彼らがいなくなると世界は危険にさらされる。 天秤おめでとうございます。神の指示に従い、トゥ・シー・ウージの父親はユー・レンの命を奪った。埴 、天秤を作り、神を祀ります。宮殿への入り口は 80 か所あり、そこには柱や木が置かれています。そうすれば世界は平和で豊かになります。神々は宝物を受け取ります。
・ジユン。
文治元年 4 月 21 日、正宮と偽宮が移転され、外宮は李広中と名付けられ、この書は完成した。
当時。
曾祖父私は彼を72歳の時に見た。祖父ピ・ジアン、61歳。【ゆ】六十歳で会う。
イー・ウェイ・スイに 注文の条件。心配な場合は、すぐに書いて変更することができます。修正しました。
貞治6年4月28日、イー・ミー・イー・シン・ジョン・シェン・チューは自分の本を書き、それを照合するよう命じた。
雍正本『奥書』には次のように書かれている
。 [ただし、高倫は文治元年四月に二行の論文を書いているが、延家本と変わらないので省略する。残りのテキストのみが左側に表示されます。】
英忠は原点と同じ流派を書いています。地海二十七、原点は習主業。知識として覚えておいてください。
ジハイ 二月四日
その時、天照大神は日本の姫君に「ここは神風伊勢の地だ。世の波が荒波となって帰る国だ。隣の国が気の毒で、私もそうしてもらいたい」と指示した。この国に住め」ということで、泰神の教えに従い、伊勢国に彼の寺院が建立されました。鎮宮は五十鈴川のほとりに建てられたため、鎮宮と呼ばれました。天照大神は天から降臨した場所に由来します。 天皇彼の治世二十六年目、冬の十一月、それは新味祭の夜であった。80歳の主の家族の布告は次のとおりでした:「今夜私は至高の神の威光を受け入れ、あなたにそれを委ねます。神の主は物事のタブーに何の落ち度もありません。私はそれをはっきりと聞きました」 : 「人間はこの世界において神聖な存在です。なり、手のひらは静かでなければなりませんし;心は神の主であるたり、 悲しまないでくださいれ。神は祈りを第一に考え、ミンジは誠実さを基礎に置きます。わたしがこの誓いを立てる限り、大真理を成就した者たちに天下を和ませ、日月は聡明で、風雨は適時となり、国は栄え、民は安らぐであろう。安全。したがって、神と人は混乱の始まりを守り、仏法の息吹を抑えます。それを高い台の上に置き、神を礼拝し、一心で暮らし、朝廷に祈りなさい。そうなると天地と龍図は長い運勢となり、太陽と月は鳳凰から遠く離れます。国は平和で人々は豊かです。神に犠牲を捧げる儀式では、純粋さが第一にあり、真の信仰が基礎となることを忘れないでください。断食の内も外も清らかな日には、たとえ幸せでなくても、悲しくはならず、誠実さを失うことはありません。抜け目のない人柄で、物事を左から右へ動かすことは決してありません。戦争しても無駄だし、音も聞こえない。口は汚れや悪を言わず、目は汚れたものを見ません。注意深く、誠実に、そして礼儀正しくしてください。法を暗唱してもそれを怠れば太陽と月があなたを照らし、法を犯しても裁きを怠れば神がそれを覚えてくださるでしょう。そして神代には、人間の心は神聖で不変で、まっすぐでまっすぐです。しかし、地神の果てに、世界四国の民は心に闇を抱えていた。存在と非存在には別の名前があり、心はさまよって落ち着く暇がありません。そのため、心が傷つき、精神が分散してしまいます。神がいなくなると肉体も失われます。人間は天地のオーラを受け取り、そのオーラの変容を重視しない。最初彼は神の光でしたが、神の禁止を信じませんでした。故に、生と死の長い夜の暗闇の中で、私は国の根源を唱えます。私が皇帝に預けられたので、四天導師は私に比喩を熱心に教え、善行を実践する方法を教え、武器とともに法を教えてくれました。タイシェンは元の家に戻ります。』と託宣へり。祭りの期間中に自由に発表すると、明の大世帯が開かれ、音が見えなくなります。あるいは、少女は茅の葉の上に立っている、彼女は自分の言葉を試しなければならない、乱暴な言葉を信じてはいけない。天地の正式な陰陽から見て、ヤシの木は独善的に保たれるべきです。それは不死の魔法、不老不死の万能薬です。」 神の主の務め、タブーなどを宣言する権限が与えられました。誠実に誠実に行動し、決して役人を欺かず、天地の神に犠牲を捧げなさい。 纏向珠城宮御宇定史二十六年冬十月、賈子、天照大神は五十鈴原に移された。
この年、日本の皇女は80歳の一族に勅令で次のように命じた。の荒草木根苅掃ひ,大石小石造平て,遠山近山の大きな峡谷 小さな峡谷に,立並木を、ザイブのザイアックスをによるて,伐採て。本末をは山祇に犠牲を捧げるて,中間を我慢してくださいて、ザイ・ジをによるて天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知て、下津番家に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮、伴神等をタウンシートもございます。宮殿を建てる場合、柱は高く、板は広くて厚くなければなりません。かれ。それは皇帝と天の運命、国の洪水ですは,宜助神器之大造なり。天皇の厳命を受け継ぐて、太陽の小宮の宝基礎を移し、伊勢に二つの宮を建てた。」 泊瀨朝倉宮御宇定始二十一年、太神玉宣帝の勅命によりて。
来年、呉呉が年をとった秋の七月七日に、大補佐に任命される。て、丹後王国と謝県の涸沼の山にある魚原山から、斉皇大聖皇帝を歓迎しました。山田原の精神的な場所の下津番家に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て、それを定峰と呼びまする。
その後、彼は「私が犠牲を捧げて公務を遂行するとき、私はまず公務を遂行し、斉泰宮に立ち寄って、それから私は熱心に公務を遂行することができます。」と再び委任を述べた。まずは斉宮殿に立ち寄ります。神宝を確認し、神聖な場所と神戸を設定て。二所皇太神宮伴神、相殿神の朝大御饌、夕大御饌を日別齋敬供進之。隨天神地祇之訓,土師物忌取宇仁之埴、工芸品や秤や壺を作り、神々の宮殿に犠牲を捧げます。80 の開口部を持つ天秤壺、柱、木の根を分離します。天照大神宮と中結記大神宮には八百人がいる。荒西高宮、月読宮、伊佐波宮、滝原宮、才内宮の入り口は80か所あります。これは世界平和の吉兆であり、神に認められた宝物です。
2.偽の宮殿と宮殿の移転 氷乃宮まとい15歳、9月15日、伊勢天照大神大神御所を偽御所に移される。フェリーの本体は偽の堂に安置され、[黒木の板で修復された]。】宮殿を建てる。
同日夕方、遺体は宮殿に移送された。法令によると、ワニョンは税務職員であり国の財産だという。宝物殿は修復中、偽りの宮殿に移された。興興島の長さは95フィートです。当時、易季陸碧明、易若子明、大呉季大阿李明は正台を崇拝した。妻、妻など全員が壁に入り、設置しましたて、とげの羽やその他の所有物で覆われています。て、幸運を現実にする人。 中蓋帝は3月に5歳になった。 仁徳天皇 は9月で10歳。 允恭帝は 20 歳で、10 月に幸運にも宮殿を宮殿に移すことができました。 天皇即位十二年九月十一日、皇居、皇門などが朽ち、損壊した。その法令に従って、偽の宮殿が建てられた。
旧暦 11 日、殷は王像を彫刻して偽殿の後ろに移動し、正殿を修復しました。
夕方、徐娥で宮殿を宮殿に移した。神は鳥、些細な事柄、禁忌の対象、側室や妻などを崇拝します。国が凡庸を調整して土地を貸す場合も同様であり、偽の宮殿や宝の宮殿が作られることもある。 秦明帝即位5年9月、太子は豊庄宮の偽宮殿に祀られた。 永武帝の即位元年、3月の冰武。 推古天皇二十一年八月。 孝徳天皇は即位3年8月、太神宮御所に移された。
同年9月、黄台神社の偽宮殿を宮殿に移した。 天武天皇元年仁神十月、豊庄大神宮が被害を受けた際、宮司大地は馬も育てて勅令を発布した。国務大臣が神税、本税等で偽神殿を造るために神戸、国民等を派遣したとき。鳳前正台。このお寺の修復工事が終わりました。
天武天皇朱雀天皇三年九月十日、右大臣より勅を預かる旨が告げられ、伊勢の高大臣二宮の神宝は神宝となった。使者によって彼に贈られた。「20年に一度は転勤を命じられる」との法令が発令され、これが定例として定着した。
朱雀治世 3 年目、カンを例に挙げてみましょう。両皇居の宮殿の建物、御門、御城壁などが損傷した場合、宮廷大臣はそれらの修復を命じられた。文書によると、法令が発表され、宮殿への移動期限が決定されたという。さらに、外庭、宮殿の建物、帝国の倉庫、四方にある多数の帝国の城壁を建設および追加することができます。 致東皇帝の治世 4 年に、太神宮殿が宮殿に移されました。【東本御殿。】
同年仁辰六年、鳳寿は太神宮に移った。【東本宮の地上席。] 円明帝の治世 6 年に、太神宮が宮殿に移転しました。【西宮殿の拠点。】
同じ4年に、鳳寿宮が宮殿に移転されました。【西宮殿の拠点。】 聖武天皇の治世九年定海九月、他の宮殿はすべて宮中に移された。荒廃した犠牲宮殿では、偽の宮殿に古い遺跡が建てられ、東宮殿に移されました。当時、正宮の西宮殿である鳳寿宮の地上席が王位を置くために使用されていました。黄済宮と高公章の周りには、に皇室の座席。真ん中は偽の宮殿の場所です。神社法は古い痕跡を変えるものではありません。同じ絵の痕跡がまだ残っています。 天平孝謙帝の聖宝の治世の初年に、彼は醜くなり、鳳寿宮殿、他の宮殿、および高宮殿は他の宮殿に移されました。 二十一年に一度、新宮殿・偽宮殿の造営の際、神・物・玉紐・側室・司等を祭柱に祀り祭司を務める。古い柱は人々の反抗的で純粋な精神の宮殿の敷地内に置かれています。あたかも神が臨在しているかのように礼拝の状態を保ち、自分自身を明らかにしないように注意してください。 3. 神社内のすべてのオブジェクトと 心の柱。一人は季朱、もう一人は天宇梁朱です。これは気の根源であり、天地の形であり、陰陽の源であり、万物の体である。したがって、天皇の命令、国の安定、富裕は永遠に続きます。夏都のパンゲンには宮殿の大きな柱が広く建てられていました。タイトルはヤンに与えなければなりません。 岩の根は地球のチャクラの純金であり、純粋な自己美徳であり、永遠の宝の座です。如塘金石村く常磐、堅磐に無動く公珠太富利て,いわひそしてさし運命を与えてください。 泰神宮の東側と西側の宝物は正殿に続いて栄えました。これは偉大な太陽であり、最も尊く、最高かつ比類のない精神です。したがって、微塵にも耐えられず、何も見えなくなりません。万物は太陽神の光を受けて、その原因と条件を知っています。
都恵宮は正殿の正面に建立され、因果として土地に有利な条件を与え、一切の衆生を養うという広大な慈悲の本来の誓いに基づいています。 東文少史。
黄台神社には太陽と空が形をしており、六和の中心体は単独で存在しており、任天真はそれを理解しています。五行の中には火があり、五色の中でも白なので白銅鏡が祀られています。
鳳寿宮は、8 つの大陸の中で月と空の形をしており、心と体の平等で完璧な関係を表しています。五行の一つが水、五色の一つが赤なので、金銅鏡が祀られています。【金は一種の知恵であり、明確な意味を持っています。】 鞭を振るう者は、神と大地の美、民の長寿、国の均衡、民の手綱政策を担う。したがって、スタイルには名前が付けられています。 何千本もの木々は知恵と正義を表し、風と戦います。義人はまさに天国のように慈悲深いのです。賢い人は神のように霊的です。風は気であり、天と地の間には、風がなければ動くことも動くこともできない。したがって、神は風と雲に乗ります。冷たくて優しくて、突然風が吹いて。したがって、虚空では音はなく、聞こえるものだけが存在します。人は目に見えないところで自分の心を明らかにすることができ、そこに真に帰依することができるのです。人々の集まりが徳の大いなる道への鍵です。 何千もの木片が散らばっており、水と火の上昇は天と地のしるしでもあります。したがって、それは太陽と天の知恵と意味です。驚いた人は上を向いててによるて開口く, ここは月と空の水利施設の一つです。任水德、馮寿黄泰沈をは名前はYuqidu Shenyeです。【天の神は上に口を開け、地の神は下に口を閉じる。】これは、陰と陽が徳に変わることです。 無垢の魚と木が星の形をしています。世界を守る瀬戸際にいるのは星に匹敵する。人気は天に昇って星となり、善気は善星となり、悪気は客星となる。美徳と良いカルマは悪いことを引き起こします。 皇門鳥居は八大陸のうち四方にあり、西は知恵の門です。したがって、そこには西を呼ぶ鳥が住んでおり、偉大な知恵が心を浄化します。陰陽の始まりは明代の始まりと言われています。堯明の門を出入りする王と臣下は、平和で清らかな宮殿にいます。 瑞源、玉源、黄源は、天、地の五要素、あらゆる像、五感の四徳を備えています。天地と人形、人体と宝庫は、名前は違いますが、根源は同じです。 榊、まさに徳の木。自然の正義を守り、冬も夏も緑を保ちます。したがって、すべての木の中で賢い木を榊と呼びます。 御船代(みふねしろ)、もししろ(もししろ)、神宝、神が作った形をした器。 大神殿の宮殿の形は錦や御衣で装飾されており、天皇が常にそこに住んでいることを意味します。
鳳寿宮で王家の衣装と馬車を着た者たちが、宝馬車に乗ってこの世に戻り、数千の命を生きる理由。
4. 神鏡は物の上にあります 神鏡は物の上にあります。
片面は月と空から映した鏡。[グラフィックス。】崇志友奇沈宮殿もです。
一方では、八百万の神々が石で作った貴重な鏡を作りました。こちらが崇泰神社です。【日本のイメージは八咫鏡です。バタとは八つの頭という意味です。花咲八葉鏡。中央のプラットフォームには清明節のグラフィックベースがあります。】
一方、私は数日前から宮殿に座っています。石の凝縮の古の神はそれを鏡に投げ入れます。初めて鍛造されたものは神の意思に沿わないものでした。紀伊国は神様です。
片側には侍従が座る鏡があります。礒城瑞籬宮御宇皇帝は次第に神の力を恐れ、同じ宮廷に居続けることに不安を感じたので、西武氏に命じて石寧老沈の子孫と天武一の子孫の二氏を率い、剣と鏡を鍛錬させた。御璽を守ること。
両面の人は、太陽神と月神が変化させた真の経典の鏡である。[真理を主張する者は天の道を神とする。経典に従う人は、本物の道だけを考えます。仁は人類の道である。鏡は明るい心を映す鏡です。何事においても聡明であるという徳目は、混乱する前に本来の本質に従うことである。天、地、人のこれらの 3 つの才能は、純粋に受け入れられ、霊的な心で求められ、無形の現れであると見なされるべきです。そこで位相のない鏡を神体として用いるのです。】 神イミヌオとイランランが持つ秘蔵の鏡は、世界が開かれた時に現れ始めた鏡だった。一つの気は天地となり、天地は鬼神となり、鬼神は鏡となった。日月はこのように移り変わり、水と火は徳を利用し、万物は軽率である。したがって、荒れ果てたいけにえの宮殿の高宮の神の姿をした人物なのかもしれない。2つの黄台宮は摂政の役割を果たしているため、黄フン宮、合フン宮と呼ばれています。日本の皇女は、太陽と月で作った神鏡を鋳造するよう命じ、それは東青神社にも受け入れられました。 日本の王女は神の指示に従い、二人の皇帝の協力を得て、彼らを伊勢王国のユゴン宮殿に移しました。大小の神々を崇拝し、さまざまな表情を見せる神仏を讃えます。それらは天や地上にある霊的な物体である場合もあれば、皇帝が作った剣、鏡、玉、壺、金、石で作られている場合もあります。鄭宮に建てられ、天府明儀らが鋳造した83枚の鏡、52本のブロードソードと小刀、42種の武器、弓矢、神財などが納められ、大型の貨幣も納められていた。準備した。 カポックとは、木目の木を使って白河コインを作ることを指します。名前はムー・ミアンです。七代目の天の神と五代目の地の神、神々と人間は皆、木の皮と蔓でできた連続したローブを着ています。純粋な断食の日には、純粋な犠牲の服がその理由です。無邪気さを明るい服装として取り入れてください。 コインやシルクを身に着けている人は風と心の使者であり、心を使って美徳を整えます。 大麻は不純で妄想的な執着を和らげ、純粋さの源となります。そのため、神の国、完全な祝福と知恵の国を守る鏡と言われています。悪魔を鉄の境界線に移動させ、悪を他の領域に移動させます。自分自身の純粋で正しい心は、罪を滅ぼし善行を生み出す神のマントラでもあります。したがってそれを祓といいます。神々は彼らを追い払うように言った、こうなるはらへまた。 7 つの言葉で言えば、仏陀、[中性子と呼ばれます。】ジン、【染紙という。】塔、【名前】荒木。】寺院、【瓦屋根と呼ばれる。】僧侶、【髪が長いそうです。】に、【女性は髪が長いと言われます。】速い。[ピアンシャンと呼ばれます。】
7 つの言葉の外側、死、【呼ばれる】治。】病気、【名前】休。】泣いて、【ヤン・チュイと呼ばれる。】血、【言う汗。】打って、【落ち着いて愛撫してください。】卍、【細菌と呼ばれる。】のお墓。【土の重さを量ります。】日本の運命の女神も託される。また、7つの別れの言葉とタブーの言葉、唐(シャンランと呼ばれます)
もあります。】ウパサイ。【焦玉といいます。彼らはこの世を超越した仏弟子です。】
五、六色の禁法 六色の禁法。病気に関するお悔やみ・お問い合わせ, 【重度の家族との死別や病気を抱えている方は、生前供養に限らないと言われています。】食と死、刑罰も死もなし、犯罪者も罰なし、音楽もなし、【つまり絹と竹の歌と踊りなども禁止。】悪いことを予見しないでください。【悪とは不浄なものであり、幽霊や神にとって悪である。仏法とはそういうものです。】
断食の前後、礼拝日中は、僧侶や尼僧、厚着をして愛を掴み公に奉仕する者は内部に立ち入ることができません。軽い奉仕であっても、断食前や断食明けの日に参加することはできません。
伊勢大神宮の祭神、その妻、妻等、僧侶、尼僧、犠牲の日に愛を掴み民に従うために厚着をする者、薄着を着て旅仲間と性行為をする者。 、断食中に弔問をする、質問するなど6つのタブーを犯した者は、易家尚祖[ゆんゆん。】。
大神宮殿の第 4 四半期では、シャーマニズムの実践を禁止されている人々が、神からそれを宣言するよう託されています。これが、庶民が愚かで、邪悪な言葉を信じ、多くの呪文を唱え、正しい原則を隠す理由です。【ゆんゆん。】
6.神を敬い、仏を敬い、神道に仕える ことは、混沌の世界を離れ、再び混沌の始まりに戻ります。三宝は有・無の観を打ち破り、仏の本性が宿る場所です。神は悪を罰し、正義の源を導き、仏は見かけを破壊する教えと命令を定めます。目は無駄に見ず、耳は無駄に聞こえず、鼻は味気ない香りを嗅ぎ、口は無駄に話さず、手は無駄に握らず、足は無駄に動作せず、本質は無駄には適用されません。彼の死はこれと同じくらい素晴らしい。
家に帰ると混乱の話をしますが、酒井は華徐と同じです。何もしなければ命令する暇もありませんし、言わなければルールや規則などどうやって使えるのでしょうか?それでプーは貂王に行き、あらゆる段階に到着しました。前皇帝と後国王はいずれもネットワークと重複する規則を維持していましたが、3 つの章を廃止することはできませんでした。したがって、罰せずに教え、最初に防具を注文してください。怒らずに罰し、張炳魯は後で従うでしょう。】。
勅令:災いを除き福を呼び込むには、冥界に頼らなければならない。神仏を敬い、平穏を第一に。今日聞いたのですが、各国の神々の神殿には悪臭が漂い、野良動物が徘徊しているそうです。これは神を崇拝する賜物でしょうか? イーグオ部門の責任者は、コインと絹を自分で持ち、片付けに気を配っていますが、それは常に時間の問題です。 神亀二年七月二十日
、七月七日、奥州李弁 [やしろべん奥州雲]
弁治雲、
弁雲は黄台神社の宝物の基本図を記したと述べた。と秘密の宮殿 [ベントゥ リカーパレス]について言及されました。】
天慶五年仁陰九月二十三 日 太 神宮記 殷三年三月二日 延吉の神が書き記したもの 献経の原本が書かれている 外宮の神 による志興中【判決】 僧侶の丁世青の版を比較・改訂したもの。
延慶3年3月17日に書かれた黄大神社の力は、荒木田の神、あなたに 【判決】 末永くお楽しみください。10年旧暦 6 月 27 日、金剛仏春雨がクアン卿によってこの本に書かれました。 ミンイン四年間十一月廿四日 書之 禰宜荒木田神主守晨 永正元年荒木田の神、利重が七月二十三日
に記した五冊の伊勢本は、玉木正英男から借り、高田三平の筆跡で書き写し、タリカ氏が添削したものである。
祥宝三年三月二十日、宜延寨の主人が
章となり、四月一日に改訂された
【
とも言われる】優宝の基本記者、沈吉秘書のキーワード、そして、二つの宮殿に伝わる古書。本書によれば、神亀二年七月二十日に勅令が出された。
神亀年に作者が書いたと思う人もいるかもしれないが、それは大きな間違いである。鄭氏、この本は延西以来、天慶以前に書かれたものです。なぜかというと、この本には延西格の序文が引用されていますが、天慶5年に書かれた難解な本もあります。残念なことに、半分以上は 2 つの部分を組み合わせて混合したものです。後の賢人はそれを削除して修正することができます。
そして、『You Yidu Huixing Zhongshenzhu』は世代から世代へと受け継がれてきたため、2 つの流れに転写されてきました。第一巻は延慶治世三年に荒木田という神によって書かれた。最初のコピーは、テキストの出版から4年後にDuhui Godのマスターに渡されました。その後 300 年にわたって、ウー・ヤン・マーによっていくつかのコピーが書かれ、接続されました。今日では、この 2 つの学派が組み合わされると、言葉や文章が間違ってしまい、スピーチが破綻してしまいます。
残暑は恥ずかしいですが、神道繁栄の為、修正・修繕させて頂きます。まだ省略されている部分がありますので、オリジナル版を参照してください。
寛文9年7月11日 權禰宜正五位下【都匯の師
顔賈[都匯編奥書の一句][文永三年、爾粛太神宮の宝物の基本的な姿は次のとおりである。 』は矢代版と本文が同じなので省略します。】
建治三年丁周九月二日、楊一都恵神主の忠誠状の数次改訂が完了し、後世、
亀鏡と孫の証を超える者は行くことができないこれは秘密中の秘密です。多額のお金を使った場合は譲渡しないでください。 延文四年十月十日、馮は太神宮の権威を授けられたので、四方の神主光官に会うのが適切である。 燕文四年十月十日、私は宮廷に行きました。当局によると、神々の主に会い、それを書き留めるようにとのことです。神法と音楽とは何ですか? 最後 の所作です。州都での書き込みは解釈できません [春秋五十五。】
【李書雲】
古代の秘伝によれば、伊勢の二つの宮殿は金の二つの部族の祖先であるという。 日本の 天皇。
天と地が分かれ、陰と陽の区別がなくなる前は、それは混沌と呼ばれていました。万物の霊を虚空神、大元神、国立神、共生神とも言います。
Xiyiの視覚と聴覚は外にあり、空気は濃いです。空虚だが霊的、一つだが肉体はない。したがって、広大な慈悲は、さまざまな形で現れ、さまざまな精神作用に従って自由な神力から生じます。便宜上、大太陽と呼ばれ、天の大神とも呼ばれる。それは万物の本質であり、万物を救うことができる。この世の子供たちは母親の胎内にいるようなものです。 月の皇帝。
天と地の間には気質が分離されておらず、これを混沌と呼びます。示された姿は金剛神と呼ばれる。生化学的性質は万物の本体です。ダイヤモンドウォーターにも不朽,火も燃えないなら、あなたは本質的に抜け目のない人です。したがって、シェンミンとも呼ばれ、タイシェンとも呼ばれます。この大いなる慈悲を誓います、誰もがそれを思いつき、その宝は竜王の真珠のようになって、何千ものことに利益をもたらすでしょう。水の徳を表すので、玉Qidu Shenとも呼ばれます。
金と翡翠は万物の中で最も有用であり、不滅で壊れず、黒くないことからその名前が付けられています。内側も外側もないので、それが自然です。人間は神神帝の性質を受け継いでおり、混沌の始まりを耐えなければならないと言われています。】。したがって、私たちは神と仏を敬い、平穏を第一にすべきです。】。正しいものは純粋とみなされ、間違っているものは不純なものとみなされます。悪や不浄なものは、幽霊や神にとっては悪なのです。 10 つ星。
南の北斗七星と五つの町の北斗七星。
九つ星。【外宮。】、オールランドスターズ。【三皇。】の三大スター。【3本セットです。】、百観星など。【上段・中段・下段の席です。』、ユジンシェはルオ・リーシンを守る。席は7席。 徳徳四年三月二日、伊勢の大奥の端に書かれたもの 明営四年十二月八日、朝、荒木田が目覚める [生年は 三十一歳。】
雍正九年七月二十三日の無記順忠。 正保4年10月25日に書かれ、同日刊行されたもので、右の作者は
皇族として生まれ変わった荒木田美重の原本の作者である。家庭用です。わかりました
1. 神代は 天地創造の始まり、神宝の日の出の時を記録する。王食都市の神と偉大なる太陽は、世界を永遠に支配する密約を結んだ。長寿の言葉が唱えられています。それは永遠にぶら下がっていて沈むことのない月や太陽かもしれません。あるいは神や皇帝、常に無限です。六和全体に輝きと輝きが輝きます。それ以来。 高天原に神の座す、皇帝の神、陸斉魯の美しい秩序は、て、八百万の神など。を,天之高市に、神ジジがくれるひ,神議議給て、大囲園の千千の瑞水の地は、私の子孫が王になれる土地また、靖国と平く、私たちの皇帝の皇孫が、何を食べるかを知るために天から降りてきました。と。すべてに依存するぎ、非常に依存していますし豊流中学校に荒振神等はを。神攘攘平けむと,神議議給ひ、すべての神々がそれを秤にかけたし,天穗日之命を送信とレベル調整けむと申し。
したがって、天は時を送りますに、この神は何も言い返さなかったし。次遣し建三雄の運命は父の命令に従うことて何も言わないでくださいす。又遣し田若燕も、コメントなしで言い返すて,高津鳥殃にによるとて、 立つに死ぬし。天津の神様ですの王室の言葉、へて。もっと量を与えてくださいて、Jingjinzhuming、Jianleiming、その他の二柱の神が天から降臨しました。ひて。
大己貴神,其子事代主神に言語て。即大己貴神の、平果が振るう幅広の槍でて。五月にはホタル、光の神、ハエの音、荒廃した悪霊など。を,神攘攘給ひ,神和和給て。言語の質問し、岩の根と草の葉のある木も語止て、魏遠の中国は駆逐され平定されましたぬと。人生に戻るせり。
当時は八坂瓊の曲玉、八咫鏡、草薙剣が三種の神器として用いられていました。て、天皇の孫に授与され、永遠に皇室の印章となるでしょう。して。この貴重な鏡を見てくださいこと、まだ私を見てください。同じベッドを共有できるして、ザイジンはそう思っていますし。宝作の繁栄は天と地のように大きくなるはずです。しと宣ひき。 つまり、天津燕霍瓊瓊忠君です。と,伴神天兒屋,命掌解除,宣く。もう一度祈ってください、すべての神々があなたを待っていますべ。このとき、世界は純粋ですと、すべてのダルマはイメージのようなものですまた。純粋で偽りのない汚れのないものし。言うことは不可能ですす、すべては原因から葉を生み出しますせりと、切実な言葉せり。Taiyu Ming は清河コインと白河コインを保持しています。け。天牟羅雲命取太玉串て。
三十二神前後にお互いにフォローし合う日々よりも、それぞれに独自の天国の門がありますき,披雲路けて、悪魔祓いひ,天之八重雲を、イー・トウの千の別れに千別て。紫の太陽の頂が高く 千穂が触れているに、天は与えるために降臨しますひて。彼は三万八千五百八十二年間世界を統治しました。当時、天と地はそれほど遠くなかったので、天柱は空の残りの部分を持ち上げるために使用されました。 天津炎火瓊瓊忠君。[確かに私は勝利し、勝利しました、スイリー・ティアンレン、スイ・エルズン王子。母親の銭吉は高帝の息子の娘です。】 燕フオフオがズンに会いに出てくる。【天津燕火瓊瓊中尊の次男。母なる木が咲いていて、彼女は山の女神です。] 63万7892年間世界を統治した。 燕坊も蓮武も鵜も草も尊敬に値しない。[ヤン・フオフオがズンディ王子に会いに出てくる。母親の馮裕基さんは海通さんの次女。] 83万682年間世界を統治した。
2. 神武天皇 神日本磐余彥天皇。【燕坊、蓮武、鵜は四男を尊敬するに値しない。母親のユウ・イージさんは海通さんの長女。】
皇帝は生まれながらに理解力があり、その考えは正しい。
15歳で皇太子に叙爵される。
彼が85歳のとき、彼は兄弟や息子たちにこう言いました。「昔、私の神、高黄には精霊の師と大いなる太陽、偉大な太陽があった。彼はこの風威源瑞水の国を育て、それを授けた。私の祖先であるヤン、火、瓊、瓊、杵です。それで、火の瓊が私に与えられました。瓊チューは天国の門を開き、雲の道を覆い、不滅の者を追い払い、暴力を止めます。これは偉大な時代です。荒廃し、時計草は無知であるため、私は義を養い、西側を統治するために使用しています。皇帝の祖先と皇帝はテストされ、神は神聖であり、彼らは富を蓄積します。清崇熙はここに来ました天祖が彼を逮捕するために降臨してから 1,792,470 年以上が経過しました。 [しかし、遠く離れた土地はまだ王沢に触れていません。そこで彼は都市を作りました。王がいて、村には首長がいます。それぞれが独自の領土を持ち、宰相の霊叔を使用します。 ]」 嘉陰元年、冬の十の月に、日本に送られました。皇帝は自ら王子と船長を率いて東へ行進した。
新游八年正月、宜源に都が置かれた。
皇室の邸宅を管理するて,皇孫命の美豆御舍を、公式の投稿をするて,天御蔭日御蔭と隠蔽て、四方王国を靖国と平ジエジウ知食す。天津西の剣、鏡を握って与えるて、単語が宣言されますして、天津リシを、千年は長い秋だに、 守るり奉祐るお褒めの言葉をいただきました。 ファン、神倭伊波禮彥天皇已下,稚日本根子彥大日日天帝は長い年月をかけて630歳を超えました。この瞬間、天皇と神は遠く離れていない。同じ宮殿に住み、同じベッドを共有するのが普通です。したがって、神聖なものと官物との間に区別はありません。
三、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇。
即位6年目の秋9月、季周は臥里郷鎮にやって来た。首里寺城の神は分離され、天照大神は草薙剣に移された。フォン王女は、家に入って菜食主義者として奉仕するように命じられました。彼はXibuに犠牲を捧げるために移動し、宮殿の全員が参加しました。彼らは一晩中ごちそうを食べ、歌い、踊り、その後、タイシェンの教えに従いました。全国どこでもに大宮處ををくださいへり。
皇帝は九人の皇帝を同じ宮殿に住み、同じ床を共有させました。しかし、次第に彼の力が怖くなり、一緒に暮らすことに不安を感じていました。彼は在部氏に石寧坡氏と天母宜西氏を率い、皇帝の璽を守るために鏡と剣を鋳造するよう命じた。本日建作の日に奉納される神璽の鏡剣です。【内務所とも呼ばれる。]
仁緒三十九年、ダンボーに移住。のジッツォパレス。4年間の蓄積を経て、馮寨さんは食料を求めて日本へ渡りました。
この年齢になると、風水傑という神が天から降りてきて、彼に食事を提供するために座りました。
冰陰四十三年、日本国の伊豆嘉知の正宮に移り、八年間菜食者として奉仕した。
嘉緒51年、宮殿は美濃国の渚浜宮に移されました。3年間断食します。当時は、季国祖、金沙蓮季馬盧、梁堤口、玉天。
丁周の治世 54 年に、彼は吉北州の方賓宮に移りました。断食歴4年。当時、治兵衛の国が建国中で、治兵衛が売っていた摘み女たちも迪口や玉田で働いていた。 辛司 58 年に三河に移住した。の御室嶺上宮。二年奉齋。是時,豐鋤入姬命:「吾日足。」と白し。
その時、おばあちゃんの侘びが一生懸命私に仕えてくれました。り,御杖代と定て。それ以来、日本の姫君は幸運をもたらすためにアマテラスを崇拝するように命じられました。【宰相の宮の神、天爾武と太魂は、宮開きの神、手と力の神、焼旗姫、門の神は豊四子と命の運命ちゅうししこ。五人の随伴神がいて、互いに仕え合う。】
桂魏60年、大和の歌秋志野宮に移る。私は4年間断食をしています。当時、倭国が建国され、女性の香包丁を集めて迪口と玉田に売りに行きました。
ワジ・ミンの御夢に: 「高天の本来の座は、私が見ている国です。に, ほとんど座って拝んでいます。」と啓蒙は教えますひき。それ以来、東に向かって、禹を乞う気は狄昭よりも長く続いた:「暗殺したい」て不正行為。義経ならば、未婚の夫と処女が再会する。」と幸運を祈ります。
その時、笹畑は、が門に、処女が参加します。それから尋ねてくださいく「あなたは誰ですか?」彼は答えました:「私を奴隷にしてください。は天見通命孫爾八佐加支刀部。【一名,伊己呂比命。】が兒宇太乃大禰奈。」と白き。また、詔書は「天皇と国民が官吏をしているというのは本当ですか」と問いかけ、「官吏を務めている」、つまり天皇も国民も官吏をしていると答えた。
処女を大物忌と定給ひて、天盤湖の事前に与えられたキーりて、邪悪な心はありませんして、忠誠心を持ってて,清潔くザイ・シェンみ,左物を右に動かないでくださいす、右側のオブジェクトは左側には移動しません。して、左左、右右、左から右も、すべてが計画に反する無くして、とても神聖ですに公務員を務めた。元の理由は元元です。また、兄の大黄は私に一緒に奉仕するように命じました。御嶽しのぐう神社から歩いて、笹畑御殿に座りました。
定海64年、伊賀坤陰市に移り宮殿を守護した。断食歴2年目です。
66 歳のとき、季周は通国宣水宮に移りました。4年間断食します。この時、伊賀国が建国され、ク山湖に入り、迪口、玉田、西林兪頭源、梁左藏などを合併した。朝と夕方になると気は回復します。[鱗の細かい魚、ナマズ。気をコントロールするということは、食事をコントロールするということです。】
四、垂仁天皇 活目入彥五十狹茅天皇。
即位2年目、伊賀国ガンドゥの美恵宮に移る。断食歴2年目です。
李四年の終わりに丹海佳可離雲宮に移った。断食歴4年。当時、丹海国が堤口と玉田に入って建設しました。
治海8年、同国の盤天宮に移った。2年間断食します。その頃、坂田君たちはディコウとユティアンに入った。
10年間の苦労の末、美濃国伊倉川御所に移住。断食歴4年。次回、尾張国中島御殿へ移動て, 3ヶ月の断食。日本の王女が国家安全保障を命令き与える。その頃、美農国祖らは王船に乗ってシレン、ディコウ、ユティアンの街に入った。し。同時に、美濃県の主人公であるジスプロシウムが二艘の船で宮殿に入ってきて、「船を持つ者は天の支配者である。船を有する者は天の支配者である。」と言いました。と無駄に前に出てし。女忍者たちは選ばれて売られ、迪口と玉田のもとへ向かいました。したがって、裏切りに耐えた息子が成功し、八十の鱗が進みます。 大富十四年、伊勢国桑名能代宮に移る。断食歴4年。その時、御子【名、旗主】の命により国が建国されました。】帝国政府に参加して共に仕え、国内の慣習は明確し。また、日本も建国への参加を命じられた。し, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く「神風伊勢國。」と白。ジンシェの弟イルファンは迪口、苅田、神戸に行くよう命じられた。また、息子の命であれば、家に入ってくる弟である人も息子の命のようなものです。今回は川俣県の創始者であるタイビ・グミン氏も参加しました。し, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「味酒鈴鹿國,なぐはし忍山。」白し。しかし、その魔法の力は命令に従って生み出され実行された。神田や神戸にも入るし。このとき、阿野県の創設者であるジェン・ムランジが誕生しました。に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「草陰のあの国。」シロて、神田、神戸に入ります。今回は獅子郡と建和古明の祖先に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「アサガ国に害をなす」白、神戸、神田に入る。 十八年に朝霞東堅方日之宮に転居。長年の積み重ねの後、4年間の断食が確立されます。時間ですに、あさかなY子に出久スブは座って注意を払った。他人を騙した者は50人に殺される。噛まれたら20人が死ぬ。ということで、伊豆素振り時間に。ウォビは宮廷のために一生懸命働き、息子と同じくらい大きかった。を進上而,彼神事を申上者。
「種種大御手津物彼神進。柔はししづめ平峰。」と,詔遣下給し。そのとき、その神は、を、アサカナシャンリン協会が決定し、その神を柔はししづめオファーて犠牲を捧げるし。あの時、ウォビは頑張ったよ」うれし。」と詔て。彼の地名てうれしと番号。
ただし、座るときはに、宇迦野宇迦範の祖先の息子である吉日日と慈善彦の娘であり、二人は血縁関係にあります。し。この質問はく:「汝等が漁る物体、何ぞ?」と尋ねるし。答白く:「皇太神之御贄之林奉上,赤貝を漁る。」と白し。その時は「時間の無駄だ」と。と勅令、その赤貝を『太神游志』に入り、左蒙を補佐するよう命令の木の枝を割取而,生燧きに受け燧きらせ給時に。その火燧り出てきて、くノ一を選んで売りましょうが秤を80個作って持った、イボビフに仕えるし。そのとき、季知妃の娘、迪口、虞天、虞麻園が入ってきた。 ある本にはこう書かれていました。美濃国から安穏富士角皿日の宮座に天照大神が帰還した。その頃、アンサガ山には野生の神がいた。100人来たら50人が死ぬ。誰かが人を殺せば20人が死ぬ。このため、和治は東海郡宇智村の五十鈴川沿いの御所に入るなと命じた。斉藤角駒日ノ宮に仕える。その時、邪神アンサガが動き出した。を, 倭氏は中大臣の岡島明、伊勢大輪子明、治部玉櫛明に皇帝への報告を命じた。皇帝は「この国では、ダルオジの先祖がティアンリに山を平らにするよう命じた。ダルオジは自分の神を犠牲にするよう命じ、日本の姫君を五十鈴宮に入るよう命じた。」と勅令を出し、様々な硬貨を与えてダルオジを送り返した。 . その神に犠牲を捧げる。確保・決済済みです。それがアンサガにおける人々が生贄を捧げる社会である。そして、日本の王女は座るように命じられました。しかし、物事を横切る人々に対しては、あえて代わりにそれを受け入れるつもりはありません。 ギチョウ治世22年に飯野高宮に移住。断食歴4年。その時、枋高県の創設者である竇宜佳竇は自分の運命を知っていました。に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「いすひ米高国。」と無駄に神田に入り神戸と合流。ワジ・ミン「ファン・ガオ」しとこれ以上高価なものはありません。」とハッピーギフトし。次,佐奈縣造祖彌志呂宿禰命に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「こもり多くの国家的野心を持った国、まくさむ毛草項郭さん。"白て、神田、神戸に入ります。そして、その日の運命と同じくらい大きなに, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「百張蘇我の五百本の茨の竹の国。」と白し。どこにユジルオゲイし。どこを櫛田と號給,櫛田社定賜し。
どこからして,御船乘給て幸いなことに、川の後ろにある川にさあ、座ってください。その時、自然と魚が集まりましたて,御船參乘し。その時、日本の王女は建岳に次のように命じた。て、 どこに魚見社定賜し。彼の運に従ってくださいなる、神に仕え、儀式に参加します。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「白濱真名胡國。」申。其所真名胡神社定賜し。また、易若子が麻神や狩猟の霊などを使うように命じた場合には、悪霊を追い払うために日本の命令に入るでしょう。つまり、弓兵や剣士も含めた随行者が揃って飯野高宮へ向かったのである。それから五十鈴宮殿に行かなければなりませんでした。それ以来、皇帝の皇子ザイグとイシ国の人々がこの川に来て、音を和らげ、鳴りを止めるようになりました。これも礼儀です。
