2024年7月8日月曜日

囃子詞の由来と意味 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

囃子詞の由来と意味 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究

囃子詞の多くは、その語源がヘブライ語を中心とする西アジアの言語にあります。よってヘブライ語でそのまま読むことにより、意味を理解することができるものが少なくありません。いくつかの事例をあげてみましょう。

「アラヨ」とは、何かの拍子に発する詞であることから囃子詞にも多用されています。西アジア圏において「アラ」は「神」を指し、「ヨ」も「神」を意味することから、「アラヨ」とは「アラの神」を意味します。「ヨイサ」「ヨイショ」という誰もが聞く囃子詞は、「ヨ」が「神」、「イサ」は「救い」または「キリスト」の意であることから、発音のまま「神の救い」、「神キリスト」という言葉として理解できます。

「コリャ」という囃子詞も良く聞かれます。「コリャコリャ」と繰り返し唄うことにより、唄のモードが一気に盛り上がります。この「コリャ」という言葉はヘブライ語で、「声」を意味する「コル」と、「神」を意味する「ヤ」という2つの言葉が合わさったものであり、「神の声」という言葉になります。

また、「サッサ」「サンサ」というフレーズは囃子詞だけでなく、民謡のタイトルにも用いられています。「ササ」とは「喜ぶ」ことを意味するヘブライ語であることから「サッサ」の語源になったと想定されます。だからこそ、これらの民謡では「サッサ」と一同が喜び唄うのでしょう。

また、力を入れて何かをするときの掛け声として誰もが知る「ドッコイショ」という言葉もヘブライ語にルーツがあります。「ドケ」には「押しのける」という意味とともに「終わりが早くくる」、というニュアンスも秘められています。また「イシュ」は「神の救い」を意味することから、2つの言葉が合わさった「ドケイシュ」は、「神の救いを押しのけてまで得る」、すなわち、「神の救いよ、今すぐに!」という思いが込められた言葉だったのです。

特筆すべきは「エンヤ―」という囃子詞です。「エンヤ」はヘブライ語で「私と神」「私の神」を意味することから、神を讃えるお祭りで唄うにふさわしい言葉です。よって、「エンヤ」という言葉の響きをベースにした囃子詞は数多く存在し、大勢の人に親しまれているものが少なくありません。以下にその事例と、ヘブライ語の意味をまとめてみました。

ヘブライ語で解読できる「エンヤ」を含む囃子詞

「エンヤ―サー」(ソーラン節、閖上大漁祝唄)「私と神は行く!」
「エンヤ―ドット」(大漁唄い込み)「私の神、愛されている!」
「エンヤーコラヤ」(北海盆唄)「私の神、神の声!」
「エンヤラヤ」(祇園祭り)「私は神を讃える!」

囃子詞の意味をヘブライ語で解読できる民謡

「エンヤ」の事例からもわかるとおり、囃子詞の意味をヘブライ語で解読できる民謡は、全国に多数あり、多くの祭りや盆踊りで唄われています。囃子詞が明確にヘブライ語で解読できる事例を以下に挙げます。

北海道「ソーラン節」「大漁唄い込み」「出船音頭」
東北地方「ナギャドヤラ」「嘉瀬の奴踊り」「秋田音頭」「閖上大漁祝唄」「荘内おばこ節」「塩釜甚句」「石投甚句」「南部アイヤ節」「さんさ時雨」「姉こもさ」「最上川舟唄」「相馬二遍返し」「会津磐梯山」
中部地方「麦屋節」「といちんさ」「岩室甚句」「こきりこ節」「三国節」「木曽節」「伊那節」「安曇節」「おばば唄」

長年にわたり囃子詞を研究された川守田英二氏によると、上記の他にも、ヘブライ語で意味を理解することができる囃子詞を含む民謡が、全国各地に存在することについての説明が、著書「日本の中のユダヤ」に記載されています。それらの民謡には以下が含まれます。

東北地方青森「ヨサレ節」「アイヤ節」「ヤラサ節」
秋田「秋田甚句」
岩手「南部馬方節」
仙台「おいとこ節」
北陸地方富山「さんさい節」
関東地方栃木「足利小唄」
茨城「磯節」
千葉「木更津甚句」
中部地方静岡「ノーエ節」
新潟「佐渡おけさ」「越後盆踊り」「米山甚句」
石川「山中節」
近畿地方三重「伊勢音頭」「尾鷲節」
和歌山「串本節」
山陽・山陰地方岡山「コチェエー節」 島根「安来節」
四国地方高知「よさこい節」
九州地方福岡「博多節」「炭坑節」
大分「別府温泉節」「(宇佐八幡)マツカセ踊り」
熊本「キンキラキン」
鹿児島「小原節」

