2024年7月11日木曜日

【やくざと芸能と/なべおさみ】要約まとめ:旧・本を聴く日々:So-netブログ

【やくざと芸能と/なべおさみ】要約まとめ:旧・本を聴く日々:So-netブログ
【やくざと芸能と/なべおさみ】要約まとめ:旧・本を聴く日々:So-netブログ
https://donhenley.blog.ss-blog.jp/2014-07-22

一つは皇居の話。縁があって皇居に出入りする機会があり、その時は奥さん、娘さん、三代目田岡組長の娘さんと桜を見てた。とそこへ両陛下がホンダの古い小型車に乗って来られた。車を停め声をかけて下さったと。みんな涙が止まらなかった。特に田岡さんは父親の三代目組長が天皇を崇めていたので、
三代目に世話になった返礼のひとつにもなり、万感であったと。

【やくざと芸能と/なべおさみ】要約まとめ [本/歴史地政]



【やくざと芸能と/なべおさみ/14年5月】
さらっと読んでボツ本にするつもりでした。芸能本には期待してないので。だけど望外に面白かった。これ読んでる間は他の本に手がいかない、ノンストップ本です。今週号のジャンプにさえ手がいかなかった(最近は千代の富士みたいな日本人横綱を目指す相撲マンガが面白い)。

自叙伝です。75歳なので出してもいい頃なんでしょう。なべおさみは地味な印象しかなかったので、そんな凄い人たちと繋がってたのかという。もはや伝説の人々との交友回顧録は一読の価値ありです。

本書の構成は、デビュー前の半グレ時代の武勇伝、ナベプロ時代の凄い交友回顧、民俗学の研究、政治支援活動です。

半グレの話は面白い。銀座三悪と言われた同伴喫茶の「ダイアモンド」を仕切り、「ダイアモンドの渡辺」の名前を出せば、トラブルに巻き込まれない「パーティー券」を1枚100円で売ってたそうです。5枚から10枚買えば、トラブルから除外される。1955年大人の銭湯が12円の時代です。なんかブラックエンペラーの宇梶剛士みたいです。


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ナベプロ以降の話は、大物との交友が凄くて、へ~という話のオンパレードなんですが、印象に残ったのは三つです。

一つは皇居の話。縁があって皇居に出入りする機会があり、その時は奥さん、娘さん、三代目田岡組長の娘さんと桜を見てた。とそこへ両陛下がホンダの古い小型車に乗って来られた。車を停め声をかけて下さったと。みんな涙が止まらなかった。特に田岡さんは父親の三代目組長が天皇を崇めていたので、
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三代目に世話になった返礼のひとつにもなり、万感であったと。



二つ目は美人の扇千景の話。
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安倍晋太郎から参院選出馬をすすめられた赤坂の料亭。固く辞退し一緒にいた扇千景をなべおさみが推した。それで扇千景は参院議員になった。



三つ目は1960年の四人衆の集いです。裕次郎、ひばり、勝新太郎、水原弘の4人で毎晩朝方まで飲んでた。店は貸し切りで水原の付き人のなべがずっと世話をしてた。なべ20歳、ひばり22歳、水原24歳、裕次郎25歳、勝28歳の時代です。レミーマルタンをフルーツ盛り皿になみなみと注ぎ、4人で飲んでたそうです。


これも望外でしたが、民俗学についてかなり本格的に研究してます。芸能の原点を求めると浅草弾左衛門や芝浦の仁太夫の乞胸業に行き当たり、古文書を当たると部落問題に直面する。部落解放同盟のシンクタンクである沖浦名誉教授に教えを授かっている。

やくざのルーツをたどり祭りに行きつき、語源を探ってるとヘブライ語に行きついた。やくざの語源はヘブライ語からきている。今は「日本に潜在するユダヤ文化」を研究して、杣浩二、久保有政、小久保乾門に師事していると。

ぼくも最近ヘブライ語と日本語の同一性に驚愕し、何か読みやすい本を探してるところなので、タイムリーでした。本はまだ少ないけど(あんまり需要がないのかも。ユダヤと一緒と言われても微妙だし)ネットにはいろいろ面白い話が転がってます。君が代は日本語だと意味不明ですが、ヘブライ語だと意味が通じるんですよね。

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=171
「日本語」   「ヘブライ語」

君が代は    クムガヨワ
千代に     テヨニ
八千代に    ヤ・チヨニ
細石の     サッ・サリード
巌となりて    イワ・オト・ナリァタ
苔の生すまで  コ(ル)カノ・ムーシュマッテ

ヘブライ語の意味↓
「立ち上がれ、神を讃えよ 神の選民 シオンの民  
 選民として 喜べ 人類を救う残りの民として  
 神の予言が成就する 全地あまねく 宣べ伝えよ」

大山巌が古今和歌集(詠み人知らず)からチョイスしたのですが、
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ヘブライ語との関連までは気にしてなかったと思います。君が代の起源は以下(日本辺境論の過去記事より)。

「君が代の起源:イギリス公使館にいた軍楽隊長のJ.W.フェントンが、ヨーロッパにはどこの国でも国歌というものがあって、儀礼の時には演奏するので、日本もないとまずいとアドヴァイスしたのが国歌制定のきっかけです。

歌詞は古今和歌集の賀歌を原型に。曲は上記のフェントンが作曲したが洋風の音階でなじみが悪くて、宮内省の雅楽の伶人によって改作。それをドイツ人フランツ・エッケルトがアレンジした。」

