壬申の乱 大野の丘(得度山潅頂院 大野寺)
大野寺は天智天皇の建立とされる古刹。山号を得道山 潅頂院と号しているのは、天武天皇(当時は大海人皇子)が出家し「陛下の為に功徳(のりのこと)を修はむ」として仏門に入り、壬申の乱に及んで戦勝を祈願したことに因んで冠したもの。
壬申の乱は大友皇子軍の淡海の大津宮を阿波吉野川下流域北岸の鳴門市大津町木津とし、大海人皇子軍の吉野宮を上流域北岸の三好郡三野町加茂宮として、天武天皇紀の戦闘記事を当てはめれば、本来の壬申の乱の舞台が掴めます。
⚫︎粟津:鳴門市里浦町粟津
⚫︎菟田(うだ):板野郡土成町鵜田尾(うのたお)
⚫︎鈴鹿:板野郡土成町樫原を流れる鈴川(すずかわ)
⚫︎美濃:三好郡三野町
⚫︎吉野宮:三好郡三野町加茂野宮
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大野寺の北側、国道192号線がまさに丘になるのです。
現在の大野寺は閑散としておりますが、天智天皇勅願にかかる郡内第一の古刹。
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