2024年7月21日日曜日

ヤファエの正体|きーの歴史沼チャンネル

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ヤファエの正体

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お元気様です!シン・歴史沼チャンネルのきーです。

強烈な信仰の対象であるユダヤ教の唯一神ヤファエとはなんなのか?
ヤファエ信仰の元となったある神様の存在とは?
古代エジプトの長い歴史で異彩を放つ月の神ラーとは?

意外と知らないヤファエの正体について深掘りしていきます。

このチャンネルは知識の量や深さに関係なく、歴史を楽しむコンテンツを聞き流しスタイルで紹介しているのでよかったらチャンネル登録よろしくお願いします。

ヤファエとは?

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まずヤファエとは…ということを簡単におさらいしておきましょう。

旧約聖書は、ユダヤ教とキリスト教の基盤となる聖典であり、ヤハウェという唯一神を中心とした物語が展開されます。
その中で、ヤハウェは、天地創造から人間の救済まで、あらゆる偉業を行い、旧約聖書全体を通して重要な役割を果たしています。

ヤハウェの属性と役割5つ

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ヤハウェは、旧約聖書において5つの属性と役割を持つ唯一神として描かれています。

  • 創造主: 天地万物を創造した存在であり、宇宙の支配者です。

  • 救い主: 選民であるイスラエル民族を奴隷状態から救い出し、約束の地カナンへと導いた存在です。

  • 律法者: モーセを通して十戒を与え、イスラエル民族に倫理と秩序を与えた存在です。

  • 契約の神: イスラエル民族と契約を結び、彼らを特別な民として選んだ存在です。

  • 審判者: 正義と慈悲に基づいて、人間を裁く存在です。時には人間に過酷な罰を与えます。
    その一つが、(創世記 18-19章)に記されるソドムとゴモラの滅亡です。
    ソドムとゴモラは、極悪非道な都市として知られていました。ヤハウェはアブラハムにこの都市の滅亡を告げ、ロトとその家族を避難させました。その後、硫黄の雨を降らせてこれらの都市を滅ぼしました。この出来事は、神が義しい者を保護し、悪者は都市ごと裁くことを示しています。
    ほかには、ノアの方舟のエピソードでノア家族以外を滅亡させたり、この過酷さはときに選ばれた民であるイスラエル民族にも向けられ、出エジプトの際には40年間荒野を放浪させました。
    これは、彼らが神に従わなかったからですが、ヤファエはこのときに食物であるマナを与え、水を湧き出させ、十戒を与えました。これは、神は忠実な者を養い、導くことを示しています。

ヤハウェが行った主要な出来事

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ヤハウェは、旧約聖書全体を通して様々な偉業を行いますが、特に以下の出来事が重要です。

  • 天地創造:

    • 創世記において、ヤハウェは言葉の力によって天地万物を六日間で創造しました。

  • アブラハムの召命:

    • ヤハウェは遊牧民アブラハムを召し、彼にカナンの地を与えると約束しました。アブラハムはユダヤ民族の祖先となります。

  • イスラエル民族の奴隷解放:

    • イスラエル民族はエジプトで奴隷となっていましたが、ヤハウェはモーセを通して彼らを解放し、約束の地カナンへと導きました。

  • 十戒の授与:

    • シナイ山において、ヤハウェはモーセに十戒を与え、イスラエル民族に倫理と秩序を与えました。

  • ダビデ王国の建国:

    • ヤハウェはダビデを王に選び、イスラエル民族に平和と繁栄をもたらしました。

ヤハウェの偉業の影響

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ヤハウェの偉業は、旧約聖書全体に以下のような影響を与えました。

  • 唯一神への信仰:

    • ヤハウェは唯一の神として崇拝されるようになり、多神教的な信仰は廃されました。

  • 倫理と秩序の確立:

    • 十戒をはじめとするヤハウェの教えは、イスラエル民族に倫理と秩序を与え、社会の基盤となりました。

  • 救いの希望:

    • ヤハウェは選民であるイスラエル民族を救い、約束の地を与えました。このことは、将来における人類の救済への希望となりました。

ヤファエは他の宗教にも影響を及ぼした

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ヤハウェは、旧約聖書において唯一神として重要な役割を果たし、天地創造イスラエル民族の救済律法の授与など、様々な偉業を行いました。これらの偉業は、ユダヤ教とキリスト教の信仰の基盤となり、後の宗教や文化にも大きな影響を与えました。

ヤファエの正体とは?

