史跡・美馬市 徳島県最古の郡里廃寺跡を歩く。
(徳島県美馬市寺町地区にある国指定史跡・郡里廃寺跡には広大な空き地が広がる)
寺町地区の中にある「郡里廃寺跡」を訪れました。
時代は、白鳳期に創建されたと考えられる古代寺院跡です。
白鳳時代の寺院跡というのは、全国に建てられた国分寺よりも古く、先駆けて建てられた氏寺であると思われます。
私の自坊のある今治市朝倉の本郷地区からも「本堂(本道)寺」と呼ばれる寺院跡が発掘され、礎石数基と共に白鳳時代の寺院瓦が確認されました。
これも国分寺に先駆けて建てられた氏寺であろうと思われます。
100メートル四方の寺域を持つ、奈良の「法起寺式」の伽藍配置であったことが分かっているそうです。
国の指定史跡となったことにより、どうやら農地もしくは住宅地であった場所は全部移転したようで、コンクリートによる土地の境界線を示す跡が遺されていました。
ある意味、これはこれで現代の遺跡です。
予算が確保されれば、いずれは奈良の平城京跡のように整備されるのでしょうか?
広場の中央には、こんもりと藪があります。
昔は神社のお社が何かがお祀りされてあったのではないでしょうか?
お寺や神社のあるところは、昔からの祭祀場の跡にあるということはよくあります。
その藪の直ぐ側に塔が建てられていた基壇の跡、並びに塔の礎石が2つと石積みが僅かながら遺されていました。
基壇の側面には、僅かながらに石積みが見えています。
塔の礎石です。
「塔跡について」の案内板が建てられてありました。
基壇の大きさは一辺11.5メートル。
塔跡は農地などには転用されなかったと思われ、側には大きな木が昔の跡を見守っているようでした。
四国最古の寺院の内の1つであったことが分かります。
南大門・中門・金堂と塔を横並びに配置してその背後に講堂、そしてそこから回廊にて伽藍を囲むように整備しているのが「法起寺式伽藍配置」です。
このような古代寺院が建てられていたということは、古代に有力な氏族がこの美馬の地にいたことを意味しています。
中世になって、その場所に再び寺町地区が築かれたというのも、何か目には見えないけれど繋がっている歴史の流れがあるのだと感じました。
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