彼の運に従ってくださいて、御用船は佐曇川に停泊していました。ひ。どこに左作木江宮殿は秩序を築き、船に乗ったし。大若子命:「白鳥之真野國。」と国壽き白し。どこに左作木江協会が設定し。そこからは楽しく歩いていきましたに、嵐はありませんして潮大淀度に淀度みて、帝国船は喜んで行くように命じました。その時、日本の王女はユエに次のように命じた。て。その海岸に大與度社定給し。 二十五年三月春、飯野鷹宮から五十御所に移り、座るよう命じられた。し。その時、ダルオはその日の運命を尋ねました。く。「あなたの国の名前は何ですか?」く: 「百隻の船が国中を航行し、イスの国は翡翠で飾られています。」と白て、ユヤンビン、リン・ディンフェンし。この宮殿に座ってて供奉。御井在所は御井と番号し。
【天照大神は日本の姫君に、「ここは神風伊勢の地だ。世の波が戻った国だ。国が可哀想で、私はこの国に住みたい」と教えた。大神宗を信仰し、伊勢国に神社を建立した。このため、五十鈴川沿いに斎宮が建てられました。ジパレスといいます。アマテラスは天から降臨した場所からやって来ました。】
その時、日本の皇女は詔を発した。く:「南山末見給は、縁起の良い宮殿で見ることができますゆ?」と詔て。ユゴン・チュリンに,大若子命を遣し。倭姬命は皇太神を崇拝て,小船乘給,御船に雑神や富は避けるべきを留置て、川から楽しく散歩しましょうし。川からして,御船後立し。その時、郵便使等はこう言った。うくる。」と白し。どこを宇久留と番号し。
幸いなことに、私はそこから旅行し、蘇河の厳厳首相に会いました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「狭い野原と広い国境の国」。と白て、佐々上 神田進し。どこに早川定田協会の定期供給品し。そこから行けば、高水の神があなたと一緒にいます。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「高田ユエ 深坂手カントリー」。と白て,田上神田進し。どこに坂手社定給し。幸いなことに、私はそこから旅をし、川は終わりましたし。川の水は冷たいですし,則寒河と番号。帝国軍の船がそこに残されていたて、つまり、どこでに御船神社定給し。幸運にもそこから出ると、王室の帽子を与えられました。し、 どこを笠伎と番号分岐。大川瀬渡船とのためにに、ルー・シェン・リシアンし。「はい、悪です。」 布告て、川を挟んで座らないでください。いつせを会うしかせし。そこから川を目指しますを幸行ば、砂流速セヨウし。于時,真奈胡神參相渡奉し。久瀬まなこみせて,御瀨社定給し。 そこから楽しく旅して、いい土地がやってくるぬ,真名胡神に。「その国の名前は何ですか?」と尋ねた。し。「大河の滝原の国」。と白し。どこを宇大之大字禰奈をのためにて、雑草注文苅サオて、宮殿は座るよう命じましたし。ここは、土地を与えたいという皇帝の願望には、悟りなしではし。当時、南から大河が流れ、宮殿の周囲は水に囲まれていました。に幸行に。美野に与えるし、宮殿から与えられたひて、 どこをカジノと番号し。
そこから頑張ってねに、私は長い間Du Yanに助けを求めてきました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。し。白く:「久求小野。」白し。日本の勅令く: "皇居を久求小野といいえて、 どこに久求社定賜。」于時,久求都彥白く:「ジーダパレスにあります。」バイし。どこに幸行し、沈源作がフェーズに参加し、御苑に入るし。この場所は喜んで寄付をし、庭園と社会は寄付を決意しています。し。そこから頑張ってねに, みおのはし。倭姬命愛で与えるて、つまり、どこでを目弖野と番号し。他の場所にラウンドなる有小山し。どこをラウンドと番号し。 ここから旅行できて幸運です、Ze Daoyeがここにいますし。どこを小野善道し。その時、達老子は彼に川から船を先導して会議に出席するように命じました。し。その時、日本の王女はダユエに次のように命じました。て,大若子問給し。バイ「ジゴンはどこ?」く:「さこくしろ魚池の五十鈴が川にいると、季魚関がそこにいる。"白し。あげるのも嬉しいですて、頼むく:「此國名何?」白く: 「帝国の船は天国へ向かう。」 バイし。私は王室のボートに乗せてもらい、そこへ行くことができて幸運でした。し。彼はあらゆる種類の神器を集めて自分の名を残すことを恐れているはボギー小野し。
そこから頑張ってねば、小浜があります。ワシの夫がどこにいても、し。于時,倭姬命:「御水飲」と詔て:「エル・ラオ」に、縁起の良い水はどこにあるのでしょうか?"聞くし。おじいさんは寒さを利用して水を遠ざけ、食べ物を与えましたし。あの時私は彼と彼の水門を褒めたに水饗神社定賜し。浜の名前は「大浜」。し。
しかし、二見浜見船里。その時達若子は命じた。に, 「国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く: 「早く二人で、二人でこの国を見てみましょう。」と白し。その時、海岸に停泊していた帝国軍の船は、て私は座ったまま、ドゥリの女性係員たちを眺めていました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。し。詔勅を聞くな、帝国の返答も白ではないて、塩をたっぷりかけてお召し上がりください。し。日本の王女は慈にそれを与えるように命令し、建多世はそれを与えるように命じた。し。于時,大若子命,其濱をロイヤル ソルトとロイヤル ソルト マウンテン 定峰し。
そこから頑張ってねて、川の後ろには五十鈴川があります。し。時,佐美川日子參相し。「この川の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「五十鈴川の女王」シロし。どこに江社定給し。幸いなことに、私はそこから旅行しましたに、荒崎姫が参加。「その国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「皇太神御前荒崎。」白し。"恐れし。」と神社より詔が下されました。
幸運にも川を旅することができ、ボートがそこに停まっていました。し地名:ミジンプし。幸運なことに、私はそこから歩いて行きました、そして、小島がそこにいました。し。ひさして、シャンモとハノイでお会いしましょう。て大きな家の前の地面などし。どこかに座ってくださいて、その場所の名前はDawumenです。し。幸いなことに、私はそこから歩いて行きました。そこはもともと神源河があった場所でした。波,苗草戴耆女參相し。「何をしているのですか?」と尋ねます。く: 「私は苗草奴、ユーチードゥ・リヌと申します。」と白く。もう一度尋ねたく:「などか書くのために?「ジンフバイく: "この国は鹿はザイマオを参照。」と白し。どこを鹿乃見と番号し。「それは何ですか?」と尋ねました。と「とかめ。」白し。どこをジー・ルー・ナイ・ユアン・ハオし。 從其矢田宮幸行し。次,家田田上宮遷幸し。彼が宮殿に座っているとき、Duhui の大旗が命令を担当し、Taishen 皇帝はの朝御氣、夕御氣處のおでん貞保し。宇遲田田上にさて、名前はスイティアンです。
その幸運から、直の根宮の席が与えられた。当時、出雲神の子吉雲武子命、伊勢松彦命、櫛玉命、その子大月御子桜大塔命、山上大山妻子徳水神等、川越五十鈴にてフォンユーの饗宴し。于時,猿田彥神裔宇治土公祖大田命參相し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。に,「さこくしろユチの国。」と白て,御止代神田進し。倭姬命問給く「縁起の良い宮殿はありますか?」と白九は答えた。さこくしろウチのいすゞ・オン・ザ・リバーは日本最大級の1台ですに優秀なスピリチュアル・アース・アテンダントなり。その中で、ウェンは38万歳から38万歳の間でした。にも未視知る太陽や月のように輝く霊的存在がいるまた。しかし、小さなものはそこにはありませんし。定朱が現れて玉座に座ると、それを捧げることができます。』と念ひて。そこにはに儀式の犠牲と申せり。」 つまり、そこから贈り物を受け取りました。て、プレビューければ、しかし、元タイシェンは与えることを誓ったひて、豊魏原瑞穂国内に,伊勢フォン・シュン国は,有美宮處りと見定給ひ、 天からして降参して座るひし。TianのNi Tai Dao、Ni Gao、Jin Lingなどが私の腕の中でとても幸せです。ひて、口頭で与えられるひし。 定史二十六年、賈子の冬の十月に、天照大神は五十鈴川に移されました。る。
今歲,倭姬命詔大幡主命、物部八十友緒人等,五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石、小石造平て,遠山、近山の大きな峡谷、小さな峡谷に立材を、ザイブのザイアックスをによるて伐採て,本末をは山祇に犠牲を捧げるて,中間を我慢してくださいて、ザイ・ジをによるて,天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知り、シアドゥ・パンゲンに大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮と座って下さい。その時、美しい船神、朝雄水神などが船を支配するようになりました。に上に乗るりて,五十鈴之河上に幸いなことに。その時、川のほとりでにして、日本の王女はユ・シャンを長官に命じました。汚れしけるをに洗うへり。それ以来、彼は余尚徐曾和と名付けられました。
彼らは忍者を集めて売り、鱗を80枚作りました。天府は孫に、鏡、ブロードソード、ナイフ、槍、槍、弓矢、木毛などと大きな銭を用意するように命じた。その時、太神天皇と日本の皇女はこう命じた。の御夢喻給く「私、タカマガハラ」に座っている張源は、まるで彼を見て、彼の野心を見たかのように、ウェン家に付き添われました。まきし国立故宮庁はここがその場所です。町り定り与えるといい感じし。」
于時,倭姬命,並御送驛使安部武渟河別命、和珥彥國葺命、中臣國摩大鹿島命、物部十千根命、大伴武日命,並度會大幡主命等に、帝国の夢の文書が教師に渡されるし。于時,大幡主命悅白く: 「伊勢王国を神風に変え、数百隻の船が恵県を航行しました。さこくしろ宇治五十鈴川町り定り玉座に座っています。」と国壽ぎ仕えるし。まるで太陽の下で行われる小さな宮殿の儀式のように、一晩中宴会をし、歌って踊ります。し。
日本の王女は、「朝国に来るときも、夕方に国に来るときも、波の音も聞こえず、弓矢の音も聞こえません。まきしめるこの国は福朗七宝国の縁起の良い国であり、神風伊勢の国であり、数百隻の船が行き交う県である。さくくしろ五十鈴宮に町り定り与える。」と国壽ぎ与えるし。
その際、朝廷に書状を送り返還を求めた。日本の皇女は皇帝に白い歌のように夢に戻るよう命じたし。その時、皇帝は食べ物を聞いたて,即大鹿島命祭官定給し。大幡主命,神國造兼大神主定賜し。神管造立。物部八十友緒人等率,雜神奏取總捧て、太夫伝が祀られています。銀興西宮は宇治市の五十鈴川沿い、王宮の隣にあります。日本の王女を燕に住まわせてください。
つまり、彼は八衞基の家を建て、天井に描かれている地治神の孫である八衞前基に、天上の儀式と同じように、太神王の衣装を織るように命じました。【玉志地典といいます。彼の名前は鄭公です。』の回では、櫛玉明、大年神、大山津見山神、朝雄水神などが供えられました。そこにはにして神社には一定の金額があり、神宝が保管されています。[イミヌオとイランズンが持つ白銅鏡には両面がある。これは日月神が変化した鏡であり、水と火の二神は霊的な存在である。】 日本の皇女は皇室の船に食べ物を運ぶよう命じ、皇室の食事と勅命が手配されました。幸運の島国、国東島に,「朝御饌、夕御饌。」と勅令によると、銭の娘である唐桂らは以下のことを命じられた。てと座ったまま酒井香美が注文した。し。戶島、志波崎、佐加崎島定給而,伊波戶居給而,朝御食べ物、シユ食べ物専用の場所。そこで日本の姫君は、ヒレの広い魚、ヒレの狭い魚、カイマンモノ、オツを含む王の船に留まるよう命じました。藻、ベンジン藻宜来に。海潮調和的で無関心ける。故淡海浦と番号し。射場戸井島名渡島、暗殺現場は司馬善と名付けられたと番号。
西の海からに、七西島にあります。南の塩は軽くて甘いです。し,其島を玉良杉野島し。それ潮淡滿溢浦名を生浦し。どこも関係あるよて神に仕える宮廷料理官を淡海子神と番号て社会から与えられたし。どこを朝御食べ物、シユ食べ物島定し。幸いなことに、彼のボートは次の場所に係留されていました。しでを,津長原と番号し、 どこに津長社定給し。 陰暦二十七年秋九月、鳥の鳴き声が高らかに聞こえます。て、昼も夜も騒々しい。「これは違います。」と宣て,大幡主命、舍人紀麻良と鳥が鳴いている場所に使者を送ってください。また後でば,嶋國伊雜方上葦原中在稻二基,生本は一基にのためにて、すえちほしげる。碧道、白振明、何 Zhezhuizha Mingし、この光景は明らかであり、鳥のさえずりは止みますし,返事申し。
その時、日本の王女が命じたのは、く:"恐れし。事不問ぬ鳥すら、天作皇泰神エルは物を崇拝します。を?」と詔て,物忌始給て,彼稻伊佐波登美神をのためにて、耳抜きにリンバて皇太神御前懸く真に玄峰石し。則其穗,大幡主女子乙姬に、日本酒の注文が行われ、王室の珍味が提供されます。し。何千もの税金が始まりです、これが理由です。米が育つ土地、千田No.し、イザファンという島国。そこに伊佐保東明神社が建てられています。黄大神は摂政の宮殿であり、ここはイーザ宮殿でもあります。ビヘ本物の鳥を名を大隋神といい、同じ場所に祀られている。そしてその神、黄泰神は雄川の後ろの葦原に石を持って座っています。して座る。その神は暁朝の雄山嶺協会によって建てられ崇拝されており、朱鼎齢が座ると、偉大な隋の神がそう言いました。 来年の秋、本名は鶴、黄台神社には天祥が北から来ますて、昼も夜も高騰し。百草のときしまた。日本の王女には別の命令が与えられ、彼女に会わせるためにスピードの神から遣わされました。また後でば、墨江宮前の葦原で鶴が今も鳴いています。使者が到着すると、葦原に稲が生えているのが見えました。は一つの拠点は、て、最後の八百スイマオも、サポートと歌い方し。使者が到着すると、音は止まり、空が飛びます。し。于時,返事白し。その時、日本の皇女は勅令を出しました。く:「恐皇太神入坐ば、鳥たちはお互いに幸せであり、草木はお互いに同行しています。稲一千穂八百オモゲれり。」詔て,竹連吉比古等に仰ぎ見ると、まず耳を抜いて半分抜くように命じ、次に高額な税金を納めたら切るように命じられ、太聖帝は耳を前に吊るします。彼。耳を抜きますは数はいいです、数は多すぎます。て、皇帝の前にぶら下がっています。それでも天津市は「何千の税金と800の税金で十分だ」と不満を漏らした。とさようならて正式サービスも。鶴が住んでいたため、バグラスウイ協会に寺院が建てられました。また、「五十鈴の川用水田」には、苗が足りないして,作食。」詔し。そして、「朝も美味しい、夜も美味しい」。の御田作,家田堰水道田には,田蛭穢故れば、生きていけないし。」と宣し。 また、いろいろなことが決まってきます。 中には7つの単語が入っています。仏陀を中子、経典を染紙、塔を梁梁寺、寺院を和牌、僧侶を長髪、尼僧を女長、菜食主義者をピアンシャンといいます。
外側の 7 つの単語。死をナイフ、病をイェスメイ、泣くをヤンチュイ、血をアシ、殴打をフ、死を菌、墓を悪、ウパサカをジャオボスとも言う。 また、悪魔祓いの法も与えられる。フーシー、バンクプット、溝埋め、ジーファン、ストリングソーン、生皮、背皮、シーフー、ここだく罪をば、天津の犯罪と告別て。
生きた皮膚を切る、死んだ皮膚を切る、母の罪、息子の罪、自分の息子の罪、息子と母の罪、動物の罪、白人、コクミ、カワリ、焼きの罪をば、死刑の犯罪とスコアを言うて。 天津金木を、細かく刻んだて、千席の席を設定するに置足はして、天津シュガは,本刈斷末刈切て,八針にとげを取り除きますて、 様々なの贖物等をば,案上案下に、海山などくに置足して,天津祝詞大祝詞事を宣れ、このようにしてく宣らば,天津神、國津神は,朝廷を始て、世界の四王国には,罪とクラウド犯罪は不在と、 純粋なに所聞食む。手のひらを使ってTai Zhen Ciを和らげますて、自然犯罪と国家犯罪を巨悪は排除される。 また、一年によって様々な表情があり、三祭には犠牲が捧げられます。ユウ・ジー、シマに神主等罷御贄漁て、島国の元ハーレムはユウカンアワビに託され、王魚などの魚は神戸の宇倉うくら島に運ばれ、神戸の人々はあちこちに預けられました。の奉留大神酒,御贄荷前等を、海山などく置足て,神主部物忌等忌慎て,聖朝大御壽を,手長之太壽と,湯津之如石村くに,常磐堅磐に、天津が訴訟を起こすのあまりにも伝わりすぎるを空にシェンと呼ばれ、一晩中ごちそうになり、踊り、歌いましたの、大きいものと小さいもの、長いものと短いものく国壽ぎボン。【十二の聖歌は分冊されています。年半ばのイベントレコーダーについても同様です。】
五、景行天皇 大足彥忍代別天皇。
庚寅二十年、日本の王女は「役人になるには年をとりすぎた。私では十分ではない」と命じた。ぬ。」と宣て。齋內親王に可仕奉物部八十氏人人定給て,十二司寮官等をば五百人の野王子、楠姫を動かすよう命じられました。
つまり、新史、嘉申の最初の月、春の 2 月に、彼は 500 人の野生の王女を送りました。を御杖代として,多氣宮造奉て、ザイ・シェンみ使用人に与えるように命令するき。伊勢斎宮見学の始まりです。ユアン、ワジ・ミン、ウジ・ジデンの礒宮作給へり,奉日神祀事決して疲れません。 呉緒二十八年春第二月、荒ぶる神々が多く出現し、東国は不安を抱えていた。
冬の十月に、レンツィ・シュオ・ギチョウ、日本の戦士ズンがやって来た。
呉呉の日、私は無駄に伊勢神宮に参拝しました。彼は依然としてワジ・ミンに辞任し、「私は皇帝から東へ行進するよう命じられており、すべての反逆者を罰するつもりだ。だから私は辞任した。」と述べた
。草薙の剣,受日本武尊。宣く「気を付けて、怠けてはいけません。」
その年、日本の戦士ズンは初めて駿河に来て野に出たが、山火事に悩まされていた。王の剣が雲に引き抜かれ、剣が王の草に突進する。命を救われたため、彼の剣は草薙と名付けられた。
日本の戦士ズンは冬の捕虜を平定しただけでなく、尾張王国に戻りました。納公卓源は1か月以上浸水し、剣は所定の位置に設置されました。彼は徒歩で山に登り、中毒で亡くなりました。草薙剣は現在尾張国熱田社にある。
六、雄略天皇 泊瀨朝倉宮大泊瀨稚武天皇。
即位 11 年目の冬の 10 月、日本の王女は孟暁に目を覚ますように命じました。く: 「ファン・タイシェン、私はどこにも座っていません」ば、皇室料理もアンブは食べ物の匂いを嗅ぐ。丹波国と佐野臣雛の魚原が座す、道教の師の息子はただの娘の齋奉,御饌都神知佑樹神すぎるを, 田舎に座りたいです。」とジュエゲを教えるき。
つまり、皇帝の布告は次のとおりである。「陛下が使者を放棄するなら、て,布理奉。」宣き。そこで、燕暁は率先して帆を背負い、二神の子孫を知っており、ザイ斧、ザイ笏などを使って山の資材を集めて宮殿を建てました。
来年、秋の 7 月、呉武 7 日目に、私は大左を使って私を助けるつもりです。て丹波国遊佐郡舞井原町出身して、 いらっしゃいませ気を止める太神帝。山田原との出会いの夏都パンゲンに,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て、落ち着いた席と、慈峰と呼ばれるり提供されましたり神賀吉詞白賜へり。
さらに神宝や神武具を神貨に集め、この地や神戸に神々を定住させた。て,二所皇太神宮の朝大御饌、夕大御饌を,日別齋敬供進之。又隨天神之訓,土師・物忌を定置。取宇仁之埴,造天平瓫八十枚て,敬祭諸宮。又,皇太神第一攝神,荒魂多賀宮をば,豐受大神宮に部下となる者も与えられる。
勅令に従い、二大神宮の宰相・宰相を務めた。また、道教の師ダンボーは息子に食べ物のタブーを与えるよう命じ、王室の米と料理のボウルを持ち込みました。これも料理のタブーです。また、スサノオが大玉に命じ、道士が神社の建立を命じ、そこに須阿玉子神社があった。また、大家が学会設立を命じれば、大ニュース社会も同様となる。宇立奈々の祖父である天海通命神社が創建されており、こちらは田辺氏の神社です。これが宇宙をコントロールする方法ですに,攝社卌四前崇祭之。
爰,皇太神重託宣く:「吾祭奉仕之時,先可奉祭気を止めるタイシェンパレス。そうすれば、私は宮廷の儀式に勤勉になれるでしょう。したがって、すべての犠牲はこの宮殿を最優先に捧げられます。イー・ファン・シェン・トゥオ・シュアンく: 「宮殿を建てるときは、柱が高すぎて、板が広くて厚くなければなりません。れ。それは天皇の繁栄であり国の繁栄であることは,宜助神器之大造また。「皇帝の厳命を受け継ぐべく、て、太陽の小宮の宝基礎を移し、伊勢に二つの宮を建てた。 天皇が即位してから 23 年後の 2 月、倭治は 80 歳の宮殿の氏族と物部を召集して発表するよう命じた。く:「神主部、物忌等諸聞,吾久代太神託宣ましましき。「心と精神は天地の基礎であり、身体は五大要素の変化である。また。元朝第四代、元朝初期に入ったとき、私は初志を貫きました。よ。神は祈りを第一に、ミンジは誠実さを基礎に置くり。あなたの夫が天地を敬い、神と先祖を崇拝するなら、祖先の寺院を決して止めることはありません。天の業を管理し、仏法を礼拝し、そして神を礼拝する。れ。太陽と月は四大陸に戻り、六合を照らしますが、頂上を直接照らす必要があります。』と、勅令は明らかです。私は法廷に祈り、礼儀として捧げますらば,天下泰平して、4人は無事ですならむ。」と、発表は終わりました。山の頂上まで後退して、私は石の中に隠れて座っていました。
7. 逸話集にはこう書かれていました 。和地内親王(わじひめ) 随仁天皇の次女。彼女は非常に美しい容姿を持って生まれ、幼い頃から聡明で聡明でした。神を通しての純潔の意味へり。故皇御孫尊のロイヤルスティックについてはて、太聖帝を崇拝します。三輪の宮宮発行て、国に奉仕する意欲があるき。 随仁天皇の治世25年、春の3月に数百隻の船が伊勢を訪れ、イスの国を翡翠で飾りました。に座ってください。つまり、タイシェンの王室の衣装を織るために神服織物協会が設立されたのが、これがマジジディアンシェンフーシェンです。[ここからイザゴンヤンという名前が始まりました。】そして、神の指示に従って神柵を築きましょう。
鼎司の年、冬十月、嘉子、風水が清里ペーストの地である五十鈴川に移った後を例に挙げます。て,和妙之機殿を、上流の五十鈴川とともに。日本の王女を燕に住まわせてください。その時、天鵬時事神は志泰生と苗勇儀に命じた。へり。正公といいます。 愛万祥ひよのみやみう,日本建尊,比比羅木の以八尋鉾根て,奉獻皇太神宮る。即倭姬皇女,比鉾根は、ナ・フェイナンて,皇太神の貴財とのためにて、バクシュン ジ パレス、[元方ジ パレス、そうです。】隠し状態て、太神宇陵皇帝のためにて,奉崇祭る。彼は、毎年夏、4月、秋に天井から8,000人の時事神の子孫に神服を織らせ、神に犠牲を捧げるよう命じました。したがって、それは神衣の犠牲と呼ばれます。
一般的に、ここは王道の世界、集中の場所、神戸です。神と大地を崇拝します。今年の装いはこの時期から始まります。 オポラセ・チブ皇帝、ユウに関しては、彼は生涯を終えました。当時の日本の姫君、大神、物司など。に託宣く:「天照太神は,日月と一般して、アパートでにギフトを作成するへり。鳳翔大神は,天地と一般して、国家を守幸給へり。そこで天帝と二柱の精霊が神風の地を訪れたひ、激しい波の地を探してて、天の玉座はあなたに与えられますへり。伊勢の二つの宮では、杵民王と宜蘭蘭が神を敬い、祖廟と神代の神は唯一の神々の集団であり、百王の集団であり、一人も二人も尊敬しない。神から自由になった者は息子であり大臣です。誰が抵抗できるでしょうか?や。」と詔ふ。 私は聞いた。大日本王国、神の国また。神々による寝具て、国の安全を確保し、国を尊重する。て、神々の霊力を高めるす。四に神を祀る儀式では、神の師である朱布が師となる。と。インズて, Da Ruoziは弟のRuoziに宮殿で一緒に仕えるように命じました。て、守護に良い、国のために祈るれらば、鮑作の繁栄は天と地のように無限であるべきです。
地を知ると心が生まれるとも聞いたことがあります。す、つまり自信を示していまする。蒙神明利益事は信仰の厚さに応じてと成り。世界の四王国の人夫等ににまで、敬意を表します。
八、神名社帳
天照皇太神,一座。【大日孁貴,此云おほひるめのむち。突然、音が変わりました。】
八畳間の鏡に座るユウシン。【バアと呼ぶ人は八つの頭のこと。】
項天の神、二席。【左天爾の家には名前、形、弓座があります。まさに太勇人生。剣座。】
一冊の本に記されている、天手力の神・万蛮風秋神吉明。
さびれた犠牲の宮殿。【黄台神社の荒魂。大神イパンナチから生まれた神。八十歳の神様とも呼ばれます。】
一つの名前、瀬織津は神よりも優れています、そうです。ロイヤルシェイプ、ミラーベース。
イザナギ ノズン。[左。】凌玉シェイプ、ミラーベース。
イ・ジ・ラン・ズン。[右。】凌玉シェイプ、ミラーベース。
月夜に運命を見る、二席。【形、人に乗った馬の形。ある本には、「王の姿は馬に乗り、紫色の王服を着て、金細工を施し、大剣を持った男の姿である」と書かれています。】
荒廃したソウルライフ。[右。』形状、ミラーベース。【飛鳥宮兪嬰年十一月十一日、弓神社を移転した。】
滝原御殿、その1。陵玉形、鏡台。水戸の神は須秋津の神です、そうです。
ビンゴン、1つ。[精霊は鏡の中に座って、形を制御します。蘇秋瑾の時代、女神秋瑾は神を売るよりも優れている、そうです。】
この二神は、海と川が分かれたことにより、八柱の神を生みました。
イーザ宮殿、1つ。[天莫羅雲の運命は天理の運命であり、玉竹寺の運命です、そうです。形、鏡座り。】
大隋神、その一。【国人神の子。石の上に座って形を整えます。】
星翡翠神。【五宝宮。そう、守護神、猿田彦大神です。ある本によると、防衛の神である孫太明はツゴン族の遠い祖先の神であり、五十鈴の本来の地主神であったという。】
滝祭御殿。【五宝宮。夏津地では水神、水の女神としても知られています。象の神。】
朝熊神社。[石の上に座っているZhiyu Ming、Ling。心と精神を守るために、石の上に座ってください。偉大な剣士サクラが花と木々の中に座っています。石の上に苔虫の神様が座っています。そこには山と岩が乗っているだけです。熊水神に向かって石の上に座ります。貴重な鏡の両面は、太陽と月でできた白い青銅鏡です。】
風神。【一、ジナトゥビ古神。広瀬と龍田は同じ神様です。】
ワインパレス。【天は広剣・ニボボ・金鈴を避けて隠す。】
大蔵神。献身的な女性であり、食糧守護の神でもあります。
オトはカイラスの神であり、天翔の神であり、一万の姫の神である。
扉の神様。風石窓とクラミストーン窓の神。
44年前に神に4つ。宮殿でそれを犠牲にします。
鳳翔大神、一。[元丹波王国と謝県のビエ山の頂上にある元のマナイ井戸は、皇室の珍味の神です。倉島フンとも言いますね。偉大な皇帝。皇霊の形は真京晋の鏡台であり、また円鏡であり、神代の三面にもある。天佑の主精霊。瓊治帝の治世39年39月7日、天から降臨して座した。】
宰相官邸には三つの席がある。[大きなもの、天津燕燕火瓊瓊中図、形を整え、鏡に座っています。最初の 2 つの席は天爾家の運命です。タイユーミン、形、ワット席、玉席、大左四角席、前方二席、右四角席。】
多賀御殿、その1。【鳳翔黄勲も。イパナキ神から生まれた神はイブキ家主と名付けられ、太陽神ジヒ・ダジビ神とも名付けられた。スピリチュアルな形状、ミラーベース。】
地球王祖神、二席。[Yujia は魂を制御する神であり、Tu は祖先を制御する神です。形、鏡座、水瓶座座。】
ユエドゥシェン。
小倉神チューン。【宇賀能美玉神、三狐神。形、形を尊重してください。食べ物の神様を守っているんですね、そうです。】
ワインの神様宮殿。[風雨はあなたが頑張ってフォウに座ることができたことを祝福します。丹波国竹野郡にある長社神社の坐神です。女神はワインの醸造が得意で、一杯飲めばあらゆる苦しみや病気が治るという。形状、石ベース。】
風神。【八風神。】
北夢社。【雷神は賀茂神社の神と同じです。形状、骨壷ベース。]
ユージンシェ。[天仁市長井水、そうです。セブンスターのリスト。】
皇門鳥居の四神。2番目の宮殿は前の宮殿と同じです。
大国翡翠美星神、二席。【命を大切にしているから、これしかない。ささらちゃん、頑張ったね。】
そうだ、ダジギシェン。[別名、大国の主神、大物の所有者、国の大貴族、醜男魏源、八千剣の神、大玉は国の運命を示す。】
9. 注釈と注記
:日本年代記。太陽神の王子、通称ヴィガーナは大国の主神とともにこの国を支える者、通称ヴィガーナは永遠の命の国に住んでいる。
神代から雲が降りてくる。高黄燦霊尊は物事の大神に命じました、「国の神を妻にすると、心が怠けていると言われるでしょう。ですから、私は今、娘の山水神司をあなたの妻に迎えます。それがふさわしいことです」八十万の神々を引き継ぎ、永遠に彼女でありなさい。」皇帝とその孫があなたを守ります。 本の注釈にはこう書かれています。フォントゥジーは言いました。夫、それで彼は杜恵県と呼ばれ、彼の母親は斉源宮の裕宇の隣にいます。神話版 ユウヒコ天皇,詔てティアンリが国に別れを告げたとき、ドゥフイ・ヘリ・サリンの怒りが爆発したて。別れの日、彼は「この小さな左王がここにいます」と言いました、そして使者明明が彼を見つけました、そして使者もまた話をしに来ました、そしてそこに大国の翡翠の神であるヘリズオが到着しました。
その時、大国の翡翠神はティアンリの別れの命令を迎えるために使者を送った。彼は橋を建設するように命令した。完成することはできませんが、現在は子貢が燕を渡る橋として使われています。大国の翡翠の神、佐々羅備子実は、独橋郷岡本村で首相を歓迎するために奔走した。て。沈天理の別れの命令:「地面からため息をつきながら、沈輝は剣はエルドゥ・フイヤンから来たと言った」 この名前のせいで。 ある本にはこう書かれていました。ゴッド・ワバン・ユウヒコ・ユウ・エンペラー、邪神訝りて、人々は滅び、怒りが起こり、世界は不安になりました。るに。孫の名において、私は命令を返すために使節ダジグシェンを送りました。て、軍隊が西の宮殿から東の大陸に移動するために送られたとき、彼らは大国の翡翠の神を崇拝しました。【自分の命よりも自分の命が大切です。】人生を再開した天皇は大変喜ばれ、詔は「伊勢の国を奪う方が良い」と言いました。て、それは空と太陽が死ぬ運命にある村の土地です。「
この世界は怒りに耐えられない、イセ・タハ・ズオシャンリン」に,造石宅住居て。天と日は違い、人を殺して荒廃させて魂を蘇らせ、従わない者には罰を与える、堺の山河が土地と町を決める。日と太陽を使って運命の息子を崇拝しましょう。これは都匯国の帝政社会であり、燕国が何祁堅や東明と出会ったのも同様である。 ディバインサービスマシンパレス。
日本の姫君は飯野高岡宮に座って機械室を作り、太神の王服を織るように命じられました。高公宮から正公宮に入り、そこで結社が設立されました。それは服を織る協会と呼ばれています。郡の北にあるマジ郷と呼ばれる人々は神にいます。これは泰神宮の荒れ果てた衣です。この村にはシェンマ・ジー一家らが住んでいる。名前のせいで。
天智天皇即位7年8月3日夜、二つの機殿が焼失した。トイレは偽の家です。
9月は王室の衣装が頑張ります。法令によると。その後、2 つの機械ホールがそれぞれ 30 フィート離れた場所に別々に建てられました。
推仁天皇の治世二十二年、三月の春、天皇は飯野の高岡宮に座していた。
二十五年三月の春、私は飯野高宮から五十御所に移りました。
二十六年冬十月、アマテラスと草薙剣は五十鈴川で出会った。同興ザイ宮殿は宇治県の五十鈴川沿いにある大宮殿の隣にあり、日本の王女は燕市に住んでいます。彼はすぐにバクサンホールを設立し、大神に王のローブを織るよう命じました。それはYuzhi Jidianと呼ばれています、そうです。[名前はジンゴン。】
磐余甕栗宮御宇3 年後、彼はベンフー織物協会に移り、偉大な織工に衣服を作るよう命じました。
難波長柄豐岐宮御宇炳武年、朱蓮氏と奉武氏の二氏がこの県を設立した。 大神殿の第二章。
イーミヌオとイーミンランは天地の霊神です。天照大皇大神社は天地の神々の中で最も高貴な神社です。我が国の神々や霊的存在の痕跡は、今日でも有効であり、空虚とは言えません。当時の大神、飛鳥孫玉斉がこれを書いた。元神胡清雲二年二月七日、丸五月にこの集を編纂すべきである。
ガイは、追仁天皇の娘である和神内皇子が、神々の神宝を祀ったり、神の体を祀ったり、あるいは神の明徳を強調するために変化する霊体を神の姿として使用したりするために、さまざまな神社を神々に託したと聞いた。 。【ゆんゆん。】
鴨本奥州雲。
この書は妲己四年十二月二十七日に書かれた。外宮でザキン神 [パン]に会い 、丁茂の年の5月にそれを書き留めると言われています。鳳寿大神宮では、神々に会うには四人の上位でなければなりません、その時は張尚 [裁き]
でした、それは呉緒25年、真夏の端午節の翌日の英永でした。完成して校正されました。 本云,時應永27年, 6月6日、執筆と校正が終わりました。
本書は山田岩渕栄全の秘蔵書であり、他の項の真意に基づくものであるが、かつて若狭国安積が住んでいたとき、越が書いた命令である。
Xidaiの雲は宝物であり、雲はその場所から出てきて、さらに比類のないものです。 右の巻には大帝の秘蔵書が収められている。修復する際、建てるのは難しく、軸に書かれ広東に残された桂明書を黙って従った。ツボの賢者はそう言いました。寛文 8 年の最初の 10 日に、李沢は これを印刷しました [ヨウインヨンの 27 年が経過し、李州の順序は省略されました。】 クアン 工業省の 5 人の大臣、
ワイランから始めて、それらを同じロールに巻き込み、その後、世界中に広める必要があります。
稲葉美濃氏が寺を守り、井上河内氏が寺を守り、寛文十二年六月下旬には学校が御所に統合され、同年には御所が統括されるようになった。
これは大納言堂の中央学院に報告されており、これは朝廷から逃亡した家族
や家臣の山本晋賢についても同様であり、これを一冊にまとめ、永井伊賀モーデンが編纂したもので
ある。奥州は言った。
ワジ・ミンシのジャーナリスト。太神宮の神々の書によると、二神の祖先である杜慧は気を制御するために太神宮の大神の著作を書き、これが武術丸の神である武術丸を収集した理由でもあります。四門外宮。現代では杜恵らの神々が失われ、後宮の荒木田らの神々によって代々受け継がれているが、他人の目に触れることを避けることができないほどの秘密であり、神々は絶望的な場所を心配しています。古文は京都に残されていなかったのですが、私が京都を訪れたので、行間に「ケ」という間違った言葉が残っており、それを羌瘣が古文書に引用し、正しい言葉と間違った言葉を古文書に使用しました。 「que」という単語を修正および修正し、不足している単語を埋めるための日本語テキスト さて、古代の点を追加します、元のバージョンが初見ではまだレビューされないという感覚がまだあります。 寛文九月一日、延家、神四門の師、杜慧は、愚書の原本が耿勗慧路の時代に焼かれたものであることを知りたいと願う。 . 現在は鎌谷家の秦昭昭の援助により一族の大切にされている。
クアン・ウェン・グイ・シ・ジ・シャ・ニアオ・ジアンの老人、燕家 【判決】
今日、私は東の山に出ました、月は欠けていて、空の真ん中の星は南の三つの光に崇められていました月の。
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/furu_index1.htm
神道五書 伊勢二所
皇大神宮に鎮座する天照大神 御殿の席順
伊勢二所皇大神宮御真竿伝豊受皇大神宮 鎮蔵王本紀 伊勢二所大神宮宝物基本記和紙明式
天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sintou_gobusyo/sidaiki01.htm
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神道五部書
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神道五部書
天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記
豐受皇太神宮御鎮座本紀
造伊勢二所太神宮寶基本紀
倭姬命世記
是謂,大日孁貴,亦號天照火日孁貴也。此子光華明彩,照徹於六合之內。【天地開闢之後,神足履地而行,身光轉滅,天地大冥也。子時為度眾生,日、月、星像現於虛空。名日神、月神也。】
故伊弉諾、伊弉冉二柱神喜曰:「吾息雖多,未有若此靈異之兒。不宜久留此國,自當早送于天。」而授以天上事。日神即留宅於日之小宮焉。當神寶日出之時,天照大日孁貴與止由氣皇太神,【豐受皇太神。】豫結幽契,永治天下。 以降,高天原に 神留坐て ,皇親神漏岐、神漏美命,以八百萬神等を ,天之高市に 神集集給ひ 。「大葦原千五百秋瑞穗國は ,吾子孫可主之地也 。安國と 平く ,我皇御孫之尊知食と 事依奉ひ 。以八坂瓊之曲玉、八咫鏡,及草薙劍三種神財て ,授賜皇孫,永為天璽。視此寶鏡,當猶視吾。」宣き 。
亦云,真經津鏡。惟天照大神入天岩窟,閇磐戶而幽居。爾乃六合常闇して ,晝夜不分,庶事燎燭辨,拜神愁迷て 。八百萬神,深思遠慮,天御中主、高貴高皇神敕曰:「令石凝姥神,取天香山銅,以鑄日像之鏡。」其狀美麗,今祭伊勢太神宮御靈是也。 天津彥彥火瓊瓊杵尊。【天照大日孁貴太子正哉吾勝勝速日天之忍穗耳皇子也。母止由氣皇太神太子,高皇產靈神女萬幡豐秋津姬命。夫天照大日孁貴尊與止由氣皇太神,亦名天御中主神女也。是天孫尊大祖也。故高皇產靈神為皇親神。謂親者,祖也,宗也。故圖二祖之名,號皇御孫命也。凡德合天地為皇,智合神靈為命。大則變通之道。神則申。】闢天關き ,披雲路け ,驅仙蹕ひ ,天之八重雲,稜威之道別に 千別て ,筑紫日向高千穗槵觸之峰に 天降到居給。 神日本磐余彥天皇。
元年,太歲甲寅年,冬十月,發向日本國矣。 纏向珠城宮御宇。
廿五年丙辰,春三月,從伊勢國飯野高宮,遷幸于伊蘇宮。倭姬命奉齋矣。然後隨神教,下津磐根大宮柱太敷立て 。
丁巳,冬十月甲子,奉遷於度遇宇治五十鈴河上之新殿,鎮り 座り 矣。
【相殿】神二座。
左,天手力男命。【元是御戶開神坐,靈御形弓坐。是神代輪王所造也。】
右,萬幡豐秋津命。【靈御形劍。是神代龍神所造也。】
件姬神,則止由氣皇太神太子,高皇產靈神一女也。是天照皇太神太子正哉吾勝尊妃。皇孫命母也。故天照皇太神與止由氣皇太神二柱大神,則曰天津彥火瓊瓊杵尊之大祖也。故尊祖敬宗,禮教為先矣。
二、荒祭宮 【荒祭宮】一座【天照大日孁貴荒魂。靈御形鏡坐。】 伊弉諾尊洗左眼,因以生神。
號曰,天照荒魂,亦名瀨織津比咩神也。
記曰,天鏡尊月殿居焉所鑄之寶鏡三面之內,二面者,伊弉諾、伊弉冉尊傳持て 神賀吉詞白賜て ,日神所化の 真經津鏡一面座也。因茲為御靈也。
三、天照坐止由氣皇太神宮 【天照坐止由氣皇太神宮】一座。【在度會郡三田原。】
記曰,以代水德未露,天地未成,瑞八坂瓊之曲玉を 捧九宮く ,即水變為天地り 。天地起成て ,人民化生す 。名曰天御中主神。故千變萬化,受一水之德。生續命之術。故名亦曰御饌都神也。 古語曰,大海之中有一物,浮形如葦牙。其中神人化生,號天御中主神。【亦名國常立尊,亦曰大元尊。】
