おのころ山は御神体山であり寛政年間(1789〜1801)に小祠を建て毎年旧9月15日に祭礼が行われてきた。以来、現在は婦人会により祭礼が続けられている。
大正元年(1912)、岩田なつ氏の発願奔走により、大正12年(1923)に神殿が完成。その後、島内外の人々の信仰を厚くし昭和52年(1977)神殿の大修理をするも拝殿の老朽化が進んでいた。
平成14年(2002)4月、島民・おのころ会員・全国信者の浄財によって拝殿と石段の修復がなされ、同12月にイザナギ・イザナミの二神石像が建立された。
【兵庫県】淡路島・おのころ島伝説の沼島(2024/05/16)
日本神話における"国生み"をご存知でしょうか。 伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の二神が天沼矛(あめのぬぼこ)を渾沌の中に差し入れ掻き混ぜると矛の先から滴り落ちた潮が重なり積もって島となり、八つの島「大八島(大八洲/おおやしま)」= 日本列島が生まれた、という創世神話。
八つの島は古事記と日本書紀で少々の違いがあるものの、最初にできたのが「おのころ島」なのは同じ。
おのころ島とは何処を指すのか?
最有力候補地へ行ってきました!
「神話 = 実在しない」と言っちゃ〜おしまいよ。
おのころ島伝説の沼島(ぬしま)
沼島は淡路島の南4.6km、紀伊水道北西部に浮かぶ、面積2.71k㎡、周囲9.53kmの有人島です。
淡路島を訪れるのは随分と久しぶりですが、前回は淡路島内の「おのころ島候補地」を回ったので、もし次の機会があるなら沼島へ渡りたいと思っていたのです。忘れっぽいのに、よくぞ思い出した(笑)
わたしにしては早起きして土生(はぶ)港へ向かいます。『道の駅 福良』から向かう途中の高台から沼島が見え、ちょうど雲間から太陽も現れてテンション上がる!
※カッコ内は写真を撮影した時間です。
沼島汽船の発着場に到着。船に乗るのに駐車場料金がかかるとは! のどかな雰囲気で周辺にお店などもないのに。
駐車場にはバーが設置されていて、キャンピングカーでは入れないので先の方の臨時駐車場に駐車。
その旨を窓口で伝えたら「第1駐車場が満車の場合や休日しか使えない」と言われたんだけど、事情を説明したら「まぁ大丈夫でしょう」というニュアンスで、どうやら管理者が違うようでした。
ちなみに料金は普通車と同じ500円でホッとした。
9時発の便に乗ります。
福良の観光案内所でいただいた時刻表、左側に沼島発/右側に土生発が書かれていて、脳が自動的に「左側に書いてある方が発、右側が着」と判断したため「8時半発」と勘違いしてた。
お陰で、とっても時間に余裕ができました。
料金は、往復(大人)920円。
船の名前は「しまちどり」です。もう1艘、「しまかぜ」が運行しています。
この時の乗客は20名くらいだったかな? 地元の方が生活の足としても利用されてます。
以前は福良や洲本からの航路もあったそうですが、利用客の減少とともに福良線は1997年、洲本線は2016年に運航を終了したそうです。
なので、現在はこの土生航路のみとなっていますが、旅客定員は82名(「しまかぜ」は63名)で、もし定員オーバーになった場合は臨時ダイヤでピストン運行するそうです。
約10分で沼島に到着。乗客は三々五々、散策へ。
皆さんあっという間に散っていったけど、ターミナルセンターの中に展示物があったのを見ましたか?
"はじまりの島"の謎を解く?! 激しい地殻変動の痕跡、「地球のシワ」とも呼ばれている鞘型褶曲(さやがたしゅうきょく)。
淡路島と沼島の間には中央構造線が走っています。この短い距離で地層の年代が大きく違っていて、淡路島は約8千万年前、沼島は約1億年前!
