ちょっと差がつく 『百人一首講座』
【2001年7月20日配信】[No.031]
- 【今回の歌】
- 持統天皇(2番) 『新古今集』夏・175
春すぎて
夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の
衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)
梅雨明けが宣言され、やっと陽光輝く夏が到来しました。夏といえば、突き抜けるような青い空と白い入道雲がイメージされます。ありきたりな感覚とも思えますが、夏の魅力はこのように爽快な原色のコントラスト。
夏の歌にも、やはり色を強烈に感じさせるものが多くあります。今回紹介する歌も、白を印象的に扱うことで、涼しげな感じをばっちり表現しています。
「夏なんて暑いばっかりで嫌だ」って言っている人も、「この季節が一番!」だって喜んでいる人も、この歌でペパーミントのような爽やかさを味わおうではありませんか。
現代語訳
いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。
ことば
- 【夏来にけらし】
- 「けらし」は「けるらし」がつづまった形で、「らし」は推測を表します。現代文で言えば「らしい」にあたり、「夏が来たらしい」という意味です。
- 【白妙の】
- 「白妙(しろたえ)」とは、コウゾなどの木の皮の繊維で織った真っ白な布のこと。「衣」にかかる枕詞です。
- 【衣ほすてふ】
- 「衣を干すという」との意味で、「てふ」は「といふ」がつづまった形です。
- 【天の香具山】
- 奈良県橿原市にある低い山で、大和三山の一つです。この山は天から降りてきたという伝説があり、そのため「天の」が頭につきます。
作者
持統天皇(じとうてんのう。645~702年)
天智天皇の第2皇女で、壬申の乱の時に夫の大海人皇子(おおあまのみこ。後の天武天皇)を助けました。夫の死後、皇子・草壁が28歳の若さで死んだために持統天皇として即位しています。
政策面では、刑部親王や藤原不比等らに命じて法令集「大宝律令」を編纂させるなど、奈良時代の政治の根幹を固めました。
鑑賞
まず、この一首に歌われる「天の香具山」は奈良県橿原市にあり畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山と並ぶ大和三山のひとつです。天上から降りてきたという神話があるので「天の香具山」と呼ばれますが、持統天皇が政治を執り行っていた藤原京からは、東南の方角にこの山が眺められたようです。
この山を見ながら、この有能な女帝は「ああ、いつのまにか春が過ぎて夏がやってきたようね。夏になると真っ白な衣を干す天の香具山に、衣がひるがえっているのが見えるから」とふと感じたのでしょうか。
夏の訪れが山の緑と布の白さで象徴される、とても爽やかな感じを与える歌といえます。
万葉集では、この歌は「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」になっています。「干したり」は「干している」で、原歌が歌われた頃はちゃんと干していたのでしょうが、藤原定家の時代には、もう行われていなかったのでしょう。
「衣ほすてふ」と伝え聞く「伝聞」の形をとることで、天の香具山に衣を干した当時の風俗を取り込む趣になっています。
この歌の舞台となった橿原市は万葉の都。大和三山の畝傍山(199m)、
香具山(152m)、耳成山(140m)がちょうど正三角形をなして、持統天皇のいた藤原京跡を取り囲んでいます。
神話では、香具山が天から降りてきたという話の他に、畝傍山を女性に見立て、耳成山と香具山が奪い合ったという話も残っているそうです。
大和三山をウォーキングするなら、近鉄橿原線橿原神宮駅で降り、畝傍山のふもとにある橿原神宮からスタートするとよいでしょう。
橿原神宮は神武天皇が天下を治めた宮の跡を保存するため、明治時代に建てられた神社です。そこから畝傍山、香具山、耳成山の順に登ってみましょう。どれも美しい形の低い山で、万葉の昔をしのぶにはもってこいの雰囲気です。
藤原京の跡には田園風景が広がっていますので、香具山の南にある「飛鳥資料館」に行くと復元模型が見られます。
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