故號葦原中國,亦因以曰天照止由氣皇太神也。與大日孁貴天照太神,豫結幽契,永治天下給也。 御間城入彥五十瓊殖天皇。
卅九歲壬戌,天照皇太神遷幸于伹波の 吉佐宮。積年。
今時,止由氣之皇神天降坐て ,合明齊德給,如天小宮之儀して ,一處雙坐。 泊瀨朝倉宮御宇天皇。
廿一年丁巳,冬十月一日,倭姬命夢教覺給く :「皇太神吾如天之小宮坐に ,天下にしても ,一所不坐は ,御饌も 安不聞け 。丹波國興佐之小見比沼之魚井原坐道主貴の 齋奉御饌都神止由氣皇太神を ,我坐國欲。」と 誨覺給し 。
今時,大若子命差使て ,朝廷に 令言給て ,構立寶殿て 。
明年戊午,秋七月七日,以大佐佐命て ,從丹波國余佐郡真井原して ,奉迎止由氣皇太神。度遇之山田原奉齋焉。御靈形鏡坐也。
天地開闢之後,雖萬物已備,而莫照於混沌之前。因茲,萬物之化,若存若亡,而下來下來自不尊。爾時,國常立尊所化神,以天津御量事て ,三面の 真經津の 寶鏡鑄顯給へり 。故名曰天鏡尊。爾時神明之道明現,而天文地理宜存矣。彼三面寶鏡內,第一御鏡是也。圓形坐。奉藏黃金樋代焉。
【相殿】三座。
左一座,皇御孫尊。御靈形,金鏡坐。二面,大西,小東,以西為上,同御船代內坐。是神代靈異物也。【以二面為一座居。】道主貴奉齋神是也。大物忌,內人奉仕,其緣也。
右二座,天兒巫命。靈形,笏坐,牙像也。球玉一隻,賢木二枝坐。天岩戶開之時,天兒屋命捧持祝詞敬拜鎮祭笏賢木是也。
大玉命。靈形,瑞八坂瓊之曲玉,奉藏圓筥也。是天祖吾勝尊所化寶玉是也。亦五百箇御統玉奉懸真賢木枝也。寶玉內納珍寶也,是天地人福田也。奉納曲玉圓形筥一合,靈異物,觸事有效,亦五百箇の 在金玉餝寶珠等。天戶開之時,大玉命捧持寶玉是也。圓筥則混沌形也,故藏萬物種子是也。亦號玉串。內人奉仕真賢木五百箇御統玉之,其緣也。
四、多賀宮 【多賀宮】一座。
止由氣皇太神荒魂也。
伊弉諾尊到于筑紫日向小戶橘之檍原而祓除之時,洗左眼,因以生日天子,是大日孁貴也。天下現名,曰天照太神之荒魂,荒祭神是也。復洗右眼,因以生月天子,天御中主靈貴也。天下降居而名止由氣太神之荒魂,多賀宮是也,亦曰伊吹戶主神是也。御靈形,鏡坐也。是天鏡尊所造三面寶鏡,伊弉諾尊右手に 令捧持て 月神所化の 真經津鏡是也。
以前,天照坐二所皇太神宮御鎮坐本記,所錄顯如件也。
阿波羅波命 荒木田押刀
乃乃吉命 赤冠藥
乙乃古命
五、副本奧書 屋代本奧書云。
當宮調御倉神代秘書十二卷內神記并飛鳥記以一禰宜光忠書寫本 文治元年四月廿一日正殿假殿遷宮之次於宿館書寫畢。
禰宜 度會神主高倫判 件書寫本者,前三禰宜延行神主相承之于時以彼本書寫之
禰宜 度會神主判 於正案三通者【神記一二,飛鳥記。】別筥密藏之
享保三年戊戌二月初八
右以玉木正英翁本所書寫也 怡顏齋 藏本 再以垂加先生校訂本高田未白所書寫本就而一一查考且并寫先生之訓點今復全璧云 怒菴 松達成章 記
の 五十鈴河上之邊,立礒宮御座之時に ,狹長田之猿田彥大神、【宇遲、土公氏人遠祖神也。】齋內親王、神主部、【天村雲命之孫,大若子命弟。乙若子命等也。】物忌等,【天見通命之孫,宇多大牟禰奈,大阿禮命等也。】訓悟白く :「凡天地開闢之事,聖人所述也。爰伊勢天照皇太神,五十鈴の 河上に 御鎮座之制作,未露紙墨。故,元始綿邈,其理難言し 。願爾諸聞給へ ,『吾是天下之土君也,故號國底立神也。吾是應時從機ひ ,化生出現之,故號氣神。吾亦根國、底國より 麤び 疏び 來物に ,相率守護之,故名鬼神。吾復為生物に 授與壽福之,故名大田神。吾能反魂魄之,故號興玉神。悉皆自然之名也,物皆有效驗。我將辭訖。』遂隱去矣。」
二、天津彥火瓊瓊杵尊 以,昔天照大神、天御中主神,以天之御量言て ,賜天津彥火瓊瓊杵尊,【天照太神之太子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊子也。母,天御中主神子高皇產靈尊女栲幡豐秋津姬命也。】八坂瓊曲玉、八咫鏡、草薙劍三種寶物,亦以大小神祇三十二神使配侍焉。因敕皇孫曰:「葦原千五百秋之瑞穗國 ,是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫就而治焉。行矣!寶祚之隆,當與天壤無窮者也。」
于時,皇孫脫離天磐座,排分天八重雲,稜威道別道別天降給。天之八衢之衢に 奉迎。相待て ,皇孫之所幸道路啟行て ,奉到筑紫日向高千穗槵觸之峰。以皇親神魯伎 ,【天御中主神之兒高皇產靈神是也。】神魯美 命,【高皇產靈神弟,神皇產靈神是也。】皇孫之命を :「日向高千穗槵觸之峰に ,天之御翳,日之御翳と ,大宮柱太敷立て ,瑞之御殿。」と 。汝船屋命等,【木靈,久久遲命也。稻靈,豐宇加能姬命也。】天津奇護言を 以て ,言壽鎮白く :「皇孫之命を ,天津高御座に 坐て 。豐葦原瑞穗之國を ,安國と 平く 所知食て 。天津日嗣を ,萬千秋の 長秋と 所知食事,以天津御量事て 。天津璽の 劍鏡を 捧持賜ひ 」言壽宣。治天下,卅一萬八千五百卅三歲。
三、神武天皇 神日本磐余彥天皇,葺不合尊第四御子。母玉依姬,海童少女也。
元年,太歲甲寅年,冬十月,發向日本國矣。
辛酉正月,即建都僵原,經營帝宅て 。皇孫尊之瑞の 御舍を 造奉仕。 自神武天皇訖開化天皇九帝,歷年六百卅餘歲。天皇與同殿坐也。此時,帝與神,其際未遠。同殿共床,以此為常。故神物、官物,亦未分別矣。
四、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇,漸畏神威,同殿不安。
改更令齋部氏,率石凝姥神裔、天目一箇神裔二氏,取天香山白銅、黑金,更鑄造劍鏡,以為護身御璽。是踐祚之日,所獻神璽鏡劍是也。【謂,內侍所,是也。】凡璽則大己貴神、其子事代主神,所獻於大日孁貴瑞八坂瓊之曲玉是也。 天皇六年己丑,天照大神、倭大國魂二神,並祭於天皇大殿內。然畏其神勢,共住不安。
故,秋九月,就於倭笠縫邑,殊立磯城神籬,奉遷天照太神。及草薙劍,令皇女豐鋤入姬命奉齋焉。
五、垂仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇廿五年丙辰,春三月,從伊勢國飯野高宮,遷幸伊蘇宮。
於時,倭姬命詔く :「南山末見給ひ ,吉宮地を 覔幸給き 。」
今歲,猿田彥大神參,乃言壽覺白く :「南大峰有美宮處,佐古久志呂宇遲之五十鈴河上者,大八洲之內彌國之靈地也。隨翁之出現。二百八萬餘歲之前にも ,未視之る 在,靈物り ,照耀如大日輪也。惟小緣之物に 不在す 。定主出現御座耶念き 」倭姬命曰:「理實灼然。」
惟,久代天地之大祖,【天照皇太神、天御中主神。】并神魯伎、【高皇產靈尊。】神魯美命,誓宣ひて :「豐葦原瑞穗國之內に ,伊勢加佐波夜之國は ,有美宮處りと 。見定給ひて 。」自天上して ,投降居給ふ ,天之逆太刀,天之逆牟,大小之金鈴五十口,日之小宮之圖形、文形等是也。天之平手乎拍給ひて ,甚喜於懷給。於此處に ,遷造日之小宮給。
大宮柱,【一名忌柱,亦天御量柱,亦新柱。是則皇帝之命,國家之固也。龍神、土神各一座,為守護之神座也。】太敷立於下津磐根,【大田命以地輪精金底津磐根奉獻之。】峻岐搏風於高天之原て 。
朝廷御宇廿六年丁巳,秋九月,甲子,奉遷于天照太神宇遲之五十鈴河上に ,鎮座焉。
六、豐受皇太神宮
七、物忌之緣 倭姬命與大田命,宇豆幣帛如橫山積置て ,朝廷寶位を ,手長御世と ,堅磐、常磐に 奉齋ひ ,茂御世に 幸へ 奉と 。以天津御量言之奇護言て ,諸穢惡事を 忌言詞。大神主大佐佐命,物忌荒木田酒女押刀子等に ,訓言竟給き 。物忌之名,此緣也。 凡神代靈物之儀,猿田彥神謹啟白く :「夫天地開闢之後,雖萬物已備,而莫昭於混沌之前,因茲,萬物之化,若存若亡。而下下來萊して ,不自尊。于時,國常立尊所化神,以天津御量事,地輪之精金白銅撰集。地大水大火大風大神,變通和合給ひて 。三才相應之三面真經津寶鏡を ,鑄造表給へり 。故,鑄顯神名,曰天鏡尊。其時,神明之道,明知明現,天文地理以存矣。亦劍者,【大刀子、小刀子。】土精金龍神所造也。弓箭者,輪王所造。陰陽儀,故名天香子弓,地之羽羽矢也。玉者,日天、月天之光精也。笏者,天之四德,地之五行,自然德也。物皆為神靈,故趕誰無私邪焉?」
高貴神推託宣く :「大土祖衢神等告覺給:天照太神則主火氣,而和光同塵。止由氣太神則主水氣,而萬物長養也。故兩宮者,天神地祇大宗,君臣上下元祖也。惟天下大廟也,國家社稷也。故尊祖敬宗,禮教為先。故天子親耕,以供神明。王后親蠶,以供祭服。而化陰化陽,有四時祭。德合神明,乃與天地通也。德與天地通,則君道明,而萬民豐也。故荷前荒幣、和幣,赤曳絲、赤丹穗,青海の 鰭廣者、鰭狹者,奧藻菜、邊藻菜。山野物者,甘菜、辛菜。御神酒者,甕腹滿並て ,皇孫命御世を ,手長御事と ,堅磐に 常磐に 齋ひ 奉。茂御代に 幸へ 奉壽言。」と 詔へり 。又詔ふ :「神主部物忌職掌人等,諸祭齋日に ,不觸諸穢惡事。不見不聞,不弔不言。佛法言忌,亦不食宍。迄神嘗會日に 不食新飯,齊身謐心,慎攝掌,以祭拜祭矣。又神衣神部,是同也。」
八、神鏡座事 神鏡座事。
一面者,從月天顯現之明鏡。【圓形坐,三光天象五飛龍守護神五座,是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。月天所作三面之內也。】崇祭止由氣宮,是也。
大田命曰く :「崇神天皇御宇,止由氣皇太神天降坐て ,天照皇太神與一所雙坐。于時,從天上御隨身之寶鏡是也。神代天御中主神所授白銅鏡也。是國常立尊所化神,天鏡尊,月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之內,一面是也。津二面者,天鏡尊子天萬尊傳馳給之。次,沫蕩尊。次,伊弉諾、伊弉冉尊傳持給て 。神賀吉詞白賜て :『日神、月神所化の 真經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。三才所顯之寶鏡也。當受之以清淨,而求之以神心,視之以無相無位,因以為神明之正躰也。』今崇祭,一面荒祭宮御靈,一面多賀宮御靈坐也。已上三面。」辭竟奉き 。
一面者,八百萬神等以石凝老神奉鑄寶鏡。是則崇祭伊勢太神宮也。【一名日像八咫鏡是也。八咫,古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。中為圓鏡形座也,圓外日天八座。】
一面者,日前宮座也。石凝老神鑄造鏡也。初度所鑄不合諸神意,紀伊國日前神,是也。
已上,神代寶鏡是也。
九、神託戒律 次,倭姬命隨神誨,更鑄造日月所化神鏡,藏置朝熊山神社也。亦此處にして ,種種神財鑄造已竟,以靈石為神體也。凡大小神祇御靈等,或天上地下の 靈物,或御代制造之鏡,八十三面。劍,大刀子、小刀子五十二枚。矛,大小一百二十柄。御弓、御箭、御楯,各四十四種。或已備二所皇太神之大幣焉。天照太神各二十四種也,止由氣太神各四十二種分置者也。
興玉神託宣く :「天照坐皇太神,則大日孁貴。故,號日天子。以虛空為正體焉,故曰天照太神。亦,止由氣皇太神,則月天子也。故,曰金剛神,亦名天御中主神。以水德立萬品,故亦名曰御饌都神。惟諸神福田生化壽命也,汝等受天地之靈氣,而種神明之光。誰撓其神心,誰干其慮耶?謹請再拜。」言壽竟。于時,倭姬命,皇太神座正宮之西北角,大地之中為祝祭也。 雄略天皇即位廿二年,倭姬命礒宮坐。
冬十一月,新嘗祭之夜深て ,雜人等退出之後,神主部物忌等宣く :「吾今夜承皇太神及止由氣皇太神敕,所宣託。汝,正明聞給へ !人乃天下之神物也,莫傷心神,神垂以祈禱為先,冥加以正直為本。任其本心,皆令得大道。故神人守混沌之始,屏佛法之息。崇神祇,散齋致齋內外潔齋之日,不得吊喪、問疾、食宍,不判刑殺,不決罰罪人,不作音樂,不預穢惡事,不散失其正,致其精明之德,左物不移右,兵器無用,不聞鞆音,口不言穢惡,目不見不淨,鎮守謹慎之誠,宜致如在之禮矣。」于時,大神主阿波良波命,承宣記之。
の 御刀代田奉て ,即地主と 為て 奉仕,三節祭ゐ 。春秋,神御衣祭,及時時幣帛驛使時太玉申ゐ 。天八重榊儲供奉,神代之古風,地祇之忠神也。
于時,御宇廿二歲戊午,齋內親王及神主部物忌等,承神直以為訓傳。各齋持不顯露,深藏以神秘焉。大神主大佐佐,前大神主彥和志理,無位神主御倉,大物忌酒目押刀女等,謹請謹請。
倭姬命。【在※。】
白髮內親王。【在※。】
詔書,皇太神宮前大神主彥和至理命,謹奉大田命訓傳,磐余玉穗宮御宇丁亥,乙乃古命二男神主飛鳥傳記之也。【謂神道之化者,不可以示非其人也。】
十、奧書異本 屋代本奧書
文龜三年十二月廿六日 神道長上從二位行神祇大副兼侍從 卜部朝臣兼俱 【在判。】 右兼俱以自筆之本書寫令校合畢唯授一人之外可禁他見者也。
大永初年辛巳三月上澣 銅駄老人 【在判。】 右以木正英翁本所書寫一校了再以高田未白所手滕寫垂家翁校定本再校了。
享保三戊戌三月十九日 怡顏主人 書
又云
別本云:
大田命訓傳。【神記。】
古老傳云,六十不滿,不及披見。【云云。】一禰宜氏守以後禁制【云云。】何況他見乎
曾祖七十二歲披見之,祖父六十一歲披見。予六十歲拜見之。 彌宜 行忠 【判。】
又云
文治元年四月廿一日
正殿、假殿遷宮之時,以外宮一彌宜光忠本書寫畢。于時,彌宜度遇高倫寫之。 【判 生年六十八歲。】
文治元年記曰,內外兩宮御藏『神祇本記』上/下。『寶基本記』『大田命訓傳』各一卷,代代本系等。
于時,有子細而奉藏調御倉神體假櫃也。光晴神主奉行也。謂守護神座,白蛇形。在鰭出現之時,神宮一彌宜有事云云。
又,御正印銘銅尺一隻,別櫃納之也。代代儀式本系等同正印櫃內に 加納也云云。
飛鳥神躰,假櫃內納之云云。都合十二卷。
永仁三年乙未三月十二日書寫訖 彌宜 正四位下度會神主行忠
神宮三部書等,其言或如古文或如今文,或用佛語或取道經。雖一書,似非一人筆作也。【愚】竊謂:上世之相傳之神書、野語、俗言,往往相雜,後人嫌鄙俗之言,以加筆粧飾之,借道書佛言之詞歟。抑又兩部習合者之所為歟。但如其事,古今無相違。今以神事現存,惟文筆變易而已。不文害心,則可也。
寬文十三年六月吉辰 權彌宜 正五位下度會神主延佳
伊舍那天 伊舍那妣 輪王 龍神 日天子 月天子 月殿 日天 月天 夜叉神大將 福田 天眾 地輪
地大 水大 火大 風大 金剛神 龍王寶珠 廣大慈悲 大八龍神 十二神主
是等佛經之語也。【愚按。】未涉獵佛經,猶可有佛語歟。所及管見,如此也。
希夷 視聽 氤氳 氣象 和光同塵 出道經
延佳 【判】
延佳本奧書中一節云
慶安三年庚寅孟夏十七日書之
此書或稱大田命傳,蓋神藏十二卷之內其一。而中世為浮屠氏被添削乎。間復會而用佛語,後人須明察之。去正保二年季夏中旬寫於斯書,然有誤字、闕字之故,以數本考正之,再書寫焉。以傳末葉者也。 權彌宜 從五位下度會神主延良 【判】
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與天照大日孁尊,舉此以八坂瓊之曲玉、八咫鏡及草薙劍三種之神財,而授賜皇孫,為天璽:「視此寶鏡,當猶視吾。可與同床共殿,以為齋鏡。寶祚之榮,當與天壤無窮!」宣焉。 皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊,【天照太神太子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊子也。母,天御中主神子高皇產靈神女栲幡千千姬命也。素盞嗚尊欲奉辭日神,昇天之時,櫛明玉命奉迎,獻以瑞八坂瓊之曲玉。素盞嗚尊受之,轉奉日神。仍共約誓,即感其玉,生天祖吾勝尊。是以天照太神育吾勝尊,特甚鍾愛,常懷膝下,稱日腋子。今俗號稚子謂稚子 ,是其轉語也。夫天照皇太神、止由氣皇太神二柱御太神,則天津彥火瓊瓊尊之祖神也。故名曰皇孫命者也。以高皇產靈神名號皇親神漏岐命也。】伴神天兒屋命,【中臣首上祖也。】以天津淳詞之太祝詞,令掌解除。太玉命,【忌部首上祖也。櫛明玉命兒也。】捧太幣。天村雲命,【伊勢大神主上祖也,神皇產靈神六世之孫也。阿波國麻殖郡座忌部神社、天村雲神社,二座社是也。】取太玉串奉仕。
天神地祇前後に 相從て ,闢天關ぎ ,披雲路け ,駈仙蹕ひ ,天之八重雲を ,伊頭之千別に 千別て 。筑紫日向高千穗槵觸之峰に ,天降到居焉。經營宮室而恢弘大業,光臨六合。司牧人神,能世闡玄功,時流至德,以鎮元元。上則答乾靈授國之德,下則崇神養正之心。撥災反正,德伴覆燾 。道協造化,是以普天人民,稟氣懷靈,何非得處。故與天地而無窮,將金石而不朽焉。實人民自然之德,合古便今也。 御間城入彥五十瓊殖天皇卅九年壬戌,天照太神遷幸但波の 吉佐宮。
今歲,止由氣之皇太神結幽契,天降居。于時,大御食津臣命、建御倉命、【中臣祖也。】屋船命、【草木名。今座度會郡,號清野井庭神社也。】宇賀之御魂稻女神、【今號小俣神社也。】宇須乃女神、【五榖靈。號宇須野社也。】須麻留賣神、【今號須麻留賣社是也。】宇賀乃大土御祖神、【素盞嗚尊子也。度會山田原地護神。】若雷神、【今世號北御門大明神是也。】彥國見賀岐建與束命、【號度相國見神社也。】天日起命、【伊勢大神主祖神也。】振魂命【玉串大內人祖。】相從,以戾止矣。爾時天照皇太神與止由氣皇太神,合明其德居焉。如天上之儀,一處雙座焉。
和九產巢日神子豐宇賀能賣命,【屋船稻靈神也。】生五穀,而善釀酒,奉御饗。御炊神冰沼道祖,【素盞嗚尊孫也。亦號粟御子神。今世號御炊物忌,其緣也。】率四九三十六竈神而,朝大御氣、夕大御氣を 炊備て ,奉御饗る 。丹波道主貴,【大日日天皇之子,彥坐王子也。今世浩大物忌子,其緣也。】為御杖代して ,品物備貯之百机而奉神嘗焉。諸神所作祭神之物,五穀既成,百姓饒矣。其功已辭竟て ,天照太神伊勢國に 向幸給。止由氣太神復昇高天原て ,日之小宮座。于時,以吾天津水影の 寶鏡,留居吉佐宮。【天地開闢之際,雖萬物已備,而莫照於渾沌之元。因茲,萬物之化,若存若亡。而下下來來自不尊。于時,國常立尊所化神,汎刑於天津水影。以天御量事,真經津寶鏡三面鑄表,寔是自然之靈物,天地感應,當此特神明之道。而天文、地理。以自存者也。故鏡為作神名,號天鏡神尊,其緣也。】即起樹天津神籬於魚井原。秘藏黃金樋代て ,道主貴八小童天日起命、豐宇賀能賣命,備御饌奉焉。于時,高貴大神敕宣:「以皇孫命靈,宜崇大阻止由氣皇太神の 前社。」【云云。】仍為向殿神作。靈形,鏡坐也。【皇孫命,金鏡也。】 纏向珠城宮御宇廿六年丁巳,冬十月甲子,天照太神從但坡吉佐宮して ,奉遷于度相宇治五十鈴河上て 鎮居焉。 泊瀨朝倉宮御宇廿一年丁巳,十月朔,倭姬命夢教覺給く :「皇太神吾如天之小宮坐に ,天下でも 一所に 坐けば ,御饌も 安不聞け 。丹波國與佐之小見比沼之魚井之原坐,道主子八少女 の 奉齋。御饌都神【是止由氣太神者,水氣元神坐。千變萬化,受一水之德,生續命之術。故名御饌都神也。亦古語,水道曰御饌都神也。亦天照太神與止由氣太神,一所雙御座之時,陪從諸神等奉御饗,其緣也。】止由氣皇太神を ,我坐國欲。」と 誨覺給き 。爾時,大若子命を ,【一名,大番主命。御間神社是也。】差使て ,朝廷に 御夢之狀を 令言給き 。即天皇祥御夢,則天皇今日相夢矣:「汝大若子使往罷て ,布理奉。」宣き 。
今歲,物部之八十氏人等,卒手置帆負、彥狹知二神之裔,以齋斧齋鉏等,始採山材て 。隨神教:「度相山田原の 地形廣大亦麗,於是地。大田命以金石て ,下津底根に 敷立て ,構立寶殿て 。」
明年戊午,秋七月七日,以大佐佐命奉布理る ,共從神。中臣祖大御食津命、【坐度相郡,號御食社。】小和志理命、事代命、佐部支命、御倉命、屋和古命、野古命、乙乃古命、河上命、建御倉命、興魂命,各前後左右に 相副從奉仕。大佐佐命、小和志理命,奉戴正體。興魂命、道祖貴,奉戴相殿神。駈仙蹕ひ ,錦蓋覆,日繩曳,天御翳日御翳屏,奉行幸。
爾時,若雷神天八重雲を 四方に 薄靡て ,為御垣て ,從丹波國吉佐宮遷幸倭國宇太の 宮,御一宿坐。次,伊賀國穴穗宮,御二宿坐。此時,朝御饌,箕造竹原,並箕藤黑葛生所三百六十町,亦年魚取淵,梁作瀨一處,亦御栗楢三町,國造等貢進。仍二所皇太神之朝大御氣、夕大御氣之料所に 定給き 。次,山邊行宮,御一宿。【今號壹志郡新家村是也。】次,遷幸度相沼木平尾,興于行宮て ,三箇月坐焉。號爾處て 名離宮也。夜夜天人降臨而供神樂。今世號豐明,其緣也。來目命裔屯倉男女小男童神宴焉。 戊午秋九月望,從離宮遷幸山田原之新殿,奉振御舩代御樋代之內,【樋代則天之小宮之日座儀也。故謂天御蔭日御蔭と 隱坐祝言緣也。船代則謂天材木船屋之靈。故瑞舍名號屋船緣也。天御蔭日、御翳隱坐古語也。】以天衣奉餝之,如日小宮儀也。依天照太神御託宣,太神第一攝神多賀宮,【伊弉諾尊尊洗右眼,因以生。名號伊吹戶主神。即太神分身坐。故,名曰太神荒魂也。】奉傍止由氣宮也。【御形,靈鏡坐。在昔天鏡神鑄造三面真經津鏡是也。一面者,天御中主神寶鏡。二面,則伊弉諾尊、伊弉冉尊相受轉持左右掌,日神、月神所化之寶鏡是也。一面,荒祭神御靈坐也。】
亦天照太神御託宣,相殿二神二前。止由氣宮相殿神,皇孫命に 奉陪從る 。故號止由氣宮相殿,而東西座給。【東天皇孫命,一座。西天兒屋根命。靈形笏,天津賢木執副坐。太玉命,靈形瑞曲玉座。但東御靈常西相殿並座給也。】自爾以徃,以天手力男神、萬幡豐秋津姬命,天照皇太神の 為相殿神坐。【元是號御戶開神。】
亦,素盞嗚尊孫大土祖,一座。衢神大田命,一座。宇賀魂大年神,一座。山田原之地護神定祝祭也。【大土祖靈,鏡坐。大田命靈,銘石坐。宇賀魂靈,瑠璃壺坐也。】亦,御倉神,【稻靈豐宇賀能賣命,宇賀能多美麻神,保食神。尊形一床坐,以白龍為守護神也。凡王子八柱,同座給也。】亦,酒殿神。【謂和久產巢日神子豐宇賀能賣命座也。丹波國竹野郡奈具神社是也。以代昔月殿天降坐,亦名姊娥昇女。稻靈,光所變也。五穀糧所化神保食神分身。善釀清酒,靈形石坐。甕名賀多晉器,軍陀利夜叉神所化也。惣吉祥之瓶中,溢甘露之酒。直會集人,除萬病,延命良藥也。亦以大土祖宇賀魂神為根倉甕星神,供神酒。今號,根倉甕,是也。】宮中大小神祇,四至神等鎮り 定り 座居由。中臣祖大御食津臣命稱詞竟。神善,奉祝詞言さく :「度遇の 山田の 原の ,下津磐根に ,大宮柱廣敷立て ,高天原に 千木高知て ,皇御麻の 命の 稱詞定奉る 天照坐す 止由居の 皇太神の 廣前に 。恐み 恐み 申給はく 。」
天照皇太神,神魯岐、神魯美命に 言寄任て :「天之小宮之寶殿を ,此處に 移造り 。以今日て 奉移鎮り 御坐す 狀を 平く 安く ,令知食と 申給。」と 言壽鎮居白く 。宮人皆參,終夜宴樂。猿女祖天鈿女裔,歌女舞姬。來目命裔,屯倉小男童,笛生、琴生、簫生、蓽築生諸命等,一時起歌舞。其絲竹音,鏗鏘而滿六合。天神地祇,受和氣而隨實用。天下榮樂,海內太平焉。
凡神樂起,在昔素盞鳴神奉為日神,行甚無狀,種種陵侮。于時,天照太神赫怒,入天石窟,閉磐戶而幽居焉。爾乃六合常闇,晝夜不分。群神愁迷,手足罔厝。凡厥庶事,燎燭而式辨。天御中主神【止由氣皇太神是也。】太子高皇產靈神,命宣て ,會八十萬神於天八湍河原。【雲漢是也。】深思遠慮,於天石窟戶前,舉庭火,畢作俳優。猿女君祖天鈿女命,採天香山竹,其節間雕風孔,通和氣,【今世號笛類是也。】亦天香山弓,興並叩弦,【今世謂和琴,其緣也。】木木合合,而備安樂之聲。移和風,顯八音。即猿女神伸手抏聲,或歌或舞,顯清靜之妙音,供神樂曲調。當此時,欻解神怒,妖氣既明,天無復有風塵。以來,風雨時若,日月全度。一陰一陽,萬物之始也;一音一聲,萬樂之基也。神道之奧賾,天地之靈粹。絲竹之要,八音之曲,已以為貴。故依舊氏之權,猿女氏率來目孫屯倉男女,轉神代之遺跡,而今供三節祭,永為後例也。 天皇、倭姬命詔宣く :「男弓珥之物:大刀、小刀、弓矢、楯鉾、鹿皮角、豬皮、忌鍬、忌鋤類。是女手末之物:麻桶、棉柱、天機具、荒妙衣、和妙衣、荷前、御調類。是都合天地生長之土毛,式備宗廟之祭。惟仁恩之忠孝,以信為德。故神明饗德與信,不求備物焉。」仍撿納神寶,卜兵器為神財。亦更定神地、神戶。二所皇太神宮の 朝大御氣、夕大御氣を ,日別に 齋敬供進奉。
亦隨天神之訓,以土師氏為物忌職,造天平瓫、諸土器類て 供進。亦開化天皇孫子丹波道主貴苗裔八小童女,寶殿御鑰賜て ,奉開寶殿。亦素盞嗚尊子冰沼道主,【亦名粟皇子神,亦名大己貴神,亦名大國魂神,亦名大國主神。古言曰,大國魂,名曰宇賀靈,大辨財天子也。即御饌靈神也。】率御竈神,火神嚴香來雷、水戶神嚴罔象女、薪神嚴山雷,而御飯炊滿供進奉。【今號御炊物忌父子,其緣也。舂女、炊女是。】亦度相河邊有一人漁人,名號天忍海人,【今謂之掃守氏。】取年魚蓄神膳食也。 天照皇太神重託宣く :「吾祭奉仕之時,先須祭止由氣皇太神宮也。然後我宮祭事可勤仕也。」故則諸祭事以止由氣宮為先也。亦止由氣大神,一處御鎮坐。乃今令卜筮。天皇敕曰:「宜本以宗神之績,以神皇產靈神苗裔神大佐佐命,兼行二所皇太神神之大神主職奉仕矣。」 御井水。天孫降臨以來,天村雲命理治于虎珀之鉢,【金剛夜叉神所化也,徑一尺八寸。】天降居留也。【為守護七星十二神羅列座,光明如明星坐也。】皇太神皇孫之命天降坐時に ,天村雲命御前立て ,天降仕奉。于時,皇孫之命,天村雲命を 召詔く :「食國之水は 未熟,荒水に 在けり 。故,御祖天御中主神之御許に 奉上。此由言て 來。」と 詔。即天村雲命恭登て ,天孫之御祖之天照太神、天御中主神之御前に ,皇御孫之申上宣事を ,子細申上時に ,御祖天照皇太神、天御中主皇太神、正哉吾勝尊、神魯岐、神魯美尊,神議詔く :「雜に 奉む 者,行奉下て 在とも ,水取政到をは 遺て ,天下復飢餓く 在けり 。何神をか 奉下むと 思間に ,勇をして 恭登來。」と 詔て 。天忍石の 長井の 水を 取。八盛て 誨給く :「此水持下て ,皇太神の 御饌に 八盛獻て 。」遺水は ,天忍石水と 術云て 食國の 水於に 灌和て 朝夕御饌に 奉獻れ 。即時,日向高千穗宮の 御井定崇居焉奉仕矣。自爾以降,但波真井石井に 鎮移居。水戶神奉仕ぎ 。
其後,從真井の 原遷于止由氣宮の 御井居止焉。二所皇太神の 朝大御氣、夕大御氣と 八盛移居。每日二時,供進矣。凡此御井水者,專不干,恒出。異怪之事,不過於是社。亦他用,更不可用之。亦道主裔大物忌父御井掃淨奉。亦御井與御炊殿,往還之間,道一百二十丈,橋十五丈。【黑木丸橋。】此月每修理掃淨,雜人等不通して ,慎敬仕奉。亦天照太神座南御門前の 御河中島に ,造奉石疊て 以黑木渡奉御橋て ,止由氣太神の 大御饌,伴神御氣供進奉。三節祭,別禁封其橋,人渡不往還,則齋敬供奉る 也。 天照皇太神御前。御飯二八具,御水四毛比,御鹽四坏。諸御贄類,御河年魚等供進奉。
止由氣皇太神御前。御飯二八具,御水四毛比,御鹽四坏。諸御贄類,御河年魚等供進奉。
相殿神御前。御飯三八具,御水六毛比,御鹽六坏。御贄,年魚等供進奉。 神主部物忌等祝白:「天皇朝廷,常石、堅石に 護幸給ひ 。百官に 仕奉人等,及天下四方國人民等,平く 愍給。」と 申。拜奉。天照太神八度,止由氣太神八度,伴相殿神八度敬拜して ,天津御量事奇護言以,言壽祝言。亦神嘗會夕。宇賀魂稻靈,出天津水田の 稻種の 初穗穎供進奉赤丹穗を 加牟加比に 長御氣、遠御氣と ,大神の 大前に 如橫山打置て ,稱詞竟祝言。天神敕曰:「以口女魚并海鼠,不供御進者。」其緣也。 皇天,倭姬內親王託宣く :「各念。天地大冥之時,日月星辰像現於虛空之代。神足履地,而興于天御量柱於中國而,上去下來而以來。見六合,天照太神悉治天原,耀天統。皇孫尊專治葦原中國,受日嗣。聖明所覃,莫不砥屬。宗廟社稷之靈,得一無二之盟,百王之鎮護孔照。是以從人本天地績命,祀皇祖標德。深其根源,恭從祖神。令朝四方之國,以觀天位之貴。弘大業,明天下。夫逆天則無道,逆地則無德。而外走本居,沒落根國。故齊情天地,乘想風雲者,為從道之本,為守神之要。將除萬言之殲說,而舉一心知定選。即配天命,而嘗神氣。」理實灼然。故祭神,清靜為先。我鎮以得一為念也。神主部,物忌等,諸祭齋日不觸諸穗惡事,不行佛法言,不食宍,亦迄至神嘗日不食新飯,常謐心慎,攝掌敬,拜齋仕矣。 蓋聞天地未剖,陰陽不分以前,是名混沌。萬物靈,是封名虛空神,亦曰大元神,亦名國常立神,亦名俱生神。希夷視聴之外,氤氳氣象之中,虛而有靈,一而無體。故發廣大慈悲,於自在神力,現種種形,隨種種心行,為方便利益。所表名曰大日孁貴,亦曰天照大。為萬物本體,度萬品。世間人兒,如宿母胎也。亦止由氣皇太神、月天尊,天地之間,氣形質未相離,是名混沌,所顯尊形,是名金剛神。生化本性,萬物惣體也。金則水不朽,火不燒,本性精明,故亦名曰神明,亦名大神也。任大慈悲本誓,每人隨思。雨寶如龍王寶珠,利萬品如水德,故亦名御氣都神也。金玉則眾物中功用甚勝,不朽不燒,不壞不黑,故為名。無內外表裏,故為本性。謂人乃受金神之性,須守混沌之始。故則敬神態,以清淨為先,謂從正式為清淨。隨惡以為不淨,惡者不淨之物,鬼神所惡也。 齋宮棟樑天表御形文。
天照太神宮御形,象日天尊位坐也。
止由氣太神功御形,象月天尊位坐也。
惟天神地祇,明元八洲,利物形躰。故皇天久坐,而記日月,照宇內之昏衢。國家合天地,而寶曆長久。天真之明道,鬼神之變通。人民式幸甚幸甚。東西左右蛇卌四座。 心御柱。【一名天御柱,亦名曰忌柱,亦名天御量柱。】
謂,應天四德地五行,徑四寸長五尺御柱座。以五色絕奉纏之,以八重榊奉餝之。是則伊弉諾、伊弉冉尊鎮府,陰陽變通之本基,諸神化生之心臺也。都,合天心而興木德,歸皇化而助國家。故皇帝曆數,天下之固,常磐、堅磐無動。三十六禽,十二神王,常住手護座,依損失,必有天下危。 天平賀賀。隨天神之訓,土師物忌父,取宇仁之埴 ,造天平瓫,敬祭諸神。宮別八十口,柱本并諸木本置之。是則天下泰平百瑞。諸神納受寶器也。
記云。
文治元年四月廿一日,正殿、假殿遷宮之時,以外宮一禰宜光忠,本書寫之畢。
于時。
曾祖七十二歲披見之。祖父六十一歲披見。【予】六十歲拜見之。
乙未歲に 令書之條。有恐有恐,早速可書改者也。校和了。
貞治六年四月廿八日,以一彌宜行忠神主自筆本,重令校和了。
永正本奧書云
【但文治元年四月乃至高倫寫二行之文,與延佳本無所異,故省略之。只其餘之文,揭于左。】
以行忠書寫本點之同一校。己亥廿七,彼本點者,悉朱也。為存知記之。
己亥 二月四日
于時,天照太神誨倭姬命曰:「是神風伊勢國,即常世之浪重浪歸國也,傍國可怜國也,欲居是國。」故隨太神之教,乃其祠立於伊勢國。因興立齋宮于五十鈴川上之側,是謂礒宮。天照太神始自天降之處也。 天皇即位廿六年丁巳,冬十一月,新嘗祭夜。神主部物忌八十氏等詔曰:「吾今夜承太神之威命,所宣託也。神主部物忌等無懈,正明聞焉:『人乃天下之神物なり,須掌靜謐し;心乃神明之主たり,莫傷心神れ。神垂以祈禱為先,冥加以正直為本。任其本誓,皆令得大道者,天下和順,日月精明,風雨以時,國豐民安。故神人,守混沌之初,屏佛法之息。置高臺之上,崇敬神祇,住無二之心,奉祈朝廷。則天地與龍圖運長,日月與鳳曆德遙。海內泰平,民間殷富。各念,祭神禮以清淨為先,以真信為宗。散齋致齋內外潔齋之日,不樂不弔,不散失其正。致其精明之德,左物不移右。兵戈無用,不聞鞆音。口不言穢惡,目不見不淨。鎮專謹慎之誠,宜致如在之禮。背法而不行,則日月照見給;違文而不判,則神明記識摠。而神代には,人心聖而常也,直而正也。然地神之末,天下四國人夫等,其心黑焉。分有無之異名,心走使,無有安時。故心臟傷而神散去。神散去,則身喪。人受天地之靈氣,不貴靈氣之所化。乍作神明之光胤,不信神明之禁令。故沉生死長夜之闇,吟根國底國。因茲奉代皇天,四天真人以苦心誨喻,教令修善,隨器授法以來。太神歸本居。』と託宣へり。若應節自在告示,則開大明戶,無形顯音。或小童女昇立茅葉上,須在驗言矣,猥莫信狂言類。從天地官陰陽,掌神木宜存自正。是長生術,不老藥也。」神主部物忌等,所託宣。懇致其誠,終無欺貳齋仕,敬祭天地神祇矣。 纏向珠城宮御宇廿六年丁巳,冬十月,甲子,奉遷于天照太神於五十鈴原。
今歲,倭姬命詔物部八十氏諸人等曰:「五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石小石造平て,遠山近山の大峽小峽に,立並木を,齋部之齋斧を以て,伐採て。本末をは山祇に奉祭て,中間を持出來て,齋鉏を以て天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知て,下津磐根に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮、伴神等を鎮座也。其造宮之制者,柱則高太,板則廣厚かれ。是皇天之倉運,國家之洪啟事は,宜助神器之大造なり。即承皇天之嚴命て,移日小宮之寶基,造伊勢兩宮焉。」 泊瀨朝倉宮御宇廿一年丁巳,依皇太神御宣託て。
明年戊午歲,秋七月,七日,以大佐佐命て,從丹後國與謝郡比沼山頂魚井原,奉迎等由氣皇太神。即山田原の靈地の下津磐根に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て,稱辭定奉る。
其後重宣託,偁:「我祭奉仕之時,可先奉仕止由氣太神宮也,然後我宮祭事可勤仕也。」因茲,諸祭事以止由氣宮為先。檢定神寶,更定置神地、神戶て。二所皇太神宮伴神、相殿神の朝大御饌、夕大御饌を日別齋敬供進之。隨天神地祇之訓,土師物忌取宇仁之埴,造神器并天平瓮,敬祭諸神宮。別天平瓮八十口,柱本并諸木本置之。天照太神宮、等由氣太神宮,別八百口。荒祭高宮、月夜見宮、伊佐波宮、瀧原宮、齋內親王坐礒宮,別八十口進之。是則天下泰平之吉瑞,諸神納受之寶器也。
二、假殿遷宮事 纏向日代宮十五歲,九月十五日,伊勢天照皇太神宮假殿遷宮事。奉渡正體於假殿,【黑木板葺。】修造寶殿。
同日,夕,奉遷正體於寶殿已終。依宣旨,宛用當國正稅官物等也。寶殿修補之間,奉渡於假殿。幸行道,長九十五丈。爾時,伊己呂比命、乙若子命、大物忌大阿禮命,奉頂正體。諸內人及妻子等,入垣立て,蓋刺羽等捧て,令行幸給者也。 仲哀天皇五歲,三月。 仁德天皇十歲,九月。 允恭天皇廿歲,十月,有假殿遷幸事。 繼體天皇即位十二年戊戌,九月,十一日,止由氣皇太神功殿社、御門等,朽損事。依宣旨,造進假殿一宇。
十一日,以寅刻,奉遷御形於假殿之後,本殿修補終。
夕,戌刻,奉遷寶殿。神主飛鳥小事、物忌、諸大小內人及妻子等供奉。以當國調庸及田租等宛,造假殿及寶殿等者也。 欽明天皇即位五年甲子,九月,豐受宮假殿,宮子內親王供奉。 用明天皇即位元年丙午,三月。 推古天皇廿一年,八月。 孝德天皇即位三年,八月,豐受太神宮假殿遷宮事。
同年九月,皇太神宮假殿遷宮事。 天武天皇元年壬申,十月,豐受太神宮破損之間,宮司大朽連馬養,蒙宣旨。當國司差遣神戶、百姓等,以神稅、正稅等,造假殿。奉遷正體。修補本殿已終矣。
天武天皇朱雀三年乙酉,九月,十日,依右大臣宣,奉敕,伊勢二所皇太神宮御神寶物等,差敕使被奉送畢。宣旨狀偁:「廿年一度,應奉令御遷。」立為常例也。
朱雀三年,以徃之例。二所皇太神宮,殿舍、御門、御垣等,宮司相待破損之時,奉修補之例也。依件宣旨,定遷宮之年限。又外院、殿舍、御倉、四面重重御垣等,可被造加也。 持統天皇四年庚寅,太神宮遷宮。【東本宮地也。】
同六年壬辰,豐受太神宮遷宮。【東本宮地座也。】 元明天皇和銅六年已酉,太神宮遷宮。【西宮地座。】
同四年,豐受宮遷宮。【西宮地座。】 聖武天皇天平九年丁亥,九月,諸別宮遷宮事。荒祭宮,在假殿造立舊跡,奉遷於東宮地也。于時,本宮西宮地座豐受宮御鎮座以徃。荒祭宮與高宮掌左右,一所に御鎮座。以中間為假殿之地故也。神宮法更不改舊跡也。依舊之圖蹤跡斯存矣。 天平孝謙天皇勝寶元年已丑,豐受宮、別宮、高宮遷宮。 廿一年一度,新宮及假殿等造進之節,神主部、物忌、玉串、內人、忌部等,奉立忌柱,任儀式勤仕之。其舊柱,則宮地之內,人無徃反清淨之靈所奉藏置之。齋敬如神在,慎無露顯矣。 三、神宮諸物例事 心御柱。一名忌柱,一名天御量柱。是則一氣之起,天地之形,陰陽之源,萬物之體也。故皇帝之命,國家之固,富物代,千秋萬歲無動。下都磐根大宮柱廣敷立。稱辭定奉焉。 磐根者,地輪之精金,清淨之自德,天長地久之寶坐。如湯金石村く常磐、堅磐に無動く宮柱太敷立て,いわひ與さし給緣也。 太神宮東西左右寶藏,興于正宮之後。斯則大日孁貴,無上無二之元神。故不立一塵,不翳一物。眾物普受日神之光胤,知皂因緣也。
至于度會宮,興于正宮之前,是依廣大慈悲之本誓,施與地利,養萬物為緣因緣也。 棟文形事。
皇太神宮者,日天圖形,六合之中心體獨存,任天真故明白也。五行中火性,五色中白色,故以白銅鏡奉餝之也。
豐受宮,月天圖形,八洲之中,平等圓滿之心體緣也。五行中水性,五色中赤色,故以金銅鏡奉餝之。【黃金,種智圓明義也。】 鞭懸者,天神地祇之風光,眾人之壽命,國之權衡,民之轡策者也。故式為名矣。 千木者,智義也,搏風也。義者則仁也,如天。智者則靈也,如神。風者氣也,夫天地之間,非風則不行不動。故,神聖乘風雲而徃行。冷然善,乍有風竅。是則虛空之中,無聲而獨能聞之焉。無形之中,能露心矣,實有之所皈。眾之所集,至德一大道之竅也。 千木片掞者,水火之起,天地之象也。故則日天之智義也。片掞者,仰て以て開口く,斯受月天之一水利萬品緣也。任水德,豐受皇太神をは號御氣都神也。【向上天神開口也,向下地神合口也。】是陰陽化德也。 堅魚木者,眾星形也。奄守天下,比於列星也。人氣昇天為星,善氣則為善星,惡氣則為客星也。德善緣,客惡起也。 御門鳥居,八洲中四方中,以西方為智門也。故,以西方號鳥住也,大智清淨心緣也。謂陰陽之始,乃遂於大明之上。出入於窈冥之門,而君臣上下,令逍遙清淨之宮殿焉。 瑞垣、玉垣、荒垣者,天四德,地五行,萬像大位,五官皆備矣。惣而天地與人形,人體與寶舍,雖異其名,而其源一也。 榊,一名真賢木。持受自然之正氣,冬夏常青。故眾木之中以賢木號榊也。 御船代、御樋代,神寶藏,神代製作形器也。 大神宮屋形文錦御衣者,皇天常住之本居義。
豐受宮小車錦御衣者,乘寶車迴天下度萬品之由也。
四、神鏡坐事 神鏡坐事。
一面者,從月天所顯明鏡。【圖形。】崇止由氣神宮是也。
一面者,八百萬神等以石凝姥神奉鑄寶鏡。是則崇太神宮也。【一名日像八咫鏡是也。八咫謂八頭。花崎八葉鏡也。中臺圖形座,清明也。】
一面,日前宮坐也。石凝老神鑄作鏡也。初度所鑄,不合諸神之意。紀伊國日前神是也。
一面者,內侍所神鏡坐也。礒城瑞籬宮御宇天皇,漸畏神威,同殿不安,故更令齋部氏率石凝姥神裔、天目一箇裔二氏,更鑄造劍鏡,以為護身御璽也。
二面者,日神、月神所化之真經津鏡。【謂真者,以天道為神。經者,以地道為祇。津者,人道也。鏡者,靈明心鏡也。萬物精明之德,故照混淆之前,皈原始之要。斯天地人之三才,當受之以清淨,求之以神心,視之以無形顯實。故以無相鏡為神明御正體也。】 神代伊弉諾、伊弉冉尊所捧持寶鏡,天地開闢始出現鏡也。一氣化為天地,天地化為鬼神,鬼神化而為明鏡。是斯日月變化,水火德用,萬物大意也。故,或為荒祭宮高宮神形者也。是二所皇太神宮為攝政神,謂荒魂宮、和魂宮是也。倭姬命更鑄造日月所化神鏡,納朝雄神社者也。 倭姬命隨神誨,以二所皇太神,奉遷于伊勢國度遇宮。崇大小神祇,齋敬諸神態所名神躰等。或天上地下靈物,或御宇制作劍、鏡、玉、壺、金石類是也。蓋於礒宮,以天富命裔等所鑄鏡八十三面,大刀、小刀五十二枚,鉾、弓、箭、神財等四十二種,式備大幣也。 木棉者,謂以穀木作白和幣。名號木綿。天神七代、地神五代,神人皆著木皮藤綿連連衣緣也。潔齋之日,清淨之祭服,是其緣也。以天真為明衣故也。 幣帛者,風心使,以心備德緣也。 大麻,解除不淨妄執,為住清淨本源也。故謂鎮護神國之鏡,福智圓滿之國。遷魔緣於鐵際,撥穢惡於他界。己心清淨義,蓋滅罪生善神咒也。故謂祓。神代上曰逐之,此云はらへ也。 內七言,佛、【稱中子。】經、【稱染紙。】塔、【稱荒木。】寺、【稱瓦葺。】僧、【稱髮長。】尼、【稱女髮長。】齋。【稱片膳。】
外七言,死、【稱治。】病、【稱休。】哭、【稱鹽垂。】血、【稱汗。】打、【稱撫。】宍、【稱菌。】墓。【稱壤。】倭姬命神託也。
又七言別忌詞,堂、【稱香燃。】優婆賽。【稱角筥。是佛弟子出世行者也。】
五、六色禁法 六色禁法。弔喪問病、【謂有重親喪病者,不在預祭之限。】食宍,亦不判刑殺、不決罰罪人、不作音樂、【謂不作絲竹歌舞之類也。】不預穢惡之事。【惡者不淨之物,鬼神所惡也。上蒸下淫佛法等是也。】
