2024年7月30日火曜日

厄払いを願う祇園祭と過越祭の関係 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

厄払いを願う祇園祭と過越祭の関係 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

厄払いを願う祇園祭と過越祭の関係

蘇民将来から垣間見るイスラエルのルーツ

蘇民将来と過越祭との類似点

祇園祭の最大のテーマは厄払いであり、人類の救いです。そしてスサノオを祀り、家々に「蘇民将来之子孫也」という護符が掲げられることにより、疫病や魔の力を避けることができると信じられたのです。その信仰の対象となった建国の神々とは実在した人物であり、大陸から船に乗って渡来し、日本列島まで辿り着いた人々と考えられます。そのうちの一人が、スサノオであり、国家の礎を築くために多大なる貢献をしたことから、神々の一人として記されることになります。

スサノオが南の海へと旅した際、蘇民将来が手厚くスサノオをもてなしたことから、疫病が流行する際は、「蘇民将来之子孫也」という護符を持つことにより、厄払いができると約束されたのです。その伝統を引き継ぎ、祇園祭ではその護符を身につけて祭に参加するようになりました。祇園祭の山鉾などで授与される「ちまき」には「蘇民将来子孫也」という護符が貼られています。この「ちまき」を家の玄関に飾ることにより、諸々の災いから逃れられると言い伝えられ、その伝承が祇園祭においても継承されました。そして一連の祇園祭で催される祭事の最後に、八坂神社の疫神社にて茅之輪守が授与され、その夏越祓をもって祇園祭が終わるのです。

祇園祭のルーツがイスラエルと絡んでいることは、御祭神として建国の神々のひとりであるスサノオが祀られているだけでなく、スサノオに纏わるこれら蘇民将来の宗教的背景が、イスラエルの過越祭に紐付けられている可能性が高いことからも察することができます。イスラエルの過越祭のテーマも祇園祭と同様の厄払いであり、イスラエルがエジプトにて奴隷になった時代の出来事に遡ります。当時、人々の不信仰により天罰がくだることとなり、地域すべての初子となる長子が殺されることになりました。その際、神の御加護を信じ、その命に従って家の門に子羊の血を塗り、赤く染められた家のみ、災いの神は素通りし、人々が守られたのです。この救いの恵みを記念し、ユダヤ暦のニサンの月、14日の夜から1週間、イスラエルでは8日間、「過越祭」を祝うことになりました。そしてエジプトの奴隷状態から開放されたことを記念し、例年にわたり祭が行われてきたのです。

蘇民将来とイスラエルの風習には多くの共通点があります。まず、どちらも厄払いが重要なテーマであり、蘇民将来では疫病からの守護、イスラエルの過越祭では子供の命を守ることが求められたのです。また、厄払いの方法は、蘇民将来では護符が貼られている「ちまき」を家の玄関に飾り、イスラエルでは、家の門に羊の血を赤く塗りつけたのです。どちらも厄を回避するために家の門を用いて、かたや家の玄関に「ちまき」を置き、もう一方は羊の血をもって神の御守護の印としたのです。これらの背景の一致から、蘇民将来に纏わる風習は、イスラエルの過越祭に由来している可能性が高いと言えそうです。「蘇民将来子孫也」という護符をもって厄払いをし、スサノオを御祭神として祀る祇園祭は、その蘇民将来の背景からも、イスラエルの文化と歴史に結び付いていると考えられます。

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