淡路島全体をオノコロ島とする説が有力だと思っていたけど、淡路島と沼島では成り立ちが違ったんです。
NHKの番組『ブラタモリ』で2週にわたって淡路島を探訪し、最後に訪れたのが沼島でした。
そこで地質などから「沼島こそがオノコロ島(かも)」と結論づけています。とても興味深かったです。
「淡路島の宝〜神はナゼ淡路島を"はじまりの島"にした!?〜」(初回放送日:2021年10月2日)機会があったら視聴してみてください。
それにしても、今でこそ地質学などが発達して地殻変動など分かってきていますが、大昔の人々が人類誕生以前の事を知る由もないはずですよね。
古事記や日本書紀は8世紀のはじめに編纂されています。
沼島の住民は港周辺に集中しているのでバスなどの公共交通機関がありません。バイクか自転車のレンタルがないかな〜と調べたらレンタサイクルがありました。
まずは、その『沼島総合センター』なるところを目指してみます。
観光マップは持ってるだけで、アタマに入ってはいません。いつものことですけど、方向オンチのくせにカンで歩きます。
道すがら、神社を発見。弁財天神社です。島の人は「弁天さん」と呼んでいるそう。
沼島の岩石を使用した石垣。ここだけで主な沼島の岩石を一望することができます!(マニアック)
案内板によると「海の守りの神であり、戦の神として信仰」しているそう。弁天様が、戦の神様???
沼島は、古代の海人族(あまぞく)が本拠地にした島であると伝えられ、紀貫之の『土佐日記』(承平5年(935)頃)では「沼島沖は海賊が出没するところ」として紹介、また戦国時代には沼島水軍が割拠するなど現在からは想像つかない荒々しい時代が長く続いていたんですね。
また、こちらの弁天様は神仏習合であるため琵琶を持っていないのが大きな特徴だそうです。
左右8本の腕があり、その御手には弓、刀、斧、羂索(けんさく)、箭、三鈷戟、独鈷杵、輪を執り、一足をあげて波濤の台座に座しているそう。つまり「八臂弁才天」。古来、戦の勝利を願う武将にあつく信仰されていました。
その弁天様のご開帳は何と100年に一度だとか!
次のご開帳はいつなんだろう?
2024/06/07追記
問い合わせていた返事が届きました!
弁財天神社を管理しているのは沼島八幡神社だそうで、宮司さんに尋ねてくださいました。
結果「100年に一度というのは、どこから出たものなのか? そのような事実はありません。」とのことでした。
2013年(だったかな?)に公開したことはあるそうですが、定期的にご開帳しているわけではなく、今後の予定もないそうです。残念…。
島内のあちこちに「飛び出し坊や」風の看板?が立ってます。左は沼島のイメージキャラクター「ぬしマリン」ちゃんです。
「ぬぼこん」はネット検索しても出てこなかったけど、誰かが考えた上立神岩(天の沼矛)をモチーフにしたキャラクターかな?
はじめこそ写真を撮ってたけど、あまりにも数が多いので途中で断念しました。港の近くだけで10個はあった。
沼島にクルマは走ってるけど、だいたい漁師さんの軽トラが多い。狭い路地ばかりで、地元の人のアシは原付バイクか自転車。
そう言えば船(沼島汽船)にクルマは載せられないから、クルマを買う時の輸送費が大変だろうなぁ…。
ちなみに信号機はありません。
沼島の主な産業は漁業。西に鳴門海峡、東に紀淡海峡、南には太平洋とつながる紀伊水道に囲まれていることから豊富な魚種と水揚げ量を誇り、かつては「沼島千軒(せんげん)金(かね)の島」と謳われていたそう。
現在でも通称「黄アジ」やタイ、ハモなどが有名。
ずいぶん広い道路があるな、と目をやると真正面に神社が。
後で知ったのですが、ここは沼島唯一の県道(482号沼島線)で、長さは約40m。兵庫県で最も短い県道です!