散齋致齋之前後,祭日,僧尼,及重服奪情從公之輩,不得參入內裏。雖輕服人,致齋之前,散齋之日,不得參入矣。
伊勢太神宮神主大小內人祝部等,儲祭之日,僧尼及重服奪情從公之輩,并輕服人與同宿徃反,齋日犯弔喪問病等六色禁忌者,宜科上祓【云云。】。
太神宮四至內,被禁斷巫覡態者,依神託宣也。是庶民愚,仰信妖言,繁好魔咒,而匿正理故也。【云云。】
六、敬神尊佛事 神道則出混沌之堺,歸混沌之始。三寶則破有無之見,佛實相之地。神則罰穢導正源,佛又立教令破有相。目不妄視,耳不妄聽,鼻不妄香,口不妄言,手不妄持,足不妄行,精不妄施矣。其死也及是也。
我朝家,道出混沌,堺同華胥。無為之功未暇號令,不言之化豈用章條。於是朴往雕來,步盡驟至。前帝後王雖俱存一面網,重規疊矩,不能廢三章之科。故教而不誅,制甲令於先。誅而不怒,張丙律於後【云云。】。
詔:掃災招福,必憑幽冥。敬神尊佛,清靜為先。今聞,諸國神祇社內,多有穢臭,及放雜畜。敬神之禮,豈如此乎?宜國司長官自執幣帛,慎致清掃,常為歲事。 神龜二年 七月廿日
七、奧書裏本 【屋代本奧書云】
本記云
本云二所皇太神宮寶基本圖儀說秘府 【本圖酒殿。】
天慶五年壬寅九月廿三日 書寫之 太神宮禰宜荒木田神主行真 【判】 建保二年甲戌九月十二日 書寫之 荒木田神主氏良 【判】
文永三年丙寅三月二日 以內宮一禰宜延季神主本 憲繼書寫之
件憲繼自筆書寫本 外宮玉串大內人度會神主常主相傳之
建治三年丁丑九月二日 禰宜度會神主書寫之 行忠 【判】
祭主定世卿本同 比校畢 延慶三年三月十七日 書寫之 皇太神宮權禰宜荒木田神主 【判】 永享十年六月廿七日 以神主匡與本 書寫之 金剛佛子春瑜 明應四年十一月廿四日 書之 禰宜荒木田神主守晨 永正元年七月廿三日 書之 權禰宜荒木田神主俊重
右寶基本紀以下伊勢五部本書者,從玉木正英翁借高田未白老人手寫垂加先生校正之本所謄寫也。
享寶三年戊戌三月廿日 怡顏齋主人成章
四月朔 校了
【又云】
右寶基本記者,神記秘書之要語,兩宮相傳之古書也。依此書以神龜二年七月廿日詔終之。
或以為神龜年中撰者,甚誤也。正,延喜以來,天慶以前之書也。如何,以此書中引用延喜格序文,又有天慶五年書寫之奧書也。惜乎!過半為兩部習合者,被混雜矣。後賢可刪正之者也。
且又一禰宜度會行忠神主相傳以來,轉寫為兩流。一本者,延慶三年,荒木田神主某寫之。一本者,延文四年,度會神主光員傳之。其後三百餘年,幾轉寫而有烏焉馬之相連。方今以兩流本校合之,則誤字闕文,言語道斷也。
雖殘暑難堪,為神道興隆,校正之,修補之。猶有遺漏,期正本一覽之節云爾。
寬文九年七月十一日 權禰宜正五位下【度會神主延佳
【度會本奧書中一節云】【二所太神宮寶基本圖以下至文永三年云云度會神主相傳之與屋代本全同文,故今略之。】
建治三年丁丑九月二日 禰宜度會神主行忠書之 數度校合訖
為後代龜鏡子孫證本之上者,不可出門外矣,秘中之秘也。努努千金,莫傳之。 延文四年已亥十月十日 豐受太神宮權禰宜從四位上度會神主光員 延文四年十月十日 參宮之次 依權禰宜度會神主之命 終書寫之訖 且者神法樂何事如何之 釋蓮基 【判】 永正六年己巳二月廿一日 於駿州府中書寫之 末姿莫詮 【春秋五十五。】
【裏書云】
一古人秘傳云,伊勢兩宮則胎金兩部太祖也。 日天子。
天地未剖,陰陽不分以前,是名混沌。萬物靈是名虛空神,亦曰大元神,亦號國常立神,亦名俱生神。
希夷視聽外,氤氳氣象之中。虛而有靈,一而無體。故發廣大慈悲於自在神力,現種種形,隨種種心行。為方便利益所顯名,曰大日孁貴,亦曰天照太神。為萬物本體,度萬品也。世間人兒,如宿母胎也。 月天子。
天地之間,氣質未相離,是名渾沌。所顯尊形,是名金剛神。生化本性,萬物惣體也。金剛水にも不朽,火も不燒,本性精明也。故亦名神明,亦名太神也。任大慈悲本誓,每人隨思,降寶如龍王寶珠,利萬品。水德,故亦名曰玉氣都神也。
金玉則眾物中功用最甚,不朽、不壞、不黑,故為名。無內外表裏,故為本性。謂人乃受皇金神之性,須守混沌之始【云云。】。故則敬信神尊佛,清靜為先【云云。】。從正故以為清淨,隨惡以為不淨。惡不淨之物,鬼神之所惡也。 十星。
南斗北斗,五鎮大星。
九星。【外宮。】、一切國土星。【三皇帝。】、三公星。【三台。】、百官星等。【上中下首座。】、御井社守護羅列星。七座。 至德四年三月二日 伊勢內宮邊書之 明應四年十二月八日 荒木田守晨 【生年卅一歲。】
永正九年七月廿三日 物忌俊重 正保四年十月廿五日 書寫之 同日 一校了 右本者 荒木田備重神主所持之外 為宮司家再興 大中臣精長
同年十二月四日 以荒木田聖澄神主之本 令一校了
一、神代事紀 天地開闢之初,神寶日出之時。御饌都神與大日孁貴,豫結幽契,永治天下。言壽宣肆。或為月為日,永懸而不落。或為神為皇,常以無窮。光華明彩,照徹於六合之內。以降。 高天原に神留座す,皇親神漏岐漏美命以て,八百萬神等を,天之高市に,神集集給ひ,神議議給て,大葦原千五百瑞穗之國は,吾子孫可王之地也,安國と平く,我皇御孫之尊天降所知食と。事依奉ぎ,如此依し奉留國中に荒振神等はを。神攘攘平けむと,神議議給ひ,諸神等皆量申し,天穗日之命を遣而平けむと申し。
是以,天降遣時に,此神返言不奏し。次遣し健三熊之命,隨父事て返言不申す。又遣し天若彥も,返言不申て,高津鳥殃に依て,立處に身亡し。是以天津神の御言,以て。更量給て,經津主命、建雷命二柱神等天降降給ひて。
大己貴神,其子事代主神に語言て。即大己貴神の,以平國所杖之廣矛て。有螢火光神,即五月蠅聲邪荒振鬼神等を,神攘攘給ひ,神和和給て。語問し,磐根樹立,草之片葉も語止て,葦原之中國,皆已驅除平定ぬと。復命せり。
于時,以八坂瓊之曲玉,八咫鏡,及草薙劍三種神財て,授賜皇孫,永為天璽して。視此寶鏡こと,當猶視吾。可與同床共殿して,以為齋鏡し。寶祚之隆,當與天壤無窮しと宣ひき。 即,天津彥火瓊瓊杵尊と,伴神天兒屋,命掌解除,宣く。謹請再拜,諸神等各念べ。此時,天地清淨と,諸法如影像也。清淨無假穢し。取說不可得す,皆從因生葉せりと,諄辭せり。太玉命捧青和幣、白和幣け。天牟羅雲命取太玉串て。
三十二神前後に相副從比天,各闢天關き,披雲路けて,驅仙蹕ひ,天之八重雲を,伊頭之千別に千別て。筑紫日向高千穗槵觸之峰に,天降到給ひて。治天下,卅一萬八千五百卌二年。是時天地未遠,故以天柱舉餘天上焉。 天津彥火瓊瓊杵尊。【正哉吾勝勝速日天忍穗爾尊太子也。母栲幡千姬,高皇產靈尊女也。】 彥火火出見尊。【天津彥火瓊瓊杵尊第二子也。母木花開耶姬,大山祇神女也。】治天下,六十三萬七千八百九十二年。 彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊。【彥火火出見尊第太子。母豐玉姬,海童二女也。】治天下,八十三萬六千卌二年。
二、神武天皇 神日本磐余彥天皇。【彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊第四子也。母玉依姬,海童之大女也。】
天皇生而明達,意確如也。
年十五,立為太子。
及卌五歲,謂諸兄及子等曰:「昔我天神高皇產靈尊、大日孁尊,舉此豐葦原瑞穗國,而授我天祖彥火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊開天關,披雲路,驅仙蹕,以戾止。是時運屬鴻荒,時鐘草昧。故,蒙以養正,治此西偏。皇祖皇考,乃神乃聖,積慶重暉,多歷年所。自天祖降跡以逮,于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。【而遼遙之地,猶未霑於王澤。遂使邑有君,村有長,各自分疆,用相凌躒。】」 元年甲寅歲,冬十月,發向日本國。天皇親率諸皇子,舟師東征也。
八年辛酉,正月,即建都橿原。
經營帝宅て,皇孫命の美豆御舍を,造仕奉て,天御蔭日御蔭と隱作て,四方國を安國と平介久知食す。天津璽の劍、鏡を捧持賜て,言受宣して,天津日嗣を,萬千秋乃長秋に,奉護り奉祐る稱辭竟奉。 凡,神倭伊波禮彥天皇已下,稚日本根子彥大日日天皇以徃九帝,歷年六百卅餘歲。當此時,帝與神,其際未遠。同殿共床,以此為常。故,神物、官物,亦未分別焉。
三、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇。
即位六年己丑,秋九月,就於倭笠縫邑。殊立磯城神離,奉遷天照太神即草薙劍。令皇女豐鋤入姬命奉齋焉。其遷祭夕部,宮人皆參。終夜宴樂歌舞,然後隨太神之教。國國處處に大宮處を求給へり。
天皇以徃九帝,同殿共床。然漸畏其神勢,共住不安。改令齋部氏,率石凝姥神裔、天目一箇裔二氏,更鑄造鏡、劍,以為護身御璽焉。是今踐祚之日所獻神璽鏡劍是也。【謂名內侍所也。】
卅九年壬戌,遷幸但波の吉佐宮。積四年,奉齋從此更倭國求給。
此歲,豐宇介神天降坐,奉御饌。
四十三年丙寅,遷倭國伊豆嘉志本宮,八年奉齋。
五十一年甲戌,遷木乃國奈久佐濱宮。積三年之間奉齋。于時,紀國造,進舍人紀麻呂,良地口、御田。
五十四年丁丑,遷吉備國名方濱宮。四年奉齋。于時,吉備國造,進采女吉備都比賣,又地口、御田。 五十八年辛巳,遷倭彌和の御室嶺上宮。二年奉齋。是時,豐鋤入姬命:「吾日足。」と白し。
爾時,姪倭比賣命事依奉り,御杖代と定て。從此,倭姬命奉戴天照太神而行幸。【相殿神天兒屋命、太玉命,御戶開闢神天手力男神、烤幡姬命,御門神豐石窗、櫛石窗命。並五部伴神,相副奉仕焉。】
六十年癸未,遷于大和國宇多秋志野宮。積四箇年之間奉齋。于時,倭國造,進采女香刀比賣,地口、御田。
倭姬命の御夢に:「高天之原坐而吾見之國に,吾乎坐奉。」と悟教給ひき。從此東向,乞宇氣比氐詔久:「我思刺て徃處。吉有ならば,未嫁夫童女相逢。」と祈禱幸行。
爾時,佐佐波多が門に,童女參相。則問給く:「汝誰?」答曰:「奴吾は天見通命孫爾八佐加支刀部。【一名,伊己呂比命。】が兒宇太乃大禰奈。」と白き。亦詔曰:「御共從仕奉哉?」答曰:「仕奉。」即御共從奉仕。
件童女を大物忌と定給ひて,天磐戶の鑰預賜りて,無黑心して,以丹心て,清潔く齋慎み,左物を不移右す,右物不移左して,左左,右右,左歸右迴事も,萬事違事無くして,太神に奉仕。元元本本故也。又,弟大荒命,同奉仕。從宇多秋志野宮幸行而佐佐波多宮坐焉。
六十四年丁亥,遷幸伊賀國隱市守宮。二年奉齋矣。
六十六年己丑,遷于同國穴穗宮。積四年奉齋。爾時伊賀國造,進箆山葛山戶,並地口、御田,細鱗魚取淵、梁作瀨等。朝御氣、夕御氣供進焉。【細鱗魚,鮎也。御氣,御饌也。】
四、垂仁天皇 活目入彥五十狹茅天皇。
即位二年癸巳,遷于伊賀國敢都美惠宮。二年奉齋矣。
四年乙未,遷淡海甲可日雲宮。四年奉齋。于時,淡海國造,進地口、御田。
八年己亥,遷幸同國坂田宮。二年奉齋。于時,坂田君等,進地口、御田。
十年辛丑,遷幸于美濃國伊久良河宮。四年奉齋。次,遷于尾張國中島宮座て,三箇月奉齋。倭姬命國保き給。于時,美濃國造等,進舍人市主,地口、御田,並御船一隻進し。同,美濃縣主角鏑之作而進御船二隻:「捧船者,天之曾己立。抱船者,天之御都張。」と白而進し。采女忍比賣,又進地口、御田。故,忍比賣之子繼,天平瓫八十枚作進。 十四年乙巳,遷幸于伊勢國桑名野代宮。四年奉齋。于時,國造大若子命,【一名,大幡主命。】參相御共仕奉,國內風俗令白し。又,國造建日方命參相し,「汝國名何?」問給。白く「神風伊勢國。」と白。進舍人弟伊爾方命,又,地口、神田,並神戶。又,若子命,進舍人弟乙若子命。次,川俣縣造祖大比古命參相し,「汝國名何?」問賜。白く:「味酒鈴鹿國,なぐはし忍山。」白し。然神功奉造奉令幸行。又,神田並神戶進し。次,阿野縣造祖真桑枝大命に,「汝國名何?」問賜。白く:「草蔭阿野國。」白て,進神田、神戶。次,市師縣造祖建呰古命に,「汝國名何?」問賜。白く:「害行阿佐賀國。」白,進神戶並神田。 十八年已酉,遷坐于阿佐加藤方片樋宮。積年立四箇年奉齋。是時に,阿佐加乃彌子に坐而伊豆速布留神。白徃人者,五十人取死。卌徃者,廿人取死。如此伊豆速布留時に。倭比賣命於朝廷,大若子命を進上而,彼神事を申上者。
「種種大御手津物彼神進。柔はししづめ平奉。」と,詔遣下給し。于時,其神を,阿佐加乃山嶺社作定而,其神を柔はししづめ上奉て勞祀し。爾時,倭比賣命,「うれし。」と詔て。其處名てうれしと號。
然,度坐時に,阿佐加加多爾多氣連等祖宇加乃日子之子吉志比女,次吉彥,二人相參し。此問給く:「汝等が漁る物者,何ぞ?」と問給し。答白く:「皇太神之御贄之林奉上,赤貝を漁る。」と白し。于時,「白事恐。」と詔而,其赤貝を令進太神之御贄而,佐佐牟の木枝を割取而,生燧きに受け燧きらせ給時に。其火燧り出而,采女忍比賣が作之天平瓫八十枚持而,伊波比戶に仕奉し。爾時,吉志比女,地口、御田,並御麻園進。 一書曰。天照太神自美濃國迴到安濃藤方片樋宮座。于時,安佐賀山有荒神。百往人者,亡五十人。卌往人者,亡廿人。因茲,倭姬命,不入座度會郡宇遲村五十鈴川上之宮。奉齋藤方片樋宮。于時,安佐賀荒惡神為行を,倭姬命遣中臣大鹿島命、伊勢大若子命、忌部玉櫛命,奏聞天皇。天皇詔:「其國者,大若子命先祖天日別命所平山也。大若子命祭平其神,令倭姬命奉入五十鈴宮。」即賜種種幣而,返遣大若子命,祭其神。已保平定。即社,於安佐賀以祭者矣。而後,倭姬命即得入坐。但於其渡物者,敢不反取。 廿二年癸丑,遷飯野高宮。四箇年奉齋。于時,飯高縣造祖乙加豆知命に,「汝國名何?」問賜。白く:「いすひ飯高國。」と白而,進神田並神戶。倭姬命,「飯高しと白事貴。」と悅賜し。次,佐奈縣造祖彌志呂宿禰命に,「汝國名何?」問賜。白く:「こもり國志多備之國,まくさむ毛草向國。」白て,進神田、神戶。又,大若日子命に,「汝國名何?」問賜。白く:「百張蘇我の國五百枝刺竹之國。」と白し。其處に御櫛落給し。其處を櫛田と號給,櫛田社定賜し。
從其處して,御船乘給て幸行,其河後江に到坐。于時,魚自然集出て,御船參乘し。爾時,倭姬命見悅給て,其處に魚見社定賜し。從其幸行なる,御饗奉神參相し。「汝國名何?」問給。白く:「白濱真名胡國。」申。其所真名胡神社定賜し。又,乙若子命,以麻神、獵靈等,進倭姬命而,令祓解。即陪從之人,留弓劍兵,共入座飯野高宮。遂得向五十鈴宮。自爾以來,天皇之太子齋宮,如及驛使國斯人等,到此等川,為解除,止鈴聲之。此其儀也。
從其幸行て,佐佐牟江御船泊給ひ。其處に佐佐牟江宮造令坐船し。大若子命:「白鳥之真野國。」と國壽き白し。其處に佐佐牟江社定給し。從其處幸行之間に,無風浪して海潮大淀度に淀度みて,御船令幸行。其時,倭姬命悅給て。其濱に大與度社定給し。 廿五年丙辰,春三月,從飯野高宮迁幸于伊蘇宮,令坐し。于時,大若日子命問給く。「汝國名何?」白く:「百船度會國,玉綴伊蘇國。」と白て,御鹽濱並林定奉し。此宮坐て供奉。御井在所は御井と號し。
【天照大神誨倭姬命曰:「是神風伊勢國,即常世之浪重浪皈國也,傍國可怜國也,欲居是國。」故隨太神教,其祠立於伊勢國。因興立齋宮于五十鈴川上。是謂磯宮。天照大神始自天降之處也。】
于時,倭姬命詔く:「南山末見給は,吉宮處可有見ゆ?」と詔て。御宮處覔に,大若子命を遣し。倭姬命は皇太神を奉戴て,小船乘給,御船に雜神財並忌楯桙等を留置て,從小河幸行し。從其河して,御船後立し。爾時,驛使等:「御船うくる。」と白し。其處を宇久留と號し。
從其處幸行,速河彥詣相し。「汝國名何?」問給。白く:「畔廣之狹田國。」と白て,佐佐上神田進し。其處に速河狹田社定給し。從其處幸行,高水神參相し。「汝國名何?」問給。白く:「岳高田深坂手國。」と白て,田上神田進し。其處に坂手社定給し。從其處幸行,河盡し。其河之水寒有し,則寒河と號。其處御船留給て,即其處に御船神社定給し。從其處幸行時,御笠服給し,其處を笠伎と號支。大川瀨渡給と為に,鹿宍流相し。「是,穢惡。」詔て,不渡坐。其瀨を逢鹿瀨號し。從其處指河上を幸行ば,砂流速瀨有し。于時,真奈胡神參相渡奉し。其瀨真奈胡御瀨號て,御瀨社定給し。 從其處幸行,美地到給ぬ,真名胡神に。「國名何?」問給し。「大河之瀧原之國。」と白し。其處を宇大之大字禰奈を為て,荒草令苅掃て,宮造令坐し。此地は,皇太神之欲給地には,不有悟給し。其時,大河自南道,宮處覔に幸行に。美野に到給し,宮處覔侘賜ひて,其處を和比野と號し。
從其處幸行に,久求都彥參相し。「汝國名何?」問給し。白く:「久求小野。」白し。倭姬命詔く:「御宮處を久求小野と號給て,其處に久求社定賜。」于時,久求都彥白く:「吉大宮處有。」白し。其處に幸行し,園作神參相し,御園地進し。其處悅給,園相社定給し。從其處幸行に,美小野有し。倭姬命愛で給て,即其處を目弖野と號し。又其處に圓なる有小山し。其處を圓と號し。 從此處幸行,澤道野在し。其處を澤道小野號し。其時,大若子命,從大河御船率,御向參相し。于時,倭姬命大悅給て,大若子問給し。「吉宮處在哉?」白く:「さこくしろ宇遲之五十鈴河上爾,吉御官處在。」白し。亦悅給て,問給く:「此國名何?」白く:「御船向田國。」白し。其處御船乘給,幸行し。其忌楯桙種種神寶物,留置所名は忌楯小野號し。
從其處幸行ば,有小濱。其處取鷲老公在し。于時,倭姬命:「御水飲」と詔て:「爾老に,何處吉水在?」問給し。其老以寒御水,御饗奉し。于時讚給,其水門に水饗神社定賜し。其濱名,鷲取小濱號し。
然而,二見濱御船坐。于時,大若子命に,「國名何?」問給。白く:「速兩,二見國。」と白し。爾時,其濱御船留給て坐時,佐見都日女參相し。「汝國名何?」問給し。御詔を不聞,御答も不白て,以堅鹽多御饗奉し。倭姬命慈給,堅多社定給し。于時,大若子命,其濱を御鹽並御鹽山定奉し。
從其處幸行て,五十鈴河後之江入坐し。時,佐美川日子參相し。問給:「此河名何?」問。白く:「五十鈴河後。」白し。其處に江社定給し。又從其處幸行に,荒崎姬參相。「國名何?」問給。白く:「皇太神御前荒崎。」白し。「恐し。」と詔,神前社定給。
此其江上幸行,御船泊し處名,號御津浦し。從其上幸行,小嶋在し。其嶋坐て,山末、河內見迴給て,如大屋門前在地し。其處上坐て,其處名,號大屋門し。從其處幸行,神淵河原坐波,苗草戴耆女參相し。問給:「汝何為?」耆女白く:「我取苗草女,名宇遲都日女。」と白く。又問給く:「などか書く為?」耆女白く:「此國は鹿乃見哉毛為。」と白し。其處を鹿乃見と號し。「何是?」問給と「とかめ。」白し。其處を止鹿乃淵號し。 從其矢田宮幸行し。次,家田田上宮遷幸し。其宮坐時,度會大幡主命,皇太神の朝御氣、夕御氣處の御田定奉し。宇遲田田上に在,名拔穗田是也。
從其幸行,奈尾之根宮座給。于時,出雲神子吉雲建子命,一名伊勢都彥命,一名神櫛玉命,並其子大歲神子櫻大刀自命,山神大山罪命子朝熊水神等,五十鈴川後江にて奉御饗し。于時,猿田彥神裔宇治土公祖大田命參相し。「汝國名何?」問給に,「さこくしろ宇遲之國。」と白て,御止代神田進し。倭姬命問給く:「有吉宮處哉?」答白久:「さこくしろ宇遲之五十鈴之河上者,是大日本之中に殊勝靈地侍なり。其中,翁卅八萬歲之間にも未視知る有靈物,照耀如日月也。惟,小緣之物不在し。定主出現御坐,爾時『可獻。』と念ひて。彼處に禮祭と申せり。」即彼處徃到給て,預覽ければ,惟昔太神誓願給ひて,豐葦原瑞穗國之內に,伊勢風迅之國は,有美宮處りと見定給ひ,從天上して投降坐ひし。天之逆太刀、逆桙、金鈴等也,甚喜於懷ひて,言上給ひし。 廿六年丁巳,冬十月,甲子,奉遷于天照太神於度遇五十鈴河上る。
今歲,倭姬命詔大幡主命、物部八十友緒人等,五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石、小石造平て,遠山、近山の大峽、小峽に立材を,齋部之齋斧を以て伐採て,本末をは山祇に奉祭て,中間を持出來て,齋鉏を以て,天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知り,下都磐根に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮と奉鎮坐。于時,美船神、朝雄水神等,御船に乘奉りて,五十鈴之河上に迁幸。于時,河際にして,倭姬命御裳裔長汚れしけるを洗給へり。從其以降,號御裳須曾河也。
采女忍比賣,造天平瓫八十枚。令天富命孫作神寶,鏡、大刀、小刀、矛、楯、弓箭、木綿等,備神寶、大幣矣。爾時,皇太神,倭姬命の御夢喻給く:「我高天原に坐,甕戶押張原,如見,見志。まきし國宮處は是處也。鎮り定り給と覺給し。」
于時,倭姬命,並御送驛使安部武渟河別命、和珥彥國葺命、中臣國摩大鹿島命、物部十千根命、大伴武日命,並度會大幡主命等に,御夢狀具令教知給し。于時,大幡主命悅白く:「神風伊勢國,百船度會縣,さこくしろ宇治五十鈴河上,鎮り定り坐皇太神。」と國壽ぎ奉し。終夜宴樂歌舞,如日小宮之儀し。
爰倭姬命:「朝日來向國,夕日來向國,浪音不聞國,弓矢鞆音不聞國,打まきしめる國,敷浪七保國之吉國,神風伊勢國之,百船度會縣之,さくくしろ五十鈴宮に鎮り定り給。」と國壽ぎ給し。
于時,送驛使朝廷還詣上。倭姬命御夢狀細返奏白し。爾時,天皇聞食て,即大鹿島命祭官定給し。大幡主命,神國造兼大神主定賜し。神管造立。物部八十友緒人等率,雜神奏取總捧て,大御串供奉。因興齋宮于宇治縣五十鈴川上大宮際。令倭姬命居焉。
即建八尋機屋,令天棚機姬神孫八千千姬命織太神御衣,譬猶在天上之儀焉。【謂號宇治機殿是也。一名號礒宮也。】次,櫛玉命、大年神、大山津見山神、朝熊水神等奉饗。彼處にして神社定給,留置神寶。【伊弉諾、伊弉冉尊所捧持白銅鏡二面是也。是則日神、月神所化之鏡也,水、火二神為靈物也。】 倭姬命御船乘給,御膳、御贄處定。幸行島國國崎島に,「朝御饌、夕御饌。」と詔而,湯貴潛女等定給て,還坐時,神堺定給し。戶島、志波崎、佐加崎島定給而,伊波戶居給而,朝御饌、夕御饌處定奉。然後倭姬命御船留而,鰭廣魚、鰭狹魚、貝滿物、奧津藻、邊津藻依來に。海潮相和而,淡在ける。故淡海浦と號し。伊波戶居島名戶島號,彼刺處名柴前と號。
從其以西之海中に,在七箇島。從其以南,鹽淡甘し,其島を淡良繼之島號し。其潮淡滿溢浦名を伊氣浦號し。其處參相て御饗仕奉神を淡海子神と號て,社定給し。其處を朝御饌、夕御饌島定し。還幸行,其御船泊留在し處を,津長原と號し,其處に津長社定給し。 廿七年戊午,秋九月,鳥鳴聲高聞て,晝夜不止囂。「此異。」と宣て,大幡主命、舍人紀麻良と差使,遣令見彼鳥鳴處。罷行見ば,嶋國伊雜方上葦原中在稻二基,生本は一基に為て,末千穗茂也。彼稻,白真名鶴咋持迴乍鳴し,此見顯,其鳥鳴聲止し,返事申し。
爾時,倭姬命宣く:「恐し。事不問ぬ鳥すら,田作皇太神爾奉物を?」と詔て,物忌始給て,彼稻伊佐波登美神を為て,拔穗に令拔て皇太神御前懸く真に懸奉始し。則其穗,大幡主女子乙姬に,清酒令作,御饌奉始し。千稅奉始事,因茲也。彼稻生地,千田號し,在島國伊雜方上。其處,伊佐波登美之神宮造奉。皇太神為攝宮,伊雜宮此也。彼鶴真鳥を號,稱大歲神,同處祝定奉也。又其神,皇太神之坐朝熊河後之葦原中,石して坐。彼神,小朝熊山嶺社造奉,祝定令坐,大歲神稱是也。 又明年,秋之比,真名鶴,皇太神宮當,天翔從北來て,日夜不止翔鳴し。時當百草し也。爰倭姬命異給,差足速男神,使令見。罷到見ば,彼鶴,佐佐牟江宮前之葦原中還行鳴。使到見,葦原中生稻,本は一基為て,末八百穗茂也,咋捧持鳴し。爰使到見顯時,鳴聲止,天翔事止し。于時,返事白し。爾時,倭姬命歎詔く:「恐皇太神入坐ば,鳥禽相悅,草木共相隨奉。稻一本千穗八百穗茂れり。」詔て,竹連吉比古等に仰給,先穗拔穗令拔半分,大稅令刈,皇太神御前懸奉。拔穗は號細稅,號大苅太半て,御前懸奉。仍,天津告刀,「千稅八百稅餘稱。」と稱白て仕奉也。因其鶴住處,八握穗社造祠也。又,「伊鈴之御河之溉水道田には,苗草不敷して,作食。」詔し。亦,「我朝御饌、夕御饌の御田作,家田堰水道田には,田蛭穢故れば,不住し。」と宣し。 亦,種種事定給。 內七言。佛稱中子,經稱染紙,塔稱阿良良伎,寺稱瓦葺,僧稱髮長,尼稱女髮長,齋稱片膳。
外七言。死稱奈保留,病稱夜須美,哭稱鹽垂,血稱阿世,打稱撫,宍稱菌,墓稱壞,亦優婆塞稱角波須。 亦,祓法定給。 敷蒔、畔放、溝埋、樋放、串刺、生剝、逆剝、屎戶、ここだく之罪をば,天津罪と告別て。
生膚斷、死膚斷、母犯罪、子犯罪、己子犯罪、子母犯罪、畜犯罪、白人、古久彌、川入、火燒罪をば,國都罪と告分て。 天津金木を,本打切末打斷て,千座の置座に置足はして,天津菅麻は,本刈斷末刈切て,八針に取刺て,種種の贖物等をば,案上案下に,如海山くに置足して,天津祝詞大祝詞事を宣れ,如此く宣らば,天津神、國津神は,朝廷を始て,天下四方國には,罪と云罪は不在と,清淨に所聞食む。以掌其解除之太諄辭て,天罪、國罪之事を大祓除焉。 亦,年中雜神態,三節祭定賜。 御贄,嶋に神主等罷御贄漁て,島國國前潛女取奉玉貫鮑,鵜倉慥柄島神戶進堅魚等御贄,國國處處寄奉神戶人民の奉留大神酒,御贄荷前等を,如海山く置足て,神主部物忌等忌慎て,聖朝大御壽を,手長之太壽と,湯津之如石村くに,常磐堅磐に,天津告刀の太告言事を以天稱申,終夜宴樂,舞詠歌音の,巨細大少長短く國壽ぎ奉。【十二詠有別卷。年中行事記具也云云。】
五、景行天皇 大足彥忍代別天皇。
廿年庚寅歲,倭姬命:「年既老耆,不能仕。吾足ぬ。」と宣て。齋內親王に可仕奉物部八十氏人人定給て,十二司寮官等をば奉移五百野皇女久須姬命。
即春二月,辛巳朔甲申,遣五百野皇女を御杖代として,多氣宮造奉て,齋慎み令侍給き。伊勢齋宮群行始,是也。爰,倭姬命,宇治機殿の礒宮作給へり,奉日神祀事無倦焉。 廿八年戊戌,春二月,暴神多起而東國不安。
冬十月,壬子朔癸丑,日本武尊發路之。
戊午,枉道天拜伊勢神宮。仍辭于倭姬命曰:「今被天皇之命而東征,將誅諸叛者。故辭之。」
於是,倭姬命取草薙之劍,受日本武尊。宣く:「慎之,莫怠也。」
是歲,日本武尊初至駿河,入野中,而遭野火之愁。王所配劍叢雲自抽之,薙攘王之傍草。因是得免,故號其劍曰草薙也。
日本武尊既平冬虜,還至尾張國。納宮簣媛,淹留踰月,解劍置定。徒行登膽吹山,中毒而薨。其草薙劍,今在尾張國熱田社也。
六、雄略天皇 泊瀨朝倉宮大泊瀨稚武天皇。
即位十一年丁巳,冬十月,倭姬命夢教覺給く:「皇太神,吾一所不坐ば,御饌も安不聞食。丹波國與佐之小見比沼之魚井原坐,道主子八乎止女の齋奉,御饌都神止由居太神を,我坐國欲。」と誨覺給き。
即天皇敕:「汝大若子使罷徃て,布理奉。」宣き。故,率手置帆負、彥狹知二神之裔,以齋斧、齋鉏等,始採山材,構立寶殿。
而明年戊午,秋七月,七日,以大佐佐命て,從丹波國余佐郡真井原して,奉迎止由氣皇太神。度會山田原の下都磐根に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て,鎮定座と,稱辭奉り奉饗り神賀吉詞白賜へり。
又檢納神寶,卜兵器為神幣,更定神地、神戶て,二所皇太神宮の朝大御饌、夕大御饌を,日別齋敬供進之。又隨天神之訓,土師・物忌を定置。取宇仁之埴,造天平瓫八十枚て,敬祭諸宮。又,皇太神第一攝神,荒魂多賀宮をば,豐受大神宮に奉副從給者也。
又依敕宣,以大佐佐命,兼行二所太神宮大神主職仕奉。又,丹波道主命子,始奉物忌,御飯炊滿供進之。御炊物忌是也。又,須佐乃乎命御玉,道主貴社定,粟玉子神社座是。又大若子命社定,大聞社是也。宇多大采禰奈命祖父天見通命社定,田邊氏神社是也。總此馭宇に,攝社卌四前崇祭之。
爰,皇太神重託宣く:「吾祭奉仕之時,先可奉祭止由氣太神宮也。然後我宮祭事可勤仕也。」故則諸祭事,以此宮為先也。亦皇神託宣く:「其造宮之制者,柱則高太,板則廣厚れ。是皇天之昌運,國家之洪啟ことは,宜助神器之大造也。」即承皇天之嚴命て,移日小宮之寶基,造伊勢兩宮焉。 天皇即位廿三年己未,二月,倭姬命召集於宮人及物部八十氏等,宣く:「神主部、物忌等諸聞,吾久代太神託宣ましましき。『心神則天地之本基,身體則五行之化生也。肆元元入元初,本本任本心よ。神垂以祈禱為先,冥加以正直為本り。夫尊天事地,崇神敬祖,則不絕宗廟。經綸天業,又屏佛法息奉,再拜神祇れ。日月迴四洲,雖照六合,須照正直頂。』と,詔命明矣。己專如在禮,奉祈朝廷らば,天下泰平して,四民安然ならむ。」と,布告訖。自退尾上山峰,石隱坐。
七、逸話諸說 一書曰。倭姬皇女,垂仁天皇第二女也。生而貌容甚麗,幼而聰敏睿知。意貞潔,通神明給へり。故皇御孫尊の為御杖代て,奉頂皇太神。從美和之御諸宮發給て,願給國求奉き。 垂仁天皇廿五年丙辰,春三月,伊勢百船度會國、玉綴伊蘇國に入座。即建神服織社,令織太神之御服,麻績機殿神服社是也。【從是處,始有號伊雜宮焉。】然後,隨神誨,造建神籬。
取丁巳年,冬十月,甲子,奉遷於五十鈴川上之後,覔清麗膏地て,和妙之機殿を,同興于五十鈴川上側。令倭姬命居焉。于時,天棚機姬神,令織太神和妙御衣給へり。是名號礒宮矣。 爰卷向日代宮御宇,日本建尊,比比羅木の以八尋鉾根て,奉獻皇太神宮る。即倭姬皇女,比鉾根は,納緋囊て,皇太神の貴財と為て,八尋機殿,【圓方機殿,是也。】隱狀て,為皇太神御靈て,奉崇祭る。令天棚機姬神裔八千千姬命,每年夏四月、秋九月,織神服,以供神明。故曰神衣祭也。
總此御世,定神地、神戶。崇祭天神地祇。年中神態,蓋始於是時矣。 至於大泊瀨稚武天皇御宇,自退薨。爾時,倭姬皇女,大神主、物忌等に託宣く:「天照太神は,日月と共して,寓內に造臨給へり。豐受太神は,天地と共して,國家を守幸給へり。故則,天皇御宇,二柱靈尊訪神風之地ひ,尋重浪之國て,天降鎮座給へり。凡伊勢二所皇太神宮,則伊弉諾、伊弉冉尊崇神,宗廟社稷神,惟群神宗,惟百王組也,尊無與二。自餘諸神者,乃子乃臣,孰能抗や。」と詔ふ。 吾聞。大日本國者,神國也。依神明之加被て,得國家之安全,依國家之尊崇て,增神明之靈威す。肆に祭神之禮,以神主祝部為其齋主と。因茲て,大若子命弟若子命同侍殿內て,善為防護,奉祈國家れらば,寶祚之隆,當與天壤無窮矣。
亦聞,夫悉地則生心す,意則顯信心る。蒙神明利益事は,依信心厚薄と成り。天下四方國の人夫等に至まで,奉敬焉。
八、神名社帳
天照皇太神,一座。【大日孁貴,此云おほひるめのむち。霎,音力丁反。】
御形,八咫鏡坐。【謂八咫者,八頭也。】
相殿神,二座。【左天兒屋命,形,弓座。右太玉命。劍座。】
一書曰,天手力男神、万幡豐秋津姬命。
荒祭宮,一座。【皇太神宮荒魂。伊弉那伎大神所生神。名八十枉津日神也。】
一名,瀨織津比咩神,是也。御形,鏡座。
伊弉諾尊。【左方。】靈御形,鏡座。
伊弉冉尊。【右方。】靈御形,鏡座。
月夜見命,二座。【形,馬乘男形也。一書曰,御形,馬乘男形,著紫御衣,金作帶大刀佩也。】
荒魂命。【右方。】形,鏡座。【飛鳥宮御宇丙寅年,十一月十一日,遷魚見神社也。】
瀧原宮,一座。靈御形,鏡座。水戶神,名速秋津日子神,是也。
並宮,一座。【靈御形,鏡坐。速秋津日子神妹秋津比賣神,是也。】
此二神,因河海持別,而生神八柱。
伊雜宮,一座。【天牟羅雲命裔天日別命子玉柱屋姬命,是也。形,鏡坐。】
大歲神,一座。【國津神子。形,石坐。】
興玉神。【無寶殿。衛神猿田彥大神,是也。一書曰,衛神孫大田命,是土公氏遠祖神,五十鈴原地主神也。】
瀧祭宮。【無寶殿。在下津底水神也,一名澤女神,亦名罔象神。】
朝熊神社。【櫛玉命,靈,石坐。保於止志神,石坐。櫻大刀神,花木坐。苔蟲神,石坐。大山祇,石坐。朝熊水神,石坐。寶鏡二面,日月所化白銅鏡,是也。】
風神。【一名,志那都比古神。廣瀨、龍田,同神也。】
酒殿。【天避大刀、逆鉾、金鈴,藏納之。】
御倉神。專女也,保食神是也。
御戶開闢神,天手力男神,栲幡千千姬命。
御門神。豐石窗、櫛石窗神。
四至神四十四前。宮中祭之。
豐受太神,一座。【元丹波國與謝郡比冶山頂麻奈井原坐,御饌都神。亦名倉稻魂,是也。大自在天子。御靈形,真經津鏡座,圓鏡也,神代三面內也。天御中主靈。御間城入彥五十瓊殖天皇即位三十九年七月七日,天降坐。】
相殿神,三座。【大一座,天津彥彥火瓊瓊杵尊,形,鏡坐。前二座,天兒屋命。太玉命,形,笏座、寶玉座、大左方座,前二座,右方座。】
多賀宮,一座。【豐受荒魂也。伊弉那伎神所生神,名伊吹戶主,亦名日神直日大直毘神,是也。靈形,鏡座。】
土御祖神,二座。【宇迦之御魂神,土乃御祖神。形,鏡坐、寶瓶坐。】
月讀神。
調御倉神。【宇賀能美多麻神,三狐神。形,尊形也。保食神,是也。】
酒殿神。【豐宇賀能賣命,缶坐。丹波竹野郡奈具社坐神是也。天女善為釀酒,飲一杯,苦万病除之。形,石座也。】
風神。【八風神。】
北御門社。【一名若雷神,加茂社同神也。形,甕座。】
御井社。【天忍石長井水,是也。七星羅列。】
御門鳥居四至神等。二宮同前也。
大國玉比賣神,二座。【大己貴命,一座。佐佐良比賣命,一座。】
右,大己貴神。【亦名,大國主神,大物主,國作大己貴,葦原醜男,八千戈神,大國玉顯國玉命。】
九、勘注附記
日本紀曰。神產日神之御子小名毘古那神,與大國主神相並作堅此國之後者,其小名毘古那神者,度于常世國也。
神代下云。高皇產靈尊敕大物主神:「汝若以國神為妻,猶謂汝有疏心。故,今以吾女三穗津姬,配汝為妻。宜領八十萬神,永為皇孫奉護。」 裏書勘注曰。風土記曰。夫,所以號度會郡者,畝傍樫原宮御宇神倭磐余彥天皇,詔て天日別命覔國之時,度會賀利佐嶺火氣發起て。天日別命親云曰:「此小佐居歟,」禮使迷命見,使者還來申云,有大國玉神賀利佐到。
于時,大國玉神遣使,奉迎天日別命。因令造其橋。不堪造畢,于時,則今以梓弓為橋而度焉。爰大國玉神,資彌豆佐佐良比賣命參來,迎相土橋鄉岡本村て。申天日別命:「歎地出之,參會曰刀自,爾度會焉」因以為名也。 一書曰。神倭磐余彥天皇御宇,惡神訝りて,人民亡,火氣發起而天下不安るに。以日別名遣使大己貴神,復命て,發兵從西宮徙此東洲之時,崇祭大國玉神。【大己貴命。】復命,天皇大歡,詔曰:「宜取伊勢國て,即為天日別命之村地。」
此世不堪火氣,伊勢多賀左山嶺に,造石宅住居て。天日別命,殺戮荒振神,罰平不遵,堺山川,定地邑者也。以天日別命子崇祭。是度會國御社也,彥國見賀岐建與東命,是也。 神服機殿。
倭姬命入坐飯野高丘宮,作之機屋,令織太神之御服。從高宮而入座礒宮,因立社於其地。曰名服織社。號麻績鄉者,郡北在神。此奉太神宮荒衣衣。神麻績氏人等,別居此村。因以為名也。
天智天皇即位七年,八月三日,夜,兩機殿燒亡。便所造假屋。
九月,御衣勤仕。依宣旨也。其後,兩機殿別別立之,相去各三十丈。
垂仁天皇廿二年,春三月,飯野高丘宮坐。
廿五年,春三月,從飯野高宮,遷于伊蘇宮座。
廿六年,冬十月,天照太神、草薙劍,度會五十鈴川上鎮座。同興齋宮于宇治縣五十鈴川上大宮邊,令倭姬命居焉。即立八尋殿,令織大神御衣。號宇治機殿,是也。【一名,礒宮。】
磐余甕栗宮御宇三年,遷于本服織社,令織大神御衣。
難波長柄豐岐宮御宇丙午年,竹連、礒部直二氏,建此郡焉。 大神宮本紀下。
伊弉諾、伊弉冉尊者,天地萬物之靈神。天照皇太神宮者,惟天地神祇之最貴者也。我國家神物靈蹤,今皆觸事有效,不可謂虛焉。于時,大神主飛鳥孫御氣書寫之。爰神護慶雲二年二月七日,禰宜五月麻呂,撰集之。
蓋聞,垂仁天皇女倭姬內親王,隨神託定大小神社,或神代神寶,奉崇神體,或以變化之靈物為神形,專致其精明之德。【云云。】
賀茂本奧書云。
本云,大治四年十二月二十七日,書寫之畢。 外宮權禰宜 度會神主 雜晴 【判】 又云,丁卯歲五月,書寫之。 豐受太神宮禰宜 正四位上 度會神主 章尚 【判】
于時,應永廿五年戊戌,仲夏端午後一日,書寫畢,校點了。 本云,時應永廿七年,六月六日,書寫畢,校點了。
此本,山田岩淵英禪秘藏云云,雖然依別段之懇志,若狹國安賀庄一旦居住之,砌令借越寫了。
希代之云重寶,云出所,更以無抗比者也。 右之一冊當家重代之祕藏也。修補之,砌難默止依貴命書,寫於一軸面遺關東者也。穴賢云云。 寬文八年夷則上旬印之 【右應永廿七年已後,裏書號令省略了。】 權禰宜 從五位上 工部員外郎
一卷入筥,同一卷,其後流部世上歟云云。
稻葉美濃守殿,井上河內守殿 寬文十二年壬六月下旬 依為校合御所望 同年來御所望之故云云
一武家傳奏中院大納言殿,當社傳奏中御門黃門資逃卿
家臣山本金顯斷之也云云一卷之 寫進于永井伊賀守殿校合之云云
延佳本奧書云。
倭姬命世記者。太神宮神祇本紀下而,度會二神之祖二所太神宮大神主御氣之筆作,同四門外宮禰宜神主五月麻呂集撰之由也。爰近代,度會神主等紛失之,而由內宮荒木田神主等雖相傳之,邪祕而不免他見,絕希望之處神慮令然歟。古本在京都不意書寫之,仍拜見之,則誤字闕字剩有落行之間,古記中徃徃所引用之,以倭姬命世記文校合之正誤字,入闕字,補落行,加古點,猶有不審期正本一見之節云爾。 寬文九已酉九月一日 渡會四門神主 延佳謹識 愚拙書寫之本庚戌回祿之時令燒失之處今又釜屋氏秦正好助筆再為家珍者也。
寬文癸巳季夏廿八鳥 直菴老人 延佳 【判】
今日出東山月殘中天明星在月南三光一時拜之
聞く所によると、伊勢には伊勢神宮という大きな神社があるそうでして(笑)
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)である。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神 (とようけのおおみかみ)
以上 wikipediaより
内宮は垂仁天皇期に祀られ、外宮は雄略天皇の御宇に今の場所に祀られたとの伝承が起源となっております。
外宮の祭祀を代々司ってきたのが度会(わたらい)氏で、度会氏に伝えられてきたのが度会神道、一般的に言われる伊勢神道であります。
その伊勢神道(度会神道)の根本経典として伝わるのが「神道五部書(しんとうごうぶしょ)」。
鎌倉時代に度会行忠ら外宮祀官が、伊勢神宮に伝わる古伝を加味しつつ執筆したものとされており、奥付には奈良時代以前の記載であるとの記述があるそうですが、確認はできておりません。一般的には14世紀頃の成立であるようです。
この「神道五部書」はその名の通り5つの経典の総称でありまして
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
の五書からなっております。
今回、ご紹介するのは、そのうちの『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)でありまして、外宮である「豊受大神宮」鎮座に関する由来を記したものです。
伊勢神宮公式サイトには
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
との説明が記載されています。
御鎮座の時期は、ボクが喋ったのとは大分違っていて、どうも勘違いしてたようです、ごめんなさい。
ま、それはそれとして『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみますれば
見ていただきたいのは赤線の部分。
天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也
これだけで、詳しい説明は不要かなとも思いますが...
阿波國に座す二社が皇祖皇統の正統なる末裔であると記してあるのです。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者、あるいは......
(ここを書かないから常々『ずるい』って言われるんだなぁ)
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だったのです。
その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの本紀を記したのでしょう。
ただ、「伊勢大神」というのは「天照大神」を指しまして、天照大神を祭神とするのは皇大神宮(内宮)で、穀物神である豊受大神を祭神とする豊受大神宮(外宮)の本紀として、この記述があるのは、非常に疑問です。
あと、神皇産霊神、云々の話もでてましたよね
この辺りは今後の課題となるでしょう(だれか調べてよ〜)。
が、通常世間に出る事の無い「御本記」に、ここまではっきりと国名、郡名を出して、その起源を主張するには、並々ならぬ事情があったことと推測されます。
「道は阿波より始まる」にも伊勢神宮は「阿波王子神社」を遷座したものだなんて書いてありましたしね。一つの裏付けにはなるでしょう。
ってトコですかね。
いかがなもんでしょうか?