囃子詞の総括

民謡や盆踊りなどで唄われる囃子詞の中には、意味を持つものが少なくありません。地域に密着した文化の象徴ともいえる全国各地のお祭りで唄われる囃子詞は、一見、意味がない言葉の羅列と考えられがちですが、そこにはヘブライ語という外来語で意味を成す言葉も多く含まれていたのです。


剣山 山開き祭りそれらヘブライルーツの言葉がどのような経緯をもって、民謡の囃子詞として作詞作曲者が取り入れるようになったかは定かではありません。これらの囃子詞は古代から言い伝えられてきたものでしょうか。地域に土着した祭り文化とともに世代を超えて伝承されてきたのでしょうか。それとも作詞作曲者はヘブライ語を習得し、既に普及している囃子詞を参考に、類似した言葉の響きをもつ囃子詞を創作してきたのでしょうか。いずれにしても、民謡の囃子詞にはヘブライ語で意味をもつ言葉が多く存在することに変わりありません。

囃子詞の意味を解読し、民謡で唄われる歌詞の趣旨、意味合いを確かめることにより、古くから祭りごととして人々が祝い、唄い、歓喜のうちに時を過ごした日本人の宗教文化と信仰心の背景を垣間見ることができます。神社の創建を基軸とする宗教文化の開花、神への信仰心を表現するさまざまな祭りの文化、そしてその歓喜の場にて唄われてきた囃子詞の背景には、日本建国の歴史に深く関与したと考えられるイスラエルからの渡来者の存在が見え隠れしています。その結果、多くの囃子詞はヘブライ語で理解することができるのではないでしょうか。囃子詞の由来に関わる真相を見極めることにより、日本史のパンドラが開かれることになることを願ってやみません。


https://www.historyjp.com/article/27873/

囃子詞の由来と意味

民謡や盆踊りで唄われる囃子詞のルーツ

囃子詞とは

日本の民謡や歌謡などの音楽において、唄の出だし部分やその途中に唄全体を盛り上げて活気づけるために差し入れることばを、囃子詞といいます。これらの囃子詞の活用により、唄の調子がとれて抑揚がついてくることから、結果として人々の気もちを高揚させる役割を果たします。それが「舞を助ける声」とも言われる所以です。囃子詞の「はやし」とは、栄え映えを「はやす」という趣旨から「はやしことば」と言われるようになったという説もあります。

はやしことば「囃子詞」とは、「歌う本人が唱える(あるいは歌う)こともあるが,一般には第三者(複数の場合もある)が唱えることが多い」(世界大百科事典第2版)のが特徴です。そして囃子詞を多用する民謡においては、唄の中に差し入れられた囃子詞の抑揚とメロディーが一番印象に残りやすいことから、いつしか民謡の曲名はソーラン節のように、囃子詞がそのまま曲名となったものが多くあります。

囃子詞が積極的に用いられ、日本の民謡にて唄われることにより、唄全体が引き立つことは周知の事実です。これらの囃子詞は、民謡作家により選別され、唄を盛り上げて大衆を高揚させるため、重要な役割を果たしてきました。そして民謡のメロディーの節とうまく合致した囃子詞が差し入れられることにより、唄全体が囃子詞によって人々の心に残るようになり、いつしか時代を超えてまで人々に覚えられるようになったのです。

囃子詞には意味がない?

日本国語大辞典によると、囃子詞とは「意味のないことば」とされています。日本語では意味のない一種の掛け声のようなことばを唄の合間に挿入することにより、唄全体の雰囲気を盛り上げ、音頭をとる役割を果たしているということになります。

これまでの定説では、囃子詞には意味がなく、単なる無意味な言葉の連鎖、寄せ集めのように考えられていました。しかしながら、全国各地で唄われる民謡やさまざまな音頭、唄の中で使われている囃子詞を検証すると、すべてに意味がないとは一概に言えないことがわかってきました。「新明解国語辞典」には「意味のわからないものが多い」と記載されていることから、囃子詞の中には、趣旨が明確にわかる言葉も少しは含まれていることが想定されます。

実際、囃子詞にはいろいろな種類があり、その中には日本語で意味をなす囃子詞もあれば、外来語として、外国語で読むと意味が通じるものが少なくありません。それ故、囃子詞を定義づける際には、意味のない言葉と一蹴するのではなく、さまざまな視点から検証したうえで、意味をもつ言葉であるかどうかを見極める必要があります。