沼島八幡宮 案内板によると、この石段は御影石で神門から上が33段の『女坂』、下が42段の『男坂』と呼ばれているそうです。
海上安全、四季豊漁の神様として祀られています。
ちなみに正式名称は「沼島八幡神社」です。
御祭神は
・誉田別命(ほんだわけのみこと/八幡神)応神天皇と同一とされる
・足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)仲哀天皇と同一とされる
・気長足媛命(おきながたらしひめのみこと)応神天皇の母・神功皇后と同一とされる
拝殿に到着し、いざお参り…という正にその時、太鼓の音が鳴り響きビックリ。すごいタイミング。
拝殿の中を覗ったら、女性が祝詞を奏上しはじめました。え、宮司さん?
わたしの前を歩いていた女性が一人いましたが、その方のようでした。
特にジャストタイムという時間でもなかったし、たまたまでしょうか。しかも参拝者は、わたしだけ。とっても得した気分!
祝詞の内容はよく解らなかったけど、静かに頭を垂れて聞き入りました。
お賽銭箱の隣に芳名帳があり、記入しようと近づいて注意書きのようなものを読んでみたら…
「朝のお参りの時、宮司がお名前とご住所を神様にお伝えし、今日の無事をお祈りいたします。無料 」
と書いてあるではないですか!
え、もしかして今がその時間? 今から書いたら明日、読んでくれるのかな。
そして、その下の額にはこう書かれています。
タイミングに恵まれたのは、このためだったのかも知れません。
みんなー! 沼島を訪れたら、沼島八幡神社にお参りしてね! 沼島の神様と繋いでくれますよー!
神社の創建は永享8年(1436)、京都石清水八幡宮のご分霊を勧請し、現在のような社殿が建てられました。
先日お参りした津田石清水神社に続いて、ここでも石清水八幡宮にゆかりが。
この記事を書くために神社の公式サイトを読んで、またビックリ。
(失礼ながら、公式サイトがあるとは思わなかった)
八大龍王様!
わたし菊池市龍門から来ましたー!
なんか嬉しい。
春季例大祭(5月3日〜4日)には、壇尻(だんじり)が勢いよく海に飛び込み「沼島水軍」を彷彿とさせる勇壮な練り物が繰り広げられるそう。おおいに賑わうでしょうね。
秋季例大祭は、毎年11月3日です。
そして今ごろ気づいた。どうして御朱印をいただかなかったんだ?!
ぜんっぜん思いつかなかった。バカーーー!!!
お参り後、ほくほくと好い気分で散策再開。
目指すは『おのころ神社』、そして『上立神岩(かみたてかみいわ)』です。
そう言えば、総合センターってどこにあったんだ?
公園らしきところはあったけど、観光案内所っぽい建物は見当たらなかった。地図には公園の前に位置してたんだけど。
もう、この時点でレンタサイクルは諦めました。
ちなみに、島内の周遊道路は全長約8kmらしい。高低差は約80m。1周するのに約4時間かかる見込み。
そして公衆トイレはターミナルセンターと、おのころ公園の2ヶ所(総合センターにもあるはずなんだけど)。
何とな〜く道端の案内板に沿って、歩いて行きます。
福良のお土産屋さんが「ハモが美味しいよ」と教えてくれた木村屋さんを、まずチェック。こちらの西光寺の手前にありました。
ここはチェックしただけで、もとの海沿いの道に戻ります。
ほかにも神社仏閣があるのですがすべてをお参りしていません、すみません。
海沿いを歩いていると、「←おのころ神社」の標識を発見。
写真の右側には海水浴場があり、夕陽スポットとしても人気らしい。
急に道が狭く遊歩道っぽくなり、心細さを感じながらも急勾配の上り坂をゆっくり歩きます。
10分ほど登ったあたりで、「自凝神社」の石碑とともに急な石段が見えました。
「おのころ島」の表記は「淤能碁呂島(古事記)」「磤馭盧島(日本書紀)」、また、自ら凝り固まったという意味の「自凝島」があります。
南あわじ市榎列(えなみ)の「自凝島神社」は、昭和58年(1983)に漢字表記を「磤馭盧島神社」から「自凝島神社」に変えたそうです。
まだ膝が痛いので、ゆっくりゆっくり一歩ずつ。
石段の途中、横からの道もあったようです(写真右側の石碑が立っているところ)。
今、写真を拡大してみたら石碑には「瑞玉姫命」と刻まれていました。
「みずたまひめのみこと」= 美津多麻比売命、湍津姫命(日本書紀)= 多岐都比売命(たぎつひめのみこと)?