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/furu_index1.htm
神道五部書
天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記
豐受皇太神宮御鎮座本紀
造伊勢二所太神宮寶基本紀
倭姬命世記
天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
一、天照坐皇太神宮 【天照坐皇太神】一座。【在伊勢國度會郡宇遲村五十鈴河上。】 記曰,伊弉諾尊曰:「吾欲生御宙之珍子。」乃以左手持白銅鏡,【天鏡尊所作三箇寶鏡也。】則有化生之神。是謂,大日孁貴,亦號天照火日孁貴也。此子光華明彩,照徹於六合之內。【天地開闢之後,神足履地而行,身光轉滅,天地大冥也。子時為度眾生,日、月、星像現於虛空。名日神、月神也。】
故伊弉諾、伊弉冉二柱神喜曰:「吾息雖多,未有若此靈異之兒。不宜久留此國,自當早送于天。」而授以天上事。日神即留宅於日之小宮焉。當神寶日出之時,天照大日孁貴與止由氣皇太神,【豐受皇太神。】豫結幽契,永治天下。 以降,高天原
亦云,真經津鏡。惟天照大神入天岩窟,閇磐戶而幽居。爾乃六合常闇
元年,太歲甲寅年,冬十月,發向日本國矣。 纏向珠城宮御宇。
廿五年丙辰,春三月,從伊勢國飯野高宮,遷幸于伊蘇宮。倭姬命奉齋矣。然後隨神教,下津磐根大宮柱太敷立
丁巳,冬十月甲子,奉遷於度遇宇治五十鈴河上之新殿,鎮
【相殿】神二座。
左,天手力男命。【元是御戶開神坐,靈御形弓坐。是神代輪王所造也。】
右,萬幡豐秋津命。【靈御形劍。是神代龍神所造也。】
件姬神,則止由氣皇太神太子,高皇產靈神一女也。是天照皇太神太子正哉吾勝尊妃。皇孫命母也。故天照皇太神與止由氣皇太神二柱大神,則曰天津彥火瓊瓊杵尊之大祖也。故尊祖敬宗,禮教為先矣。
二、荒祭宮 【荒祭宮】一座【天照大日孁貴荒魂。靈御形鏡坐。】 伊弉諾尊洗左眼,因以生神。
號曰,天照荒魂,亦名瀨織津比咩神也。
記曰,天鏡尊月殿居焉所鑄之寶鏡三面之內,二面者,伊弉諾、伊弉冉尊傳持
三、天照坐止由氣皇太神宮 【天照坐止由氣皇太神宮】一座。【在度會郡三田原。】
記曰,以代水德未露,天地未成,瑞八坂瓊之曲玉
故號葦原中國,亦因以曰天照止由氣皇太神也。與大日孁貴天照太神,豫結幽契,永治天下給也。 御間城入彥五十瓊殖天皇。
卅九歲壬戌,天照皇太神遷幸于伹波
今時,止由氣之皇神天降坐
廿一年丁巳,冬十月一日,倭姬命夢教覺給
今時,大若子命差使
明年戊午,秋七月七日,以大佐佐命
天地開闢之後,雖萬物已備,而莫照於混沌之前。因茲,萬物之化,若存若亡,而下來下來自不尊。爾時,國常立尊所化神,以天津御量事
【相殿】三座。
左一座,皇御孫尊。御靈形,金鏡坐。二面,大西,小東,以西為上,同御船代內坐。是神代靈異物也。【以二面為一座居。】道主貴奉齋神是也。大物忌,內人奉仕,其緣也。
右二座,天兒巫命。靈形,笏坐,牙像也。球玉一隻,賢木二枝坐。天岩戶開之時,天兒屋命捧持祝詞敬拜鎮祭笏賢木是也。
大玉命。靈形,瑞八坂瓊之曲玉,奉藏圓筥也。是天祖吾勝尊所化寶玉是也。亦五百箇御統玉奉懸真賢木枝也。寶玉內納珍寶也,是天地人福田也。奉納曲玉圓形筥一合,靈異物,觸事有效,亦五百箇
四、多賀宮 【多賀宮】一座。
止由氣皇太神荒魂也。
伊弉諾尊到于筑紫日向小戶橘之檍原而祓除之時,洗左眼,因以生日天子,是大日孁貴也。天下現名,曰天照太神之荒魂,荒祭神是也。復洗右眼,因以生月天子,天御中主靈貴也。天下降居而名止由氣太神之荒魂,多賀宮是也,亦曰伊吹戶主神是也。御靈形,鏡坐也。是天鏡尊所造三面寶鏡,伊弉諾尊右手
以前,天照坐二所皇太神宮御鎮坐本記,所錄顯如件也。
阿波羅波命 荒木田押刀
乃乃吉命 赤冠藥
乙乃古命
五、副本奧書 屋代本奧書云。
當宮調御倉神代秘書十二卷內神記并飛鳥記以一禰宜光忠書寫本 文治元年四月廿一日正殿假殿遷宮之次於宿館書寫畢。
禰宜 度會神主高倫判 件書寫本者,前三禰宜延行神主相承之于時以彼本書寫之
禰宜 度會神主判 於正案三通者【神記一二,飛鳥記。】別筥密藏之
享保三年戊戌二月初八
右以玉木正英翁本所書寫也 怡顏齋 藏本 再以垂加先生校訂本高田未白所書寫本就而一一查考且并寫先生之訓點今復全璧云 怒菴 松達成章 記
伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記
一、御鎮座傳記卷首 纏向珠城宮皇女倭姬命,伊勢國渡遇之宇遲二、天津彥火瓊瓊杵尊 以,昔天照大神、天御中主神,以天之御量言
于時,皇孫脫離天磐座,排分天八重雲,稜威道別道別天降給。天之八衢之衢
三、神武天皇 神日本磐余彥天皇,葺不合尊第四御子。母玉依姬,海童少女也。
元年,太歲甲寅年,冬十月,發向日本國矣。
辛酉正月,即建都僵原,經營帝宅
四、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇,漸畏神威,同殿不安。
改更令齋部氏,率石凝姥神裔、天目一箇神裔二氏,取天香山白銅、黑金,更鑄造劍鏡,以為護身御璽。是踐祚之日,所獻神璽鏡劍是也。【謂,內侍所,是也。】凡璽則大己貴神、其子事代主神,所獻於大日孁貴瑞八坂瓊之曲玉是也。 天皇六年己丑,天照大神、倭大國魂二神,並祭於天皇大殿內。然畏其神勢,共住不安。
故,秋九月,就於倭笠縫邑,殊立磯城神籬,奉遷天照太神。及草薙劍,令皇女豐鋤入姬命奉齋焉。
五、垂仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇廿五年丙辰,春三月,從伊勢國飯野高宮,遷幸伊蘇宮。
於時,倭姬命詔
今歲,猿田彥大神參,乃言壽覺白
惟,久代天地之大祖,【天照皇太神、天御中主神。】并神魯伎、【高皇產靈尊。】神魯美命,誓宣
大宮柱,【一名忌柱,亦天御量柱,亦新柱。是則皇帝之命,國家之固也。龍神、土神各一座,為守護之神座也。】太敷立於下津磐根,【大田命以地輪精金底津磐根奉獻之。】峻岐搏風於高天之原
朝廷御宇廿六年丁巳,秋九月,甲子,奉遷于天照太神宇遲之五十鈴河上
- 【天照座皇太神】,一座。【亦曰大日孁貴。】
- 【相殿神】,二座。【左天兒屋命靈。右太玉命靈。】
- 【御戶開前神】,二座前社。【左天手力男神靈。右萬幡豐秋津姬命靈。】
- 【御門神】,二座。【豐石窗神、櫛石窗神。】
- 【御倉神】,三座。【素戔嗚尊子宇賀之御魂神。亦名專女。三狐神。】
- 【酒殿神】,一座。【神靈器座。】
- 【宮中至神】,四十四前。【夜刃神大將。石坐也。】
- 【相殿神】,二座。【左天兒屋命靈。右太玉命靈。】
- 攝神。
- 【荒祭宮】,一座。【皇太神荒魂神也。伊弉諾尊到筑紫日向小戶橘之檍原而祓除之時。洗左眼,因以生日天子大日孁貴也。天下化生,名天照太神荒魂,荒祭神也。謂,祓戶神瀨織津比咩神,是也。】
- 【瀧原宮】,一座。【皇太神遙宮也。伊弉諾、伊弉冉尊所生河神,名曰水戶神。亦名速秋津日子神也。】
- 【伊雜宮】,一座。【皇太神宮遙宮也。天日別命兒玉柱屋姬命也。依神託,崇祭之。】
- 【荒祭宮】,一座。【皇太神荒魂神也。伊弉諾尊到筑紫日向小戶橘之檍原而祓除之時。洗左眼,因以生日天子大日孁貴也。天下化生,名天照太神荒魂,荒祭神也。謂,祓戶神瀨織津比咩神,是也。】
六、豐受皇太神宮
- 【豐受皇太神】,一座。 天地開闢之初,於高天原成神也。一說曰,伊弉諾、伊弉冉尊。【古語曰伊舍那天、伊舍那天妃。】先生,大八洲。次生,海神。次生,河神。次生,風神等。以降,雖經迴一萬余歲,水德未露
して ,天下飢餓。于時,二柱神天之御量事を 以て ,瑞八坂瓊之曲玉を 捧九宮。
所化神,名號止由氣皇太神き 。千變萬化,受一水之德,生續命術。故,名曰御饌都神也。古語曰,大海之中有一物,浮形如葦芽,其中人神化生,號天御中主神。故號豐葦原中國,亦因以曰止由氣皇太神也。
故,天地開闢之初,神寶日出之時,御饌都神天御中主尊與大日孁貴天照太神,二柱御太神,豫結幽契,永治天下を 。或為日為月,永懸而不落;或為神為皇,常以無窮矣。光華明彩,照徹於六合之內矣。 御間城入彥五十瓊殖天皇卅九年壬戌,天照太神を 遷幸但波の 興佐宮。積四年奉齋。
今歲,止由氣之皇神天降坐て ,合明齊德給。如天小宮之儀して ,一處雙坐す 。
于時,和久產巢日神子豐宇氣姬命,【稻靈神也。】奉備御神酒。【今世謂,丹後國竹野郡奈具社座豐宇賀能賣神是也。】亦丹波道主貴,【素戔嗚尊孫栗御子神是也。】奉備朝大御食、大御衣奉仕矣。
其功已辭竟て ,止由氣太神復上高天原き 。此處にして ,以白銅寶鏡て ,道主貴、八小男童、天日別命崇祭奉焉。
泊瀨朝倉宮御宇天皇廿一年丁巳,冬十月一日,倭姬命夢教覺給く 。皇太神:「吾如天之小宮坐に 天下にしても ,一所不坐は ,御饌毛安不聞食は 。丹波國與佐之小見比沼之真井之原坐,道主子八乎止女乃齋奉,御饌都神止由氣皇太神を ,我坐國欲。」と 誨覺給き 。爾時,大若子命差使て ,朝廷に 御夢之狀を 令言給き 。
即天皇敕:「汝大若子,使罷往て ,布理奉。」宣き 。故,率手置帆負、彥狹知二神之裔,以齋斧、齋鉏等,始採山材,構立寶殿て 。
明年戊午,秋七月七日,以大佐佐命,【弟若子命子爾佐布命子彥和志理命子河波良波命子。】從丹波國余佐郡真井原して ,奉迎止由氣皇太神。度遇之山田原の 下津磐根,【如五十鈴宮地,大田命奉敷之。】大宮柱【號忌柱,亦號天御量柱,亦曰心御柱。是則皇帝之命,國家之固,神明之德也。故龍神、土神各一座,為守護神座。】廣敷立て 高天原に 千木高知て 鎮理座。と 稱辭敬奉き 。
亦檢納神寶,卜兵器為神幣矣。更定神地、神戶て ,二所皇太神宮の 朝大御氣、夕大御氣を ,日別に 齋敬供進之。亦隨天神之訓,以土師之物忌,造天平瓫を 。丹波道主命,物忌職奉仕,御飯炊滿供進之。
皇太神重託宣:「吾祭奉仕之時,先須祭止由氣大神也。然後,我宮祭事可勤仕也。」故則,諸祭事以止由氣宮為先也。- 【相殿神】,三座。【左,天津彥彥火瓊瓊杵尊,大八洲主也。右,天兒屋根命、大玉命,各天神地祇之忠神也。】
- 【多賀宮】,一座。【止由氣皇太神荒魂也。伊弉諾尊到筑紫日向小戶之橘之檍原而祓除之時:洗左眼,因以生日天子,是大日孁貴也。天下化,名曰天照太神之荒魂,荒祭神,是也;復洗右眼,因以生月天子,天御中主靈貴也。天下化而名曰止由氣太神之荒魂,多賀宮是也;亦洗鼻,因以生神,號速佐須良比賣神。土歲靈貴也。素戔嗚尊與合力座給也。多賀宮則伊吹戶主神、祓戶神、天照太神第一之攝神也。依神誨,奉傍止由氣宮也。】
- 【山田原地主大土御祖神】,二座。【大年神子大國魂神子宇賀之御魂神,一座。素戔嗚尊子土乃御神,一座。亦衢神大田命,神寶,石寶形一面座。是神財也。】
- 【調御倉神】。【宇賀美多廓神座。是伊弉諾、伊弉冉二柱尊所生神也。亦號大宜都比賣神,亦名保食神。神祇官內座御膳神是也。亦,神服機殿祝祭三狐神同座神也。故亦名專女神也。齋王專女,此緣也。亦,稻靈宇賀能每多麻神座。西北方敬拜祭也。尊形座,各一座也。】
- 【酒殿】。【謂伊弉諾、伊弉冉尊所生和久產巢日神兒豐宇賀能賣神。亦名妲娥,亦名昇女。從月天降坐,膳釀酒,飲一坏,吉,萬病除也。其一坏之值千金,財寶積單送之,今號神酒。驛家使即齋宮之節會之夜,賜給酒立女者,此之緣也。亦曰,丹波國與謝郡比沼山頂有井,其名號
真名 井。此處居神,期竹野郡奈具社是也。故豐宇賀能賣神,靈石座也。亦酒遺天之窗一口,太神之靈器也。以敬拜祭也。古語曰吉祥,翹腹滿甘露酒。名號神酒。獻三節祭也。】
- 【相殿神】,三座。【左,天津彥彥火瓊瓊杵尊,大八洲主也。右,天兒屋根命、大玉命,各天神地祇之忠神也。】
七、物忌之緣 倭姬命與大田命,宇豆幣帛如橫山積置
高貴神推託宣
八、神鏡座事 神鏡座事。
一面者,從月天顯現之明鏡。【圓形坐,三光天象五飛龍守護神五座,是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。月天所作三面之內也。】崇祭止由氣宮,是也。
大田命曰
一面者,八百萬神等以石凝老神奉鑄寶鏡。是則崇祭伊勢太神宮也。【一名日像八咫鏡是也。八咫,古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。中為圓鏡形座也,圓外日天八座。】
一面者,日前宮座也。石凝老神鑄造鏡也。初度所鑄不合諸神意,紀伊國日前神,是也。
已上,神代寶鏡是也。
九、神託戒律 次,倭姬命隨神誨,更鑄造日月所化神鏡,藏置朝熊山神社也。亦此處
興玉神託宣
冬十一月,新嘗祭之夜深
- 【朝熊神社】,六座。【倭姬命崇祭之神社也。】
- 【櫛玉命】。一座。【倭姬命御代瑞玉奉造之。亦曰瓿尻。御靈,石座。】
- 【保於止志神】,一座。【倭姬命御代崇祭之神社也。真名鷁所化。御靈,石座也。】 懸稅靈神。
- 【櫻大刀神】,二座。【靈,華木座也。大八洲櫻樹始從天上降居也。因以為花開姬命。一座大山祇,雙座也。○此雙座或計一座,以合前述六座之數。】
- 【苔虫神】,一座。【櫻大刀子神與合力,大刀子、小刀子、鉾類等,造進之。靈,石座也。】
- 【大山祇】,一座。【寶鏡鑄造功神也。靈,石座也。櫻神與並座也。】
- 【朝熊水神】,一座。【寶鏡鑄造功神也。靈,石座也。】
- 【櫛玉命】。一座。【倭姬命御代瑞玉奉造之。亦曰瓿尻。御靈,石座。】
- 【豐受宮御井神社】
右御井者,天二上之命,理治琥珀之缽天降居。【七星羅列守護,如天小宮之饌也。】皇太神皇孫之命天降坐時に ,天牟羅雲命御前立て ,天降仕奉時に ,皇孫之命天牟雲命を 召詔く :「食國之水は 未熟,荒水に 在けり 。故御祖天御中主神之御許に 參上。此由言て 來。」と 詔。即天牟羅雲命參登て ,天孫之御祖之御前に ,皇御孫の 申上宣示を ,子細申上。
時に ,御祖天照坐太神、天御中主神、神魯伎、神魯美尊,詔く :「雜に 奉む 政は ,行奉下て 在とも 。水取政おは 遺て ,天下復飢餓く 在けり 。何神をか 奉下むと 思間に ,勇をして 參登來。」と 詔て 。「天忍石の 長井の 水を 取,八盛て 誨給く 。此水持下て ,皇太神の 御饌に 八盛獻て 。遺水は 天忍水と 云て 。食國の 水に 灌和て 獻。初又御伴に 天降奉仕五伴神、三十二神、八十友乃諸人爾毛 ,斯水を 令飲。」詔て 下奉支 。
于時,御宇廿二歲戊午,齋內親王及神主部物忌等,承神直以為訓傳。各齋持不顯露,深藏以神秘焉。大神主大佐佐,前大神主彥和志理,無位神主御倉,大物忌酒目押刀女等,謹請謹請。
倭姬命。【在※。】
白髮內親王。【在※。】
詔書,皇太神宮前大神主彥和至理命,謹奉大田命訓傳,磐余玉穗宮御宇丁亥,乙乃古命二男神主飛鳥傳記之也。【謂神道之化者,不可以示非其人也。】
十、奧書異本 屋代本奧書
文龜三年十二月廿六日 神道長上從二位行神祇大副兼侍從 卜部朝臣兼俱 【在判。】 右兼俱以自筆之本書寫令校合畢唯授一人之外可禁他見者也。
大永初年辛巳三月上澣 銅駄老人 【在判。】 右以木正英翁本所書寫一校了再以高田未白所手滕寫垂家翁校定本再校了。
享保三戊戌三月十九日 怡顏主人 書
又云
別本云:
大田命訓傳。【神記。】
古老傳云,六十不滿,不及披見。【云云。】一禰宜氏守以後禁制【云云。】何況他見乎
曾祖七十二歲披見之,祖父六十一歲披見。予六十歲拜見之。 彌宜 行忠 【判。】
又云
文治元年四月廿一日
正殿、假殿遷宮之時,以外宮一彌宜光忠本書寫畢。于時,彌宜度遇高倫寫之。 【判 生年六十八歲。】
文治元年記曰,內外兩宮御藏『神祇本記』上/下。『寶基本記』『大田命訓傳』各一卷,代代本系等。
于時,有子細而奉藏調御倉神體假櫃也。光晴神主奉行也。謂守護神座,白蛇形。在鰭出現之時,神宮一彌宜有事云云。
又,御正印銘銅尺一隻,別櫃納之也。代代儀式本系等同正印櫃內
飛鳥神躰,假櫃內納之云云。都合十二卷。
- 『神記』第一,第二
- 『飛鳥記』 於正案三通者別筥密藏之。
- 『大神宮神祇本記』上/下
- 『寶基本記』上/下
- 『大田命訓傳次第記』
- 『飛鳥記』各一卷。【於此三本者為最上之書,故云神宮三部書。】
- 『延曆儀式帳』
- 『御鎮座次第記』
- 『年中行事』
- 『神宮儀式』
- 『神郡神田帳』
- 『氏本系』
- 『神戶本記』 祓本紀 【但不載本目錄。】
永仁三年乙未三月十二日書寫訖 彌宜 正四位下度會神主行忠
神宮三部書等,其言或如古文或如今文,或用佛語或取道經。雖一書,似非一人筆作也。【愚】竊謂:上世之相傳之神書、野語、俗言,往往相雜,後人嫌鄙俗之言,以加筆粧飾之,借道書佛言之詞歟。抑又兩部習合者之所為歟。但如其事,古今無相違。今以神事現存,惟文筆變易而已。不文害心,則可也。
寬文十三年六月吉辰 權彌宜 正五位下度會神主延佳
伊舍那天 伊舍那妣 輪王 龍神 日天子 月天子 月殿 日天 月天 夜叉神大將 福田 天眾 地輪
地大 水大 火大 風大 金剛神 龍王寶珠 廣大慈悲 大八龍神 十二神主
是等佛經之語也。【愚按。】未涉獵佛經,猶可有佛語歟。所及管見,如此也。
希夷 視聽 氤氳 氣象 和光同塵 出道經
延佳 【判】
延佳本奧書中一節云
慶安三年庚寅孟夏十七日書之
此書或稱大田命傳,蓋神藏十二卷之內其一。而中世為浮屠氏被添削乎。間復會而用佛語,後人須明察之。去正保二年季夏中旬寫於斯書,然有誤字、闕字之故,以數本考正之,再書寫焉。以傳末葉者也。 權彌宜 從五位下度會神主延良 【判】
【※未詳。待後攷。】
豐受皇太神宮御鎮座本紀
一、御鎮座本紀卷首 天地初發之時,大海中有一物浮。形如葦牙,其中神人化生。名號天御中主神。故號豐葦原中國。亦因以曰豐受皇太神也。與天照大日孁尊,舉此以八坂瓊之曲玉、八咫鏡及草薙劍三種之神財,而授賜皇孫,為天璽:「視此寶鏡,當猶視吾。可與同床共殿,以為齋鏡。寶祚之榮,當與天壤無窮!」宣焉。 皇孫天津彥彥火瓊瓊杵尊,【天照太神太子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊子也。母,天御中主神子高皇產靈神女栲幡千千姬命也。素盞嗚尊欲奉辭日神,昇天之時,櫛明玉命奉迎,獻以瑞八坂瓊之曲玉。素盞嗚尊受之,轉奉日神。仍共約誓,即感其玉,生天祖吾勝尊。是以天照太神育吾勝尊,特甚鍾愛,常懷膝下,稱日腋子。今俗號稚子謂
天神地祇前後
今歲,止由氣之皇太神結幽契,天降居。于時,大御食津臣命、建御倉命、【中臣祖也。】屋船命、【草木名。今座度會郡,號清野井庭神社也。】宇賀之御魂稻女神、【今號小俣神社也。】宇須乃女神、【五榖靈。號宇須野社也。】須麻留賣神、【今號須麻留賣社是也。】宇賀乃大土御祖神、【素盞嗚尊子也。度會山田原地護神。】若雷神、【今世號北御門大明神是也。】彥國見賀岐建與束命、【號度相國見神社也。】天日起命、【伊勢大神主祖神也。】振魂命【玉串大內人祖。】相從,以戾止矣。爾時天照皇太神與止由氣皇太神,合明其德居焉。如天上之儀,一處雙座焉。
和九產巢日神子豐宇賀能賣命,【屋船稻靈神也。】生五穀,而善釀酒,奉御饗。御炊神冰沼道祖,【素盞嗚尊孫也。亦號粟御子神。今世號御炊物忌,其緣也。】率四九三十六竈神而,朝大御氣、夕大御氣
今歲,物部之八十氏人等,卒手置帆負、彥狹知二神之裔,以齋斧齋鉏等,始採山材
明年戊午,秋七月七日,以大佐佐命奉布理
爾時,若雷神天八重雲
亦天照太神御託宣,相殿二神二前。止由氣宮相殿神,皇孫命
亦,素盞嗚尊孫大土祖,一座。衢神大田命,一座。宇賀魂大年神,一座。山田原之地護神定祝祭也。【大土祖靈,鏡坐。大田命靈,銘石坐。宇賀魂靈,瑠璃壺坐也。】亦,御倉神,【稻靈豐宇賀能賣命,宇賀能多美麻神,保食神。尊形一床坐,以白龍為守護神也。凡王子八柱,同座給也。】亦,酒殿神。【謂和久產巢日神子豐宇賀能賣命座也。丹波國竹野郡奈具神社是也。以代昔月殿天降坐,亦名姊娥昇女。稻靈,光所變也。五穀糧所化神保食神分身。善釀清酒,靈形石坐。甕名賀多晉器,軍陀利夜叉神所化也。惣吉祥之瓶中,溢甘露之酒。直會集人,除萬病,延命良藥也。亦以大土祖宇賀魂神為根倉甕星神,供神酒。今號,根倉甕,是也。】宮中大小神祇,四至神等鎮
天照皇太神,神魯岐、神魯美命
凡神樂起,在昔素盞鳴神奉為日神,行甚無狀,種種陵侮。于時,天照太神赫怒,入天石窟,閉磐戶而幽居焉。爾乃六合常闇,晝夜不分。群神愁迷,手足罔厝。凡厥庶事,燎燭而式辨。天御中主神【止由氣皇太神是也。】太子高皇產靈神,命宣
亦隨天神之訓,以土師氏為物忌職,造天平瓫、諸土器類
其後,從真井
止由氣皇太神御前。御飯二八具,御水四毛比,御鹽四坏。諸御贄類,御河年魚等供進奉。
相殿神御前。御飯三八具,御水六毛比,御鹽六坏。御贄,年魚等供進奉。 神主部物忌等祝白:「天皇朝廷,常石、堅石
天照太神宮御形,象日天尊位坐也。
止由氣太神功御形,象月天尊位坐也。
惟天神地祇,明元八洲,利物形躰。故皇天久坐,而記日月,照宇內之昏衢。國家合天地,而寶曆長久。天真之明道,鬼神之變通。人民式幸甚幸甚。東西左右蛇卌四座。 心御柱。【一名天御柱,亦名曰忌柱,亦名天御量柱。】
謂,應天四德地五行,徑四寸長五尺御柱座。以五色絕奉纏之,以八重榊奉餝之。是則伊弉諾、伊弉冉尊鎮府,陰陽變通之本基,諸神化生之心臺也。都,合天心而興木德,歸皇化而助國家。故皇帝曆數,天下之固,常磐、堅磐無動。三十六禽,十二神王,常住手護座,依損失,必有天下危。 天平賀賀。隨天神之訓,土師物忌父,取宇仁之
于時大佐佐命、乙乃古命,蒙敕宣奉仕。乙酉歲,乙乃古命二男大神主飛鳥記之。
延佳本奧書云記云。
文治元年四月廿一日,正殿、假殿遷宮之時,以外宮一禰宜光忠,本書寫之畢。
于時。
彌宜高倫寫之 【判】
其後,禰宜延行,相傳之。 止由氣皇太神御鎮座本紀。【大神主飛鳥記。】 古老傳曰,六十未滿,不及披見云云。【一彌宜氏守,以後禁制云云。】何況他見乎?曾祖七十二歲披見之。祖父六十一歲披見。【予】六十歲拜見之。
乙未歲
彌宜正四位上度會神主 【判】
一校了 以舊本書寫之 當乙未歲十二月十六日書寫之。以今日之內所馳筆也。仍字形散散,一日校了。彌宜度會神主章尚 【判】
延文元年十月十七日,以彼本書寫了。但依為秘本,先為寫留反古裏貞治六年四月廿八日,以一彌宜行忠神主自筆本,重令校和了。
沙彌曉歸【俗名度會神主實相。】
還俗圖書助通俊
權彌宜從五位下度會神主延良 【判】
永正本奧書云
【但文治元年四月乃至高倫寫二行之文,與延佳本無所異,故省略之。只其餘之文,揭于左。】
以行忠書寫本點之同一校。己亥廿七,彼本點者,悉朱也。為存知記之。
外宮彌宜正五位下度會神主章尚 【判】
永正十三年十二月十六日,於宿館寫畢。一校畢。大略朱點也。ーーーー
造伊勢二所太神宮寶基本紀
一、宮地求給事 活目入彥五十狹茅天皇即位廿五年丙辰,春三月,丁亥朔丙申,離天照太神於豐鉏入姬命,託倭姬命。爰倭姬命求鎮坐太神之處,而詣菟田篠幡,更還之,入近江國,東迴美濃,到伊勢。于時,天照太神誨倭姬命曰:「是神風伊勢國,即常世之浪重浪歸國也,傍國可怜國也,欲居是國。」故隨太神之教,乃其祠立於伊勢國。因興立齋宮于五十鈴川上之側,是謂礒宮。天照太神始自天降之處也。 天皇即位廿六年丁巳,冬十一月,新嘗祭夜。神主部物忌八十氏等詔曰:「吾今夜承太神之威命,所宣託也。神主部物忌等無懈,正明聞焉:『人乃天下之神物なり,須掌靜謐し;心乃神明之主たり,莫傷心神れ。神垂以祈禱為先,冥加以正直為本。任其本誓,皆令得大道者,天下和順,日月精明,風雨以時,國豐民安。故神人,守混沌之初,屏佛法之息。置高臺之上,崇敬神祇,住無二之心,奉祈朝廷。則天地與龍圖運長,日月與鳳曆德遙。海內泰平,民間殷富。各念,祭神禮以清淨為先,以真信為宗。散齋致齋內外潔齋之日,不樂不弔,不散失其正。致其精明之德,左物不移右。兵戈無用,不聞鞆音。口不言穢惡,目不見不淨。鎮專謹慎之誠,宜致如在之禮。背法而不行,則日月照見給;違文而不判,則神明記識摠。而神代には,人心聖而常也,直而正也。然地神之末,天下四國人夫等,其心黑焉。分有無之異名,心走使,無有安時。故心臟傷而神散去。神散去,則身喪。人受天地之靈氣,不貴靈氣之所化。乍作神明之光胤,不信神明之禁令。故沉生死長夜之闇,吟根國底國。因茲奉代皇天,四天真人以苦心誨喻,教令修善,隨器授法以來。太神歸本居。』と託宣へり。若應節自在告示,則開大明戶,無形顯音。或小童女昇立茅葉上,須在驗言矣,猥莫信狂言類。從天地官陰陽,掌神木宜存自正。是長生術,不老藥也。」神主部物忌等,所託宣。懇致其誠,終無欺貳齋仕,敬祭天地神祇矣。 纏向珠城宮御宇廿六年丁巳,冬十月,甲子,奉遷于天照太神於五十鈴原。
今歲,倭姬命詔物部八十氏諸人等曰:「五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石小石造平て,遠山近山の大峽小峽に,立並木を,齋部之齋斧を以て,伐採て。本末をは山祇に奉祭て,中間を持出來て,齋鉏を以て天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知て,下津磐根に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮、伴神等を鎮座也。其造宮之制者,柱則高太,板則廣厚かれ。是皇天之倉運,國家之洪啟事は,宜助神器之大造なり。即承皇天之嚴命て,移日小宮之寶基,造伊勢兩宮焉。」 泊瀨朝倉宮御宇廿一年丁巳,依皇太神御宣託て。
明年戊午歲,秋七月,七日,以大佐佐命て,從丹後國與謝郡比沼山頂魚井原,奉迎等由氣皇太神。即山田原の靈地の下津磐根に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て,稱辭定奉る。
其後重宣託,偁:「我祭奉仕之時,可先奉仕止由氣太神宮也,然後我宮祭事可勤仕也。」因茲,諸祭事以止由氣宮為先。檢定神寶,更定置神地、神戶て。二所皇太神宮伴神、相殿神の朝大御饌、夕大御饌を日別齋敬供進之。隨天神地祇之訓,土師物忌取宇仁之埴,造神器并天平瓮,敬祭諸神宮。別天平瓮八十口,柱本并諸木本置之。天照太神宮、等由氣太神宮,別八百口。荒祭高宮、月夜見宮、伊佐波宮、瀧原宮、齋內親王坐礒宮,別八十口進之。是則天下泰平之吉瑞,諸神納受之寶器也。
二、假殿遷宮事 纏向日代宮十五歲,九月十五日,伊勢天照皇太神宮假殿遷宮事。奉渡正體於假殿,【黑木板葺。】修造寶殿。
同日,夕,奉遷正體於寶殿已終。依宣旨,宛用當國正稅官物等也。寶殿修補之間,奉渡於假殿。幸行道,長九十五丈。爾時,伊己呂比命、乙若子命、大物忌大阿禮命,奉頂正體。諸內人及妻子等,入垣立て,蓋刺羽等捧て,令行幸給者也。 仲哀天皇五歲,三月。 仁德天皇十歲,九月。 允恭天皇廿歲,十月,有假殿遷幸事。 繼體天皇即位十二年戊戌,九月,十一日,止由氣皇太神功殿社、御門等,朽損事。依宣旨,造進假殿一宇。
十一日,以寅刻,奉遷御形於假殿之後,本殿修補終。
夕,戌刻,奉遷寶殿。神主飛鳥小事、物忌、諸大小內人及妻子等供奉。以當國調庸及田租等宛,造假殿及寶殿等者也。 欽明天皇即位五年甲子,九月,豐受宮假殿,宮子內親王供奉。 用明天皇即位元年丙午,三月。 推古天皇廿一年,八月。 孝德天皇即位三年,八月,豐受太神宮假殿遷宮事。
同年九月,皇太神宮假殿遷宮事。 天武天皇元年壬申,十月,豐受太神宮破損之間,宮司大朽連馬養,蒙宣旨。當國司差遣神戶、百姓等,以神稅、正稅等,造假殿。奉遷正體。修補本殿已終矣。
天武天皇朱雀三年乙酉,九月,十日,依右大臣宣,奉敕,伊勢二所皇太神宮御神寶物等,差敕使被奉送畢。宣旨狀偁:「廿年一度,應奉令御遷。」立為常例也。
朱雀三年,以徃之例。二所皇太神宮,殿舍、御門、御垣等,宮司相待破損之時,奉修補之例也。依件宣旨,定遷宮之年限。又外院、殿舍、御倉、四面重重御垣等,可被造加也。 持統天皇四年庚寅,太神宮遷宮。【東本宮地也。】
同六年壬辰,豐受太神宮遷宮。【東本宮地座也。】 元明天皇和銅六年已酉,太神宮遷宮。【西宮地座。】
同四年,豐受宮遷宮。【西宮地座。】 聖武天皇天平九年丁亥,九月,諸別宮遷宮事。荒祭宮,在假殿造立舊跡,奉遷於東宮地也。于時,本宮西宮地座豐受宮御鎮座以徃。荒祭宮與高宮掌左右,一所に御鎮座。以中間為假殿之地故也。神宮法更不改舊跡也。依舊之圖蹤跡斯存矣。 天平孝謙天皇勝寶元年已丑,豐受宮、別宮、高宮遷宮。 廿一年一度,新宮及假殿等造進之節,神主部、物忌、玉串、內人、忌部等,奉立忌柱,任儀式勤仕之。其舊柱,則宮地之內,人無徃反清淨之靈所奉藏置之。齋敬如神在,慎無露顯矣。 三、神宮諸物例事 心御柱。一名忌柱,一名天御量柱。是則一氣之起,天地之形,陰陽之源,萬物之體也。故皇帝之命,國家之固,富物代,千秋萬歲無動。下都磐根大宮柱廣敷立。稱辭定奉焉。 磐根者,地輪之精金,清淨之自德,天長地久之寶坐。如湯金石村く常磐、堅磐に無動く宮柱太敷立て,いわひ與さし給緣也。 太神宮東西左右寶藏,興于正宮之後。斯則大日孁貴,無上無二之元神。故不立一塵,不翳一物。眾物普受日神之光胤,知皂因緣也。
至于度會宮,興于正宮之前,是依廣大慈悲之本誓,施與地利,養萬物為緣因緣也。 棟文形事。
皇太神宮者,日天圖形,六合之中心體獨存,任天真故明白也。五行中火性,五色中白色,故以白銅鏡奉餝之也。
豐受宮,月天圖形,八洲之中,平等圓滿之心體緣也。五行中水性,五色中赤色,故以金銅鏡奉餝之。【黃金,種智圓明義也。】 鞭懸者,天神地祇之風光,眾人之壽命,國之權衡,民之轡策者也。故式為名矣。 千木者,智義也,搏風也。義者則仁也,如天。智者則靈也,如神。風者氣也,夫天地之間,非風則不行不動。故,神聖乘風雲而徃行。冷然善,乍有風竅。是則虛空之中,無聲而獨能聞之焉。無形之中,能露心矣,實有之所皈。眾之所集,至德一大道之竅也。 千木片掞者,水火之起,天地之象也。故則日天之智義也。片掞者,仰て以て開口く,斯受月天之一水利萬品緣也。任水德,豐受皇太神をは號御氣都神也。【向上天神開口也,向下地神合口也。】是陰陽化德也。 堅魚木者,眾星形也。奄守天下,比於列星也。人氣昇天為星,善氣則為善星,惡氣則為客星也。德善緣,客惡起也。 御門鳥居,八洲中四方中,以西方為智門也。故,以西方號鳥住也,大智清淨心緣也。謂陰陽之始,乃遂於大明之上。出入於窈冥之門,而君臣上下,令逍遙清淨之宮殿焉。 瑞垣、玉垣、荒垣者,天四德,地五行,萬像大位,五官皆備矣。惣而天地與人形,人體與寶舍,雖異其名,而其源一也。 榊,一名真賢木。持受自然之正氣,冬夏常青。故眾木之中以賢木號榊也。 御船代、御樋代,神寶藏,神代製作形器也。 大神宮屋形文錦御衣者,皇天常住之本居義。
豐受宮小車錦御衣者,乘寶車迴天下度萬品之由也。
四、神鏡坐事 神鏡坐事。
一面者,從月天所顯明鏡。【圖形。】崇止由氣神宮是也。
一面者,八百萬神等以石凝姥神奉鑄寶鏡。是則崇太神宮也。【一名日像八咫鏡是也。八咫謂八頭。花崎八葉鏡也。中臺圖形座,清明也。】
一面,日前宮坐也。石凝老神鑄作鏡也。初度所鑄,不合諸神之意。紀伊國日前神是也。
一面者,內侍所神鏡坐也。礒城瑞籬宮御宇天皇,漸畏神威,同殿不安,故更令齋部氏率石凝姥神裔、天目一箇裔二氏,更鑄造劍鏡,以為護身御璽也。
二面者,日神、月神所化之真經津鏡。【謂真者,以天道為神。經者,以地道為祇。津者,人道也。鏡者,靈明心鏡也。萬物精明之德,故照混淆之前,皈原始之要。斯天地人之三才,當受之以清淨,求之以神心,視之以無形顯實。故以無相鏡為神明御正體也。】 神代伊弉諾、伊弉冉尊所捧持寶鏡,天地開闢始出現鏡也。一氣化為天地,天地化為鬼神,鬼神化而為明鏡。是斯日月變化,水火德用,萬物大意也。故,或為荒祭宮高宮神形者也。是二所皇太神宮為攝政神,謂荒魂宮、和魂宮是也。倭姬命更鑄造日月所化神鏡,納朝雄神社者也。 倭姬命隨神誨,以二所皇太神,奉遷于伊勢國度遇宮。崇大小神祇,齋敬諸神態所名神躰等。或天上地下靈物,或御宇制作劍、鏡、玉、壺、金石類是也。蓋於礒宮,以天富命裔等所鑄鏡八十三面,大刀、小刀五十二枚,鉾、弓、箭、神財等四十二種,式備大幣也。 木棉者,謂以穀木作白和幣。名號木綿。天神七代、地神五代,神人皆著木皮藤綿連連衣緣也。潔齋之日,清淨之祭服,是其緣也。以天真為明衣故也。 幣帛者,風心使,以心備德緣也。 大麻,解除不淨妄執,為住清淨本源也。故謂鎮護神國之鏡,福智圓滿之國。遷魔緣於鐵際,撥穢惡於他界。己心清淨義,蓋滅罪生善神咒也。故謂祓。神代上曰逐之,此云はらへ也。 內七言,佛、【稱中子。】經、【稱染紙。】塔、【稱荒木。】寺、【稱瓦葺。】僧、【稱髮長。】尼、【稱女髮長。】齋。【稱片膳。】
外七言,死、【稱治。】病、【稱休。】哭、【稱鹽垂。】血、【稱汗。】打、【稱撫。】宍、【稱菌。】墓。【稱壤。】倭姬命神託也。
又七言別忌詞,堂、【稱香燃。】優婆賽。【稱角筥。是佛弟子出世行者也。】
五、六色禁法 六色禁法。弔喪問病、【謂有重親喪病者,不在預祭之限。】食宍,亦不判刑殺、不決罰罪人、不作音樂、【謂不作絲竹歌舞之類也。】不預穢惡之事。【惡者不淨之物,鬼神所惡也。上蒸下淫佛法等是也。】
散齋致齋之前後,祭日,僧尼,及重服奪情從公之輩,不得參入內裏。雖輕服人,致齋之前,散齋之日,不得參入矣。
伊勢太神宮神主大小內人祝部等,儲祭之日,僧尼及重服奪情從公之輩,并輕服人與同宿徃反,齋日犯弔喪問病等六色禁忌者,宜科上祓【云云。】。
太神宮四至內,被禁斷巫覡態者,依神託宣也。是庶民愚,仰信妖言,繁好魔咒,而匿正理故也。【云云。】
六、敬神尊佛事 神道則出混沌之堺,歸混沌之始。三寶則破有無之見,佛實相之地。神則罰穢導正源,佛又立教令破有相。目不妄視,耳不妄聽,鼻不妄香,口不妄言,手不妄持,足不妄行,精不妄施矣。其死也及是也。
我朝家,道出混沌,堺同華胥。無為之功未暇號令,不言之化豈用章條。於是朴往雕來,步盡驟至。前帝後王雖俱存一面網,重規疊矩,不能廢三章之科。故教而不誅,制甲令於先。誅而不怒,張丙律於後【云云。】。
詔:掃災招福,必憑幽冥。敬神尊佛,清靜為先。今聞,諸國神祇社內,多有穢臭,及放雜畜。敬神之禮,豈如此乎?宜國司長官自執幣帛,慎致清掃,常為歲事。 神龜二年 七月廿日
七、奧書裏本 【屋代本奧書云】
本記云
本云二所皇太神宮寶基本圖儀說秘府 【本圖酒殿。】
天慶五年壬寅九月廿三日 書寫之 太神宮禰宜荒木田神主行真 【判】 建保二年甲戌九月十二日 書寫之 荒木田神主氏良 【判】
文永三年丙寅三月二日 以內宮一禰宜延季神主本 憲繼書寫之
件憲繼自筆書寫本 外宮玉串大內人度會神主常主相傳之
建治三年丁丑九月二日 禰宜度會神主書寫之 行忠 【判】
祭主定世卿本同 比校畢 延慶三年三月十七日 書寫之 皇太神宮權禰宜荒木田神主 【判】 永享十年六月廿七日 以神主匡與本 書寫之 金剛佛子春瑜 明應四年十一月廿四日 書之 禰宜荒木田神主守晨 永正元年七月廿三日 書之 權禰宜荒木田神主俊重
右寶基本紀以下伊勢五部本書者,從玉木正英翁借高田未白老人手寫垂加先生校正之本所謄寫也。
享寶三年戊戌三月廿日 怡顏齋主人成章
四月朔 校了
【又云】
右寶基本記者,神記秘書之要語,兩宮相傳之古書也。依此書以神龜二年七月廿日詔終之。
或以為神龜年中撰者,甚誤也。正,延喜以來,天慶以前之書也。如何,以此書中引用延喜格序文,又有天慶五年書寫之奧書也。惜乎!過半為兩部習合者,被混雜矣。後賢可刪正之者也。
且又一禰宜度會行忠神主相傳以來,轉寫為兩流。一本者,延慶三年,荒木田神主某寫之。一本者,延文四年,度會神主光員傳之。其後三百餘年,幾轉寫而有烏焉馬之相連。方今以兩流本校合之,則誤字闕文,言語道斷也。
雖殘暑難堪,為神道興隆,校正之,修補之。猶有遺漏,期正本一覽之節云爾。
寬文九年七月十一日 權禰宜正五位下【度會神主延佳
【度會本奧書中一節云】【二所太神宮寶基本圖以下至文永三年云云度會神主相傳之與屋代本全同文,故今略之。】
建治三年丁丑九月二日 禰宜度會神主行忠書之 數度校合訖
為後代龜鏡子孫證本之上者,不可出門外矣,秘中之秘也。努努千金,莫傳之。 延文四年已亥十月十日 豐受太神宮權禰宜從四位上度會神主光員 延文四年十月十日 參宮之次 依權禰宜度會神主之命 終書寫之訖 且者神法樂何事如何之 釋蓮基 【判】 永正六年己巳二月廿一日 於駿州府中書寫之 末姿莫詮 【春秋五十五。】
【裏書云】
一古人秘傳云,伊勢兩宮則胎金兩部太祖也。 日天子。
天地未剖,陰陽不分以前,是名混沌。萬物靈是名虛空神,亦曰大元神,亦號國常立神,亦名俱生神。
希夷視聽外,氤氳氣象之中。虛而有靈,一而無體。故發廣大慈悲於自在神力,現種種形,隨種種心行。為方便利益所顯名,曰大日孁貴,亦曰天照太神。為萬物本體,度萬品也。世間人兒,如宿母胎也。 月天子。
天地之間,氣質未相離,是名渾沌。所顯尊形,是名金剛神。生化本性,萬物惣體也。金剛水にも不朽,火も不燒,本性精明也。故亦名神明,亦名太神也。任大慈悲本誓,每人隨思,降寶如龍王寶珠,利萬品。水德,故亦名曰玉氣都神也。
金玉則眾物中功用最甚,不朽、不壞、不黑,故為名。無內外表裏,故為本性。謂人乃受皇金神之性,須守混沌之始【云云。】。故則敬信神尊佛,清靜為先【云云。】。從正故以為清淨,隨惡以為不淨。惡不淨之物,鬼神之所惡也。 十星。
南斗北斗,五鎮大星。
九星。【外宮。】、一切國土星。【三皇帝。】、三公星。【三台。】、百官星等。【上中下首座。】、御井社守護羅列星。七座。 至德四年三月二日 伊勢內宮邊書之 明應四年十二月八日 荒木田守晨 【生年卅一歲。】
永正九年七月廿三日 物忌俊重 正保四年十月廿五日 書寫之 同日 一校了 右本者 荒木田備重神主所持之外 為宮司家再興 大中臣精長
同年十二月四日 以荒木田聖澄神主之本 令一校了
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倭姬命世記
一、神代事紀 天地開闢之初,神寶日出之時。御饌都神與大日孁貴,豫結幽契,永治天下。言壽宣肆。或為月為日,永懸而不落。或為神為皇,常以無窮。光華明彩,照徹於六合之內。以降。 高天原に神留座す,皇親神漏岐漏美命以て,八百萬神等を,天之高市に,神集集給ひ,神議議給て,大葦原千五百瑞穗之國は,吾子孫可王之地也,安國と平く,我皇御孫之尊天降所知食と。事依奉ぎ,如此依し奉留國中に荒振神等はを。神攘攘平けむと,神議議給ひ,諸神等皆量申し,天穗日之命を遣而平けむと申し。
是以,天降遣時に,此神返言不奏し。次遣し健三熊之命,隨父事て返言不申す。又遣し天若彥も,返言不申て,高津鳥殃に依て,立處に身亡し。是以天津神の御言,以て。更量給て,經津主命、建雷命二柱神等天降降給ひて。
大己貴神,其子事代主神に語言て。即大己貴神の,以平國所杖之廣矛て。有螢火光神,即五月蠅聲邪荒振鬼神等を,神攘攘給ひ,神和和給て。語問し,磐根樹立,草之片葉も語止て,葦原之中國,皆已驅除平定ぬと。復命せり。
于時,以八坂瓊之曲玉,八咫鏡,及草薙劍三種神財て,授賜皇孫,永為天璽して。視此寶鏡こと,當猶視吾。可與同床共殿して,以為齋鏡し。寶祚之隆,當與天壤無窮しと宣ひき。 即,天津彥火瓊瓊杵尊と,伴神天兒屋,命掌解除,宣く。謹請再拜,諸神等各念べ。此時,天地清淨と,諸法如影像也。清淨無假穢し。取說不可得す,皆從因生葉せりと,諄辭せり。太玉命捧青和幣、白和幣け。天牟羅雲命取太玉串て。
三十二神前後に相副從比天,各闢天關き,披雲路けて,驅仙蹕ひ,天之八重雲を,伊頭之千別に千別て。筑紫日向高千穗槵觸之峰に,天降到給ひて。治天下,卅一萬八千五百卌二年。是時天地未遠,故以天柱舉餘天上焉。 天津彥火瓊瓊杵尊。【正哉吾勝勝速日天忍穗爾尊太子也。母栲幡千姬,高皇產靈尊女也。】 彥火火出見尊。【天津彥火瓊瓊杵尊第二子也。母木花開耶姬,大山祇神女也。】治天下,六十三萬七千八百九十二年。 彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊。【彥火火出見尊第太子。母豐玉姬,海童二女也。】治天下,八十三萬六千卌二年。
二、神武天皇 神日本磐余彥天皇。【彥波瀲武鸕鶿草葺不合尊第四子也。母玉依姬,海童之大女也。】
天皇生而明達,意確如也。
年十五,立為太子。
及卌五歲,謂諸兄及子等曰:「昔我天神高皇產靈尊、大日孁尊,舉此豐葦原瑞穗國,而授我天祖彥火瓊瓊杵尊。於是火瓊瓊杵尊開天關,披雲路,驅仙蹕,以戾止。是時運屬鴻荒,時鐘草昧。故,蒙以養正,治此西偏。皇祖皇考,乃神乃聖,積慶重暉,多歷年所。自天祖降跡以逮,于今一百七十九萬二千四百七十餘歲。【而遼遙之地,猶未霑於王澤。遂使邑有君,村有長,各自分疆,用相凌躒。】」 元年甲寅歲,冬十月,發向日本國。天皇親率諸皇子,舟師東征也。
八年辛酉,正月,即建都橿原。
經營帝宅て,皇孫命の美豆御舍を,造仕奉て,天御蔭日御蔭と隱作て,四方國を安國と平介久知食す。天津璽の劍、鏡を捧持賜て,言受宣して,天津日嗣を,萬千秋乃長秋に,奉護り奉祐る稱辭竟奉。 凡,神倭伊波禮彥天皇已下,稚日本根子彥大日日天皇以徃九帝,歷年六百卅餘歲。當此時,帝與神,其際未遠。同殿共床,以此為常。故,神物、官物,亦未分別焉。
三、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇。
即位六年己丑,秋九月,就於倭笠縫邑。殊立磯城神離,奉遷天照太神即草薙劍。令皇女豐鋤入姬命奉齋焉。其遷祭夕部,宮人皆參。終夜宴樂歌舞,然後隨太神之教。國國處處に大宮處を求給へり。
天皇以徃九帝,同殿共床。然漸畏其神勢,共住不安。改令齋部氏,率石凝姥神裔、天目一箇裔二氏,更鑄造鏡、劍,以為護身御璽焉。是今踐祚之日所獻神璽鏡劍是也。【謂名內侍所也。】
卅九年壬戌,遷幸但波の吉佐宮。積四年,奉齋從此更倭國求給。
此歲,豐宇介神天降坐,奉御饌。
四十三年丙寅,遷倭國伊豆嘉志本宮,八年奉齋。
五十一年甲戌,遷木乃國奈久佐濱宮。積三年之間奉齋。于時,紀國造,進舍人紀麻呂,良地口、御田。
五十四年丁丑,遷吉備國名方濱宮。四年奉齋。于時,吉備國造,進采女吉備都比賣,又地口、御田。 五十八年辛巳,遷倭彌和の御室嶺上宮。二年奉齋。是時,豐鋤入姬命:「吾日足。」と白し。
爾時,姪倭比賣命事依奉り,御杖代と定て。從此,倭姬命奉戴天照太神而行幸。【相殿神天兒屋命、太玉命,御戶開闢神天手力男神、烤幡姬命,御門神豐石窗、櫛石窗命。並五部伴神,相副奉仕焉。】
六十年癸未,遷于大和國宇多秋志野宮。積四箇年之間奉齋。于時,倭國造,進采女香刀比賣,地口、御田。
倭姬命の御夢に:「高天之原坐而吾見之國に,吾乎坐奉。」と悟教給ひき。從此東向,乞宇氣比氐詔久:「我思刺て徃處。吉有ならば,未嫁夫童女相逢。」と祈禱幸行。
爾時,佐佐波多が門に,童女參相。則問給く:「汝誰?」答曰:「奴吾は天見通命孫爾八佐加支刀部。【一名,伊己呂比命。】が兒宇太乃大禰奈。」と白き。亦詔曰:「御共從仕奉哉?」答曰:「仕奉。」即御共從奉仕。
件童女を大物忌と定給ひて,天磐戶の鑰預賜りて,無黑心して,以丹心て,清潔く齋慎み,左物を不移右す,右物不移左して,左左,右右,左歸右迴事も,萬事違事無くして,太神に奉仕。元元本本故也。又,弟大荒命,同奉仕。從宇多秋志野宮幸行而佐佐波多宮坐焉。
六十四年丁亥,遷幸伊賀國隱市守宮。二年奉齋矣。
六十六年己丑,遷于同國穴穗宮。積四年奉齋。爾時伊賀國造,進箆山葛山戶,並地口、御田,細鱗魚取淵、梁作瀨等。朝御氣、夕御氣供進焉。【細鱗魚,鮎也。御氣,御饌也。】
四、垂仁天皇 活目入彥五十狹茅天皇。
即位二年癸巳,遷于伊賀國敢都美惠宮。二年奉齋矣。
四年乙未,遷淡海甲可日雲宮。四年奉齋。于時,淡海國造,進地口、御田。
八年己亥,遷幸同國坂田宮。二年奉齋。于時,坂田君等,進地口、御田。
十年辛丑,遷幸于美濃國伊久良河宮。四年奉齋。次,遷于尾張國中島宮座て,三箇月奉齋。倭姬命國保き給。于時,美濃國造等,進舍人市主,地口、御田,並御船一隻進し。同,美濃縣主角鏑之作而進御船二隻:「捧船者,天之曾己立。抱船者,天之御都張。」と白而進し。采女忍比賣,又進地口、御田。故,忍比賣之子繼,天平瓫八十枚作進。 十四年乙巳,遷幸于伊勢國桑名野代宮。四年奉齋。于時,國造大若子命,【一名,大幡主命。】參相御共仕奉,國內風俗令白し。又,國造建日方命參相し,「汝國名何?」問給。白く「神風伊勢國。」と白。進舍人弟伊爾方命,又,地口、神田,並神戶。又,若子命,進舍人弟乙若子命。次,川俣縣造祖大比古命參相し,「汝國名何?」問賜。白く:「味酒鈴鹿國,なぐはし忍山。」白し。然神功奉造奉令幸行。又,神田並神戶進し。次,阿野縣造祖真桑枝大命に,「汝國名何?」問賜。白く:「草蔭阿野國。」白て,進神田、神戶。次,市師縣造祖建呰古命に,「汝國名何?」問賜。白く:「害行阿佐賀國。」白,進神戶並神田。 十八年已酉,遷坐于阿佐加藤方片樋宮。積年立四箇年奉齋。是時に,阿佐加乃彌子に坐而伊豆速布留神。白徃人者,五十人取死。卌徃者,廿人取死。如此伊豆速布留時に。倭比賣命於朝廷,大若子命を進上而,彼神事を申上者。
「種種大御手津物彼神進。柔はししづめ平奉。」と,詔遣下給し。于時,其神を,阿佐加乃山嶺社作定而,其神を柔はししづめ上奉て勞祀し。爾時,倭比賣命,「うれし。」と詔て。其處名てうれしと號。
然,度坐時に,阿佐加加多爾多氣連等祖宇加乃日子之子吉志比女,次吉彥,二人相參し。此問給く:「汝等が漁る物者,何ぞ?」と問給し。答白く:「皇太神之御贄之林奉上,赤貝を漁る。」と白し。于時,「白事恐。」と詔而,其赤貝を令進太神之御贄而,佐佐牟の木枝を割取而,生燧きに受け燧きらせ給時に。其火燧り出而,采女忍比賣が作之天平瓫八十枚持而,伊波比戶に仕奉し。爾時,吉志比女,地口、御田,並御麻園進。 一書曰。天照太神自美濃國迴到安濃藤方片樋宮座。于時,安佐賀山有荒神。百往人者,亡五十人。卌往人者,亡廿人。因茲,倭姬命,不入座度會郡宇遲村五十鈴川上之宮。奉齋藤方片樋宮。于時,安佐賀荒惡神為行を,倭姬命遣中臣大鹿島命、伊勢大若子命、忌部玉櫛命,奏聞天皇。天皇詔:「其國者,大若子命先祖天日別命所平山也。大若子命祭平其神,令倭姬命奉入五十鈴宮。」即賜種種幣而,返遣大若子命,祭其神。已保平定。即社,於安佐賀以祭者矣。而後,倭姬命即得入坐。但於其渡物者,敢不反取。 廿二年癸丑,遷飯野高宮。四箇年奉齋。于時,飯高縣造祖乙加豆知命に,「汝國名何?」問賜。白く:「いすひ飯高國。」と白而,進神田並神戶。倭姬命,「飯高しと白事貴。」と悅賜し。次,佐奈縣造祖彌志呂宿禰命に,「汝國名何?」問賜。白く:「こもり國志多備之國,まくさむ毛草向國。」白て,進神田、神戶。又,大若日子命に,「汝國名何?」問賜。白く:「百張蘇我の國五百枝刺竹之國。」と白し。其處に御櫛落給し。其處を櫛田と號給,櫛田社定賜し。