ヤファエについて大まかにわかったところで、ではヤファエの正体に迫っていきましょう。

ヤファエの正体に迫るために、ユダヤ教が生まれた地である約束の地とも呼ばれるカナンという場所に迫っていきましょう。

カナンの地:神々が息づく交差点

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カナンの地は、現在のシリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン、パレスチナあたりに広がる肥沃な土地です。古代から東西の交易路が交差する交通の要衝であり、様々な民族が行き交い、独自の文化を築き上げてきました。

そして、この地には、それぞれの民族が信仰する神々がいました。豊穣の神、戦いの神、愛の神、死の神… まるで神様たちのテーマパークですね!

中でも有名なのが、バアルと呼ばれる雷雨の神です。農耕にとって重要な雨をもたらす神として、広く信仰されていました。また、アスタルトと呼ばれる愛と戦いの女神も人気でした。美貌と強さを兼ね備えた彼女は、カナンの女性たちの憧れの存在だったようです。

ヘブライ人登場!唯一神ヤハウェとの出会い

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そんな多神教的世界に、突如現れたのがヘブライ人です。彼らは、唯一神ヤハウェを信仰していました。ヤハウェは、天地創造者であり、ヘブライ人を導く特別な神だと信じられていました。

ヘブライ人は、カナンの地で暮らす中で、周辺の神々と出会い、影響を受けながら独自の信仰を築いていきました。そして、カナンの神々を「エロヒム」と呼ぶようになりました。

エロヒム:単数神?多神?それとも…

「エロヒム」は、ヘブライ語で「神」を意味する言葉です。しかし、単に「神」というだけでなく、様々な解釈がされています。

  • 唯一神ヤハウェを指す場合

  • カナンの神々を指す場合

  • 権力者や裁判官を指す場合

  • 天使を指す場合

  • 抽象的な力や概念を指す場合

このように、「エロヒム」は文脈によって様々な意味を持つ、非常に複雑な言葉なのです。

ヘブライ人とエロヒムの複雑な関係

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ヘブライ人の信仰において、「エロヒム」はどのように扱われてきたのでしょうか?

初期のヘブライ人は、カナンの神々を「エロヒム」と呼び、彼らを崇拝していた可能性があります。しかし、ヤハウェ信仰が確立されると、「エロヒム」はヤハウェと同一視されるようになりました。

一方、カナンの神々を完全に否定するのではなく、「エロヒム」という言葉を使い分けて、ヤハウェと区別することもありました。

このように、ヘブライ人と「エロヒム」の関係は、単純なものではなく、時代や状況によって変化してきたと言えるでしょう。

ユダヤ教におけるエロヒム

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現代のユダヤ教では、ヤハウェが唯一神であり、「エロヒム」という言葉はあまり使われません。しかし、正統派ユダヤ教では、神の名を直接呼ぶことを避けるため、「エロヒム」という名前も時々使われます。

一方、カバラなどの神秘主義においては、「エロヒム」に関する様々な解釈が存在します。

ヤファエとエロヒムとの関係

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カナンの地ではエロヒムという神が信仰されており、ヤファエやヘブライ人のちのイスラエル人やユダヤ人に大きな影響を及ぼしていたことがわかりました。

ではヤファエエロヒムとはどのような関係なのでしょうか?

旧約聖書中の一書で、モーセ五書(トーラー)のうちの一書に数えられる『申命記』の中でも古い伝承に属するものとされる詩句があります。

いと高き神が国々の土地を分け

人の子らを割りふられたとき

神の子らの数に従い

国々の境を設けられた。

主に割り当てられたのはその民

ヤコブが主に定められた嗣業。

(「申命記」32章8-9節)

ここで、「いと高き神」がまさにエロヒムで、「主」ヤハウェに相当します。

そうすると、至高神としてエロヒムが座し、その下にいる神々に民族を割り振った。その中でも、ヤハウエに割り当てられたのは、ヤコブ=イスラエル民族である、ということになります。

つまり、エロヒムが最高神であり、ヤハウェはエロヒムに命じられてイスラエル民族(ユダヤ民族)を担当することになった民族神であるということです。

ヤファエはどこから来たのか?