ちょっとワクワクしながらネット検索を駆使して調べてみたら、個人の方のブログに辿り着きました。
リンクを貼っていいのか分からないので端的に言うと「瑞玉姫命」は大正時代、社殿建立に尽力した人でした(端折りすぎ)。気になる方はアメブロで検索してみてください。
地元では「おのころさん」と呼ばれる、「おのころ山」を御神体とする自凝神社。御祭神は伊弉諾神(イザナギ)・伊弉冉神(イザナミ)、そして天照皇大神です。
笑顔がとってもキュートでユーモラスな狛犬様。ラブリー。
左の石碑に、多くの謎を解くエピソードが書かれていました。
ここからは、ちょっとした登山の様相を呈します。
目指す「おのころ山」は自凝神社の御神体だから沼島唯一の「山」なのかと思っていたけど、沼島の最高峰は「石仏山」だそう。
おのころ山は標高117m、石仏山は125m。
神社で数名の方とすれ違っただけで、山道に入る人はあまりいないようです。まぁ、わたしのスタート時間が遅かったから他の方々は先に行ってるのかも。次の船便は1時間半後だし、後発とすれ違うこともあるまい。
途中、東屋(あずまや)がありました。意外ときれいなんですが眺めがいい訳ではありません。
いつの間にか青空が見え、だんだん暑くなってきました。
それはともかく、どこが「おのころ山」山頂だったのか?
気づけば山道は下り坂に。
観光マップを見てみたら、2枚前の分岐の写真(10:31)あたりが山頂だったっぽい。
写真:左、サンキライだと思うんだけど葉っぱがスゴく大きい!
右上、ツツジの花がまだまだ咲いてます。
右下、野いちごがたくさん生ってました。
森を抜けると、海が見えてきました〜
ちょうど正面あたりにある、平べったい岩は「平バエ」。二神の契りの場とも云われています。
そして、もしかして左端に見えるは「天沼矛=上立神岩」では?!
2つめの東屋が、すぐ近くにありました。
東屋の周囲にも祠や石仏が点在しています。
明治時代、戦争や伝染病で多くの人が亡くなり、その慰霊のために島内の八十八ヵ所にお地蔵様が設置されたそうです(沼島八十八ヶ所霊場)。
この後、上立神岩に至るまでの道のりは動画しか撮ってなかったので、こちらを御覧ください。
写真を撮ってなかったの、うっかりしてた…。
かなりの強風だったので、時おりスマホを持つ手がブレたりしてます。
岩石がゴロゴロ横たわる岩礁。
そこに忽然と現れる屹立した巨岩は、確かに天沼矛のような姿をしています。高さは約30m。
「上」ということは「下」もある。しかし、下立神岩は海側からしか見えないようです。
調べてみると、昔は上立神岩よりも高かったそうだけど、安政の大地震(1854)で真ん中から折れ、さらに昭和9年(1934)の室戸台風で崩れて、現在は根本の部分の両サイドだけが残っているそうです。
さて、朝から何も食べていないのでお腹が空きました。
まだ途中ですが、ここで港方面に降ります。ちょうど南側半分を歩いた感じです。
公園に、すっごく詳しい説明版が2枚あったのですが、読んでる時間がない。後で読もうと写真を撮ったものの、反射して判読困難。
これ、どこかにPDFで載せてもらえませんか?