從其處して,御船乘給て幸行,其河後江に到坐。于時,魚自然集出て,御船參乘し。爾時,倭姬命見悅給て,其處に魚見社定賜し。從其幸行なる,御饗奉神參相し。「汝國名何?」問給。白く:「白濱真名胡國。」申。其所真名胡神社定賜し。又,乙若子命,以麻神、獵靈等,進倭姬命而,令祓解。即陪從之人,留弓劍兵,共入座飯野高宮。遂得向五十鈴宮。自爾以來,天皇之太子齋宮,如及驛使國斯人等,到此等川,為解除,止鈴聲之。此其儀也。
從其幸行て,佐佐牟江御船泊給ひ。其處に佐佐牟江宮造令坐船し。大若子命:「白鳥之真野國。」と國壽き白し。其處に佐佐牟江社定給し。從其處幸行之間に,無風浪して海潮大淀度に淀度みて,御船令幸行。其時,倭姬命悅給て。其濱に大與度社定給し。 廿五年丙辰,春三月,從飯野高宮迁幸于伊蘇宮,令坐し。于時,大若日子命問給く。「汝國名何?」白く:「百船度會國,玉綴伊蘇國。」と白て,御鹽濱並林定奉し。此宮坐て供奉。御井在所は御井と號し。
【天照大神誨倭姬命曰:「是神風伊勢國,即常世之浪重浪皈國也,傍國可怜國也,欲居是國。」故隨太神教,其祠立於伊勢國。因興立齋宮于五十鈴川上。是謂磯宮。天照大神始自天降之處也。】
于時,倭姬命詔く:「南山末見給は,吉宮處可有見ゆ?」と詔て。御宮處覔に,大若子命を遣し。倭姬命は皇太神を奉戴て,小船乘給,御船に雜神財並忌楯桙等を留置て,從小河幸行し。從其河して,御船後立し。爾時,驛使等:「御船うくる。」と白し。其處を宇久留と號し。
從其處幸行,速河彥詣相し。「汝國名何?」問給。白く:「畔廣之狹田國。」と白て,佐佐上神田進し。其處に速河狹田社定給し。從其處幸行,高水神參相し。「汝國名何?」問給。白く:「岳高田深坂手國。」と白て,田上神田進し。其處に坂手社定給し。從其處幸行,河盡し。其河之水寒有し,則寒河と號。其處御船留給て,即其處に御船神社定給し。從其處幸行時,御笠服給し,其處を笠伎と號支。大川瀨渡給と為に,鹿宍流相し。「是,穢惡。」詔て,不渡坐。其瀨を逢鹿瀨號し。從其處指河上を幸行ば,砂流速瀨有し。于時,真奈胡神參相渡奉し。其瀨真奈胡御瀨號て,御瀨社定給し。 從其處幸行,美地到給ぬ,真名胡神に。「國名何?」問給し。「大河之瀧原之國。」と白し。其處を宇大之大字禰奈を為て,荒草令苅掃て,宮造令坐し。此地は,皇太神之欲給地には,不有悟給し。其時,大河自南道,宮處覔に幸行に。美野に到給し,宮處覔侘賜ひて,其處を和比野と號し。
從其處幸行に,久求都彥參相し。「汝國名何?」問給し。白く:「久求小野。」白し。倭姬命詔く:「御宮處を久求小野と號給て,其處に久求社定賜。」于時,久求都彥白く:「吉大宮處有。」白し。其處に幸行し,園作神參相し,御園地進し。其處悅給,園相社定給し。從其處幸行に,美小野有し。倭姬命愛で給て,即其處を目弖野と號し。又其處に圓なる有小山し。其處を圓と號し。 從此處幸行,澤道野在し。其處を澤道小野號し。其時,大若子命,從大河御船率,御向參相し。于時,倭姬命大悅給て,大若子問給し。「吉宮處在哉?」白く:「さこくしろ宇遲之五十鈴河上爾,吉御官處在。」白し。亦悅給て,問給く:「此國名何?」白く:「御船向田國。」白し。其處御船乘給,幸行し。其忌楯桙種種神寶物,留置所名は忌楯小野號し。
從其處幸行ば,有小濱。其處取鷲老公在し。于時,倭姬命:「御水飲」と詔て:「爾老に,何處吉水在?」問給し。其老以寒御水,御饗奉し。于時讚給,其水門に水饗神社定賜し。其濱名,鷲取小濱號し。
然而,二見濱御船坐。于時,大若子命に,「國名何?」問給。白く:「速兩,二見國。」と白し。爾時,其濱御船留給て坐時,佐見都日女參相し。「汝國名何?」問給し。御詔を不聞,御答も不白て,以堅鹽多御饗奉し。倭姬命慈給,堅多社定給し。于時,大若子命,其濱を御鹽並御鹽山定奉し。
從其處幸行て,五十鈴河後之江入坐し。時,佐美川日子參相し。問給:「此河名何?」問。白く:「五十鈴河後。」白し。其處に江社定給し。又從其處幸行に,荒崎姬參相。「國名何?」問給。白く:「皇太神御前荒崎。」白し。「恐し。」と詔,神前社定給。
此其江上幸行,御船泊し處名,號御津浦し。從其上幸行,小嶋在し。其嶋坐て,山末、河內見迴給て,如大屋門前在地し。其處上坐て,其處名,號大屋門し。從其處幸行,神淵河原坐波,苗草戴耆女參相し。問給:「汝何為?」耆女白く:「我取苗草女,名宇遲都日女。」と白く。又問給く:「などか書く為?」耆女白く:「此國は鹿乃見哉毛為。」と白し。其處を鹿乃見と號し。「何是?」問給と「とかめ。」白し。其處を止鹿乃淵號し。 從其矢田宮幸行し。次,家田田上宮遷幸し。其宮坐時,度會大幡主命,皇太神の朝御氣、夕御氣處の御田定奉し。宇遲田田上に在,名拔穗田是也。
從其幸行,奈尾之根宮座給。于時,出雲神子吉雲建子命,一名伊勢都彥命,一名神櫛玉命,並其子大歲神子櫻大刀自命,山神大山罪命子朝熊水神等,五十鈴川後江にて奉御饗し。于時,猿田彥神裔宇治土公祖大田命參相し。「汝國名何?」問給に,「さこくしろ宇遲之國。」と白て,御止代神田進し。倭姬命問給く:「有吉宮處哉?」答白久:「さこくしろ宇遲之五十鈴之河上者,是大日本之中に殊勝靈地侍なり。其中,翁卅八萬歲之間にも未視知る有靈物,照耀如日月也。惟,小緣之物不在し。定主出現御坐,爾時『可獻。』と念ひて。彼處に禮祭と申せり。」即彼處徃到給て,預覽ければ,惟昔太神誓願給ひて,豐葦原瑞穗國之內に,伊勢風迅之國は,有美宮處りと見定給ひ,從天上して投降坐ひし。天之逆太刀、逆桙、金鈴等也,甚喜於懷ひて,言上給ひし。 廿六年丁巳,冬十月,甲子,奉遷于天照太神於度遇五十鈴河上る。
今歲,倭姬命詔大幡主命、物部八十友緒人等,五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石、小石造平て,遠山、近山の大峽、小峽に立材を,齋部之齋斧を以て伐採て,本末をは山祇に奉祭て,中間を持出來て,齋鉏を以て,天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知り,下都磐根に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮と奉鎮坐。于時,美船神、朝雄水神等,御船に乘奉りて,五十鈴之河上に迁幸。于時,河際にして,倭姬命御裳裔長汚れしけるを洗給へり。從其以降,號御裳須曾河也。
采女忍比賣,造天平瓫八十枚。令天富命孫作神寶,鏡、大刀、小刀、矛、楯、弓箭、木綿等,備神寶、大幣矣。爾時,皇太神,倭姬命の御夢喻給く:「我高天原に坐,甕戶押張原,如見,見志。まきし國宮處は是處也。鎮り定り給と覺給し。」
于時,倭姬命,並御送驛使安部武渟河別命、和珥彥國葺命、中臣國摩大鹿島命、物部十千根命、大伴武日命,並度會大幡主命等に,御夢狀具令教知給し。于時,大幡主命悅白く:「神風伊勢國,百船度會縣,さこくしろ宇治五十鈴河上,鎮り定り坐皇太神。」と國壽ぎ奉し。終夜宴樂歌舞,如日小宮之儀し。
爰倭姬命:「朝日來向國,夕日來向國,浪音不聞國,弓矢鞆音不聞國,打まきしめる國,敷浪七保國之吉國,神風伊勢國之,百船度會縣之,さくくしろ五十鈴宮に鎮り定り給。」と國壽ぎ給し。
于時,送驛使朝廷還詣上。倭姬命御夢狀細返奏白し。爾時,天皇聞食て,即大鹿島命祭官定給し。大幡主命,神國造兼大神主定賜し。神管造立。物部八十友緒人等率,雜神奏取總捧て,大御串供奉。因興齋宮于宇治縣五十鈴川上大宮際。令倭姬命居焉。
即建八尋機屋,令天棚機姬神孫八千千姬命織太神御衣,譬猶在天上之儀焉。【謂號宇治機殿是也。一名號礒宮也。】次,櫛玉命、大年神、大山津見山神、朝熊水神等奉饗。彼處にして神社定給,留置神寶。【伊弉諾、伊弉冉尊所捧持白銅鏡二面是也。是則日神、月神所化之鏡也,水、火二神為靈物也。】 倭姬命御船乘給,御膳、御贄處定。幸行島國國崎島に,「朝御饌、夕御饌。」と詔而,湯貴潛女等定給て,還坐時,神堺定給し。戶島、志波崎、佐加崎島定給而,伊波戶居給而,朝御饌、夕御饌處定奉。然後倭姬命御船留而,鰭廣魚、鰭狹魚、貝滿物、奧津藻、邊津藻依來に。海潮相和而,淡在ける。故淡海浦と號し。伊波戶居島名戶島號,彼刺處名柴前と號。
從其以西之海中に,在七箇島。從其以南,鹽淡甘し,其島を淡良繼之島號し。其潮淡滿溢浦名を伊氣浦號し。其處參相て御饗仕奉神を淡海子神と號て,社定給し。其處を朝御饌、夕御饌島定し。還幸行,其御船泊留在し處を,津長原と號し,其處に津長社定給し。 廿七年戊午,秋九月,鳥鳴聲高聞て,晝夜不止囂。「此異。」と宣て,大幡主命、舍人紀麻良と差使,遣令見彼鳥鳴處。罷行見ば,嶋國伊雜方上葦原中在稻二基,生本は一基に為て,末千穗茂也。彼稻,白真名鶴咋持迴乍鳴し,此見顯,其鳥鳴聲止し,返事申し。
爾時,倭姬命宣く:「恐し。事不問ぬ鳥すら,田作皇太神爾奉物を?」と詔て,物忌始給て,彼稻伊佐波登美神を為て,拔穗に令拔て皇太神御前懸く真に懸奉始し。則其穗,大幡主女子乙姬に,清酒令作,御饌奉始し。千稅奉始事,因茲也。彼稻生地,千田號し,在島國伊雜方上。其處,伊佐波登美之神宮造奉。皇太神為攝宮,伊雜宮此也。彼鶴真鳥を號,稱大歲神,同處祝定奉也。又其神,皇太神之坐朝熊河後之葦原中,石して坐。彼神,小朝熊山嶺社造奉,祝定令坐,大歲神稱是也。 又明年,秋之比,真名鶴,皇太神宮當,天翔從北來て,日夜不止翔鳴し。時當百草し也。爰倭姬命異給,差足速男神,使令見。罷到見ば,彼鶴,佐佐牟江宮前之葦原中還行鳴。使到見,葦原中生稻,本は一基為て,末八百穗茂也,咋捧持鳴し。爰使到見顯時,鳴聲止,天翔事止し。于時,返事白し。爾時,倭姬命歎詔く:「恐皇太神入坐ば,鳥禽相悅,草木共相隨奉。稻一本千穗八百穗茂れり。」詔て,竹連吉比古等に仰給,先穗拔穗令拔半分,大稅令刈,皇太神御前懸奉。拔穗は號細稅,號大苅太半て,御前懸奉。仍,天津告刀,「千稅八百稅餘稱。」と稱白て仕奉也。因其鶴住處,八握穗社造祠也。又,「伊鈴之御河之溉水道田には,苗草不敷して,作食。」詔し。亦,「我朝御饌、夕御饌の御田作,家田堰水道田には,田蛭穢故れば,不住し。」と宣し。 亦,種種事定給。 內七言。佛稱中子,經稱染紙,塔稱阿良良伎,寺稱瓦葺,僧稱髮長,尼稱女髮長,齋稱片膳。
外七言。死稱奈保留,病稱夜須美,哭稱鹽垂,血稱阿世,打稱撫,宍稱菌,墓稱壞,亦優婆塞稱角波須。 亦,祓法定給。 敷蒔、畔放、溝埋、樋放、串刺、生剝、逆剝、屎戶、ここだく之罪をば,天津罪と告別て。
生膚斷、死膚斷、母犯罪、子犯罪、己子犯罪、子母犯罪、畜犯罪、白人、古久彌、川入、火燒罪をば,國都罪と告分て。 天津金木を,本打切末打斷て,千座の置座に置足はして,天津菅麻は,本刈斷末刈切て,八針に取刺て,種種の贖物等をば,案上案下に,如海山くに置足して,天津祝詞大祝詞事を宣れ,如此く宣らば,天津神、國津神は,朝廷を始て,天下四方國には,罪と云罪は不在と,清淨に所聞食む。以掌其解除之太諄辭て,天罪、國罪之事を大祓除焉。 亦,年中雜神態,三節祭定賜。 御贄,嶋に神主等罷御贄漁て,島國國前潛女取奉玉貫鮑,鵜倉慥柄島神戶進堅魚等御贄,國國處處寄奉神戶人民の奉留大神酒,御贄荷前等を,如海山く置足て,神主部物忌等忌慎て,聖朝大御壽を,手長之太壽と,湯津之如石村くに,常磐堅磐に,天津告刀の太告言事を以天稱申,終夜宴樂,舞詠歌音の,巨細大少長短く國壽ぎ奉。【十二詠有別卷。年中行事記具也云云。】
五、景行天皇 大足彥忍代別天皇。
廿年庚寅歲,倭姬命:「年既老耆,不能仕。吾足ぬ。」と宣て。齋內親王に可仕奉物部八十氏人人定給て,十二司寮官等をば奉移五百野皇女久須姬命。
即春二月,辛巳朔甲申,遣五百野皇女を御杖代として,多氣宮造奉て,齋慎み令侍給き。伊勢齋宮群行始,是也。爰,倭姬命,宇治機殿の礒宮作給へり,奉日神祀事無倦焉。 廿八年戊戌,春二月,暴神多起而東國不安。
冬十月,壬子朔癸丑,日本武尊發路之。
戊午,枉道天拜伊勢神宮。仍辭于倭姬命曰:「今被天皇之命而東征,將誅諸叛者。故辭之。」
於是,倭姬命取草薙之劍,受日本武尊。宣く:「慎之,莫怠也。」
是歲,日本武尊初至駿河,入野中,而遭野火之愁。王所配劍叢雲自抽之,薙攘王之傍草。因是得免,故號其劍曰草薙也。
日本武尊既平冬虜,還至尾張國。納宮簣媛,淹留踰月,解劍置定。徒行登膽吹山,中毒而薨。其草薙劍,今在尾張國熱田社也。
六、雄略天皇 泊瀨朝倉宮大泊瀨稚武天皇。
即位十一年丁巳,冬十月,倭姬命夢教覺給く:「皇太神,吾一所不坐ば,御饌も安不聞食。丹波國與佐之小見比沼之魚井原坐,道主子八乎止女の齋奉,御饌都神止由居太神を,我坐國欲。」と誨覺給き。
即天皇敕:「汝大若子使罷徃て,布理奉。」宣き。故,率手置帆負、彥狹知二神之裔,以齋斧、齋鉏等,始採山材,構立寶殿。
而明年戊午,秋七月,七日,以大佐佐命て,從丹波國余佐郡真井原して,奉迎止由氣皇太神。度會山田原の下都磐根に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て,鎮定座と,稱辭奉り奉饗り神賀吉詞白賜へり。
又檢納神寶,卜兵器為神幣,更定神地、神戶て,二所皇太神宮の朝大御饌、夕大御饌を,日別齋敬供進之。又隨天神之訓,土師・物忌を定置。取宇仁之埴,造天平瓫八十枚て,敬祭諸宮。又,皇太神第一攝神,荒魂多賀宮をば,豐受大神宮に奉副從給者也。
又依敕宣,以大佐佐命,兼行二所太神宮大神主職仕奉。又,丹波道主命子,始奉物忌,御飯炊滿供進之。御炊物忌是也。又,須佐乃乎命御玉,道主貴社定,粟玉子神社座是。又大若子命社定,大聞社是也。宇多大采禰奈命祖父天見通命社定,田邊氏神社是也。總此馭宇に,攝社卌四前崇祭之。
爰,皇太神重託宣く:「吾祭奉仕之時,先可奉祭止由氣太神宮也。然後我宮祭事可勤仕也。」故則諸祭事,以此宮為先也。亦皇神託宣く:「其造宮之制者,柱則高太,板則廣厚れ。是皇天之昌運,國家之洪啟ことは,宜助神器之大造也。」即承皇天之嚴命て,移日小宮之寶基,造伊勢兩宮焉。 天皇即位廿三年己未,二月,倭姬命召集於宮人及物部八十氏等,宣く:「神主部、物忌等諸聞,吾久代太神託宣ましましき。『心神則天地之本基,身體則五行之化生也。肆元元入元初,本本任本心よ。神垂以祈禱為先,冥加以正直為本り。夫尊天事地,崇神敬祖,則不絕宗廟。經綸天業,又屏佛法息奉,再拜神祇れ。日月迴四洲,雖照六合,須照正直頂。』と,詔命明矣。己專如在禮,奉祈朝廷らば,天下泰平して,四民安然ならむ。」と,布告訖。自退尾上山峰,石隱坐。
七、逸話諸說 一書曰。倭姬皇女,垂仁天皇第二女也。生而貌容甚麗,幼而聰敏睿知。意貞潔,通神明給へり。故皇御孫尊の為御杖代て,奉頂皇太神。從美和之御諸宮發給て,願給國求奉き。 垂仁天皇廿五年丙辰,春三月,伊勢百船度會國、玉綴伊蘇國に入座。即建神服織社,令織太神之御服,麻績機殿神服社是也。【從是處,始有號伊雜宮焉。】然後,隨神誨,造建神籬。
取丁巳年,冬十月,甲子,奉遷於五十鈴川上之後,覔清麗膏地て,和妙之機殿を,同興于五十鈴川上側。令倭姬命居焉。于時,天棚機姬神,令織太神和妙御衣給へり。是名號礒宮矣。 爰卷向日代宮御宇,日本建尊,比比羅木の以八尋鉾根て,奉獻皇太神宮る。即倭姬皇女,比鉾根は,納緋囊て,皇太神の貴財と為て,八尋機殿,【圓方機殿,是也。】隱狀て,為皇太神御靈て,奉崇祭る。令天棚機姬神裔八千千姬命,每年夏四月、秋九月,織神服,以供神明。故曰神衣祭也。
總此御世,定神地、神戶。崇祭天神地祇。年中神態,蓋始於是時矣。 至於大泊瀨稚武天皇御宇,自退薨。爾時,倭姬皇女,大神主、物忌等に託宣く:「天照太神は,日月と共して,寓內に造臨給へり。豐受太神は,天地と共して,國家を守幸給へり。故則,天皇御宇,二柱靈尊訪神風之地ひ,尋重浪之國て,天降鎮座給へり。凡伊勢二所皇太神宮,則伊弉諾、伊弉冉尊崇神,宗廟社稷神,惟群神宗,惟百王組也,尊無與二。自餘諸神者,乃子乃臣,孰能抗や。」と詔ふ。 吾聞。大日本國者,神國也。依神明之加被て,得國家之安全,依國家之尊崇て,增神明之靈威す。肆に祭神之禮,以神主祝部為其齋主と。因茲て,大若子命弟若子命同侍殿內て,善為防護,奉祈國家れらば,寶祚之隆,當與天壤無窮矣。
亦聞,夫悉地則生心す,意則顯信心る。蒙神明利益事は,依信心厚薄と成り。天下四方國の人夫等に至まで,奉敬焉。
八、神名社帳
天照皇太神,一座。【大日孁貴,此云おほひるめのむち。霎,音力丁反。】
御形,八咫鏡坐。【謂八咫者,八頭也。】
相殿神,二座。【左天兒屋命,形,弓座。右太玉命。劍座。】
一書曰,天手力男神、万幡豐秋津姬命。
荒祭宮,一座。【皇太神宮荒魂。伊弉那伎大神所生神。名八十枉津日神也。】
一名,瀨織津比咩神,是也。御形,鏡座。
伊弉諾尊。【左方。】靈御形,鏡座。
伊弉冉尊。【右方。】靈御形,鏡座。
月夜見命,二座。【形,馬乘男形也。一書曰,御形,馬乘男形,著紫御衣,金作帶大刀佩也。】
荒魂命。【右方。】形,鏡座。【飛鳥宮御宇丙寅年,十一月十一日,遷魚見神社也。】
瀧原宮,一座。靈御形,鏡座。水戶神,名速秋津日子神,是也。
並宮,一座。【靈御形,鏡坐。速秋津日子神妹秋津比賣神,是也。】
此二神,因河海持別,而生神八柱。
伊雜宮,一座。【天牟羅雲命裔天日別命子玉柱屋姬命,是也。形,鏡坐。】
大歲神,一座。【國津神子。形,石坐。】
興玉神。【無寶殿。衛神猿田彥大神,是也。一書曰,衛神孫大田命,是土公氏遠祖神,五十鈴原地主神也。】
瀧祭宮。【無寶殿。在下津底水神也,一名澤女神,亦名罔象神。】
朝熊神社。【櫛玉命,靈,石坐。保於止志神,石坐。櫻大刀神,花木坐。苔蟲神,石坐。大山祇,石坐。朝熊水神,石坐。寶鏡二面,日月所化白銅鏡,是也。】
風神。【一名,志那都比古神。廣瀨、龍田,同神也。】
酒殿。【天避大刀、逆鉾、金鈴,藏納之。】
御倉神。專女也,保食神是也。
御戶開闢神,天手力男神,栲幡千千姬命。
御門神。豐石窗、櫛石窗神。
四至神四十四前。宮中祭之。
豐受太神,一座。【元丹波國與謝郡比冶山頂麻奈井原坐,御饌都神。亦名倉稻魂,是也。大自在天子。御靈形,真經津鏡座,圓鏡也,神代三面內也。天御中主靈。御間城入彥五十瓊殖天皇即位三十九年七月七日,天降坐。】
相殿神,三座。【大一座,天津彥彥火瓊瓊杵尊,形,鏡坐。前二座,天兒屋命。太玉命,形,笏座、寶玉座、大左方座,前二座,右方座。】
多賀宮,一座。【豐受荒魂也。伊弉那伎神所生神,名伊吹戶主,亦名日神直日大直毘神,是也。靈形,鏡座。】
土御祖神,二座。【宇迦之御魂神,土乃御祖神。形,鏡坐、寶瓶坐。】
月讀神。
調御倉神。【宇賀能美多麻神,三狐神。形,尊形也。保食神,是也。】
酒殿神。【豐宇賀能賣命,缶坐。丹波竹野郡奈具社坐神是也。天女善為釀酒,飲一杯,苦万病除之。形,石座也。】
風神。【八風神。】
北御門社。【一名若雷神,加茂社同神也。形,甕座。】
御井社。【天忍石長井水,是也。七星羅列。】
御門鳥居四至神等。二宮同前也。
大國玉比賣神,二座。【大己貴命,一座。佐佐良比賣命,一座。】
右,大己貴神。【亦名,大國主神,大物主,國作大己貴,葦原醜男,八千戈神,大國玉顯國玉命。】
九、勘注附記
日本紀曰。神產日神之御子小名毘古那神,與大國主神相並作堅此國之後者,其小名毘古那神者,度于常世國也。
神代下云。高皇產靈尊敕大物主神:「汝若以國神為妻,猶謂汝有疏心。故,今以吾女三穗津姬,配汝為妻。宜領八十萬神,永為皇孫奉護。」 裏書勘注曰。風土記曰。夫,所以號度會郡者,畝傍樫原宮御宇神倭磐余彥天皇,詔て天日別命覔國之時,度會賀利佐嶺火氣發起て。天日別命親云曰:「此小佐居歟,」禮使迷命見,使者還來申云,有大國玉神賀利佐到。
于時,大國玉神遣使,奉迎天日別命。因令造其橋。不堪造畢,于時,則今以梓弓為橋而度焉。爰大國玉神,資彌豆佐佐良比賣命參來,迎相土橋鄉岡本村て。申天日別命:「歎地出之,參會曰刀自,爾度會焉」因以為名也。 一書曰。神倭磐余彥天皇御宇,惡神訝りて,人民亡,火氣發起而天下不安るに。以日別名遣使大己貴神,復命て,發兵從西宮徙此東洲之時,崇祭大國玉神。【大己貴命。】復命,天皇大歡,詔曰:「宜取伊勢國て,即為天日別命之村地。」
此世不堪火氣,伊勢多賀左山嶺に,造石宅住居て。天日別命,殺戮荒振神,罰平不遵,堺山川,定地邑者也。以天日別命子崇祭。是度會國御社也,彥國見賀岐建與東命,是也。 神服機殿。
倭姬命入坐飯野高丘宮,作之機屋,令織太神之御服。從高宮而入座礒宮,因立社於其地。曰名服織社。號麻績鄉者,郡北在神。此奉太神宮荒衣衣。神麻績氏人等,別居此村。因以為名也。
天智天皇即位七年,八月三日,夜,兩機殿燒亡。便所造假屋。
九月,御衣勤仕。依宣旨也。其後,兩機殿別別立之,相去各三十丈。
垂仁天皇廿二年,春三月,飯野高丘宮坐。
廿五年,春三月,從飯野高宮,遷于伊蘇宮座。
廿六年,冬十月,天照太神、草薙劍,度會五十鈴川上鎮座。同興齋宮于宇治縣五十鈴川上大宮邊,令倭姬命居焉。即立八尋殿,令織大神御衣。號宇治機殿,是也。【一名,礒宮。】
磐余甕栗宮御宇三年,遷于本服織社,令織大神御衣。
難波長柄豐岐宮御宇丙午年,竹連、礒部直二氏,建此郡焉。 大神宮本紀下。
伊弉諾、伊弉冉尊者,天地萬物之靈神。天照皇太神宮者,惟天地神祇之最貴者也。我國家神物靈蹤,今皆觸事有效,不可謂虛焉。于時,大神主飛鳥孫御氣書寫之。爰神護慶雲二年二月七日,禰宜五月麻呂,撰集之。
蓋聞,垂仁天皇女倭姬內親王,隨神託定大小神社,或神代神寶,奉崇神體,或以變化之靈物為神形,專致其精明之德。【云云。】
賀茂本奧書云。
本云,大治四年十二月二十七日,書寫之畢。 外宮權禰宜 度會神主 雜晴 【判】 又云,丁卯歲五月,書寫之。 豐受太神宮禰宜 正四位上 度會神主 章尚 【判】
于時,應永廿五年戊戌,仲夏端午後一日,書寫畢,校點了。 本云,時應永廿七年,六月六日,書寫畢,校點了。
此本,山田岩淵英禪秘藏云云,雖然依別段之懇志,若狹國安賀庄一旦居住之,砌令借越寫了。
希代之云重寶,云出所,更以無抗比者也。 右之一冊當家重代之祕藏也。修補之,砌難默止依貴命書,寫於一軸面遺關東者也。穴賢云云。 寬文八年夷則上旬印之 【右應永廿七年已後,裏書號令省略了。】 權禰宜 從五位上 工部員外郎
一卷入筥,同一卷,其後流部世上歟云云。
稻葉美濃守殿,井上河內守殿 寬文十二年壬六月下旬 依為校合御所望 同年來御所望之故云云
一武家傳奏中院大納言殿,當社傳奏中御門黃門資逃卿
家臣山本金顯斷之也云云一卷之 寫進于永井伊賀守殿校合之云云
延佳本奧書云。
倭姬命世記者。太神宮神祇本紀下而,度會二神之祖二所太神宮大神主御氣之筆作,同四門外宮禰宜神主五月麻呂集撰之由也。爰近代,度會神主等紛失之,而由內宮荒木田神主等雖相傳之,邪祕而不免他見,絕希望之處神慮令然歟。古本在京都不意書寫之,仍拜見之,則誤字闕字剩有落行之間,古記中徃徃所引用之,以倭姬命世記文校合之正誤字,入闕字,補落行,加古點,猶有不審期正本一見之節云爾。 寬文九已酉九月一日 渡會四門神主 延佳謹識 愚拙書寫之本庚戌回祿之時令燒失之處今又釜屋氏秦正好助筆再為家珍者也。
寬文癸巳季夏廿八鳥 直菴老人 延佳 【判】
今日出東山月殘中天明星在月南三光一時拜之
。。。。。。。
豊受皇太神御鎮座本記
一応、人前で説明はさせていただいたのですが3分くらい喋って、資料を配って終わりという、顰蹙ものの説明だったので、もうちょっとだけ説明しておきます。聞く所によると、伊勢には伊勢神宮という大きな神社があるそうでして(笑)
伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)である。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
主祭神は以下の2柱。
皇大神宮:内宮(ないくう)
天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ) - 一般には天照大御神として知られる
豊受大神宮:外宮(げくう)
豊受大御神 (とようけのおおみかみ)
以上 wikipediaより
内宮は垂仁天皇期に祀られ、外宮は雄略天皇の御宇に今の場所に祀られたとの伝承が起源となっております。
外宮の祭祀を代々司ってきたのが度会(わたらい)氏で、度会氏に伝えられてきたのが度会神道、一般的に言われる伊勢神道であります。
その伊勢神道(度会神道)の根本経典として伝わるのが「神道五部書(しんとうごうぶしょ)」。
鎌倉時代に度会行忠ら外宮祀官が、伊勢神宮に伝わる古伝を加味しつつ執筆したものとされており、奥付には奈良時代以前の記載であるとの記述があるそうですが、確認はできておりません。一般的には14世紀頃の成立であるようです。
この「神道五部書」はその名の通り5つの経典の総称でありまして
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
の五書からなっております。
今回、ご紹介するのは、そのうちの『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)でありまして、外宮である「豊受大神宮」鎮座に関する由来を記したものです。
伊勢神宮公式サイトには
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
との説明が記載されています。
御鎮座の時期は、ボクが喋ったのとは大分違っていて、どうも勘違いしてたようです、ごめんなさい。
ま、それはそれとして『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみますれば
見ていただきたいのは赤線の部分。
天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也
これだけで、詳しい説明は不要かなとも思いますが...
阿波國に座す二社が皇祖皇統の正統なる末裔であると記してあるのです。
阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者、あるいは......
(ここを書かないから常々『ずるい』って言われるんだなぁ)
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だったのです。
その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの本紀を記したのでしょう。
ただ、「伊勢大神」というのは「天照大神」を指しまして、天照大神を祭神とするのは皇大神宮(内宮)で、穀物神である豊受大神を祭神とする豊受大神宮(外宮)の本紀として、この記述があるのは、非常に疑問です。
あと、神皇産霊神、云々の話もでてましたよね
この辺りは今後の課題となるでしょう(だれか調べてよ〜)。
が、通常世間に出る事の無い「御本記」に、ここまではっきりと国名、郡名を出して、その起源を主張するには、並々ならぬ事情があったことと推測されます。
「道は阿波より始まる」にも伊勢神宮は「阿波王子神社」を遷座したものだなんて書いてありましたしね。一つの裏付けにはなるでしょう。
ってトコですかね。
いかがなもんでしょうか?
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天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
1. アマテラスは皇居に座る [アマテラスは皇居に座る] 【伊勢国海郡宇知村の五十鈴川沿い。】 李建諾尊は「豫州の大切な息子を産みたい」と言い、左手に白銅鏡を持っていたと記録されている【天京尊が作った三宝鏡。】そしてそこは変身の神。つまり、大きな太陽は高貴であり、火に輝く空、太陽は高貴とも言われます。この息子の輝きが六合を通して輝いています。[天地が開かれた後、神々が地上を歩き、その体の光は消え、天地は暗くなった。その時、一切の衆生を救うために、空に太陽、月、星の像が現れました。太陽神、月神とも呼ばれる。】
そこで、二柱の神であるイー・マヌオとイー・ミアン・ランは喜び、こう言いました。 「私はそれをできるだけ早く天に送ります。」そして彼らは彼に天上の事柄を与えました。太陽神は小さな太陽の宮殿に滞在しました。神聖な太陽が昇るとき、空は明るく輝き、太陽は明るく輝き、皇帝と太神Yuqi、Fengshou Huangtaishen。】世界を永遠に支配するための秘密契約を結んだユウ。 以降,高天原
イーユン、ジェンジン、ジンジン。しかし、大神アマテラスは天岩洞に入り、岩夫に隠棲した。エル・ナイ・リウヘはいつも暗い
太瑞嘉陰元年冬十月に日本に送られた。 纏向珠城宮御宇。
陰暦二十五年の春、私は飯野高宮から伊須御所に移りました。日本の王女は彼女に菜食主義者になるよう命じた。そして神道に従い、下神盤家に大宮柱大府を建立した。
ディンシー、冬の十の月に、私は宇治町の五十鈴川沿いの新しい寺院に引っ越しました。
【香宮】神の第二席。
左側の天の手は男性の運命です。【袁は音開心座位、凌玉興弓位。神代の車輪王によって生み出された。]
右は万蛮風秋人が運命の人です。【精霊の形をした剣。龍神が神々に代わって創造したもの。】
ジシェンといえば、斉の太子皇帝タイシェンだけであり、ガオ皇帝は霊神の娘を産んだ。天照天皇の側室、五所雅也皇太子です。皇帝の孫も母親に命じた。したがって、二大神、天照大神と泰神志佑祁は、天津炎火瓊瓊中尊の偉大な祖先と呼ばれます。したがって、先祖と祖先の血統を尊重し、礼儀と教育が第一です。
2.芳香の生贄の宮殿【アロアネの生贄の宮殿】は 【アマテラス・グレートサン・エノキ・アロフン】です。リン・ユー型の鏡が座っています。】 李御存は神を生む左目を洗った。
その名はアマテラス・アラフン、別名セオリズビバ神。
天鏡の朱燕が鋳造した貴重な鏡の三面のうち、二面はイー・ジャンヌオとイー・ジャンランが保持していると記録されている。
3. アマテラス、斉皇太神宮殿に座って立ち寄る [アマテラス、斉黄太神宮殿に座って立ち寄る]。【東海郡三田原町。】
易岱の水徳は未顕なり、天地は未成なり、八坂瓊瓊の曲流と言われています。
それで、それは中国の魏源と呼ばれ、また、天昭志宇奇皇大神とも呼ばれました。彼は偉大な太陽、偉大なる神、天照と世界を永遠に支配するという秘密協定を結んだ。 御間城入彥五十瓊殖天皇。
仁緒三十九年、天照大帝が沂保に移った。
この時、斉の皇帝が天から降りてきて座ります。
陰暦十二年二十一年、冬の十月一日、日本の王女は孟暁に起きるように命じました。
今時,大若子命差使
来年の呉呉、秋の 7 月 7 日は、大左によって命じられます。
天地創造後、万物は整えられたにもかかわらず、混沌の前では輝きませんでした。したがって、存在するか死ぬかにかかわらず、すべてのものの変化は降りてくるのは失礼なことです。当時、国家は神に化けた神を定め、天津を利用して政務を掌握することが多かった。
【香宮】三席。
左側が孫尊大帝です。黄金の鏡に座る王の精霊の姿。大きな西と小さな東の二つの面があり、西を頂点として内部に帝国船が座っています。神代からの超自然的な物体である。【2面を1つの住居として利用。】道教の師はザイの神を崇拝する。大きな事はタブー、側室が役人を務める、これが理由です。
右側の2番目の席はTian'erの魔術です。歯のような、ワットの上に座っている霊的な形。翡翠の玉が 1 つと、その上に高貴な木の枝が 2 本あります。天燕湖が開くと、天武の命令により、ワット・シェンムを崇拝するための祝賀メッセージが伝えられます。
大きな翡翠の運命。精霊の形は円宴を隠すために使われる縁起の良い婆坂瓊の玉である。これは、天の祖先呉生尊によって変形された貴重な翡翠です。真の聖者の木の枝には、500 個の裕通玉がぶら下がっています。貴重な翡翠には宝物が含まれており、天と地と人の祝福の場です。神通力を持ち、物に触れる効果がある、湾曲した翡翠の丸筥を一体に祀る。
4. タガグパレス [Tagagu Palace]。
斉の皇帝太神黄勲だけです。
李蓜宗が紫の太陽を建て、小さな家のオレンジの木を浄化していたとき、その日は皇帝の誕生日であり、彼は太陽の中で最も高貴であるため、左目を洗いました。世界の名はアマテラスと呼ばれる、タイシェンの荒廃した魂、これは神への荒廃した犠牲である。もう一度右目を洗いなさい、それは天の宮殿の高貴な精神である月の皇帝が生まれるからです。天より降臨し、勇輝大神と名づけられた荒魂、ここが多賀宮であり、伊吹家主神とも呼ばれる。霊の姿は鏡に座っているようなものです。これは天の鏡の主が義民主の右手で造られた貴重な三枚の鏡です。
かつて、天照大神が第二の御所の御所に座ってこの書を記したのですが、その記録は原本のように鮮明でした。
アポロンの命令は荒木田の剣、
ノノクの命令は赤冠薬
、オタノの命令はエンシェント
ファイブ、オシュウオシュユンの代用。 御所が小倉神道秘書官に移されると、文治元年4月21日、美義光が『神記』『飛鳥記』十二巻を著し、正殿と偽殿が御殿に移された。そして寮内で執筆が完了しました。 あなたは神主ガオ・ルンに会って判決を書き 、最初の三者は神主の継承を延長し、 その時点でその 書に記すべきです。】碧真秘蔵、 咸宝三年呉緒二月八日、 右手は兪牧正英文の筆で、宜延寨所蔵にもある。
そして、高田美梅・ツイカ先生の改訂版をもとに、ツイカ先生の指導要点を一つ一つ確認しながら書き記したものが、ビユンヌアン・ソンダ編の完全記録となります。
伊勢二所皇太神宮御鎮座傳記
一、御鎮座傳記卷首 纏向珠城宮和地姫の命、伊勢の国を渡る際にウチと出会う2.天津燕霍瓊瓊杵 、先天照大神にして天宇の主神、天帝を以って言葉を測る。
の八重の雲を散らし、天孫たちに別れを告げた。天国の八大通り
3. 神武天皇 神日本磐余彥天皇の第四皇子。母親のジェイド・イ・ジも海の子の女の子です。
太瑞嘉陰元年冬十月に日本に送られた。
新游正月、正遠に都が置かれ、皇居が運営された。
4.崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖皇帝は徐々に神の力を恐れるようになり、宮殿の同僚たちは不安を抱きました。
改易後、在布氏は石寧坡氏と天母宜西氏の二氏を率いて天祥山から白銅と黒金を採取し、剣や鏡を鋳造して御璽を保護した。建作の日、これは神印のある鏡と剣です。【内職者の家と言われている。】范熙は大尊神であり、その息子が主神に代わって主神となる、ルイ・ヤサカ瓊の大神である大太陽を祀る曲雨です。 天皇の治世6年に、天照大神と和田国二神が天皇の正殿に祀られました。しかし、彼の力が怖くて一緒に住むことに不安を感じています。
そこで秋九月、五里海町に天照大神を祀る特別な柵が建てられました。そして草薙の剣で、鳳姫を宮殿に鍬で入れ、菜食主義者として奉仕するように命じました。
5. 随仁天皇 纏向珠城宮御宇天皇二十五年三月春、伊勢国飯野高宮から伊須御所に移された。
その時、日本の王女が命じたのは、
今歲,猿田彥大神參,乃言壽覺白
しかし、天地の大祖先は、太古の昔から【天照大御神・太聖帝、天佑の主神です。】」】とシェン・ルージ、【ガオ・ファンチャン・リンズン。】神ルーの美しき運命、誓う。
宮殿の大きな柱である[慈柱]は、天佑の測り柱でもあり、新しい柱でもあります。それが天皇の命令であり、国の安定である。守護神の座である龍神と地神がそれぞれ1体ずついます。】泰夫は夏金盤弦を設置し、【太田は地輪の純金台座を備えた金盤弦とともにこれを聖別するよう命じた。】天の高原で風と戦うジュンキ
朝廷二十六年定鎮、嘉子秋九月、天照大神内五十鈴川に移された。
- 【天照大神帝】、一。【大事な日は値段が高くなるとも言われています。】
- 【香典神】、二席。[Zuo Tianer の家の生命の精神。まさに太勇生命魂。】
- 【大塔開善神】、本殿は2社。【左天の手の力の男神。ヨウワンバン・フォンキュウジン・ジー・ミンリン。】
- 【御門神】,二座。【豐石窗神、櫛石窗神。】
- 【大蔵神】、3つ。【スグウ・ズンジ・ウガの魂を司る神。Zhuan Nv としても知られています。三匹のキツネ神。】
- 【ワインパレスの神様】、その1。【神器座。】
- [宮殿の神]、44年前。【夜刃神将軍。石の上に座っています。】
- 【香典神】、二席。[Zuo Tianer の家の生命の精神。まさに太勇生命魂。】
- レギリス。
- 【荒廃した生贄の宮殿】、その1。【太神皇帝黄勲シェンイェ。イー・ミアンヌオ・ズンが紫の太陽を建てに行き、小湖州の平原に祈ったとき、彼はそれを浄化していました。今日は天皇陛下の誕生日であり、最も尊いお誕生日なので、左目を洗いましょう。世界の変貌を天照大神の荒廃した魂、荒廃した犠牲神と呼ぶ。エフの神であるオリズの方が私の神よりも優れていると言われていますが、その通りです。】
- 【滝原宮殿】、その1。【黄台神耀宮殿もあります。イー・ザンヌオとイー・ザン・ランズンの間に生まれた川の神は水戸神と名付けられました。蘇秋進日神とも呼ばれる。】
- 【イーザ宮殿】、1つ。【黄台廟も遠宮です。その日とその日の運命は、子供Yuzhu Wijiの運命です。神を信頼して礼拝してください。】
- 【荒廃した生贄の宮殿】、その1。【太神皇帝黄勲シェンイェ。イー・ミアンヌオ・ズンが紫の太陽を建てに行き、小湖州の平原に祈ったとき、彼はそれを浄化していました。今日は天皇陛下の誕生日であり、最も尊いお誕生日なので、左目を洗いましょう。世界の変貌を天照大神の荒廃した魂、荒廃した犠牲神と呼ぶ。エフの神であるオリズの方が私の神よりも優れていると言われていますが、その通りです。】
6. 鳳寿黄台神社
- 【フォンショウ・ファンタイ・シェン】、1つ。 天地創造の初めに高天元で神となった。ある人は、Yi Jian Nuo、Yi Jian Ran Zunと言った。[古いことわざにこうあります。イシェはその日の側室であり、イシェはその日の側室です。】大巴州様。第二の人生、ポセイドン。第二の人生、川神。セカンドライフ、風神など。以来、一万年以上戻ってきましたが、水の徳は明かされませんでした。
して 、世界は飢えています。その時、事態を司っていたのは二柱の神々だった。を によるて 、八坂るい瓊のQyuを 九つの宮殿を擁する。
変身した神の名は斉皇泰シェンき 。千変万化、一水の徳を受けて、命を繋ぐ術。そのため皇室食の神様とも呼ばれています。古いことわざでは、海中に葦の芽のように浮かぶ何かがあり、その中で人間と神が変化し、それを天宮の主神と呼んでいます。したがって、鳳威という名前はもともと中国から来た名前であり、知裕奇皇泰生とも呼ばれました。
そこで、天地創造の初め、神宝の日の出の時、帝都の主神・天祐中尊と大太陽・高貴な天照大神、そして二柱の天皇が密約を結んだのである。永遠に世界を支配するために。を 。それは常にぶら下がっていて決して沈まない太陽や月かもしれないし、あるいは常に無限の神や皇帝かもしれない。リウヘを通して輝きと輝きを放ちます。 御間城入彥五十瓊殖天皇 39 年天照 大神を ダンボーへ移動の 興左宮殿。4年間断食します。
今年、斉の皇帝が天から降臨し、座します。て 、何明斉徳が与えました。天暁宮の儀式などして 、同じ場所に座っている 2 人す 。
その時、Hejiuは太陽神Feng Yuqi Ji Mingの息子を産み、[稲の精霊の神でもあります。】ロイヤルワインを用意します。【この世では、丹後国竹野郡の長社の所在地である豊宇賀には神を売ることができるという。】イー・ダンバ道士は高貴であり、【スグ・ミンは孫李裕子神を尊敬しています。】宮廷の食事や王服を用意し、官吏として仕える。
彼の仕事はもう尽きたて ,止由氣太神復上高天原き 。ここにして 、白銅鏡付きて 、道教の貴族である8人の少年たちは、毎日ヤンを崇拝し、崇拝しています。
泊瀨朝倉宮御宇皇帝の治世 21 年目 10 月 1 日、日本の王女明孟暁は目を覚ましました。く 。太聖帝:「私は空のような小さな宮殿に座っています。に 天下にしても 、どこにも座っていませんは 、王室料理の茂安は食べ物の匂いがしません。は 。丹波国と日野狭臣は麻夷の本来の位置に座し、道教の師である八具志ヌが彼女を崇拝しており、王室の料理はすべて斉皇大神が提供しています。を , 田舎に座りたいです。」と ジュエゲを教えるき 。そのとき、達若子は使者を送るよう命じられた。て ,朝廷に 夢の状態を 与える言葉を命令するき 。
つまり、「あなたは偉いのに、諦めて去ってください」という天皇の詔勅である。て ,布理奉。」宣き 。そこで燕暁は率先して帆を背負い、二神の子孫を知っており、ザイ斧、ザイジンなどを使い、山の材料を集めて宮殿を建て始めました。て 。
来年の秋の7月7日の呉武は、 Dazuo Zuo Ming、Diruozi Mingzi Erzuobu Mingzi Yan、Shiri Mingzi Kawaba Ryuha Mingziとともに行われます。】丹波国遊佐郡舞井原町出身して 、斉の皇帝太聖を迎えて阻止する。山田原との出会いの Xiajin Pangen、[五十鈴宮殿、Datian など] に適用するよう命じた。】大宮殿の柱【No. 慈珠、天宇測定柱とも呼ばれ、心玉珠とも呼ばれます。それが天皇の命令であり、国の安定であり、神の徳である。したがって、守護の座である龍神と地神はそれぞれ1体ずつ存在します。】ヒロフリて 高天原に 千木高知て 鎮理座。と 敬礼と礼拝き 。
また、神宝を収集し、武器を神貨として神聖化した。もっと落ち着く場所、神戸て ,二所皇太神宮の 朝の気の優れた制御と夕方の気の制御を ,日別に ザイは拝んで入ります。彼はまた、神の指示に従い、地元の主人の物を使って秤を作りました。を 。丹波道主命,物忌職奉仕,御飯炊滿供進之。
皇太神重託宣:「吾祭奉仕之時,先須祭止由氣大神也。然後,我宮祭事可勤仕也。」故則,諸祭事以止由氣宮為先也。- 【香典神】、3席。[左、天津燕燕火瓊瓊中尊、大八大陸の主。右側には、天爾家の根明と太裕明が神と大地の忠実な神です。】
- 【多賀宮】、その1。[残ったのは斉皇帝の荒廃した魂だけだ。李蓜宗が紫の太陽を浄化するために小さな家にオレンジ畑を作りに行ったとき、太陽の中で最も高貴な天皇誕生日であるため、左目を洗いました。世の変貌を荒廃の犠牲神天照大神の荒廃の魂と呼ぶそうだ、右目を洗い直すのは月の帝王、天の帝王の崇高な魂を生むからである。世の荒廃した魂を知友奇大神といい、多賀宮も同様で、神を若返らせるために鼻を洗うので、神を売る沙蘇良弼の速度と呼ばれます。地球の年もとても貴重です。蘇明尊とヘリ席が与えられる。多賀宮では伊吹神が家の主神、家の神であり、第一の報復神は天照大神です。神の教えに従い、斉宮の導きに従いなさい。】
- 【山田の元地主 大槌譲進】、2議席。【大ニアン神の子、大国魂の子、魂を司る神ウガ、その一。Su Ming Zunzi Tu は王の神です。また、曲神大天明、神宝、石宝の形をした台座。それは神の富です。】
- [ティアオ・ユカン・シェン]。【宇上高久神社。李美濃と李綿蘭の二柱から生まれた神である。大邱では食料を売る神、食料を守る神としても知られています。これは神々の正式な宮殿に座する神です。また、機堂の神と同座に三狐神が祀られています。したがって、彼女は女神とも呼ばれます。これは宰王の娘としての宿命です。また、Dao Ling Yu は馬神の席ごとに Neng を祝福します。北西部でも礼拝と犠牲が行われます。ずん型の席は1人につき1席です。】
- 【ワイン館】。【イミヌオと宜蘭蘭存の子で、長い年月を経て生まれた神である鳳宇が神を売ることができるという。Da'eとも呼ばれ、Shengnuとも呼ばれます。月から天に座って酒を飲み、悪いものを一口飲むと縁起が良く、万病が治るという。その中には数千金の価値がある、財宝を積めば与えられる、今日の名前は神酒だ。ザイパレスの祭りの夜、少女にワインを贈るのはイー家の使者にとっての運命だった。丹波国・謝県の備沼山の頂上にも井戸があるとされ、その名は
真名 良い。ここに住む神は七竹野県のナグシャです。そのため、風雨が販売できたことを神に祝福し、霊石座でもある。ワインが残した窓は至高神の霊的武器でもあります。礼拝し、犠牲を捧げること。古いことわざにあるように、お腹が蜜とワインで満たされているのは縁起が良いことです。神酒の名前。3人の犠牲を捧げます。】
- 【香典神】、3席。[左、天津燕燕火瓊瓊中尊、大八大陸の主。右側には、天爾家の根明と太裕明が神と大地の忠実な神です。】
7. 禁忌の関係は 日本の姫君の運命と大田の運命 衡山にはウド銭と絹が蓄積されている。
高貴な神はスアンを避けた。
神鏡座は 神聖な鏡座です。
片面は月と空から現れる明るい鏡です。【円形に三天光、五飛龍、五守護神を配した、天鏡鋳造の白銅製の貴重な鏡である。月と空の三方以内です。】生贄の崇拝は斉宮で止まる、そうだ。
テジョン・ミンユエ
一方では、八百万の神などが石を使って古い神々を凝縮し、貴重な鏡を鋳造しました。伊勢大神宮が崇敬されるのはこのためです。【日本のイメージは八咫鏡です。古いことわざにあるように、Ba'a は頭が 8 つあります。八頭花の葉が八枚の形を八葉形とも言います。したがって、バアという名前が付けられました。中央に丸い鏡型の席があり、円の外側に太陽と空の席が8席あります。】
片面とは、日の前の宮殿の席を指します。老神シーニンは鏡を投げます。最初のキャストは神の意志に従わなかったので、Ji Yi国の神でした。