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それでは、ヤハウェの出自はどこからであるのか?それがまさに、「出エジプト記」でモーセに十戒を授ける場面で語られています。

わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の国から導き出した神である。

(「出エジプト記」20章2節)

重要なのは、そもそもモーセが初めてヤハウェから啓示を受けたとき、ヤハウエを知らなかったという事実です。
なぜなら、モーセはヤハウェに「あなたはどなたですか?」という風に訪ねています。

モーセは神に尋ねた。

「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うに違いありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」

(「出エジプト記」3章13節)

そこで、続けて神から有名な答えが返ってきます。

神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」

(「出エジプト記」3章14節)

このように、ヤハウェはもともとのカナン地方の神ではなく、「出エジプト」以来の神である可能性が高いのです。

それが、「出エジプト」以降、ヘブライ人がカナン地方へ移住し、現地の民族と混交が進むにつれて、カナン地方で最高神とされていたエロヒムと、出エジプト以来の神であるヤハウェが混同されていった。こういう経緯が推測されています。

実は、ヤハウェが「ずっと南方の方(シナイ)からやってきた」ことを伺わせる記述が聖書にはあります。

主はシナイより来り

セイルから人々の上に輝き昇り

バランの山から顕現される。

主は千よろずの聖なるものを従えて来られる。

その右の手には燃える炎がある。

「申命記」33章2節

"千よろずの聖なるものを従えている""右手には燃える炎"という記載があることから主=ヤファエは戦の神としての側面があることがわかります。

そして

主よ、あなたがセイルを出で立ち

エドムの野から進み行かれるとき

地は震え

天もまた滴らせた。

雲が水を滴らせた。

山々は、シナイにいます神、主の御前に

イスラエルの神、主の御前に溶け去った。

(「士師記」5章4−5節)

"地を震わせ、雲から水を降らせた"という記載からは、主=ヤファエは「嵐の神」としての側面があることがわかります。

実は、旧約聖書において「シナイ」が具体的にどの山を指すのかは特定できないようなのですが、パレスチナから見て南方の荒野であることは間違いがなさそうです。

ヤハウェの出自は、シナイの「戦さ神」「嵐の神」なのです。

ヤファエと日本神話の神々

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ヤファエがどんな神なのか?がわかったところで、ヤファエが日本の神話や日本神道にどのような関係があるか?探っていきます。

エジプト神ラーと日本のツクヨミ

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エジプトでラーといえば、太陽神を思い浮かべる方も多いかもしれません。

ラーは国家神として崇拝され、王権の正統性を支え、人々の生活に精神的な支えを与え、エジプト文明の発展に大きく貢献しました。

しかしラーはエジプト第18王朝においては月の神としての側面も持ち合わせていました。これは、ラー神が夜になると冥界へ行き、そこで再生の準備をするという神話に基づいています。冥界は月と関連付けられることが多く、そのためラー神は月の神とも考えられました。

これにはアムル人の影響があるとされています。

第18王朝初期、聖書でカナンの地とされているシリアやパレスチナ地方を起源とする遊牧民集団であるアムル人がエジプトに侵入しました。彼らは大きな脅威となりましたが、その後、エジプト軍との戦いに敗れ、エジプトに定住するようになりました。

ラー神信仰も、アムル人の影響を受けました。アムル人は、もともと月を崇拝する文化を持っていました。そのため、エジプトに定住した後も、アムル人の影響でラー神の月の神としての側面を重視するようになりました。

アラム人が月神の信仰を持つ理由は、彼らが遊牧民族だからです。
太陽の恵みにより生活をする農耕民族と違って、遊牧民は良い牧草地帯を求めて各地を転々とします。

夜でも明かりも灯してくれる月は、遊牧民にとって信仰の対象になります。

アムル人の影響を受けた王の中で最も有名なのが、アクエンアテンです。彼は唯一神アテン信仰を推進しましたが、そのアテン神は、ラー神の太陽神としての側面月の神としての側面を融合したような神と考えられています。

そしてこの月の神ラーの別名はYAH(ヤー)と呼ばれていました。
今回の動画の主人公であるユダヤ教の唯一神ヤファエの初期の名前もYAH(ヤー)と呼ばれていました。

そしてこのエジプト18王朝時代にエジプトにいたのは、アムル人だけではありません。
エジプトで宰相になっていたヨセフの助けで、エジプトで暮らしていたのちにイスラエル12部族がエジプトにいた時代もこのエジプト18王朝です。

そのため唯一神アテン信仰は、ユダヤ教の一神教にも影響したと考えられています。
そしてイスラエル12部族に数えられるのは兄弟で唯一エジプトにいたヨセフ自身ではなく、その子であるマナセ族エフライム族です。