囃子詞の種類

1. 日本語を流用した囃子詞

囃子詞を活用する目的は、唄そのものを高揚させ、大衆の心に響く言葉を誰もが口ずさむようになることです。よって、意味のある日本語でも、メロディーの流れに合致し、抑揚にインパクトがあり、心に残るまでの面白さがあれば、囃子詞が日本語であっても何ら問題はないのです。

「万歳節」の「バンザイ」という囃子詞は、まさに日本語そのものであり、「万歳」という言葉を囃子詞の抑揚とともに用いて、作者がフルに活用したものと考えられます。また、「のんき節」で唄われる「はは、のんきだね」も、日本語をそのまま囃子詞に流用したものでしょう。「ズンドコ節」と言われる海軍小唄では、命を賭けて戦地に赴いた兵士らの「どん底」の思いが囃子詞となり、「どん底」が多少訛って「ズンドコ」と唄われるようになったと考えられます。

また、「はい」のような感動詞を囃子詞として用いることがあります。そして唄の中で「ハイハイ」と囃すことにより、詞に勢いをつけて唄全体を盛り上げていくのです。このように、日常使われている言葉も、囃子詞として用いられている唄も散見されます。

2. 諸説があり語源が不明な囃子詞

兵庫県の丹波地方を中心に唄われる「デカンショ節」の囃子詞は、その語源と由来に諸説があります。「デカルト」「カント」「ショーペンハワー」三大哲学者の頭文字をとって並べたという説や、「ドッコイショ」が語源であり、それが「デッコンショ」、「デカンショ」に訛ったという説、また、今宵、飲み明かすことを意味することを「徹今宵」、すなわち「デカンショ」と言うようになったとか、さらには「出稼ぎしよう」が「デカンショ」に訛ったという説など、様々です。そしていずれの説も定説に至ることがないことから、語源や由来がわからないままになっています。

また、「しょんがいな」という囃子詞もありますが、その語源は「そうかいな」、「しょうがないな」などの諸説があり、これも定説がありません。その結果、多くの方が口ずさむ囃子詞であっても、意味が不透明のままなのです。このような囃子詞が少なくありません。

3. そもそも意味のない囃子詞

囃子詞は唄を盛り上げるためならば、ありとあらゆる詞を活用して、人々の心に残る思いでの歌詞を繰り広げます。例えば岩手県の岩手山で唄われる「お山かけ3里」の「おやまかちゃんりん」という囃子詞は、お山かけしようとする人々が、山を登る際につけていた鈴の音から、「ちゃんりん」という音にあわせ、何ら意味はなくても、「オヤマカチャンリン」と唄うようになったと伝えられています。「チャンリン」という鈴の音は意味がなくとも、いつしか囃子詞に取り入れられ、その心地良い言葉の抑揚と共に、人々の心に残るメロディーと唄の言葉になったのです。

明治時代に流行した演歌の囃子詞、「オッペケペー」も、意味のない言葉として知られています。心に響く、面白さ、可笑しさ、楽しさがある詞であり、その発音、イントネーションの印象も独特なものであることから、囃子詞として活用されたものと考えられます。このように、意味のない言葉が囃子詞として用いられるケースもあります。

4. 外来語の囃子詞

囃子詞の多くは、その語源がヘブライ語を中心とする西アジアの言語にあります。よってヘブライ語でそのまま読むことにより、意味を理解することができるものが少なくありません。いくつかの事例をあげてみましょう。

「アラヨ」とは、何かの拍子に発する詞であることから囃子詞にも多用されています。西アジア圏において「アラ」は「神」を指し、「ヨ」も「神」を意味することから、「アラヨ」とは「アラの神」を意味します。「ヨイサ」「ヨイショ」という誰もが聞く囃子詞は、「ヨ」が「神」、「イサ」は「救い」または「キリスト」の意であることから、発音のまま「神の救い」、「神キリスト」という言葉として理解できます。

「コリャ」という囃子詞も良く聞かれます。「コリャコリャ」と繰り返し唄うことにより、唄のモードが一気に盛り上がります。この「コリャ」という言葉はヘブライ語で、「声」を意味する「コル」と、「神」を意味する「ヤ」という2つの言葉が合わさったものであり、「神の声」という言葉になります。

また、「サッサ」「サンサ」というフレーズは囃子詞だけでなく、民謡のタイトルにも用いられています。「ササ」とは「喜ぶ」ことを意味するヘブライ語であることから「サッサ」の語源になったと想定されます。だからこそ、これらの民謡では「サッサ」と一同が喜び唄うのでしょう。