すでに述べたように、これは神の貴重な鏡です。
9. 日本の女性たちは、神から託された戒律に従って、日月の神鏡を鋳造し、朝雄山神社に隠しました。ここもまた
興宇神拓宣
冬の11月、新味祭りの夜は深まる
- 【朝熊神社】、その6。【ここは日本の姫君たちが祀られる神社です。】
- 【栉玉明】。1つ。[日本の王女は、雄大ルイユにそれを建てるよう命じました。玿尻ともいう。玉陵、石座。】
- [Zhizhi Shen に保証]、1 つ。【日本の皇女が天皇に参拝を命じた神社。本当の名前はカイトです。玉陵、石座。】 税金に飢えた精霊神。
- 【桜刃神】、二席。[リン、フアムーシート。大巴州の桜が空から舞い降り始めた。花が咲き、運命が訪れると考えられているからです。大きな山は一つしかありませんが、山は二つあります。○この2席は上記6席と合わせて1席として数えることができます。】
- 【苔虫神】、その1。【桜太鼓神と合力して、大刀、小刀、鉾などを作りました。陵、石座。】
- [大きな山は 1 つだけです]、1 つだけです。【貴重な鏡を鋳造する技術も神々しい。陵、石座。桜の神様が並んで座っています。】
- 【趙雄水神】、1つ。【貴重な鏡を鋳造する技術も神々しい。陵、石座。】
- 【栉玉明】。1つ。[日本の王女は、雄大ルイユにそれを建てるよう命じました。玿尻ともいう。玉陵、石座。】
- 【豊庄宮王威神社】
右側に王位を持つ者は、天と神の命を受けて琥珀の鉢を治め、その中に定住する。【それを守るように並んだ七つの星は、まるで天空の小さな宮殿の珍味のよう。】太聖帝と孫治帝が天に降臨して座るよう命じたときに ,天牟羅雲命御前立て 、天が役人として仕えるとき。に 、皇帝の孫の運命はティアン・ムーユンの運命ですを 趙趙く :「食國之水は 未熟,荒水に 存在するけり 。故御祖天御中主神之御許に 上記を参照。これが理由ですて 来る。」と 詔。即天牟羅雲命參登て ,天孫之御祖之御前に 、ファン・ユソンの 申請時の申告を ,子細申上。
時に 、皇祖天照大神が座す、天宇の主神である太神、神露基、神露名尊、詔書く :「その他に 仕えるむ 政は ,行奉下て 存在するとも 。水のガバナンスおは 遺産て ,天下復飢餓く 存在するけり 。何神をか 提出するむと 思いに ,勇をして 来て。」と 詔て 。「天ニン石」の 長井の 水を テイク、バシェンて 教えるく 。この水が抑えてくれるて ,皇太神の 王室の珍味に バシェンシアンて 。残り水は 天人水と 雲て 。食の国の 水に 灌漑て オファー。私と初めてに 五人の供神、三十二神、そして友八十人が大臣として天から降臨した。エルマオ 、泗水を 飲み物を注文します。"布告て 夏峰支店 。
この時、虞宇は二十二歳で、家の王子である武侠や神の丞相である武基などが神の教えを受け継いで伝えた。それぞれの断食実践は明らかにされておらず、深い謎に隠されています。大神主おさささん、元大神主ひこわしりさん、大神主おぐらさん、おものじさけめおつとガールさんなどをよろしくお願いします。
日本の暮らし。【存在する※。】
白髪の王子。【存在する※。】
黄台廟前の大神延和志臨明が、ダティアンの指示に従って謹んで布告する、磐余玉穗宮御宇『定海、易』は、古代の二人の男性神師フェイニャオの伝記でもあります。[神の道に変えられたと主張する人々は、自分たちが本来の人間ではないことを示すことはできません。】
10. 奥州宜本武大弁 分 桂
三年十二月二十六日、神官は二柱の神、一等神、従者、占大臣、諸大臣に従いました 。】 右も左も自筆で記入・照合し、1名以外は閲覧禁止とさせていただきます。
大永の初年の辛司三月に、老人は 環通朝へ行った。】 右筆は木左尾秀夫が初校正し、高田三平が最終校正を行ったテン・テンの筆跡です。
咸宝19年3月19日、宜厳先生が書いた本には次の
ように
書かれています。別のバージョンには
次のように書かれています。【神记。】
古代の言い伝えによれば、60歳になっても満足できなければ、ピジアンにも及ばないという。【ゆんゆん。】今後も禁忌は守ったほうがいいですよ【それなりに。】しかも、彼は見てしまった。
曾祖父私は彼を72歳の時に見た。祖父ピ・ジアン、61歳。六十歳になったら会いましょう。Mi Yi Xingzhong [裁き。】 文治元年4月21日、 正宮と偽宮が宮殿に移されたとき、外宮で李美によって李光忠の書が完成したとも
言われています。その時、ミー・イードゥはガオ・ルンに会い、この作品を書きました。 【判定生まれ年は68歳。】 文治元年の記録によれば、内宮・外宮の皇室所蔵の『神書』(上・下)に記載されている。『宝事事記』と『大天明訓伝』は各1巻で、これが代々の主なシリーズとなっている。 当時、Tiao Mucangの遺体が入った偽のキャビネットを持っていたZixiという男がいました。広清卿はそれを崇拝しています。白蛇の形をした守護聖座と呼ばれています。ヒレが現れた時、神宮一也に異変が起きる。 また、皇室の印章と銘が刻まれた銅製の定規もあり、別のキャビネットに保管されています。この一連の代々の祭祀が篆刻に相当する
鳥や神が飛ぶなど、偽のキャビネットの中で。すべてを合わせて 12 冊にまとめました。
- 『神録』第一弾、第二弾
- 「飛ぶ鳥の物語」 主要な事件への 3 つのリンクは秘密にしておかなければなりません。
- 『大神宮神祇本記』上/下
- 「お宝の基本メモ」(前編・後編)
- 『大田命訓傳次第記』
- 『バーズ』各1巻。[この 3 冊は最高の書籍であるため、ユンシェン宮殿には 3 冊の本があります。】
- 『延曆儀式帳』
- 『御鎮座次第記』
- 『年中行事』
- 『神宮儀式』
- 『神郡神田帳』
- 『氏本系』
- 『神戸本記』 ハリ本記 【ただし、このカタログは付属しておりません。】
永仁三年義為三月十二日、下会神の四子孫である美儀鄭の三書を著し、言葉
は次のとおりです。古文書は現代文書である場合もあれば、仏教の言語を使用している場合もあれば、道教の経典を取り入れている場合もあります。本ですが、一人で書いたものではないようです。【愚行】前世から伝わる経典や乱暴な言葉、俗なことばが混ざっていることが多く、後世の人々がその言葉を俗悪と感じ、さらにペンで装飾したり、道教や仏教の言葉を借用したりするという。これも 2 つの実践を組み合わせた結果です。しかし、偶然にも、古代と現代の間に矛盾はありません。今では神々しいものは存在しますが、文体は変わってきています。書かなくても心を傷つけなければ大丈夫です。
寛文13年6月、吉陳全美正、五大神、
燕嘉、イシェの日、側室、竜王、神、皇帝、月、皇帝、月、神殿、空、月、夜叉、将軍、祝福の場、天、地、輪 地、
水、火、風、ダイヤ、龍王、オーブ、広大、慈悲、八龍神、十二の神と師
. これは仏典の言葉です。[愚かな報道。】仏典に手を出さなくても、仏陀の言葉を読むことはできます。私が見る限り、これが事実です。 Xiyiオーディオ -
ビジュアル 天気と光を塵とともに包み込む デビュー経典 そのうちの 1 つ。中世には布都氏が加減算された。もしあなたが会議中に再び仏陀の言葉を使うなら、後世はそれをはっきりと観察しなければなりません。この本に書かれたのは正保二年夏の半ばであったが、誤字脱字があったため、数枚修正して書き留めた。最後の葉を渡す者も同様です。クアン・ミーイー、下層五層の神・ヤンリャン卿と出会う 【審判】
【※未詳。待後攷。】
豐受皇太神宮御鎮座本紀
1. 幽真図 1巻| 天地が誕生したとき、海に何かが浮かんでいた。神と人間が変身した葦の歯のような形をしています。彼の名前は主なる天の神です。したがって、Fengwei Yuan Chinaという名前が付けられました。それは鳳翔黄大神と呼ばれているためでもあります。天照大日とともに、八坂瓊の曲玉、八咫鏡、草薙剣の三種の神器とともに皇孫に「私を見るようにこの尊い鏡を見てください。同床も可能です」と献上した。 「あなたを鏡として使ってください。鮑作の栄光は天と地のように無限であるべきです!」玄燕。 皇帝の孫、天津延燕、霍瓊瓊中尊、[天照大神、マサイヤ王子、我勝、首里天人、隋爾順子。母は神の息子、天の主であり、精霊の女神ガオファンを産み、女神銭銭吉も運命づけられていました。蘇善武は太陽神に敬意を表したいと思ったが、彼が昇天したとき、志明宇は彼に挨拶するよう命じ、八坂瓊の曲弓を贈った。蘇山武はそれを尊重し、太陽神を崇拝した。今も誓いを交わし、翡翠を感じた時、私は天上の最高祖先として生まれ変わりました。そのため、天照大神は私を至高の存在として育て、私をとても愛し、いつも私を膝に抱え、太陽の脇の下と呼んでくださいました。今日の通称は「Zhizi」
天と神と地のみ 後にも先にも
この年、斉を止めた太聖帝が密約を結び、天上に住むようになった。当時、帝国の偉大な大臣たちは飲食をし、帝国の倉庫を建設するよう命じた。】ハウスボートライフ、【植物と木の名前。この場所は都匯県にあり、名前は清掖景廷祠です。】宇賀魂神、【今日の名前は小俣神社です。】ウスナ女神、【五穀の精霊。名前は薄野社。】スマリュー売り神、【スマリュー売りクラブの名前です。】ウガは大地の祖神であり、【蘇山武寸子もまた。山田ドゥフイはその場で神々を守ります。】雷神なら、【今生の名は、北湯門大明神。】顔過は何奇堅に会い、彼を殺すよう命じ、【杜向国の数も神社で会った。】日が昇る、【伊勢の大神は祖神でもある。】ジェンフン・ミン【ユチュアン・ダネイの祖先。】お互いに従い、暴力はやめましょう。その時、天照大神大神と紫楊斉大神大神は、互いの徳を理解するために結ばれました。天国の儀式のように、1つの場所に2つの席があります。
そして、九生まれの巣太陽神の息子である風雨は、一生懸命働くことができ、[屋形船の米の精霊神でもあります。】穀物を生産し、ワイン造りに優れ、王家に仕える。料理の神、道教の総主教ビンズマ、[蘇戦武は孫を尊敬している]。蘇玉子深とも呼ばれる。この世界では宮廷料理人はタブーとされており、それが理由だ。】来るべき4936ストーブ神を導く、チャオ・ダー・ユー・チー、シー・ダー・ユー・チー
今年、記念物省の80歳の氏族が帆に手を上げ、燕暁は二神の子孫を知った。
来年の秋の旧暦7月7日、私は大補佐の指揮を任されることになりました。
その時、雷神の八重の雲なら
また、アマテラスタイシェンユトゥシュアン、正面には香典の二神。Zhiyu Qi Palace、Xiang Palace God、孫明皇帝
また、蘇善武は孫太祖を尊敬しています、一。クシェン・ダ・ティエンミン、1人。偉大なニアン神であるウガ・フンもその一人です。山田原の守り神もお祭りです。[地球の祖先の霊が鏡の中に座っています。刻まれた石にはダティアンの生命霊が鎮座しています。瑠璃壺には宇賀の魂が鎮座している。】また、小倉神様、【お米の精フェンウガは頑張れる、ウガノタはお米とママの神様、食べ物の神様です。この像はベッドに座っており、守護聖人として白い龍がいます。すべての王子が一緒に座れば、8つの柱が与えられます。】また、ワインの神様。【永きに渡り巣を産んだ神の子、風雨は命を売ることが出来るという。丹波国竹野郡にある奈具神社です。彼女は西越宮を代表して天から降りてきて座し、妹娥と聖女とも呼ばれました。お米の精は光によって変化します。穀物の神は食物の神の化身を守ります。酒造りが得意で、精霊の形をした石の上に座っている。壺の名前は河多神器で、神ジュンドゥオリ・ヤクシャによって変化させられたものです。縁起の良いボトルの中には、ワインの蜜が溢れ出ています。あらゆる病気を治し、寿命を延ばすために人々を直接集めます。大大地祖宇賀魂神は、神酒を捧げる玄倉壷星神としても使われています。今日の名前はGencang Wengです。】宮殿の大小の神々、四神とその他の神々
アマテラス、カミロ、カミロ、カミロ」
神々の音楽が起こるたびに、過去には蘇山明の神々は太陽神として崇拝されており、その行為は非常に形がなく、あらゆる種類の侮辱でした。その時、天照大神は激怒して天石窟に入り、扉を閉めて隠遁生活を送りました。エルナイ・リウヘは常に暗く、昼と夜の区別がありません。神々は悲しみに暮れ、手足は絶望の状態にあります。庶民のあらゆる事柄は、ろうそくを燃やすことで区別できます。天宇の主神は『志宇奇皇大神』でもあります。】高黄王子が霊神を生み、その勅令が発令される
また神の指示に従い、土師氏を公務とし、秤や瓢箪などの土器を作った。
その後、麻衣さんから
先頭に立ったのはQihuang Taishenだけ。食料は 28 個、水は 4 セント、悪いものは塩が 4 つあります。さまざまな種類の魚や川の魚が供えられます。
首相官邸前。御用米は三十八品、水は六銭、塩は悪いものが六品あります。王志や正月魚などをお供えします。 神主部物忌等祝白:「天皇朝廷,常石、堅石
天照大神宮殿の王の姿は、玉座に座る太陽神に似ています。
Zhiqi Tai Shen Gong は、天の位置に座っている月のように、形を制御します。
明・元の八大陸のうち神と大地だけが獣の姿をしている。したがって、皇帝は長い間座って太陽と月を記録し、宇宙の薄暗い街路を照らしました。この国は天と地を結び、その歴史は永遠に続きます。無邪気さの明確な道、幽霊と神の柔軟性。人々はとても幸運です。蛇は東西左右に4匹います。 ハートの柱。[一つの名前はTianyu Zhu、別名Ji Zhu、Tianyu Liangzhuとしても知られています。】
天の四徳と地の五行に対応するといわれ、直径四寸、長さ五尺。五色の竹ひごを絡め、桜を八重に包みました。これはイーミヌオとイーランランの鎮府であり、陰陽の変容の基礎であり、神の変容の心のプラットフォームです。皆、天の心と一致して徳を高め、皇帝に還って国を助けなさい。したがって、皇帝は数えました、世界は堅固です、岩は永遠です、岩は堅くて動かないのです。常にその座を守る36羽の鳥と12神王がおり、彼らがいなくなると世界は危険にさらされる。 天秤おめでとうございます。神の指示に従い、トゥ・シー・ウージの父親はユー・レンの命を奪った。
このとき、大左左明と李内古明は勅令により出仕を命じられた。イーとユーの年齢、イーは二大神、フェイ・ニャオの古代の運命です。
ヤンジア・ベン・アオシュ・ユン・ジユン。
文治元年 4 月 21 日、正宮と偽宮が移転され、外宮は李広中と名付けられ、この書は完成した。
当時。
彌宜高倫寫之 【判】
その後も旅を続け、世代から世代へと受け継いでいくべきです。Zhiyu Qihuang Taishen Yuzhen Zuo Ji。【大神主飛鳥。】 古代の伝説によれば、60歳未満では、Phi Jian Yunには及ばないとされています。【イ・ミイの家族が保管しており、今後は禁止される。】見られたどころか?曾祖父私は彼を72歳の時に見た。祖父ピ・ジアン、61歳。【ゆ】六十歳で会う。
イー・ウェイ・スイ
弥正四神師 【審判】
完成したら古い本に書いてあった いつ旧暦7月12月16日に書かれたもの。今日書いた内容に基づいて。まだ文字がバラバラですが、1日で修正しました。ミイー・ドゥフイ・ゴッド・ロード・チャン・シャン [裁き]
ヤンウェン元年十の月の十七日にその本は書かれました。でも秘密の本なので、アンチグリを先に書いておきます。貞治6年4月28日、イー・ミー・イー・シン・ジョン・シェン・チューは自分の本を書き、それを照合するよう命じた。
新米僧侶は夜明けに帰る【通称、神の主の真の姿に出会う。】
トンジュンを助けるために世俗の本を返す
クアン・ミーイー、下層五層の神・ヤンリャン卿と出会う 【審判】
雍正本『奥書』には次のように書かれている
。 [ただし、高倫は文治元年四月に二行の論文を書いているが、延家本と変わらないので省略する。残りのテキストのみが左側に表示されます。】
英忠は原点と同じ流派を書いています。地海二十七、原点は習主業。知識として覚えておいてください。
外宮の美儀鄭、下級会議神のリーダーである張尚 【審判】
永正十三年12月16日、寮で書き終えた。一つの学校が完成しました。たぶん少し赤いです。ーーーー
伊勢二所大神宮宝物の成立基本記録
一、宮地求給事 活目入彥五十狹茅皇帝即位二十五年、春三月、定海朔冰申で、天照大神玉峰記を離れ、吉明に入り、日本の姫君の命を託した。袁和基は太神が即位する場所を尋ね、宗田忍番に行って返し、近江国に入り、東の美濃に戻って伊勢に至りました。その時、天照大神は日本の姫君に「ここは神風伊勢の地だ。世の波が荒波となって帰る国だ。隣の国が気の毒で、私もそうしてもらいたい」と指示した。この国に住め」ということで、泰神の教えに従い、伊勢国に彼の寺院が建立されました。鎮宮は五十鈴川のほとりに建てられたため、鎮宮と呼ばれました。天照大神は天から降臨した場所に由来します。 天皇彼の治世二十六年目、冬の十一月、それは新味祭の夜であった。80歳の主の家族の布告は次のとおりでした:「今夜私は至高の神の威光を受け入れ、あなたにそれを委ねます。神の主は物事のタブーに何の落ち度もありません。私はそれをはっきりと聞きました」 : 「人間はこの世界において神聖な存在です。なり、手のひらは静かでなければなりませんし;心は神の主であるたり、 悲しまないでくださいれ。神は祈りを第一に考え、ミンジは誠実さを基礎に置きます。わたしがこの誓いを立てる限り、大真理を成就した者たちに天下を和ませ、日月は聡明で、風雨は適時となり、国は栄え、民は安らぐであろう。安全。したがって、神と人は混乱の始まりを守り、仏法の息吹を抑えます。それを高い台の上に置き、神を礼拝し、一心で暮らし、朝廷に祈りなさい。そうなると天地と龍図は長い運勢となり、太陽と月は鳳凰から遠く離れます。国は平和で人々は豊かです。神に犠牲を捧げる儀式では、純粋さが第一にあり、真の信仰が基礎となることを忘れないでください。断食の内も外も清らかな日には、たとえ幸せでなくても、悲しくはならず、誠実さを失うことはありません。抜け目のない人柄で、物事を左から右へ動かすことは決してありません。戦争しても無駄だし、音も聞こえない。口は汚れや悪を言わず、目は汚れたものを見ません。注意深く、誠実に、そして礼儀正しくしてください。法を暗唱してもそれを怠れば太陽と月があなたを照らし、法を犯しても裁きを怠れば神がそれを覚えてくださるでしょう。そして神代には、人間の心は神聖で不変で、まっすぐでまっすぐです。しかし、地神の果てに、世界四国の民は心に闇を抱えていた。存在と非存在には別の名前があり、心はさまよって落ち着く暇がありません。そのため、心が傷つき、精神が分散してしまいます。神がいなくなると肉体も失われます。人間は天地のオーラを受け取り、そのオーラの変容を重視しない。最初彼は神の光でしたが、神の禁止を信じませんでした。故に、生と死の長い夜の暗闇の中で、私は国の根源を唱えます。私が皇帝に預けられたので、四天導師は私に比喩を熱心に教え、善行を実践する方法を教え、武器とともに法を教えてくれました。タイシェンは元の家に戻ります。』と託宣へり。祭りの期間中に自由に発表すると、明の大世帯が開かれ、音が見えなくなります。あるいは、少女は茅の葉の上に立っている、彼女は自分の言葉を試しなければならない、乱暴な言葉を信じてはいけない。天地の正式な陰陽から見て、ヤシの木は独善的に保たれるべきです。それは不死の魔法、不老不死の万能薬です。」 神の主の務め、タブーなどを宣言する権限が与えられました。誠実に誠実に行動し、決して役人を欺かず、天地の神に犠牲を捧げなさい。 纏向珠城宮御宇定史二十六年冬十月、賈子、天照大神は五十鈴原に移された。
この年、日本の皇女は80歳の一族に勅令で次のように命じた。の荒草木根苅掃ひ,大石小石造平て,遠山近山の大きな峡谷 小さな峡谷に,立並木を、ザイブのザイアックスをによるて,伐採て。本末をは山祇に犠牲を捧げるて,中間を我慢してくださいて、ザイ・ジをによるて天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知て、下津番家に大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮、伴神等をタウンシートもございます。宮殿を建てる場合、柱は高く、板は広くて厚くなければなりません。かれ。それは皇帝と天の運命、国の洪水ですは,宜助神器之大造なり。天皇の厳命を受け継ぐて、太陽の小宮の宝基礎を移し、伊勢に二つの宮を建てた。」 泊瀨朝倉宮御宇定始二十一年、太神玉宣帝の勅命によりて。
来年、呉呉が年をとった秋の七月七日に、大補佐に任命される。て、丹後王国と謝県の涸沼の山にある魚原山から、斉皇大聖皇帝を歓迎しました。山田原の精神的な場所の下津番家に,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て、それを定峰と呼びまする。
その後、彼は「私が犠牲を捧げて公務を遂行するとき、私はまず公務を遂行し、斉泰宮に立ち寄って、それから私は熱心に公務を遂行することができます。」と再び委任を述べた。まずは斉宮殿に立ち寄ります。神宝を確認し、神聖な場所と神戸を設定て。二所皇太神宮伴神、相殿神の朝大御饌、夕大御饌を日別齋敬供進之。隨天神地祇之訓,土師物忌取宇仁之埴、工芸品や秤や壺を作り、神々の宮殿に犠牲を捧げます。80 の開口部を持つ天秤壺、柱、木の根を分離します。天照大神宮と中結記大神宮には八百人がいる。荒西高宮、月読宮、伊佐波宮、滝原宮、才内宮の入り口は80か所あります。これは世界平和の吉兆であり、神に認められた宝物です。
2.偽の宮殿と宮殿の移転 氷乃宮まとい15歳、9月15日、伊勢天照大神大神御所を偽御所に移される。フェリーの本体は偽の堂に安置され、[黒木の板で修復された]。】宮殿を建てる。
同日夕方、遺体は宮殿に移送された。法令によると、ワニョンは税務職員であり国の財産だという。宝物殿は修復中、偽りの宮殿に移された。興興島の長さは95フィートです。当時、易季陸碧明、易若子明、大呉季大阿李明は正台を崇拝した。妻、妻など全員が壁に入り、設置しましたて、とげの羽やその他の所有物で覆われています。て、幸運を現実にする人。 中蓋帝は3月に5歳になった。 仁徳天皇 は9月で10歳。 允恭帝は 20 歳で、10 月に幸運にも宮殿を宮殿に移すことができました。 天皇即位十二年九月十一日、皇居、皇門などが朽ち、損壊した。その法令に従って、偽の宮殿が建てられた。
旧暦 11 日、殷は王像を彫刻して偽殿の後ろに移動し、正殿を修復しました。
夕方、徐娥で宮殿を宮殿に移した。神は鳥、些細な事柄、禁忌の対象、側室や妻などを崇拝します。国が凡庸を調整して土地を貸す場合も同様であり、偽の宮殿や宝の宮殿が作られることもある。 秦明帝即位5年9月、太子は豊庄宮の偽宮殿に祀られた。 永武帝の即位元年、3月の冰武。 推古天皇二十一年八月。 孝徳天皇は即位3年8月、太神宮御所に移された。
同年9月、黄台神社の偽宮殿を宮殿に移した。 天武天皇元年仁神十月、豊庄大神宮が被害を受けた際、宮司大地は馬も育てて勅令を発布した。国務大臣が神税、本税等で偽神殿を造るために神戸、国民等を派遣したとき。鳳前正台。このお寺の修復工事が終わりました。
天武天皇朱雀天皇三年九月十日、右大臣より勅を預かる旨が告げられ、伊勢の高大臣二宮の神宝は神宝となった。使者によって彼に贈られた。「20年に一度は転勤を命じられる」との法令が発令され、これが定例として定着した。
朱雀治世 3 年目、カンを例に挙げてみましょう。両皇居の宮殿の建物、御門、御城壁などが損傷した場合、宮廷大臣はそれらの修復を命じられた。文書によると、法令が発表され、宮殿への移動期限が決定されたという。さらに、外庭、宮殿の建物、帝国の倉庫、四方にある多数の帝国の城壁を建設および追加することができます。 致東皇帝の治世 4 年に、太神宮殿が宮殿に移されました。【東本御殿。】
同年仁辰六年、鳳寿は太神宮に移った。【東本宮の地上席。] 円明帝の治世 6 年に、太神宮が宮殿に移転しました。【西宮殿の拠点。】
同じ4年に、鳳寿宮が宮殿に移転されました。【西宮殿の拠点。】 聖武天皇の治世九年定海九月、他の宮殿はすべて宮中に移された。荒廃した犠牲宮殿では、偽の宮殿に古い遺跡が建てられ、東宮殿に移されました。当時、正宮の西宮殿である鳳寿宮の地上席が王位を置くために使用されていました。黄済宮と高公章の周りには、に皇室の座席。真ん中は偽の宮殿の場所です。神社法は古い痕跡を変えるものではありません。同じ絵の痕跡がまだ残っています。 天平孝謙帝の聖宝の治世の初年に、彼は醜くなり、鳳寿宮殿、他の宮殿、および高宮殿は他の宮殿に移されました。 二十一年に一度、新宮殿・偽宮殿の造営の際、神・物・玉紐・側室・司等を祭柱に祀り祭司を務める。古い柱は人々の反抗的で純粋な精神の宮殿の敷地内に置かれています。あたかも神が臨在しているかのように礼拝の状態を保ち、自分自身を明らかにしないように注意してください。 3. 神社内のすべてのオブジェクトと 心の柱。一人は季朱、もう一人は天宇梁朱です。これは気の根源であり、天地の形であり、陰陽の源であり、万物の体である。したがって、天皇の命令、国の安定、富裕は永遠に続きます。夏都のパンゲンには宮殿の大きな柱が広く建てられていました。タイトルはヤンに与えなければなりません。 岩の根は地球のチャクラの純金であり、純粋な自己美徳であり、永遠の宝の座です。如塘金石村く常磐、堅磐に無動く公珠太富利て,いわひそしてさし運命を与えてください。 泰神宮の東側と西側の宝物は正殿に続いて栄えました。これは偉大な太陽であり、最も尊く、最高かつ比類のない精神です。したがって、微塵にも耐えられず、何も見えなくなりません。万物は太陽神の光を受けて、その原因と条件を知っています。
都恵宮は正殿の正面に建立され、因果として土地に有利な条件を与え、一切の衆生を養うという広大な慈悲の本来の誓いに基づいています。 東文少史。
黄台神社には太陽と空が形をしており、六和の中心体は単独で存在しており、任天真はそれを理解しています。五行の中には火があり、五色の中でも白なので白銅鏡が祀られています。
鳳寿宮は、8 つの大陸の中で月と空の形をしており、心と体の平等で完璧な関係を表しています。五行の一つが水、五色の一つが赤なので、金銅鏡が祀られています。【金は一種の知恵であり、明確な意味を持っています。】 鞭を振るう者は、神と大地の美、民の長寿、国の均衡、民の手綱政策を担う。したがって、スタイルには名前が付けられています。 何千本もの木々は知恵と正義を表し、風と戦います。義人はまさに天国のように慈悲深いのです。賢い人は神のように霊的です。風は気であり、天と地の間には、風がなければ動くことも動くこともできない。したがって、神は風と雲に乗ります。冷たくて優しくて、突然風が吹いて。したがって、虚空では音はなく、聞こえるものだけが存在します。人は目に見えないところで自分の心を明らかにすることができ、そこに真に帰依することができるのです。人々の集まりが徳の大いなる道への鍵です。 何千もの木片が散らばっており、水と火の上昇は天と地のしるしでもあります。したがって、それは太陽と天の知恵と意味です。驚いた人は上を向いててによるて開口く, ここは月と空の水利施設の一つです。任水德、馮寿黄泰沈をは名前はYuqidu Shenyeです。【天の神は上に口を開け、地の神は下に口を閉じる。】これは、陰と陽が徳に変わることです。 無垢の魚と木が星の形をしています。世界を守る瀬戸際にいるのは星に匹敵する。人気は天に昇って星となり、善気は善星となり、悪気は客星となる。美徳と良いカルマは悪いことを引き起こします。 皇門鳥居は八大陸のうち四方にあり、西は知恵の門です。したがって、そこには西を呼ぶ鳥が住んでおり、偉大な知恵が心を浄化します。陰陽の始まりは明代の始まりと言われています。堯明の門を出入りする王と臣下は、平和で清らかな宮殿にいます。 瑞源、玉源、黄源は、天、地の五要素、あらゆる像、五感の四徳を備えています。天地と人形、人体と宝庫は、名前は違いますが、根源は同じです。 榊、まさに徳の木。自然の正義を守り、冬も夏も緑を保ちます。したがって、すべての木の中で賢い木を榊と呼びます。 御船代(みふねしろ)、もししろ(もししろ)、神宝、神が作った形をした器。 大神殿の宮殿の形は錦や御衣で装飾されており、天皇が常にそこに住んでいることを意味します。
鳳寿宮で王家の衣装と馬車を着た者たちが、宝馬車に乗ってこの世に戻り、数千の命を生きる理由。
4. 神鏡は物の上にあります 神鏡は物の上にあります。
片面は月と空から映した鏡。[グラフィックス。】崇志友奇沈宮殿もです。
一方では、八百万の神々が石で作った貴重な鏡を作りました。こちらが崇泰神社です。【日本のイメージは八咫鏡です。バタとは八つの頭という意味です。花咲八葉鏡。中央のプラットフォームには清明節のグラフィックベースがあります。】
一方、私は数日前から宮殿に座っています。石の凝縮の古の神はそれを鏡に投げ入れます。初めて鍛造されたものは神の意思に沿わないものでした。紀伊国は神様です。
片側には侍従が座る鏡があります。礒城瑞籬宮御宇皇帝は次第に神の力を恐れ、同じ宮廷に居続けることに不安を感じたので、西武氏に命じて石寧老沈の子孫と天武一の子孫の二氏を率い、剣と鏡を鍛錬させた。御璽を守ること。
両面の人は、太陽神と月神が変化させた真の経典の鏡である。[真理を主張する者は天の道を神とする。経典に従う人は、本物の道だけを考えます。仁は人類の道である。鏡は明るい心を映す鏡です。何事においても聡明であるという徳目は、混乱する前に本来の本質に従うことである。天、地、人のこれらの 3 つの才能は、純粋に受け入れられ、霊的な心で求められ、無形の現れであると見なされるべきです。そこで位相のない鏡を神体として用いるのです。】 神イミヌオとイランランが持つ秘蔵の鏡は、世界が開かれた時に現れ始めた鏡だった。一つの気は天地となり、天地は鬼神となり、鬼神は鏡となった。日月はこのように移り変わり、水と火は徳を利用し、万物は軽率である。したがって、荒れ果てたいけにえの宮殿の高宮の神の姿をした人物なのかもしれない。2つの黄台宮は摂政の役割を果たしているため、黄フン宮、合フン宮と呼ばれています。日本の皇女は、太陽と月で作った神鏡を鋳造するよう命じ、それは東青神社にも受け入れられました。 日本の王女は神の指示に従い、二人の皇帝の協力を得て、彼らを伊勢王国のユゴン宮殿に移しました。大小の神々を崇拝し、さまざまな表情を見せる神仏を讃えます。それらは天や地上にある霊的な物体である場合もあれば、皇帝が作った剣、鏡、玉、壺、金、石で作られている場合もあります。鄭宮に建てられ、天府明儀らが鋳造した83枚の鏡、52本のブロードソードと小刀、42種の武器、弓矢、神財などが納められ、大型の貨幣も納められていた。準備した。 カポックとは、木目の木を使って白河コインを作ることを指します。名前はムー・ミアンです。七代目の天の神と五代目の地の神、神々と人間は皆、木の皮と蔓でできた連続したローブを着ています。純粋な断食の日には、純粋な犠牲の服がその理由です。無邪気さを明るい服装として取り入れてください。 コインやシルクを身に着けている人は風と心の使者であり、心を使って美徳を整えます。 大麻は不純で妄想的な執着を和らげ、純粋さの源となります。そのため、神の国、完全な祝福と知恵の国を守る鏡と言われています。悪魔を鉄の境界線に移動させ、悪を他の領域に移動させます。自分自身の純粋で正しい心は、罪を滅ぼし善行を生み出す神のマントラでもあります。したがってそれを祓といいます。神々は彼らを追い払うように言った、こうなるはらへまた。 7 つの言葉で言えば、仏陀、[中性子と呼ばれます。】ジン、【染紙という。】塔、【名前】荒木。】寺院、【瓦屋根と呼ばれる。】僧侶、【髪が長いそうです。】に、【女性は髪が長いと言われます。】速い。[ピアンシャンと呼ばれます。】
7 つの言葉の外側、死、【呼ばれる】治。】病気、【名前】休。】泣いて、【ヤン・チュイと呼ばれる。】血、【言う汗。】打って、【落ち着いて愛撫してください。】卍、【細菌と呼ばれる。】のお墓。【土の重さを量ります。】日本の運命の女神も託される。また、7つの別れの言葉とタブーの言葉、唐(シャンランと呼ばれます)
もあります。】ウパサイ。【焦玉といいます。彼らはこの世を超越した仏弟子です。】
五、六色の禁法 六色の禁法。病気に関するお悔やみ・お問い合わせ, 【重度の家族との死別や病気を抱えている方は、生前供養に限らないと言われています。】食と死、刑罰も死もなし、犯罪者も罰なし、音楽もなし、【つまり絹と竹の歌と踊りなども禁止。】悪いことを予見しないでください。【悪とは不浄なものであり、幽霊や神にとって悪である。仏法とはそういうものです。】
断食の前後、礼拝日中は、僧侶や尼僧、厚着をして愛を掴み公に奉仕する者は内部に立ち入ることができません。軽い奉仕であっても、断食前や断食明けの日に参加することはできません。
伊勢大神宮の祭神、その妻、妻等、僧侶、尼僧、犠牲の日に愛を掴み民に従うために厚着をする者、薄着を着て旅仲間と性行為をする者。 、断食中に弔問をする、質問するなど6つのタブーを犯した者は、易家尚祖[ゆんゆん。】。
大神宮殿の第 4 四半期では、シャーマニズムの実践を禁止されている人々が、神からそれを宣言するよう託されています。これが、庶民が愚かで、邪悪な言葉を信じ、多くの呪文を唱え、正しい原則を隠す理由です。【ゆんゆん。】
6.神を敬い、仏を敬い、神道に仕える ことは、混沌の世界を離れ、再び混沌の始まりに戻ります。三宝は有・無の観を打ち破り、仏の本性が宿る場所です。神は悪を罰し、正義の源を導き、仏は見かけを破壊する教えと命令を定めます。目は無駄に見ず、耳は無駄に聞こえず、鼻は味気ない香りを嗅ぎ、口は無駄に話さず、手は無駄に握らず、足は無駄に動作せず、本質は無駄には適用されません。彼の死はこれと同じくらい素晴らしい。
家に帰ると混乱の話をしますが、酒井は華徐と同じです。何もしなければ命令する暇もありませんし、言わなければルールや規則などどうやって使えるのでしょうか?それでプーは貂王に行き、あらゆる段階に到着しました。前皇帝と後国王はいずれもネットワークと重複する規則を維持していましたが、3 つの章を廃止することはできませんでした。したがって、罰せずに教え、最初に防具を注文してください。怒らずに罰し、張炳魯は後で従うでしょう。】。
勅令:災いを除き福を呼び込むには、冥界に頼らなければならない。神仏を敬い、平穏を第一に。今日聞いたのですが、各国の神々の神殿には悪臭が漂い、野良動物が徘徊しているそうです。これは神を崇拝する賜物でしょうか? イーグオ部門の責任者は、コインと絹を自分で持ち、片付けに気を配っていますが、それは常に時間の問題です。 神亀二年七月二十日
、七月七日、奥州李弁 [やしろべん奥州雲]
弁治雲、
弁雲は黄台神社の宝物の基本図を記したと述べた。と秘密の宮殿 [ベントゥ リカーパレス]について言及されました。】
天慶五年仁陰九月二十三 日 太 神宮記 殷三年三月二日 延吉の神が書き記したもの 献経の原本が書かれている 外宮の神 による志興中【判決】 僧侶の丁世青の版を比較・改訂したもの。
延慶3年3月17日に書かれた黄大神社の力は、荒木田の神、あなたに 【判決】 末永くお楽しみください。10年旧暦 6 月 27 日、金剛仏春雨がクアン卿によってこの本に書かれました。 ミンイン四年間十一月廿四日 書之 禰宜荒木田神主守晨 永正元年荒木田の神、利重が七月二十三日
に記した五冊の伊勢本は、玉木正英男から借り、高田三平の筆跡で書き写し、タリカ氏が添削したものである。
祥宝三年三月二十日、宜延寨の主人が
章となり、四月一日に改訂された
【
とも言われる】優宝の基本記者、沈吉秘書のキーワード、そして、二つの宮殿に伝わる古書。本書によれば、神亀二年七月二十日に勅令が出された。
神亀年に作者が書いたと思う人もいるかもしれないが、それは大きな間違いである。鄭氏、この本は延西以来、天慶以前に書かれたものです。なぜかというと、この本には延西格の序文が引用されていますが、天慶5年に書かれた難解な本もあります。残念なことに、半分以上は 2 つの部分を組み合わせて混合したものです。後の賢人はそれを削除して修正することができます。
そして、『You Yidu Huixing Zhongshenzhu』は世代から世代へと受け継がれてきたため、2 つの流れに転写されてきました。第一巻は延慶治世三年に荒木田という神によって書かれた。最初のコピーは、テキストの出版から4年後にDuhui Godのマスターに渡されました。その後 300 年にわたって、ウー・ヤン・マーによっていくつかのコピーが書かれ、接続されました。今日では、この 2 つの学派が組み合わされると、言葉や文章が間違ってしまい、スピーチが破綻してしまいます。
残暑は恥ずかしいですが、神道繁栄の為、修正・修繕させて頂きます。まだ省略されている部分がありますので、オリジナル版を参照してください。
寛文9年7月11日 權禰宜正五位下【都匯の師
顔賈[都匯編奥書の一句][文永三年、爾粛太神宮の宝物の基本的な姿は次のとおりである。 』は矢代版と本文が同じなので省略します。】
建治三年丁周九月二日、楊一都恵神主の忠誠状の数次改訂が完了し、後世、
亀鏡と孫の証を超える者は行くことができないこれは秘密中の秘密です。多額のお金を使った場合は譲渡しないでください。 延文四年十月十日、馮は太神宮の権威を授けられたので、四方の神主光官に会うのが適切である。 燕文四年十月十日、私は宮廷に行きました。当局によると、神々の主に会い、それを書き留めるようにとのことです。神法と音楽とは何ですか? 最後 の所作です。州都での書き込みは解釈できません [春秋五十五。】
【李書雲】
古代の秘伝によれば、伊勢の二つの宮殿は金の二つの部族の祖先であるという。 日本の 天皇。
天と地が分かれ、陰と陽の区別がなくなる前は、それは混沌と呼ばれていました。万物の霊を虚空神、大元神、国立神、共生神とも言います。
Xiyiの視覚と聴覚は外にあり、空気は濃いです。空虚だが霊的、一つだが肉体はない。したがって、広大な慈悲は、さまざまな形で現れ、さまざまな精神作用に従って自由な神力から生じます。便宜上、大太陽と呼ばれ、天の大神とも呼ばれる。それは万物の本質であり、万物を救うことができる。この世の子供たちは母親の胎内にいるようなものです。 月の皇帝。
天と地の間には気質が分離されておらず、これを混沌と呼びます。示された姿は金剛神と呼ばれる。生化学的性質は万物の本体です。ダイヤモンドウォーターにも不朽,火も燃えないなら、あなたは本質的に抜け目のない人です。したがって、シェンミンとも呼ばれ、タイシェンとも呼ばれます。この大いなる慈悲を誓います、誰もがそれを思いつき、その宝は竜王の真珠のようになって、何千ものことに利益をもたらすでしょう。水の徳を表すので、玉Qidu Shenとも呼ばれます。
金と翡翠は万物の中で最も有用であり、不滅で壊れず、黒くないことからその名前が付けられています。内側も外側もないので、それが自然です。人間は神神帝の性質を受け継いでおり、混沌の始まりを耐えなければならないと言われています。】。したがって、私たちは神と仏を敬い、平穏を第一にすべきです。】。正しいものは純粋とみなされ、間違っているものは不純なものとみなされます。悪や不浄なものは、幽霊や神にとっては悪なのです。 10 つ星。
南の北斗七星と五つの町の北斗七星。
九つ星。【外宮。】、オールランドスターズ。【三皇。】の三大スター。【3本セットです。】、百観星など。【上段・中段・下段の席です。』、ユジンシェはルオ・リーシンを守る。席は7席。 徳徳四年三月二日、伊勢の大奥の端に書かれたもの 明営四年十二月八日、朝、荒木田が目覚める [生年は 三十一歳。】
雍正九年七月二十三日の無記順忠。 正保4年10月25日に書かれ、同日刊行されたもので、右の作者は
皇族として生まれ変わった荒木田美重の原本の作者である。家庭用です。わかりました
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倭姬命世記
1. 神代は 天地創造の始まり、神宝の日の出の時を記録する。王食都市の神と偉大なる太陽は、世界を永遠に支配する密約を結んだ。長寿の言葉が唱えられています。それは永遠にぶら下がっていて沈むことのない月や太陽かもしれません。あるいは神や皇帝、常に無限です。六和全体に輝きと輝きが輝きます。それ以来。 高天原に神の座す、皇帝の神、陸斉魯の美しい秩序は、て、八百万の神など。を,天之高市に、神ジジがくれるひ,神議議給て、大囲園の千千の瑞水の地は、私の子孫が王になれる土地また、靖国と平く、私たちの皇帝の皇孫が、何を食べるかを知るために天から降りてきました。と。すべてに依存するぎ、非常に依存していますし豊流中学校に荒振神等はを。神攘攘平けむと,神議議給ひ、すべての神々がそれを秤にかけたし,天穗日之命を送信とレベル調整けむと申し。
したがって、天は時を送りますに、この神は何も言い返さなかったし。次遣し建三雄の運命は父の命令に従うことて何も言わないでくださいす。又遣し田若燕も、コメントなしで言い返すて,高津鳥殃にによるとて、 立つに死ぬし。天津の神様ですの王室の言葉、へて。もっと量を与えてくださいて、Jingjinzhuming、Jianleiming、その他の二柱の神が天から降臨しました。ひて。
大己貴神,其子事代主神に言語て。即大己貴神の、平果が振るう幅広の槍でて。五月にはホタル、光の神、ハエの音、荒廃した悪霊など。を,神攘攘給ひ,神和和給て。言語の質問し、岩の根と草の葉のある木も語止て、魏遠の中国は駆逐され平定されましたぬと。人生に戻るせり。
当時は八坂瓊の曲玉、八咫鏡、草薙剣が三種の神器として用いられていました。て、天皇の孫に授与され、永遠に皇室の印章となるでしょう。して。この貴重な鏡を見てくださいこと、まだ私を見てください。同じベッドを共有できるして、ザイジンはそう思っていますし。宝作の繁栄は天と地のように大きくなるはずです。しと宣ひき。 つまり、天津燕霍瓊瓊忠君です。と,伴神天兒屋,命掌解除,宣く。もう一度祈ってください、すべての神々があなたを待っていますべ。このとき、世界は純粋ですと、すべてのダルマはイメージのようなものですまた。純粋で偽りのない汚れのないものし。言うことは不可能ですす、すべては原因から葉を生み出しますせりと、切実な言葉せり。Taiyu Ming は清河コインと白河コインを保持しています。け。天牟羅雲命取太玉串て。
三十二神前後にお互いにフォローし合う日々よりも、それぞれに独自の天国の門がありますき,披雲路けて、悪魔祓いひ,天之八重雲を、イー・トウの千の別れに千別て。紫の太陽の頂が高く 千穂が触れているに、天は与えるために降臨しますひて。彼は三万八千五百八十二年間世界を統治しました。当時、天と地はそれほど遠くなかったので、天柱は空の残りの部分を持ち上げるために使用されました。 天津炎火瓊瓊忠君。[確かに私は勝利し、勝利しました、スイリー・ティアンレン、スイ・エルズン王子。母親の銭吉は高帝の息子の娘です。】 燕フオフオがズンに会いに出てくる。【天津燕火瓊瓊中尊の次男。母なる木が咲いていて、彼女は山の女神です。] 63万7892年間世界を統治した。 燕坊も蓮武も鵜も草も尊敬に値しない。[ヤン・フオフオがズンディ王子に会いに出てくる。母親の馮裕基さんは海通さんの次女。] 83万682年間世界を統治した。
2. 神武天皇 神日本磐余彥天皇。【燕坊、蓮武、鵜は四男を尊敬するに値しない。母親のユウ・イージさんは海通さんの長女。】
皇帝は生まれながらに理解力があり、その考えは正しい。
15歳で皇太子に叙爵される。
彼が85歳のとき、彼は兄弟や息子たちにこう言いました。「昔、私の神、高黄には精霊の師と大いなる太陽、偉大な太陽があった。彼はこの風威源瑞水の国を育て、それを授けた。私の祖先であるヤン、火、瓊、瓊、杵です。それで、火の瓊が私に与えられました。瓊チューは天国の門を開き、雲の道を覆い、不滅の者を追い払い、暴力を止めます。これは偉大な時代です。荒廃し、時計草は無知であるため、私は義を養い、西側を統治するために使用しています。皇帝の祖先と皇帝はテストされ、神は神聖であり、彼らは富を蓄積します。清崇熙はここに来ました天祖が彼を逮捕するために降臨してから 1,792,470 年以上が経過しました。 [しかし、遠く離れた土地はまだ王沢に触れていません。そこで彼は都市を作りました。王がいて、村には首長がいます。それぞれが独自の領土を持ち、宰相の霊叔を使用します。 ]」 嘉陰元年、冬の十の月に、日本に送られました。皇帝は自ら王子と船長を率いて東へ行進した。
新游八年正月、宜源に都が置かれた。
皇室の邸宅を管理するて,皇孫命の美豆御舍を、公式の投稿をするて,天御蔭日御蔭と隠蔽て、四方王国を靖国と平ジエジウ知食す。天津西の剣、鏡を握って与えるて、単語が宣言されますして、天津リシを、千年は長い秋だに、 守るり奉祐るお褒めの言葉をいただきました。 ファン、神倭伊波禮彥天皇已下,稚日本根子彥大日日天帝は長い年月をかけて630歳を超えました。この瞬間、天皇と神は遠く離れていない。同じ宮殿に住み、同じベッドを共有するのが普通です。したがって、神聖なものと官物との間に区別はありません。