早い段階からエジプトにいたと考えられるこのマナセ族とエフライム族は、ユダヤ人はY遺伝子のE系統が多い中、この2部族だけ縄文人と同じD系統を持っていたとされます。

月神であるラーまたの名をヤファエと同じヤーを信仰していた時代にエジプトにいた、縄文人と同じD遺伝子系統を持つマナセ族とエフライム族。
そして縄文人いわゆる古代日本人の月の神は、ツクヨミだと考えるとエジプトヤファエツクヨミは何か関係があるかもしれません。

日本古来の渡来系氏族である秦氏とツクヨミの関係は、こちらの動画でも紹介していますが、ツクヨミとの関係が深いかもしれないシルクロードの北方沿いにある弓月国を作ったのは、ガド族ルベン族そしてマナセ族です。

ツクヨミとエジプトの月の神ラーとヤファエの関係については別の動画で深堀する予定なので、楽しみにいていてください。

ユダヤ教の過越祭とスサノオの疫病信仰の共通点

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前回の動画でユダヤ教の過越祭について紹介しました。

過越祭とは、出エジプトの際にヤファエが10の災いをエジプトにもたらすとされたときに、モーセは神の指示通りイスラエルの民の家の二本の門柱と、鴨居に、子羊の血をつけさせ、イスラエルの民だけ災いを過ぎ越すことができ、エジプトを脱して奴隷から解放されたということを記念して行われる祭のことをいいます。

この10の災いは、疫病だったといわれており、このことからヤファエは疫病をもたらす神という側面があることがわかります。

そして日本の伝承にも似たような話があります。

それは、蘇民将来のお話です。
蘇民将来とは、昔々、ある村に蘇民将来という兄弟がいました。蘇民は貧しいながらも心優しい性格でしたが、将来は裕福でしたが高慢な性格でした。

ある日、旅の神である牛頭天王が蘇民の家を訪れ、一夜の宿を借りました。貧しい蘇民は粟飯や麦を振る舞うのがやっとでしたが、将来は裕福な暮らしを鼻にかけ、牛頭天王を追い返してしまいました。

翌朝、牛頭天王は蘇民と将来にそれぞれお礼の言葉を述べ、蘇民には「蘇民将来子孫也」と書かれた木札を与え、将来には厳しい言葉を投げかけました。

そして、その夜に疫病神が村を訪れ、将来の家は病に倒れてしまいました。一方、蘇民は牛頭天王の言葉を信じて木札を門口に飾り、疫病神から守られました。というお話です。

牛頭天王とスサノオの関係

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牛頭天王は、インドの神であるインドラが起源とされる仏教の神です。日本では主に疫病退散の神として信仰されています。
蘇民将来の物語では、牛頭天王とスサノオが同一視されることもあり、疫病退散の神として信仰されています。この習合は、神仏習合と呼ばれる宗教現象の影響と考えられています。

神仏習合とは、仏教伝来後に日本で行われた、仏教の神々と日本古来の神々が習合する現象です。牛頭天王とスサノオの習合も、神仏習合の一例として挙げられます。

京都の八坂神社ではスサノオと牛頭天王が祀られており、蘇民将来の護符が有名で、7月には祇園祭という疫病退散の祭も行われています。

どちらも疫病をもたらす神としての側面を持ち、ユダヤの過越祭蘇民将来のエピソードが似ていることから、スサノオヤファエに何か関係があるかもしれません。

まとめ

いかがでしょうか。
今回はユダヤ教の唯一神であるヤファエの正体について迫っていきました。

ユダヤ教が生まれたカナンの地は、のちのイスラエル人になっていたヘブライ人のほかにもたくさんの民族がいますし、遊牧民としての側面や奴隷や捕囚などで他の地域と文化や宗教が混ざりやすい状況にあるので、いろんな要素が混ざり合っていることがわかりました。

今回の参考文献は概要欄に貼っているので、気になる方は参考にしてください。

今日はここらへんでお別れです。
ご視聴いただきありがとうございました。
また歴史を楽しめるコンテンツを配信していきますので、高評価やコメント、チャンネル登録、あとスーパーサンクス機能も使えるようになりましたので、応援よろしくお願いします。
ではまた、違う動画でお会いしましょう!
ばいばい!

この記事は私が運営しているYouTubeチャンネル【きーの歴史沼チャンネル】の動画を、テキストにしたものです。

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