公園のお向かいは沼島小学校と沼島中学校。ちょうど昼休みで、子どもたちが校庭で遊んでました。
午前中にチェックしておいた、料理旅館 木村屋の御食事処『大平(だいへ)』へ一直線。
地元のお客さんも多く、ほぼ満席。お一人様の女性観光客同士、相席になりました。(しかし一言も交わさず…)
夏はハモ、冬は牡蠣、お魚だけじゃなく肉料理・丼も麺もとメニューが豊富です。カレー好きとしては、木村屋オリジナルの「ハーモンドカレー(ハモフライ・魚卵入)」にそそられたけど、福良のお土産屋さんオススメのハモ天丼にしました!
正直、そんなにハモでテンション上がらないんだけど…と内心では思っていたけど目の前に来たハモ天の肉厚さ、プリプリの食感と弾力に感動。
甘みのあるタレがくどくなくて、玉ねぎとも合う〜。頼んでよかった! 大満足です。
ハモ天丼は単品1,200円、セット(小鉢2種)は1,400円でした。
お店を後にしてから「しまった、トイレに行っておけばよかった」と気づいたけど後の祭り。仕方ない、いったんターミナルセンターに戻るか?と歩き始めた今ごろになってレンタサイクルの掲示を見つけた。
でも、けっこうアップダウンがあったり山道なんかは自転車じゃ行けなかったから、今回は徒歩で結果的にはよかったな。
どうやら、ここが観光マップに載ってた『沼島総合センター』なのかな?
観光案内所みたいに載ってたけど、ネットで検索したら『沼島地区公民館・沼島市民交流センター』って出てきた。どこが入り口だったのかも分からず仕舞い。
「そうだ、どうせ灯台の方に行くんだから公園のトイレを利用しよう」と思い直してUターン。(1枚目の写真・地図を御覧ください)
公園のトイレ、学校の目の前だし予想以上に綺麗でした。トイレットペーパーもありました。
写真:左の標識「←灯台、上立神岩→」。左に向かいます。
お腹も満たされ、自販機でお水も買ったことだし(午前中は飲み水なしだった)気持ちに余裕ができた。
山ノ大神社の鳥居が見えました。「山の神様」のようだしお参りしようと思ってたけど、ここに立ったら何だか怖くなっちゃって… 一礼して左の道を行くことに。
しばらく参道と並行していたのですが、参拝を終えたらしい男性2人が歩いて来ました。おぉ! 人がいた!(笑)
観光マップにはお狐様のイラストが描かれていたし朱色の鳥居だからお稲荷様なのかな? と、後でネットで調べてみたら、たくさんの鳥居がズラ〜っと並んでる写真が出てきました! 中には傾いたり崩れかかっている鳥居もあり、よりいっそう怖い雰囲気。
その老朽化によるものでしょうか、現在は、上の写真のように撤去されています。
創建などの由緒は不明ですが、御祭神は鐵王稲荷大明神らしい。地元の方は「アラガミさん」と呼んでいるそうで、金突(ヤス)を使う漁民の神を祀ってあるそうです。
山の神様じゃなかった。
「正式名称は鐵王稲荷神社」と書いている個人の方のブログもありました。
沼島のほとんどは山林で、あちこちにイノシシ用と思われる箱ワナが設置されていました。数えてはいないけど、10個はあった。
沼島灯台が見えました。ここが沼島の最高峰「石仏山」山頂です。
ものすごい強風で、周囲の木々がざんざんと揺れていました。
ここから眺めが堪能できるという訳でもなく、鍵がかかっていて灯台に登ることもできず。
灯台から少しUターンして、分岐を港方面へ。島の北側は今回パスします。
遊歩道(?)は、ほぼモルタル舗装されているものの、急な坂道&ヘアピンの連続です。
かつては島民が何千人もいたそうで、今は森になっているところでもミカンの木があったりします。ビワも、あちこちに生えてました。
山を降りきるあたりに、忽然と民家が現れました。今は空き家のようです。
観光マップを見返したら、この周辺にも神社仏閣があったけど、目に入らなかったみたい。実はもう、足腰がヘロヘロで気力減退してたのです。