三、崇神天皇 御間城入彥五十瓊殖天皇。
即位6年目の秋9月、季周は臥里郷鎮にやって来た。首里寺城の神は分離され、天照大神は草薙剣に移された。フォン王女は、家に入って菜食主義者として奉仕するように命じられました。彼はXibuに犠牲を捧げるために移動し、宮殿の全員が参加しました。彼らは一晩中ごちそうを食べ、歌い、踊り、その後、タイシェンの教えに従いました。全国どこでもに大宮處ををくださいへり。
皇帝は九人の皇帝を同じ宮殿に住み、同じ床を共有させました。しかし、次第に彼の力が怖くなり、一緒に暮らすことに不安を感じていました。彼は在部氏に石寧坡氏と天母宜西氏を率い、皇帝の璽を守るために鏡と剣を鋳造するよう命じた。本日建作の日に奉納される神璽の鏡剣です。【内務所とも呼ばれる。]
仁緒三十九年、ダンボーに移住。のジッツォパレス。4年間の蓄積を経て、馮寨さんは食料を求めて日本へ渡りました。
この年齢になると、風水傑という神が天から降りてきて、彼に食事を提供するために座りました。
冰陰四十三年、日本国の伊豆嘉知の正宮に移り、八年間菜食者として奉仕した。
嘉緒51年、宮殿は美濃国の渚浜宮に移されました。3年間断食します。当時は、季国祖、金沙蓮季馬盧、梁堤口、玉天。
丁周の治世 54 年に、彼は吉北州の方賓宮に移りました。断食歴4年。当時、治兵衛の国が建国中で、治兵衛が売っていた摘み女たちも迪口や玉田で働いていた。 辛司 58 年に三河に移住した。の御室嶺上宮。二年奉齋。是時,豐鋤入姬命:「吾日足。」と白し。
その時、おばあちゃんの侘びが一生懸命私に仕えてくれました。り,御杖代と定て。それ以来、日本の姫君は幸運をもたらすためにアマテラスを崇拝するように命じられました。【宰相の宮の神、天爾武と太魂は、宮開きの神、手と力の神、焼旗姫、門の神は豊四子と命の運命ちゅうししこ。五人の随伴神がいて、互いに仕え合う。】
桂魏60年、大和の歌秋志野宮に移る。私は4年間断食をしています。当時、倭国が建国され、女性の香包丁を集めて迪口と玉田に売りに行きました。
ワジ・ミンの御夢に: 「高天の本来の座は、私が見ている国です。に, ほとんど座って拝んでいます。」と啓蒙は教えますひき。それ以来、東に向かって、禹を乞う気は狄昭よりも長く続いた:「暗殺したい」て不正行為。義経ならば、未婚の夫と処女が再会する。」と幸運を祈ります。
その時、笹畑は、が門に、処女が参加します。それから尋ねてくださいく「あなたは誰ですか?」彼は答えました:「私を奴隷にしてください。は天見通命孫爾八佐加支刀部。【一名,伊己呂比命。】が兒宇太乃大禰奈。」と白き。また、詔書は「天皇と国民が官吏をしているというのは本当ですか」と問いかけ、「官吏を務めている」、つまり天皇も国民も官吏をしていると答えた。
処女を大物忌と定給ひて、天盤湖の事前に与えられたキーりて、邪悪な心はありませんして、忠誠心を持ってて,清潔くザイ・シェンみ,左物を右に動かないでくださいす、右側のオブジェクトは左側には移動しません。して、左左、右右、左から右も、すべてが計画に反する無くして、とても神聖ですに公務員を務めた。元の理由は元元です。また、兄の大黄は私に一緒に奉仕するように命じました。御嶽しのぐう神社から歩いて、笹畑御殿に座りました。
定海64年、伊賀坤陰市に移り宮殿を守護した。断食歴2年目です。
66 歳のとき、季周は通国宣水宮に移りました。4年間断食します。この時、伊賀国が建国され、ク山湖に入り、迪口、玉田、西林兪頭源、梁左藏などを合併した。朝と夕方になると気は回復します。[鱗の細かい魚、ナマズ。気をコントロールするということは、食事をコントロールするということです。】
四、垂仁天皇 活目入彥五十狹茅天皇。
即位2年目、伊賀国ガンドゥの美恵宮に移る。断食歴2年目です。
李四年の終わりに丹海佳可離雲宮に移った。断食歴4年。当時、丹海国が堤口と玉田に入って建設しました。
治海8年、同国の盤天宮に移った。2年間断食します。その頃、坂田君たちはディコウとユティアンに入った。
10年間の苦労の末、美濃国伊倉川御所に移住。断食歴4年。次回、尾張国中島御殿へ移動て, 3ヶ月の断食。日本の王女が国家安全保障を命令き与える。その頃、美農国祖らは王船に乗ってシレン、ディコウ、ユティアンの街に入った。し。同時に、美濃県の主人公であるジスプロシウムが二艘の船で宮殿に入ってきて、「船を持つ者は天の支配者である。船を有する者は天の支配者である。」と言いました。と無駄に前に出てし。女忍者たちは選ばれて売られ、迪口と玉田のもとへ向かいました。したがって、裏切りに耐えた息子が成功し、八十の鱗が進みます。 大富十四年、伊勢国桑名能代宮に移る。断食歴4年。その時、御子【名、旗主】の命により国が建国されました。】帝国政府に参加して共に仕え、国内の慣習は明確し。また、日本も建国への参加を命じられた。し, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く「神風伊勢國。」と白。ジンシェの弟イルファンは迪口、苅田、神戸に行くよう命じられた。また、息子の命であれば、家に入ってくる弟である人も息子の命のようなものです。今回は川俣県の創始者であるタイビ・グミン氏も参加しました。し, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「味酒鈴鹿國,なぐはし忍山。」白し。しかし、その魔法の力は命令に従って生み出され実行された。神田や神戸にも入るし。このとき、阿野県の創設者であるジェン・ムランジが誕生しました。に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「草陰のあの国。」シロて、神田、神戸に入ります。今回は獅子郡と建和古明の祖先に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「アサガ国に害をなす」白、神戸、神田に入る。 十八年に朝霞東堅方日之宮に転居。長年の積み重ねの後、4年間の断食が確立されます。時間ですに、あさかなY子に出久スブは座って注意を払った。他人を騙した者は50人に殺される。噛まれたら20人が死ぬ。ということで、伊豆素振り時間に。ウォビは宮廷のために一生懸命働き、息子と同じくらい大きかった。を進上而,彼神事を申上者。
「種種大御手津物彼神進。柔はししづめ平峰。」と,詔遣下給し。そのとき、その神は、を、アサカナシャンリン協会が決定し、その神を柔はししづめオファーて犠牲を捧げるし。あの時、ウォビは頑張ったよ」うれし。」と詔て。彼の地名てうれしと番号。
ただし、座るときはに、宇迦野宇迦範の祖先の息子である吉日日と慈善彦の娘であり、二人は血縁関係にあります。し。この質問はく:「汝等が漁る物体、何ぞ?」と尋ねるし。答白く:「皇太神之御贄之林奉上,赤貝を漁る。」と白し。その時は「時間の無駄だ」と。と勅令、その赤貝を『太神游志』に入り、左蒙を補佐するよう命令の木の枝を割取而,生燧きに受け燧きらせ給時に。その火燧り出てきて、くノ一を選んで売りましょうが秤を80個作って持った、イボビフに仕えるし。そのとき、季知妃の娘、迪口、虞天、虞麻園が入ってきた。 ある本にはこう書かれていました。美濃国から安穏富士角皿日の宮座に天照大神が帰還した。その頃、アンサガ山には野生の神がいた。100人来たら50人が死ぬ。誰かが人を殺せば20人が死ぬ。このため、和治は東海郡宇智村の五十鈴川沿いの御所に入るなと命じた。斉藤角駒日ノ宮に仕える。その時、邪神アンサガが動き出した。を, 倭氏は中大臣の岡島明、伊勢大輪子明、治部玉櫛明に皇帝への報告を命じた。皇帝は「この国では、ダルオジの先祖がティアンリに山を平らにするよう命じた。ダルオジは自分の神を犠牲にするよう命じ、日本の姫君を五十鈴宮に入るよう命じた。」と勅令を出し、様々な硬貨を与えてダルオジを送り返した。 . その神に犠牲を捧げる。確保・決済済みです。それがアンサガにおける人々が生贄を捧げる社会である。そして、日本の王女は座るように命じられました。しかし、物事を横切る人々に対しては、あえて代わりにそれを受け入れるつもりはありません。 ギチョウ治世22年に飯野高宮に移住。断食歴4年。その時、枋高県の創設者である竇宜佳竇は自分の運命を知っていました。に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「いすひ米高国。」と無駄に神田に入り神戸と合流。ワジ・ミン「ファン・ガオ」しとこれ以上高価なものはありません。」とハッピーギフトし。次,佐奈縣造祖彌志呂宿禰命に, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「こもり多くの国家的野心を持った国、まくさむ毛草項郭さん。"白て、神田、神戸に入ります。そして、その日の運命と同じくらい大きなに, 「あなたの国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「百張蘇我の五百本の茨の竹の国。」と白し。どこにユジルオゲイし。どこを櫛田と號給,櫛田社定賜し。
どこからして,御船乘給て幸いなことに、川の後ろにある川にさあ、座ってください。その時、自然と魚が集まりましたて,御船參乘し。その時、日本の王女は建岳に次のように命じた。て、 どこに魚見社定賜し。彼の運に従ってくださいなる、神に仕え、儀式に参加します。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「白濱真名胡國。」申。其所真名胡神社定賜し。また、易若子が麻神や狩猟の霊などを使うように命じた場合には、悪霊を追い払うために日本の命令に入るでしょう。つまり、弓兵や剣士も含めた随行者が揃って飯野高宮へ向かったのである。それから五十鈴宮殿に行かなければなりませんでした。それ以来、皇帝の皇子ザイグとイシ国の人々がこの川に来て、音を和らげ、鳴りを止めるようになりました。これも礼儀です。
彼の運に従ってくださいて、御用船は佐曇川に停泊していました。ひ。どこに左作木江宮殿は秩序を築き、船に乗ったし。大若子命:「白鳥之真野國。」と国壽き白し。どこに左作木江協会が設定し。そこからは楽しく歩いていきましたに、嵐はありませんして潮大淀度に淀度みて、帝国船は喜んで行くように命じました。その時、日本の王女はユエに次のように命じた。て。その海岸に大與度社定給し。 二十五年三月春、飯野鷹宮から五十御所に移り、座るよう命じられた。し。その時、ダルオはその日の運命を尋ねました。く。「あなたの国の名前は何ですか?」く: 「百隻の船が国中を航行し、イスの国は翡翠で飾られています。」と白て、ユヤンビン、リン・ディンフェンし。この宮殿に座ってて供奉。御井在所は御井と番号し。
【天照大神は日本の姫君に、「ここは神風伊勢の地だ。世の波が戻った国だ。国が可哀想で、私はこの国に住みたい」と教えた。大神宗を信仰し、伊勢国に神社を建立した。このため、五十鈴川沿いに斎宮が建てられました。ジパレスといいます。アマテラスは天から降臨した場所からやって来ました。】
その時、日本の皇女は詔を発した。く:「南山末見給は、縁起の良い宮殿で見ることができますゆ?」と詔て。ユゴン・チュリンに,大若子命を遣し。倭姬命は皇太神を崇拝て,小船乘給,御船に雑神や富は避けるべきを留置て、川から楽しく散歩しましょうし。川からして,御船後立し。その時、郵便使等はこう言った。うくる。」と白し。どこを宇久留と番号し。
幸いなことに、私はそこから旅行し、蘇河の厳厳首相に会いました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「狭い野原と広い国境の国」。と白て、佐々上 神田進し。どこに早川定田協会の定期供給品し。そこから行けば、高水の神があなたと一緒にいます。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「高田ユエ 深坂手カントリー」。と白て,田上神田進し。どこに坂手社定給し。幸いなことに、私はそこから旅をし、川は終わりましたし。川の水は冷たいですし,則寒河と番号。帝国軍の船がそこに残されていたて、つまり、どこでに御船神社定給し。幸運にもそこから出ると、王室の帽子を与えられました。し、 どこを笠伎と番号分岐。大川瀬渡船とのためにに、ルー・シェン・リシアンし。「はい、悪です。」 布告て、川を挟んで座らないでください。いつせを会うしかせし。そこから川を目指しますを幸行ば、砂流速セヨウし。于時,真奈胡神參相渡奉し。久瀬まなこみせて,御瀨社定給し。 そこから楽しく旅して、いい土地がやってくるぬ,真名胡神に。「その国の名前は何ですか?」と尋ねた。し。「大河の滝原の国」。と白し。どこを宇大之大字禰奈をのためにて、雑草注文苅サオて、宮殿は座るよう命じましたし。ここは、土地を与えたいという皇帝の願望には、悟りなしではし。当時、南から大河が流れ、宮殿の周囲は水に囲まれていました。に幸行に。美野に与えるし、宮殿から与えられたひて、 どこをカジノと番号し。
そこから頑張ってねに、私は長い間Du Yanに助けを求めてきました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。し。白く:「久求小野。」白し。日本の勅令く: "皇居を久求小野といいえて、 どこに久求社定賜。」于時,久求都彥白く:「ジーダパレスにあります。」バイし。どこに幸行し、沈源作がフェーズに参加し、御苑に入るし。この場所は喜んで寄付をし、庭園と社会は寄付を決意しています。し。そこから頑張ってねに, みおのはし。倭姬命愛で与えるて、つまり、どこでを目弖野と番号し。他の場所にラウンドなる有小山し。どこをラウンドと番号し。 ここから旅行できて幸運です、Ze Daoyeがここにいますし。どこを小野善道し。その時、達老子は彼に川から船を先導して会議に出席するように命じました。し。その時、日本の王女はダユエに次のように命じました。て,大若子問給し。バイ「ジゴンはどこ?」く:「さこくしろ魚池の五十鈴が川にいると、季魚関がそこにいる。"白し。あげるのも嬉しいですて、頼むく:「此國名何?」白く: 「帝国の船は天国へ向かう。」 バイし。私は王室のボートに乗せてもらい、そこへ行くことができて幸運でした。し。彼はあらゆる種類の神器を集めて自分の名を残すことを恐れているはボギー小野し。
そこから頑張ってねば、小浜があります。ワシの夫がどこにいても、し。于時,倭姬命:「御水飲」と詔て:「エル・ラオ」に、縁起の良い水はどこにあるのでしょうか?"聞くし。おじいさんは寒さを利用して水を遠ざけ、食べ物を与えましたし。あの時私は彼と彼の水門を褒めたに水饗神社定賜し。浜の名前は「大浜」。し。
しかし、二見浜見船里。その時達若子は命じた。に, 「国の名前は何ですか?」と尋ねました。白く: 「早く二人で、二人でこの国を見てみましょう。」と白し。その時、海岸に停泊していた帝国軍の船は、て私は座ったまま、ドゥリの女性係員たちを眺めていました。し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。し。詔勅を聞くな、帝国の返答も白ではないて、塩をたっぷりかけてお召し上がりください。し。日本の王女は慈にそれを与えるように命令し、建多世はそれを与えるように命じた。し。于時,大若子命,其濱をロイヤル ソルトとロイヤル ソルト マウンテン 定峰し。
そこから頑張ってねて、川の後ろには五十鈴川があります。し。時,佐美川日子參相し。「この川の名前は何ですか?」と尋ねました。白く:「五十鈴川の女王」シロし。どこに江社定給し。幸いなことに、私はそこから旅行しましたに、荒崎姫が参加。「その国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。白く:「皇太神御前荒崎。」白し。"恐れし。」と神社より詔が下されました。
幸運にも川を旅することができ、ボートがそこに停まっていました。し地名:ミジンプし。幸運なことに、私はそこから歩いて行きました、そして、小島がそこにいました。し。ひさして、シャンモとハノイでお会いしましょう。て大きな家の前の地面などし。どこかに座ってくださいて、その場所の名前はDawumenです。し。幸いなことに、私はそこから歩いて行きました。そこはもともと神源河があった場所でした。波,苗草戴耆女參相し。「何をしているのですか?」と尋ねます。く: 「私は苗草奴、ユーチードゥ・リヌと申します。」と白く。もう一度尋ねたく:「などか書くのために?「ジンフバイく: "この国は鹿はザイマオを参照。」と白し。どこを鹿乃見と番号し。「それは何ですか?」と尋ねました。と「とかめ。」白し。どこをジー・ルー・ナイ・ユアン・ハオし。 從其矢田宮幸行し。次,家田田上宮遷幸し。彼が宮殿に座っているとき、Duhui の大旗が命令を担当し、Taishen 皇帝はの朝御氣、夕御氣處のおでん貞保し。宇遲田田上にさて、名前はスイティアンです。
その幸運から、直の根宮の席が与えられた。当時、出雲神の子吉雲武子命、伊勢松彦命、櫛玉命、その子大月御子桜大塔命、山上大山妻子徳水神等、川越五十鈴にてフォンユーの饗宴し。于時,猿田彥神裔宇治土公祖大田命參相し。「あなたの国の名前は何ですか?」と私は尋ねました。に,「さこくしろユチの国。」と白て,御止代神田進し。倭姬命問給く「縁起の良い宮殿はありますか?」と白九は答えた。さこくしろウチのいすゞ・オン・ザ・リバーは日本最大級の1台ですに優秀なスピリチュアル・アース・アテンダントなり。その中で、ウェンは38万歳から38万歳の間でした。にも未視知る太陽や月のように輝く霊的存在がいるまた。しかし、小さなものはそこにはありませんし。定朱が現れて玉座に座ると、それを捧げることができます。』と念ひて。そこにはに儀式の犠牲と申せり。」 つまり、そこから贈り物を受け取りました。て、プレビューければ、しかし、元タイシェンは与えることを誓ったひて、豊魏原瑞穂国内に,伊勢フォン・シュン国は,有美宮處りと見定給ひ、 天からして降参して座るひし。TianのNi Tai Dao、Ni Gao、Jin Lingなどが私の腕の中でとても幸せです。ひて、口頭で与えられるひし。 定史二十六年、賈子の冬の十月に、天照大神は五十鈴川に移されました。る。
今歲,倭姬命詔大幡主命、物部八十友緒人等,五十鈴原の荒草木根苅掃ひ,大石、小石造平て,遠山、近山の大きな峡谷、小さな峡谷に立材を、ザイブのザイアックスをによるて伐採て,本末をは山祇に犠牲を捧げるて,中間を我慢してくださいて、ザイ・ジをによるて,天齋柱立。【一名天御柱,一名心御柱。】高天原に千木高知り、シアドゥ・パンゲンに大宮柱廣敷立て。天照太神並荒魂宮、和魂宮と座って下さい。その時、美しい船神、朝雄水神などが船を支配するようになりました。に上に乗るりて,五十鈴之河上に幸いなことに。その時、川のほとりでにして、日本の王女はユ・シャンを長官に命じました。汚れしけるをに洗うへり。それ以来、彼は余尚徐曾和と名付けられました。
彼らは忍者を集めて売り、鱗を80枚作りました。天府は孫に、鏡、ブロードソード、ナイフ、槍、槍、弓矢、木毛などと大きな銭を用意するように命じた。その時、太神天皇と日本の皇女はこう命じた。の御夢喻給く「私、タカマガハラ」に座っている張源は、まるで彼を見て、彼の野心を見たかのように、ウェン家に付き添われました。まきし国立故宮庁はここがその場所です。町り定り与えるといい感じし。」
于時,倭姬命,並御送驛使安部武渟河別命、和珥彥國葺命、中臣國摩大鹿島命、物部十千根命、大伴武日命,並度會大幡主命等に、帝国の夢の文書が教師に渡されるし。于時,大幡主命悅白く: 「伊勢王国を神風に変え、数百隻の船が恵県を航行しました。さこくしろ宇治五十鈴川町り定り玉座に座っています。」と国壽ぎ仕えるし。まるで太陽の下で行われる小さな宮殿の儀式のように、一晩中宴会をし、歌って踊ります。し。
日本の王女は、「朝国に来るときも、夕方に国に来るときも、波の音も聞こえず、弓矢の音も聞こえません。まきしめるこの国は福朗七宝国の縁起の良い国であり、神風伊勢の国であり、数百隻の船が行き交う県である。さくくしろ五十鈴宮に町り定り与える。」と国壽ぎ与えるし。
その際、朝廷に書状を送り返還を求めた。日本の皇女は皇帝に白い歌のように夢に戻るよう命じたし。その時、皇帝は食べ物を聞いたて,即大鹿島命祭官定給し。大幡主命,神國造兼大神主定賜し。神管造立。物部八十友緒人等率,雜神奏取總捧て、太夫伝が祀られています。銀興西宮は宇治市の五十鈴川沿い、王宮の隣にあります。日本の王女を燕に住まわせてください。
つまり、彼は八衞基の家を建て、天井に描かれている地治神の孫である八衞前基に、天上の儀式と同じように、太神王の衣装を織るように命じました。【玉志地典といいます。彼の名前は鄭公です。』の回では、櫛玉明、大年神、大山津見山神、朝雄水神などが供えられました。そこにはにして神社には一定の金額があり、神宝が保管されています。[イミヌオとイランズンが持つ白銅鏡には両面がある。これは日月神が変化した鏡であり、水と火の二神は霊的な存在である。】 日本の皇女は皇室の船に食べ物を運ぶよう命じ、皇室の食事と勅命が手配されました。幸運の島国、国東島に,「朝御饌、夕御饌。」と勅令によると、銭の娘である唐桂らは以下のことを命じられた。てと座ったまま酒井香美が注文した。し。戶島、志波崎、佐加崎島定給而,伊波戶居給而,朝御食べ物、シユ食べ物専用の場所。そこで日本の姫君は、ヒレの広い魚、ヒレの狭い魚、カイマンモノ、オツを含む王の船に留まるよう命じました。藻、ベンジン藻宜来に。海潮調和的で無関心ける。故淡海浦と番号し。射場戸井島名渡島、暗殺現場は司馬善と名付けられたと番号。
西の海からに、七西島にあります。南の塩は軽くて甘いです。し,其島を玉良杉野島し。それ潮淡滿溢浦名を生浦し。どこも関係あるよて神に仕える宮廷料理官を淡海子神と番号て社会から与えられたし。どこを朝御食べ物、シユ食べ物島定し。幸いなことに、彼のボートは次の場所に係留されていました。しでを,津長原と番号し、 どこに津長社定給し。 陰暦二十七年秋九月、鳥の鳴き声が高らかに聞こえます。て、昼も夜も騒々しい。「これは違います。」と宣て,大幡主命、舍人紀麻良と鳥が鳴いている場所に使者を送ってください。また後でば,嶋國伊雜方上葦原中在稻二基,生本は一基にのためにて、すえちほしげる。碧道、白振明、何 Zhezhuizha Mingし、この光景は明らかであり、鳥のさえずりは止みますし,返事申し。
その時、日本の王女が命じたのは、く:"恐れし。事不問ぬ鳥すら、天作皇泰神エルは物を崇拝します。を?」と詔て,物忌始給て,彼稻伊佐波登美神をのためにて、耳抜きにリンバて皇太神御前懸く真に玄峰石し。則其穗,大幡主女子乙姬に、日本酒の注文が行われ、王室の珍味が提供されます。し。何千もの税金が始まりです、これが理由です。米が育つ土地、千田No.し、イザファンという島国。そこに伊佐保東明神社が建てられています。黄大神は摂政の宮殿であり、ここはイーザ宮殿でもあります。ビヘ本物の鳥を名を大隋神といい、同じ場所に祀られている。そしてその神、黄泰神は雄川の後ろの葦原に石を持って座っています。して座る。その神は暁朝の雄山嶺協会によって建てられ崇拝されており、朱鼎齢が座ると、偉大な隋の神がそう言いました。 来年の秋、本名は鶴、黄台神社には天祥が北から来ますて、昼も夜も高騰し。百草のときしまた。日本の王女には別の命令が与えられ、彼女に会わせるためにスピードの神から遣わされました。また後でば、墨江宮前の葦原で鶴が今も鳴いています。使者が到着すると、葦原に稲が生えているのが見えました。は一つの拠点は、て、最後の八百スイマオも、サポートと歌い方し。使者が到着すると、音は止まり、空が飛びます。し。于時,返事白し。その時、日本の皇女は勅令を出しました。く:「恐皇太神入坐ば、鳥たちはお互いに幸せであり、草木はお互いに同行しています。稲一千穂八百オモゲれり。」詔て,竹連吉比古等に仰ぎ見ると、まず耳を抜いて半分抜くように命じ、次に高額な税金を納めたら切るように命じられ、太聖帝は耳を前に吊るします。彼。耳を抜きますは数はいいです、数は多すぎます。て、皇帝の前にぶら下がっています。それでも天津市は「何千の税金と800の税金で十分だ」と不満を漏らした。とさようならて正式サービスも。鶴が住んでいたため、バグラスウイ協会に寺院が建てられました。また、「五十鈴の川用水田」には、苗が足りないして,作食。」詔し。そして、「朝も美味しい、夜も美味しい」。の御田作,家田堰水道田には,田蛭穢故れば、生きていけないし。」と宣し。 また、いろいろなことが決まってきます。 中には7つの単語が入っています。仏陀を中子、経典を染紙、塔を梁梁寺、寺院を和牌、僧侶を長髪、尼僧を女長、菜食主義者をピアンシャンといいます。
外側の 7 つの単語。死をナイフ、病をイェスメイ、泣くをヤンチュイ、血をアシ、殴打をフ、死を菌、墓を悪、ウパサカをジャオボスとも言う。 また、悪魔祓いの法も与えられる。フーシー、バンクプット、溝埋め、ジーファン、ストリングソーン、生皮、背皮、シーフー、ここだく罪をば、天津の犯罪と告別て。
生きた皮膚を切る、死んだ皮膚を切る、母の罪、息子の罪、自分の息子の罪、息子と母の罪、動物の罪、白人、コクミ、カワリ、焼きの罪をば、死刑の犯罪とスコアを言うて。 天津金木を、細かく刻んだて、千席の席を設定するに置足はして、天津シュガは,本刈斷末刈切て,八針にとげを取り除きますて、 様々なの贖物等をば,案上案下に、海山などくに置足して,天津祝詞大祝詞事を宣れ、このようにしてく宣らば,天津神、國津神は,朝廷を始て、世界の四王国には,罪とクラウド犯罪は不在と、 純粋なに所聞食む。手のひらを使ってTai Zhen Ciを和らげますて、自然犯罪と国家犯罪を巨悪は排除される。 また、一年によって様々な表情があり、三祭には犠牲が捧げられます。ユウ・ジー、シマに神主等罷御贄漁て、島国の元ハーレムはユウカンアワビに託され、王魚などの魚は神戸の宇倉うくら島に運ばれ、神戸の人々はあちこちに預けられました。の奉留大神酒,御贄荷前等を、海山などく置足て,神主部物忌等忌慎て,聖朝大御壽を,手長之太壽と,湯津之如石村くに,常磐堅磐に、天津が訴訟を起こすのあまりにも伝わりすぎるを空にシェンと呼ばれ、一晩中ごちそうになり、踊り、歌いましたの、大きいものと小さいもの、長いものと短いものく国壽ぎボン。【十二の聖歌は分冊されています。年半ばのイベントレコーダーについても同様です。】
五、景行天皇 大足彥忍代別天皇。
庚寅二十年、日本の王女は「役人になるには年をとりすぎた。私では十分ではない」と命じた。ぬ。」と宣て。齋內親王に可仕奉物部八十氏人人定給て,十二司寮官等をば五百人の野王子、楠姫を動かすよう命じられました。
つまり、新史、嘉申の最初の月、春の 2 月に、彼は 500 人の野生の王女を送りました。を御杖代として,多氣宮造奉て、ザイ・シェンみ使用人に与えるように命令するき。伊勢斎宮見学の始まりです。ユアン、ワジ・ミン、ウジ・ジデンの礒宮作給へり,奉日神祀事決して疲れません。 呉緒二十八年春第二月、荒ぶる神々が多く出現し、東国は不安を抱えていた。
冬の十月に、レンツィ・シュオ・ギチョウ、日本の戦士ズンがやって来た。
呉呉の日、私は無駄に伊勢神宮に参拝しました。彼は依然としてワジ・ミンに辞任し、「私は皇帝から東へ行進するよう命じられており、すべての反逆者を罰するつもりだ。だから私は辞任した。」と述べた
。草薙の剣,受日本武尊。宣く「気を付けて、怠けてはいけません。」
その年、日本の戦士ズンは初めて駿河に来て野に出たが、山火事に悩まされていた。王の剣が雲に引き抜かれ、剣が王の草に突進する。命を救われたため、彼の剣は草薙と名付けられた。
日本の戦士ズンは冬の捕虜を平定しただけでなく、尾張王国に戻りました。納公卓源は1か月以上浸水し、剣は所定の位置に設置されました。彼は徒歩で山に登り、中毒で亡くなりました。草薙剣は現在尾張国熱田社にある。
六、雄略天皇 泊瀨朝倉宮大泊瀨稚武天皇。
即位 11 年目の冬の 10 月、日本の王女は孟暁に目を覚ますように命じました。く: 「ファン・タイシェン、私はどこにも座っていません」ば、皇室料理もアンブは食べ物の匂いを嗅ぐ。丹波国と佐野臣雛の魚原が座す、道教の師の息子はただの娘の齋奉,御饌都神知佑樹神すぎるを, 田舎に座りたいです。」とジュエゲを教えるき。
つまり、皇帝の布告は次のとおりである。「陛下が使者を放棄するなら、て,布理奉。」宣き。そこで、燕暁は率先して帆を背負い、二神の子孫を知っており、ザイ斧、ザイ笏などを使って山の資材を集めて宮殿を建てました。
来年、秋の 7 月、呉武 7 日目に、私は大左を使って私を助けるつもりです。て丹波国遊佐郡舞井原町出身して、 いらっしゃいませ気を止める太神帝。山田原との出会いの夏都パンゲンに,大宮柱廣敷立て,高天原に千木高知て、落ち着いた席と、慈峰と呼ばれるり提供されましたり神賀吉詞白賜へり。
さらに神宝や神武具を神貨に集め、この地や神戸に神々を定住させた。て,二所皇太神宮の朝大御饌、夕大御饌を,日別齋敬供進之。又隨天神之訓,土師・物忌を定置。取宇仁之埴,造天平瓫八十枚て,敬祭諸宮。又,皇太神第一攝神,荒魂多賀宮をば,豐受大神宮に部下となる者も与えられる。
勅令に従い、二大神宮の宰相・宰相を務めた。また、道教の師ダンボーは息子に食べ物のタブーを与えるよう命じ、王室の米と料理のボウルを持ち込みました。これも料理のタブーです。また、スサノオが大玉に命じ、道士が神社の建立を命じ、そこに須阿玉子神社があった。また、大家が学会設立を命じれば、大ニュース社会も同様となる。宇立奈々の祖父である天海通命神社が創建されており、こちらは田辺氏の神社です。これが宇宙をコントロールする方法ですに,攝社卌四前崇祭之。
爰,皇太神重託宣く:「吾祭奉仕之時,先可奉祭気を止めるタイシェンパレス。そうすれば、私は宮廷の儀式に勤勉になれるでしょう。したがって、すべての犠牲はこの宮殿を最優先に捧げられます。イー・ファン・シェン・トゥオ・シュアンく: 「宮殿を建てるときは、柱が高すぎて、板が広くて厚くなければなりません。れ。それは天皇の繁栄であり国の繁栄であることは,宜助神器之大造また。「皇帝の厳命を受け継ぐべく、て、太陽の小宮の宝基礎を移し、伊勢に二つの宮を建てた。 天皇が即位してから 23 年後の 2 月、倭治は 80 歳の宮殿の氏族と物部を召集して発表するよう命じた。く:「神主部、物忌等諸聞,吾久代太神託宣ましましき。「心と精神は天地の基礎であり、身体は五大要素の変化である。また。元朝第四代、元朝初期に入ったとき、私は初志を貫きました。よ。神は祈りを第一に、ミンジは誠実さを基礎に置くり。あなたの夫が天地を敬い、神と先祖を崇拝するなら、祖先の寺院を決して止めることはありません。天の業を管理し、仏法を礼拝し、そして神を礼拝する。れ。太陽と月は四大陸に戻り、六合を照らしますが、頂上を直接照らす必要があります。』と、勅令は明らかです。私は法廷に祈り、礼儀として捧げますらば,天下泰平して、4人は無事ですならむ。」と、発表は終わりました。山の頂上まで後退して、私は石の中に隠れて座っていました。
7. 逸話集にはこう書かれていました 。和地内親王(わじひめ) 随仁天皇の次女。彼女は非常に美しい容姿を持って生まれ、幼い頃から聡明で聡明でした。神を通しての純潔の意味へり。故皇御孫尊のロイヤルスティックについてはて、太聖帝を崇拝します。三輪の宮宮発行て、国に奉仕する意欲があるき。 随仁天皇の治世25年、春の3月に数百隻の船が伊勢を訪れ、イスの国を翡翠で飾りました。に座ってください。つまり、タイシェンの王室の衣装を織るために神服織物協会が設立されたのが、これがマジジディアンシェンフーシェンです。[ここからイザゴンヤンという名前が始まりました。】そして、神の指示に従って神柵を築きましょう。
鼎司の年、冬十月、嘉子、風水が清里ペーストの地である五十鈴川に移った後を例に挙げます。て,和妙之機殿を、上流の五十鈴川とともに。日本の王女を燕に住まわせてください。その時、天鵬時事神は志泰生と苗勇儀に命じた。へり。正公といいます。 愛万祥ひよのみやみう,日本建尊,比比羅木の以八尋鉾根て,奉獻皇太神宮る。即倭姬皇女,比鉾根は、ナ・フェイナンて,皇太神の貴財とのためにて、バクシュン ジ パレス、[元方ジ パレス、そうです。】隠し状態て、太神宇陵皇帝のためにて,奉崇祭る。彼は、毎年夏、4月、秋に天井から8,000人の時事神の子孫に神服を織らせ、神に犠牲を捧げるよう命じました。したがって、それは神衣の犠牲と呼ばれます。
一般的に、ここは王道の世界、集中の場所、神戸です。神と大地を崇拝します。今年の装いはこの時期から始まります。 オポラセ・チブ皇帝、ユウに関しては、彼は生涯を終えました。当時の日本の姫君、大神、物司など。に託宣く:「天照太神は,日月と一般して、アパートでにギフトを作成するへり。鳳翔大神は,天地と一般して、国家を守幸給へり。そこで天帝と二柱の精霊が神風の地を訪れたひ、激しい波の地を探してて、天の玉座はあなたに与えられますへり。伊勢の二つの宮では、杵民王と宜蘭蘭が神を敬い、祖廟と神代の神は唯一の神々の集団であり、百王の集団であり、一人も二人も尊敬しない。神から自由になった者は息子であり大臣です。誰が抵抗できるでしょうか?や。」と詔ふ。 私は聞いた。大日本王国、神の国また。神々による寝具て、国の安全を確保し、国を尊重する。て、神々の霊力を高めるす。四に神を祀る儀式では、神の師である朱布が師となる。と。インズて, Da Ruoziは弟のRuoziに宮殿で一緒に仕えるように命じました。て、守護に良い、国のために祈るれらば、鮑作の繁栄は天と地のように無限であるべきです。
地を知ると心が生まれるとも聞いたことがあります。す、つまり自信を示していまする。蒙神明利益事は信仰の厚さに応じてと成り。世界の四王国の人夫等ににまで、敬意を表します。
八、神名社帳
天照皇太神,一座。【大日孁貴,此云おほひるめのむち。突然、音が変わりました。】
八畳間の鏡に座るユウシン。【バアと呼ぶ人は八つの頭のこと。】
項天の神、二席。【左天爾の家には名前、形、弓座があります。まさに太勇人生。剣座。】
一冊の本に記されている、天手力の神・万蛮風秋神吉明。
さびれた犠牲の宮殿。【黄台神社の荒魂。大神イパンナチから生まれた神。八十歳の神様とも呼ばれます。】
一つの名前、瀬織津は神よりも優れています、そうです。ロイヤルシェイプ、ミラーベース。
イザナギ ノズン。[左。】凌玉シェイプ、ミラーベース。
イ・ジ・ラン・ズン。[右。】凌玉シェイプ、ミラーベース。
月夜に運命を見る、二席。【形、人に乗った馬の形。ある本には、「王の姿は馬に乗り、紫色の王服を着て、金細工を施し、大剣を持った男の姿である」と書かれています。】
荒廃したソウルライフ。[右。』形状、ミラーベース。【飛鳥宮兪嬰年十一月十一日、弓神社を移転した。】
滝原御殿、その1。陵玉形、鏡台。水戸の神は須秋津の神です、そうです。
ビンゴン、1つ。[精霊は鏡の中に座って、形を制御します。蘇秋瑾の時代、女神秋瑾は神を売るよりも優れている、そうです。】
この二神は、海と川が分かれたことにより、八柱の神を生みました。
イーザ宮殿、1つ。[天莫羅雲の運命は天理の運命であり、玉竹寺の運命です、そうです。形、鏡座り。】
大隋神、その一。【国人神の子。石の上に座って形を整えます。】
星翡翠神。【五宝宮。そう、守護神、猿田彦大神です。ある本によると、防衛の神である孫太明はツゴン族の遠い祖先の神であり、五十鈴の本来の地主神であったという。】
滝祭御殿。【五宝宮。夏津地では水神、水の女神としても知られています。象の神。】
朝熊神社。[石の上に座っているZhiyu Ming、Ling。心と精神を守るために、石の上に座ってください。偉大な剣士サクラが花と木々の中に座っています。石の上に苔虫の神様が座っています。そこには山と岩が乗っているだけです。熊水神に向かって石の上に座ります。貴重な鏡の両面は、太陽と月でできた白い青銅鏡です。】
風神。【一、ジナトゥビ古神。広瀬と龍田は同じ神様です。】
ワインパレス。【天は広剣・ニボボ・金鈴を避けて隠す。】
大蔵神。献身的な女性であり、食糧守護の神でもあります。
オトはカイラスの神であり、天翔の神であり、一万の姫の神である。
扉の神様。風石窓とクラミストーン窓の神。
44年前に神に4つ。宮殿でそれを犠牲にします。
鳳翔大神、一。[元丹波王国と謝県のビエ山の頂上にある元のマナイ井戸は、皇室の珍味の神です。倉島フンとも言いますね。偉大な皇帝。皇霊の形は真京晋の鏡台であり、また円鏡であり、神代の三面にもある。天佑の主精霊。瓊治帝の治世39年39月7日、天から降臨して座した。】
宰相官邸には三つの席がある。[大きなもの、天津燕燕火瓊瓊中図、形を整え、鏡に座っています。最初の 2 つの席は天爾家の運命です。タイユーミン、形、ワット席、玉席、大左四角席、前方二席、右四角席。】
多賀御殿、その1。【鳳翔黄勲も。イパナキ神から生まれた神はイブキ家主と名付けられ、太陽神ジヒ・ダジビ神とも名付けられた。スピリチュアルな形状、ミラーベース。】
地球王祖神、二席。[Yujia は魂を制御する神であり、Tu は祖先を制御する神です。形、鏡座、水瓶座座。】
ユエドゥシェン。
小倉神チューン。【宇賀能美玉神、三狐神。形、形を尊重してください。食べ物の神様を守っているんですね、そうです。】
ワインの神様宮殿。[風雨はあなたが頑張ってフォウに座ることができたことを祝福します。丹波国竹野郡にある長社神社の坐神です。女神はワインの醸造が得意で、一杯飲めばあらゆる苦しみや病気が治るという。形状、石ベース。】
風神。【八風神。】
北夢社。【雷神は賀茂神社の神と同じです。形状、骨壷ベース。]
ユージンシェ。[天仁市長井水、そうです。セブンスターのリスト。】
皇門鳥居の四神。2番目の宮殿は前の宮殿と同じです。
大国翡翠美星神、二席。【命を大切にしているから、これしかない。ささらちゃん、頑張ったね。】
そうだ、ダジギシェン。[別名、大国の主神、大物の所有者、国の大貴族、醜男魏源、八千剣の神、大玉は国の運命を示す。】
9. 注釈と注記
:日本年代記。太陽神の王子、通称ヴィガーナは大国の主神とともにこの国を支える者、通称ヴィガーナは永遠の命の国に住んでいる。
神代から雲が降りてくる。高黄燦霊尊は物事の大神に命じました、「国の神を妻にすると、心が怠けていると言われるでしょう。ですから、私は今、娘の山水神司をあなたの妻に迎えます。それがふさわしいことです」八十万の神々を引き継ぎ、永遠に彼女でありなさい。」皇帝とその孫があなたを守ります。 本の注釈にはこう書かれています。フォントゥジーは言いました。夫、それで彼は杜恵県と呼ばれ、彼の母親は斉源宮の裕宇の隣にいます。神話版 ユウヒコ天皇,詔てティアンリが国に別れを告げたとき、ドゥフイ・ヘリ・サリンの怒りが爆発したて。別れの日、彼は「この小さな左王がここにいます」と言いました、そして使者明明が彼を見つけました、そして使者もまた話をしに来ました、そしてそこに大国の翡翠の神であるヘリズオが到着しました。
その時、大国の翡翠神はティアンリの別れの命令を迎えるために使者を送った。彼は橋を建設するように命令した。完成することはできませんが、現在は子貢が燕を渡る橋として使われています。大国の翡翠の神、佐々羅備子実は、独橋郷岡本村で首相を歓迎するために奔走した。て。沈天理の別れの命令:「地面からため息をつきながら、沈輝は剣はエルドゥ・フイヤンから来たと言った」 この名前のせいで。 ある本にはこう書かれていました。ゴッド・ワバン・ユウヒコ・ユウ・エンペラー、邪神訝りて、人々は滅び、怒りが起こり、世界は不安になりました。るに。孫の名において、私は命令を返すために使節ダジグシェンを送りました。て、軍隊が西の宮殿から東の大陸に移動するために送られたとき、彼らは大国の翡翠の神を崇拝しました。【自分の命よりも自分の命が大切です。】人生を再開した天皇は大変喜ばれ、詔は「伊勢の国を奪う方が良い」と言いました。て、それは空と太陽が死ぬ運命にある村の土地です。「
この世界は怒りに耐えられない、イセ・タハ・ズオシャンリン」に,造石宅住居て。天と日は違い、人を殺して荒廃させて魂を蘇らせ、従わない者には罰を与える、堺の山河が土地と町を決める。日と太陽を使って運命の息子を崇拝しましょう。これは都匯国の帝政社会であり、燕国が何祁堅や東明と出会ったのも同様である。 ディバインサービスマシンパレス。
日本の姫君は飯野高岡宮に座って機械室を作り、太神の王服を織るように命じられました。高公宮から正公宮に入り、そこで結社が設立されました。それは服を織る協会と呼ばれています。郡の北にあるマジ郷と呼ばれる人々は神にいます。これは泰神宮の荒れ果てた衣です。この村にはシェンマ・ジー一家らが住んでいる。名前のせいで。
天智天皇即位7年8月3日夜、二つの機殿が焼失した。トイレは偽の家です。
9月は王室の衣装が頑張ります。法令によると。その後、2 つの機械ホールがそれぞれ 30 フィート離れた場所に別々に建てられました。
推仁天皇の治世二十二年、三月の春、天皇は飯野の高岡宮に座していた。
二十五年三月の春、私は飯野高宮から五十御所に移りました。
二十六年冬十月、アマテラスと草薙剣は五十鈴川で出会った。同興ザイ宮殿は宇治県の五十鈴川沿いにある大宮殿の隣にあり、日本の王女は燕市に住んでいます。彼はすぐにバクサンホールを設立し、大神に王のローブを織るよう命じました。それはYuzhi Jidianと呼ばれています、そうです。[名前はジンゴン。】
磐余甕栗宮御宇3 年後、彼はベンフー織物協会に移り、偉大な織工に衣服を作るよう命じました。
難波長柄豐岐宮御宇炳武年、朱蓮氏と奉武氏の二氏がこの県を設立した。 大神殿の第二章。
イーミヌオとイーミンランは天地の霊神です。天照大皇大神社は天地の神々の中で最も高貴な神社です。我が国の神々や霊的存在の痕跡は、今日でも有効であり、空虚とは言えません。当時の大神、飛鳥孫玉斉がこれを書いた。元神胡清雲二年二月七日、丸五月にこの集を編纂すべきである。
ガイは、追仁天皇の娘である和神内皇子が、神々の神宝を祀ったり、神の体を祀ったり、あるいは神の明徳を強調するために変化する霊体を神の姿として使用したりするために、さまざまな神社を神々に託したと聞いた。 。【ゆんゆん。】
鴨本奥州雲。
この書は妲己四年十二月二十七日に書かれた。外宮でザキン神 [パン]に会い 、丁茂の年の5月にそれを書き留めると言われています。鳳寿大神宮では、神々に会うには四人の上位でなければなりません、その時は張尚 [裁き]
でした、それは呉緒25年、真夏の端午節の翌日の英永でした。完成して校正されました。 本云,時應永27年, 6月6日、執筆と校正が終わりました。
本書は山田岩渕栄全の秘蔵書であり、他の項の真意に基づくものであるが、かつて若狭国安積が住んでいたとき、越が書いた命令である。
Xidaiの雲は宝物であり、雲はその場所から出てきて、さらに比類のないものです。 右の巻には大帝の秘蔵書が収められている。修復する際、建てるのは難しく、軸に書かれ広東に残された桂明書を黙って従った。ツボの賢者はそう言いました。寛文 8 年の最初の 10 日に、李沢は これを印刷しました [ヨウインヨンの 27 年が経過し、李州の順序は省略されました。】 クアン 工業省の 5 人の大臣、
ワイランから始めて、それらを同じロールに巻き込み、その後、世界中に広める必要があります。
稲葉美濃氏が寺を守り、井上河内氏が寺を守り、寛文十二年六月下旬には学校が御所に統合され、同年には御所が統括されるようになった。
これは大納言堂の中央学院に報告されており、これは朝廷から逃亡した家族
や家臣の山本晋賢についても同様であり、これを一冊にまとめ、永井伊賀モーデンが編纂したもので
ある。奥州は言った。
ワジ・ミンシのジャーナリスト。太神宮の神々の書によると、二神の祖先である杜慧は気を制御するために太神宮の大神の著作を書き、これが武術丸の神である武術丸を収集した理由でもあります。四門外宮。現代では杜恵らの神々が失われ、後宮の荒木田らの神々によって代々受け継がれているが、他人の目に触れることを避けることができないほどの秘密であり、神々は絶望的な場所を心配しています。古文は京都に残されていなかったのですが、私が京都を訪れたので、行間に「ケ」という間違った言葉が残っており、それを羌瘣が古文書に引用し、正しい言葉と間違った言葉を古文書に使用しました。 「que」という単語を修正および修正し、不足している単語を埋めるための日本語テキスト さて、古代の点を追加します、元のバージョンが初見ではまだレビューされないという感覚がまだあります。 寛文九月一日、延家、神四門の師、杜慧は、愚書の原本が耿勗慧路の時代に焼かれたものであることを知りたいと願う。 . 現在は鎌谷家の秦昭昭の援助により一族の大切にされている。
クアン・ウェン・グイ・シ・ジ・シャ・ニアオ・ジアンの老人、燕家 【判決】
今日、私は東の山に出ました、月は欠けていて、空の真ん中の星は南の三つの光に崇められていました月の。
。。。。。。。
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