秦氏(佐伯氏)と空海
2015年2月6日 10時47分05秒 (Fri)
空海の幼少名は「佐伯眞魚」ですが、その姓「佐伯」の出所はどこであり、どのような先祖なのでしょうか。九州の大分県に佐伯(さいき)市があります。大分県(豊後)は福岡県(豊前)と並んで北九州に位置していますが、かつては豊国(とよのくに)と呼ばれていた場所です。では、どうして豊かな国であったのでしょうか。『隋書』倭国伝によれば、この付近は秦王国と記されていて、秦氏の居住地ということです。中国の隋の時代(紀元五八一~六一八年)に、倭国と呼ばれた日本から技術や制度を学ぶために遣隋使が派遣されています。秦氏は渡来人であり、大陸から先進技術を日本にもたらしたキリスト教徒であり、彼らの存在のために豊国は豊かな国となったと言えましょう。この秦氏の地域の中に佐伯の名前が地名としてあり、佐伯氏は秦氏の支族と考えられます。当時の秦王国は、『隋書』倭国伝によれば、現在の北九州のみならず、中国地方の周防・厳島をも包括していたと読み取れるようです。広島県の佐伯郡の名前の由来は厳島神社の神主家の名前ということです。従って、広島県の佐伯氏は厳島神社と密接に関係しています。実に興味深いことですが、中国の景教の研究家として国際的に著名な佐伯好郎はクリスチャンですが、生まれは広島県佐伯郡で、生家は厳島神社神主職を務めた佐伯の流れを汲むと言われています。さて、空海は讃岐国多度郡屏風浦(現・香川県善通寺市)に生まれ、父は軍司・佐伯直田公です。佐伯氏が秦氏の支族とすれば、空海も秦氏と関係していたことになります。このことは、渡来人が西日本一帯に住み着いたということからすれば、渡来人の一主流の秦氏が讃岐で活躍していとことは十分に考えられます。そこで、ある人は空海と佐伯好郎は同族の可能性があり、空海の開創の地・高野山に「大秦景教流行中国碑」があり、その景教の研究の大家が佐伯好郎であるというのには因縁を感じると書いています。さらに、私は空海の幼少名である「眞魚」に何かが暗示されている気がしてなりません。新約聖書の原語であるギリシャ語で「魚」は「イクトゥス」ですが、この五文字は「イエス、キリスト、神の、子、救世主」を意味する言葉の頭文字になっています。ですから、空海は「真の」「神の子・救世主・イエス・キリスト」という恐れ多い名前を付けられていたということになります。写真説明:善通寺御影堂(大師堂)、空海の生まれた屋敷跡
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