https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10246559135
ユダヤ人の間で日ユ同祖論を支持する人もいるし信じない人も両方いるそうです。 アインシュタインは1922年11月17日から12月29日まで43日間大正デモクラシーの日本に来日してますが。アインシュタインは、ラフカディオ・ハーンが記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることと、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことが訪日の目的であると語った。 アインシュタインは1951年戦後の日本に来日し東北大学で講演してますが。 「ここ東北は日本でも一番私と同じ血統の人が多い土地と聞いています」と講演しました。 アインシュタインはユダヤ百科事典を読んでて日本の東北に自分と同じ血統の人が多いと調べてたんですね。 渋谷のシナゴーグでアインシュタイン歓迎パーテイーが行われ その時陸軍中将 樋口季一郎夫妻も招かれた。樋口はパーテイ-会場でユダヤ難民を救ったことでミハイル・コーガン氏から礼を言われ 樋口の努力でヒトラーから逃れたユダヤ人達がアメリカで力を持ちマッカーサー元帥に樋口の命を助けてほしいと助命嘆願したこと。そのお陰で樋口は東京裁判にもかけられず 死刑にもされなかった。樋口の命を助けたのはユダヤ人たちでありマッカーサーだったと聞かされたそうです。アインシュタイン自身も樋口季一郎や杉原千畝、安江仙弘陸軍大佐に感謝してたと思います。 ユダヤ人でユダヤ難民の救出活動を続けてきたゾラフ・バルハフティク氏が書いていた。 杉原ビザで沢山ポーランド、リトワニアから日本にユダヤ難民が逃げてきた時。日本でユダヤ教探究してる日本人はユダヤ教知るチャンスなんで大歓迎した。 日本人なのにユダヤ教に改宗したアブラハム小辻氏。 小辻節三氏は京都の下賀茂神社の神官の家の人です。方丈記書いた鴨長明も下鴨神社神官の家の人だった。 小辻氏は家に宗教書はいっぱいあるのだけどユダヤ教への関心がおさまらず何とか知りたいと願った。そこへ杉原ビザのユダヤ人が到着した。 ユダヤ教を学ぶチャンスと大喜びだった。氏はラビと神学生に特に心打たれた。 ゾラフ氏は日本のインテリが精神的・知的危機に直面してることを感じた。二人は日本史ユダヤ史について語り合った。 ゾラフ・バルハフティク氏と小辻氏がユダヤ教研究グループを作ってたがそこへ三笠宮殿下も討議に参加に来られた。 小辻氏はイスラエルに渡りユダヤ教に改宗した。ゾラフ氏は改宗に助力した。 アブラハム小辻氏はユダヤ難民の日本滞在期間を延長するよう助力してくれた。 私はふとシベリア鉄道オトポール駅でユダヤ難民をたすけた陸軍中将樋口 季一郎のことを思い出した。革命後10年しかたってないソビエトで。 樋口はグルジアの首都チフリス郊外のユダヤ部落で貧しいユダヤ人の玩具商と出会った。 その老人は樋口が日本人と知ると最敬礼し家に招き入れた。老人は涙を流しながらこう訴えてきた。 「私たちユダヤ人は、世界中で一番不幸な民族です。何処にいっても虐められてきました。暴虐の前に刃向かうことは許されない。ただ、神に祈るしかない。だれをも怨んだり、憎んだりしてはならないのだ。ただ、一生懸命神に祈るのだ。そうすれば、かならず、地上の君メシアが助けてくれる。 神はメシアを送って助けて下さる。メシアは東方から来る。日本は東方の国だ。日本の天皇こそ、そのメシアなのだと思う。そしてあなたがた日本人もメシアだ。われわれユダヤ人が困窮している時に、いつか、どこかできっと助けてくれるにちがいありません。」 深い皺の刻まれた老人の目じりから、涙がしたたり落ちていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