船で降り立ったのとは別の港に出ました。やったー、もう少しだ。
港を護る防潮堤には、陸閘(りっこう)がいくつも設置されていました。
「これ、何の施設だろう?」
公民館かな?って近づいたら… さっき船で降り立ったターミナルセンターだよ。こっから出てきたんだよ。ふぅ(自分で自分に呆れる)。
次の便まで時間があるので、観光マップを広げたら「八角井戸」を見ていないことに気がついた。
もう足が痛くて歩くのはツラかったけど、次いつ来るか分からないし、時間があるなら行かねば。
民家の石垣に見惚れる。様々な石のパッチワーク、草が生えている様も芸術的な趣き。
八角井戸の手前に「梶原五輪塔」があります。あまり興味はなかったけど、ここまで来たなら参ってみよう。
お墓だから、実際はささっと見て一礼して去りましたが、後で調べたら武将・梶原景時(平安時代末期〜鎌倉時代初期)の墓と言い伝えられてるんですね。この五輪塔は松香石という特殊な石だそう。
沼島八幡神社は、「沼島水軍の梶原俊景が京都石清水八幡宮の分霊を阿万八幡宮を通じて勧請した」と伝えられているそうですが、「梶原俊景」って梶原家の家系図に載ってないみたいなんだけど。
「産経ニュース/本郷和人の日本史ナナメ読み 景時と義経㊤沼島水軍の頭領、なぜ梶原氏?」によると、「沼島水軍の頭領が、本当に梶原景時の血筋であったかどうかは定かではありません」とある。
梶原景時 - Wikipedia によると、景時の墓所は鎌倉にあるらしい。
近くには、室町幕府10代将軍・足利義稙によって作られたと伝えられる「沼島庭園(神宮寺庭園)」もありましたが立入禁止になってました。鬱蒼としてて、整備の手が行き届いてないような印象です。どこも人手不足なんですよね…。
「八角井戸」は蓋がしてあり、「蓋を取らないでください」との注意書きがあったので中を見ることは叶わず。どんな姿のお水なのか、見たかったなぁ。
沼島では井戸のことを「川」と呼ぶそうで、この井戸も別名「王川」と呼ばれています。
先程の「こうろく池」からも近いのですが、その関係は分からず。
そもそも「こうろく池」に関する説明もなく、この池が自噴しているのか汽水湖なのか?(海と繋がってる)
沼島の「ぬ」は、天沼矛の「ぬ」であると云われていますが(古事記では「天沼矛」日本書紀では「天之瓊矛」)、その沼島の中に池(沼?)があるのが興味深かった。昔からあるのかなぁ。
ふと見上げると「彩雲」が。
また少し雲が出てきました。今朝は小雨だったことを思うと、お天気にも恵まれました。
名残惜しいですが、沼島を出航します。まだ便はあるけど、もう足が限界です(苦笑)
郵便局のクルマが入ってきて、一瞬「まさか?!」と思ったけど、そんなわけない。郵便物が乗せられました。
せっかくだから沼島の郵便局の消印が押されたハガキを出すとか、そういうのも思い出になったかもなぁ。
特別な消印とか切手とかハガキとか作らないかな?
この記事を書いていて、心残りが増えてしまいました。
次の機会があったら、島の周囲を漁船で巡る『おのころクルーズ』に乗りたいな!
GoogleMAPと関連リンク集
・沼島汽船 土生港のりば(GoogleMAP)
・沼島汽船 – 運航状況・予定 | 兵庫県南あわじ市
・兵庫県南あわじ市〜沼島〜
・沼島おのころクルーズ
・ぬぼこの会 | ガイド団体一覧 | 【公式】兵庫県観光サイト
・沼島八幡神社 公式サイト
・料理旅館 木村屋
関連する過去ブログ記事
・2011年12月05日【淡路ハイウェイオアシス】
・2011年12月06日【淡路島めぐり・その1】
・2011年12月07日【自凝島(おのころじま)神社】
・2011年12月08日【石屋神社】
・2011年12月09日【淡路島・諭鶴羽ダムから諭鶴羽山に登り諭鶴羽神社を参拝】
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