また、力を入れて何かをするときの掛け声として誰もが知る「ドッコイショ」という言葉もヘブライ語にルーツがあります。「ドケ」には「押しのける」という意味とともに「終わりが早くくる」、というニュアンスも秘められています。また「イシュ」は「神の救い」を意味することから、2つの言葉が合わさった「ドケイシュ」は、「神の救いを押しのけてまで得る」、すなわち、「神の救いよ、今すぐに!」という思いが込められた言葉だったのです。

特筆すべきは「エンヤ―」という囃子詞です。「エンヤ」はヘブライ語で「私と神」「私の神」を意味することから、神を讃えるお祭りで唄うにふさわしい言葉です。よって、「エンヤ」という言葉の響きをベースにした囃子詞は数多く存在し、大勢の人に親しまれているものが少なくありません。以下にその事例と、ヘブライ語の意味をまとめてみました。

ヘブライ語で解読できる「エンヤ」を含む囃子詞

「エンヤ―サー」 (ソーラン節、閖上大漁祝唄) 「私と神は行く!」
「エンヤ―ドット」 (大漁唄い込み) 「私の神、愛されている!」
「エンヤーコラヤ」 (北海盆唄) 「私の神、神の声!」
「エンヤラヤ」 (祇園祭り) 「私は神を讃える!」

囃子詞の意味をヘブライ語で解読できる民謡

「エンヤ」の事例からもわかるとおり、囃子詞の意味をヘブライ語で解読できる民謡は、全国に多数あり、多くの祭りや盆踊りで唄われています。囃子詞が明確にヘブライ語で解読できる事例を以下に挙げます。

長年にわたり囃子詞を研究された川守田英二氏によると、上記の他にも、ヘブライ語で意味を理解することができる囃子詞を含む民謡が、全国各地に存在することについての説明が、著書「日本の中のユダヤ」に記載されています。それらの民謡には以下が含まれます。

東北地方 青森「ヨサレ節」「アイヤ節」「ヤラサ節」
秋田「秋田甚句」
岩手「南部馬方節」
仙台「おいとこ節」
北陸地方 富山「さんさい節」
関東地方 栃木「足利小唄」
茨城「磯節」
千葉「木更津甚句」
中部地方 静岡「ノーエ節」
新潟「佐渡おけさ」「越後盆踊り」「米山甚句」
石川「山中節」
近畿地方 三重「伊勢音頭」「尾鷲節」
和歌山「串本節」
山陽・山陰地方 岡山「コチェエー節」 島根「安来節」
四国地方 高知「よさこい節」
九州地方 福岡「博多節」「炭坑節」
大分「別府温泉節」「(宇佐八幡)マツカセ踊り」
熊本「キンキラキン」
鹿児島「小原節」

囃子詞の総括

民謡や盆踊りなどで唄われる囃子詞の中には、意味を持つものが少なくありません。地域に密着した文化の象徴ともいえる全国各地のお祭りで唄われる囃子詞は、一見、意味がない言葉の羅列と考えられがちですが、そこにはヘブライ語という外来語で意味を成す言葉も多く含まれていたのです。

それらヘブライルーツの言葉がどのような経緯をもって、民謡の囃子詞として作詞作曲者が取り入れるようになったかは定かではありません。これらの囃子詞は古代から言い伝えられてきたものでしょうか。地域に土着した祭り文化とともに世代を超えて伝承されてきたのでしょうか。それとも作詞作曲者はヘブライ語を習得し、既に普及している囃子詞を参考に、類似した言葉の響きをもつ囃子詞を創作してきたのでしょうか。いずれにしても、民謡の囃子詞にはヘブライ語で意味をもつ言葉が多く存在することに変わりありません。

囃子詞の意味を解読し、民謡で唄われる歌詞の趣旨、意味合いを確かめることにより、古くから祭りごととして人々が祝い、唄い、歓喜のうちに時を過ごした日本人の宗教文化と信仰心の背景を垣間見ることができます。神社の創建を基軸とする宗教文化の開花、神への信仰心を表現するさまざまな祭りの文化、そしてその歓喜の場にて唄われてきた囃子詞の背景には、日本建国の歴史に深く関与したと考えられるイスラエルからの渡来者の存在が見え隠れしています。その結果、多くの囃子詞はヘブライ語で理解することができるのではないでしょうか。囃子詞の由来に関わる真相を見極めることにより、日本史のパンドラが開かれることになることを願ってやみません。

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