https://www.osohshiki.jp/column/article/2207/
無量寿如来に帰命し、
不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、
世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、
国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、
希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。
重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量・無辺光、
無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、
不断・難思・無称光、
超日月光を放って、塵刹を照らす。
一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。
至心信楽の願を因とす。
等覚を成り、大涅槃を証することは、
必至滅度の願成就なり。
如来、世に興出したまうゆえは、
ただ弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、
如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、
衆水、海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、
常に真実信心の天に覆えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、
如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀仏の本願念仏は、
邪見憍慢の悪衆生、
信楽受持すること、はなはだもって難し。
難の中の難、これに過ぎたるはなし。
印度・西天の論家、
中夏・日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、
如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
釈迦如来、楞伽山にして、
衆のために告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士世に出でて、
ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し、
歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、
易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然に即の時、必定に入る。
ただよく、常に如来の号を称して、
大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、
無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、
横超の大誓願を光闡す。
広く本願力の回向に由って、
群生を度せんがために、一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、
必ず大会衆の数に入ることを獲。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、
すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、
生死の園に入りて応化を示す、といえり。
本師、曇鸞は、梁の天子
常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
三蔵流支、浄教を授けしかば、
仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の『論』、註解して、
報土の因果、誓願に顕す。
往・還の回向は他力に由る。
正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、
生死即涅槃なりと証知せしむ。
必ず無量光明土に至れば、
諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、
ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、
像末法滅、同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、
安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。
善導独り、仏の正意を明かせり。
定散と逆悪とを矜哀して、
光明名号、因縁を顕す。
本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受けしめ、
慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、
すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。
源信、広く一代の教を開きて、
ひとえに安養に帰して、一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、
報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまうといえり。
本師・源空は、仏教に明らかにして、
善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。
選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、
決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽に入ることは、
必ず信心をもって能入とす、といえり。
弘経の大士・宗師等、
無辺の極濁悪を拯済したまう。
道俗時衆、共に同心に、
ただこの高僧の説を信ずべし。
不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、
世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、
国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、
希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。
重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量・無辺光、
無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、
不断・難思・無称光、
超日月光を放って、塵刹を照らす。
一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。
至心信楽の願を因とす。
等覚を成り、大涅槃を証することは、
必至滅度の願成就なり。
如来、世に興出したまうゆえは、
ただ弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、
如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、
衆水、海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、
常に真実信心の天に覆えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、
如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀仏の本願念仏は、
邪見憍慢の悪衆生、
信楽受持すること、はなはだもって難し。
難の中の難、これに過ぎたるはなし。
印度・西天の論家、
中夏・日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、
如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
釈迦如来、楞伽山にして、
衆のために告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士世に出でて、
ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し、
歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、
易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、
自然に即の時、必定に入る。
ただよく、常に如来の号を称して、
大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、
無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、
横超の大誓願を光闡す。
広く本願力の回向に由って、
群生を度せんがために、一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、
必ず大会衆の数に入ることを獲。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、
すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、
生死の園に入りて応化を示す、といえり。
本師、曇鸞は、梁の天子
常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
三蔵流支、浄教を授けしかば、
仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の『論』、註解して、
報土の因果、誓願に顕す。
往・還の回向は他力に由る。
正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、
生死即涅槃なりと証知せしむ。
必ず無量光明土に至れば、
諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、
ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、
像末法滅、同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、
安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。
善導独り、仏の正意を明かせり。
定散と逆悪とを矜哀して、
光明名号、因縁を顕す。
本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受けしめ、
慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、
すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。
源信、広く一代の教を開きて、
ひとえに安養に帰して、一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、
報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。
我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまうといえり。
本師・源空は、仏教に明らかにして、
善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。
選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、
決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽に入ることは、
必ず信心をもって能入とす、といえり。
弘経の大士・宗師等、
無辺の極濁悪を拯済したまう。
道俗時衆、共に同心に、
ただこの高僧の説を信ずべし。
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