なべさん、このへんの面白い本でも書いてくれないかな。

その他の読書メモを。


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<江戸前>
江戸という町は品川宿から内で、多摩川の河口あたりから品川まで続く東海道は海辺寄りにあった。この辺の江戸湾は、江戸に入る一歩手前の海だから「江戸前」と呼ばれた。前浜で仕事をする漁師たちは、朝早くから天秤棒で荷って江戸内に出かけて商った。周辺の気質として面倒くさいことが嫌いな、腹に二心のない、せっかちな者が多かった。魚は足が早いから、気が短いのだ。



<白洲次郎とのジャズ喫茶テネシーでの会話>
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「世の中のすべての物はね、三つの物があると思う」
「一つ本物、二つ偽物、三つ、これは見分けにくいものでね、似て非なるものと書いて、似非物と言うんだ」
物にも人にも必ずこの三つがあるから、これを見分けられる人間に君はなりなさいと教えて下さった。そのためにはたくさん本物に会うことだと。



<武士道>
「武士道と云うは、死ぬ事と見つけたり」
山本常朝による葉隠武士の精神だ。右へ行ったら恥辱にまみれた道だ。左へ行っても恥辱にさいなまれる道だ。その時武士たるものは躊躇なく腹を切ることが肝要であり、それが道だということ。



<香具師 やし>
仏教が伝来して、仏具を売る段になって困った時に利用されたのが、武士の職を失って浪人となっている御家人。彼らは学を修め常識に長けている。当時高かった仏具を近郷の分限者に売り捌くには、応分の能書きを並べる必要があった。それに浪人が適合した。この人々は被差別民の中に組み込まれ、物売りは表通りで商売はできなかったため、香具師は祭礼の寺社境内や河原に生活の場を求めた。

香具師はテキヤと今は呼ばれているが、それは江戸時代になり、店を構えるものは店名を奉行所に届けるようになったことがきっかけ。当時の江戸の裏店で香具師の人々は、半弓を使った射的屋をやっていた。これは表向きの商売で、二階で体を売る射的娘の売春が本当の業であった。いわゆる青線。店先には大きな射的がぶら下がっていた。

店名はなく、お上への申告書には「的屋」と書いて出した。マトヤだった。これを役人はテキヤと勘違いして、以後は香具師、的屋、となった。



<やくざと芸能>
芸人は稼ぎ場所が被差別地の寺社境内か河原と定められていた。そこで掛け小屋の他にも、各地の分限者の門前や披露の場などで揉め事の仲介に、やくざに庇護を受けた。水商売も酔っ払いのトラブル対策で同じような庇護を受けた。三者はもちつもたれる永い時代を生きてきた。



<ユダヤと日本>
「神社」が古代ユダヤ人の「幕屋」であることや、「御神輿」が「契約の箱」を模したものだという事は、イスラエルや日本の識者の一部では常識になっている。

紀元前に渡来したイスラエルの消えた十部族は、縄文時代、つまり大和朝廷時代までに何万人を超す渡来を果たして、あらゆるハイテクを日本列島にもたらし、文化を八世紀までに確立した。そうした事実は「日本書記」と「古事記」を歴史書の基本とする日本の学説では「異端」とされている。

イスラエルの民は、中国や朝鮮を経過し、その他の文明を吸収しながらそれを日本に持ち込んで住み着いた。まだ日本の人口が50万人程度の縄文時代に、どっと民度の高い人々が来て、先住の民を追いやり、焼畑農耕から水稲農耕へ転換した。



<インドのカースト>
①ブラーマン=僧侶、②クシャトリカ=王、貴族、武士、③バイシャ=商、工など庶民、④シュードラ=農奴、⑤不可触民

①から④までで3500段、⑤で1500段、カースト制度の身分は5000階級もある。



<町奉行>
江戸の町は、南町奉行所と北町奉行所が安全を守っていた。南北の奉行所の役人、小者の給金は、すべて浅草弾左衛門(穢多・非人頭)の支払う金で賄われていた。

町奉行は現在の東京都知事であり、警視総監であり、高裁長官、消防庁長官も兼ねていた。その配下には25人の与力と120人の同心がいた。南北合わせると290人(ちなみに大阪は東西で160人)。町奉行は江戸全体の2割を担当していて、町民の住む地域だけの行動範囲だった。武家地や寺社地は関与しない。被差別部落の穢多・非人も関与から外している(定められた事を踏み外せば取り締まった)。

奉行所の賄がどこから出ているか役人は知っていた。吉原遊郭の上りから支出されているため、他での売春を厳しく取り締まった。「ほか」の場所で女を売るから「ほか場所」、それが訛って「岡場所」になった。「ほかばっかり、しょっぴきやがって」が「ほかっぴき」となり、「岡っ引き」となった。

290人では足りないので、給金のないままに手助けしてくれるもの、銭形平次とか伝七が活躍した。目明しとも呼ばれるが、その多くは元々犯罪者だった。お上の情けから使われる身になって、与力、同心の下で働いた。

岡っ引きも、その下で働く下っ引きも定収入がなく、こまめに町場を見回り、商家を守ってやる。すると応分の袖の下が入ってくる。




玉置浩二で「君が代」独唱♪ 










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slowslow2772さんによるXでのポスト 白馬寺

https://x.com/slowslow2772/status/1870755067856564444?s=61     slowslow2772 ⁦‪@slowslow2772‬⁩ 使徒トマス pic.x.com/cQvfnZHbWu   2024/12/22 17:55 ...